錆びた黄金−10− ( 2002/08/29 )
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作者
松川彰 タルノ
登場キャラクター
同上



◆ 乱戦 ◆

 トーマスがイエメンに“雷撃”の魔法を唱え終わると同時に、アジトのドアが外から開かれた。家の周りのあちこちからも争う音が聞こえ始める。
「ふん…ギルドか。無粋な。全ての愛の営みはこれからだったというのに…」
 トーマスが“ぬっぺら坊”に合図を送る。同時に、“ぬっぺら坊”は“眠りの雲”を唱えた。
 入り口から踏み込んできた何人かがその呪文に倒れる。が、同時に入り込んできた仲間たちが、眠り込んだ彼らを起こしてまわる。それを阻止しようと、“ぬっぺら坊”以外の、トーマスの手下たちもそれぞれの手に武器を持って動き始めた。そしてトーマス自身は窓際へと移動する。
 カーナをあらためて捕獲しようとした手下の一人が、くぐもった悲鳴をあげてうずくまる。カーナの横にはエルメスが立っていた。
「……薄汚い手であたしの相棒に触るなっ!」
 手にした細剣の血も拭わぬまま、エルメスはカーナの横に膝をついて、カーナの腕の戒めを解いた。小刻みに震えるカーナの肩を抱いて、自分の背後へと庇う。
 それを見たリッフィルが、そちらは任せたというように頷いて、自分は壁際に移動する。こうまで敵味方が入り乱れれば広範囲に影響を及ぼす魔法を使うわけにはいかない。そして、それでも魔法を使おうとするならば、自分が乱戦のただ中に入るわけにもいかない。エルメスに“防御”の魔法をかけ、自分の目の前に、クォーツが倒したらしい敵が転がってきたのを見て、咄嗟に“光の矢”を打ち込む。
 一足早くとどめを刺されたその敵を見て、クォーツがにやりとリッフィルに微笑みかける。
「サンキュ」
「なに、成り行きだ」
 答えるリッフィル。
 そこから少し離れた場所では、チェリオとトレルが同時に、カナリアの手を掴んだ敵に斬りかかっていた。
「あんた、医者だな!? 任せる!」
 一瞬だけカナリアに目をやり、チェリオはそう言って再び乱戦の中へと切り込んでいった。
「引き受けた」
 短く答えて、トレルは近くに脱ぎ捨てられていた、誰のものとも知れない上着を、裸のカナリアの上にかけた。その隙を狙ったか、トレルの背後に別の敵が迫る。しばらく剣を振るうことからは遠ざかっていたとは言え、戦士としての勘はまだ鈍ってはいない。振り返る動作と剣を突き上げる動作とはほとんど同時だった。

