錆びた黄金−7−
( 2002/08/29 )
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作者
松川彰 タルノ
登場キャラクター
同上
◆ 琥珀色の微笑み ◆
常闇通りの奥で、カラクリハウスが炎を上げる、その数刻前。
そこから更に入り組んだ路地を数本離れた場所にある“錆びた黄金”の店舗で2人の男が言葉を交わしていた。
「ジェイコブ、俺はね。…どうにもわからないことがあるんだよ。教えてくれないか?」
問いかけた男は、善良そうな微笑みを目の前の年長の男に向けた。“甘味屋”である。
問われた男、ジェイコブは生気の乏しい青い瞳に、今は怯えた色を浮かべている。身体にまとわりつくのは、幾重にも重ねられたロープ。そして鼻孔にまとわりつくのは、目に沁みるような油の匂い。
「な、なんだ。儂は……どうして…」
「ああ、そんなくだらないことに答えたくはない。もうすぐ俺もここから立ち去らなくちゃならないからね。……“絡繰り”に、何日か前、仕掛けを頼んだ。そう、この店を壊す絡繰りだ。梁を支える柱は、限界まで外してある。ようやく支えてるだけの数本の柱さえ、留め釘を抜いてある。そして…あんたが縛り付けられているその柱には、あんたの身体に巻き付いているのと同じようなロープが巻き付いてるよ。そう、油をたっぷりと染みこませたロープだ。さぞかしよく燃えることだろうと思うよ。店そのものは石造りでも、中の骨組みは木だろう? 古びた木材だ。最近は乾燥してるしね。万が一にも燃え損なうことはないと思う。だから安心していい。俺が立ち去ってしばらくして……その後に残るのは、外壁の石とあんたの骨だけだ。ああ、店の商品も残るかもな。裁ち切り鋏とか草刈り鎌とか料理用のナイフとか」
“甘味屋”の台詞を聞いているのかいないのか、ジェイコブはひどくゆっくりと何度か首を振った。瞳にどんよりと霧がかかっている。
「……気持ちいいかい? あんたがさっき飲んだ果実酒は…木苺の酒なんかじゃないよ。ああ、確かにもとはそうさ。木苺の酒だ。ただし、モールドレがたっぷりと入っていた。気づかなかったかい? あの甘さは木苺の甘さじゃない。“トマト”の甘さだったのさ」
「儂は……儂は、死ぬのか。殺されるのか。トーマスに……双子の弟にっ!?」
「大きな声を出すんじゃない。言ったろう? この店は今、崩れやすくなっている。……そう、あんたは殺される。そこで…俺の質問に幾つか答えて欲しい。なに、難しいことじゃない。俺の好奇心を満足させてくれればいいんだ」
柔らかに微笑む“甘味屋”。その瞳にも口振りにも、異常な色彩は欠片も感じられない。
「な、何を答えればいいんだ。儂は何も知らない。……答えたら、その見返りは…」
「見返り? ……そうだな。あんたに生きる時間を与えてもいい」
「ほ、ほ、本当か!? な、なんでも答える。儂が知ってることなら何でもだ!」
「……あんたとトーマスは双子だ。実際、瞳の色以外はよく似ている。けど…何があって、あんたはそんな風に弟に怯えることになったんだ? あんたとトーマスとガデュリンと…3人とも幼なじみだと聞いた。だが、俺が出会った頃のあんたは、すでにトーマスの言いなりだった。そりゃあ…どうしてだ?」
ジェイコブが縛り付けられている柱に凭れようとして、“甘味屋”はやめた。柱の留め釘は既に抜いてある。それに、油が滴るほどに染みこんでいるロープに服を触れさせれば、油の匂いが付く。
「ど、どうして? はは……はははは…妙なことを聞く。どうしてだと? じゃあおまえは、トーマスが怖ろしくはないのか? 儂は怖ろしい。ヤツは……ヤツは、悪魔だよ。何もかもを切り捨てた。ヤツの心に愛などない。たとえば…そう、たとえばおまえが死んだとしても、トーマスは涙を流さないよ。そう、賭けたっていいとも!
