エルメスの自鳴琴 ( 2002/08/26 )
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作者
執筆:松川彰  原案・挿絵:宇都宮振一朗
登場キャラクター
オロト パムル レノマ ロエティシア



◇   ◆   プロローグ   ◆   ◇


優美なりし 白き水鳥の都
壮大なりし 天の水に映る都
天に地に海に 黄昏れの光降り注ぐとも
白き都の陽は落ちず



◇   ◆   風花亭   ◆   ◇


「こないだ、君が歌ったのは、これの冒頭部分だね。ほら、ここから……ここだ」
 口ひげを蓄えた男が羊皮紙を指さしながらそう言った。肩にかかる暗い金髪と、そこからわずかに見え隠れする尖った耳。半妖精と呼ばれる種族ではあるが、口ひげで顔立ちがあまりあらわにならないことと、伸びた髪が耳を隠しているためか、人間に見られることのほうが多い。
 レノマというその吟遊詩人に言われて頷いたのは、こちらも吟遊詩人だ。銀に近い淡い金色の髪がゆるく編まれて、腰まで届いている。少女のような体格にはそぐわない、大人びた顔立ちと視線。傍らに座るレノマの数倍の年を経たエルフである。名をロエティシアと言う。
「ほう…やはり、序章に過ぎぬようだな。して、その続きは?」
「その都を取り巻く、穏やかに凪いだ海を称えて…と、そう題して、あらためて歌が始まる。いいかい…?」
 譜に添えられた詩を、レノマの柔らかな声がゆっくりと吟じる。最後の韻を吟じ終えて、反応を楽しむようにレノマはにこりと微笑んだ。やけに人好きのするその笑みを見て、ロエティシアが頷く。
 場所は、風花亭という酒場だ。詩人が多く集まるこの店の、あまり多くないテーブル席のひとつを陣取って、羊皮紙を広げている。そして、その羊皮紙を覗きこむのは、2人だけではなかった。
「なんか、ほんわかしていい感じやにゅ〜〜」
 そう言って楽しそうに手を叩くのは、草原妖精である。道化じみたその格好と、満面の笑みをたたえた顔には、絵の具がこびりついている。肩から掛けた鞄にもだ。冒険者として、というよりは、街なかの壁に落書きをする妖精として名が知られている、パムルである。
 パムルの言葉に同意を示した男が、にこやかに手を叩いた。隣に座るパムルの倍以上はあるだろうと思える身長ながら、あまり威圧感はない。それは浮かべた微笑みのせいかもしれないが。黒い髪と褐色の肌を持った偉丈夫。常ならば背中に負っている大剣は、今は卓に立てかけられている。
「HAHAHA! いや、素晴らしいですネェ。そしてその歌と対になっている楽器があるはずだ、というオハナシでしたカ?」
 わずかにぎこちなさが残る共通語ではあるが、この男の人となりには合っているのかもしれないと、この男を知る者なら誰でも思うだろう。オロト、というのがその男の名であった。
「そうなんだよ。……でも、本当に手伝ってもらってもいいのかい?」
 のんびりとレノマが問う。パムルとオロトが、にこやかにそして賑やかにうなずいた。
「もっちろんやにゅ〜〜。こんな面白いお話、混ぜてもらえるんなら大歓迎やにゅ♪ あ、でもお弁当持ってっても怒らないなら、の話やけど〜」
「OH! お弁当! ステキです! こう見えても、私、料理にはちょっとばかり自信があるんですヨ。どうでしょう、そのお弁当、私にまかせてもらえませんカネェ?」
「ええと…説明はしたと思うけど…。何組もの冒険者が今までに随分挑んでる。それでも見付からない。とくに、少し前に行ってきたっていう人たちは、ありとあらゆるところを魔力感知の呪文で丹念に探したという話だよ? 今更見付かるはずもない、完全に枯れた遺跡だと…そういうことだから、僕が随分と安くこの楽譜や文献を買えたんだけど…」
 レノマの説明を聞いているのかいないのか、パムルとオロトは弁当の内容について激しく論じ合っている。
 そんな様子を眺めて、ロエティシアがくすくすと笑った。
「良いではないか、レノマ。実入りが予想できないのは、どうやら了承しているようだ。本来なら、古代王国期の遺跡に挑むのに魔術師がいないのは考えられない話ではあるが…そこまで徹底して枯れた遺跡だというならば、それもよかろう。魔力感知でわからないとあれば、魔術師がいても無駄…というものだろう?」
「まぁねぇ……いや、実は、この遺跡があるというのは…ほら、この地図にもある通り、カゾフ沖の小さな島でね。このあたりには、海上都市の名残があるんで、冒険者は多く行くらしいんだけど。ただ、ここ……地図のこの島に、例の遺跡があるんだけどさ、ここにはその遺跡以外、見事に何もなくて。しかも、遺跡も枯れ果ててるって言うんで、他の島に行く冒険者や近くを通る漁師たちの休憩場所にもなっているらしいんだ」
 レノマが苦笑と共に答える。


