錆びた黄金−2− ( 2002/07/06 )
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作者
松川彰 タルノ
登場キャラクター
同上



◆ 出会い ◆

古代王国への扉亭は、オランでも五本の指に入る規模を持つ、冒険者御用達の酒場だ。客のなかには素性の怪しいならず者や、後ろ暗い稼業についている者も多くみられる。
その日この店で、盗賊ギルドのメンバー「白指」カーナは、大金を賭けた勝負に興じていた。

その卓の周りは熱気に包まれていた。周囲には大勢の見物客たちが詰めかけている。輪のなかで、二つ並べられた机の上に、赤と青で塗られた小板が、所狭しと散らばっている。机には二人が腰をかけていた。片側の椅子に、赤毛の髪と茶色の瞳を持つ少女、カーナがいた。その表情には緊張の色が見える。手元には、賭け金の入った袋が載せられていた。かなりの金額。
また、彼女に相対する形で座る髭の男、勝負の敵対者も、同じように金の袋を用意している。二人を取り巻いて騒いでいるギャラリーたちも、じつは参加者だ。見料という形で払うわずかな金が、賭け金となっている。
勝負の内容は、ドミノゲームである。お互いに小板を規定の枚数並べ、それを全部倒せられるかを競う。
倒しきれた方が、相手の賭け金と観客の見料を総取りすることができる。二人とも将棋倒しに成功した時は、観客の見料を、二人が分けて取る。
さらに、もし板を並べる段階で倒してしまったら、そのほうの負けだ。また二人ともが倒すのに失敗すれば、その賭け金は見料を払っている観客たちによって山分けされる。
それがルールだった。

二人とも、無事に板を並べ終わった。
白指のカーナは、この手の勝負で求められる、指先の技には自信があった。並べられた赤い小板は、相手の男のように机の上で直線に並ぶのでなく、二重に折り返し、ループして華麗な形を作っている。
板を倒す局面になり、二人は指先に神経を集中した。これは、ほぼ二人同時に行われる。

軽く唇を湿らし、力加減を図っている時、彼女はふと気付いた。騒ぐギャラリーの後ろのほうで、群衆より優に頭一つ分は大きい人影が、こちらを見ている。じっと動かずに。
骨張った厳めしい顔。しかし目の色は胡乱で、捉え所がなかった。
(……何?)
カーナは刹那、瞳をそちらの方に向けたが、すぐに目の前に並ぶ板を見つめ直す。集中がわずかに乱れていた。軽く首を振り、再び指先の感覚を捉え直す。相手の男は隣で、髭の下に引きつったような笑いを浮かべている。すでに板を押していた。。
「……ッ」彼女は赤い板をパタリと倒した。板は曲線を描きながら、倒れてゆく。

青い板は倒れきらず、結果はカーナの一人勝ちだった。悪態をつきながらその場を離れていく観客たち。また髭の男にとって、乾坤一擲の勝負ではなかったようで、彼も大人しく引き下がった。
カーナは息をついて、手に入れたガメルを袋に入れはじめる。
しかし、カーナはわずかに身をこわばらせた。
例の、こちらを凝視していた大男が、近寄ってきていたのだ。
「なに、あんた? あたしの勝ちに文句でもあるのかな?」
問われて、厳つい顔の巨漢はゆっくりと口を開く。
「い、いやあ…。これって何してるのかなと、思ったんだ。賭事だったのか。おれは、賭けてない」
「そう。じゃあ、泡銭をかせいだ者に対して、一杯たかりに来たっていうわけかしら?」
「いや、違うんだ……。ただ、話しかけやすそうだと思って。おれはギルド員を探しているんだ。もしあんたが、ギルドと関係あるなら、頼みたいことがあるんだけど」
巨漢はイエメンと名乗った。

直感に頼るまでもなく、イエメンの言動と挙動の奇怪さは伝わってきた。おどおどと話していたかと思えば、突如激し、歯を軋らせたりする。カーナは注文した酒を飲んで緊張をほぐしつつ、この不審者と相対していた。
酒場の隅に、同じギルドメンバーの”逆巻髪”バルバと、”三つ指”バンクロウが居るのが確認できたことは、彼女をいくらか安心させた。何気ないフリをして飲んでいるが、きっとこの得体の知れない大男と会話している自分に注意を向けているだろう。ひとまずこの男に危険はないとわかるまでは、それが安心に繋がった。
「どぅ…ドゥーバ、ドゥーバヤジット。あいつの大切な人を、探してるんだ」
イエメンが本題として繰り返すことが、それだった。
「……なるほど。そのドゥーバヤジットの、『大切な人』にあって、あんた、どうするつもりなのさ?」
うすら寒い答えが返ってきそうで、質問を躊躇っていたが、聞かずにらちを開けることはできないようだった。

