ブラウニーの家 ( 2002/07/23 )
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作者
登場キャラクター
ラス



 なんでそんな気になったのかと聞かれれば…『なんとなく』なのかもしれない。
 少し前に酒場でイゾルデに会った。『二間しかない小さな家を借りたから、今、引っ越しの荷物片づけてるとこなの』と言っていた。
 言われて、そう言えば…とふと思った。ちょうど2年くらい前に同じようなことを考えた時期があった。どうせ、オランに数年は居着くつもりならそれもいいよな、と。その時は、幾つか探す前に仕事が忙しくなって、それどころじゃなくなってた。
 そんなことを考えた何日か後。夜中に定宿に帰って、寝ようと思ったら隣の部屋で何だか酒盛りの真っ最中。廊下で酔っぱらいが転んだ音。階下の酒場では騒がしい客が来てるらしくて、時々響く甲高い笑い声。
 3年もこの宿にいるんだし、これまでだってほとんどが宿屋暮らしだった。だから、もう慣れてるはずなのに。唐突に、鬱陶しいと思ってしまった。
 だから、聞かれて答える理由は『なんとなく』。


 そしてその翌日。ギルドの仕事で知り合った婆さんに話を聞きにきた。幾つか、古い家の管理や貸し主との仲介を引き受けてる婆さんだ。本来は老夫婦でそういう仕事をしているらしいが、爺さんのほうは気が弱いのか、あまり表には出てこない。もっぱら商談は婆さんが担当している。
「ここらあたりのが、アタシらが管理してる家さぁ。みぃんな古い家ばっかだがね、管理はそりゃしっかりしてるからさぁ、住み心地は抜群だよぉ?」
 自慢しながら婆さんが紹介してまわる。
 いつも行く木造の酒場と、これまでの定宿“古代王国への扉亭”との、ちょうど中間くらいの位置。港近くに広がってる商業地域から東へ通りを3本ほど。仕事をするのに便利そうな場所で、あまり騒がしくない場所…と希望したらここに案内された。確か…十六夜小路とか言ったか。
 幾つか並ぶ、石造りの家はあまり大きくないものばかり。空き家だらけというわけでもない。とは言え、商業地域からは少し離れてるから、あまり騒がしくもないだろう。物騒さと平和さのちょうど中間くらい…いや、やや物騒寄りか。
「古くても、壊れてなきゃいいよ。小さくてもいい。どうせ1人で住むんだしな」
「おや、1人でかい? ひゃひゃひゃ、あんたの噂ァ聞いてるよぉ? ま、宿に連れ込むよりは確かに、自分の家に連れ込むほうが目立たないってモンさねぇ。そのつもりなんだろ?」
「………連れ込む予定なんざねえよ。いいから、中見せろ、ババァ」
 ババァ発言に対しては、何か言い返したらしいが、きつい東方語訛りで今ひとつわからなかった。とりあえず無視。
 ひと月あたり、1000や2000なら別に構いやしねえが、因業婆さんが3000も4000も提示してくるのは、こっちの懐を見越しているからか。とは言え、そんな立派な家なんざいらねえ。静かならそれでいいんだ。


 意外と神経質だなとカレンは笑うけど。
 俺はデリケートなんだと笑って言い返すけど。
 このごろは特にそうなのかもしれない。そう…エントが力を貸してくれるようになった頃からか。馴染みのない人間…いや、亜人も含めて、それがたくさんいると妙に気になる。酒場で騒いだり、ギルドに何人かがたむろしてるくらいなら気にならない。が、通りを歩いてたりして、その通りが祭りや市なんかでごった返していると、『酔う』。人に…というよりも、そこにまつわる精神の精霊たちに。
 さすがにいつもそんなことを気にしているわけじゃないが、ふっと何かに気を取られると、そこからどんどん引きずり込まれる。髪の毛をひかれるような感じ、とファントーは表現していたが。
 引きずり込まれたら、そこから自分でセーブするのにはひどく時間がかかる。精霊たちの力と存在、それに一度にどっぷり漬かってしまうと、その中で自分がひどく戸惑うのがわかる。むしろそれは心地よいことだろうとリヴァースは言っていた。そう、確かにそうだろうと思う。あいつのやりかたなら。それでも、俺はどうやら……何かが違うらしい。
 例えて言うなら、火傷をしたあとの新しい皮膚の上に、麻の服が直接すれるような。リヴァースのように自分から浸り込めるなら楽なのかもしれない。けれど、俺にとってはその感触が気になってしょうがない。もちろん、自分で自分の感覚を制御すればいいだけのことだ。いくら精霊使いとは言え、四六時中あたりの精霊力を探ってるわけじゃない。それが、一度気になるとどんどんと制御出来なくなって、周りの何もかもが感覚に触れてくる。
 普通に魔法を使う時にはあまり気にならない…というか、意識のしかたが別だからなのかもしれないが。おそらく、少し偏ってるんだろう。感覚そのものが。少しだけ…そう、少しだけ、精神の精霊たちには敏感になりすぎているのかもしれない。
 以前、誰もこないような、真夜中過ぎの雑木林で試したことがある。今使える呪文よりも高位の呪文を。それは、精霊を一度にたくさん呼び出して、自分の意志で精霊たちの力を制御する呪文。当然、失敗した。そして、自分の中の魔力をひどく消耗した。すぐには立ち上がれないほどに。それは単純に、自分にそれをするだけの力がないということなんだろうとは思う。けど、自分が人ごみの…その中に見え隠れする精神の精霊たちに『酔う』ことと、何か関係があるんじゃないかとまで思ってしまう。
 別に、暮らす場所を宿から一軒家に変えたところで何か好転するわけもない。ただせめて、眠る時くらいは、そういうものから離れていたかった。


