錆びた黄金−1− ( 2002/07/06 )
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作者
松川彰 タルノ
登場キャラクター
(同タイトル宿帳参照)




◆ プロローグ ◆

 “錆びた黄金”。それは1軒の店の名だ。ただし、普通の人間はあまり立ち寄らない。多くの酒場や賭場、宿が自身に付けている店名と同様に、“錆びた黄金”もまた矛盾に満ちている。黄金であれば、それは錆びるはずのない金属だからだ。古来より、多くの魔術師、賢者、そして鍛冶師たちが研究を重ねてきた結果、純粋な金属であれば錆びることはないのだという。錆びるという現象そのものが、純粋ではない金属に含まれる別の何かに、目に見えぬ精霊たちが悪戯をけしかけた結果のことなのだから。つまり、錆びることは、純粋ではない証だともいう。だからこそ、賢者や鍛冶師たちは、純粋な金属を求めてやまないのだと。
 純粋であることは何も寄せ付けない。純粋たらんとしても、何かと関わることが避けられないのであれば、それはすでに純粋ではない。金属を混ぜ合わせ、ともに鍛えて合金とすることで強さを求める鍛冶師もいる。それは、所詮、真の純粋などは求めても手に入らぬものであるからか。
 黄金でさえ、それが純金でなければ錆びる。そして錆びるなら、純金ではない証だ。
 全てがそこに始まり、そこに終わることを、今はまだ誰も知らない。


◆ −記憶− 焔色 ◆

 私は走っていた。まだ幼い頃だ。私が先頭になって、暗い森の中を走っていた。私の後ろには同じ年頃の子供が2人。ジェイコブとトーマスだ。背後には、夜の闇を焔色に照らし出す紅蓮の炎。あれは……そう、あれは私たちの村が焼けている色。
 何故、焼けているのかは、その時の私たちには分からなかった。ただ、住んでいた小さな村は炎に包まれていた。そして、私たちは必死に走っていた。おそらく、逃げていたのだろう。背後の焔色は私たち3人にとって、恐怖の象徴だった。
 恐怖に追われて走る私たちの足元は、別種の恐怖に満ちていた。夜の森だ。視界など利くものではない。走り続けて息もあがる。休もう、と。そう言い出したのが3人のうち誰だったのかは忘れた。木の根もとに腰を下ろし、私たちは休息をとった。
 喉が渇く。腹も減っている。身体は疲れ切って、睡眠を求めている。私たちは飢えていた。潤いに。安らぎに。


◆ 発端 ◆

 大都市オラン。その中にある盗賊ギルドは、主に都市の“裏”の面を担当する組織である。決して表に顔を見せない構成員もいるが、そのほとんどは、街の中に活動拠点を置き、都市の暗部が必要悪と言えるラインを保つことを心がけている。麻薬組織も然り。どの国、どの都市においても、麻薬は合法ではない。軽い酩酊感を催す程度の、習慣性のない幻覚剤程度なら法の目を逃れて娼館あたりで使われていることは多々あるとしても。習慣性を持ち、中毒症状を起こし、更には各種の幻覚、妄想など、精神へ強い影響を与える麻薬は強く規制されている。だが、一部の心弱い者が麻薬に走ることは皆無ではない。そしてその需要を満たすために供給があるのもまた事実。決して錆びることのない“純粋なもの”を作り出すことが不可能ならば、せめて弱い部分を管理することで、都市の強さを保とうとする…それが、ギルドの役割である。だからこそ……それが違法であり、人間たちを蝕むものと知りつつも、それがぬぐい去れないものであるならば、管理することで制御しようと。
 そして、“錆びた黄金”も、盗賊ギルドの管轄下にあった。合い言葉を言うことで裏へと導かれ、金銭と引き替えに麻薬を受け取れる店という立場で。