だが、返ってきた答えは、それまでの大男の印象をがらりと変えるものであった。
「決まってるじゃないか。その人達を、ドゥーバの手から守るんだ。あ、あいつはきっと、愛する人たちを裏切って傷つける。パ、パパや、トーマスみたいにね……。この間、『魔神の舌』って工房の前で会って、はっきりわかってんだ。あいつはそうゆう奴だって」
カーナは戸惑ったが、内心で安堵もする。この男は知能に問題があるかもしれず、そのために何か勘違いしているのかもしれないが、ひとまず、それは良性らしい…。
「まあ、落ち着いてよ。ゆっくり話を聞こうじゃない。……飲む?」 
黙って自分の飲んでいた杯を渡す。顔の映りこむ、しゃれた硝子細工の杯だった。
「あ、有り難う。こんな親切にしてもらえるなんてなあ」
一口それを飲んだあと、イエメンはしばらく黙っていた。目線は遠くのほうをさまよっている。
「仕事、受けてくれるかなあ…。か、金なら結構もってんだ。お礼はたくさん出せる」
「……そうなの? じゃ、もっと理由をよく聞かせてよ。実はあたし、ドゥーバの親父のこと、知らないでもないんだ」
知らないも何も、ドゥーバヤジットは、彼女にとっては上役の一人である。イエメンに協力をほのめかしつつも実際は、上司の不利になるようなことは、喋る気はなかった。自分の身が危うくなるからだ。また同時に、ドゥーバヤジットが身内の者を手に掛けるとは、信じなかった。
彼女が考えたのは、イエメンの勘違いに適当に付き合って、礼金だけを頂くことだった。そのあとで親父に報告に向かうか……。カーナは頭を巡らした。
「その辺りのこと、そうだな……お、おれの家ででも、ゆっくり話さねえか?」
「変なこと目的でないなら、いいよ」肩をすくめて言う。
二人は並んで店を出た。白指のカーナは出際に、もう一度ギルドの仲間のほうを見た。


◆ 埋伏 ◆

彼女がイエメンに連れられて来たのは、予想外なことに貴族の街並みだった。大きな屋敷が、隣家と充分な間隔を開けて、建ち並んでいる。道を間違えてないということを確認して、軽く口笛を吹くカーナ。
そのうち、にわかに視界の左右から建物が消え、周囲は緑になった。短い、急な坂の向こうにイエメンの家がもう見えていた。木造建築の屋敷は、暗やみに輪郭を浮かび上がらせて、静かに建っている。

屋敷の中はさらに静寂を保っている。窓からの採光はわずかで、イエメンはランタンを持って廊下を歩いた。年代物の板張りの床が彼に踏まれて苦しげな音を立てた。
カーナは家の中を観察した。聞いた通り、仕事の報酬は期待できそうだ。ふと振り向くと歩いてきた廊下がのびる先に、小さな人影が動くのが見えた気がした。
「パ、パパから受け継いだ屋敷なんだ……。俺だけだから気兼ねしないでくれ」
「さっき、誰かいたような気がしたんだけど」
舌打ちが聞こえた。この静けさの中では鮮明に耳に届いてくる。
「……あぁ。そういや、たまにきて寝泊まりしてるのが一人いんなあ。でも気にかけないでくれ、やつが必要な時もあるんで、放っておいてるだけだ」

客間に通されてからもう一刻は経つ、と彼女は思った。
お互いの顔をうかがいながら仕事の話をするはずが、いつまにかイエメンの身の上話に入っていて、それが止まらない。しかも脈絡をともなって聞こえなかった。彼の言葉の中に、理解できる単語は少ないのだ。トマト? 壁の無い家? それは何なのか。
「わ、悪いね、長い間勝手に喋っちまって。退屈じゃなかったかな?」
カーナは苦笑しつつ答える。
「いや……。でもさ、そろそろ仕事の話しをしよう?」
「ああーそうだったね。君の話も聞かせて貰いたかったんだけどなあ。趣味とか、家族のこととか、いろいろ……。じゃあ、先にそっちを。一緒にドゥーバをやっつける話を。うん、まあ、その前にここらで……」
喉が渇いたろうと言って、イエメンは屋敷の奥に消えていってしまった。