「この家はまだ新しいんだよ、これでひと月あたり4500なら安いもんだ。な、半妖精さん? そう思うだろ?」
 ひゃひゃ、と歯の抜けた口で婆さんが笑う。
「だから…聞いてんのかよ、俺の話。庭なんざいらねえっつの」
「馬鹿ァ言っちゃいけない。あんたぁ、冒険者なんていうやさぐれた商売してっけど、評判いいらしいじゃぁないか? それっくらいの家賃、払えんだろ?」
「金の問題じゃねえよ。俺は、自分1人と猫1匹が暮らせりゃそれでいいんだ」
 まったく、ふざけたババァだ。そう思って、通りを引き返そうとした瞬間。ふと何か、気になった。そう、ファントーの表現を借りるなら、『髪の毛をひかれた』。
 目に入ったのは、婆さんが素通りしたボロ家。あまり大きくはない。
「……婆さん、その家は?」
「ああ、ありゃぁ駄目さ。なんだか……ああ、精霊使いだか誰だかが言ってたね。頑固なブラウニーとやらが住んでるらしい。ブラウニーってのは、アレだろ、ほれ…家の精霊ったっけかい? なんだか、気むずかしい家精霊でね。住む人間が気に入らないと、住人を追い出すんだ。それで何年か前も、住まないうちに出てった人間がいたさぁ。退治を頼んでも、ここの家精霊は狂ってるわけじゃないから追い出せないとかでねぇ。しょうがないから取り壊そうかとも思ってたところさぁ。ま、もともと建ってから随分経ってる家でね。惜しくはないがね。一応、持ち主はアタシと爺さんだからさぁ。ぶち壊して新しい家建てたほうが得さね。ま、アタシゃブラウニーなんか見えやしない。アタシに言わせりゃ、ただの幽霊屋敷さ。壊すのも金がかかるからねぇ。どうしようか迷ってるってだけの話さね」
 吐き捨てるように婆さんが言った。
「……ブラウニーか」
「おや、気になるのかい? やめときなぁ。悪いこたぁ言わないよ。あんたぁ、たしかギルドの人だったよねぇ? 以前、アタシんとこに仕事で来たろう。知らない奴相手ならぁ騙して勧めるがね。ギルドの人にンなこたぁ出来ないしさぁ」
「俺の評判とやらを知ってるんなら、俺の本業も知ってんだろ。確かにギルドにゃ属してるが、俺はもともと精霊使いさ」
 中を見せてもらうぞ、と言って俺は敷地の中に足を踏み入れた。婆さんが、不承不承ながら先に立って鍵を開ける。


