精霊使いとその弟子 ( 2002/10/11 )
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作者
登場キャラクター
ユーニス



大陸最大の都市、オランに落ちていた闇精霊の帳が薄く剥がされ、光精霊の衣が投げかけられる頃。
未だ星明りの残る商業地区を、軽快な足音が駆け抜けていく。
 パン屋の粉打つ音を右手に、港湾地区の船の軋みを左手に聞きながら、石畳に馴れた足取りで
川向こうを指して走るのは、未だ少女の面影を残す娘。名を、ユーニス・クインシー。
現在、精霊を使う修行中の剣士 兼 野伏という多芸を目指す冒険者である。
 彼女の目的は、対岸のマイリー神殿で行われる武術の朝稽古。年頃の娘でありながら女らしい装いを選ばず、
戦闘に適した装束をまとい、日々剣に弓矢にと研鑚を重ねている彼女の日課であった。
 暗闇通りを横目に見ながら河に架かる橋を渡り、正面に王城の威容を仰ぎ見ながら坂を駆け上る。
途中で重厚な作りの参道へと左折すれば、目指す戦神の神殿はそこに重厚な佇まいを見せていた。
 今日もこうして、ユーニスの一日は鍛錬から始まる。

 練習用の木刀を捧げ、相手の神官に一礼をして退出する。汗を拭いながら周囲を見れば、
豊かな髭を蓄えた岩妖精や、木棍を構えた少年、活発そうな赤毛の少女などが鍛錬に勤しんでいた。
 彼らの熱心な表情に敬意を抱き、己の技を高めあう心地の良さに想いを馳せつつ、神殿を辞す。
 今朝は空気が澄んでいて、稽古しながら心地よさを感じた。もう、冬が近い。
この土地で迎える初めての冬に、少しだけ胸をときめかせている自分を、幸せに感じた。

 朝を告げる鐘が鳴り響き、多くの人々が起き出して来る少し前。
 ユーニスは中央公園に居た。噴水の石組みに腰掛け、静かに深呼吸を繰り返している。
 精神統一を図るかのように半眼に開かれた眼差しは、幽世を観るかの如き色を湛える。
やがて石畳を打つやや不規則な音色に気付いて面をあげ、その瞳を見開き、微笑む。
「おはようございます、師匠」
 立ち上がり、行の礼もて師を迎えた彼女に頷いて応えたのは、頭頂部の薄い細身の老人。
杖を手にして居るものの眼光は炯炯として鋭く、その両腕は弓使い特有の肉付きを失わず、
昔は相応の名を成した人物であろうと容易に想像しえた。
「始めようかの?」
「はい、よろしくお願いいたします」
 無駄の無い応酬の後、二人は公園に続く林へと歩み入った。

 林の奥、人があまり寄り付かぬ場所で、不思議な光景が繰り返される。
常なる人の耳には聞き取れぬ音を紡ぐのは、ユーニス。時々舌を噛むのか、顔をしかめている。
その度に、老人の短い叱責が飛ぶ。視線で応えて何度も唱えなおし、ようやく滑らかに唱え終えると
老人は指の動きや視線、息継ぎのポイントを手短に教え、再度詠唱をさせる。
 唱えられているのは精霊語。老人は昔、野伏にして精霊使いでもあった。
毎朝この公園で鳩にエサをやる振りをしながら、鳩と戯れる風乙女や噴水の水乙女と穏やかに会話をする彼を、
ユーニスは鍛錬帰りに見かけていた。何度も顔をあわせるうちに彼女の挨拶に応えるようになり、
いつからか噴水に並んで腰掛け、たわいも無い話をする間柄になったのである。
 そのうち会話内容から彼の過去を知り、「気ままに亭」の主も認めるその実力を聞き及ぶに到って
師と仰ぐことに決めたのだった。