また長く待たされている、とカーナは思った。自然、隣の部屋の扉に目がいく。入っては行けないと止められていた部屋だった。扉に書かれた文字は──「イエメンのアトリエ」。
扉の端がわずかに浮いていることに気付き、彼女は膝をついたまま位置を変え、扉に近寄ろうとする。だがそんな時にイエメンは戻ってきた。
「ハハァ、お待たせ」硝子細工の器に注がれた赤い液体が二つ、盆の上で表面を揺らしている。
「ワインのいい奴なんだ。酒場でのお返しさあ。遠慮なく飲ってくれよ」
「綺麗な赤だね」
「君の髪には負ける」
HAHAと笑っている。こんな台詞がすぐ言える男だったのだろうか。
「……頂くわ」
カーナの白い喉がのぞく。彼女がその液体を飲み干す一挙一動を、イエメンは目を離さず見つめていた。

──指先に震えが走った。パリン、と硬質の音が部屋に響く。
「や……なんなの、これ?」
笑窪を作った巨漢の顔が横にはある。
「眠り薬なんだけど、それはもう少し後から効いてくるよ。もっとずっと美味しいものを混ぜ込んであるんだ。ハハァ君って今、その刺激を味わってるね」
魔力が流れたように身体が痙攣したかと思うと、糸の切れた人形のように力を失う。首が斜めに倒れ、長い髪の毛にその表情が隠れた。巨漢の影が彼女にかぶさる。
「ねえ、カーナさん。……もっとここにいてくれよ」
その声は、眠りの闇に落ちていく彼女の耳には届かなかった。


◆ 色の違う瞳 ◆

「ねぇ、“かんみや”。イエメンは…あの子はどうしている?」
 くつくつと笑みを漏らしながら、黒い右目と青い左目を持つ男は、目の前で酒を用意する男に問いかけた。名はトーマス・ブギーマン。皺深い顔を持つ、痩せぎすな初老の男である。そして、“甘味屋”と呼ばれた男は、トーマスよりも若い。40になるかならぬかと言ったところだろう。どこといって特徴のない…どちらかというと善良そうな顔つきをしている。
「しばらくは自由にさせておけとあんたが言うから、イエメンはそのままさ。俺の手下が一応、見張りについてはいるがね。盗賊ギルドの人間が、あの坊の周りを少し嗅ぎまわってはいるが…まだ何も掴めてないみたいだよ」
 そこまで言って、“甘味屋”はふと顔を上げた。思い出したように言葉を続ける。
「そうそう…坊はどうやら、誰かお気に入りを見つけたようだな。赤毛のポニーテールをした女の子だ。報告によるとまだ若い娘らしいが……ちょいとばかり面倒なことに、その娘はギルドと関わりがある。………どうする? イエメンを呼び戻すかい? それとも、その女の子を始末するかい?」
「ああ…ああ、待て。……それは、ちょっとばかり気が早いというものじゃないかね? そうか、イエメン坊はお気に入りを見つけたかい。極上の愛が育つかもしれないねぇ。……きっかけはいつだって簡単なもの。育てるのが難しい。……あんたもそう思うだろう? ……ぐつくつ…」
 目の前におかれたゴブレットの中には、真紅のワインが揺れている。それに手を伸ばして、トーマスが笑う。
「坊のアトリエ…。あんたも知ってるだろう? 坊はそこに娘を連れ込んでいる。もちろん、坊の手元にはモールドレがたっぷりとあるさ。真っ赤なトマトがね。それをその娘に使うと…思うかい? 出会ったばかりの女の子だよ」
「そりゃぁそうだろう? 当たり前じゃぁないかね? ……ああ、“かんみや”、おまえはそうか…そうだな。おまえは麻薬を使わないんだったなぁ? 自分の女にはたっぷりと使うくせに、自分では使わない。ああ…うん、でもそれもまたひとつの形だね。形。そう、形だ。愛にはいろんな形があるよ。ただ、麻薬はうっとりと夢を見せてくれるさ。夢を見れば、人は警戒心とか恐怖心とか…そう、留め金みたいなものをいろいろと無くしていく。そんな中でこそ、愛は育まれるんだよ。怯えていちゃいけないのさ。だから…そう、イエメンもだ。あの子は、そんな愛を知ってる。だから使うよ。真っ赤なトマトを真っ赤な髪の毛の娘にね」
 トーマスの言葉に、そうか…と頷いて、“甘味屋”はゴブレットの中身を飲み干した。