そりゃ……儂も最初はトーマスに張り合ったさ。トーマスがガデュリンに張り合っていたようにね。でもね……儂は何ひとつトーマスに勝てなかった。そう、小さな頃からずっとだよ。何もかも競争して…何もかも勝てなかった。あいつの…あの黒い右目が悪いのかもしれない。儂はあの瞳を持たないから…」
「脅されていただけだと?」
「ああ…ああ、ああ、そうさ。トーマスにとってのガデュリン…いつも張り合っていつも勝てない相手。それが儂にとってのトーマスさ。……一度…そう、ガデュリンがブラウンケーキのルートを確立する頃に、儂は奴らから逃げ出そうとした。そうだろ? あのままあそこにいたんじゃ、何をさせられるかわからない。そうしたら……はは、案の定さ。捕まった。儂は魔術も剣も使えない。なのに、トーマスもガデュリンも魔術を使えるんだ。捕まって……殺された」
「……もうラリっているのか。まぁ、モールドレをたっぷりと飲んだんじゃしょうがないがね」
「酔ってなぞいるものか。…儂はあの時、トーマスに殺されたんだ。ガデュリンが止めなければ本当にトーマスは儂を殺していたろう。眉ひとつ動かさずにな。あの時、儂が意識を失う寸前に聞き取ったヤツの声は……『逆らったら殺すよ』と」
震えるジェイコブの声に、“甘味屋”は小さく溜息をついた。
「ふん、くだらない。本当にあんたは、トーマスの力に怯えていただけだったのか。逃げ出す力も賢さも持ってない、ただの役立たずだったのか」
「そう…そうだよ。“甘味屋”。儂は……トーマスにはかなわないんだ。最初は愛していたと思う。同じ日、同じ時に生まれて…互いを互いに映しながら生きてきた。でもトーマスは変わっちまったよ。多分……ああ、多分、ガデュリンが、アデンの子供の父親を、トーマスじゃなくて儂に頼んだ頃からかもしれない。……トーマスがガデュリンに抱く気持ちと、儂がトーマスに抱く気持ちは同じだよ」
「………ああ、本当にくだらない。確かにあんたの言う通りなのかもしれないが、それでもトーマスはガデュリンを越えようとした。あんたはただ怯えるだけだ」
「い、いいだろう。さあ、話した。おまえの知りたいことは。儂を……儂を助けてくれぇ!」
ジェイコブの言葉に、ひどく面白い冗談を聞いたというように、“甘味屋”が破顔する。
「助ける? はははっ! 冗談言っちゃぁいけない。俺があんたを助けるわけないだろう」
「…な…っ!? お、おまえは……騙したのか、儂を…」
「人聞きの悪い。騙してなんかいない。…………これがなんだか分かるかい?」
“甘味屋”は懐から蝋燭を2本取り出した。
「ろ、ろうそく……それでこの店に火を…儂ごと燃やそうと……」
「1本は長い蝋燭。もう1本は短い蝋燭。本来なら、短いほうを使うはずだった。けど…そうだな、答えてくれた礼だ。長い方にしてやる。比べると…ほら、人差し指くらいの長さの違いがあるだろう? この長さが……あんたが勝ち取った『余分の時間』だよ。あんたの、生きる時間だ」
“甘味屋”は、にっこりと笑いかけて、近くにあったランタンのカバーを外す。そこから、長い蝋燭に火をつけ、油で濡れる床に立てた。
「これが燃え尽きれば、床に火が移る。あんたを縛ってるロープも、あんたの背後にある柱も燃える。……トーマスがね、あんたと、この店を始末するって言った時に、やらせてくれと言ったのは俺だよ。どうしてだかわかるかい?」
「わ、儂に何の恨みが…」
