金色に輝く獣 ( 2001/12/20)
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作者
Maki
登場キャラクター
ラス、カレン、マックス、レスダル、アンジェ ラ




旅立ち

 古びた大きな背負い袋に、大小の鍋やら保存食、調味料を入れていく。火口箱に厚手の服、手袋、砥石、楔などいわゆる山歩きに必要なものが全て詰め込まれ ていく。ロープを束ねたまま端に結び、毛布を上部にくくりつける。
 それを背負うと、鉈や小剣の位置を確かめる。傍らに置いてあった矢筒を腰の低い位置に止め、大弓を手にする。
「それじゃ、行ってくる」
  身長は決して高い部類に入るわけではなく、顔立ちも二枚目というほど整ったものでもない。髭の剃り残しのある顎をわずかに指でかき、愛想のよい笑みを浮か べる。髪は茶色で適当に切ったという形容が当てはまるスタイルをしており、清潔感や紳士的な印象はない。瞳の色も茶色であるが輝いており、子供が期待の眼 差しを向けるかのような光があった。そんな様子を見せられて彼の愛する妻は何度目かのため息をついた。
「お父さん、お土産買ってきてね」
  舌足らずな口調でせがむのは長女であるカレンであった。冒険者ギルドの集会に出かける度に何かしら手土産を持ち帰るために、娘たちはすっかり「父のお出か け=お土産」という式が成り立ってしまっている。これからしばらく父と会えなくなると理解しているのか、今ひとつ理解に苦しむ反応である。
 そん な娘の言葉にだらしない顔を見せるのは冒険者の店の主人、マックス・マクシミリアンであった。客に「元冒険者」と言われると、必ず「現役」と言い直すあた り、彼の頑固さと、バイタリティが伺える。ときおり沸き立つ冒険への血は、妻でも抑えようがないようだった。この血が騒ぐと、不意にいなくなり、数日から 数週間行方知れずになることもある。店員たちにはいい迷惑であった。その間、主人の仕事が全部店員に下がってくるわけであるし、主人にしかできない判断も 多い。特に仕事の斡旋などは、主人の目利きがなくてはどうにもならず、いなくなると決まって客足も悪くなる。
「なんたる主人だ」
 冒険者からそう罵られたことも一度や二度ではないし、冒険者ギルドからも批判の声が挙がったりもした。しかし、誰しも冒険の血が騒ぐということには非難 することはせず、また、主人にもなってまだ出かける彼の行動力に舌を巻いていたりもした。
 そんな彼の気風や生き様を知ってか、店を空けたからと言って信用を失墜させることはなかった。逆に彼が持ち帰る土産話を楽しみにする客すらいるくらいで ある。
 
 忘れ物がないかと、頭の中で入れた物をチェックし、マックスは最愛の妻と子供たちに別れのキスをして店を出た。
「よう、待たせたな」
 まだ、東の空が白みはじめた頃合いであり、空気もひんやりとしている。表通りだが、この時間に外に出ているものほとんどいない。きままに亭という名の店 の前に、見慣れた顔ぶれが並んでいた。
  カレン、ラス、そしてレスダル。リュンクス狩りの仲間に誘われて集まった面子である。それから依頼人のアンジェラ。ベルダイン産の独特の赤い色をした鎧に 身に纏い、戦場を渡り歩いた彼女は“紅い鎧の”という二つ名で知られていた。しかし、それは過去のことであり覚えているものは少ない。今回の仕事が狩りで あるだけに、その鎧もない。真新しい黒革の鎧に身を包み、手には槍があった。
「さあ、みんな、もう準備は良いかしら? 出発しましょう」
  ぐるりと見渡したアンジェラが声をかけるが、それに「待った」をかけたのがマックスであった。彼は念のために皆の装備の中身を口答で確認した。長期に渡っ て山に入るとなると、少々重くとも装備は完璧にしておきたいのだ。数点ほど、「あると便利」な品を加えて出発することになった。  
 

山歩き

  オランを出て三日。山間に入って半日ほどが経つ。常緑の山脈で知られるエストン山脈は、南北にその稜線を走らせ、端から端までは徒歩で三週間にも及ぶ距離 を有する。そのため、生態系もさまざまであり、麓の民や木こりですら足を踏み入れない場所が広大にある。蛇の街道を二日進んだところから、一行は山に入り 始めた。辺りは鬱蒼と茂った森であり、新緑の美しい景色が楽しめるかと思えば、そうでもなかった。
 木々はどれも背が高く、空を葉で覆い尽くしていた。そのため、地面に降り注ぐ太陽の日射しは遮られ、暗くジメジメした雰囲気を漂わせていた。新緑は頭上 遙か上にあったのだ。
  しかし、数時間も歩くと、針葉樹の森も落葉樹に変わり、随分と明るくなった。やはり日の光の有無では気分的にも随分と違う。途中の滝があるところまでは道 もあり、それほど急でもなく歩き易かった。一番気にかけていたレスダルの体力は思いの外低く、一行の足を引っ張っていた。
 
 今回の目的 はリュンクス。幻獣と言われる珍しい生き物である。それがエストン山脈で見かけたという報告は僅かにしかない。この近辺の山間の村々に詳しいマックスが一 年前に仕入れた情報とアンジェラが仕入れた情報が近い場所と判り、近くの村を尋ねることにする。しかし、有益と思えるものはなかった。
 
  リュンクスは岩をも見通す能力があり、接近することは到底かなわないと賢者は言う。魔法を使うなどしなければ無理だとも言われるが、マックスはリュンクス を狩ったことのある人物と会ったことがある。捕まえ方のノウハウを聞くには聞いたが、十数年前ということもあり、記憶も定かではないため、あまり当てにも できない。それでもその知識を頼りに挑まねばならなかった。人を救うためにも。
 もっとも、その魔法を使える者が揃っているだけに、見つけられれば目的は達成できる可能性は高いと見ていた。安易な発想かもしれなかったが。
 
  袖をまくり、額から落ちる汗を拭う。まだ5の月だというのに、頭上にある太陽は容赦なく体温を上昇させていた。木々の間隔がところどころで開き、日の当た る場所には背丈ほど伸びる草花が生い茂っている。それをかき分け、斜面を登っていくのは見た目以上に重労働であった。日も西へと傾きはじめている。茂みか ら抜け出し、木陰に入るとマックスは後ろを振り返り皆の到着を待った。直ぐ脇にいたアンジェラは、今は一番後ろに下がって後衛を努めていた。ラスの息も上 がりはじめている。レスダルは杖によりかかりながらよたよたと登ってきている。カレンはそんな彼女の荷物を持って協力しているが、その顔色には疲労が伺え る。
「ここらで野営の準備をしよう……と、その前に一息入れようか」
 四人の顔を見て、彼は笑ってしまう。モンスターの遭遇を考えて、ゆっくり進んだつもりであったが、いつしかまたペースが上がっていたようだ。見知らぬ山 間に入るとどうしても心が浮かれてしまう。これではいけないと心の中で反省をする。
「はえーよ」
  追いついたラスは荷物を投げ出して、文句を次々に投げかける。 人の体力を考えろとか、レスダルを気遣えとか、言っておきたいことを全てまき散らすとその 場にごろんと横になってしまう。直ぐ後ろにいたレスダルも両膝をついて肩で息をしている。カレンも荷物を降ろすと同時にしゃがみ水筒の水を喉に流し込ん だ。やや遅れてアンジェラも到着する。息は若干乱れているものの、座り込むような真似はせず、木にもたれて呼吸を整えている。休む間もなく仕事を右から左 へとこなすアンジェラをさすがだとマックスは思った。体力勝負はラスやカレンより確実に上をいっている。まぁ、街での働きが主体の彼らに持久力を求められ ても困るところだろう。それでも目的地に着くまでに慣れてもらわなければ困る。山岳での戦いなどは体力勝負になることも多い。移動でヘバっていてはいざと いうときに力を出し切ることはできない。かといって、体力をつけさせるつもりが、疲弊しきっても困るのだが。特に著しく体力差があるレスダルが問題であっ た。
 
 皆の様子を見ながら、体力を消耗させすぎたと再び反省をする。ここで怪物に襲われたらひとたまりもないなと考える。
 マックスは辺りを見回し、嫌な予感を覚えた。この辺り一帯の植物のサイズが大きいのだ。
「でけぇ、蝶だな」
 休んでいたラスが、ゆらゆら飛んでいる50センチ程の蝶を見つけて指さす。鮮やかな羽根の模様を見せつけながら、向こうの林へと見えなくなってしまっ た。
「山にはあんなものも多いのかしら?」
 アンジェラがなにかに気がついたように聞いてくる。
「ああ、場所によってだがな」
 そう言って、マックスも腰を下ろした。荷物を降ろし、靴ひもを緩める。カレンからラス、アンジェラと回された水筒を受け取り一口含む。一陣の風が吹き、 流した汗を冷やしていく。レスダルは口も聞きたくないようで、ぐったりしたまま仰向けになって動かない。
「ここいらは、巨大生物がたくさんいそうだな」
 そう口を開くと、彼なりの懸念を話し出した。
  もっとも恐れているのはダークエルフなどの妖魔との遭遇であったが、巨大生物の生息範囲に足を踏み入れていることも十分危険であった。ラスの言ったジャイ アント・ワプスやマンティス、センティピードなどはもちろんのことだったが、ウォーム、アントなども出くわす可能性が高いと言えた。それにこの辺りなら高 地からグリフォンが舞い降りてくる可能性も考えられた。これからの野営はかなり注意を払わないといけないことを示唆し、明るいうちから休息を取り、夜の警 戒を強めることにした。五日で目的地に着くつもりであったが、もう二日ほど余裕を見た方が良さそうだとマックスは考えていた。無理は禁物である。
 