 こん…。
 常闇通りを抜け、更にその奥にある薄暗い通りで、2度3度と角を曲がり、辿り着いた扉を男は軽く叩いた。扉の上部に、小さな覗き窓がある。控えめなノックに応えて、覗き窓から2つの目が見えた。黄色く濁った、死んだ馬のような目。
 その目に促されるように、ノックをした男が低く呟く。
 ぬぼうとした、それでいて大型の爬虫類を連想させる、どことなく奇妙な顔つき。その背も胸板も、闇夜でひとを驚かせるには十分なサイズ。イエメン、というのがその男の名前だった。まだ若い。おそらくは二十歳から幾つか…と言ったところだろう。三十路までにはまだ随分と間がありそうだ。
「………裁ち切り鋏」
 イエメンの言葉が終わると同時に、覗き窓が閉じられる。ややあって、扉が内側から開かれた。
 この店にとってイエメンはすでに馴染みである。受ける側の店員もイエメンの顔を見知っている。だが、決まりは決まりだ。店員は、声を潜めてイエメンに問い返した。
「何か…欲しいモンでも?」 
「き、今日は、贅沢に甘いモンなんかいいね。そう。甘いモン、だ」
 店員に顔を寄せて、男はそう言った。
 だが、店はどう見てもそういったものを供している店には見えない。入り口から入ってすぐの狭い店内には、短剣やダガー、ハサミ、包丁などが並んでいる。あまり品質が良いとは言えないが、何故か店の規模の割には種類は多く揃っていた。
「パンケーキに蜂蜜でもかけるかい? 贅沢にいくなら、果物のソースもある」
「馬鹿言っちゃいけない。兄さんはひとをからかうのが上手だ。お、おれが欲しいのは違う。おれは、雪割草のソースがいい。あるかな」
 に、と笑って店員がうなずく。そしてイエメンをそこから更に奥の小さな扉へと導いた。


 ドゥーバヤジットは仕事帰りだった。“手長”とも呼ばれるが、その二つ名の由来を知っている者は少ない。見た目だけで言えば、手足が長いとは決して思えないのである。人間にしては低い身長、ドワーフをややスマートにしたかと思われる程度の体格。そして、淋しくなり始めた頭髪。その髪のせいか、実年齢よりもやや老けてみられることが多い。見た目だけなら40代半ばすぎだ。
 常闇通りの片隅に、屋台が出ていた。混ぜものをした酒を売り、何の肉なのか分からない串焼きを売り、元の色がわからなくなった芋揚げを売る。
 ギルド構成員である彼が気にするのは、違法であるかどうかではない。ギルドに従ってるかどうかだ。この屋台の店主は、情報屋を兼ねている。情報屋としてギルドに従っている。
「ぃよぉ。今日は何かいいモンあるかい?」
 エールを注文しながら、ドゥーバヤジットが壊れかけた椅子に腰を下ろす。年があけてからずっと、追っている件があった。“黒爪の”バルバロと呼ばれる上役──準幹部に手足として使われている。“黒爪”の目的は、ギルドに従わない麻薬ルートの摘発だ。
「ったくよぉ、こっちゃぁタダの下っ端だってのに。厄介なことやらせてくれるぜぃ」
「へへっ…そりゃ旦那の腕を見込んでのことでやしょ?」
「オレぁ、オレより下っ端を更にこき使うってぇだけのこった。んでぇ? ネタぁあんのかい?」
「……いや、それが…あいすみません。最近はとんと………」
 ふと、月の光が翳った。そしてそれより前に、ドゥーバヤジットは気づいていた。人間の気配が近づくことに。
「ここ、いいかい?」
 ドゥーバヤジットの目に巨漢が映る。悪意のない笑みを浮かべて立っていたのはイエメンだ。
「ああ、いいぜぇ。ただし、あんたみてぇにでけえのが座ると、椅子ぅ壊れっちまうかもなぁ」
 その言葉通り、イエメンが腰を下ろした椅子はかなりの悲鳴を上げた。だが、耐えきってみせた。揺らぎはするが、壊れない。ひょっとするとイエメンがうまくバランスをとっているのかもしれない。