 トレルが相手の男の体から剣を引き抜いた時。ドゥーバヤジットも目の前の敵を倒していた。
「……てめえがトーマスか。トーマス・ブギーマンっ!」
 窓際に立つその小柄な老人に向けて、逆手に構えたダガーを振り上げようとしたその一瞬。大きな手がドゥーバヤジットの肩先を掴んだ。そしてドゥーバヤジットが振り向く間もなく、彼の体が宙に舞う。
 床にたたきつけられて、くぐもった声を出すドゥーバヤジットを見下ろしたのはイエメンだった。
「………なんだってんでぇっっ!? おめぇだって、このクソ爺ぃをヤろうとしてたんだろぉ! その目ぇ…見えちゃいねぇんだろぉ? なんだって、そんなんなってまで、この爺ぃを守ろうとするんだよっ!? …ぐっ…!」
「…ドゥーバ…お、俺はあんたをいろいろと誤解してた。ごめんよ、痛くして。でも邪魔…しないでくれないか。大丈夫…ぼんやりとだけど見えてる」
 何が邪魔だ、と。そう叫ぼうとした矢先、ドゥーバヤジットはイエメンの手元にダガーを見つけた。それはイエメンに投げ飛ばされる直前まで自分が握っていたものだ。
 イエメンの姿を認めたと同時、トーマスは呪文を唱えかけていた。だが、それが完成するよりも先にイエメンがトーマスの首を掴む。だが、窓際へと移動していたのはトーマスだけではなかった。“眠りの雲”を唱え終わると同時に“ぬっぺら坊”もそこに移動していたのだ。
 イエメンがダガーを振り上げる。だが、それは振り下ろされることはなかった。びくり、とイエメンの体が震えると同時に、その手からダガーが滑り落ちた。トーマスがイエメンの手を振り払う。イエメンはそのままそこに膝をついた。薄汚れた服が真紅に染まっていく。トーマスの隣には、血に濡れた短剣を握りしめた“ぬっぺら坊”。
「ふん…!」
 トーマスが、イエメンの体を蹴り飛ばす。が、次の行動に出ようとしたその時、トーマスの両側から小さな影が飛びかかった。ピルカとクーナである。乱戦の中、その小さな体と俊敏さを活かして、いち早く窓際へと辿り着いていたのだ。
「ピルカ! 指輪を!」
 トーマスが魔術師であることは聞いて知っていた。そして、杖を持っていない以上、おそらくは指輪か腕輪…そういった装飾品が発動体だろう、と、飛び込む前にリッフィルに聞いていたのだ。
「わかってる! ………おじさん、もう終わりだよ」
 右手に光る指輪を認めて、ピルカが右腕に掴みかかる。同時にクーナが左腕に。一瞬、身動きがとれなくなったトーマスが、彼女たちを振り払う前に、他の盗賊たちがそれを取り押さえる。“ぬっぺら坊”の喉元にも、誰かの投げたダガーが突き立っている。
 始まった時と同じほど唐突に、一連の騒動は静まった。