 数日前に、レノマは港にいた冒険者たちから、数枚の羊皮紙を買い上げた。冒険の帰りだという彼らも、近くにいた船乗りも、そんなレノマを物好きだと笑った。
 羊皮紙の内容は、楽譜と地図、そして文献の写しである。レノマにしてみれば、その楽譜に多少の興味を惹かれただけのこと。物好きだと言われても、詩人の性(さが)だと自分では納得している。
 そして、その羊皮紙にまつわる幾つかの話を冒険者たちから聞いてみることにした。
「ああ、もう見事なくらいに何もなかったね」
 戦士らしき1人が苦笑する。
 カゾフ沖にある小さな島々の1つだという。海上都市ダリートの名残の島だ。危険な遺跡が周辺には存在し、手つかずの遺跡も海中には多くある。その外れにある、わずかな面積の島。そこには、塔がひとつあるだけだ。飾り気のないその塔の中は、何もなかった。宝物どころか家具すら。
「その楽譜…それを演奏するための楽器があるという話だったんですよ。それがどうも…文献からすると“魔力なき”エルメスのものではないかという話で」
 戦士と同じような笑顔で、魔術師らしき男が言い添える。
「エルメス…ああ、有名だねぇ。でも、家具すらなかったという話なら…」
 訝しむレノマに魔術師が頷く。
「ええ、ありませんでしたよ。帰ってくる間際に、どうにも諦めきれなくて、ありとあらゆる場所で魔力感知の呪文を試みたんですがね。……どうにも、骨折り損のくたびれもうけという体たらくでして…」
「ははっ! そんなモンが見付かってりゃ、オレたちゃ、こんなシケた面ぁしてねえよ」
 そう言ったのは、小柄な男だ。おそらくは盗賊だろう。その盗賊が、レノマの肩をぽんと叩く。
「まぁ、あんたがその遺跡に興味があるのか、それとも楽譜に興味があるのかは知らねえがな。その楽譜も、あまり珍しいモンじゃねえ。楽器のほうが重要でな。その楽器とセットなら、高く売れるかもしんねえってんで、オレたちゃ、楽器探しに出かけたんだが。……空振りさ。カゾフで聞いた話じゃ、オレたちで4組目だそうだ」
 5組目になってみるかい?と、盗賊の隣で戦士が笑う。
 5回目の空振りには興味ありませんよ、とレノマも笑った。
 そのはずだった。なのに、楽譜を見ていると、興味が深くなっていく。譜を辿り、書かれている詩を読み解いていく。読めば読むほどに、この譜を演奏するための楽器というものを見てみたくなる。そのために作られたという楽器の音色を聞いてみたくなる。
 “魔力なき”エルメス。それは何度か耳にしたことがある名前だ。風花亭の主人や、時折訪れる木造の酒場の主人も、その楽器を収集していると聞く。
 その二つ名が示すとおり、魔力を実際に持っていなかったのか、それともわざと使わなかったのかは知らない。ただ、エルメスという男が作った楽器は、全て魔力の付与は為されていなかったという。なのに、魔力を持つ楽器に劣らぬ…いや、勝る音を出すと。
「ヴェーナーの導きがあればいいんだけどねぇ…」
 冒険者たちと別れ、小さな宝石1粒と引き替えに得たその羊皮紙を皮袋へと仕舞いながら、レノマはそう呟いた。


◇   ◆   海上都市   ◆   ◇


 そうして、彼らは、小さな島にいた。ラーダ神殿の暦が2の月から3の月へと移り変わろうかという季節である。
 春先の穏やかな風が彼らを包む。陽が射せばそこそこに暖かいが、陽が翳るとわずかに冷たさを含む風が。ここに来るまでの船旅で、すっかり慣れたはずの潮の匂いがあらためて鼻をつく。周囲には岩場しかないせいか、生ぐさい匂いではない。少し乾いた、それでいながら息づかいを感じられるような。それは、紛れもなく海の匂いだった。
 枯れた遺跡であることは承知の上である。それならばそれでよかろうと、春先の物見遊山な雰囲気が彼らを包む。レノマも含めて、全員がほぼ同じ感覚である。遺跡で儲けたいというのではない。エルメスほどの人間が作った楽器をこの目で見られるなら、この耳でその音色を聞けるのなら、興味深い、と。
 今までに少なくとも4組が挑んだという。そしてその全てが空振りだったと。随分と以前に中身が持ち去られてしまったか、海上都市が海に没した際に、全てが波にさらわれてしまったかのどちらかだろうというのが、定説になっている。今更、自分たちごときで見つけられるわけもないと思っていた。
 あまりに小さすぎる島故に、妖魔の類も棲みついてはいない。危険らしい危険と言えば、海中に潜むモンスターだけではあるが、それも、ここいらは漁師がよく来る海域だということからも安心できる。
 危険もなく、古代の遺跡の断片が見られるならそれも悪くない、と。運が良ければ、エルメスの楽器の手がかりなりと手に入るかもしれない、と。
「うっわ〜〜! なーんにもないんやにゅ!」
 パムルの感想が全てを表しているかもしれない。いや、ただ1つの点でそれは間違いだ。あるにはある。塔が1つ、彼らの目の前にそびえている。だが、他には何もない。島を1周しても、おそらくは数刻でまわりおえるだろう。それどころか、目の前にそびえる塔さえなければ、今いる海岸から島の全体を視界に収めることができるかもしれない。塔と岩場。それだけだ。泉すらないため、水を詰めた樽を一緒に運びこむ羽目になったのだから。
 物好きな…という視線をあからさまに彼らに向けつつ、島まで乗せてくれた漁師は、その漁船を自分の漁場へと向けた。
「ああ、どうもありがとう。また、明日よろしく頼むよ!」
 人なつこい笑顔を、立ち去る漁師に向け、レノマが手を振る。
「なぁなぁ、オロトのおっちゃーん! とりあえず、弁当にするのがいいと思うんやにゅ!」
 船から降ろした荷物の片づけもそこそこに、餌付けされたらしいパムルが、褐色の肌の偉丈夫にまとわりつく。引っ張られる服の裾をさほど気にもせずに、オロトが笑う。『おっちゃん』とパムルに呼ばれてはいるが、実を言えば、オロト以外は人間種族ではないこのパーティ、実年齢が一番若いのはオロトだ。だが、見た目というなら、いちばん年上に見えるのもオロトかもしれない。レノマは、口ひげのせいで、年経て見られることもあるが、人なつこい笑顔とその柔らかな詩人としての声が若やいだ印象にさせている。
「パム君には参りましたですネー。でも、もうお弁当はないんですヨ」
 『おっちゃん』呼ばわりにも、さほどこだわった様子はなく、オロトが笑う。
 弁当がないのも当たり前である。オランを出る際に作った弁当は、カゾフに向かうまでの船旅で消費した。そしてカゾフで通りかかる漁船を見つけるまでの2日間で、新たに作った弁当も、つい数時間前に漁船の上で食べ尽くしてしまったのだから。
「ゴシンパイなさらずに。お弁当がなくても、今ここで料理すればいいんですからネ」
 岩場の隙間に、わずかにひらけた砂地にテントを張り、流木を集めて火を熾す準備をする。ここを訪れた冒険者たちのほとんどが、ここを拠点としたのだろう。それらしき形跡がいくらか見られる。『何もない島だから』と漁師に言われ、水を詰めた樽の他に3日分程度の食材、火を熾すための薪も用意はしてきた。万一のための保存食にもいくらかの余裕はある。カゾフの港から、1日半の距離。遠出する漁船たちの通り道とさほど離れていないとは言え、海が時化てしまえば迎えの船はない。だが、妖魔の心配もほとんど無い海域だ。島に閉じこめられても、魚を釣るなり、浄水の魔法で海水を真水に変えるなりで、食料の心配もほとんど無いと言えた。
「あれが、その塔か。……あまり見たことのない形をしているが」
 オロトが火を熾すのを手伝いながら、ロエティシアが塔を見上げて呟く。
 見上げたその塔は、ロエティシアならずとも、あまり見かける形ではない。塔、という言葉すらそれを形容するのにはふさわしくないとも思える。ならば何だと問われれば、それもまた返答に困るのだ。
 その『建物』は、大理石で作られているようだった。中天にさしかかった太陽の光を受けてもあまり反射しないところを見ると、磨かれてはいない粗仕上げか。それとも、海上都市が没する際に表面が傷ついたのか。明るい灰色に、時折、白と黒とが入り乱れて無彩色の模様を織りなしている。
「エールのマグを伏せたような形だねぇ」
 レノマが呟いたそれは、他に表現のしようがないという点で正確だ。わずかに湾曲した円錐の上半分を切り取ったような形である。高さはそれほどない。円柱と言い切れないのは、壁が屋上部分から地面に向けて傾斜しているせいだ。長身のオロトの5倍ほどの高さで壁は途切れ、『塔』は終わっている。屋上は、地上から見る限りでは平らに思えた。だが、それがこの建築物の全てではない。彼らがいる位置から遠くないところに、建物の入り口がある。おそらくはそれが正面玄関だと思えるが、それを正面と考えると、左右の両端に…つまり、塔の屋上が正確な円だと考えるなら、一番距離をとれる位置関係に、細長い円錐状の塔が2本屹立している。
 小塔2本には、無数の窓が存在した。窓と言うよりも単なる隙間か穴かと言ったほうが正しいようには思えるが。穴を穿つことで、塔自体をデザインしたとしか思えないほどの数だ。不規則に並んだ窓がいったい、何をイメージしてデザインされたのかはわからないが。そして、本体部分には窓はほとんど存在しない。少なくとも目に見える範囲内では。
「アンバランスですネェ。景色としては面白いですヨ。…さぁ、腹ごしらえを済ませたら、探索に繰り出しましょうカ!」
 オロトの声で、それぞれが食事にとりかかる。
 堅パンとスープ、それに、漁師にわけてもらった魚を焼いただけという簡素で…だが十分な食事を腹におさめ、一行は遺跡へと目を向けた。
 ひゅ、と。風が鳴った。潮を含んだ風が、穴だらけの小塔にまとわりついて鳴った音だ。500年の歳月を経て、ようやくに風化の気配を見せ始めてはいるが、建物自体にはさほど劣化の兆しは見受けられない。もともとが、余計な装飾のない塔だからこそ、ということもある。吹く潮風と、それに舞い上げられた砂は、本体を削りゆくにはいささか力不足だったのだろう。