決 意

 この辺りの危険性についての予測を一通り説明を終えたあと、マックスは四人に向き直り改めて問いかけた。
「リュンクスの親子でも殺せるな?」
 そこで区切り、皆の表情を見る。
「春先から夏にかけては多くの動物は出産をする。幻獣とて例外ではなかろう。子供のリュンクスにもリグニア石はあるという話だ……。妙な情には流されんよ な?」
  マックスは親子のリュンクスを見つける気でいた。子育てをしている間は、なにかと行動に制約がかかってくる。子供を思うため、巣から離れたり、遠ざけよう としたりして、攪乱する行動は鳥のそれと大差がないと狩りをした者から聞いていた。それを逆手に取ることができれば活路は開ける。ただ、ここで場合によっ ては子供を先に発見することもある。そのとき迷うことなくずに殺すことができるかが重要である。子供を先に発見したと言っても親も近くにいる。親が駆けつ ける前に殺して、逃げに入れるものなら入っておきたいのだ。一瞬の判断を誤るだけでも幻獣を狩る瞬間を永久に失ってしまうかもしれない。
 マックスの知る信頼のおける客たちに、そのような迷いなどあるはずもないと信じていた。しかし、人は時としてそのような場面に出くわすと、その場の情に 流されたりもする。一瞬の迷いで命を落とした者をこの目で見ているだけに、心構えをあらかじめさせておきたかったのだ。
「そうね、子供連れの方が狩りやすいかもしれないわね。情に流される? 馬鹿言わないでちょうだい。あの子の為なら、私は国王の暗殺だって厭わないわよ」  
 憤然とした表情で、即座に口を開いたのはアンジェラであった。彼女にとってこの冒険はウォレスを治すための最終手段のつもりでもあった。神聖語魔法に四 肢再生(リジェネレーション)なる奇跡が存在するが、今の彼女には高位の司祭に繋がるコネがない。
  コネ……そう、この世界では、高位の司祭に奇跡を起こしてもらうには単に金があればいいというものではない。高位の司祭を紹介してもらうにも多額な寄進が 必要であったり、敬虔な信者であると認められる必要もあったりする。ラーダ神殿では、高等の知識があることが試され、ファリスにおいては一族に法を破った ものがいないか調べられたりもする。それでも尚、高位な司祭に奇跡を受けることができない人も多いのだ。彼女は、この神の力に頼ることは諦めていたのだ。 それだけにマックスの質問は彼女の気に障るものであった。
「大丈夫よ。母として子供の可愛さは知っているけど、人と獣を対等に扱うほど自然主義じゃないわ」
  汗も引き、顔色もよくなったレスダルが答える。希にマーファの司祭が、「殺さずに別な方法を探しましょう」と言ったり、ドルイド僧なる自然主義者は「命は 対等だ」と唱えたりするの人がいる。しかし、彼女はそうは思っていない。血の繋がる兄弟や、親子の間で、苦しんでいる者を前にして、別な方法や、対等だか ら自然に任せて死なせたりすることを受け入れなければならないことは間違っていると感じたからだ。特に息子を出産してからはその想いはより一層強くなっ た。
「誰に聞いてる? そういう確認なら駆け出し相手にしとくんだな」
 笑いを堪えるといった表情で答えたのはラスであった。
「成 獣なら殺すのにためらわなくて、ガキならためらうってのも妙な話だ。悪いことはしていないって前提なら、ガキだろうと親だろうとどっちも同じなんだから な。それを承知の上で『狩る』って話を受けた。なら今更ぐだぐだ言わねえさ。運が悪けりゃ…そして抵抗しなきゃ殺されるってのは、年齢も種族も関係ね え。…だろ?」
 皆の意見を静かに聞いていたカレンが最後に答える。
「依頼主の意向がそれなら、異存はない。……大丈夫」
 彼な りに何か思うところがあるのか、無表情に空間を見つめている。“依頼主の意向に添う”確かに雇われている以上それに従うのは当然である。アンジェラの気持 ちが確かであれば頼まれたことを遂行すればいい。それがプロというものでもあり、カレンの考えであった。自己の感情など挟む必要はない。
 四人の返答は予測できうるものであった。
「そう、何よりもアンジェラの意向に添うこと、ウォレスの力になることを最優先にな」
 そう自分自身にも確認するように言うと、マックスは満足そうに笑みを見せた。
 

野 営

 それから野営地を探すこととなった。日はまだ高くあったが、今日はもう動けそうになかった。現時点で獣に襲われたりしたらたちまち息が上がってしまうだ ろう。斜面での戦闘は思うよりも体力を使う。余裕を見ておかないと、取り返しがつかないことがおきるかもしれないのだ。
 四人にはしばらく休息を取ってもらい、可能であれば食料探すように頼む。マックスは周辺を探索して、よりよい野営地を探すためにその場を離れた。
  野営と言っても、このような怪物が出現しそうな場所で夜を明かす場合は、地理条件がよりよくなくてはいけない。探す手間を省くことで、肝を冷やしたり、窮 地に陥ったりした経験が何度かあるため、いい加減疎かにできないのだ。もっともそのうちの数回は探しても見つからず、疲労でその場に決めてしまった結果な のだが。
 野営地を探しながら、食べられそうなものも探す。この時間帯は鳥があまり姿を見せないので狩りがしにくい。最初から狙わず新芽などの植物を採ることに専 念した。
  一刻ほど歩き回って、最適と思われる場所を見つけて戻ってきた。カレンが沢で見つけた巨大なイモリを捕まえていた。ラスとレスダルは完全に夢の中へと埋没 していた。疲れたら寝る。大事なことである。これから移動時間を短くするだけに夜間の見張りは長くなる。昼間に寝られる奴は寝ておく方がよい。
 
 野営地に移動すると、そこは巨大な樹木があった。根元まで近づかず、やや離れたところで火を起こす。野営地から死角になる樹木の裏に罠を仕掛けていく。
 薪の山が四つになるくらい拾い集め、水を汲んでくる。その頃には、日は山の陰に沈む時分になっていた。
 

 背負い袋から鍋や調味料を取り出すと、アンジェラが呆れた声を出してくる。
「味付けは塩と胡椒があれば事足りるんじゃない?」
 まるで店で調理するかのごとく小瓶が出てくるのを見たからだ。さらには通常であれば、省くような小道具類までも出てくる。
「はは、確かにな。無駄な荷物は入れない方がいい。確かにそうだがな……」
  言われる前に自分で言ってみせる。そしてマックスは自分の体験したことを語りだした。特に探索、捜索といった終わる時間が読めない仕事ほど、食事は大切に しなければならない。単調でストレスの堪る仕事ほど、それしか楽しみと言えるものがなくなるのだ。当然、自給自足をしていかなければならないし、美味いも のが手に入る保証もない。大抵は、草葉を食べたりして飢えを凌ぐことが出てくる。このとき、調味料やスパイスが豊富であれば、食事に変化をもたせることが でき、「飽き」や「食えない」といった状況を避けられると言うのだ。熱心に語る彼を四人は笑いながら聞いていたが、彼の言うことが判りだしたのは保存食を 切らしはじめてからであった。
 
 その日は何事もなく過ぎた。レスダルの使い魔であるヴィンスの、梟という特性を活かして、夜間の警戒は思った以上に楽であった。
 しかし、平穏に過ごせたのはこの一日限りであった。
 

巨大蟻

  マックスは先の様子を見るために、一行より進んでいたが、異変に気がつくのが遅れた。どうやらジャイアント・アントのテリトリーに入っているようだ。山に 入って気をつけるべきモンスターの上位にランクされる。巣穴から遠ければよいが、そうでない場合は仲間を呼ばれる恐れがあるからだ。多数を相手にするのは どんな敵でも避けなければならない。
「なにかあったようだな」
 追いついたラスがマックスの見つめている方向を見て声をかけてくる。
 強い日射しが一本の細い木が綺麗に切られているのを浮き上がらせていた。
「ジャイアント・アントだな。ありゃ、おそらく桂の木だろう。若木はやつらの餌になると教わったことがある」
「なんだ、ジャイアント・アントの通った後は不毛な地になると聞いていたが違うんだな」
 辺りの緑の多さにそんな感想を漏らす。前に出くわしたときは岩場であったためにてっきり食い尽くした後だと思っていたのだ。
「餌が豊富なんだろ、あんなのがいるんだからな」
 指さした先には、ウォームにしては小型すぎる芋虫が木の枝に張り付いて葉っぱを食べている。それでも40〜50センチはあるだろう。
「昨日見た蝶か、蛾の幼虫ってところだろうな。害はない」
 それを見たレスダルとアンジェラが顔を背ける。害はなくともグロテスクな様は変わらない。
 マックスは皆をその場で休ませて辺りを調べることにした。荷物も降ろして軽やかに木々の間をすり抜けていく。
  しばらくして戻ってきたが、どうにも進路を変えなければならないことを告げる。黒光りするジャイアント・アントを目撃したと告げた。一行の間にため息が漏 れる。山間で登山ルートを変えるのは、今までの登りを無駄にすることも多い。今回も1時間ほどの行程がフイになった。それでも戦闘はしないことに越したこ とはないのだ。
 
