ひけないこと( 2002/01/30)
MENUHOME
作者
松川彰
登場キャラクター
ラス、アイリーン




「羨ましくなんかねえさ。てめえなんかな」
 そう言って、リックは笑ってみせた。黒髪の若い男。いつも浮かべてる皮肉げな笑みじゃなく、どこか吹っ切れたような笑み。
 ── おまえが俺を羨む必要はない、おまえの腕で俺を羨んだりしたら腕が泣く…と。リックの背中に言ったのはいつだっただろうとふと思い出す。この男が、自分の プライドをもてあましているような、自分の立ってる位置を見失ってるような、そんな言葉ばかり酒場で並べていた頃に、つい親切心を出して呟いた。不機嫌に 酒場を出ていったあいつにそれが聞こえていたのかどうかは知らない。…どっちでも構いやしねえけどな。
 珍しく出した親切心だが、俺は嘘を言ったわけじゃない。いつだって、俺はそう思ってたんだから。
 とは言え、どこかで勝手に吹っ切っちまったんなら、これ以上親切にしてやる義理もない。
「ああ、羨んでないなら結構だ。おまえなんかに羨ましがられたり、憧れられるのは気色悪いんでね」
「……勝手に言ってろ。これから仕事だ。性悪半妖精と茶飲み話してる暇はない」
 銀貨を弾いて、リックが店を出ていった。
 その背中を見ながら、ふと思う。
(……あいつ、幾つだっけ…?)

「あ……ラスさん? あの……」
 リックの年を思い出しかけた時、背後から声がかかる。聞き覚えのある声。盗賊ギルド直営の酒場“稲穂の実り亭”に、いても不思議じゃない声。
「ああ、アイリーンか。……どした? 妙な顔して」
 背後に立っていた、長い黒髪に青灰色の瞳を持った少女にそう聞き返す。不機嫌な…というか、怒ってるような顔をしていたからだ。
 隣の椅子にあらためて腰をおろして、少し迷うように口を開く。
「あの……リックさんと何話してたですか? えと…少し聞こえてきて……“片手間”がどうとか…」
「……ああ、想像通りだよ。なに、たいした話じゃない。あの男ももう吹っ切っちまったみたいだしな。……なんで怒ってんだ?」
 苦笑しながらの俺の問いに、アイリーンが溜息をつく。
「ラスさんは…どうして怒らないです? あ、いえ…リックさんのことじゃなくて。あたしも同じこと…言われちゃったです。あたしと同い年の男の子がいるん ですけど…彼が言うには、『精霊使いだって言うなら、おとなしくしてろ』って。“片手間”で“本業”の領分に面白半分に手を出すなって」
 頼んだ林檎水の杯を握りしめながら、アイリーンが呟く。怒りというよりも、やりきれなさがその青灰色の瞳に滲んでる。
「何か、言い返したのか?」
「………………そんなことない、って…それしか言えませんでした」
「本業は精霊使いで…でも盗賊稼業もやってて。おまえは俺とはまるっきり同業だよな。けど、面白半分でやってるわけじゃねえだろ?」
 真剣な瞳で、大きくうなずくアイリーン。
(ああ…そうだ、22才って聞いたな)
 唐突にリックの年を思い出した。
「……なぁ? 覚悟は、あるんだろ?」
 そう尋ねると、アイリーンが一瞬、唇をひき結んだ。ゆっくりと口を開いて、小さな声で聞いてくる。
「なんの…覚悟ですか?」
「言われることと…あとは、時間の覚悟だ。俺は半妖精だから、人間よりは時間に恵まれてる。けど、2つのことを2つとも一人前になろうと思ったら、2倍の 時間はかかる。その覚悟だよ。……知ってるか? リックは俺の年の半分だ。あいつがギルドに入って…盗賊としての訓練を受けて7年。俺はギルドに入って 13年。個人的に師匠についたのはギルドに入る3年前だ。リックの倍の年数をかけて……それでも、俺の腕はリックに及ばない。それが“片手間”と“本業” の一番大きな違いだ」



