「…にしても、一昨日は死ぬかと思ったよな」
そう呟くギグスに、フィアットが異議を申し立てる。
「あら。一昨日だけかしら?」
野営の準備中。それぞれ仕事を分担しつつ、遺跡に潜るためのベースを作っていた時のことである。
「一昨日はとくにってこったよ。なんせ俺はスキュラなんてぇのに会ったのは初めてだ」
「ああ、あたしも初めてだったわ、そういえば。言い伝えはいろいろ聞いていたけどね」
フィアットが同意する。水を汲む準備をしつつ、アルファーンズも大きく頷いた。
「確かに強敵だったな。しかも、美人だったしな。その上、上半身は裸だ。……ものすげぇ強敵じゃねえか」
「………アルファーンズさぁん、その理論、今ひとつわかりませんがぁ〜?」
おずおずと口を挟んだグレアムの隣で、レイシアが明るい笑い声を立てる。
「あははは、いいじゃない、グレアムお兄さん。アル少年はきっと見とれちゃって攻撃どころじゃなかったっていう意味で……ううん、それとも、悩殺されちゃったのかもね」
「ちがーっう! いや、悩殺されかかったのは事実だが、気味の悪い触手やら蛇の頭が伸びてきたんじゃ、それどころじゃねえだろっ!」
「私も、スキュラの実物を見たのは初めてでしたね。とりあえず、記録をとっておきましたよ。出会った時に、学院で見ていた記録を思いだしていれば、彼女が精霊魔法を使うことにもっと早く気付けたんですけどね」
羊皮紙の束を手に、ライニッツが呟く。
「ま、いいさ。無事についたんだからな。今日の昼間の…この島の周りの海流が一番の強敵と思ってたが、それもどうやらクリアしたようだし。……っと、帰りがまた大変か?」
少し沖に停泊している船を見やって、ギグスが苦笑する。船自体はもと船乗りというギグスの伝手で雇ったものだ。漁師に乗せてもらおうとしたのだが、この島の付近に近づきたがる漁師はいない。なにせ、この島にはミルリーフ信者だった魔術師が館を構えていたという伝説があるのだから。もう一度あの海流を乗り越えて帰って、そうしてまた冒険者たちを迎えに来るのは危険だということで、島にごく近いあたりだけは海流が穏やかなのを確認した船の水夫たちは、島の沖で冒険者たちを待つことにしたのだ。その期限は4日。
そこへ。
「うっぎゃあ〜〜っ!! なんだこれっ!?」
届いたのはアルファーンズの声だった。先刻、レイシアにからかわれ、水を汲んでくるからと逃げ出したのである。
何事かと、一斉に全員が武器を取って立ち上がる。
「ヤバイ、これはヤバイぞ! キラーオクトパスだっ!」
更に続いたアルファーンズの声に、一同は真剣な視線を交わし合った。
キラーオクトパス。触手の長さだけで、人間の身長を軽く上回る。大抵は、海底付近で大型の魚を餌としているが、時には人間を襲うこともある。そして、餌を求めて水面近くまであがってくることも珍しいことではない。
「アルファーンズさん! 今行きますっ!」
いち早く駆け出したのは、ライニッツだ。残りの人々も、それに続く。
そして、水際にたどり着いた時、武器を振り上げた一行は、黙ってそれをおろす羽目になった。
「なんだよ、早く助けろよっ!」
べったりと顔に張り付いた蛸の足を、引きはがそうと努力しつつアルファーンズが叫ぶ。
「アルファーンズさぁん……非常に申し上げにくいのでございますがぁ……」
「グレアムお兄さん、はっきり言ってあげなよ。それ、キラーオクトパスじゃなくてタダの蛸だって」
「まぁまぁ、レイシア。いいじゃないのよ。これで夕食のおかずは確保できたわ」
「でかしたぞ、アルファーンズ! おかずが一品増えるぜ!」
「蛸なら…確か、フィアットさんが、カゾフ風の料理が出来るはずでしたよね? いや、それは楽しみです」
カゾフ出身のフィアットとグレアム、そして船乗りだったギグスが、蛸を食べるならやはり生だと主張し、レイシア、ライニッツ、アルファーンズがそんな意見を訝しげに聞いていた。結局は、半分ずつ、生食と茹でて調理したものが夕食のおかずになったわけだが……アルファーンズがいる以上、どちらも余らなかったことは言うまでもない。
遺跡行前夜は、予想以上に穏やかに更けていった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ そして翌日。
目指す遺跡は、意外と簡単に見付かった。というのも、上陸した島にはそれ以外の遺跡がなかったからである。おそらくは、周囲に伸びる浅瀬の道が、ダリートが崩壊する前は海上都市の一部を形成していたのであろう。今はただ白い波に洗われ、そしてもともと高台に位置していたと思われる当の遺跡だけが“島”として生き残る羽目になった。
