終の庵<中編> ( 2002/08/23 )
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作者
登場キャラクター
アルファーンズ ギグス グレアム フィアット ライニッツ レイシア



◇   ◆   ◇   ◆   ◇

 きし、と。年月の割には軽い音と共に扉は開いた。そしてそれと同時に気配が生まれる。それまで一切の動きも音もなく、閑けさのみが満ちていた屋敷に異質な気配が。
 だが、相手にとっては、冒険者一行のほうが異質なのだろう。だからこそ、目を覚ました。玄関ホールの両脇に配されていたガーゴイルである。だが、通常のガーゴイルが石造であるのとは違って、それは窓の材質と同じ、黒い鋳鉄であった。
 ぎろりと動く目。同時にはためき始める黒い翼。
「ここは任せろ!」
 魔法は要らない、と言う意味を込めて、ギグスが叫ぶ。同時にアルファーンズとライニッツも武器を構えた。
 構えたショートソードを、フィアットが振り上げる。だが、艶やかな黒い体は、彼女の剣をはじき返す。その場でたたらを踏んだフィアットを庇うようにギグスが前に出た。ガーゴイルの黒い前脚を大槌ではじき返し、体勢が崩れた胸元へ、すかさず振り下ろす。
 がきぃん、と重い音と共に、ガーゴイルの体に大きな亀裂が走る。
 そして、同じ頃。もう1匹のガーゴイルが翼をはためかせていた。抱えた銀の槍と、低い身長を活かして、アルファーンズがその足元に走り込む。それを見て取ったライニッツが、ガーゴイルの鼻先に移動して剣を振りかざす。横薙ぎに振るわれた翼をその剣で受け止め、そうして作った隙をついて、アルファーンズが槍を下から突き上げる。
 ガーゴイルの、ひどく金属的な悲鳴が玄関ホールに響き渡った。


「魔術師ってよりも、魔法剣士か。いい人材だったな。頼りんなるぜ」
 しばらくの後、崩れ落ちた2体のガーゴイルの残骸を見下ろして、アルファーンズが笑った。それを受けて、ライニッツも微笑む。
「いえ、まだ未熟ですがね。ただ塔に籠もるだけの魔術師にはなりたくないと……おかげで学院では異端児扱いですよ」
「学院とやらじゃそうでも、遺跡ん中じゃ、ありがてえさ」
 はは、とギグスが笑う。
「とりあえず、最初の敵は倒したってわけね。……えぇと、これからどうするのか、もう一度確認しましょうか?」
 フィアットが、グレアムに視線を向ける。この建物の設計図を持っているのが彼なのだ。
「ええ〜…そうですねぇ。アルファーンズさんがお調べになった、“黒き輝き”カーリアス・クレイ。ここがその屋敷なのは間違いないようですぅ〜〜。そして、私が調べたものが確かなら、この屋敷のどこかに、大きなアクアマリンがありますねぇ〜。ギグスさんとアルファーンズさんの情報によると、灯台には何らかの魔法装置もあるはずですぅ〜。人工的に海流を作り出す装置か、それとも単に航路を示すための投光装置であるのかはわかりませんがぁ〜。この遺跡が未盗掘であるなら、他にも何かあるかもしれませんねぇ〜〜」
 グレアムが説明する横で、レイシアが図面を覗きこむ。
「えーと…この玄関ホールから、正面の扉が中庭ね。右側の扉は食堂か。左側のは……これって書庫か何か?」
「ええ、書庫ですね。そこから廊下が右に直角に折れ曲がりまして、廊下沿いに客室が2つ。更に直角に折れ曲がって…曲がる前の突き当たりは多分、物置ですぅ。折れ曲がった先…ちょうど、中庭を挟んで、今いる玄関ホールの真正面に当たるのが“黒き輝き”カーリアス・クレイの寝室と思われますぅ〜」
「その隣に外に出る扉か。グレアムお兄さん、ここから灯台に行けるの?」
「ええ、おそらく」
「灯台に行く扉から、これは……実験室かしら。廊下がまた折れ曲がって…ここの右にある食堂に戻ってくるのね。途中には厨房…かな? アル少年、残念だったね。500年前ならそこにはきっとご馳走があったよ」
 にっこりとレイシアが笑う。悪気は全くない。そのことがわかるだけに、アルファーンズも怒れない。
「……そりゃそうだけどよ。遺跡の真ん中でメシあさりするほど常識知らずじゃねーぞ」
「え? でもそれ以前に、遺跡潜りする冒険者って、一般人にとっては非常識じゃない?」
 不思議そうに問い返すレイシアに、一同が笑う。たしかに、自らを冒険者と名乗らない一般市民たちは、古代王国期の魔術師の館に入り込もうなどとは決して思わないだろう。
「じゃあ、予定通り左からいきますか。書庫に資料があれば、灯台のこともわかるかもしれませんし。そうじゃなくても、貴重な古代王国期の書物はそれだけで宝になりますよ」
 ライニッツの言葉に全員が頷く。