 それから2時間、尾根に出て行軍が随分と楽になる。尾根と言ってもエストン山脈の頂上ではなく、下の方に連なる山々のものだ。目的地は、一度谷まで下 り、また登らなければならない。
「どうやらロックウォームがいるようだわね」
  登りから平坦になることで、随分足取りが楽になったレスダルがぽつり呟く。彼女の視線の先には地面が底から突き上げられたようにひび割れを起こし、盛り上 がっているのが見受けられる。よく見ればそうした起伏が点在していることに気がつく。ここら一帯はロックウォームの生息地なのだろう。ウォームは全般に日 を嫌う傾向があるので、日中であれば警戒することはないと、短い講釈を垂れる。そんな話をしながら、彼女はカストゥール時代の絵本にロックウォームを題材 にしたものがあったのを思い出した。
 その話は、王国に逆らう蛮族たちのねぐらである山を、ロックウォームを使って崩すというものであった。穴だ らけになった山は崩れ去り、悪い蛮族は王国に逆らうのをやめ、従順になったと締めくくられている。カストゥールの教育の仕方が垣間見られるものでもあっ た。ロックウォームが蛮族を懲らしめる様は子供たちにどう映ったのであろうか? 今度、友人の息子に話してみようかと思った。
「走れっ」
  そのとき、マックスが小さい声だがしっかりした口調で言った。避けたはずのアリの巣が尾根の近くにあったのだ。しかもそこではジャイアント・マンティスと ジャイアント・アントが争っているのである。先ほどとは違う赤光りする甲皮を晒すアントがぞろぞろと巣穴から出てきて、マンティスを攻撃する。蜂の巣をつ ついたような、という表現が当てはまるかのようなアリの数だ。距離にして50メートルほど離れているが、遠いと感じる距離ではない。
「これはないんじゃないの?」
  ラスが誰に言うわけもなく愚痴る。マックスの指示で、レスダルを先頭にアンジェラ、カレンが走り出す。ここから迂回して行くことは大変すぎる。ラスも行か せようとするが、それが敵に対する備えと気がつき、マックスも構えざる得なくなる。アントは触覚を世話しなく動かしながら、こちらにやってくる。一匹は顎 の大きさからして兵隊アリと判る。数は三つ。ブラックアントに比べて、レッドアントの方が小振りだが、人ほどの大きさはある。
 弓を準備するには時間がない、剣を使うには荷物を降ろさねばならない。降ろした以上は拾って逃げ出すことはかなり厳しい。マックスは迫り来るレッドアン トに対して逡巡した。その様子を感じ取ったのか、ラスは背負い袋の肩掛けに手をかけたマックスを止めた。
 素早く片手で印を切り、精霊語を紡ぎ出す。ラスの視線は隆起してひび割れた大地に向けられていた。それが突如消え去る。精霊語魔法、トンネルの効果だ。
  レッドアントは、その穴の手前であり、落ちることはなかった。しかし、なんとも形容しがたい、音とも鳴き声とも言えぬ不快な音がその穴から聞こえたかと思 うと、赤茶色の塊が飛び出してきた。ロックウォームである。トンネルにより光りが穴の奥に差し込み、それに向かって突進してきたのであろう。数メートルの 柱のように突き出た体躯はレッドアントの行く手を阻んだ。
 レッドアントは突然出てきたウォームに怯むこともなく、食料と認知したのか猛然と襲い かかる。それに対してロックウォームは辺りが明るいことで地上に出たことに気がついたのか、すぐさま収縮して穴へと潜り込もうとするが、間に合わない。 ジャイアント・レッド・アントとロックウォームの戦闘が始まった。
「さっ、行こうぜ」
 してやったぜ、という表情を見せられマックスは憮然としながらも従った。場数に関してはラスとてマックスに劣るものではない。年齢を考慮すればラスの方 が豊富と考えるのが妥当である。
「大した機転だ」
  走り出しながら、素直にラスを賞賛する。逡巡していた自分が馬鹿らしく思える。最近、特に頼りにできる面子で危険な地に赴いたことがなかっただけに、自分 一人で対処しようという気持ちが大きかったのだ。精霊の力があれば、足止めは楽でもある。何もウォームをぶつけるようなことをせずとも可能だったはずだ。 ホールドもバインディングもある。それを選ばなかったのはマナを温存するためだ。
「よくあの場にいると判ったな」
「土の色が湿っていたからな」
 そこまで観察していたとは状況判断能力は大したものだと感じる。いささか、「現役」の名が色あせているのではないかと苦笑するマックスであった。

  その日は山頂付近の岩場の影で野営することになった。辺りは木々がなく、四方を見渡せる。食料となるような植物もほとんどないため、獣や巨大昆虫が襲って くることは考えにくかった。その反面、水と薪の調達は困難となり、水は水筒の分のみで諦めた。薪も夜通し焚けるだけ用意することはできず、晩飯を準備でき る分のみであった。この日の晩は寒さとの戦いとなった。
 

冒 険
 
  翌朝、日が登りはじめる前に出発の準備をさせる。朝食は木々のあるところでするためだ。火の熾せそうな場所を見つけると、マックスは弓を片手に木々の間に 消える。ラスも自前の精霊力を借りて狩りに向かう。他の者も食料となりそうなものを捜す。単独行動のときにモンスターに出くわすのが一番危険だが、食料調 達を固まって動いては能率が悪すぎる。それにマックスについていっては狩りの邪魔だ。皆は教えられた木の芽や草を探す。トカゲや蛇は十分食料になるが、こ の時間帯で見つけるというのもなかなか難しい。
 
 山岳の冒険に限らないことだが、食料の調達が不可能な地に長く滞在することが前提とな ると、この食料探しの時間が一日の多くを占める。人数も五人となると消費も多い、しかも体力を使うため、より沢山の食料を必要とする。食料探しと移動を同 時に行えるほど容易でもない。また危険と隣り合わせだ。
 マックスは二羽の鳥を撃ち落としてきたが、矢は四本失われている。鏃だけを別に持ってき てはいるが、矢軸を作るのは容易な作業ではない。肝心のリュンクスを狩る矢を使ってしまうわけにもいけない。供給できない場所での矢は大変貴重なものとな る。いざとなれば、アンジェラが弩を持ってきているので食料調達に借りることも考えていた。一方ラスの方は、熊に出くわして収穫はゼロである。姿隠しがで きる者ならば、単独での遭遇はいかようにも逃れる術はある。マックスが精霊使いを羨む瞬間であった。
 
 ゆっくり朝食を取った後でも、昼前には谷まで降りることができた。通常なら迂回していくところも古代語魔法の自由落下(フォーリング・コントロール)の 呪文により大幅に短縮できたからであった。
  人それぞれの役割がある。それは判っていてもラスの精霊語魔法、レスダルの古代語魔法の力を見ると普通の人は無力ではないかと錯覚してしまいそうになる。 マックスがまだ十代であったころ、仲間になった精霊使いと魔術師にそれとなく解釈やら手ほどきを受けたことはあったが、前者は素質なしと言いきられ、後者 はあまりにも膨大な知識を必要としたのですぐさまに断念した。特に上位古代語の難解さは下位古代語の比ではなかった。最近にして趣味が高じて下位古代語を 読むことができるようになったが、それでも自分の好奇心が溢れていなければ到底覚えることはできなかっただろう。これを大人に仲間入りするかどうかのガキ 共が使いこなすのを見ると、関心したりもする。もっとも知識はあっても世間を知らぬ点ではそこらの市民と大差ないため、奴らを敬う気持ちは微塵も湧いては こぬが。
 一番後にレスダルが舞い降りてくるのを待ちながらそんなことを考えていた。そして自分が「冒険」をしているのを沸々と実感するのであっ た。子守の必要のない面子、リュンクスを狩る目的、未知の領域に踏み込む危険性、これで心躍らない奴は店から叩き出してやろうと思っていた。もっともこれ は山男にも近い感覚を持つ彼だから感じ得る喜びである。マックスより口数が多いラスは何かと不平を漏らしていた。もちろんそれが本心から出ているものでな いのは誰しも判っていたし、同感するところもあるため彼の口を開かせたままにしている。そう、マックスのようにこの状況を楽しんでいるのは一人しかいない のだ。アンジェラは依頼者であり、カレンは街中で生きるタイプだ、さらに輪をかけてその傾向が強いレスダルは体力まで少ない。これで状況を楽しめと言う方 が無茶である。
 相変わらず足取りが軽いマックスを見てラスが意見を求めるような視線を相棒のカレンに向けると、
「マスターだから」
 とおなじみの台詞を言われて諦めたのか、黙ったまま後をついていった。
 

雨の夜

 リュンクスの目撃情報は山師からのものである。だいたい一人〜四人ほどでチームを組み、数日〜一、二週間に渡って山中の薬木、薬草、薬鉱、毛皮などを 採って生業としている人を呼ぶ。
  そんな彼らが“空の草原”と呼ぶ高原でリュンクスを見たと言う。山師でさえ麓から四日もかかる地点にあるため、そう滅多に立ち寄る場所ではない。特に珍し いものが手に入るところでもなく“空の草原”はそれこそ見て気持ちのよいだけの草原と言われている。入植して牧草地にすればさぞいい牛や羊が育つであろう と言われているが、道を作ることができそうになく、またモンスターの脅威を考えると夢物語であった。たまたま、成人を迎えた息子を連れて親が見せているた めに寄ったとき、目撃したのだ。

 谷をずっと進んだところで日が暮れ始めたので、少し高台になった場所で野営の準備をする。マックスの予 想では天候が崩れるとみていた。雨が降れば、多くの動物は活動するものではない。その分襲われる心配も減る。もっともこちらもおいそれ動けないことを言え ば歓迎できる状況ではないが、野営地に細心の注意を払わなくても済む点では歓迎できた。
 雨が降り出さないうちにタープを張り、薪を拾い集めに皆 が散開する。刻一刻と雲行きは怪しくなり、堰を切ったような大粒の雨を落としはじめた。降り出す前にと注意を払っていてもこれである。雨具となるマントま で荷物と一緒に置いてきてしまい、マックスとラス、カレンは半分近く濡れてしまった。そんな三人を見てアンジェラが笑う。
「美味しいスープを作るから、それを食べて温まってちょうだい」
  今日の夕食は彼女の担当だった。マックスはもちろんのこと、アンジェラやレスダルも料理の腕は確かであった。ラス(ラスは、料理が上手い)もカレンも作れ ないことはないが、客に出せるものを作れる面子がいるのに出しゃばる理由もないため、素直に材料調達に徹することにしていた。
 
 薄暗く はあったが、日の沈む前に食事も終え、しばしのくつろぎの時間が訪れる。レスダルは魔導書を取りだして呪文の確認に入り、カレンは神に祈りを捧げている。 アンジェラとラス、マックスは自分の体験談などを語り酒場と変わらない雰囲気を作っていた。やがて話がこれからのことになると、レスダル、カレンを交えて 連携について論議に華が咲いた。
 ルーンマスターたちの傾向を把握しなければ、傭兵であるアンジェラや野伏であるマックスは十分に力を発揮できな い。即席のパーティーにありがちな愚はおかしたくなかった。特に危険度の高い仕事ではミスはすぐ死に繋がる。あれこれと体験してきた状況を持ち出し、レス ダルとラスに行動を聞き、その反応を頭にたたき込んでいく。もっともこれは実戦経験の少ないレスダルには、アンジェラとマックスが合わせ、経験の豊富なラ スに至っては、彼がアンジェラやマックスの要望に添うような行動を取るよう意識してもらった。カレンはアンジェラの発言に耳を傾け、彼女の理念を吸収して いた。アンジェラの思うところに自分が自然と動けるようになれば連携はうまくいく。長年連れ添っているラスもそのことは承知しているため、二人の間には確 認の言葉などなかった。
 あたりは完全な闇に閉ざされ、魔術の明かりが暗闇に浮かんでいた。強い雨音だけがタープを取り巻いている。話は熱を持ち、遅くまで語られていた。