 妖魔がいないとは言え、武器を持たずに探索するわけにもいかない。枯れ果ててはいても、古代遺跡である。なんらかの魔法の仕掛けが施されていないとも限らない。食料が島になくても、魔法生物ならば生きられるのだから。
 煮固めた皮鎧に大剣といういでたちのオロトのすぐ前に、パムルが立つ。一見、手ぶらのように思えるが、必要とあらばその小さな手には瞬時にダガーが握られるだろう。背中には、体格に合わせた小さな弓も背負われている。オロトの後ろに並ぶロエティシアとレノマも、武器らしきものは手に持ってはいない。それぞれ、楽器と短弓、それに矢筒を背負ってはいるが、咄嗟の時に手にしやすい位置に楽器を優先させているあたり、職業柄と言えば言える。護身用の短剣を持ってはいるし、弓の心得もないわけではないが、2人は詩人だ。呪歌と呼ばれる魔法の歌のほうが、彼らの身を守るだろう。ロエティシアのほうは、精霊に呼びかけるほうが幾分は早いかもしれない。


◇   ◆   塔   ◆   ◇


 拠点とした野営地に大きな荷物は残し、彼らは遺跡の前に立った。大きな建造物ではあるが、威圧感はあまりない。あまり装飾の施されていない壁面のせいか、しごく単純と見えるそのデザインのせいかはわからない。岩場は途切れ、きめの粗い砂が足元に広がる。砂漠の砂ほど乾燥していないのか、砂に足をとられることは少なそうだと見てとる。見回すと、岩の途切れたあたりから、わずかに植物が顔を覗かせている。砂浜に生える類のものなのだろう。今はただ、ぬるい潮風に頼りなげに揺れていた。
 近づいて初めてわかったこともある。塔の周りを巡る回廊があったらしい。半ば崩れているが、500年以上前には色とりどりの花で…いや、もしかしたら、華やかな魔法の品で飾られていたのかもしれない。石のアーチが連続する、外囲いを兼ねた回廊に守られていた塔は今、自身を守ってくれるはずのものが崩れ落ちた瓦礫のただ中で、静かに屹立していた。
 遙か頭上から降り注ぐ春先の陽射しが、遺跡と瓦礫、そして彼らを暖める。全員が、経験の差こそあれ、野伏としての知識を持っている彼らは、油断なく視線と感覚をあたりに張り巡らせる。だが、何もその感覚には触れない。
「……やっぱり、何もないんやにゅ〜〜」
 少しばかりがっかりしたような…それでもどちらかというと、あからさまに安堵の表情でパムルが息をついた。
「こゆとこなら、のんびり昼寝してお絵かきするのもええやーん♪」
 肩に掛けた鞄を叩いてパムルが笑う。どうやら、こんな場所でさえ、その鞄には絵の具が詰まっているらしい。
 更に近づいて、遺跡を見上げる。縮めた距離のせいか、それとも、わずかに移動した太陽の位置のせいか、もう1つの事実に気が付いた。無数の窓が穿たれた小さな2つの塔を、1本の線が繋いでいる。金属だろうとは思えるが、魔力が施されているのか、それとも別の手段であったのか…とにかく、さほど腐食はしていないように思える。黒ずんではいるが、歪みもせずに形を保ち、直線で2つの塔を繋いでいる。とは言え、橋としての役割ではないようだ。あれを橋として使えるのは、綱渡りを得意とする軽業師くらいのものだろう。小塔の頂点近くに引っかかったように止まっている。…引っかかったように、というのはあながち的はずれな見解ではないかもしれない。金属の線はその両端が、輪になっている。そしてその輪が塔をぐるりとまわっているのだ。
「妙なデザインだねぇ。僕はあまり遺跡を数多く見たわけじゃないけど…それにしても見たことがない」
 潮風にすっかり、手触りを変えてしまった口ひげを引っ張りつつ、しみじみとレノマが呟く。残りの者も同意見のようだ。