「……琥珀色の瞳の女を覚えているか? ああ、その顔は忘れている顔だな。確かに、あんたが彼女に会ったのは1度か2度だ。頭の悪いあんたが覚えていなくても仕方がない。俺が彼女につけた名前は“琥珀”。綺麗な琥珀色の瞳だったから。………そうだよ、あんたが彼女にブラウンケーキを飲ませる前は、そんな綺麗な瞳だったんだ。軽い気持ちだったんだろう? 麻薬組織の下っ端の…更にその愛人に薬を飲ませてからかうくらい。時間をかけて…そう、下っ端が曲がりなりにも幹部になるくらいの時間をかけて、ブラウンケーキをやめさせて、ぼろぼろになった身体を治療して…それでも、瞳は濁ったままだった。だから俺はその眼球をくりぬいて、代わりに綺麗な琥珀を嵌め込んだ。でもな。……俺はあの瞳の色が好きだったんだよ」
じじ、と音を立てて燃え続ける蝋燭。その炎を見つめたまま、“甘味屋”は微笑んだ。震えるばかりで声すら発しないジェイコブに、微笑みを向ける。
「……さよなら、ジェイコブ。俺はあんたが嫌いだった。……おっと、この店の店主はジェイコブなんて名前じゃないな。トーマスだ。なら…さよなら、『トーマス』。あんたの墓がもしも建てられるとしたら、きっとその名前だな」
「わ、儂を…その名前で呼ぶなっ! 呼ぶなぁっ!」
その叫びには何も返さず、“甘味屋”は微笑みだけを残して、店を出ていった。
「さてと…後は“絡繰り”リッチィ……いや、すでにそっちはギルドの手が伸びてるか。ならやめておこう。引き際を間違えるとろくなことがない。…これはトーマスの教えだったな」
“錆びた黄金”の扉に、そとから錠をかけ、その鍵を戸口の隙間から中へと滑らせる。これでもう、中からも外からも開けることは出来ない。
「“錆びた黄金”は畳んだ。“絡繰り”はギルドにプレゼントだ。“逆巻き”も、ジェイコブも、“路傍の”ガフも死んだ。“壁のない家”は、とっくにもぬけのから。“財布”であるクレンツ男爵との打ち合わせも済んでいる。あとは………」
ぼそぼそと口の中で呟きながら、“甘味屋”は指折り数えた。
「イエメン坊か。……ああ、坊が気に入ってる女の子がいたね」
空を見上げ、小さく息を吐いて歩き始める。
数刻後。“錆びた黄金”の店舗から炎が上がる。それと同時に柱や梁が崩れ落ち、全てを炎と瓦礫に埋め尽くそうと熱い風を巻き起こした。ちょうど、エルウッドたちがリッチィのカラクリハウスが燃え落ちるのを見ていた…それと同じ時に、調査に来た盗賊ギルドの男達の目の前で、“錆びた黄金”は炎に呑み込まれていった。
◆ 幾つもの事情 ◆
「うん、だからね…」
と、ミニアスはロックフィールド治療院の一室で説明を始めた。
ピルカを助けたあと、背負って歩いてる途中で“三つ指”に会ったこと。そして、彼にピルカをまかせて自分はその場を離れたこと。
「どうして、だって? 決まってるじゃない。私にだっていろいろと都合がある。っていうか、面倒ごとに進んで巻き込まれたい人間はいないでしょ? “三つ指”って言うの? あの若い彼は。彼がピルカを引き取ってくれるなら、私が運ぶ義理はない。そう思ったんだけどね。………ただ、帰り道に妙なのに出くわしただけでさ」
小柄な肩をすくめて、ミニアスは言葉を繋ぐ。
帰ろうとした矢先に、イエメンらしき人物が路地裏をうろついているのに出くわしたこと。そして、彼は見るからに危険な……つまりは、麻薬の禁断症状が現れている最中だったらしいこと。ミニアスがイエメンと相対した時には、ミニアスはそのあたりの事情を一切知らなかった。ピルカのこととて、行きずりと成り行き以外の何物でもない。ただ、逃げるには場所が悪すぎた。カーナやエルメスの名前を呼び、そして『トマト、トマト』と繰り返すだけの危険な男から距離を取るうちに、入り組んだ路地はそこで行き止まりになっていたのだ。
「………だって、しょうがないじゃないか」
イエメンはずっと、角材の切れ端を振り回していた。巨漢の彼が持つなら切れ端とも呼べるが、小柄なミニアスにとっては危険な凶器だ。
イエメンが正気を失っていた時だったのも幸いしただろう。無傷では済まなかったものの、ミニアスはイエメンを倒すことが出来た。そして、懐から転がり落ちて割れた小瓶の中身…真っ赤な液体に指を触れた時、それまでの負傷具合とも相まって、ミニアスは意識を失った。