 
 雨足は依然衰えることはなく、闇夜を一定の音で支配していた。万が一の妖魔の襲撃に備えて使い魔のヴィンスは山側の警戒に当たらせている。
  話題は戦術論に移っていた。その場次第の戦術論をどこまで煮詰めても同じ状況など生まれるはずもないのだが、得てして男どもはこの手の話が好きである。男 勝りなアンジェラも例外ではなかった。一人レスダルだけが興味を持てず先に離れて横になる。若干の酒も加わり、話はさらに盛り上がった。カレンは表情を変 えず、相槌や短い言葉しか発しないが気持ちが前のめりになっているように見えて、マックスの苦笑をもらう。もっとも一方的に聞き役に徹しているカレンの能 力は底知れないものも同時に感じていた。ラスのようにある種、裏の動向が見え隠れするようではシーフとしては完全ではないのかもしれない。信頼という点で は、ラスもカレンも同等ではあるが、何を考えているか読めない点ではラスを超えていた。もっともチャ・ザの御声が聞ける人物にどれほどの裏や腹黒さがある かは謎だが。それらが即腕前に繋がるわけではないが、カレンの姿勢はシーフとしての能力には特に有効ではないかと思えたのだ。腹黒さと言えばラスと持ち出 す連中は多いが、彼と話していれば何に対して仕返しをするかなどは容易に想像がつく。周到のよさなども感じ取れるために、付き合い方を心得ていれば問題な い。逆にカレンのように、一見取っつきにくい雰囲気を持ち合わせているがちょっと慣れるといろいろな話をしている自分に気がつく。チャ・ザの力か、カレン の素の魅力なのか、はたまた技術なのか掴みかねるのだ。それでいて、どう行動に移すかが読めない。一方的に情報が流れただけなのだ。マックスも酒場で何度 か腹の内を探ろうとするがどうにも聞き出せないでいた。もちろん買いかぶりなのかもしれない。
 そんな最中で異変に気がついたのはマックスであった。この男の周囲へ張り巡らした感覚は常人のそれとは桁違いなものである。

「ウィスプを飛ばしてくれ」
 短くラスに告げると、手元に置いてあった小剣を掴む。それと同時にアンジェラとカレンも武器に手をおく。レスダルが体を起こすと明かりのついた杖を毛布 にくるめた。真っ暗な闇に包まれる瞬間、別な明かりが生まれる。光の精霊であった。
 ラスの指示でウィル・オ・ウィプスはマックスの注意を払う方へと飛ばした。周囲を一定に照らしながら、それは動いていき一体の不気味な生物を映し出し た。
「ジャインアント・スラッグっ」
 アンジェラが禍々しいものを見たように顔をしかめモンスターの名を口にした。
  体長四、五メートルはあるかと思われるその巨体は濁流と変わった河と平行にまっすぐこちらに向かっている。このままだと、数分も経たずに野営地は踏みつぶ されると思われた。雨は相変わらず強いままだ。外に出ようものならたちまちずぶ濡れになってしまうだろう。野営地を移動すればやり過ごすことも容易だが、 それはあくまで荷物をずぶ濡れにすることが前提である。全てを濡れないようにしまい込む時間はない。
「殺すしかないようだな」
 マックス が呟くと、小剣を置き長弓の準備をする。ジャイアント・スラッグは見た目以上に早く移動していた。見る見る近づいてくる様を見て、彼の準備を待たずにレス ダルが呪文を唱えはじめる。だが、狭いタープ内では詠唱に伴う身振りが阻害されて呪文を完成させることができなかった。アンジェラもクロスボウを準備す る。ラスが何かしようと考えたが、ウィスプをぶつけてしまうと目標が見えなくなり、弓での攻撃がかなわなくなる。ウィスプのコントロールに専念し、万が一 魔術の明かり──ライトで視認できるくらい近づいた時、ぶつけようと考えた。カレンは小剣を持ちだして接近戦を挑もうとタープの下から出ようとしたところ をマックスに止められる。
「あれに接近戦をしかけるのはこれを見てからの方がいい」
 長弓の弦を張り、即座に矢を番(つが)えて一射目を 放った。矢は闇に溶け込むとジャイアント・スラッグが身をよじった。そのよじり方はカレンの予想を遙かに越えていた。持ち上がった上半身、前半分と言うべ きか体を地面に叩きつける。まるで敵がその場にいるような仕草だ。あのような巨体にのし掛かられては軽装な装備ではすぐに肋骨をやられてしまうだろう。
「あのように動く」
 そのまま敵を見据えて次の矢を番(つが)える。アンジェラのクロスボウからも矢が放たれ、スラッグが再び身をよじる。カレンは微動だにせず、黙って見て いた。動くべきか判断がつけられずにいた。
 マックスは更に一射するが、射的角度が悪かったのか、表皮に浅く刺さっただけであった。アンジェラの一射は当たるが進行を止めるに至らない。既に敵は目 前に迫っていた。もう弓の射程と呼べる範囲ではない。ここでラスがウィスプをぶつける。
 バチンっ!
  激しい破裂音が雨音に溶け込む。依然として進行を止めない敵を見て、カレンが飛び出す。それに続いてアンジェラとマックスも槍と剣を抜いて雨の中に突っ込 んでいく。剣の切れ味を活かせるような角度でカレンが切り込む。遅れてアンジェラが体重を乗せた勢いで深々と槍を突き刺す。マックスの振るった剣は表皮を 滑っただけであった。皆はジャインアント・スラッグが身をよじりその体重で押しつぶそうとしてくるのをかわし、再び攻撃に転じる。
 カレンは、頭脳と思われる位置にめがけて斬りつける。表皮の堅さに負けぬよう体重を乗せて。アンジェラは、再び体重を乗せた突きを入れる。マックスは剣 の扱いを思い出したのか、握り直しをしてから斬りつけていた。
 バチンっ!
 再び破裂音がしたと思うと、ようやくスラッグの進行が止まった。野営地のほんの手前という表現が相応しい場所である。
 結局、ラスやレスダルもタープの外に出て呪文での援護をしようとしたため、濡れずに済んだ者はいなかった。
 通常なら、殺す必要もないモンスターではあったが、こうした状況に追い込まれると倒さなくてはならない。もっとも今回の怪物は予測に反して強靱であった と言えるだろう。過去に倒した経験のあるマックスが読み間違えたのだ。彼はちょっと気まずい思いに駆られた。
 

狩 り

 明け方、激しい雨はパタリと止み、時間と共に靄も晴れ、青空が見えてきた。天候が回復したのはなによりである。ろくな睡眠がとれなかったばかりか、着て いるものは生乾きといった具合である。不快感をこれ以上高めたくないところだ。
  保存食で軽い食事を済ませ、荷物をまとめて移動する。もう少し行ったところに小さな湖があるはずであった。そこまで行けば開けたところもあるだろうと読ん でいた。大まかな地理に関しては立ち寄った村で得ている。危険なものについても情報は入手していた。昨夜のジャイアント・スラッグは聞いていなかったが、 あのようなものに遭遇することも希であろう。先にある湖にはジャイアント・トードが目撃されていると得ていた。これもスラッグ同様、見かけようと探しても 見つからないほど数は少ない。茂みの近くや水際で注意していれば恐れるほどではないと見ていた。もっともそれは実物を見ていないから言えることであった が。
 
 一行はなんの障害も苦労もなく湖まで移動した。湖岸は崖のように切り立っておらず、浜辺のようになっている。そして河同様増水し た湖は陸を浸食していた。茶色く濁った水はそこになにが潜んでいるかを隠しており、水際から十分に距離を置いて進む。晴れ上がった空に見える太陽は、周囲 の気温を急激に高めていき、湖の上に残っていた最後の靄も上昇して霧散する。その向こうにはエストン山脈の雄々しい頂きが姿を現した。
 日当たり の良い場所を見つけると、濡れたタープや湿気を含んだ毛布を日にさらす。皮鎧も脱ぐと陰干しをし、靴なども同じようにする。汗で臭いを放ちはじめた下着も ここで替え、水で濯ぐ。カボスの香りをつけた石鹸で匂いをつけ、岩の上に干す。ついでに体も拭く。夏場であれば水浴びをしたいところだが、さすがに夏場で あってもジャイアント・トードが潜む湖に入るのは無謀の程もいいところだろう。オマケにこの時季では水は冷たすぎる。
 一通りの作業が終わると、ラスは手持ち無沙汰なのかレイピアを抜いて振り回して遊んでいた。そして唐突にカレンに声をかける。
「なぁ、ジャイアント・トードって食えんじゃねぇ?」
「食う気なのか?」
  カレンが即座に切り返す。大抵こうした発言をしてくる場合は食うことが前提となっているだけに、確認する必要もないのだが虚を突かれたのだろう。レスダル に至っては完全に顔を背けてしまっている。アンジェラは慣れたものなのか「ピック・トードは美味しいわね」と好奇心に満ちた目を向けてくる。ピック・トー ドはポイズン・トード並な大きさのある無害な蛙で、市場などでよく取り引きされている。さすがにジャイアント・トードが市場に出たことは耳にしたことがな い。同じ蛙ならば味も似ているのではないか? そんな発想からでた言葉であった。この手合いに詳しいマックスも、「確かめてみる価値はあるかもな」とやる 気を見せている。今朝のように雨や襲撃などに祟られると食料の現地調達というわけにはいかない。保存食を消費するだけだ。栄養価の高いものを持ってきてい るが、それに増して体力の消耗が激しく、一日三食どころか、四、五食に近い採り方をしている。この調子では保って七日というところであった。
 全く興味のないレスダルと、「オレはいい」と短く断りを入れてカレンがその場に残る。レスダル一人を残す訳にもいかないため、カレンが残ってくれるのは 歓迎であった。目的は食料調達だが、遊び気分も混じっていることは彼らの表情を見れば一目瞭然である。
 三人は、周囲の様子見も含め軽装なまま、その場を後にした。
 