 全員で手分けをして、外の探索を行う。もちろん、そのメインとなったのはパムルである。草原妖精の手先の器用さを活かし、また『鍵』としての知識も活かし、外周をちょこまかと調べまわる。パムルの手の届かないところは、オロトがパムルを頭の上にのせた。
「やっぱりぃ」
 言いかけたパムルの後を、オロトが引き継いだ。
「何もないんヤニュー、ですカ?」
「おっちゃん、発音違うってばにゅう」
 外を調べ終え、一行は、遺跡の中へと足を踏み入れる。
 そして、全員が驚いた。
 中が、陽の光に満ちていたからだ。本体の部分には、正面玄関以外の開口部はないと思えたのに、内部には光が満ちている。魔術による明かりではないことは、その温度から知れる。
 直径もさほど大きくはないが、建物全てが1つの部屋となると、決して小さくはない。円形の部屋には、思った通り窓はなかった。だが、それは天井にあったのだ。
 光に誘われるように視線を上げた一行の目に、幾つもの窓が映った。いや、それは窓ではない。隙間である。硝子も、それに類するものも嵌ってはいない、ただの隙間だ。円の外周に添うように、放射状の隙間が並んでいる。1つの隙間は、ちょうどパムルの幅と長さのようである。それが、20本ほど、放射状に整列している。左右の端に、隙間が途切れたところが見受けられるが、それは外から見た小塔の位置だと知れる。隙間が途切れた代わりに、その小塔の内部空間が、4人の立つ床の上からでも確認できた。どうやら、小さな塔2つと、この本体部分とは、空間を共有しているらしい。全てを含めて、ただ1つの部屋しかないというわけだ。そして、その隙間たちに縁取られたような形で、円形の天井が存在しているが、天井そのものには何も装飾はない。
 射し込む光は、夕暮れの光ではない。太陽は、未だ中天をわずかばかり過ぎただけだ。だが、室内に満ちる陽光は紛れもなく黄金の色に輝いていた。
 一歩。そっと足を踏み入れたレノマの動きで、床に降り積もった砂がわずかに舞い上がる。何の変哲もない、ただの乾いた砂だ。おそらくは、室内に入り込んだ砂が、出るに出られず、遺跡のなかを風と共に舞い踊るうちに、粒子が細かくなっていったのだろう。外にある砂よりも、明らかにそれは軽い。そしてそれは、風霊に舞い、陽光の中を漂う時、黄金色に輝く。壁に窓がないからこそ、床とそして空中に砂が満ちているからこそ、頭上からの光は、黄金の帯となって降り注ぐ。壁に遮られて、潮騒の音は今は遠い。無音にも近い室内で、音を立てずに降り積もる砂だけが穏やかな時を刻んでいた。
 ふと壁を見ると、建物の内壁に添って、緩やかな階段が刻まれている。螺旋状に建物を内部から取り巻きつつ、天井へと向かっている。1つだけ大きめの隙間があり、階段はそこへ向かっているようだ。
「あそこから、天井に行けるみたいだねぇ。行ってみるかい?」
「OH! 面白そうです! ですガ、先に中を調べませんか、レノマさん?」
 にっこりと、笑うオロト。そこに同じように微笑み返してレノマが頷く。
「ああ、そうそう。そうだったねぇ。じゃあ、パムルに頼むとしようか。ああ、ロエティシアも、精霊の力を調べてくれればありがたいなぁ。いやぁ、すまないねぇ、僕は役立たずのようで」
「そんなことないんやでぇ。だってぇ、ほら!」
 パムルが指さしたのは、玄関から対面に位置する、正面の壁だった。大きな額が壁にはめ込まれている。
「…ほう。確かに。あれは古代語のようだ。おまえ、読めるのだろう?」
 額に収まっているのは、絵画の類ではない。文章が綴られているらしい。それを見てとって、ロエティシアが微笑む。
「なるほど、僕の仕事もあったみたいだね。じゃあ、見てみるとしようか」


 内部の探索…とは言え、部屋は1つである。ほどなく調査を終えて、4人は溜息をついた。
「見事なほど…何もないねぇ。結局、正面の額の中も、僕が持ってる楽譜と同じ内容の詩が書かれてるだけだったし。しかも、壁に直接書かれてるから、持ち帰るわけにもいかない。部屋がこれだけということを考えると、住むための建物じゃなかったらしいのは確かだね」
 先刻まで見比べていた羊皮紙を丸めて懐へと入れながら、レノマが苦笑する。その隣でパムルが天井を見上げて呟いた。
「むーん…あるのは穴だけやん。それに、さっきのちっちゃい塔って中が空洞だったんやねぇ。外からじゃわからへんかったけどー」
 釣られて見上げながら、オロトもうなずく。
「ああ、そのようですネ。そしてやっぱり、小さな塔にあるのも、窓というよりは穴とか隙間と言ったほうが正しいんじゃないでしょうカ?」
 不規則に、そして無数に穿たれた穴から射し込んだ光は、そのまま床に不可思議な模様を描き出す。パムルやオロトの言ったとおり、小さな塔は空洞で、窓しかないようである。見える限りでは、本体部分の内壁にあるような階段も見あたらない。天井面で、その小さな塔と接し、本体部分は塔の中と空間を共有している。だが、穴と楽譜と階段しかない遺跡に、果たして何があるのかと問われれば、はなはだ疑問であった。
「精霊力にも異常は感じない。……強いていうなら、玄関や窓から入り込む空気から、水霊の気配がかすかに…ひょっとすると夜は雨になるやもしれんな」
 ただそれは、気候の予測であって、異常ではない。
「まぁ、僕たちの前にも何度も冒険者たちが訪れてるんだ。今更見付かるとは思わないけどねぇ。屋上に上がっても、結果は同じ…かな?」
 苦笑しつつも、のんびりとしたレノマの声に、オロトが頷く。
「そうかもしれませんネェ。何度も冒険者が来て調査してるとなれば…その冒険者たちがやらないようなことをやるのなら、話は別だと思いマスが」
「よほどに変わったことでもやらなければ、無理というものだな」
 ロエティシアの言葉を聞いていないわけではないだろうが、パムルが階段に向けて走りだす。
「でもでも、オイラ、ここ登ってみたいにゅう! 屋上まで行って戻れば、晩ご飯が美味しく食べられるんやにゅう!」
 いつの間にか傾きかけて、わずかに橙の色を帯び始めた光が室内に射し込む。より一層、砂のきらめきは黄金色を深くする。パムルの声がその空間に奇妙に響き渡った。
 その音の響きを聞いて、レノマが首を傾げる。
「随分と……不思議な音の響きかただ。多分この建物の空間そのものが、変わった形だからだろうねぇ」
「……なるほど、言われてみればその通りだな。大きな街の音楽堂などでは、音がどのように反響するかを計算して壁の角度や天井の高さを決めていると聞く。……エルメスの楽器を演奏する場所であれば、そのことを計算していたやもしれん」
 呟いたロエティシアの隣でオロトが小さく肩をすくめた。
「でもその楽器そのものがありまセーン。ああ、でも場所がそういう場所で、しかも楽譜があったなら、やはりここは、“魔力無き”エルメスの遺跡であることは事実、ということですかネェ」
「何やっとんのー? オイラが屋上に一番乗りしちゃうにゅう」
 見上げると、2階ほどの高さの場所から、パムルが叫んでいた。位置を知っているからこそパムルを見つけられたが、声の響きだけで場所を特定しろと言われれば、少々難しいかもしれない。それほどに、室内での音は奇妙に反響していた。
 ぐるりと取り囲む、湾曲した石壁。蔦が絡みつくように、その壁に添って、螺旋状に上に向かう階段。隙間から漏れる色づいた太陽の光。奇妙な閉塞感がありつつも、それを和らげてあまりある天井の隙間たち。明らかに室内でありながらも、風霊がそれを拒んでいないかのような風の流れ。
 冒険者たちは、奇妙な場所にいることを実感していた。


