選択 ( 2002/06/02 )
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登場キャラクター
ラス カイ



 出かけていた遺跡から帰ってきた次の日だった。カイが思い出したように聞いてきた。
 2人で借りてる宿の一室、寝台の端っこに浅く腰掛けて。
「ねぇ…? 昨日は疲れてるだろうと思って詳しく聞かなかったけど……遺跡はどうだった? 怪我とかしなかった?」
 収穫の有無よりも先に怪我の有無を聞くのかと苦笑が漏れた。
「ああ、全くの無傷ってわけでもないが、フォスターが癒し手として一緒に行ってたしな。それに…まぁ、不本意とは言え、盾もいたし」
「………不本意…なの?」
「戦士たちの腕にケチつけるつもりはねえよ。ただ、俺自身が守られる立場ってのが嫌いなだけだ。……ま、精霊使いとして動く以上は、盾の後ろっていう位置はわかってるけどな」
 肩をすくめた俺の返事を聞いて、カイがうつむいた。
「……どうした?」
 その問いかけには答えず、かすかな溜息をひとつついて、カイが立ち上がる。自分の寝台に近づいて、そしてチェストの上に置いてあった銀の長剣を手に取る。それは、カイが秋から冬にかけて働いて貯めた金で買った剣だ。シオンが打ったもので、普通の長剣よりも軽く仕上がってると聞いた。
「……ねぇ? この剣を持って…こないだ一緒に仕事したよね。ラスが遺跡に行く前」
「ああ、貴族のボンボンの護衛だろ? 山賊が何人か出てきて、始末する羽目になったやつ」
 その仕事のことは俺も覚えていた。2人で同じ仕事をする機会があまりないだけに、覚えている。
「あの時…ねぇ、覚えてる? 山賊が斬りかかってきた時に……ラス、わたしを庇ったでしょう?」
 無表情にそう聞いてくる、カイの真意がつかめなかった。
「いや…庇ったっていうか……確かに、あの山賊の剣を受け止めたのは俺だけど。……それが何か? こっちだって剣で受けたわけだし…俺の剣はそうそう折れるような剣じゃねえから…」
 俺が今、使ってる剣は、以前に遺跡に潜った際にかっさらった宝の1つだ。小剣とは言え、ミスリル製なら、そこらの剣で叩き折られるわけもない。錆びた剣を振り回すことしか知らない山賊相手なら尚更だ。
「わたしは…!」
 鞘に収めたままの長剣を握りしめて、カイが顔を上げる。
「…あの時も、わたしは言ったはずよ。わたしは、ラスを守りたいの。精霊使いとして後ろにいるんじゃなくて、剣を持ってラスの前に立ちたいの。………守られる側じゃなくて」
 思わず、カイの顔から視線を逸らす。
「………しょうがねえだろ。咄嗟に動いちまったんだから。それに、お互い、怪我はしなかったんだから結果的には…」
「そうじゃなくて! ……ねぇ、今回、遺跡に行った戦士さんって、シタールさんとロビンさんとルギーさんでしょう? 確かに、腕力じゃ負けるけど…でも、じゃあ、わたしが剣を持ってるのは何のため? ロビンさんやルギーさんがラスの盾になるのは構わなくて、わたしがラスの盾になるのはいけないの? 単純に私の技術が未熟だから? …違うでしょう? どうして、わたしを庇うの? わたしが……女だから?」
「おまえが、俺を守りたいと思う…その理由と同じだと。そう言えば納得するのか?」
 そう言ったら、カイは黙った。納得してくれたのか…と。そう思った次の瞬間。
「……じゃあ、わたしはラスの傍にいる限り、冒険者じゃいられないってこと?」
「ちょっと待てよ……なんでいきなりそういう話に……」
「いきなりだと思う? でもね、ずっと…ラスがいない間にずっと考えてたの」