  湖の周りは山間とはまた違った生態系を作っていた。湖の水面には形容しがたい大きさの魚の背鰭が見え、マックスはラスをせっついて見せる。魚にウォー ター・ウォーキングでもかけられればその巨体を拝むことができる。もっとも有に100メートルは距離があるため、冗談であることは断るまでもない。
 身の丈を軽く越える葦や、菖蒲に似た植物、それに掴まって羽根を休める巨大なトンボ、巨大な蜻蛉(かげろう)。水面には巨大な水馬(あめんぼ)が数匹か たまって浮かんでいる。
「なにもかもでけぇな」
 ラスが背筋に走る緊張を楽しむように答える。そう言って見ていた蜻蛉が突然何かに掴まれて茂みに引きずり込まれた。
「出たぞ、あそこだ」
 嬉々としてラスが続けて精霊語を唱え出す。茂みは離島になっている。陸地からは有に十メートルは離れていた。水かさが減っていればきっと続いているのだ ろうが、水位が減るまで待てるわけがない。深さにして腰より上とは考えがたいが、この水温につかりたいとも思えない。
「行くぜっ」
 水の精霊の加護を受けて、三人は水面を走り出していた。
  十数メートルだけしかない水面から浮き出た茂みを取り囲むように展開していく。間合いを詰めすぎないように、距離を取り茂みに潜む影を確認しようとする。 気配はそこにある。水中に逃げられては面倒なため、獲物に対してもウォーター・ウォーキングをかけるつもりであった。しかし、注意がジャイアント・トード に向けられすぎていた。泥水となった水面下から迫り来る気配にラスは反応しきれなかった。
 ザパァっ!
 突如、穏やかであった水面が波打ち巨大な口を開けた魚が飛び出てくる。
「ラスッ!」
  ラスの水面下のハンターにはさすがにマックスも気がつけず、彼の名を叫ぶ! しかし不意をつかれたラスではあったが、跳ね上がってくる魚の鼻頭に手を置 き、上昇する勢いに乗せてうまく自分もバランスを取り上がっていく。ウォーター・ウォーキングの魔法により水の盛り上がりがそのまま彼を押し上げたのが反 応する時間を与えた。そして頂点まで来たところで、くるりと足を魚の鼻頭に置くと蹴り飛んだ。
 さしものラスも背筋に冷たいものを感じながら着地の体制に入る。眼下には波だった水面に巨大魚が潜っていくところだった。
(転がった方がよさそうだな)
 割と高く上がったのを一目見てそう判断した彼は、そのまま視線を茂みへとずらした。
「なっ」
 ほとんど声を出す間もなかった。視線の先には口を開けて舌を伸ばしてくるジャイアント・トードの姿があった。
 激しい衝撃が彼を襲う。着地する体制が崩される。トードの舌に絡められた体は自由を失い落下する速度と相まって堅い水面へと叩きつけられた。
 右肩から落ちてそのまま頭もぶつけてしまう。失いかけそうな意識をつなぎ止め僅かに自由な足で逃れようともがく。
 アンジェラとマックスはラスが捕らえられるのを見るや、茂みへと向かった。僅かにアンジェラの方が速く、トードの耳に当たる部分に向けて槍を突き刺し た。マックスは伸びきっている舌を切断しようと渾身の力を込めて振り下ろす。
 茂みに突っ込んだ二人は、攻撃しながらも驚かずにはいられなかった。茶色と黄土色がまだらに混ざった色をしたそれは、先日のスラッグよりも一回り大き かったのだ。
 槍は深々と刺さり、トードは奇妙な声をあげる。舌は小剣では一気に斬ることはできず、三分の一ほど切り込んだところで止まっていた。ラスは絡まれたまま 倒れてまだ逃げ出せないでいる。
 アンジェラは深々と刺さった槍を無理に抜くのを諦め、小斧を抜いて斬りかかる。マックスは再度振りかぶると傷のついた箇所を斬りつける。
 聞きしに勝る大きさのジャイアント・トードはその巨体を揺らして、水面へと移動しようとする。朱を帯びた肌色の舌をぐぐぐっと引き寄せる。マックスの剣 での傷は確かについているのだが、自分の胴元より太いそれはなかなかと切断できずにいた。
 身じろぎ一つで二人は軽々と転がされてしまう。なにかして足を止めないことには水に沈まれたら終わりだ。アンジェラは突き刺した槍を足場にしてトードの 飛び出た眼球に剣を突き刺した。
  再び、奇妙な呻き声とも鳴き声とも言えぬものを発し、トードが跳ねる。舌で捕らえていたラスを放し、逃げに転じた。マックスが潰されかけそうになるのを寸 前でかわした。巨体であるだけに跳ねるとしても浮き上がってはいない。2メートルほど動いたそれの喉元に小剣を突き刺す。しかし、動きを止めるには至らな い。もう前足は水に入りつつある。
 ザブンっ!
 ジャイアント・トードはその身を水中へと躍らせた。アンジェラは頭上に乗り何度も突き刺 しているが、死に至らしめるにはまだ少し時間がかかりそうであった。槍を刺したまま逃がすわけにはいかない。小斧を強く握り脳天に突き刺したときジャイア ント・トードは水面に完全に浮き上がった。ラスの精霊語魔法である。
「逃がすかよ」
 くらくらする頭と振り、右肩を押さえてラスが立っていた。それを見て二人とも安堵の表情を浮かべる。そして眼前の虫の息である食材の息の根を止めるので あった。
 
 かくして食材は大量に手に入った。痛みのために湖岸で横になっているラスを後目に、マックスとアンジェラは解体作業に精を出していた。
「足と舌で十分だろう」
  倒したものの、湖の上のため精霊語魔法が効力を示している間に作業を終わらせないといけない。ときより水音が聞こえ、二人の作業をより急がせた。いつ足下 からラスを襲ったあれが現れるか判らないためだ。ラスのような身のこなしができる二人ではない。閉じた口を開かせ、舌を切り出すのは一苦労した。
 肉塊を四つほど持ち岸へと戻る。
「大丈夫?」
 アンジェラがラスを気遣うが、ラスは「肉」と答えるだけであった。そもそもの目的を果たさない限りは彼の気は静まらないようであった。一口分を切り取り アンジェラが差し出す。
「美味いじゃん」
 生肉ではあったが思った以上によい味であった。これなら今日明日は狩りをしなくても足りる。三人は満足そうな顔をしてカレンたちのいるもとへ戻った。
 
「臭わないか?」
 カレンがトードの肉に鼻を近づけてぽつりと答える。そんな筈はないとマックスとアンジェラが臭いを嗅ぐが確かにアンモニア臭さが出ている。鮫などにもあ る特有の臭さと同じである。
 一切れマックスが口にするが、鼻腔に広がるその臭いは辛うじて我慢できるかどうかであった。既に肉の食感よりも臭いの嫌悪感の方が勝っていた。
「妙な発想をするからだ」
  マックスの表情を見て、カレンは既に食えないと判断したようだ。ラスの傷を手当てしながら報われない結果に冷ややかに追い打ちをかける。レスダルはトード の姿ではないその肉塊に興味を持っていたようだが、食べられなくてもそれはよかったという微妙な表情をしていた。形はなくても蛙と知って食べるには都会育 ちの彼女には理解できないものであった。
 ただ、マックスとアンジェラはこの結末には納得がいかないようで、肉塊を見つめてあれこれ思案していた。ラスは既に諦めきったのかトードに襲われたとき の様子を二人に話して気を紛らわせていた。
 
「食えるじゃん」
 マックスとアンジェラが得意気な顔をする。やはり苦労が無に帰すには耐え難く臭みが取れれば食えるはずと、もってきた調味料を駆使して食えるものにした のだ。
 ラスもこの結果には満足したようであった。作ったものは食うと、カレンはしっかり自分の分をいただき、レスダルも既に肉塊でもないものを拒絶するほどで はないため食べた。
 もっともそれは昼食の話であり、その日の晩にはよりアンモニア臭さを放つ肉塊は手の施しようがないと、二人とも匙を投げた。
 

