家族遊戯 ( 2002/10/05 )
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作者
タルノ
登場キャラクター
セオルナード



「麗しのわが家亭」と呼ばれる、オラン第二の規模を持つ、冒険者の酒場。
その片隅で、金髪で碧眼、小柄な剣士が酒を飲んでいた。背に、身体に似つかわしくない、大振りの湾曲した剣を吊っている。それは古代王国時代に蛮族が使用していた剣を、錬磨し、現在まで使用えるようにしてきた代物だ。
剣士の名はセオルナードといった。
生来伸びるほうではないが、うっすらと無精髭がついている。首や肩に、獣皮を巻いていた。
セオルナードは、ふと杯を手放し、テーブルに置いた。

「おっと、セオよ、酒がなくなったか」
顔なじみの店主が声をかける。
「今日の予算は幾らなんだ? 目一杯飲んでくれるんだろ」
「いや、今日はもう酒はいいんだ。親父さん。蜂蜜をこれくらいの瓶に満たしてくれないか」
「ほほう、瓶ごと欲しいのか? そんな甘い物好きだったなんて、知らなかったな。じゃあパンも一緒に出すか」
「いや、苦手さ、野暮用で要るだけだ。ここで食べるつもりはないよ」
急いでそう言う。もらった瓶を、セオは懐にしまった。

店主は、セオの顔を見ながら、思い出したように手を打った。
「おお、そうだ。今朝、冒険者ギルドから配達があってな。あんた宛の手紙を預かってる」
「僕に?」
「そうだ。差し出し人は、ティナとファルナード……って言ったか」
手紙の包みを受け取りながら、セオはにわかに表情を変えていた。
「セオ、あんたぁ、両親は死んで家族は兄弟一人だけって言ってたよな。知り合いからか?」
「……ああ、僕の奥さんと息子だよ」
それを聞いて、ひゅう、と主人は口笛を鳴らした。
「妻子がいたのかい、初めて知ったぜ。隅におけないじゃないか、おい」
「別にね……」
「家はどこにあるんだ?」
「ねえ親父さん」
一度目を閉じ、薄目を開けて言う。
「それならばここだ、っていうのが、この店のウリじゃなかったのかい」

からん、とカウベルを鳴らし、セオは酒場を出た。
見上げれば、細切れの雲の浮かぶ、灰色の秋空が広がっている。
彼はその下で、テイナから送られた手紙を開封した。

パダに外壁のスラム、”ヨネの壺”浮浪者やアウトローの巣として有名だが、そこの一画には、故ある身の人たちが、あばら屋を並べて、ひっそり生活している場所がある。そこに彼の家はあった。
だが、彼が帰ることは少ない。今年に入っては二度を数えるだけだった。

達筆に目を走らせながら、彼は過去を思い返していた。


◇◇◇
壊れかけた平屋、その引き戸が、がらりと開く。
無遠慮に家の中に入ってきた人影を見て、中にいた女性は少し身をすくませるようにした。
何か繕いものをしていたが、その作業の手を止め、入り口の方を見やる。
「…あなた」
「やあ」
セオルナードは短く言った。
「戸を開ける時にはもう少し何か、合図をなさって欲しいわ。でも、よくお帰りで……」
彼女の名はティナ。小さな身体で、栗色の瞳をした、女性だった。もともとは少し太めの眉を細く剃り、額を広く、髪を結い上げて後ろに束ねている。面長に見える顔は、年若さと生来のあどけなさを抑え、代わりに家に入った女性の風格を漂わせていた。
「変わりなさそうだね。この家の方はそうでもないみたいだけど。あの梁などは、前の時より傾いている気がする」
「暮らし向きは酷くありません。ここは、周りの連帯があるので、近所の方によく助けて貰ってます」
セオは無言だった。
「腹が減ってる……すぐに用意できるかな?」
「はい、只今」

狭いあばら屋の中を歩いて、奥まった部屋に入る。そこはかつてこの建物の物置らしかったが、一方の壁が吹き抜けて、荒れ地が庭のように見えている。その縁側へ、歩いていった。
見れば、四歳になる彼の息子が、木刀を振っている。
「言った通りにやっているのか。感心だなあ、フォル」
「あっ、とうちゃん」
「後で稽古をつけてやろうな」
そう言ってそばに寄ると、ぐしゃっと頭を撫でた。

炉の前にかがみ込んで、鍋にかける火を着けようとしていたテイナは、袖を引かれたのに気づき立ち上がった。
「あ、支度はすぐに……」
「もういい。寝室に来るんだ」
「だって子供が」
セオはそれを聞いて、目つきを険しくした。
「家のことで縛るな。僕は家庭に入ったつもりじゃない。僕は自由なんだ」
ティナは眼を伏せた。
「……フォルは街へ使いにやらせた」

息子、フォルナードは、びた銭を握ってほてほてと駆けながら、ふと立ち止まり、家の方角へ振り返った。
無言の彼の周りで、ざわりと樹に茂る葉がそよいだ。


年に数度、そんな調子で、セオルナードは、このあばら屋に帰ってくるのだった。
この時はまだ、会話がある方だったといえた。
以前などは、帰るなりセオはすぐに相手の身体を求め、終わったあとで背中を丸め、一言もないような場合もあった。食事の味付けに失敗したと、ティナの頬を打つ時もあった。