そして、今はロックフィールド治療院にいるのである。
ミニアスを最初に見つけたのはピルカだった。ガフに盛られた痺れ薬は、後遺症のない軽いものだったらしく、中和剤を飲まされてからは普段通りに走ることが出来た。“三つ指”に連れ帰られたピルカから話を聞き、ピルカが行った家に『壁がなかった』と聞いて興味を持ったのがエルウッドとドゥーバヤジットである。
ピルカから話を聞いて、それならその“壁のない家”を調べようと向かう途中で、一行はミニアスを見つけた。
“壁のない家”そのものは、すでに綺麗に引き払われた後だったらしく、めぼしい情報はそこからは得られなかった。モールドレの在庫を幾つか見つけたことだけが、唯一の成果だったのかもしれない。
その少し前に、エルウッドは“絡繰り”リッチィの家を調べようとしていた。だが、リッチィの家は崩れ落ち、そして同じ頃、別働隊を向かわせていた“錆びた黄金”の店もほぼ同じ絡繰りによって崩壊、そして炎上していた。その焼け跡から見付かった死体は、ただ1つ。年老いた男の死体だ。トーマス・ブギーマンと思われるが、瞳も焼けただれていたために、それが“錆びた黄金”の店主トーマスなのか、モールドレを開発したトーマスなのかがわからない。
リッチィの残した情報、そしてエルウッドが調べた情報で、麻薬組織側の人間関係はおおよそ掴めている。トーマス・ブギーマンと呼ばれる男が2人いること、そしてどうやらその2人が双子の兄弟らしいこと。4の付く日には、ヘテロクロミアのトーマスが店に立ち、そこではモールドレが取引されていることも掴んだ。だが、それを掴んでから最初の4の付く日。つまり今日。店は焼け落ちている。残った死体は、十中八九ヘテロクロミアのトーマスではないだろう。オランでの市場を縮小し、その全てを誰かに……おそらくは、いつも背後にいた資金提供者の貴族に渡して、麻薬組織の人間たちはオランを去る準備をし始めていることも調べがついている。
誰だって、引っ越しをする際には余分な荷物やゴミは捨てるものだ。だからこそ、“絡繰り”リッチィはそれを悟って自らの幕を自らの手で引いた。だからこそ“錆びた黄金”は焼け落ちた。ならば、そこにあった死体は、店主のトーマスなのは間違いない。表向きには、どこまでいってもトーマス・ブギーマンの代理人でしかなかった男。彼が、ジェイコブという名を持つことを知る人間は、ここには1人もいない。
そして、生き残っているはずの本来のトーマスがどこにいるのかが、いつもわからない。その片腕らしき“甘味屋”と呼ばれる人物のことも。
「……んで? 動くなって意味で、見張りをつけといたはずの医者センセイが何であんなとこにいたってんだい?」
ドゥーバヤジットに視線を向けられて、トレルはかすかに笑った。
「だから見張りは、ちゃんと私と一緒に動いていただろう。単独行動するなという意味で彼をつけたんだとしたら、彼はちゃんと職務を果たしていたさ。あんたが前に置いていった、モールドレの組成。少し気になるところがあってね。あれを書いた薬草師に会いに行ったんだよ。私の昔の仲間だ。ギルドの仕事を請け負っていると聞いたから、ひょっとして…と思ったら案の定正解だった。ああ、彼を責めるのはやめてやってくれないか。私も同じ仕事をしている、と挨拶したら答えてくれただけのことだから。……あながち、嘘とも言えないだろう?」
ふん、と鼻を鳴らすだけで、返事の代わりとして、ドゥーバヤジットはあたりを見回した。
「まぁいいさ。あんだけやられたあとで、そこまで動くってぇんなら…それも、おまえさんの言う、『ギルドに属さない人間としての正義』ってぇやつなんだろ。医者として、一般人として、そして…冒険者としてな。ああ……『もと』冒険者だったかい? ま、それはともかく。カーナがここに居るって言ったなぁ? そりゃぁどういうわけだ?」