 書庫の扉には罠や仕掛けはなく、そして鍵すらかかっていなかった。
 その全てを確かめたフィアットが、首を傾げながら口を開く。
「……おかしいわね。罠がない扉なんてのは珍しくないけど……書庫でしょう? ここに住んでいたのが魔術師なら、書物は大事なはずよね。どうして書庫に鍵がないのかしら。鍵も必要ないほどの番人がいるなんてことは……」
「あるかもしれねえな。そいつの言うことだけを聞く番人が書庫にいるんなら、鍵をかける必要はねえだろ」
 油断なく武器を構えてギグスが呟く。
 遺跡というものは、大抵が古代の魔術師たちの住居であったり研究室であったりするのが普通だ。そして、個人意識が強かったらしい彼らは、自らの住居と持ち物を守るため、そして自らの魔力を見せつけるために、あらゆるところに魔法の仕掛けを施し、魔法生物を配置する。自分の生活には困らないように…だが、自分ではない他人が容易に入り込まないように。主人の言うことだけを聞く魔法生物は、その点では便利な防犯対策である。
 緊張しつつ開けた扉の先を見て、一同は武器をおろした。罠も仕掛けも…そして鍵すら必要ではなかったことが、部屋を見てわかったのである。そこには番人もいない。6人の目に映ったのは、サラマンダーが縦横無尽に暴れ回った跡であった。
「……何ひとつ残っちゃいねーな」
 アルファーンズの言葉通り、その部屋には何も残っていなかった。
 おそらくは火球の魔法か。それとも、油をかけて火をつけてまわったか。幾つかの書棚の残骸は残っている。だが、その部屋は焼け跡としか表現できない部屋であった。
「部屋の外側は燃えてねえな。壁に防護の魔法とやらがかけてあったとしても…この部屋が燃えたのは事故だと思うか、それとも……」
「事故ってことはないでしょうね。事故だったとしても、復元もしないでほったらかしにしておくのが不思議ですし」
 ギグスの言葉にライニッツが答える。確かにそうだな、とギグスも頷く。


 焼け跡の書庫を後にして、一行は廊下を進んだ。廊下の左側に並ぶ2つのドアは、図面によると客室に続いている。だが、その客室も書庫と同じ状況だった。廊下の壁には何の痕跡もないままに、ただ部屋の内部だけが綺麗に焼き尽くされている。
 炭と煤、そして焦げて脆くなっている幾つかの調度。部屋の作りと調度の燃え残りだけを見ても、在りし日の姿は想像がつく。美しい部屋だったに違いない。たとえその窓から見える景色が岩山ばかりであったとしても。
 2つの客室を検分し終え、廊下に戻る。外壁に配されていた窓と同じデザインの窓がそこにも幾つかある。そしてその向こうは中庭だ。
 黒い鋳鉄の格子窓。幾何学的な格子のデザインが、中庭から廊下へ入り込む光の量を巧みに調節している。ただし、岩山に囲まれた場所に建てられた屋敷の中庭から、調節が必要なほどの光が射し込んだかどうかは疑問であるが。
 格子の隙間から見える中庭は荒れていた。中央の床には、大理石の柱に囲まれて大きな絵が描かれている。絵の具で描いたものではない。小さな、色とりどりの飾りタイルを嵌め込むことによってモザイク画が描かれているのだ。廊下の窓からは図柄までは確認できないが、図面を信じるならそれは、カーリアス・クレイが所持していたとされている大きな帆船の絵であるはずだ。
「なぁ。船そのものはどっかに残ってねえのかな」
 古代王国の技術で作られた船ならさぞかし…と思ったか、ギグスが誰にともなく呟く。それに答えたのはフィアットだ。
「多分、残ってないでしょうね。だって、どんな風になったのかは知らないけど、ダリートは崩壊したんでしょう? レックスが地上に叩きつけられたほどの衝撃じゃないにしろ、海の上でひとつの都市が崩壊すれば大きな津波が起こるはずよ。都市ひとつ分の津波だもん、どんなに立派な船だってひとたまりもないわね」
「……それがですね、船の舳先にウンディーネを象った女人像があって、その像がアクアマリンを捧げ持って…それを航海の守りとしたっていう逸話が残ってるんですがぁ〜」
 おずおずと口に出したグレアム。それを聞いたレイシアが、それなら…と小首を傾げる。
「この館にあるはずだっていうアクアマリンも、その船といっしょに海の底?」
「ああ〜〜…そんなぁ〜〜〜」