依頼者

  その翌日。巨大昆虫の姿は減り、クリーピング・ツリーやキラー・クリーパーといった植物モンスターが増える。マックスの先導でこういったものの近くに寄る ことはなかった。一度だけ、威嚇してくる猿の集団を避けるために迂回しているところをクリーピング・ツリーに出くわし、倒さざるを得なかった。
 山岳の進路も上り下りが少なくなり、横に進むといった行程がほとんどであったため、皆の疲労も軽く、山での生活も慣れてきた。五人分の食料調達はやはり 難しく、保存食も徐々に減っていく。
「エントの力強さを感じるな」
 ラスが周りの木々から溢れ出す精霊力を感じて呟く。太陽の光を受け、明るく輝く緑の葉を揺らした巨木を見かけるようになった。
「バルメラの森に入ったようだな」
  マックスが村で仕入れていた情報を告げる。ここら一帯は春と秋に多くの恵みをもたらせてくれるため、山の富を司る神の名にちなんで付けられたという。以前 は、ここにドワーフが住んでいたと言うが、何が原因かは不明だがいなくなったという。ただ、その森の名だけが残っている。神殿もなければ住んでいたといわ れる洞窟も見つかってはいない。今ではドワーフが住んでいたということさえ口にする者はいなくなりつつあった。バルメラという言葉も使われなくなりつつあ り、「恵みの森」や「収穫の森」とも言われるようになっていた。ただ、山の富は変わらずその場を潤し、人も容易に立ち寄れぬ場所で動植物の生命を育んでい た。
「これだけの森なのにエルフたちも見かけないというのは不思議ですね」
 レスダルが森に入って以来、一切妖魔や妖精族に会わないこと を不思議がった。巨大生物が徘徊する地ではさしもの妖魔でも生活するのは難しいと考えるのは納得できるが、そうでない場所もある。村での情報でもエルフの 姿を見かけることはほとんどないとのことだ。妖魔についてはまだ多いと言えたが。
 エルフやドワーフ族はもっと北や中央山脈を越えたところには住 んでいるということは耳にしていたが、ここら辺りでの目撃は年にあるかないかといったレベルだ。もっともその目撃も一瞬であったりするため見間違いではな いかと言われている。もっとも信用しないのは見ていない人からの言葉だが。
 しかし、山師たちが歩き回ってもエルフの集落一つ見かけないのは珍しいと言える。そこまでこの山は住み難いのか、それとも別な理由があるのか思案しても 答えは出てこない。
「あっちにいい場所があったぞ」
 野営地を探しに離れたマックスが戻ってくる。バルメラの森であろうとも自然の驚異は和らいではくれない。今夜も周囲を気遣いながら眠ることになる。
「エルフ!?」
  野営地に向かう途中、レスダルが使い魔ヴィンスの目に映ったそれを見て声を上げた。一行からはヴィンスの位置は木々が邪魔をして見えない。梟の視線に異変 を感じたのか、エルフは木の陰に隠れてしまう。レスダルに案内されて、その場に行くがエルフの姿はない。何かしらの痕跡が残っていても良さそうであった が、苔を踏みつぶした後など、マックスでも見つけられずにいた。
「どうしたものか、エルフが潜む場所での野宿となると気が抜けない」
  マックスの言葉にラスとレスダルが頷く。一般にエルフと呼ばれる種族は人間と友好的な立場ではあるが、それは開かれた村に対してであった。こうした容易に 人が入られない場所でのエルフは敵ではないものの、歓迎してくれるようなお人好し集団ではない。今夜は火を使わない方がよいかもしれない。「焚き火は森を 汚(けが)す」と厳しく叱られた記憶がよみがえる。「倒木した木々を薪として燃やすことで、本来土に還る栄養が失われる。焚き火の後は土の精霊を追いや り、同時に植物の精霊も失われる」鼻持ちならないエルフの言葉に怒りすら覚えるが、森を守る側からして言わせてもらえば当然なのかもしれない。木々に対し て「親友」というような言葉を当てはめられる彼らにとって、焚き火での影響でも許せるものではないのだ。無用なトラブルを避けるためにも火は使わないこと を皆に告げる。
 結局、エルフの手がかりは手に入れることができず、野営することになった。
 
 日が落ちてからどことなく皆が視 線を感じていた。バルメラの森というのにくつろげないでいるというのがもどかしい。山師もエルフに襲われたわけでもないため、ここまで神経を使うこともな いのかもしれないが、そうさせる空気になっていた。エルフを見かけた時点でこの森を抜けておくべきだったと後悔の念がマックスの脳裏に過ぎる。今更この暗 闇を抜けていくこともできない。ただの思い過ごしであれという気持ちが強くなる。
 使い魔の目が何かの接近を捕らえる。レスダルの小さな呼びかけ声に、横になっていたマックスとアンジェラが身を起こす。
 どうやら虎のようだ。ラスがウィプスを召喚して追い払う。光の球体の接近に驚いて虎は来た方へと引き返していく。それを確認してレスダルの肩の力が抜け る。
「魔力感知を使ってみるわ」
 虎の出現で意を決したのか、レスダルはそう告げる。確かにンビジビリティで隠れているエルフがいれば発見することができる。そこにいるならば話しかける ことも可能であるはずだ。
 しかし、レスダルの呪文の詠唱が終わる前に姿を現した者がいた。
 一同に緊張が走る。
「エルフじゃないっ」
 レスダルは驚きの声をあげた。暗闇から出てきたのは飾り気のない絹の衣服を纏ったエルフのような女性一人であった。ただ一つ明確に違う点があった。薄く 透明な羽根が背中から出ており、ゆっくり動いている。足は地に着いていない。飛んでいるのだ。
(痕跡がないわけだ)
 マックスは足下を見て安堵のため息を漏らした。彼なりに自分目利きには自信があるだけに、痕跡を残さないエルフがいると考えていただけに相手の力をより 高く想定していた。
「フェアリーがなぜ人間界に?」
 レスダルが問いかけ、はたとその言葉が通じないことに気がつく。彼女の学んだ言葉にフェアリー語は含まれていない。
「万能なるマナよ、汝と我との間に言葉の壁は存在せず。汝の言葉は我の言葉なり」
 高々と杖を上げ、複雑に動かす。全身のマナが活性化され、気分が高揚してくるのが判る。それに合わせてトーンを抑えた声で上位古代語を滑らかに紡いでい き、そしてフェアリーの発した言葉に意識を集中させた。
「タング」
 最後のキーワードを唱え術を完成させる。
 二、三言葉を投げかけ、相手が反応するかを見る。フェアリーが頷くのを見て、術が正しくかかっていることを知ると優しい笑顔を見せた。
 
「名前はヒィルリィレン、力を貸してほしいと言っているわね」
  レスダルが彼女の目的を伝える。ラスは二人のやり取りに耳をそばだててみたが、精霊語に似たイントネーションが多いが単語一つにしろろくに聞き取れなかっ た。フェアリーやピクシーは別の言語体系を持っている。元々はエルフも使っていたととある賢者は唱えるが、それが正しいとしたところで意味があるとも思え なかった。レスダルがいてよかったということである。彼女がいなければ、おそらくラスが精霊語で交渉させられることになったであろう。そうなれば何かと単 語の欠ける精霊語ではやり取りに苦労させられるのは目に見えていたからだ。
 レスダルはみんなの様子を伺った後、アンジェラを見る。
「詳しく聞いてくれる? フェアリーってお伽話に出てくるアレでしょ?」
 珍しい来訪者にアンジェラも興味を抱いたのか、理由だけ聞く気になった。もっともリュンクス狩りに弊害となる時間や手間がかかるものならあっさり断るつ もりでいた。弟のためなら、妖精界が滅んだところで彼女には関係はないのだ。
  ヒィルリィレンの話では、この先にある大樹が別の植物により弱っているとのこと。それを排除し大樹を助けてほしいという。寄生しているのかと問うレスダル の言葉に彼女は首を振るう。どうやら生存競争で大樹が敗れかけているというようだ。通常ならば自然の摂理のまま放っておくのが森のためであるはずだが、彼 女はそれをよしとはしなかった。
 ヒィルリィレンをタープの中に招き入れ、詳しい話を聞くことになった。全くやりとりが判らないため、マックスとカレンは横になり、ラスとアンジェラは脇 で成り行きを見守っていた。
 先ほどまでの緊張感はもうない。覗かれているという意識が外れたために素直に休むことができた。
 この森は妖精界と繋がっている場所であり、彼女にとってお気に入りであった。しかし、その接点となるための入り口の役割を果たしている古い樹が枯れそう であるため、不安になっているのだ。
  レスダルは他のフェアリーの協力を得れば、例え植物モンスターであったとしても恐れるに至らないのではないかと伝えた。フェアリーは精霊に近い種族である だけに誰でも強い精霊力を行使することができる。中には上位精霊とも契約できる者はいるはずであった。しかし、ヒィルリィレンは首を振り、自分の立場の弱 さ、人間界を捨てろという周りの声を涙ながらに語った。
「レスダルさん、力を貸すにもリュンクス狩りに繋がるようなものがなければダメよ」
  泣き始めた妖精を見て、アンジェラが怪訝そうな顔をしてレスダルに伝える。冒険者たる者、報酬もなしに動いてはいけない。吟遊詩人の語りに出てくるお涙 ちょうだいな展開などは実在しても、それを受ける冒険者はほとんどいない。市民の味方である神殿が寄進なしにして奇跡を使うことができないのと同じような 理由である。
 「報酬は君の笑顔だ」というのは市民にこそ受けがよいが、同じ冒険者にとってみれば面白いものではない。命をかけて成し遂げた褒美が笑顔では、今頃冒険 者は「慈善者」に名を変えているに違いないからだ。
 この面子の中ではその手で一番心配なのはレスダルであった。場数が違い、また魔術師である以上金銭面での苦労も少ないと言えた。一般の冒険者が当てはま りにくいのが彼女である。泣き落とされては堪らない。アンジェラは厳しい視線をレスダルに向けた。
 そんな厳しい顔を見て、レスダルも気がついたようである。優しい表情はそのままにして、具体的な話しに入った。
  ヒィルリィレンの話を聞いて、大樹を押しのけて成長しているのはブラッディー・ペタルという植物モンスターではないかとレスダルは推察した。植物モンス ターの中でも最大級であり、めったに見かけるものではないが、こうした古い森ならばいてもおかしくはない。それを倒すことを依頼してきているのだ。半端な 報酬では割が合わない。しかし、妖精界に住む彼女、リュンクスも知らなければ金銭的なものを与えることもできない。何かしら武器でも提供してもらえればと 思ったが、銀製の短剣を差し出されても困るだけであった。
 一度魔法の効果が途切れ、再びかけ直す。それだけ時間が経過していた。どうやら、この フェアリーの依頼は受けられそうにもなかった。レスダルも仕事を受けている身であるだけに勝手な真似はできない。こんなところで首を突っ込み、大けがをし ては元も子もないのだ。ヒィルリィレンには悪いが、アンジェラが喜ぶようなものが出ない限り依頼を受けるわけにはいかない。
 断りの話をすると、 涙をぽろぽろこぼして彼女は引き留めにかかった。彼女としても必至なのであろう。どうにも話からでは妖精界でも孤立しているようだし、この森だけが心の支 え、居場所であるようだった。樹が枯れ、もし妖精界との繋がりがなくなれば彼女はどうなってしまうのだろう? レスダルはそれが心配であった。
 何か、アンジェラが納得いくようなものはないか。それがあれば彼女の依頼は受けられる。こういうときこそ得た知識を活用するべきであるはずだ。
 沈黙が辺りを支配する。辺りは霧が出てきて魔法の明かりを受け幻想的な空間を作りだしていた。
(まだ何か手はあるはず……)
 レスダルは沈黙の中考えた。目の前に座る女性は顔を覆い、泣いている。話していて気がついたが、彼女はまだ女性ではなく少女だ。だからこそ、力になって やりたい。
(妖精界と繋がりのある森……バルメラの森……太古の森)
 ふと、彼女の中に一つの物語が鮮明に浮かび上がった。
  その物語は親から魔法のホウキを授かり、少女が叔母の家にお使いに出かけるという話であった。