 屋台に隣あったもの同士、いくつかの世間話を交わす。だが、ドゥーバヤジットはそうは思っていなかった。今は真夜中。月の光が届くのがやっとという、暗い路地。もとより、常闇通りと呼ばれるその名は伊達ではない。光から遠ざかった者が暮らす路地だ。
「おっさん…ドゥーバって言ったっけ。気分が優れないなら、お、おれがいい店を紹介してもいい。あんたみたいな人なら、きっと気に入る」
「……店? ヒャハッ! オレみてえな…ってぇどういう意味だい? オレぁただの鍵屋のオヤジさぁ。日がな一日、錠前の修理よ。もっとも、最近は、若ぇ奴らの根気がねぇってんで確かに気分はあまり良くねえがな」
 盗賊を生業にしていると名乗るほど愚かではない。そして、自分の風体、話題、それらを考えれば、錠前修理の職人と名乗るのはさほど不自然ではない。今まではそれが成功していた。なのに何故、イエメンは…と、ドゥーバヤジットは内心で首を傾げる。だが、その情報の種類によっては、自分が今欲しがっているものに繋がることが十分に予測できる。
「ああ……ああ、ああ。もちろんさ。そう、仕事は一生懸命、やるべきだ。おれ、も、そう、思う……あー…ああー…うん、そうだ。でも、疲れる時も、あると思うんだ。そうだろう? そんな時、リラックスできる薬が、ああ、リラックスだ。うん、いい言葉だろ。……リラックス。そうだよ。あればいいと思わないかい?」
「……そうだな。そりゃどんな薬だい? 世間にゃ、馬鹿高くて、でもいい夢見られる薬なんてぇのが出回ってるけどよぉ。錠前修理で出入りしてる先で聞いたんだが、どうやらその薬を使いすぎて死んじまったってぇ奴もいるらしいぜぇ? それに、オレぁただのおっちゃんだぁ。そんな高い金なんざぁ用意できねえよぉ」
「こ、これは……内緒だぜ? あんたぁ、親切そうだから教えるんだ。それに、さっきはおれの歌を誉めてくれたろ? だから、教えるんだ。こっからもうちょっと行った先に、“錆びた黄金”って店があるのさ。合い言葉が必要だけどね。そこに行けば、薬を売って、く、くれる。合い言葉、お、教えようか」
 悪意のない笑みが、一瞬、色を変える。かといって、そこに悪意が芽生えたわけではない。それがないことは変わりない。だが、悪意と一緒に全ての感情をどこかに忘れてきたかのような笑み。張り付いている、といった表現が妙にしっくりとくる、そんな笑み。
「いやぁ、おっちゃんは薬ってのがあまり好きじゃなくってねぇ。それに、せっかく合い言葉を教えてもらっても、今日はもう帰らなくちゃならねぇ。次に会った時にでも…な?」
 そう言ってドゥーバヤジットは立ち上がる。イエメンもそれ以上引き留めもせずに頷いた。
「あ、ああ。そうだな。いきなりだったもんな。うん、ありがとう。今日は楽しかったよ、ドゥーバ」
「おう、じゃあな。……っと、やべぇ。大事なガメル銀貨ぁ落としちまったい」
 にやにやと笑って、屋台の店主の足元に転がった銀貨を拾う。
「金持ちの旦那、こっちにも転がってやすぜ」
 店主もそれを手伝う。
「………この兄さん、見張っときな。………おうおう、ありがとな、おっさん。んじゃ」
 小声の指令はイエメンには聞こえなかった。


◆ 黒爪 ◆

 盗賊ギルドの本部。そしてその奥の部屋。ドゥーバヤジットは1人の男と会っていた。彼の上役である“黒爪の”バルバロが彼を呼びつけていたのだ。
「どうだい、そろそろ尻尾くれぇ掴めるんじゃねえのかい。……んん? “手長”の手はどこまで伸びた?」
 ダークブロンド、琥珀色の瞳。どこにも『黒い』ところはない。バルバロの名前の由来が、彼が愛用しているダガーが黒い刃を持つ魔法の品であることからだということを知る者はあまりいない。いや、より正確に言うならば、その由来は知られている。だが、間近で見た者はいない。それを間近で見た者で生き残っている者がいないのだから。
「へっ…旦那も人がわりぃや。ちゃんと調べてますよ。ええ。ちゃぁんと、ね。ブラウンケーキってぇヤクが流行したのは何年も前の話で。けど、ブラウンケーキってぇのは厄介なシロモンだった。アレを使って生き延びられるヤツぁあまりいねぇですからね。体がヤられるか、狂い死にするか…。ただ、どうやらここんとこ、ブラウンケーキによく似た…それでも、使う人間を破滅させて結局は自爆したみてぇなあのクスリよりはまだマシなクスリが裏で流れてるらしい。その経路を確かめろってぇのが、旦那がオレに言ったことでしたよねぇ?」
 バルバロが座っている椅子を、ぎしりと鳴らした。その目の前の机を挟んで、別の椅子に腰掛けているドゥーバヤジットをちらりと見る。
「ああ、わかってるならいい。……で? どこまで行った?」
 つまらなさそうに聞いてくるバルバロに、ドゥーバヤジットが幾つか説明をし始める。
「ひとり…怪しいのを見つけやした。ま、偶然みたいなもんですがね。その男の身辺をちょいと調べたら…どうやら、その男がヤク中なのは間違いねぇようで。酒場のカウンターで妙な歌ぁ歌ってたり、仕事をする時の妙な凶暴性、そして普通に見える時でも、時々見られる奇妙な仕草。んで、どうやらその男は、“錆びた黄金”に出入りしてるらしいんですわな。まぁ、その店はウチの管轄だ。店も店主も、あらためて調べても変わったところはありやせんでしたよ。
 ただまぁ…気になるのは、その男が『トーマスのトマト』と口走ってたってぇことでさぁ。……旦那もご存じだ。へへっ。そう、ブラウンケーキ摘発ん時に、時々出てた名前がトーマス。けども、トーマスってぇ男は結局表に出ねぇまんま、ブラウンケーキ自体が潰れっちまった。まぁ…あとは、勘みてぇなもんですよ。証拠なんざありやしねえ。ただ、オレぁ気になりやしてね、その男に会いに行ったんですわな。だって、その男がブラウンケーキを使ってたイカレ野郎の生き残りで、しかも、その後釜のクスリの存在も知ってるんなら、こっちが手先として利用することは可能ってもんでさぁ。………オレのこの残り少ねぇ髪の毛を賭けてもいい、ブラウンケーキに関わってたトーマスが表に出なかった以上、後釜のクスリにトーマスが関わってるこたぁ間違いねえです」