 客室の先に続く物置も、そして寝室を後回しにして先に確認した厨房や食堂、そして実験室まで。全ての部屋は焼け跡でしかなかった。どの部屋も、外側の壁には何ひとつ異常はない。ただ部屋の内部だけが焼き尽くされている。
 まるで誰かが、全てを消し去りたいとでも願ったかのように。
「誰かが…てぇんなら、やっぱその魔術師なんだろうなぁ…」
 廊下を、寝室へと戻りながらギグスが呟く。
「でしょうね。これで寝室までもが焼け跡だったら、その魔術師はこの館を放棄していたということにもなりますが」
 ギグスの隣でライニッツも頷いた。
 寝室の前に到着して、フィアットが扉を探る。その様子を見守りながら、アルファーンズが懐から羊皮紙を取り出した。
「なぁ。ギグス。そっちがカゾフで聞いてきたっていう情報と、俺が調べた情報と…グレアムおっちゃんが調べたのもここに書いてあるけどよ。“黒き輝き”はミルリーフ信者なんじゃなかったのかよ」
「ああ? 調べた限りじゃ、そうに違いないっておまえらも言ってたろ? なんでだ?」
「いや……そのわりには、形跡がないなと思ってさ。ほら。怪しげな祭壇とか儀式の痕跡とか」
 寝室側の廊下には、中庭を見渡す窓はない。ただ、中央付近に、中庭に続いているらしい扉がひとつあるだけだ。その方向を見るともなしに見ながらグレアムが答える。
「あ〜…多分、そういった儀式の痕跡は中庭にあるかもしれませんねぇ〜。船を描いた飾りタイルの他に、ミルリーフへの祈りの句が書かれていたタイルがあったという記述がありますからぁ〜〜」
 そうか、中庭か…と、納得するアルファーンズの隣で、レイシアがきょろきょろとしている。視線は斜め上。扉の上部と、寝室の壁の上部だ。
「ここは鍵がかかっていたけど、無事に開いたわよ。中の仕掛けは………レイシア? 何やってるの?」
 仕事を終えたフィアットが立ち上がって、レイシアに問う。
「うーん…ちょっと。……ねぇ、どうしてこんなとこに窓があるの? 窓って言えるほどのサイズじゃないけど」
 レイシアが指さしたのは、中庭へと続く扉の上部に配された小さな窓だ。窓というよりも、ただの隙間とも思える。握り拳を3つほど並べたくらいのサイズ。そして、ちょうどその正面──寝室の壁にも、同じ窓があった。壁と天井が接する場所に近い…ということは、人間が普通に外を窺うための窓ではない。
「窓…こっちの寝室側の窓から、寝室が覗けるのかしら」
 フィアットが窓の位置を確認する。だが、覗きこんでみるには背が届かない。
「おう、んじゃ俺がおぶってやるか? それとも肩車か?」
 アルファーンズの申し出を、フィアットは一蹴した。
「あんたに肩車してもらっても届かない。…ギグス、お願い」
「てめぇこら! チビってことかぁっ!?」
「あはは、いいじゃない、アル少年。口に出してはっきりそうは言ってないんだからさ」
 レイシアのとりなしも、フィアットの言葉を否定したわけではないらしい。
「言ってるも同じだろうが! しかもおまえも!」
 アルファーンズの抗議は受け入れられないままに、フィアットが動く。
「あ。……普通」
 ギグスの肩に乗って、フィアットが注意深く窓を覗く。そして発した言葉がそれだった。
「……普通? 焼けていないということですか?」
 ライニッツの問いに頷くフィアット。
「うん、普通に……ここからまっすぐの位置にベッドがある。焼けてないわよ。生活感は薄いけど……あら、窓のない部屋……ううん、ひとつだけ…ベッドの真上に、これと同じような窓がある。この窓と、その窓と…」
 そこでフィアットが振り向く。そこには中庭に通じる扉の上に開いている窓。
「それを結ぶとちょうど直線になるはず」
 フィアットのその報告を聞いて、グレアムが図面を広げる。
「…とすると、この位置ですねぇ〜〜。こちらの図面には窓の記述はありませんが〜…一直線に結ぶ位置ですか。そして多分それは、飾りタイルの絵の中心を通る線になるはずですよぉ〜」
「ミルリーフへの祈りの句があるタイルか…そして絵。そこらに何かありそうだな。とりあえず、寝室調べようぜ」
 身長に関する抗議は諦めたのか、アルファーンズが寝室への扉を指さす。