「まぁ、私もエルメスから事情をやっと聞いたばかりなんだけどね」
そう前置きしてトレルが説明する。イエメンのもとからリッフィルという魔術師がエルメスとカーナを連れて逃げたこと。リッフィルの判断によって、マーファ神殿に連れられていったが、カーナがそこから逃げ出したこと。そしてリッフィルと別行動をとっていたエルメスがカーナを見つけたこと。
「それがマーファ神殿の近所でね。昔の仲間に幾つか…そう、ほんの幾つか裏の情報を聞いて、神殿に向かったところ、私とエルメス、そしてカーナがそこでかち合った。広い神殿よりは、私の家のほうが見張りが多いと思ってここに連れてきたんだ。周りをうろついてるのは、あんたの部下だろう? ちょうどいいじゃないか。彼らに外の見張りを、そしてカーナ本人にはエルメスをつけて、私はあんたを探しに行った。どうだ? 辻褄は合っているだろう?」
「ふん。確かに矛盾はねえやな。いいさ、信じることにすらぁ。疑ってかかってちゃぁ、片づくモンまで片づかねぇ。んで、そのリッフィルってぇ野郎はどうした?」
ドゥーバヤジットの問いに対する答えを持っていたのはクーナだった。草原妖精の少女である。少し前までは“恋人”チェリオの手伝いをしていたが、それが一段落したようなのでギルドに戻ったところ、リッフィルと名乗る魔術師を見かけたと言う。
「横柄な口をきく男でね。口先でまるめこんで、軟禁してきたけど……今頃、どうしているのか、あたしは知らない。あたしはただの伝言役なんだ」
クーナがそう答えた時、外から若い盗賊が伝令に走ってきた。
「例のデカブツが……マーファ神殿に運び込まれました。道ばたで死にかけてるところを、魔術師風の男とマーファの神官が見つけたそうで。周りをうろついていた何人かのギルド員に、そのマーファ神官がそう伝えてきたそうです」
「………なるほどね。ミニアスが気絶させたのを、カーナ探しにうろついてたそいつらが見つけたってぇ寸法かい。そういや、ミニアスが幾つかアジトっぽいネタぁ拾ってたな。……よう、エルウッド。そいつぁ信用出来るネタだと思うかい?」
振り向いたドゥーバヤジットに、エルウッドが頷いた。
「彼女が言ってた3件のうち、2つは確実にガセでしょうね。ハハッ! 奴らだって間抜けじゃない。ダミーくらいは幾つも用意してますよ! けれど……そう、“手長”の旦那。知ってますか? 少し前にギルドのほうに来客があったようですよ。“風上の”ネイと名乗る、パダの盗賊。ハハッ! パダだ! だが、だからこそ、オランの街なかから少し外れたネタなら、知ってても不思議じゃぁない。街道から外れた小さな村に、貴族からの不審な援助があるとか。そして……ハハッハハハハッ! これは私もあなたもご存知だ! 援助している貴族はクレンツ男爵ですよ! ええ、カーフェントス家の後見人です! その村から…そして、逆にオランからその村へ、何人か人の動きがある。そのオラン側の拠点は、ミニアスが指し示した地図の一点と一致します。…………押さえますか?」
聞かれてドゥーバヤジットが頷く。
「ああ。あたりまえだろぉ? ただし……マーファ神殿にいるとか言う、イエメンの様子見てからだ」
◆ アデンの伝言 ◆
“恋人”チェリオの手元には、銀のアンクレットがあった。アデンの残したものである。ギルド側に、アデン殺害時のものとして保管されていたそれを、ドゥーバヤジットから受け取ったのは昨日のことだ。幾つかの、チェリオの動きに対する報酬のつもりだったのだろう。
手の中にある華奢な銀細工を、アデンがしていたように、かちりと捻ってみた。そして、チェリオの手の中には小さな羊皮紙の切れ端が転がり落ちてきたのだ。