 屋上にたどり着いた彼らの視界には、想像通りのものと予想外のものとが映った。
 他のものよりも、一回り大きな隙間から屋上へと足を踏み入れた彼らの目にまず映るのは、2本の小さな塔。細長い円錐状の塔の上には、それを繋ぐ1本の線が『引っかかって』いる。そこへ登るための梯子も階段も見あたらない。無数に穿たれた窓を足がかりに、よじ登ることは出来なくもない、といったところか。だが、足がかりがあるとはいえ、垂直に切り立つ壁を登るような技術はパムルにしかない。そしてパムルの手足であれば、窓と窓との間隔は、足がかりというには広すぎる。
「でも、ロープ投げれば、登れるんやけどぉ?」
 先端に鉤をつけたロープを投げて、それを頂上近くの窓に引っかけることが出来れば、そのロープを頼りに登ることは可能だと、パムルが説明する。
「そうだなぁ…もう夕方だし。他のものが見付からなければ、明日の朝、それを試してみてもいいかもしれないねぇ」
 レノマが塔を見上げながら呟く。
「他のもの、というと……例えばこのような?」
 ロエティシアが言ったのは、隙間に縁取られた円形の広場のことだ。中央にあるそこは、室内から見上げた時には、ただの石の天井だった。そして、外から見ると、黒っぽい金属の板が3枚ほど配置されている。室内とは違い、遮る壁がないせいか、砂はあまり積もっていない。舞い上げられて屋上にたどり着いた砂も、その同じ風に再び吹き飛ばされてゆくのだろう。西へと傾く太陽だけが、その砂の流れを知っている。
「これは…腐食してないということは、普通の金属ではないんですカネェ?」
 オロトの言うとおり、多少の傷はあるが、金属そのものは腐食していないようだ。今までの冒険者たちの調査の結果か、指でなぞったあとや、あまつさえ刃で傷をつけた部分さえ見られるが。
 金属はしっかりと土台の床に固定されていて、とても剥がせるとは思えない。材質が分からないことで持ち帰ろうとした冒険者もいたのだろう。だが、それは果たせなかったようだ。つまりは、もしもこの金属板の下に何らかの仕掛けがあったなら、誰も見つけていないものだとも言える。とは言え、パムルが建物の形状から目測するに、金属板そのものの厚みと天井材の石の厚み以外のものは見受けられない。可能性があるとするなら、金属板の下の部分だけ、石材をくりぬいて、何かを収納しているかもしれない。だが、金属板が小揺るぎもしないことを考えれば、それは収納場所としては不適切以外の何者でもない。おそらくは、訪れた数々の冒険者たちも同じ考えだったのだろう。冒険者にとって、開かないものは『蓋』ではないのだから。
 彼らにとって、予想外だったのは、文字も装飾もないその金属板だけであり、他のものは全て想像通りであった。つまり、外から見上げた時に見えたものと変わったものは何ひとつない。
「んむ? あったかーい♪」
 ぺたり、と、その小さな手のひらを金属板に触れて、パムルが微笑んだ。
「火霊は黒い色を好むとも言われている。そうでなくとも、遮るものが何もないこの屋上では、ほぼ1日中、陽の光を浴びているのだろう。いくら金属とは言え、温まるというものだ」
 自身も金属板に触れてみながら、ロエティシアが言う。
 遠くの島々を影絵のように浮かびあがらせながら、太陽が水平線に接する。その様に眩しげに目を細めてレノマが笑った。
「確かにねぇ。でも、陽が沈めば、遮るものがないからこそ、おそらく急激に冷えちゃうだろうねぇ」
「では、ワタシたちも冷えないうちに、下へ戻りましょうカ?」
 オロトの提案に、反対する者はなかった。


「さて…どうしようかねぇ」
 野営地に戻り、口ひげを引っ張りつつレノマが呟く。
「レノマのおっちゃん、その喋り方はおっちゃんくさいでぇ? もっと若々しくせなあかーん」
 今日一日の疲れを感じていない様子で、パムルが笑う。
 ふ、と。
「………来たな。雨だ」
 ロエティシアの言葉が終わるか終わらないかのうちに、ぽつぽつと降り出した雨は勢いを増していく。
「コレはコレは……なんだか、密林のスコールみたいですヨ〜! 海の上は、天候が急激に変化するというのは本当だったみたいですネ。野営の準備を急ぎましょう!」
 いつのまにか、夕暮れの残照を残していた海も空も黒く染まり、雨が勢いを増していく。遮る木もない場所では、テントだけが頼りだ。だが、雨は風も伴っていた。全体に低い土地であるこの島には、風を遮るものもない。
「やーん! 遺跡ん中のほうがマシとちゃうー?」
 容赦なく全身を濡らす雨と、体温を奪っていく春先の風に閉口したのか、パムルがそう叫ぶ。
 季節的には、暖かくなっていく季節だとは言え、陽が落ちれば気温は下がる。そこへこの雨と風である。誰しも同じ気持ちだった。
「あれだけ調べて、何もない遺跡だからねぇ。1晩過ごすくらいなら、危険はないと思うけど…どうだい?」
 パムルの提案を受けて、レノマがオロトとロエティシアに尋ねる。
「そうですネェ。天井には随分と隙間があいてましたが…それでも、中央はちゃんと天井がありましたから、雨と風はしのげそうデス」
「ああ、同感だな。……それに、ここでテントを張るよりも危険はあるまい」
 波が届くことはないだろうが、と、海岸に視線を向けながらロエティシアも頷く。