その日、事を終えたあとも、彼は一人で考えていた。
何故、あいつは、ティナは、いつまでもここにいるのだろう。
恋愛や、何もかもが、最初からなかった。無為に傷つけあうやり取りだけが印象的だ。今に愛情の理由はない。
ここから出ていかず、自分が来ても追い出さないのは、他にあてのなさか、意地か、それとも肉欲か。ーー依存心の強い、ふしだらな女だ。
全てを棚に上げ、彼は鬱々と考えた。


べしゃっと床に広がって、布袋が置かれていた。中身のガメルは少額である。
「あなた、これではあんまりです。もう少し持ってきて下さらないと…」
高い所に腰掛けていたセオは、髪をすき上げ、眉間に皺を寄せる。
「仕事の実入りが少なくてさ。酒手代を除いたら、それが限度だった」
無言の間。
ティナは唇を噛んで、こらえる表情をしながらも、言った。
「……そんなにお酒ばかりでは。ご自愛して下さいね」

「そんな金が要るって言うなら、こんな所から出て行けばいいじゃないか!」
セオは珍しく檄した。拳を壁に打ち付けた。
「最初、ここに来た目的に帰ればいいんだ…。弟のところにいけばいい。あの時の、あの時のようにな」
ティナに顔を近づけ、目を見開く。彼女は顔をそむけてじっと耐えた。

◇◇◇

セオルナードには、一つ年下の弟、ザジーウィムスがいた。ザジは、掘りの深い顔立ち、浅黒い肌の長身で、傭兵であった彼らの父の目には、兄のセオよりよほど己の剣の技術を伝えるのに向いていると思われた。だが、ザジは飄々として気質が穏やかで、戦士には向かない所があったので、彼自身の希望もあって、オランにある商いを教える私塾へ学びにいくことになった。自分の跡継ぎに相応しい剣才をもった兄の存在と、末子への甘さで、父はその我が儘を許した。
だが、ザジの志は二年ほどで挫折した。勉強の環境がストレスであったという。帰ってきたあと、父は故があって死んだ。その遺言はザジについて、やはり引き続き、パダで傭兵としての道を歩くように、言付けられていた。

オランで一緒にいた短い時間で、ザジに慕情を抱き、彼を追ってパダにやってきたのが、ティナだった。
その日のセオは、ある酒場で、嗜みとして慣れたかったドワーフスレイヤーの強い酒を、無理をしながら飲んでいた。酒場のベルを、ティナが鳴らして入ってきた。そこから、その過ちは始まったのだ。


「あのう、ザジーウィムスさんをご存じじゃないですか?」
鈴の鳴るような声に少し怯えを籠もらせて、少女はそう言った。
質素だが清楚な服を着て酒場にやってきた彼女は、明らかに、パダの空気に気圧されているようだった。そこで、顔立ちの幼いセオを話しやすそうだと思ったのだろう。

自分が声をかけられていることに、セオは遅れて気づいた。そして、目の前の少女をじっと眺めやった。
短髪の、桜色の頬の少女。酩酊するほどの酒気によって、その艶めかしさが増して見え、頭の奥でもぞりと何かが萌芽した。
僕はこの娘に興味はない、そう言葉に思い浮かべた。
「……ああ、知らないでもないけど」
セオはそう言うと、無理を感じながらもジョッキを傾けた。一口ずつ含むのがやっとだ。
ティナはおどおどしながら、次にかける言葉を探していた。
「あの、知ってるなら、是非、教えて下さい…。……わ……凄…」
弟が、今頃は家にいるだろうことを思い、そして彼女が付け加えた、凄いとは何のことだろうかを考えた。
ああ……この酒のことか。飲みっぷりを……
突然、彼は目つきを変えた。手を伸ばし、ティナの掌を握る。予想していなかった少女は、「あ」と呟いただけだった。彼はティナの手を引き、そのまま二階へ足早に歩いていく。声にならない恐ろしさと不安に、少女の唇はふるえた。


その時から、ティナは変転する運命への抵抗の心を忘れてしまったように、諾々とセオに従った。ティナは、恋焦がれた人の元へゆかず、郷里へも帰らず、黙ってセオルナードに囲われる身になった。彼が、ザジの兄だと知ったあとも。
帰郷のチャンスはあったのに、彼女は活用しなかった、とセオは自らを庇った。
それで、自分でわからぬうちに。過去を考える度にセオは、彼の一番遠ざけたい、鬱々とした気分に襲われた。
過ちを許すと、一言だけセオは聞いた。その目が覚めるような優しさを、彼は信じられなかった。
二年が経って、セオルナードは、パダを離れた。元々、自分の剣の腕で口に糊しながら、雄大な世界を歩く自由な生き方が夢だった。だが、決心に踏ん切りをつけたのは、ティナに子供が生まれたからであった。
旅に出るのは、ザジに事実を隠し通すために、必要なことであると同時に、彼にとって、責任を取るつもりがないことの、意志表明だった。
だが、何ケ月かに一度、バダに帰り、内縁の妻とその子供の姿を確認すると、幾ばくかの金を置いていく。
そんな、何ようにも煮え切らぬ、玉虫色の生活。何時も、忸怩たる思いを引きずっていた。