「技を身につけたいと…そう言っておったな?」
 爺さんはそう言った。盗賊だったお袋の知り合いで、タラントのギルドの構成員だったハラトゥという男。
「……………」
 答えたくなかったわけじゃない。無駄に反抗していたわけでもない。ただ、樫の棍棒を思い切りくらって、声が出なかっただけだ。
「今、おまえ……とっさに魔法を使おうとせなんだか?」
 頭上から声が降り注ぐ。
 ……そうだ。その通りだ。目の前に迫る棍棒を避けることも、自分が手にしてる同じような棍棒で受けることも間に合わない、それを悟った瞬間、精霊語が口 をついて出た。それでも、呪文が完成する前に叩きのめされたけれど。
 それにしてもこの爺さん…もう60は越えてるはずだ。ギルドの現役はとっくに引退している。最初に教えてくれと言った時も、自分はもう年だから体は動か ん、とか何とか言ってたくせに。60越えたジジイがあの動きは…詐欺だろう。
 草っ原でうずくまって、息を整えながら、とりあえずそれを考える。
 風が吹いていた。タラント独特の…少し乾いた涼しい風が。シルフが、それを運んでいた。
「……なぁ、ラス。鍵を開ける、罠を調べる、足音を殺す、聞き耳を立てる…。確かにおまえには、素質があると思う。おまえの母親に似てな。だが…こと、戦 闘技術になると…どうしても魔法に頼りがちになるな。…いや、仕方のないことだとは思う。エルフのもとで、精霊魔法を学んだのは何年だ?」
「…………20……年…」
 ようやくまともになった息をつきながら、答える。ハラトゥがかすかに笑った。
「わしが教えはじめて1年だな。その前におまえは20年、魔法を学んだ。……エルフの時間じゃ瞬きひとつの時間にも等しいかもしれん。けれどな、人間の世 界で20年同じことを学べば、一人前以上だ。15や16の駆け出しが20年経てば、ギルドでも中堅以上になれる。…………なぁ、魔法だけじゃ駄目なのか?  おまえ、まだ30やそこらだろう? 半妖精なら時間はまだまだある。今で20年。もう20年経てば、精霊使いとしてはかなりのものになれると思うのは… わしだけじゃなかろう。それでも…魔法だけじゃ……駄目なのか?」
 声が近くなった。膝をついたまま、顔だけを上げると、ハラトゥが俺の目の前にしゃがみこんでいた。半分以上が白髪になった、もとは黒かった髪。皺の中に 埋まっている茶色の瞳。
「………駄目…なんだよ…っ!」
 握りしめた拳の中に柔らかい青草の感触を感じる。
「何を…そこまで望む?」
 シルフにさらわれそうに小さな声でハラトゥが聞いてくる。
 何を? ………決まってる。
「俺は…女じゃないから。癒しの力を持つ、生命の精霊たちを感じることは出来ても…奴らは俺の声に応えてくれないから。……20年経っても、30年経って も。たとえ100年経っても、俺は癒しの魔法だけは使えないから」
「冒険者の仕事をしたと…そう言っておったな」
「ああ。したさ。森から出てきて…ろくにツテもねえ人間混ざりが出来る仕事なんて限られてる。俺の持ってるモンといえば、精霊魔法の力だけだった。だか ら、何ヶ月か…冒険者の仕事をしてた。そして…ここに来る少し前も、酒場で知り合った奴らと一緒に仕事を受けた。…そんなに難しい仕事じゃなかった。北の 森の奥に棲みついてる妖魔を退治する仕事だ。……なぁ、爺さん。あんたが盗賊として冒険者の仕事したらさ、隊列はどう組む? 剣の使い方もろくに知らな い、人間よりも体力の劣る人間混ざりの精霊使いを…どこに配置する?」 