 確かに古い家だった。そして、ブラウニーがいる。
<また来た! 新しいヤツが来た!>
 いきなり襲ってくることはないが、どうやら様子見をしているらしい。よほど、ひどい目に遭ったのか。それとも、家に固執するあまり、住人の意味を見失ってるのか。
<家を壊しにきたわけじゃない。おまえが許してくれるなら、ここに住んでみたいと思って見に来ただけだ>
<………コトバ、通じる。オマエ、オレのコトバ分かるのか>
<ああ、俺はおまえたちをよく知る者だ。自己紹介しよう。サーヴァルティレルという妖精の血に連なる者、“柔らかき垣根”ラストールド。……とりあえず、家の中を見てもいいか?>
<オマエ、ここ住む気か>
<まだわからねぇ。けど……なぁ、家ってのは住んでる奴がいてこそだろう? 廃墟におまえたちは存在できない。人が住まないと家は荒れる。……家を荒れさせたいわけじゃねえんだろ?>
<荒れるのはイヤだ。でも、誰か住むのもイヤだ。だって、住もうとするニンゲンはみんな、家を壊す>
<壊さないよ。壊さないから…家を見せてくれ>
<壊さないなら……見てもいい>
 ──なんだ、意外と素直じゃねえか。
「おい、婆さん。ここのブラウニーは見せてくれるって言ってるぜ?」
 振り返ると、婆さんは何やら怯えた風に2、3歩後ずさった。俺とブラウニーの会話を、眉をひそめて見守ってたが、ふと東方語でぼそぼそと何か囁く。ひょっとすると厄災避けのまじないかもしれない。
「……婆さん?」
 俺と目が合うと、慌てて咳払いをする。そして、勝手にしな、と小さな声で囁いた。


 見てまわると言っても、さほど大きな家じゃない。すぐに全ての部屋はまわり終えた。居間兼食堂と台所、寝室2つに書斎と、物置代わりの屋根裏部屋。石を組んだ平屋建てに、切り妻の屋根。内装に使われてる木材は、おそらくは樫だろう。婆さんによると、建てられてから70年か80年は経ってるらしい。古くなっているが、状態は悪くない。
 そして、その間にブラウニーから聞き出したのは、この家の建築当時の住人が、家に抱いていた思い。
 ブラウニーが言うには、この家を建てた人間は、石工や大工の手を借りず、自分と家族だけで家を造ったらしい。自分たちが住む家を、自分たちの手で、と。だからこそ、ひとつひとつの建材を大事に扱った。住み始めてからもずっと。そしてその愛着の中でブラウニーが生まれた。
<オレはその家族、好きだった。この家を大事にしてくれた。オレを精霊界から呼んでくれた>
<精霊界から呼ばれることは…そして、物質界に留まることは苦痛じゃないのか?>
 思わず聞いてみる。
<……わからない。“クツウ”の意味、わからない。ただ、オレはここが好きだった。だから、古くなっても、壊されるのはイヤだ。壊さなきゃ住めないなら、オマエもここには住ませない>
<修理することも、壊すことに含まれるのか?>
<修理だけならいい。でも、ニンゲンたち、新しくしたほうがカンタンだから、扉も鎧戸も外壁の石も新しくしようとする。グローリーが大事にした家を、壊してく>
 グローリーというのが、もともとこの家を建てた男の名前だとブラウニーが言う。後ろで、なんだか少し怯えた風の婆さんに確認してみるとその通りだと言った。
「な、なんだい、あんた……そんな…何もないとこ見て、妙な声出してっ! し、しかも、アタシゃ、この家を建てた人間のことなんて言ってないのに……あんたぁ、誰と話してんだいっ!?」
「ブラウニーだよ。……言ったろ、婆さん。俺は精霊使いだって。それに、この家に家精霊がいることは、あんただって知ってたんだろ」
「見ると聞くとじゃ大違いだっ!」
「家を扱ってる人間が、ブラウニーに怯えてたんじゃ商売にならねえだろうによ」
 思わず苦笑が漏れる。
 家の中をまわった後に、居間に戻ってきた。家具はほとんど残ってないが、使えそうなものもある。隅にあったチェストの引き出しに手をかけようとした瞬間、その引き出しが宙を飛んだ。
<壊スナ! コノ家、オレガ守ル!>
 ひっ、と声をあげた婆さんの目の前で、引き出しを受け止める。
<……壊してないだろう? 壊すつもりなんかない。落ち着けよ、ブラウニー>
 一瞬にして気配が変わったブラウニーに、そっと呼びかける。思った以上に、ブラウニーはヤバい状態にあるらしい。
<あ……………そうか。オマエか。……忘れてた>
 また、気配がもとに戻る。
<忘れたら思い出せば…いや、覚え直せばいい。時間はある>
「こ、こんな…幽霊屋敷、やっぱりとっとと壊しちまえばよかった!」
 婆さんが声をあげる。止めようとしたが遅かった。引き出しがまた宙を飛んだ。受け止めたらまた次が。そしてまた次が。
<おい……いい加減に……やめろってば! 落ち着け!>
 飛ばす引き出しがなくなったところで、ようやく攻撃がやんだ。
<オレ…また間違えた…か?>
<……ああ、大丈夫だ。いつか間違わなくなるから。それまで待ってるから>
 受け止めた引き出しを元に戻して、俺は振り返った。
「婆さん、あまりブラウニーを刺激しないでくれ。幽霊屋敷なんかじゃねえんだ。……それに、壊すのにも金がかかるって言ってたな。それなら、ここで口を噤んでいれば、俺が借り手になるかもしれないんだぜ?」
「あんたが借りないんなら、壊しちまえば……」
 言いかけた婆さんの言葉を途中で押しとどめる。思わず、ブラウニーの様子を窺った。がたり、とチェストが動いたが、さすがにそれを飛ばすのはやめたらしい。
「馬鹿言うな。……いいか、婆さんには見えないかもしれねえが、ブラウニーはいるんだ。そして、まだ狂ってないんだ。ここで、家を解体するための職人でも呼べば…間違いなく狂うだろう。でもな、今ならまだ間に合うんだよ。本来なら家と住人を見守る優しい精霊だ。……婆さん。あんたの仕事とよく似てんじゃねえのか」
 そう言うと…婆さんは黙って目をそらした。