──私の最愛の黄金。ガデュリン、貴方が私に与えてくれた夢。そして黄金の時。もう一度…もう一度だけ夢を見てもいいかしら? いつか…いつか何もかもが終わったら、貴方と一緒に帰りたかった場所がある。叶わない夢は、黄金になりきれずに腐っていくのかもしれないけれど。それでも、私は夢を見たかったの。
そのなかに記されていた場所へと、チェリオは足を向けた。そこは…年老いた夫妻と幼い女の子が住む家だった。小さな家。小さな庭。老衰でもうほとんど動けなくなっている老いた父親。そして、幼い女の子の面倒を見ている老いた母親。
アデンは自分たちの娘だと、その母親はそう言った。カナリアという女の子をある日連れてきて、自分の娘だからよろしく頼むと言い残して姿を消したと。
(……おかしいな。アデンは……幾つだった? カナリアのような娘がいるのはいい。だが、アデンの両親というには、この2人は…少し年老いている)
そう感じた疑問を、それでもチェリオは口にはしなかった。最愛の黄金と書かれていたのはカナリアのことなのか…それとも、やはりガデュリンに関係することなのか。
情報は得られず、チェリオはカナリアの手に、『おかあさんからのお土産だ』と言って、銀のアンクレットを渡した。そうするしか…できなかった。
高慢な娼婦、アデン。“恋人”として彼女を守っていた頃には、そうとしか思わなかった。高慢で魅力的でそしてどこか謎だったとしか。だが、彼女が死んでから…そして、モールドレという名の麻薬が事件になってから、アデンの謎はどんどんと深まるばかりだった。そこには高慢な娼婦の姿はない。魅力的なのに、どこか寂しげで、そしてまるで何もかもを諦めきったような…そんな女。幾つか調べたガデュリンのことは、そんなアデンの謎を更に深めるばかりだった。アデンとガデュリンが関係していたことは事実だろう。そしてトーマスも幾分かは関わっているはずだ。
アデンが、ガデュリンに抱いていた気持ち。そしてガデュリンがアデンに対して抱いていたそれ。……わからないことばかりだ、とチェリオは首を振った。
『余計なことに首突っ込むもんじゃないわ。傷つきたくないならね』
高慢に言い放って笑った…そんなアデンの言葉がチェリオの脳裏をよぎった。
その家を辞し、とりあえずギルドに戻ろうかと歩き掛けたチェリオの目の前を、1人の老人が横切った。何処といって怪しい様子はない。だが、妙に記憶に残る老人だった。
歩きながら、チェリオは考えていた。アデンの両親は嘘をついていない。だが、カナリアは自分に全てを話していないのではないかと思ったのだ。何も知らない…アデンおかあさんが自分を助けてくれた、ここで暮らせと言った、あとは知らない…と、彼女はそう言っていた。だがそれは、アデンの不利になることなら何も話さないと、そう決意した目ではなかったか? これまでに調べていたことが確かなら、カナリアはアデンの手によって、トーマス・ブギーマンが子供達を集めていた“壁のない家”から連れ出された。おそらくは、アデンが死ぬ直前……1年半ほど前か。いくら幼いとはいえ、覚えていないはずもない。自分に怯えたのだろうか…? でも、それなら根気よく話せば教えてくれるかもしれない…。そう思って、チェリオは引き返した。
だが、引き返した先にカナリアはいなかった。
「………まさか、さっきの爺さん…!?」
まじまじと顔を見たわけではない。だが、無害な年寄りとは思えない…そんな雰囲気があったからこそ、ただすれ違っただけの老人に一瞬気を取られた。
青ざめるアデンの母親に『心配ない』とだけ言い残して、チェリオはそれを追い始めた。
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