 俺は笑ってた。自嘲だと、そう気づいてた。
「……一番前はもってのほかだ。しんがりも危ない。……戦士や盗賊に挟まれて、中央に配置するのが当然だろうな」
 ハラトゥが答える。俺の目を見つめたまま。
「そうだよ。その位置だったさ。……仕方ねえことだよな。路地裏での喧嘩のやりかたなら知ってる。でも、“戦闘”のやり方なんて俺は知らねえ。“盾”の後 ろから魔法使うくらいしか、俺は出来ねえんだよ」
「だが、魔法の力は戦士の力とは質が違うだろうに。役割分担があって当然だ。武器を使えない魔法使いは多い。何もおまえ1人に限ったことでは…」
「それでもだ!」
 爺さんが言うことはわかる。俺もそう思ってたし、間違っちゃいないと思ってる。今でも。でも、俺は爺さんの言うことを遮っていた。
「……それでも、だよ。爺さん。………目の前で、戦士の1人が俺を庇った。そいつは深手を負った。一緒にいた神官が癒してたけど、その少し後に、妖魔の群 れに遭遇してさ。ぎりぎりで逃げ帰ってきたけど…その戦士だけは帰ってこられなかった。あの時の怪我の影響がなければ……あいつの腕なら、生き残れたはず なのに」
「それはおまえの責じゃなかろう! 戦士は“剣”であり、“盾”だ。少なくとも、もしそやつが生きていたとしたら…おまえを責めないだろう」
「……わかってるよ、そんなことは。俺たちはパーティとして仕事を受けた。それぞれの役割があって、それを果たしただけだ。けど……なぁ、爺さん。仲間の 血の温度ってのは……忘れられないと…そう思わないか?」
「癒せないなら…いっそ庇われたくないと?」
 爺さんの静かな声に、俺は黙ってうなずいた。
「だが、ラス。精霊使いとして、腕をあげれば……」
「それでも、魔法で剣や鉤爪を受けるわけにはいかない。息が上がりゃ魔法は使えない。……板金鎧、着るわけにゃいかねえだろ?」
 苦笑しか出てこない。そうじゃなけりゃ自嘲の笑みだ。
 仕事に行く前の日にエールを飲みながら笑っていた戦士の顔と、俺を庇った後で平気だと笑った顔と。そして何よりも、その時に浴びたそいつの血しぶきが、 忘れられない。
 だから。
 せめて。
「退(ひ)かない、と……そう言うんだな?」
 呟いて、ハラトゥが立ち上がる。うなずいて俺も立ち上がった。
「………ああ。退かねえよ。退く気もねえ。ここで退いたって、戻る場所なんかないからな」
「…わかった。次いくぞ。構えろ」
 爺さんがにやりと笑って棍棒を構える。
「ああ、そのまえに…」
 汗止めにと、額に巻いていた布をするりと解く。
「精霊魔法は、確かに俺が持っている、一番馴染んでる力だ。けど、いざって時にそれに頼ってたんじゃ、いつまでたっても技なんか身につかねえ。……だ ろ?」
 布を、口にくわえるようにして、頭の後ろで両端を結ぶ。
「……ふむ。自ら、言葉を封じるか。………その目。やはりおまえの母親に…ミリアに似ておるな」
 苦笑と自嘲以外の笑みで応えて、俺も構えた。