 確かに、この家には幾つかの修理が必要だ。そしてブラウニーの言ったように、修理の程度によっては、新しく付け替えたほうが安くて簡単に済むところもある。扉だってそうだし、塀だってそうだ。それでも、古いものをそのまま修理して使えないこともない。
<……なぁ、ブラウニー。それなら、一切を新しくしないと約束すれば、俺はここに住んでもいいか? そして、猫を1匹連れてきてもいいか? 爪研ぎはさせないよ。あいつも宿屋暮らしで慣れてるから、爪は外で研ぐのが習慣になってる>
<家を…壊さないか? グローリーは、鎧戸の1枚1枚を大事に大事にした。オマエもそうやって住むか? 今まで住んだ奴ら、みんな家を壊そうとした。グローリーに繋がるニンゲンがいなくなってからは、家を壊す奴しか来なかった。猫は……動物はいい。動物は、動物で生きてるから、猫が爪を研ぐのは壊すことにならない>
 猫は構わないという、ブラウニーの理屈は今ひとつよくわからなかった。おそらくは、自然のままに朽ちていくのと、動物の本能的行動が何らかの影響を及ぼすことは、同じだとみなしているのかもしれない。
 そう考えれば…人が街で生活をすることが、どんなに不自然かと…そう思う。エルフの森での暮らしは違った。伸びすぎた枝を、エントに頼んで分けて貰って…そうじゃなければ、寿命を使い果たした木を大事に使って。釘は使わず、曲がった木の隙間は土で塗り込めて。そうして、300年400年…あるいは1000年という家を造る。もちろん、いつでも修理しながら。時の流れに朽ちていった建材を、新たなものに取り替えながら。そうして、家はいつでも家であり続ける。中に住むエルフたちが世代交代をしても、家は受け継がれていく。それが、エルフの家だ。
 それでも、ブラウニーは“家”に住みつく精霊だ。家から生まれる精霊と言っても過言じゃない。エルフの家ばかりじゃなく、人間が作る家にも。そしてドワーフが作る家にも。
 精霊界へと通じる力を持ちながら、家そのものに対する人の愛着から、ブラウニーは生まれる。それがあって初めて、ブラウニーはブラウニーとして、精霊界から力を授かる。妖精ばかりじゃなく、人の営みがあって初めてブラウニーは力を持つ。
 精霊使いとは別の意味で、精霊界と物質界の狭間に位置するものだと…そう思った。
「………婆さん、この家は幾らで貸してくれる?」
 次の瞬間には、そう尋ねていた。
 物好きだね、と婆さんが苦笑した。
「アタシゃその…ブラウニーとか言うのは、人から聞いた話でしかない。確かにあんたの言うとおり、家を扱う者としちゃ失格だ。……この家に本当にブラウニーがいて、あんたはその言葉が聞けるらしい。確かにね。あんたの評判の中にゃ、精霊使いがどうのってぇ話も混じってたさ。……保証人はギルドの世話役でいいのかい? 家賃は、とりあえず半年分は前払いしてもらうよ。あんたぁ冒険者だからね。いつおっ死ぬかわからんしさぁ。そして、アタシと爺さんにブラウニーとやらのことを教えてくれんかね。暇な時でいい。そんだけの条件を呑んでくれるんなら、ひと月あたり1000で手ぇ打とう。加えて、保証金が3000だ」
「呑むよ。……ここのブラウニーが気に入った。こいつと暮らせるならそれでいい」
「……正直なとこ、壊すのにも手間と金がかかる。それっくらいならあんたから金とったほうがいい。あんたのような物好きがこれから先現れるとは限らないしねぇ。それにさ……狂うとか狂わないとか、そんなこたぁよくわからないさぁ。でも、確かにあんたの言うとおり、ブラウニーとやらは、アタシらとお仲間みたいなもんかもしれないしねぇ」
 呆れたような、納得したような…そんな溜息をつく婆さんに、そうだよなと笑いかけようとした瞬間、婆さんのほうが先に笑った。
「おっと、修理代はもちろん、あんたの自腹だよ? いいかい?」
 ひゃひゃと笑う婆さん。どうやら調子を取り戻したらしい。