◇   ◆   ◇   ◆   ◇

「なんかこう……意外と普通だな。フィアットの言ったとおりだ」
 ギグスの感想である。
 寝室は他の部屋と違って、焼かれてはいなかった。かなりの広さを持つ部屋の奥の部分は、浴室であるらしい。いくつかの設備以外は何もめぼしいものはなかった。
 そして、先ほどフィアットが確認した小さな窓がベッドの上にある。中庭への壁、そして廊下側の壁、外に繋がる壁。その3つを貫き通すかのように一直線上に並ぶ窓。その窓の真下にベッドがあった。まるで、そこで眠ることだけがここに住んだ魔術師の唯一の望みであったかのように。
 だが、ベッドに横たわってしまっては、窓は見えない。いや、部屋の中に立っていたとしても窓は見えないのだ。窓の位置は確認できる。だが外を覗くためには小さすぎる窓。そして、人間の平均身長よりも高い位置にある窓。
「この窓に何か意味がありそうなのよねぇ……」
 寝室から確認できる2つの窓を交互に見つつ、フィアットが呟く。
「窓を通れるとしたら、風とか光なんでしょうけどね。えーと…魔術師さんならシルフとかウィスプもあまり関係ないのかしら?」
 通れるのは確かだが、この寝室にはその小さな窓以外の窓はない。ウィスプはともかく、シルフが入り込むほどのものではない。あたりの精霊力を探りながら、レイシアが小さく肩をすくめた。
「四大を司る精霊たちは、魔術にも無関係ではないですけどね。私の調べる限りでは、カーリアス・クレイは四大魔術よりも死霊魔術を主に研究していたらしいですが…」
 ベッドの隣に並ぶチェストを探りつつ、ライニッツが答える。
「お。ライニッツ、見てみろよ、これ」
 チェストの横にある机を探っていたアルファーンズが声をあげた。古びた本を1冊手にしている。
「これは…日記ですか? それとも何かの記録……下位古代語ですね」
 アルファーンズがめくるページを、ライニッツが横から覗きこむ。
「日記…っつーか、覚え書きだな。日付ははっきりしないし、連続してもいない」
「ああ、そうですね。日付がない。……ミルリーフ信仰に関する覚え書きかもしれませんね。ほら、ここ…」
 ライニッツが指さした箇所を読んで、アルファーンズが眉をひそめる。
「おう、どした、アルファーンズ。何て書いてんだ?」
 ギグスに答えて読み上げたのはライニッツだ。
「……我が神よ。我は捧げん。破滅。絶望。堕落。破壊。狂気。恐怖。全ての生きとし生けるもの、我が神のもとに集え。光を捨てて、闇を求めて。希望を焼き捨てよ。温かな風は、全てを焼き尽くす炎となれ」
「その…我が神ってぇのがミルリーフかい」
 眉をひそめたギグスと同時に、フィアットも、ふん、と小さく鼻を鳴らした。海を支配するとも言われる邪神ミルリーフ。船乗りの間では…そして、カゾフの民の間ではどんな邪神よりも忌み嫌われている。
「あぁ、ラーダ神官殿の前で読み上げるような記述ではありませんでしたね。失礼しました、グレアムさん……………グレアムさん?」
 振り向いて謝罪しようとしたライニッツは、グレアムの姿を探した。いると思っていた場所にはいない。そして、部屋をぐるりと見渡したあと、視線を下に下げる。
「…………何やってんだよ、グレアムおっちゃん」
 アルファーンズが呆れたように溜息をつく。
 その視線の先でグレアムは床に座り込んで図面を広げていた。
「………こちらが南東…ということは…いえ、そうですね、この寝室の壁そのものは角度が……ですが、柱の位置から逆算すると……」
「おい。これ……アレじゃねえのか。この旦那、おまえと調べ物してる時もそうだったろ。計算し始めたら話しかけても返事しねえってやつ」
 ギグスの言葉にアルファーンズが頷く。
「ああ。あれか。……にしても、遺跡の真ん中でもやるとは思わなかったな。まぁいいや、ライニッツ、次だ」
「え? い、いいんですか?」
「いんだよ」
「………はぁ。………あ。アルファーンズさん、これは……例のアクアマリンのことですかね」
「へ? あ、そうだな、アクア何とかって書いてあるけど……あれ? 綴り違わねえか?」
「アクア……あ、いえ、違いますね、確かに。アクエィリア…ですか。女性の名前のようです」
 読んだライニッツの手元を覗きこみながら、レイシアが笑う。
「へぇ、綺麗な名前ね。ここの魔術師さんの恋人だったの? ライニッツお兄さん、読んでみてよ。アル少年でもいいけどさ」
「詩人みたいですよ、この女性は。……アクエィリアの唇が紡ぎし歌を。アクエィリアの指が奏でし音を。彼女の声も指も体も全て、永遠にとどめおくために、我は何をすればよいのだろう。彼女にとこしえの愛を誓おう。彼女の魂が永遠に我のもとに留まっていられるために、我は何をすればよいのだろう。神よ我を導きたまえ…、ですね」
「……いやね。女1人口説くのに、邪神に頼るだなんて。男だったら自分の器量ひとつで勝負すればいいのに」
 フィアットが肩をすくめる。
「ああ、んじゃひょっとしたら、魔術師が持っていた船の舳先についてた女人像って、このアクエィリアなのかもな。好きな女が水にちなんだ名前を持ってんだ。守りにしたくもなるだろう。ま、ひょっとしたら振られちまったのかもしんねーけど? だからその代わりに、アクアマリンを像に持たせて…とかな」
 ひひ、とアルファーンズが笑う。
「んで、他には何も手がかりはねえのか? 灯台のこととかアクアマリンのこととかよ」
 ギグスの言葉にも、アルファーンズとライニッツは首を傾げるだけだった。ざっと見ただけではそれらしき記述は他に見あたらない。そして、その覚え書きらしき書物の他には、部屋には何もないのだ。