◇◇◇
セオルナードは、続けて叫んだ。
「弟なら、ザジなら、子供を連れてたずねていったって、受け入れてくれるさ。あいつは本当に優しい奴だからな。もしかしたら、僕に対して怒るかもしれないが、望むところだ。あいつが本気で剣を取るところを、僕も見てみたい!」
「そんな風に虐めないで下さい」
「僕がフォルに稽古するのだって、本当はおまえ、反対じゃないのか」
「それは……母親の気持ちとしては」
「僕は、そのうちあいつに怪我をさせてしまうかもしれないぞ。お前に対しても、こんなに気持ちを抑えることができないんだ。さあどうだ、それでもここにいるのか!」

ティナは顔をそむけ、正座を崩して立ち上がろうとした。
だが、その背中は不意に抱きすくめられた。
「僕のいない時にしろ」
彼女の左目の端から泪が盛り上がり、冷たい床に零れ落ちた。


夕暮れになった。
セオとティナは、吹き抜けのある部屋の縁側で、庭の石に座って、草のまばらに茂る荒れ野を眺めていた。
蝉の鳴く音が日々、減っていく。季節は晩夏を迎えていた。
昼間に身体を動かして疲れた息子は、すでに奥で眠っている。セオは視線を落とし、組んだ脚の足裏を見つめながら、口を開いた。
「ティナ……」
「はい」
「教えてくれ。お前がここにいるのは、僕への恨みのせいなのか。……これは復讐なのか?」
「何を仰います」
「正直な所を教えてくれ。何を考えてこんな暮らしを続けるんだ」
風にそよぐ、名も知らぬ丈高い草をしばらく見つめた後、ティナは口を開いた。
「最近……父の言葉をよく思い出します。人の幸福とは何かと。果てない苦労の先に見えるものだけが、本物だと、そう父は言ったのです。いや、苦労に見えること、そのものかもしれない……と、そう」
いつもの小さな声とは違い、張りがあった。
「甘い慕情は……あなたとの間に育てることはできませんでした。ザジーウィムスさんへの気持ちも、貴方のお陰で、水泡となってしまいました。けれど……気づいたのです。それらはどの道、いつか消え果てる儚いものだと」
妻は夫の顔を見、セオも見つめ返した。
「……一度、めおとの関係になった後に残るのは、死ぬまで連れ添うという時間のみです。一時の炎が消えたあとには、夫を支えお仕えすることの苦労の中に、様々なよろこびを見いだせられるのが、女という生き物なのです」
そこでテイナは微笑した。
「貴方でも判るように言うのが難しいですわ。あ、いえ。私たち女も、殿方のよろこびについてはよくわからぬことが多いですよ。お互い詮索は無用のようですよ」
「……僕は」
セオは身を固くして口を開いた。
「僕は、お前の愛情には、応えていられない。なぜなら、僕は」
「『僕は何物にも縛られない、自由な男なんだ』でしょう? わかって御座いますわよ」
その夕陽に映ったティナの顔は、怖いほど美しく幸せそうに見え、セオは声を飲み込むしかなかった。
「ティナ、僕は明日の朝発つ」
「はい」
「元気で」


翌朝になって、荷物を背負い旅装束を整えたセオは、獣の皮のスカーフを、妻の手によって首に巻かれていた。
「……貴方は喉を痛めやすいから。調子の悪いときは、蜂蜜の瓶に大根をつけて、上澄みにできた飴を飲むのがいいと聞きます。私の父は、施療師だったんですよ」
「そう、それは知らなかったよ」
セオは妻の、夏というのに水荒れした手を眺めていた。
「枯れ葉の落ちきる頃までには……帰って来て下さいませ」
「ああ。今度は幾らか持って来る、あまり周りを頼るなよ。フォルの躾がいいのは、お前の力だから……しっかりね、僕の名前を出して剣の稽古もさせるんだ。そして……」
セオはまだ何か言いかけたが、思い直して、そのままきびすを返した。切りの悪い出発。
ティナはその後ろ姿を見ながら、おそらく自分の言葉通り、夫が今年中に戻ってきてくれるだろうことに満足を抱いていた。

目が覚めていたフォルナードは、父親の出立と、それを見送る母親の姿を見ていた。素晴らしく母さんの機嫌が良い、と思って彼は安心した。こういう時にはよく、服の下に隠れた青あざを増やすことになるのだったが……。父さんが帰ってきたら、よくお使いに出されるが、いつも思うようにその時、そのまま走り去ってしまわなくて良かったな。二世は、初めてそう思った。


◇◇◇

オランの秋空の下で、セオルナードは読み終えた手紙を畳んで、懐に入れた。
その顔には濃い憂いの色が差している。
彼は軽く酔いの回った身体で、風の吹く通りを彷徨うように漫ろ歩きはじめた。



  


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