「よぉ、ギグス。そう言えば不気味な伝説もあったよな」
遺跡を見つめるアルファーンズの声に、同じような姿勢でギグスも答えた。
「ああ、妙な歌声に誘われて死の海流に乗っちまった船は二度と戻ってこられねぇとか。ま、歌が聞こえるってぇのは眉唾としてもだ。“死への道標”とか言ってよ、300年くれぇ前までは、このあたりの塔から不気味な光が時々漏れていたってぇんだな。そしてそれを見た船は、そのまま死の海流に引き込まれるとか。灯台、なんてぇ言葉は今となっちゃ、たいていの奴は意味すら知らねえ。けど、船乗りはそういう伝説を忘れねぇもんさ。フィアットも…そして、グレアムの旦那もカゾフ出身なら、幾らか聞いたことあんだろ」
その言葉に頷いたのは、グレアムでもフィアットでもなく、ライニッツだった。
「アルファーンズさんが、“黒き輝き”を調べていらっしゃる時に少々手伝ったんですがね。実際、ここにくるまでの海流はひどく難しいものだったでしょう? それと、ダリートの名残で時折発光する何かがあったのはたしかなようです。それは文献に残ってましたから。おそらくは、その2つの事実が、人々の口に上る間に入り交じってそういった伝説になったものと思われますが…グレアムさんも同じお考えでしたよね?」
「ええ〜〜。伝説に関してはそうだと思うんですがぁ〜。ただ、発光する何か、というのが気になりますねぇ。実際、古代では船の道標として魔法の光を放つ塔を海岸沿いに建てたという話も聞きます〜〜。それが、灯台という言葉の語源ですねぇ。共通語になっても残ってるほど…というのは、おそらくは頻繁に使用されてたものだと思うんですよぉ。レックスではともかく…ダリートなら使われててもおかしくないですしねぇ〜。光を放って、船を導くだけとは言え、そういった魔法装置が見付かるなら、現代ではとてつもない財産になりますぅ〜。いやぁ是非、研究したいですねぇ〜〜」
「ええ、同感ですね」
「あ。俺も俺も!」
グレアム、ライニッツ、アルファーンズの3人が、灯台の意義、そして発光する魔法装置の研究に関して、結論の出ない議論を繰り返している隙に、フィアットが入り口の罠を調べ終えた。
「OKよ。入り口には罠も仕掛けもないわ。それに、誰かが入った形跡もない。……未盗掘っていう噂は本当みたいね」
「それでも、扉の奥にはどんな仕掛けがあるのか、まだわからない…ってわけよね、お嬢?」
レイシアの言葉にフィアットが頷く。
「ええ、それは開けてみないと。物音は聞こえなかったけど…魔法生物なら音を立てないわけだし。罠、仕掛け、魔法生物…どれがあってもおかしくないわね」
「逆に、どれかがなきゃ拍子抜けだぁな」
笑って、ギグスが大槌を構える。
そして、一行はあらためて遺跡を見上げた。グレアムが手元の図面と見比べて、黙って頷く。
高さはない。おそらくは1階のみ。地下の図面はグレアムの手元にはなく、また1階部分の図面を見ても、地下へ続く階段らしきものは見あたらなかったため、全てが設計図面の通りに建築されているとしたら、1階のみの建物ということになる。
巨大な岩を、建物の分だけくりぬいて建てられたようで、建物の周囲はほとんどが岩山に囲まれている。そして、正面に立って右奥に高い塔。設計図によると、建物の右奥にある裏口から、そこへ行けるらしい。『灯台へ』という文字が図面には記されていた。だが、肝心の灯台の図面は残っていない。
建物の外壁は白大理石。岩山に守られて、潮風が届かないせいか、外壁はほとんど傷んでいない。ひょっとすると外壁を強化する魔法がかけられているのかもしれないが。そして、見える範囲…つまり、正面玄関の両脇には、窓が左右に2つずつ。黒く塗られた鋳鉄製の窓だ。“黒窓の”レスポールが設計した証と言えるものでもある。岩山が門塀の役割を果たしているせいか、門塀は見あたらない。白大理石の壁に黒い窓。赤茶色の瓦で葺かれた屋根。そして、一行の目の前にそびえる、黒枠に縁取られた樫の扉。威圧感はない。そこにあるのは、ただ閑(しず)けさのみだ。
「図面によると…本来なら、この形式の館は、陽光が降り注ぐ乾燥した場所にこそ適す形式なんですけれどねぇ〜…岩山に囲まれて……ああ〜残念ですぅ〜…」
(続く)
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