◇   ◆   夜   ◆   ◇


 確かに、遺跡の中のほうが数倍過ごしやすかった。奇妙に湾曲した壁は冷たい風を遮り、隙間を避けた中央であれば、雨もあまり気にならない。黄金色に乱舞していた砂も、雨に濡れて重くなったのか舞い上がることはない。積もった砂をはらいのければ、乾いた石の床が露出した。毛布にくるまって夜を過ごすには十分な場所である。
 さすがにそこで火を熾すことはためらわれ、堅パンと水、そして干し肉だけの簡素な夕食をとる。
「まいったなぁ、明日の昼に迎えの船が来る予定なんだけど……海は大丈夫だろうか」
 危惧している言葉の内容とは裏腹に、ややのんびりとレノマが呟く。口ひげを引っ張りつつ。
「明日来なければ明後日。明後日こなければその次。…なに、食料なら3日分はある。それを過ぎても何とかなる。数日閉じこめられたくらいで死にはせぬだろう」
 レノマに負けず劣らずのんびりと、ロエティシアが笑う。
「HAHAHA! お2人とも、のんびりですネェ。まぁ、多少の雨くらいどうってことはナイでしょう。それに、おそらく通り雨の類だと思いますヨ」
 笑うオロトの横で、毛布にくるまっているパムルがそれでも相づちを打った。
「にゃはー」
 …どうやら、寝言らしい。

 数刻後。一応、ということで見張りをしていたレノマが、ふと思い出したようにリュートを取り出した。眠っている仲間を起こさないようにと、小さな音で調弦を済ませ、もう一度、仲間達の寝顔を窺う。
「……少しだけなら、いいかな…?」
 手持ちぶさたなこともあり、静かな音でリュートをつま弾き始めた。この壁に、どんな音が反響するのか、見ているうちにそれを試したくなってしまったというのが本音である。
 ぴーん…と、細い音が壁を駆けめぐる。
「ああ…思ったとおりだ。いい反響をする…」
 短い旋律をいくつか試し、返ってくる音を楽しんだ。遺跡内の空間そのものが、規則性のある形ではないからだろう。小さな塔に繋がる空間が2つ、そして微妙な角度で湾曲した壁、天井と塔に穿たれた隙間。その全てが、互いに影響しあって、複雑な反響音を作り出す。昇る時には、いささか昇りにくいと思われた階段も、音の反響を主目的に造られたというのなら納得がいく。人間が足を運ぶよりも、段階的に音を反響させ、音が戻っていくほんのわずかな時間差を計算して造られたものなのだろう。
(古代の魔術師達なら…必要とあらば“飛行”の魔法を使えば済む話だからねぇ…)
 そう考えて、ふとレノマは小塔に視線を向けた。もちろん、室内からでは見ることはできない。天井の両端に並ぶ2つの丸い空洞しか、視界には映らない。昼間のうちは、そこから射し込んだ陽光が輝くのが見えたが、陽が落ちてしまえばそれは単なる暗がりでしかない。
(暗がりだけど…音の反響には必要なんだろう。あの穴も)
 小塔に並んだ不規則な穴を思い浮かべながら、無意識に弦に指を走らせる。壁と穴。それは、中にある音にとっては反響と拡散だ。穴から拡散した音は、更に周囲のものにぶつかって跳ね返り、それと感知できないごくわずかなずれを生じさせながら、聞く者の耳へと辿り着く。だから、厳密に言えば聞く者の立つ位置によって音楽は変わるのだ。旋律に含まれるかすかな震えが、音を作り、そして曲を変えていく。曲を彩る音の数が増えれば増えるほど、“ずれ”の要素も増えていく。それが大きくなりすぎれば歪みとなり曲を壊す。だが、皆無になってしまってはただの機械音と変わりはない。石の扉が立てる引きつれた音と同じになってしまう。それはもはや、“音楽”ではなく、旋律ですらない。ただの“音”でしか。
「……んー? …レノマのおっちゃーん?」
「ああ、ごめん。起こしてしまったかい?」
 毛布から体を起こした草原妖精に、レノマがぽりぽりと頭を掻きながら苦笑する。それほど大きな音を立てたという自覚はなかったが、草原妖精の耳にはしっかりと届いていたらしい。
「あ。楽器弾いてる。なぁなぁ、なんか面白い曲聞きたいんやけどー」
 起きた直後には、好奇心という光をその瞳に満面にたたえてすり寄ってくる。草原妖精の好奇心は、最大の短所でありかつ最大の長所だと、誰かが言っていたのをレノマは思い出した。パムルを見ているとそれがうなずける。好奇心があるからこそ、厄介なことにもなり得る。だが、好奇心がなければ発見はないのだ。
「うーん、でもみんなが起きちゃうからねぇ…静かな曲のほうがいいんじゃないかなぁ」
「あ、そっかぁ。そやねぇ。……んー? あ、雨やんでるやーん♪ でもなんか、やっぱ夜中やねぇ。寒くなってきたにゅう」
 天井を見上げつつ、パムルが毛布を引き寄せる。
「本当だ、静かになったと思ったら…雨も風もやんだようだね。これなら明日、ちゃんと船が来そうだ。ひと安心だよ。…………パムル? 何を…?」
 天井を見上げ、隙間から星のきらめきを認めて安心したように頷いたレノマだったが、視線を再びパムルに戻した時、その行動には首を傾げた。
「だって、寒いにゅ」
 パムルは、にこりと笑って、まとめてあった薪の束の中心から、濡れていない薪を見つけて引っ張り出した。その台詞と行動で、何をしようとしているのかの見当はつく。
「まさか、ここで火を…? いや、寒いなら僕の毛布も…」
「いいやんかー。サテからもらった、ヒゾーのお茶っ葉があるんやにゅ、レノマのおっちゃんにもご馳走したるから待っててなー」
「ああ、そりゃ有り難い……いや、そうじゃなくて…」
 とは言え、レノマにも、ここで火を熾してはいけないという理由は見あたらなかった。完全に密閉された室内であれば、その煙が充満するからという理由もあるが、これだけ上方に開口部があるなら、問題ないように思える。火を熾すことで、こちらを発見して襲ってくるような妖魔もいない。夕食時に火を熾さなかったのは、古代遺跡の中ではさすがに気が引けるという、感情的な理由でしかなかった。それに何より、寒さを感じていたのはレノマも同じだ。そして、暖かい1杯のお茶というのはひどく魅惑的だった。
「……よいではないか。私も馳走になりたい」
 いつのまに起き出したのか、毛布を体に巻き付けた姿のままでロエティシアが笑う。見事に音が反響するこの室内では、少しの話し声と物音は眠ってる者を起こすのには十分だ。もちろん、オロトも起き出していた。
「yeah! ステキですねぇ。真夜中のお茶会ですネ?」
「リュートが2つある。茶会の興がのれば、そのまま宴会にしてしまってもよかろう」
 悪戯っぽく笑うエルフに、レノマが苦笑しつつうなずいた。反対する理由は何ひとつない。それどころか、明日の船の心配もほぼ無くなった今、どうせなら宴会に…と思ったのは自分のほうが先だったのだ。