◆ 贈り物 ◆

 生き残った麻薬組織側の人間たちを、ギルド員たちが縛りあげる。他の盗賊たちと一緒に、外の傭兵を始末していたミニアスが、窓からそれを確認し、小さく息をついた時。
 エルメスの背中から、カーナが飛び出した。向かう先はイエメン。
「カーナ!」
 自分の脇をすり抜けようとする、自分よりも小柄な体をエルメスが捕まえる。その細く白い手首をしっかりと捉えた。
「離して、エルメス。……呼んでるんだ。あ、あたしを……呼んでるんだよ!」
 呼んでる? エルメスの耳には何も聞こえていない。だが、カーナの瞳の力で、一瞬だけエルメスの腕の力が緩む。その隙をついて、カーナが手首を振り解いた。
「イエメン…!」
 窓際で、イエメンが仰向けに転がっている。力無く伸びた四肢。腹からあふれ出す鮮血。だが、かすかにだが、その胸は上下している。そして、口もとからは壊れたふいごのような音が漏れていた。ひゅぅひゅぅというその音の隙間に、小さく…ひどく小さく…だが、はっきりとカーナを呼んでいた。
「カー……ナ…さん………」
「……いるよ、ここに…いるよ。イエメン」
 よかった…と、イエメンは微笑んだ。狂気の笑みではない。いつでも、張り付いた無意味な笑い顔を浮かべていたイエメンが、初めて柔らかな本物の微笑みを見せた。
 最後に会えてよかった。本当はトーマスをどうにかしてやろうと思ったけれど、手を汚すことに失敗して…いっそそのほうがよかった。そして、カーナが無事でよかった。幾つもの『よかった』をそこに詰め込んで、イエメンは静かに微笑んだ。
 弱っていく心臓の鼓動に合わせるように、どくんどくんと腹からは血が流れていく。イエメンの意識も闇に呑まれていく。それでも、イエメンは安らぎを味わっていた。ブラウンケーキを使った時よりも、モールドレを使った時よりも……どんな麻薬を使った時よりも深い深い安らぎを。カーナの白い指先が、自分の体に触れている。たったそれだけで。
 どうして麻薬を使ってしまったのだろう。どうして…あの時、誘惑に負けてしまったんだろう。あの夜…カーナと初めて会った夜。ごく自然に笑ってくれたカーナを見て、離したくないと思ってしまった。怯えさせたくないと思ってしまった。そして……自分は誘惑に負けた。
「……カーナさん……最後に……プレゼントが…あるんだ。お、おれからの贈り…物……」
 右手に握りしめたままだったダガー。自分の腕を持ち上げるだけなのに、ひどく重たい。
「え……な、なに……?」
 カーナの問いには答えずに、微笑んだままイエメンはダガーを自分の腹に当てた。溢れ続ける鮮血は、腹から胸、そして床へと広がっている。本来ならば、そこには醜く歪んだ傷痕があった。血溜まりで見えはしないけれども。
 醜い傷痕をカーナの目に触れさせずに済む、そのことにわずかながら安堵を感じて、イエメンはその傷痕を指で探る。見えなくても、場所ははっきりと覚えている。遠い昔、ガデュリンが縫い合わせた傷痕。
 残る力で、その傷痕の上をダガーで抉る。
「ひ…っ!」
 新たに溢れ出す血の量に、カーナが顔色を失う。イエメンは、に、と笑みを見せた。すでに痛みすら、イエメンの脳には届かない。
 大丈夫…大丈夫。おれは大丈夫だから。そう言ってやりたかった。この、壊れたふいごのような喉がもう少しだけ役に立ってくれたらいいのにと願わずにいられなかった。
 広げた傷口から、てらりと赤黒く光る内臓が見える。白っぽく見えるのは腸か。その隙間にイエメンは自分の手を差し入れた。濡れた音を立ててイエメンの指先が腸の隙間に埋まっていく。そして、小さな袋をそこから取り出した。どうやら防腐の魔法がかけられているらしい。長らく、人間の体の中にあったというのに、その袋は新品同様だった。
「カーナ…さん……これを……」
 血塗れの袋から、黄金色の花をつけた小枝が姿を現した。
 震える指で、カーナがそれを受け取る。
「あ……あたしに…?」
 うなずいて、イエメンは最後の力を振り絞る。
 ……神様、お願いだ。カーナさんに伝えたいことがある。どうか、あと少しだけ。
「…カーナさん、それはね。……ガ、ガデュリンのパパが、彼のいいひとと一緒に出かけた時にみつけた、花なんだよ。…小さな花が…寄り添って集まって、き、綺麗な黄金色だろう? パパと、恋人の人は、足を止めてずっと眺めていたらしい…。いや、花の名前なんて知らないからね。ば、薔薇、じゃないのかな。…………そう、ローズ、ローズ・アデン…ああ、思いだした。それがおれのママ…だった」
 ああ…と、イエメンは小さく息を漏らした。その昔、自分を愛して慈しんでくれたガデュリン。そして、一度も会ったことはなかったけれど、ガデュリンがずっと自分に伝えてくれていた、母親の名前。
「…聞いたんだけど、むかしカストゥールの詩人たちは、花に…こ、言葉を見いだしていたそうだよ。『耐えることと、続くこと』…彼らのつけた、この黄金の花の意味はそんならしい。…ふ、袋の中に種も入っているよ。パパの遺産の全部がそれだ。…これを貰ってやってくれ、カーナさん。そしてできれば、いつか誰かと結ばれた後も、忘れないでくれ……この花と、おれのこと」
 柔らかく微笑んで、イエメンは最後の息を吐き出した。


◆ −記憶− 再びの黄金色 ◆

 これは…薔薇かい? いや、違うね。薔薇ならこんな色にはならない。こんな……ああ、光を浴びたこの花はまるで黄金のようじゃないか。君の、淡い栗色の髪も、この花の中にいて陽射しを浴びると……ほら、まぶしいほどの金色になる。
 アデン……そうだ、これは薔薇だね。君の名前だよ。ローズ・アデン。
 ……ローズ。頼みがあるんだ。私は……君の子供が欲しい。私と君とで育てていける愛の結晶が欲しい。けれど…私にはその権利がないんだ。……は…ははっ…おかしいだろう? トーマスとともに医術を修め、魔術を修め、そして麻薬を作り続けて…私はいろいろなものを手に入れたよ。知識も富も。けれど、ああ…私には、子供を作る能力がないんだ。ローズ……ローズ、私は君の子供が欲しい。
 つまらない夢と笑うかい? でも…黄金色の花の中で君と過ごす時間が、何よりも何よりも大切なものだと思う。そして、私たち2人をつないでくれる子供がいれば、もっともっと素敵だと…そう思うんだ。
 ローズ・アデン。私は君を愛している。
 ここで過ごす時間が……ああ、見つけたよ。これはあの日の黄金と同じものだ。君といる時間。君と過ごす場所。それが与えてくれる。麻薬なんかよりもよほど温かい。滴る蜂蜜のように満ち足りた…飢えることを知らない心を。