 長剣を握りしめたまま、カイが近づいてきた。そして、寝台の上にその剣を放り投げる。ずっと大事にしてきたはずの剣を。
「わかったわ。……冒険者をやめる。……ラスの赤ちゃんを産んで、静かに暮らす」
「………は?」
「赤ちゃんが出来たから、冒険者をやめる。……普通のことでしょう? どうしてそんなに驚くの?」
 俺の顔をじっと見つめて、下腹にそっと手をあてる。
 一瞬、混乱した。カイの台詞が、レプラコーンに呼びかける呪文かと思ったくらいだ。ああ、そうか…混乱の呪文をかけられれば、こんな感じなのか、と。そこまで考えて、ふと思い出した。
「………………どうしてそんな嘘をつく?」
「どうして嘘だと思うの?」
「仕事で山賊退治したあと……俺が遺跡に出かける何日か前。おまえ、生理痛とか言って、1日寝てたじゃん。たかだか1ヶ月半前のことだ」
 そう、それを思い出した。だから嘘だとわかった。ただわからないのは、どうしてそんな嘘をついたのかだ。
「……そうね。そのすぐ後にラスは遺跡に出かけたもんね。………そう、嘘」
「だからどうしてそんな…」
「どうして? 聞きたいのはわたしのほう。……どうして、嘘だとわかってそんなに安心した顔してるの? 赤ちゃんって言葉を聞いて、一瞬だけど顔が青くなったのはどうして?」
 そう言われて、返す言葉がなかった。確かに、血の気が引いたのは事実だ。男としての責任とかケジメとか、そういうことじゃない。何か別のものに意識が向いた。
「………じゃあ、おまえこそどうしてだ? ガキが欲しいとでも? もしも出来てたら、産みたいとでも?」
「産みたいに決まってるじゃない。好きな人の子供が欲しいと思って何が悪いの!?」
 悪いわけじゃない。それはきっと、女としての性なんだろうと思う。納得はしてる。なのに、俺が納得していない。
「そうやって、産まれるガキの種族が何なのかで賭けでもしようってのか!?」
 思わず出てしまった言葉に、カイが鋭く息を呑む音が聞こえた。
「人間か? 妖精か? それとも混ざりモンか!? 人間以外が生まれれば、街ん中では『周りと違うもの』だ。そして、混ざりモン以外が生まれれば、『親と違うもの』だ。それをおまえは本当にわかって…!」
 そこまで言ったところで、思い切り頬をひっぱたかれた。


 息をついて、すぐ後ろにあった寝台に腰を下ろす。手をついたところに、カイが放り投げた長剣の柄があった。
「……悪かったよ。言い過ぎた。……言うつもりのなかったことまでな」
 左手で鞘を支えて、右手で柄を握って剣を中程まで抜く。銀色の光。確かに、いい剣だとは思う。俺が覚えた使い方なら、俺はこの剣では戦えないけれど。それでも、半妖精の腕力で片手で扱える長剣はそう多くない。
「…なぁ? この剣、いい剣だよな。冒険者として生きるなら、ガキなんか作らないほうがいい。きっとな」
 剣を鞘に戻す。小気味良い音を立てて、銀の刀身は鞘に収まった。鞘の真ん中を持って、黙ったまま立っているカイにそれを差し出す。
「この剣を大事にしろよ。……さっきのは、悪かった」
 そう言って差し出した剣を、カイは受け取らなかった。
 顔を上げて、真剣な目で囁くように聞いてくる。
「…………ねぇ、どっちなの?」
「……何が?」
「冒険者として? それとも女として? …どっちでもいい。どっちでも、ラスが望むとおりのわたしになる。だけど……ねぇ、どっちかにして」
 泳ぎそうになる視線をうつむくことで誤魔化した。情けないことに、言われて初めて気が付いた。
「だって、ラスはわたしを庇うじゃない! 冒険者として横に立つなら、庇わないでよ! わたしにラスを守らせてよ! そうじゃないなら…そうじゃないなら、冒険者をやめるから。でも、女として暮らせば、子供を望んじゃうじゃない! でも、もし出来たとしても、産ませてくれないんでしょ!? 子供なんかいらないって…そう言うんなら……どうして…」
 子供だけに限らない。俺は自分が死ぬ時には自分の一切をこの世界に残したくなんかない。“形見屋”あたりが聞けば、子供じみた潔癖主義だと笑うのかもしれない。確かに、人であれ、亜人であれ、生きてる限りはなにがしかを残す。何かの欠片だったり残滓だったり、とにかく何かを残す。何もかもを残さずに…なんていうのは、所詮は理想だ。わかってる。
 だけど、子供…ということであればそれはまた別だ。俺の血を誰かが継ぐ? …冗談じゃない、と。そう思う。人間や妖精が産まれるならまだいい。そうじゃなかったら? 産まれるのが半妖精だったら? 『あれ』を経験するのが、また1人増えると?
 子供が少ないというエルフの血に安心してるくせに、迷っていて。エルフとは違うんだから、いっそガキが出来ちまえばいいと思って。でもまた迷って。そしてまた安心して。繰り返しだった。今までずっと。
 ……じゃあ、もしも冒険者のままでいろと…そう言えば…? でも、いつだって、庇うのはほとんど無意識だ。意識してやってることなら、やめれば済む。考える前に体が動くことは止められない。カイが剣の腕を上げれば、あるいは………。いや、それでもきっと無理なんだろう。俺にとってカイは女でしかあり得ない。
「……どっち? ねぇ……どうして、答えてくれないの?」
 どちらも選びたくて、どちらも選べないからだと……。そう正直に答えるのは、あまりにも情けなくて最低だ。
「…悪い。今……世界中で、一番、自分自身が嫌いだ」
 溜息しか、出てこなかった。
 ──人好きのする自分を演じてるくせに、と。思い浮かんだその台詞は何故かリヴァースの声だった。
 ああ、そうだな。冗談や軽口で煙幕を張っていれば、誰も覗きこんできやしねえから。自分の血を継ぐ者を残してもいいと思うほどには、まだエルフも人間も…そして自分自身の血すらも、自分は受け入れてなんかいないと。演技していればそのことに気づかないでいられるから。誰も……自分も。