「な、なぁ…儂は……儂はどうすればいいかね。なぁ、トーマス……儂は怖いよ…。儂の店はギルドの管轄下だよ? そうだろう? ガデュリンがブラウンケーキを作りやめた時から…儂はあんたの命令で…」
 トーマスによく似た顔の…ただし、トーマスよりは幾分、顔色の悪い男がおそるおそると言った口調で呟く。彼の目の前にもゴブレットは置かれているが、手はつけられていない。
「どうすれば…って、そりゃぁ決まっているじゃないか。あんたは“錆びた黄金”の店主だ。そうだろう? だったら、そのように振る舞うしかないさ。……なぁ、“トーマス”よ」
 にやりと、それでいて善良そうな表情のまま、“甘味屋”が笑いかける。トーマス、と呼びかけられたその男は、ごろごろと喉の奥でくぐもった音を出す。一度大きな咳払いをして、震える唇で言葉を紡いだ。
「や、やめろ。儂はトーマスじゃない。なんで、あんたは儂を……トーマスは、こっちだ。こっちの男がトーマスじゃないか!」
 節くれ立った指で、男はトーマスを指さした。男は、トーマスとよく似ている。背格好も年の頃も。トーマスより生気を感じられないのはその顔色の悪さのせいだろうか。ただ、よく似た2人にも決定的に違うところがあった。男の瞳は、両方とも青いのである。瞳と生気の他はほぼ同じ…そう言っても過言ではない。それもそのはずだ。2人は双子の兄弟である。
「……ふん、ジェイコブ。そんなに怯えなくてもいいじゃあないか? あんたは“錆びた黄金”の店主だ。盗賊ギルドの管轄下で、ごく軽い幻覚剤や習慣性の低い麻薬を扱っているだけの、気の弱い男だよ。安全な麻薬などこの世にはないというのにねぇ…ぐつくつ……。ただね、明日はちょうど、4のつく日だ。とりあえず、あんたは、ここの地下でゆっくり今後のことを考えてみるといいさ」
 トーマスが笑う。怯えた男、ジェイコブ・ブギーマンは震えるように首を小さく縦に動かした。
「ジェイコブ。あんたは、トーマス・ブギーマンの名前で“錆びた黄金”の店主になっているんだ。トーマスと呼ばれたところで、怯える必要なんかないだろうに。それに……ガデュリンの名前はそろそろ忘れるんだな。あんたは何もしていない。……そうだろう? 確かにあんたはトーマスの兄貴だ。そしてガデュリンとも幼なじみだった。けれど、あんたはブラウンケーキにもモールドレにも直接は関わっちゃいない。……そうだろう? なぁ。ジェイコブ? 妙なことは口走らないほうがいいさ。盗賊ギルドに……調べられたんだろ? その時はちゃんと誤魔化したじゃないか。
 ……そうだよなぁ? 世間的にはジェイコブ・ブギーマンなんて存在しない。あんたは存在しない男なんだ。あんたは、何年か前に自分とよく似た兄貴を亡くした可哀想なトーマスだ。あんたが“錆びた黄金”で、ギルドに従順な店主をやっている限り、こっちのトーマスは安全だ。弟の役に立てて嬉しいだろう?」
 笑いかける“甘味屋”に、ジェイコブは不器用に笑みを返した。