◇   ◆   夜明け   ◆   ◇


 火を熾し、4人がその周りに集う。夜明け間近の空はまだ藍色を深く残している。光を弱めはじめた星々が、天井の隙間からわずかに見える。
 そして、茶の葉を入れたポットの蓋がかたかたと言い始める頃。

 ぴき。

 4人の耳に、同時にその音が響いた。薪が爆ぜた音ではない。もちろん、ポットの音でもない。音は、4人の頭上から響いていた。
 一瞬、無言で顔を見合わせる。

 かち。

 続いて響いた音は小さい。無言でいなければ気づかなかったろうと思えるほどに。
 ほぼ同時に4人が立ち上がり、それぞれの武器を手にする。生物の気配がなかったことは寝る前にも確認してある。ならば呪歌は無駄だろうと、レノマは弓を手にした。オロトは大剣の鞘を外し、抜き身で構える。パムルも、小さな背をより低い姿勢に保ち、ダガーを抜いた。ロエティシアさえも、腰の短剣に手をやりつつ、あたりの精霊たちに気を配っていた。
 そこへ。


 …最初に鳴り響いたのは、Gの音だった、と。レノマとロエティシアの意見は一致した。だが、それはオランに帰還してからの話である。
 音を聞き定める余裕などなく、ただ波に呑まれた。
 ぴん、と最初の音が響き渡る。その余韻が消えぬうちに別の音が響く。そしてそれに重なるように違う和音が響く。音の長さも高さもそれぞれだ。ばらついた音をそれぞれ認識する暇もなく、次の瞬間に、それらは音の洪水を作り出す。そしてその洪水は紛れもなく音楽だ。高く低く、ざらついた、それでいて滑らかな。
 気が付いた時には、部屋全体が音に変じていた。どこからか発する音が流れ込んでいるのではない。建物全体が鳴っている、と。そうとしか思えないほどの、それは波だ。
 ゆったりとした旋律。4人の下腹に伝わる、振動。震えているのではなく、震わされている。普通に聞けば、耳を覆わんばかりの大きな音だとは思う。意識の片隅でそう思う。なのに、音の波に抗うことは出来ない。呑み込まれゆくことに逆らえない。それどころか、自らが望んでしまうのだ。この音の洪水に聴覚だけではなく、自らの全てを呑み込んでくれと。
 それは、音楽だった。正確に…おそらくは作者の意図通りに純粋に奏でられる音楽だった。だが、奏でているのは人ではない。人ではないからこその正確さ。生きている者ではないからこその純粋さ。ともすれば無機質になってしまいかねない音楽も、音自体のわずかな揺らぎと計算しつくされた反響によって、誰よりも何よりも有機的なものに変じている。
 4人の目が、誰からともなく1点に集まる。壁の正面、額に縁取られた古代語の詩に。この暗がりで、文字など読めるわけもない。頭には、出発前に聞いたレノマの詩が思い出される。