「覚悟なら…してるです。あたしは精霊使いですけど……それでも、“この世界”の人間でもありますから」
 アイリーンが、こくりと頷いてそう答える。
 彼女を見ていて、俺は15年前のタラントを思い出していた。爺さんと話したあとに叩きのめされた回数は覚えちゃいねえけど。3年、爺さんに基礎を教わっ て…あらためてその後にタラントのギルドに入った。そこでも散々言われた。多分、今のアイリーンと同じことを。
「……精霊使いだってんなら盗賊の真似事しなくてもいいだろう、とか。精霊の力とやらを借りてようやく一人前に見せてるだけだろう、とか。魔法がなきゃ何 も出来ないくせに小さな仕事がうまくいったくらいで図に乗るな、とか」
 低い声で呟いた俺を、アイリーンが少し驚いたような顔で見る。
「………ラスさん、聞いてたです?」
「ははっ、聞いちゃいねえよ。……当たりだったか?」
「ええ、当たりです。全部、当たったです。あ、あと…“片手間”が“本業”の邪魔してるのは目障りだとか言われました」
「そうか、それもあったな。……本当に、聞いてたわけじゃねえんだ。ただ、昔、西のほうで俺が言われてたこととほとんど同じだなと思っただけで。オランに 来てからは、少なくはなったが…それでも、陰ではいろいろ言われてるらしい」
 どこも変わらねえ、と思う。
「悔しく…ないですか?」
「おまえは悔しいか?」
「……悔しい、です。さっきも言ったですけど…あたしがここの…ギルドの人間なのは事実です。ちゃんと…まだ未熟ですけど、ちゃんとお仕事してるですし。 “本業”さんの邪魔してるつもりもないですし、お仕事の途中で、精霊さんの力が必要になって…それでも、結果的にお仕事がちゃんと終わるなら、それを非難 される謂われはないです」
 そこまで言って、ぬるくなった林檎水を飲み干す。その気持ちはわからなくもない。悔しく思ってるくらいのほうが、恨みを買わなくていいのかもしれないと も思う。
「俺はそこで馬鹿にしちまうからなぁ……」
 ぼそりとそう呟いたのを耳にして、アイリーンが顔を向けてくる。
「……馬鹿に、ですか?」
「ああ、だってさ。どんな経過だろうと仕事は仕事。結果さえ出るなら構いやしねえだろ。俺たちは真似事や面白半分で盗賊稼業に足突っ込んでるわけじゃねえ し。“本業”だと、そう言い張るなら、“片手間”ごときに邪魔されたり仕事とられたりしてる場合じゃねえだろ、とか」
 そう言って、笑った俺にアイリーンが、きょとんとした顔を見せる。
「…だからさ。“仕事”じゃん? うまくいけば報酬をもらう。下手をすればヤバイことになる。仕事なんてのはそういうもんだ。片手間だろうと本業だろう と、それは変わらない。片手間で面白半分で盗賊の真似事してるだけです、なんて…そんな言い訳ぶら下げてりゃ失敗しないとでも? 違うだろ。どんなやり方 でやったにせよ、自分の持ってる能力でくぐり抜けて、結果を出すんだ。神殿主催の運動会でもあるまいし、必死に頑張ったからって評価されるわけじゃない。 結果を出したことが評価されるんだ。……それこそ、片手間で集めた情報だろうと、寝ないで駆けずりまわって集めた情報だろうと。ネタの質が同じなら報酬は 同じだ。
 本業と、そうじゃない奴と…確かにいろいろと違う。けどな、結果だけは変わらない。俺たちは本業の奴らと違って、ギルドに育ててはもらえないし、後ろ盾 もない。長い目でなんて見ちゃくれない。自分のミスを自分で挽回できなきゃそれまでだ」
「そ…うですね」
「……本業には本業のプライドがある。でも、片手間にも片手間のプライドはある。そして、どっちにしろ…退く気はないんだろ?」
 そう聞いた俺に、アイリーンがうなずいた。
「ええ、退けません。今更、です」
 ハラトゥが、ミリアに似てると言った、あの時の俺の目は、今のアイリーンの目に似ていただろうか。
「あ、じゃあ…『オレらが必死でやってる時に、精霊とやらとへらへら遊んでやがるくせに』とか言ってた、本業の男の子は、駄目駄目ですか?」
 ようやく、アイリーンが笑い顔を見せる。
「ああ、駄目駄目だな。プライドのかけらも持っちゃいねえ。少しはリックでも見習わせろ」
「リックさん、ですか?」
「……アイリーン。よく言われることだけどさ。確かに便利だよな、精霊魔法は。闇夜の尾行なんか特に便利だ。おまえだって、もう何年か修行すれば、姿も消 せるし音も消せる」
「ええ。だから……あ、何か…こういうこと言うのって、えと、傲慢かもしれないですけど……文句言ってくる嫌な人たちは……羨ましいのかな、って…そう 思ったこともあるです…」
 小さな声で言う。あたりをはばかって、だろう。この店は、盗賊が集まる店だ。
「それでもさ。あの馬鹿野郎は、羨ましくなんかねえって笑ったぜ?」
 自分が出来ることをわかっていて、もてあましていた矜持を再認識したような、そんな顔で。
「そこで笑えるリックさんが…ちょっとだけ羨ましい、です」
 にっこりと、アイリーンが微笑んだ。
 そうだな、確かに。
 俺は精霊使いだ。それでも盗賊でもある。望んで身につけた技術だ。それでも…実戦になりゃ、自分の持ってる力を全部使って、生き残ろうと考える。自然 に、精霊魔法を使う機会のほうが多くなる。だからこそ、俺は盗賊としては出来ることは限られてる。…そう、リックの倍の年数をかけても、リックに及ばない ように。
 “本業”と“片手間”の違いなんて、仕事の結果だけを見るならそう変わりゃしねえ。
 なのに、違いはある。
「……片手間で、精霊使いをやってるって奴がもしいれば、俺たちも同じように笑えるさ。羨ましくなんかねえってな」
 自分が飲んでいた火酒の分と、ついでにアイリーンの林檎水の代金も払って、俺は席を立った。
 店の外に出ながら、ふと思う。

 それでもあそこで笑えるリックはやっぱり……羨ましいな、と。





  


(C) 2004 グ ループSNE. All Rights Reserved.
(C) 2004 きままに亭運営委員会. All Rights Reserved.