「これで残る場所は灯台と中庭ですねぇ〜…」
「お、なんだ。旦那。計算やら何やらは終わったのかよ?」
 図面を見つめて呟いたグレアムに、ギグスが笑う。ええ、とグレアムが頷いた。
「おそらく、この扉の真正面にある扉…えぇと、こちらが寝室側ですから、玄関ホール側の扉ですねぇ〜。その扉の上部には鏡か水晶か…そういったものが仕掛けられてるはずですぅ〜」
「どうしてですか? あ…ひょっとして、窓から射し込む光を反射させるため…?」
 ライニッツが首を傾げた。その言葉にグレアムが嬉しそうにうなずく。
「ええ、ええ。そうですそうです!」
「……………わかんないわよ。説明してよ」
 レイシアがきっぱりと告げる。グレアムが図面を広げる。
「ええとですね……季節の移ろいによる、夕陽と朝陽の動きと水平線に没する角度の違いから説明したほうがよろしいですかね」
 どことなく嬉しそうなグレアムをアルファーンズが止める。
「待った。……それはいらねえだろ。っつーか、簡単に言えば、ベッドの上の窓と寝室の廊下にある窓と…合わせて3つの窓を直線に結んで陽が射し込む瞬間に何かの仕掛けが動くってことじゃん?」
「この小さな窓だけが、この寝室の唯一の窓である理由がそれで納得できますね。本来なら、南東に向かうこちらの壁は窓が配されるのが普通ですから。一番明るい方角にあえて窓を設けずに、小さな窓ひとつというのは、それに何か意味がある証です」
 ライニッツが補足して説明する。
「……………みなさん、私の蘊蓄は聞きたくないんですねぇ〜…」
「まぁまぁ。…で? どうする? 灯台と中庭、どっちを先に調べるの?」
 フィアットが誰にともなく尋ねる。
「ただし、ここでひとつ問題があるんですぅ〜。射し込む光というのが、月の光なのか太陽の光なのか…。季節と日付を考えれば、今日はどちらもこの角度から光は射し込みますが…太陽ならば朝陽の方角ですねぇ〜。そして月の光なら、ええと……あと数時間というところでしょうかぁ〜。まだ月が出るには早いですからねぇ〜。太陽だとするなら明日の朝まで待たなくちゃなりませんがぁ〜」
 グレアムの言う通り、まだ時間はようやく夕刻にさしかかったばかりだ。面積だけを問題にするなら、狭い遺跡ではない。だが、部屋のほとんどが焼け落ちているため、探索する場所はほとんどない。
「でも、太陽でも月でも、もしも今の状態で仕掛けが作動するなら、今日の朝…もしくは昨日の夜にも仕掛けは動いていたということですか? いや、それとも……そうか、仕掛けが成立するスイッチのようなものがあれば…」
 とライニッツ。アルファーンズが頷いた。
「節操なしに動かすわけにもいかねーもんな。どっちにしろまだ時間はある。先に灯台調べておこうぜ」
 アルファーンズの返事に反対する者はいなかった。