穏やかなりし凪の海 この地に住まう安らぎを
黄金にたなびく雲の波 この身に潤う安らぎを

繰り返し繰り返し 人世にうつろう色の彼方に
繰り返し繰り返し 一夜にうつろう音の彼方に
繰り返し ただ 繰り返し

たおやかなりし満つる水 この地を取り巻くぬくもりを
虹にきらめく光の帯 この目を覆うぬくもりを

引き返し戻り来て 人世に流るる水の彼方に
引き返し戻り来て 一夜に流るる風の彼方に
引き返し また 戻り来て


地に風に水に火に 草に人にそして心に
全てにあまねく安らぎを
全てにひとしくぬくもりを

終わりなく まだ 終わりなく



「これは…あの楽譜の……」
 その場に立ちつくし、レノマが小さく囁く。誰に言ったのでもない、自分が声を出していることさえ気づかなかった。
 ふと、気づいたように、ロエティシアが小走りに玄関へと向かった。石の扉を開けて、外へと向かう。オロトがそれを追った。
 開け放たれた玄関から、澄んだ夜の冷気が忍び込む。
 しばし立ちつくしていたレノマはパムルに服の裾を引かれ、共にそれを追った。
 石の扉を開けた先には、まだ藍色を深く宿す空。最後の瞬きを、それでも必死に踏みとどまろうと光を放つ星々。肌にまとわりつく冷気。だがそれよりも、耳から忍び込んで全身を浸していく柔らかな音楽。
 玄関を出て、数歩分の距離でロエティシアは立ち止まっていた。そして、ゆっくりと呪文を唱える。
「…真白き光、無垢なる魂の同胞よ……」
 その言葉に導かれたように、光霊が彼女の隣に姿を現す。それをふわりと、建物の上へと滑らせ、指をさした。
 ごくわずかずつ藍色を薄めていく空の下、屹立した塔は黒い影でしかない。だが、エルフの意志を受けた光霊は塔の姿を照らし出した。
「……見ろ。楽器だ」
「ああ……見つけた。そうか……楽器は、あんなところに…」
 鳴り響く音色の中、レノマが呟く。
「楽器? どれが楽器なんやにゅ?」
 音の出所は建物全体だとしか思えないなか、パムルがきょろきょろと辺りを見回す。パムルの身長では、塔の屋上に漂っていった光霊も死角に入ってしまう。
「ほら、パム君、これで見えますカ?」
 オロトがパムルを肩にのせる。
「やってくれたものだ、“魔力なき”エルメス。……これでは持ち帰れないではないか…」
 苦笑するエルフにレノマが微笑みかける。
「持ち帰る必要はないさ。……この音が聴けたんだ。それでいい。これは……巨大な自鳴琴だね。建物全体が自鳴琴だったんだ。ああ……探しても見付からないはずだ。魔力感知に引っかかるわけもない。…そうだ、“魔力なき”エルメス。彼は魔力なんて使ってないんだから。仕掛けだけで、楽器を作り出した」
「ジメーキン? って何やにゅ?」
「オルゴォルのことだ。普通は、小さな箱になっていて、横についたハンドルを回して音を鳴らす」
 ロエティシアの説明に草原妖精がうなずいた。
「あ、なら、あれが音を出してるんやね!」
 あれ、と指さしたのは、2つの小塔とそれを繋ぐ『線』である。草原妖精の体を支えながら、褐色の肌の偉丈夫が大きく頷いた。
「ああ…確かニ。あの金属の線が、ゆっくりと滑り降りていって…窓の穴に引っかかるたびに金属が弦のように音を立ててたんですネェ。Greatです。オドロキました。言われてみれば、これは、オルゴォルですヨ」
「穴のひとつひとつが、音符だったんだ。2つの塔がそのまま、楽譜でもあった。おそらくは、両端の輪がそれぞれ、塔の穴をなぞるように作られているんだろう。穴に弾かれて、あの線は弦になる。そしてそこで作られた音は、塔の中を反響しながら建物に下りる。そして建物の中で反響しあいながら、天井の隙間から放たれる。……これは外で聞くための自鳴琴だな。動き始めたきっかけは知らぬが……」
「ああ…どうだっていいよ、きっかけなんか。……見てごらん、夜が明ける」
 隣にたつエルフに、口ひげの半妖精が海を指し示す。
 今まさに、東の空に曙光が金色を投げかけたところだった。海と空を、同じ黄金の色に染め、ゆっくりと太陽がその姿を現す。
 いまだ鳴りやまぬ音の洪水のなか、ふわりと風が動いた。聴覚ばかりを満たされていた4人の鼻孔に潮の匂いが、冷えた朝の空気と共に入り込む。夜半までの雨で、朝露というには少々多すぎる水滴が砂の上に光った。今はまだ水平線に赤味がかった黄金を投げかけている陽が、今少し上に移動すれば、その水滴も遠からず乾くだろう。
 水平線と、そして昇りゆく朝日を見つめる4人の背後で、自鳴琴が最後の1音を奏でた。砂を湿らせる水滴よりも柔らかく、徐々に姿を見せゆく陽の光よりも暖かい音。正確で純粋で…それは、世界を彩る音楽だった。……限りなく。そして、終わりなく。


◇   ◆   エピローグ   ◆   ◇


「ああ、仕掛けかい?」
 問われて、レノマは含み笑いを漏らした。隣に座るロエティシアをちらりと見る。その視線を受けて、ロエティシアは同じようにオロトへと視線を送った。そうして、最後にオロトからパムルへとその視線はリレーされていく。
「なんだ、もったいぶらずに教えてくれよ。4人とも」
 はやる気を抑えきれないといった表情で問いかけるのは、マックスと呼ばれる男だ。30代半ばに見える、闊達な雰囲気を持った男である。自分が経営する酒場のカウンターで、4人の冒険話を聞き、更にはそれが“魔力なき”エルメスの楽器が絡んでると聞いて、今にもカウンターから飛び出しそうな勢いだ。自分が今、エプロンをつけてカウンターの中にいるという事実も忘れているかもしれない。
「………やっぱ、現役、か…」
 仕事放棄1歩手前という店主の横で、代わりに客の注文を捌きつつ、古株の店員が肩をすくめる。
「仕掛けならおいらが確かめたんやにゅう!」
 口もとについた料理のソースを拭いながら、パムルが自慢げに胸をそらす。そらした弾みで椅子から転げ落ちそうになるのを支えながら、オロトが説明した。
「幾つかの仕掛けは、パム君が塔に昇って確かめたんですがネェ、ワタシたちではちょっとわかりにくいところもありまして。帰ってきてから……エエト、賢者さんに確認したんですカ?」
 オロトの視線を受けて、ロエティシアが頷いた。
「ああ。古代王国期には、温度によって性質を変える金属というものがあったらしい。例の弦も、屋上の金属板もそれで作られてるのだろうというのが賢者の見立てだ。太陽の光でじっくりと暖められるだけなら作動しない。夜、冷やされた状態のところへ、内側から焚き火の光で熱せられ…と、いうわけらしい。……マックス、そんな顔をするな。持ち帰ってはこられなかったのだから、しかたないではないか」
 羨ましさを隠そうともしないマックスに、ロエティシアが苦笑する。
 その隣から、そうそう、とレノマが微笑んだ。
「それに、ここからなら数日の距離だ。マスターも聴きに行ってみるといいよ。しかし…それにしてもよく出来た仕掛けだ。どうも、賢者によると、その金属板の性質で、通常の温度なら弦は小塔の最上部に留まるようにと設定されているらしい。いやぁ……今までの冒険者がやらないようなことをやれば、もしかしたら…と。そう思ってたのは事実だけど……確かに、遺跡の中で焚き火した冒険者はいなかったろうねぇ。今回は、パムルがお手柄だなぁ」
「おいら、もひとつお手柄があるんやにゅうっ!」
 手に持っていたパンを口に詰め込み、無理矢理にあけた両手で、肩からかけていた大きな鞄を探る。そこから出したのは、1枚の薄い板だ。
「じゃじゃーん! 音楽が描けなかったんは残念やけどぉ。そん代わり、これやーん♪」
 パムルの手には、1枚の風景画があった。
 ほのかに明けゆく空を背景に、静かに立つ遺跡。何もない荒れた島に、ただ音を奏でるだけが…そして、夜明けを見守ることだけがその存在理由であるかのように。かすかな潮騒と、それよりもかすかな風の音。その効果すらも計算したかのように、自鳴琴は鳴り響くのだろう。夜の闇が朝陽に追われるよりも緩やかに。風に舞い上がった金色の砂が遺跡に降り積もるよりも優しく。
 見守る者がいなくても、聞き届ける者がいなくても。それはただ音を奏でるためだけに在る。おそらく、それこそがエルメスの望んだことだったのだろう。
 ──終わりなく。まだ、終わりなく。


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