「明日は4のつく日か。……そうだね、私が店に立つ日だ。そしてトマトを売る日だねぇ。……ジェイコブ、あんたはモールドレを売ったことがない。そりゃぁそうだ。モールドレは…トマトは4のつく日にしか売られない。そして、それを売るのは私なんだから。だったら、あんたはモールドレを売ったことなんてないと…そう答えても、嘘じゃないさ。そう怯えるもんじゃぁないよ…くつくつ……」
「ト、トーマス……あんたは、儂を隠れ蓑にして…そして、要らなくなったら儂を切り捨てるつもり…なのか? な、なぁ、ガデュリンのように、儂も……」
「ああ、滅多なことを言うもんじゃぁない。ジェイコブ、ガデュリンは自分で死んだんだよ。自分が集めた患者に殺されたんだけどね。でも、ガデュリンは覚悟していたのだから。ブラウンケーキと“壁のない家”と…そしてアデンの亡骸と共に、ガデュリンは炎の中に消えていったのだよ」
 トーマスが、色の違う目を細める。それを聞いて、くすりと笑みを漏らしたのは“甘味屋”だ。
「アデンの亡骸、か。違うだろう。ガデュリンはそう信じていたけれど、あんたは………」
「“かんみや”。おまえも、滅多なことは言うもんじゃぁないよ?」
 トーマスに笑みを向けられて、“甘味屋”は、了解したとでも言うように軽く肩をすくめる。だが、“甘味屋”が口をつぐんだのと引き替えに、ジェイコブは堰を切ったように喋り始めた。
「そ、そ、そうだ! そうだ、トーマス! おまえはイエメンもアデンも手に入れたじゃないか。ガデュリンが手にしていたもの全てを手にいれたじゃないか! そ、そうだよ、おまえはガデュリンが羨ましかったんだ。そうだろう!? ああ、ガキの頃からそうだったさぁ。こ、こぉんなチビの頃からな。おまえはいつだって、ガデュリンに一歩及ばなかった。読み書きが出来るようになったのもガデュリンのほうが先だったなぁ? 3人で、あの村から焼け出されて…そして、孤児としての生活も、ガ、ガデュリンがいなけりゃ、儂らはきっと死んでいたんだ。なのに、なのに、おまえはガデュリンを憎んで……そう、羨ましいくせに憎んでた。そうだ、憎んでたっ!」
 熱に浮かされたようにそう喋り続けるジェイコブの口もとから涎が垂れる。無表情にそれを聞いていたトーマスが、ゆっくりと首を左右に振った。
「違うよ、ジェイコブ。私は……ガデュリンを愛していたさ。……あんたは明日1日、ここの地下でおつとめの日だろう? 今からそんな、愚にも付かないことをべらべら喋っていたんじゃぁ、疲れてしまうんじゃないのかい? くつくつ……何もかもを忘れさせて欲しいというなら、あんたのしわがれた喉に真っ赤なトマトを流し込んでやってもいいんだ。なぁ、ジェイコブ? 私たちは双子だ。同時に産まれた。兄と弟というのも便宜上のことでしかない。私たちは同じだ。わかるだろう? …ぐつくつ……もとは同じ。だから私はおまえのことも愛しているさ。ジェイコブ。私の双子の兄」
「……ジェイコブ、もう休んだほうがいいんじゃないか?」
 善良そうな笑みを向けて、“甘味屋”が言う。


「ああ、“かんみや”。イエメンのほうは…誰が見張りについている? ひとつ…伝えてもらいたいことがあるんだがねぇ」
 ジェイコブが部屋を立ち去ったのを見届けて、トーマスが笑う。にしゃり、と笑ったその顔は、何も事情を知らない人間から見れば好々爺の笑みに見えなくもない。だが、その色違いの瞳に宿る光は、無邪気に澱んでいた。
「“逆巻き”が見張ってるよ。使いを出すんなら、“絡繰り”のほうがいいだろう。“逆巻き”は、イエメンよりも、イエメンが連れ込んだ女の子のほうを見張るように言っておいたからな」
「そう、“からくり”かい。じゃあ、伝えておくれ。『トマトはもう作らないから』ってね」
 一瞬の間をおいて、“甘味屋”が頷く。
「…わかった。ああ、それと……ジェイコブのことだけど。……どうする? そろそろオランをひこうと考えているなら……」
「わかってるよ。明日はともかくとして…次に4のつく日には私は店には立たないつもりだ。……意味が分かるね? ……くつくつ……“かんみや”、おまえは頭が良いねぇ。そういう人間は私は好きだよ」
「次に4のつく日に……それじゃぁ、その日にギルドを呼び寄せなくちゃいけないな。ただ、どうやらギルドも“絡繰り”には目をつけそうだから…。わかった。こうしよう。“絡繰り”に“錆びた黄金”の店への仕掛けをしてもらう。店を綺麗に畳むための仕掛けをね。そして、その後で“絡繰り”に伝言を頼もう。イエメンのアトリエに。そうすれば、“絡繰り”の仕事はもう全部終わる。……そうだろう?」
「ああ…やっぱりだ。ぐつくつ……おまえは頭がいい。そうだね。そうしよう。ああ…可哀想だね、“からくり”。奴は、愛を知っていたと思うかい?」
 うっとりと、まるで詩を口ずさむかのような表情と声音で、トーマスが囁く。




  


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