◇   ◆   ◇   ◆   ◇

 そして灯台。
「もう〜〜〜! なによ、この階段っ!?」
 フィアットが叫ぶ。
「ほらほら、鍵担当が前にいなくてどうすんだ?」
 ははは、とまだまだ余裕で笑うのはギグスである。さすがに鍛えているだけある。
 一行は、灯台の頂上に向かって螺旋階段を昇り続けていた。高さは……とにかく高い。丸い筒状の塔だ。そして、灯台の内部には、内壁に沿った螺旋階段の他には何もない。ここに住んでいた魔術師であれば、螺旋階段の中央部分──つまり、上まで続く空間になっている部分を、飛行の魔法で飛んでいったのだろう。そして、この階段は蛮族用だ。
「……せめて、転移の魔法陣でも残っていればよかったんですがね」
 ライニッツが苦笑する。
「行き先が定かじゃないものを使うのは、ちょっち勇気がいるけどな」
 同じような表情でアルファーンズも答えた。この2人はどうやら、階段には慣れているらしい。オランの三角塔に出入りする人間であればそれもそのはずだろう。
「はぁ〜〜……つっかれたぁ〜。あ。ねぇ、グレアムお兄さんは大丈夫なの!?」
 昇る足を止めて、レイシアが振り向く。一番後ろにいるはずの人物のことを。先ほどから声ひとつ聞こえない。とろくさいと自称する中年神官ならば、今頃は声も出なくなっているのだろうと。
「……はい? わたくしでございますかぁ〜〜? 大丈夫ですよぉ〜」
 意外や意外。息ひとつ乱れていない穏やかな声が返ってきた。
「なんだ、声聞こえねえから、へたばってんのかと思ったぜ」
 笑うギグスに、グレアムが答える。
「あはははぁ〜〜。大丈夫ですよぉ。ラーダ神殿がオランのどこにあるとお思いですかぁ?」
 柔らかに微笑むグレアムの返事を聞いて、全員が思いだした。エイトサークルがそびえる太陽丘。城の手前の、もっとも急な部分の頂上にラーダ神殿はある。つづらに折れる坂を登り切ったその上に。ラーダ神官は、毎日その坂を上り下りしているのだ。

 急な螺旋階段を登り切った6人の目に、今まで見たこともない装置が映った。
「これが……灯台、か?」
 ギグスの呟きに、アルファーンズとライニッツが駆け寄る。伝承が事実であれば、これは海流を調整する装置もしくは、遠い海に光を投げかけることの出来る装置である。どちらにしろ、古代王国の魔法装置だ。稼働に耐えうるものであれば、この情報を魔術師ギルドに売ることでかなりの報酬が期待できる。そして、それは別としても、古代王国の魔法が施されたもの。アルファーンズとライニッツの食指は激しく動いた。
 形状はと言えば、両手で握れば互いの指が触れ合うほどの細い大理石の柱の上に、人の頭ほどの水晶球が乗っている。そしてその水晶球を側面から支えているのが、黒い鋳鉄の格子だった。細い鋳鉄を組み合わせた、格子状の太い筒の中に、細い大理石の柱が立っているという状態だ。そして、水晶球までの高さは、人間の腰の高さほど。
「これ……なんか濁ってねぇか?」
 水晶球を見つめてアルファーンズが言う。ライニッツが頷いた。
「ええ。ひょっとしたら、装置そのものが壊れてしまってる可能性もありますね。形状だけなら、“ユーティリアの霧”に似てますが…」
「ああ、レックスで、館の中庭にいつでも霧を発生させていたっていう魔法装置だろ? でも、あれはてっぺんが水晶じゃなくてでかい魔晶石だったって話じゃん」
「そうなんですよね。水晶を使った魔法装置というと、他には古代王国の中期に……」
「それより、後期の“イデムズの檻”に似た感じもあるな」
「ああ、この柱が二重になってるあたりは確かに。だとすると、石の柱の中が空洞になってるはずですが」
 アルファーンズとライニッツが語り合うなか、グレアムはじっと水晶球を見つめていた。そして残りの3人はこの装置がある部屋の内部を探索する。
「……何もないわね」
 調べ終わってフィアットがあっさりと報告する。ギグスとレイシアも同意見だ。確かに、見るからに何もないのだ。階段を上り詰めた部屋はこの魔法装置らしきものが中央にあるきりで、あとは床と壁…そして、壁の一部に開けられた空隙──おそらくは光を投げかけるための窓──があるだけ。
 そして、魔法装置組も、答えは同じだった。
「……駄目です。今の状態じゃわかりません。寝室にもここにも資料らしきものはないですし。どうやったらどんな動きが出るのか…それとも壊れているのか。先ほど、魔力感知の呪文を試みたところ、反応はします。ですから、何らかの魔法がかけられてるのは確かなんですが…」
 とは言え、うかつに試すわけにもいかない。
「んで、グレアムおっちゃんはどうして見つめてるわけ? そんなマジな顔してよ」
 アルファーンズの問いにグレアムが答える。
「ええ……濁っているのがもったいないなぁとぉ〜。これほどの水晶なら、本来の透明度があればさぞかし…と思ってたんですぅ〜。もとから濁ってる煙水晶なんてのもありますが、これはどうやら違うようですしぃ〜〜」
「…………黙ってると思ったらまた石か」
 ギグスが苦笑した。が、ライニッツが反応する。
「ということは、やはり何らかの影響で水晶が濁っていると?」
「ええ。もともとは透明な水晶だったと思いますよぉ〜〜」
「……はぁ〜…埒が明かないわね。ねぇ、一旦下りない? また昇ってくるのはごめんだけどさ。そろそろ日が沈むでしょ? 中庭を先に調べましょうよ」
 窓から外の状況を確認して、レイシアが提案する。そしてその提案は受け入れられた。何の資料もない以上、触れることさえ難しい魔法装置をただ見ているだけよりも、よほど建設的な意見に思えたのだ。