◆ 夕陽の色 ◆

 血溜まりの中、その微笑んだ唇に、カーナはゆっくりと口づけた。震える指先で、まだほんのりとした温かさを失っていないイエメンの頬を撫でる。
「……耐えることと、続くこと。……ありがとう、イエメン」
 終わることのない悪夢のような苦しみに耐えるのか。薄まることのない喪失の哀しみに耐えるのか。だがそれでも、気持ちは続く。花が咲き、種が落ち、そしてまた芽が出るように、何もかもが続いていく。
 カーナの頬を伝った涙が、イエメンの唇に落ちた。
 ともすれば崩れ落ちてしまいそうな自分の膝を、無理矢理に立たせる。
「…………アデンを…知ってるんだね?」
 イエメンがアデンの名を口にした時に、ぴくりと顔をあげた男がいることには気づいていた。チェリオである。
「なら…この花は貴方に。種は……うん、種はあたしにちょうだい。これは…イエメンからの贈り物だから…さ…」
 ことり、とカーナの足元で小さな瓶が音を立てた。真紅の液体が入った小瓶。それを拾い上げる。
 ──燃える夕陽の色。
「ねぇ……本当はさ…ほんの少しでいいんだね」
 夕陽の色を思い出す。早くに亡くなった母親のことはほとんど覚えていない。なのに、夕陽に照らされた室内で母の胸に甘えていたことを思い出す。覚えている母親の顔は、いつも笑顔だ。自分に向けられた笑顔、父親に向けられた笑顔。朝と夕の挨拶。寝る前のキス。温かな食事。
 愛に満ちあふれたそれらは、誰にでも向けられていたものじゃない。母の周りにいるほんの数人かに向けられたものであるに過ぎない。それでも…それは確かに愛だった。
 カーナにとって愛の象徴である夕陽の色。そしてそれは、トマトの色でもある。それは、欲の象徴。
「……ごめんね。エルメス。ピルカ。そしてリッフィル。君たちのことは好き。みんな、大好き。でも…あたしは…」
 ──イエメン、君は最後に幸せだった。麻薬とは無関係に、幸せだった。
 心の中でそう呟いて、カーナは小瓶を懐へと滑らせる。種の入った小袋を左手に握りしめて、一歩後ずさる。
 イエメンのあの微笑みは、麻薬がもたらしたものではない。それは分かっている。
 かといって……生き残った自分は。
 止められない、と思った。心が鳴っている。真夜中の海鳴りのように、静かに深く鳴り続けている。イエメンの最後の言葉、『パパの遺産の全部』。そんな黄金が存在することはわかる。そんな黄金が自身を照らしてくれるなら、麻薬なんかいらないと思う。なのに今、カーナの胸の奥で鳴り続ける何かを止めてくれるのは、麻薬しかなかった。それは黄金の色ではない。ただの、死んだ黄金。腐った黄金。錆び付いた黄土色。決して浄化なんかではないことはわかっている。けれど今は、色褪せていく黄金に何を重ねればいいのかがわからない。重ねるべき色はあの日の夕陽の色…モールドレの色しか思い浮かばなかった。教えてくれるはずのイエメンはもういないから。
 どうすれば。……どうすれば、泣きたくなるほどの愛しさを忘れないでいられる。どうすれば、鋭い棘に満ちた心を抱きしめていられる。どうすれば、生き残った自分を責め続けることが出来る。
 そんなものは決して救いではない。癒しでもない。けれど、静かに燃え落ちていく何かを止められない。自分の正気の在処を失くしてしまうしか、思いつかない。
「わかってる……わかってるのに………でも、止まらないんだ…。だから…ごめん」
 熱に浮かされたように、カーナは低く呟いた。
「カーナ! あたしは…おまえを行かせないぞっ!」
 持っていた細剣をその場に投げ捨て、カーナの意図を悟ったエルメスがいち早く動く。だが、カーナの動きはそれよりも早かった。
 開け放したままだった窓から身を躍らせる。
「……う…わっ!」
 外にいたのはミニアスだ。唐突に上から降ってきた人間の体から、慌てて逃げる。だが、それがカーナだと認めると同時に、その体をあらためて捕まえた。直後にエルメスも窓から飛び出す。そしてカーナの体を壁に押さえ込んだ。
「は…離せっ! これ以上……これ以上あたしにどうしろって言うのさっ! わかんないよ、あんたには…あんたにはわかんないっ!」
 暴れるカーナの両腕を、エルメスがしっかりと捕まえた。
「…そうさ、あたしにはわかんないよ。あんたの考えてることなんて! あたしは…あたしがやりたいようにやる! あんたがこのまま、ぼろぼろになっていくのを見るのはイヤなんだっ!」
「そんなの…身勝手じゃないか! あたしはこれ以上ここにいたくない…いたくないんだ…っ!」
 子供のように泣きじゃくるカーナを見つめて、エルメスが唇を噛む。
「……そうだよ、身勝手だよ。あんたがここにいたくないってのも身勝手だろ? お互いの身勝手は…承知の上さ。だけど、あたしはあんたを守りたいんだ! だから……ごめん、カーナ!」
 エルメスが、右手を離す。その隙を狙って、もう片方の腕を振り解こうとしたカーナよりも早く、エルメスはカーナの鳩尾に拳を叩き込んだ。崩れ落ちるその体を抱き止めて、窓の中に声をかける。
「………トレル。これ、預かってくれるかい?」
「ああ。……言ったはずだ。カーナは私の患者だとね。治療しよう。カーナのためにも、そして…君のためにも」
 頷くトレルに、ピルカとクーナ、そしてミニアスがそれぞれ両手を差し出した。3人の手のひらの上には、小さな夕陽色の種がある。
「これ……拾えるだけは拾ったから…カーナの目が覚めたら、渡してあげて」
 ピルカの言葉にトレルが頷いた。
「済まない、カーナ……。でも、あたしは傍にいるから…」
 海綿が水を吸うように、カーナの心は紅い闇の中でその声を聞いた。エルメスの声を。