 心配そうな母に見送られた少女リアンナは元気に出かけます。
 今日は大好きな叔母さんのところへ遊びに行ってもいい日です。お土産のパイを焼いてもらいました。きっと叔母さんは喜んでくれるはずです。
 
 魔法のホウキに跨り、青空に向けて飛びます。空中散歩は大のお気に入り。宙返りだってへっちゃらだ。おっとと、危ない危ない、パイが落ちそうだ。ふらふ らせずまっすぐ飛ぼう。

 しかし、リアンナに困難が待ち受けていました。途中で突風に煽られたり、通り雨に振られたり、全身ずぶ濡れだ。それでもなんとか飛び続けます。リアンナ は気丈な娘です。

 でも、森の手前で大きな鳥に襲われホウキが折れてしまいました。折れたホウキでは飛べません。
 ヒュルヒュルと回転しながら地面に落ちてしまいます。
 木の枝を突き抜けてドッシーン。全身傷だらけです。
 リアンナは泣き出してしまいます。
 まだ叔母さんの家まで深い森を越えなければいけないからです。美味しいパイもなくしてしまいました。お母さんから森には蛮族や妖魔が潜むと教えられてい たので、一人で入ることはできません。
 泣いても泣いても誰も来てくれません。

 しかし、その泣き声を聞きつけたのか、一人の男の子が立っていました。
 彼の名はトレット。
 リアンナは気がつきませんでしたが彼はプーカと呼ばれる妖精族でした。
 リアンナは彼に勇気づけられ泣くのを止めました。また彼もリアンナのお使いのことを聞き、助けてあげたい気持ちになりました。
 そこでトレットは名案を思いつきます。
 この森には不思議な扉が隠されていて、それを使うとたちまち森の向こう側へと出ることができるのです。

 トレットに手を引かれ、扉を潜ります。扉の中は不思議な世界でした。お菓子の家やら、綺麗な花が咲き乱れ、かわいい動物がたくさんいました。
 リアンナは寄り道したくなりました。けれどトレットは厳しく叱ります。「ちょっとだけ」というリアンナの意見も聞いてくれません。
 トレットは意地悪です。
 でもトレットは真剣でした。「この世界には魔物がいて寄り道をする人を不幸に突き落とすんだ」トレットは必至に説得しました。
 大好きな叔母さんはもちろん、お母さんにだって二度と会えなくなると聞いて、リアンナは寄り道を諦めます。しばらくすると外に出ました。後ろにはあの深 い森があります。

 丘を越えれば叔母さんの家はすぐそこでした。
 リアンナは大喜びです。なんどもお礼を言って少年と別れました。元気に手を振るトレットの顔はどことなく寂しげでした。

 叔母さんはリアンナの姿を見てビックリ。ホウキはないし全身傷だらけだからです。
 でも元気に飛びついてくるリアンナを抱いて安心しました。
 
 リアンナは来る途中にあったことを話しました。「それはプーカのお陰ね」と、叔母さんはイタズラ好き、でも寂しがり屋の妖精のことを話して聞かせまし た。
 リアンナはいても立ってもいられなくなり、森へと駆け出しました。
 森まで行くと、大声で叫びます。「友達になろうよ〜」その声は深い森に響き渡り、きっと少年に届いたはずです。
 ほらリアンナの後ろに満面の笑みを浮かべたトレットが……。


(そうだわ、妖精界に繋がるほどこの森、いえ山は太古の影響が残っているんだわ。それならば物語のように妖精界を通れば“空の草原”に行くことができるか もしれない)
 物語からヒントを得たレスダルは、ヒィルリィレンに問いかける。一面が草で覆われているような場所を知っていないか? そこには妖精界と繋がってはいな いか? と。彼女の言葉にヒィルリィレンはあっさりとその草原を知っていると答え、妖精界に繋がっていることを伝えた。
 
  翌日、ブラッディー・ペタルの育成により大樹が弱っているのを見て、レスダルが愕然とする。その木は古代樹に似ていたからだ。慌てて魔力感知を唱えて確認 するが、残念ながら古代樹のそれとは違うようであった。考えてみれば古代樹が植物モンスターごときに存在を脅かされるとは思いがたい。それでもこの木から ならば良質な杖が作れるだろうと思えた。枯らしてしまうのは惜しい木である。それと同等の感想を持ったのはラスとマックスであった。前者は弱っていなけれ ばエントの意志を感じることができたと思い、後者はその幹の太さ、存在感に感銘を受けたからであった。山の恵みは木あってのものである。思わず報酬がなく ても救ってやりたいという気持ちに駆られる三人であった。
 時間さえかければその場から動かぬモンスターを倒すのは難しいことではない。もっとも 今回もそう時間をかけてはいられないので、一気に倒す気でいた。前衛に立つのはアンジェラ、マックス、カレンである。三人に炎付与(ファイア・ウェポン) をかけ、ラスはコントロール・プラントの呪文により別の元気な木を操り牽制させる作戦で行くことに決めた。ヒィルリィレンには怪我した者への手当を依頼す る。
 ラッディー・ペタルの蕾が、わらわらとそ獲物を捕らえようとするのを巧みにかわしながらアンジェラとカレンが突っ込んでいく。マックスはや や遅れてそれに続く。二人の動きを見ていると、自分は牽制ぐらいでいいのではと思えてくるあたり歳なのかもしれないと感じていた。その後ろ向きな考えなた めか、二つの花に翻弄されることになり捕らわれてしまう。しかし、レスダルの魔法の援護で花は切られなんとか逃れることができた。
 炎付与(ファイア・ウェポン)の効果は絶大なもので、アンジェラとカレンは一つずつ花の茎を断ち切っていく。ラスの操る木も花を押さえ込み三人の攻撃を そらした。結果は時間の問題となった。
  傷を癒されつつ、マックスは「こうも楽なものだったか?」と思わずにいられなかった。楽という表現は正しくないかも知れない。気を抜けばアンジェラもカレ ンも花に食われてしまう。ただ、花の数を牽制させるラスの働き、そして一瞬の隙をついて斬りつける剣の威力を増した付与魔術の効果。これが決定的に違った のだ。
 花を全て落とすと後は本体の幹だけであった。できれば根を掘り返してやりたいところであったが、そんな時間もなければ大樹の根まで傷つけ る恐れがあった。大の大人二人で囲まないと手が届かない幹を切り倒すことは容易ではない。しかし、それもレスダルの簡易従者(パペットゴーレム)により半 自動的に作業をさせることができた。むくむくと膨れあがった石の従者(ストーンサーバント)はブラッディー・ペタルの幹を少しずつ削っていくのであった。
 こうして古代樹の末裔の木はブラッディー・ペタルの脅威から解放された。ラスの瞳には一つの植物の命が消え、もう一つの植物の命が延命されたことで、複 雑な表情を浮かべるドライアードの姿を捉えていた。しかし、それも最後には笑ったように思え、少し救われた気分になる。
  レスダルはブラッディー・ペタルの影響で折られた枝の破片を調べていた。どうにか使えそうな木の枝を見つけ出す。これを持ち帰り、加工してクリエイト・デ バイスをかければ立派な杖ができるのではないかと思えた。他の人には悪いがレスダルにとって代え難い報酬を得た気分になっていた。
 
「おおっ、ついたぜ」
  マックスが息を切らせながら感嘆の声をあげる。妖精界の扉を開き、一気に“空の草原”に来たのだ。妖精界と人間界では時間の進みが違うため、妖精界の中で は全力疾走してきたのだ。レスダルの助言がなければもしかしたら地道に歩いてくるより時間が経過していたかもしれない。昼前であったはずが、通り抜けたら 夕闇になっていたのだ。それでも一日以上経過したのではないかとレスダルは不安になる。暦を確認する術がない以上、街に戻るまで明確な時間の流れは判らな い。オランの街に帰ってみたら数年経っていたというのは止めてほしいものだ。今は自分の憶測を信じるしかない。本来の行程ではあと二、三日は山中を歩かね ばならないのだ。体力的に劣るレスダルにとって、山歩きは苦痛意外の何ものでもない。アンジェラには悪いが、途中で帰ろうかとも何度も思った。そんなこと できるわけもなく、する気もないので文句もいわずについてきている。たまたま妖精の依頼を受けるため時間短縮という見返りを得られるならばと、この妖精界 の道を使うのことを薦めたわけだが……。時間が経ちすぎていれば申し開きができない。あとはオランに無事帰還できてからのお楽しみである。
 ヒィルリィレンも満足そうな様子であった。妖精界を通らせただけなのだが自分がとても役に立てたと思え嬉しかったのだ。
「ヒィルリィレン」
  アンジェラは彼女を呼び止めた。ちょっと発音が違うなとラスは思ったが、指摘することでもない。名残惜しそうにしていた彼女は自分が呼び止められたことに 驚く。最初からアンジェラとヒュルリィレンとの間は良いものではなかったのだ。嫌われているとばかり思っていた彼女は声をかけてもらえたことが嬉しかっ た。
 アンジェラはレスダルを呼び、通訳をお願いする。その内容というものは、しばらく自分たちに同行してくれないかというものであった。一つは リュンクスを捜索する間の荷物番、もう一つはマックスからの助言であるが帰りにも妖精界を通らせてほしいというものであった。その申し入れは、ヒィルリィ レンにとって嬉しいものであった。いつも一人でいる彼女は心のよりどころがほしかったのだ。満面の笑みを浮かべて承諾の意を伝える。彼女の顔を見てレスダ ルは、あの物語のプーカの笑顔と重ねていた。
 