 果てしない螺旋階段を、今度は下って、一行は中庭へと足を踏み入れた。
 廊下から中庭へと続く扉の上には、小さな窓。
「…そろそろ月が昇り始める時間ですねぇ〜」
 フィアットが調べ、ギグスが開けた扉を見て、グレアムが呟いた。
「ってぇことは、仕掛けがあるなら動く時間ってことだよな」
 と、アルファーンズ。
 両開きの扉を開けると、広い中庭につながる。真正面には、同じような両開きの扉。おそらくは玄関ホールへと繋がっているはずだ。そして、2つの扉を結ぶように、通路らしきものがある。床は、細かく砕いたタイルを埋め込んだモザイク状。扉よりも広い幅で通路が確保されており、その通路の両脇には、4本ずつの石柱が建てられている。石柱のそれぞれの太さは、ギグスが柱を抱いてちょうど左右の指先が触れ合う程度。
 そして、通路の中央には、タイルで船の図案が描かれていた。
「その…ミルリーフへの祈りの句が刻まれたタイルってのはどこにあんだい?」
 ギグスがグレアムに尋ねる。
「ええ、ちょうど……ああ、ありました、ここですよぉ〜」
 グレアムが床を指さす。そこには、船の絵を丸く縁取って、四角いタイルが整列していた。ひとつずつは親指と人差し指で作る輪の中に収まる程度の大きさでしかないタイルだ。そのタイルの1枚1枚に、1文字ずつ。巨大な船の絵を縁取るために、どれだけのタイルがあるのかはわからない。おそらくは200枚を越えるだろう。1文字ずつ焼き込まれた文字を追っていけば、それはミルリーフへと捧げる祈りの句になる。
「……死者を導く偉大なる海の神よ……。なるほど、これが繋がって、祈りの句が完成するんですね」
 床を見つめて、ライニッツが呟いた。
「あれ? ……ねぇ、神官さん。さっき、言ってたみたいだけど……突き当たりには何もないわよ?」
 玄関ホール側の扉を調べていたフィアットが声をあげる。その声に返事をしていたのは、船の絵を覗きこんでいた男4人である。
「そんなわけあるかよ。光を反射するものがないと、小窓に意味がねえだろ」
 アルファーンズの言葉に、フィアットとレイシアが同時に首を振る。
「ないってば」
「ええ、ないわ。あたしも確認したもん。疑うんだったら、アル少年、自分で探す?」
「反射するものはないんだけど……代わりに、空洞ならあるわよ。ちょうど、人の頭くらいのサイズの空洞」
 フィアットの言葉に、ライニッツとアルファーンズが目を見合わせる。
「………そのサイズって…」
「水晶球…か?」
「ということは……」
「また昇るのかよっ!?」