「……ねぇ。前に…昔の話をしたこと覚えてる? ほら、5才くらいの時にエレミアで誰かに助けてもらったって話」
 唐突に、聞いてきた。その話を思い出すのにしばらくかかった。
「…ああ、助けてくれた奴に憧れたとか何とか言ってた?」
「そう、その話。助けてくれた人は冒険者だった。そして半妖精だった」
「15年くらい前だろ? しかも、おまえだってその助けてくれた本人の顔も名前も知らないって言ってた」
 以前に聞いた時にはそう言っていた。そして、その時に、自分もエレミアで誰かを助けたことがあったなと思い出しはした。けど、それが15年前なのか、12年前なのか。それとももっと前なのか。細かい年数まで覚えてはいない。そして、助けたのが半妖精のガキだったのは覚えてる。けど、それだけだ。
「……思い出したの。…ううん、そうじゃなくて、最初から覚えていたの。忘れたことなんかない。その人の名前も、顔も覚えてる。エレミアにいた頃…子供だった頃、辛いこともたくさんあったけど、それでも、その人のことを思い出せばがんばれたの。わたしを助けてくれた人…半妖精でも、ああいう風に生きられるなら、と…そう思って」
「…何の話だ? その、助けてくれた奴って…」
「赤毛の……綺麗な女盗賊さんが一緒にいた。その女の人が、わたしを助けてくれた人の名前を呼んでた」
 にっこりと。いつものような、怒っている前兆の笑顔じゃなくて。
「カイ…? それは……」
 赤毛の女盗賊には覚えがある。エレミアまで一緒に行った記憶もある。それは…。
「ラス。たくさん、たくさん…助けてくれてありがとう。でも…ラスが『どっちか』を選べないなら、わたしが選ぶ。だから……」
 一旦、息を付いてカイが剣を手にする。その鞘を握りしめて、もう一度微笑んだ。
「さよなら」
 最後に見たその笑顔は、今まで見た中で一番綺麗な笑顔だと思った。


 エレミアで助けたガキ…か。言われるまで忘れてた。助けた半妖精が、そのあとの15年間、それを支えに生きてきたなんて想像したこともなかった。
 …どちらにしろ、その場限りでしかなかったんだろう。冒険者であるカイも、女であるカイも。先を見ることが出来なかった…いや、違うな。先を見ることが怖かったんだ。選べないのは選びたくないからだ。女なんだから守られていろと…それでいて、冒険者として生きろと。
 ───都合のいい時だけ抱かれている、人形の可愛らしさがあればそれでいいのか?
 嘲るようなリヴァースの声を思い出した。
 学んだはずだった。あの時だってリヴァースに言い返した。一方的に守ろうとすることは傲慢だと、自分で気づいていたはずだった。カイが1人でも立てるようにと…そう願ったのは嘘じゃなかった。
 なのに、結局は俺自身が人形扱いだ。
「とりあえず…1人部屋に引っ越しだな」
 聞いてる奴なんかいないとわかってて、1人でそう呟く。
 叩かれた頬が、妙に熱かった。



  


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