◆ エピローグ──黄金の薔薇 ◆

 光が揺れる。
 木というには小さすぎる。だが、草花と呼ぶには少々大きい。濃緑色の楕円形をした、小さな葉が茂っている。艶やかな葉の表面に光の精霊が踊る。だが、それよりも目を引くのは、その細い枝の先についた小さな花。黄色でもなく橙でもない。それを見た人間たちは、必ず呟いた。…金色の花だ、と。
 正確に言えばそれは薔薇ではない。だが、花びらの形、重なり方…薔薇によく似ていた。
 重なり合う黄金の花びらは、光を透過し、それでいて反射する。大きくはない花なのに、不思議と艶やかな印象を残す。艶やかで慎ましく、どこか透明な印象を。
 その花は、枯れ落ちたあとに実を残す。淡い紅色の小さな丸い実は、山間の薬師ならばよく知っているものだ。いくつかの薬効がある。使い方さえ間違えなければ、それは人の命を救う実でもあった。精製に精製を重ねて、純度を高めなければ。…純粋に…錆びることなく純粋にと、望む人間さえいなければ。
 賢者たちが付けた名は、サンシュエという。だが、人々はいつでもその花をこう呼んだ。『黄金の薔薇』と。
 決して錆びることのない、純粋な名前を冠せられたその花は、自らの運命を知らない。


─ 了 ─



  


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