「いってらっしゃーい」
 フィアットのその言葉と共に、ライニッツとアルファーンズ、そしてグレアムが灯台へと向かった。残ったギグス、レイシア、フィアットがあらためて船の絵を調べる。
「仕掛けとかありそうか?」
「黙っててよ、ギグス。貴方が残ったのは、あたしたちか弱い女性陣の護衛なんだからね。ちゃんと守ってよ」
「わかってるけどよ……」
 大槌をかついだまま、ギグスは辺りを見回した。立ち並ぶ石柱。その更に奥には立ち枯れた木々。おそらく、この館に人が住んでいた頃は美しい中庭だったのだろう。色とりどりのタイルで埋め尽くされた通路の両脇に、無彩色の石柱と緑豊かな木々が立ち並び、そこへ陽光が降り注げばさぞかし…と、そう思いかけてギグスは小さく首を振った。
 陽光が降り注げば、の話である。高い岩山をくりぬいたような場所に建てられたこの館には、あまり陽は届かないだろう。天空まで覆われてはいないが、四方からのしかかるかのような岩山があれば、陽射しきらめく中庭とは思えない。『この館の形は陽射しが降り注いでこそ』というグレアムの言葉を思い出す。
 …確かに残念だ。暗くじめついたままでは、この館の本当の魅力はないだろう。設計した人物は、陽光降り注ぐ中庭をイメージしたはずだった。そうでなくては、ここまで中庭を色とりどりになどしないだろう。この状態では、ただ暗く虚ろな空間を身のうちに抱いた寂しい屋敷にしかならない。いっそ中庭などなくして、堅牢な石壁に守られた剛健な屋敷であるほうが納得のいく立地だ。
 天を仰ぐと、落ちかかった陽が空を橙色に染め始めている。陽射しが降り注ぐ場所にこの館が建てられていたとしたら、今頃は中庭全体が、鮮やかな朱色に染め上げられているはずだった。白い壁に朱い夕陽はひどく美しく映えるだろうに。なのに、この中庭は一足早く薄闇に閉ざされ始めている。仕掛けを探るフィアットの手元も、すでにレイシアが持つランタンに照らされているのだから。
(変わった奴だったんだな、その魔術師ってぇのはよ)
 フィアットに怒られないように、心の中でだけ呟く。
 “黒き輝き”。自分の寝室以外の部屋を焼き尽くし、陽光が射し込まないのを承知で、この土地にこの屋敷を建てた魔術師。焼かれていない場所は寝室と中庭と灯台だけだ。だが、その3つでさえ、このタイルの絵以外は何の装飾もなく、そして玄関ホールのガーゴイル以外には番人すらいない。
(まるで、何もかも捨てたいみてぇだ)
 ギグスはそう思わずにいられなかった。
「あった!」
 ギグスの思考を遮って、フィアットの声が届く。じっと息を詰めて見守っていたレイシアも、その声に反応して、ほ、と息をついた。
「なに? 隠し扉か何か?」
 レイシアの問いに、フィアットが頷く。
「ええ。ちょうど、この船の絵の…舳先のところが四角く動きそうなの。……でも、どこにも動かすスイッチみたいなものがないんだけどね」
「舳先か。そういや、この絵……舳先に女の像がねえよな。アルファーンズの話じゃ、魔術師の持ってた船には舳先に像があったみてえなのによ」
「別の船の絵かしら。それとも……」
 それこそが何らかの謎かけかと、言外の意味を込めてレイシアが呟く。


「お待たせしました」
 ライニッツの言葉と共に、灯台組の3人が中庭に姿を現した。
「おかえりー。間に合って良かったね。もうすぐ陽が完全に沈んじゃうところだったから」
 笑顔と共に出迎えるレイシア。
 だが、それに応えてる余裕は3人にはあまりなかった。階段の上り下りには慣れているとは言え、あれだけ高い塔を2往復したのではさすがに息も切れる。
「……さて。この水晶球をあの空洞に嵌め込んで…そして何が起こるかだな」
 陽の傾き具合を考えれば休んでいる暇はないと思ったか、アルファーンズが玄関ホール側に向かって歩き出す。
 扉の前まで来て、ふと立ち止まり、後ろを振り返る。そこにはアルファーンズ以外の5人の顔がある。
「どうしたのよ? 早く嵌めなさいよ。月が出てきちゃうわよ」
 フィアットの言葉には応えず、アルファーンズはギグスに水晶球を渡した。
「おまえが一番背ぇ高いだろ」


(続く)




  


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