空の草原

  それから一週間が過ぎた。リュンクスの姿こそ見つからないが、なんとか糞や獣道は見つけることができた。といってもその糞もリュンクスであるとは仮定でし かない。思いの外、捜索は捗らなかった。最初の二、三日は全員元気であったが、次第に疲労の色を濃くする。一週間経った今では、マックスさえも疲れ気味 だった。
 一人元気なのは荷物番をするヒィルリィレンだけである。帰ってくると、「今日は兎を追い返したよ」と一日の彼女の仕事っぷりを語ってくれた。
「兎は追い返すんじゃなくて、捕まえるんだよ」
  と、何度目かの同じ台詞を精霊語で告げるラスがいた。ヒィルリィレンと手軽にコミュニケーションが取れるのは彼だけである。さしものレスダルもいつもいつ も魔法を唱えて会話の相手をしてはいられない。まともにやり合うのもいい加減飽きてきた彼は、とりあえず「マスター、飯まだ?」と皮肉めいた口を開いてお いた。
 “空の草原”そう名づけられた高原は見渡す限りと言えるほど青々とした草が生えそろっていた。草が細波、海原とも感じるほどである。草原妖精であるグラ スランナーの故郷はこういったところではなかろうかとレスダルは何人かの知人の顔を思い浮かべる。

  しかし、この草原、見た目は美しくあったが、こと食材と獲物には事欠いた。兎などの小動物はいるようだが、目撃するまでが大変であった。ラスやレスダルが 見つけた日には躊躇うことなく魔法で仕留めることを決意していた。それだけ現地での食料調達は困難を極めていたのである。

「明日は、森に戻って一日食料探しだな」
 ヒィルリィレンが妖精界より持ってきてくれる果物や木の実でなんとか保存食の激減を抑えていたが、いつまでもそれに頼るのも情けない話だ。どうやらもう 少し腰を据えたやり方に変えないことにはダメのようである。
(そうそうトントン拍子にいく相手ではないな)
 幻獣を追うわけだから当然なことだ。ハーブなどの薬草や栄養価のある草の根を主体にしたスープを作りながらマックスは大きなため息をついた。
 

心の支え

 草原の真っ只中、休憩しているカレンにアンジェラは話しかけた。カレンの隣に座ると、やや覗き込むような形で口を開く。
「リュンクスは見つかるかしら?」
 その言葉にカレンは無表情ながらも返す言葉を探した。その一言で全てが判った。アンジェラは不安に陥っているのだ。
  気丈な彼女であるだけに、大抵のことは一人で耐え、決め、動けていた。その活動力たるや尊敬に値する。だからこそ、カレンもアンジェラやウォレスが好きだ し、今回の手助けを引き受けたのだ。ただ、その彼女の心境も分かる。不安にならない方が人としては不自然である。彼には信仰というものを持ち合わせない人 だ。自分にはチャ・ザ神がついておられる。迷い悩んでも頼る道が残されている。全てを自分で引き受ける必要はない。
「見つかる」
 静か に、だが力強い口調で答える。ここで自分が弱気を晒してはいけない。しかし、カレンには人を信仰に導く言葉は持ち合わせていなかった。あくまで信仰は自分 自身の事柄であり、人の命運を左右させてしまうものではない。もっともそれを口にしたところで信じて貰えるかは別であるが、少なくとも口しても意味はない ことは判っている。神殿に常駐している連中ならばもっと気の利いた台詞を言ってあげられるのに……つくづく自分には悩みを打ち明けられる柄ではないと思 う。
「きっとマスターが見つけてくれる。ラスやレスダルの力も借りている。これで見つからないわけがないだろう?」
 言っている自分が一 番信用ならないなと思えてくる。なにより先ほど当のマックスの愚痴を聞いてしまっている。ラーダを信仰しておきながらチャ・ザ神官に弱気を見せる辺り彼も 人の子だなと思えた。このアンジェラもそうだが、マックスへのプレッシャーたるや尋常なものではない。今までの山歩きの術など見ても判るように、彼なしに リュンクスは見かけることも不可能ではないかと思う。その彼ですら幻獣の姿を捉えることは容易ではないのだ。時間ばかりが過ぎる中、平静を装い明るく食事 を用意する姿は、彼の愚痴を聞いたことで正視しかねる気持ちでいっぱいとなった。そんな彼がカレンを心の支えとして頼ってきたのだ。
 自分の役割についてはじめて考えることとなった。
  この旅で自分の役割はあまりないのではないかと思っていた。ラスとアンジェラの関係や成り行き上もあったが、自分の腕はリュンクス狩りでは活かせない。癒 し手として僅かながら力になれるかも知れないが、今ではヒィルリィレンの力も借りられる。女の精霊使いの癒しは自分のそれが霞んで見えてしまうほど凄いも のである。
(チャ・ザ神よ感謝致します)
 心の中で神に祈る。カレン自身がここでの居場所を求めていたのだ。それが見えた気がした。そ う、自分は神官である。人を導くことは苦手としていても、人から見ればそんなことは関係がないのだ。無駄な人材はいない。教義の一説が思い出される。自分 が求めていた言葉がマックスやアンジェラの言葉で救われる思いがした。人との交流の輪とはこういったものなのだなと漠然と今の状況を嬉しく思う。人は一人 では生きられない。
「幸運の神は見放してはいませんよ」
 普段では絶対に出ない言葉がするりと出る。
 その言葉にアンジェラはあっけにとられるが、やがて笑みを見せて、
「そうね、幸運の神官さまのお言葉ですもの」
 と口にすると草を払い立ち上がった。
「ありがと、元気が出たわ」
 先ほどの暗い表情は消えていた。足取りもどことなく軽やかになった彼女は草原の中を歩み始めた。
「チャ・ザ神よ、幻獣リュンクスを見つける幸運を与え賜え」
 その背中を見て、全霊をかけて神に祈るカレンがいた。
 

黄金の獣
 
  さらに四日が経過する。植物モンスターやら大型昆虫などの遭遇は皆無に近かった。それだけこの草原は平和そのものであった。いつしか張りつめる緊張もなく なり、退屈な捜索が続くことになった。捜索のペースを落としたこともあり、精神的負担はぐんと軽くなり、食料も辛うじて食っていくことはできた。既にマッ クスの調味料の有難味を噛みしめている。ヒィルリィレンは妖精界で何かあったのか、いつものように食料調達に行ってくれなくなっていた。それだけに草葉、 根のスープに臭みがないだけ、ありがたかった。
 成果は全くないといえばそうでもなく、マックスは着実にリュンクスを追っていた。確かにこの広大な草原に潜んでいる。相手がこの草原に隠れてこちらの位 置を正確に把握していることも感じ取っていた。あとは裏をかききればいい。
「リュンクスは子連れだ。この数日間の動きで確証を得た」
 それは小動物の食べ残しと共に、草の乱れ方、抜け毛から推察したものであった。子供は数匹いると見られた。
  みんなを呼んで粗方の推察を重ねていく。子供の存在以外はどれも決定的な確証はない。一つ一つの作戦も一日がかりで仕上げていくものばかりだ。しかも食料 の余裕があるときでないと実行に移せない。移動力を殺してでも大量な食料を持ってくるべきだったかというアンジェラの言い分にマックスは首を振る。そんな ことをしたら滑落などの事故を招きかねない。敵に遭遇して逃げるにも重すぎる荷物であれば全てを投げ出さねばならない。そうなればより一層困難な目に遭う のは明らかである。現状で無事であるならば過ぎたことは気にしない方がよい。
 子育てがある以上、この草原から出ていく可能性は少なく感じ取れ た。山に入れば様々な生物がリュンクスの子供に襲いかかる可能性が高い。いくら100メートル先を見透かす視線を持っているにしても、逃げる方向まで敵に 塞がれていたら万能とは言えない。それに引き替えればこの地は彼らの天国であった。食料となる小動物は豊富であるし、視界を遮るはずの草は兎たちにはなん らメリットにはならないのだ。我々を見つけても逃げ切ることはせず、距離を保つだけに留めるのはそのためであろう。もしかしたら一組だけではないのかもし れないことも告げる。彼らになわばりというものがあるのか、あってもどれだけの広さがあるのか判るものではない。レスダルの知識を持ってしてもそうした調 査報告はないのだ。
 翌日、食料調達は十二分に行えた。ヒィルリィレンは、矢軸となる枝を何本も見つけてきてくれて、マックスから感謝される。ほ とんど尽きかけていた矢が見事に補充される。もっとも手製であるために精度に差はありそうだったが贅沢は言えない。矢数の安心感からか、この旅はじまって 以来、初の大物である鹿を狩ることに成功し、その晩は食い切れぬほどの肉を頬張った。大量の薪を必要としたため、草原には戻らず森の中での野営である。モ ンスターとの遭遇の恐れはあったものの、獲物を目の前にしてそんなことは些細なことになっていた。
 満腹感にこの世の幸せを噛みしめた一行は終始 笑顔であった。ここ数日間のストレスが一気に解消された気分である。肉を口にしたことのないヒィルリィレンもその歯ごたえ、肉汁の旨味に魅了されつつあっ た。食いきれない肉はマックスの手で薫製にされていく。もう一日はこの作業で足止めになるが、燻してしまえばこの高地である。早々に悪くはならない。そう なれば久しくできなかったリュンクス狩りに全力を投じることができるといえた。
 
 薫製にした肉で重すぎると言える荷物を抱えた一行は、“空の草原”まで戻って来た。明日への食料の不安がないということは、なんと心地のよいことだろ う。雑談を交わしながら尾根を越えると一面の草原が広がる。
 夕焼けに染まる空の赤が美しく、草原を不思議な色で染め上げる。ふと、マックスが足を止めた。皆も立ち止まり、彼の視線を追う。
 一陣の風が吹き抜ける。海原を思わせる草原に一つの影を落とすものがある。それは、こちらに気がつく様子もなく悠然と歩いていた。金色に輝く体毛を赤く 染めたそれは紛れもない幻獣リュンクスであった。
<つづく>








  


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