 “苦痛”の意味はわからないとブラウニーは言った。狭間で生まれた者だからこそ、物質界にいることが苦痛じゃないのかもしれない。でも狭間で生まれたからこそ、どちらにも苦痛を感じるのでは…と、聞いてみたかった。
<グローリーのように住むか。そうじゃなければ、オレはオマエを追い出す>
 聞こうとした瞬間に、逆に言われたブラウニーからの言葉。そこに苦痛はなかった。ただ純粋に、家を思う気持ちしか。
<……おまえが見失っていた、住人の意味を思い出すきっかけにでもなれれば、俺はそれで満足だ。そう……汝、ブラウニー、家を守り慈しみ、住まう者への愛を忘れぬ心優しき精霊、汝に誓う。汝の姿、我が守らん>
 エルフに教わった、『正しい呼びかけ』とやらで呼びかける。
 形式に意味はない。それでも、自分の存在の意味を見失いかけている精霊には、形式であっても十分に意味はある。むしろ、それをなぞることで、このブラウニーを少しでも刺激しないで済むならそれでいい。
 どことなく嬉しそうに、ブラウニーがかすかに和らいだ気配を返す。
 ブラウニーに聞かれる前に、思い浮かんでいた問いを聞くのはやめた。くだらない問いだ。少なくとも、ブラウニーはグローリー一家を愛していた。苦痛が介在する余地があるなら、ブラウニーはここに存在すらしていないだろう。
 狭間に生まれて、自分自身がそこに位置することの意味を…ブラウニーなら教えてくれるかもしれない。物質界にありながら、精霊界の“波”に触れても、酔わずにいられる…そんな方法を。


<壊さないように、丁寧に修理してくれる職人を探すよ。あとは…掃除だな。この家に人が住まなくなってどれくらい経つ?>
 聞いてから、しまったと思った。そんなことを、ブラウニーが覚えているはずもない。
<………たくさん。でも、たくさんのたくさんから比べれば少し>
 返ってきた答えからは推測すら出来やしない。
 後ろにいた婆さんに聞いてみると、婆さんはこの家にはほとんど入ったことはないと言っていた。何年か前までいた住人というのも、本格的に住み始める前にブラウニーに追い出されたらしい。積もる埃の厚さと、蜘蛛の巣の張り具合を眺めて、ふと遺跡を思いだした。
「グローリー家の血筋が絶えた後に、その親戚からここを買い上げたんだよぉ。それが…まぁ、20年くらい前かねぇ。その後に、1人2人は住んだけど……ざっと12〜3年ってとこだろうさぁ。空き家になってたのは」
 つまりは、それだけの埃だということか。
 ふと、最近うろちょろしている草原妖精を思いだした。キアだ。確か、俺に関するくだらない噂を振りまいてたな。……アレを使うか。掃除くらいなら出来るだろう。
 多分、このブラウニーは雑用をやらないはずだ。こいつは今のところ、家しか認識していない。そこに住むはずの住人を認識出来ていない。魔力で無理矢理言うことを聞かせることは出来るが……あまりやりたくはない。これだけの期間、住人の意味を忘れて、家とその元の持ち主に固執してきたブラウニーだ。本来ならとっくに狂っていてもおかしくない。実際、さっきも混乱していたことを考えれば、今の状況はブラウニーにとってもぎりぎりの状況だろう。だとしたら…余計な刺激は与えたくない。
 以前の仕事で狂ったブラウニーを精霊界に帰した時のことを思いだした。あの時は、玄関の扉を開けた瞬間に周りの空気が色と温度を変えた。…そうなる前に出会えたのは幸運と言うべきだろう。このブラウニーが、正しくブラウニーであれるように。少しでもその助けになれるなら、俺がここに住む意味はある。……きっと。
<少しでも壊したら……追い出すぞ>
<わかってる。あらためて、よろしくな。ブラウニー>
 笑いかけてみたが、ふいとブラウニーは姿を消した。どうやら様子見をすることに決めたらしい。
 なかなか……退屈しない生活が待っていそうだ。
 玄関へと向かいながら、俺は婆さんに言った。
「婆さん、契約書にサインだ」

 もう、理由は『なんとなく』じゃなくなっていた。




  


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