 バルバロが机の上から、ダーツを取り上げる。無造作に掴んだそれを無造作に投擲した。ドゥーバヤジットの目の前を飛んで、突き当たりの壁にかかる的のほぼ中央にそれは突き立った。
「おめぇの脂ぎった髪なんざ欲しくねぇが……まぁ、確かにそれはほぼ間違いねえだろうな。トーマスとしか分かってないし、それが本名なのか偽名なのかも知らんがね。……会いに行って、それから?」
「ええ、手なずけようとしたんですがね。……ありゃぁ駄目ですわ。ここんとこがイカレっちまってる。マトモに話なんぞ通じやしません。へへっ。危うく殺されっちまうとこで。今は、その男の身辺と…他のセンからクスリが追えねぇか探ってるとこっすよ」
「今、おめぇの手足は何本くれぇだ? 誰が動いてる」
「……ええと…カーナってぇ小娘知ってますか。その小娘が、例の男に接触したらしいんで。そのことを伝えて来たのが“三つ指”ってぇガキですよ。んで、小娘が戻ってこねぇってんで、その仲間が心配したらしくって、そこらで動いてんのが、エルメスとピルカっつー娘2人ですわ。あと、ま、これも偶然なんすがね。“錆びた黄金”で行き会って…ま、その前からちぃと気になってたからってのがホントらしいんすが、うろちょろしてんのが“恋人”ですよ。ええ、チェリオとか言う男で。そのチェリオってえのにクーナとかいう草妖精のガキがくっついてるらしいですが…。あとは、ちょいとした調べ事をエルウッドに頼みやした。
 ……それと、“三つ指”の話じゃ、カーナと例の男が会ってるのを見かけて跡をつけてったのが、“逆巻き髪”の野郎で。アイツぁ……ヤクやってんじゃねえかってぇウワサでしたが。まだ確かめちゃいやせんでした。けども、カーナを追っかけてったはずなのに、“逆巻き”からは何ひとつ届いちゃいねえ。だからこそ、ピルカだのエルメスだのも探していやがる。こりゃあ…“逆巻き”の野郎、ヤク欲しさに寝返ったと思っていいんじゃないでしょうかねぇ?」
 ふん、とバルバロは小さく頷いた。
「ああ……見つけ次第、始末しろ。やり方は好きにしていい」
「へい。…んじゃ、遠慮なく。ああ……そうそう、そのカーナってぇ小娘ですが」
「何かあんのかい」
「いえね……戻ってこねぇってぇことは捕まってるか、ヤられてるか、それともヤク漬けにされてるか…」
「はん、向こうだって商売さ。何の得もねえのに商売道具のヤクを小娘に使うもんかい。しかも、最近のそのクスリはとんでもなく値が張るらしいぜ? ガキに与える玩具としちゃ、高過ぎんだろ」
「そうは思いますが……さて、そこらの見極めが、あの男に出来てんのかどうか…」
 首を傾げて、禿げかかった頭をぼりりと掻く。ドゥーバヤジットのその仕草を見つつ、バルバロが思い出したように聞いた。
「おう、忘れるとこだったぜ。その……例の男ってぇのは何て名前だい?」
「へい。イエメンってんで」




  


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