 しばらくして、ユーニスの声に唱和するかの如く周囲の木立が揺らめき始め、風が軽く舞い踊る。
彼女の頬に少し赤みがさすが、老人は続けるよう指示し、ユーニスもその声に再度集中を深める。
 時折、地表がうごめくように見える。投げかけられる視線の先で、風がくるくると木の葉を揺らす。
摩訶不思議なる有様は、吟遊詩人辺りならば「人ならぬものの饗宴」とでも評したかもしれない。
 延々と詠唱・復唱、反復、反復、反復。
一応形になったと看るや、すぐさま次の文言を手本として謳いあげ、丁寧に仕上げていく。
気の遠くなるような精緻で繊細な作業を、合間に水を軽く含む程度の休憩のみで続けること数刻。
 8の鐘がなる頃には彼我ともさすがに軽い疲労の色が見え始めた。

鐘の音が最後の響きを林に届けた後、老人が一つ手を叩く。ユーニスが向き直り、姿勢を整える。
「切り上げて、朝飯にする。帰るぞ」
背を向けて歩き出す老人に礼を述べ、安堵したように深呼吸をして後を追う。
二人が去った木立では、風の音色が笑ったように聞こえた。

 老人の家は、商業地区の外れ、チャ・ザ神殿に近い大通りから一本入った小路に有る「ジャックの店」。
老人とその妻が経営する、狩猟関係を主とした雑貨を扱う小さな店だ。
安くは無いが、元・冒険者の店主の鑑識眼は確かであり、使用感を第一に考えた品揃えで
そこそこ人気がある。港湾地域に近いため釣具の類も商っており、それらで何となく成り立っている。
 ユーニスは今、この店で力仕事や在庫整理、店番などをすることで、下宿代と精霊使い修行の講義代を
棒引きにしてもらっている。簡単に言えば、労働で三食・宿泊・講義がロハ、ということだ。
 一日目に講義を受けた後、勤労の代価とはいえその密度にユーニスが感謝し、謝礼を渡そうとしたものの、
老人は頑として受け取らず、「毎日働いてくれればよい」とだけ答えてその後は応じなかった。
 意気に感じた彼女は、ますます以って熱心に働くようになり、修行が始まってからと言うもの
「ジャックの店」は店先に埃一つ無いと近所でも評判になった。
 これが老人……ジャックの策略だと言うものも居ないではないが、彼女の嬉しそうな笑顔に、誰も口を挟めず
四方丸く収まってしまっている。好意なのか老獪なだけなのか、疑問が残らないでもないが。

「あらあら、お帰りなさい。朝ご飯の用意が出来ていますよ。さ、早く」
頑固爺を絵に描いた様なジャックとは対照的に、明るく朗らかな老女が、帰宅した二人を出迎える。
 食卓へと誘いながら、
「全く、お爺さんときたら、若い娘さんに朝から難しいことばかり言ってるんでしょ?もう、ごめんなさいねぇ。」
と、屈託なく微笑みかけた。
「いえ、私が無理を言って教えて頂いてる上に、こうして何から何までお世話になっているんですから。
こちらこそ申し訳ない気持ちです。」
ユーニスが恐縮して答えると「いやぁねぇ、若い子はもうちょっと大らかでいいのよ〜」と背中を叩いて
厨房へ消えた。背中をさすりながら、彼女も手伝いに続く。
「……あれで図々しかったら食人鬼のような顔して怒る癖に」
「何かおっしゃいまして!?あなた」
「何も言っとらん!……風乙女に好かれてるのか?あいつは」
 厨房に向けてぼそりと呟いた老人の一言に、時を置かず返される反応が朝の食卓を賑やかにした。

 朝食の後、掃除や開店準備を済ませると、ユーニスは裏庭の古い倉庫の整理を始めた。
 こればかりは商品も入っているため、独りで済ませるわけには行かない。夫婦が入れ替わり立ち代り
ユーニスの運び出した品の埃を払ったり、雑巾で拭ったりと手分けして片付ける。
 ここ数日かけてやっと全て片付く目途がたち、3人が安堵のため息をついたほど、
そこには様々な物が詰まっていた。
 ジャックが腰を痛めてからというもの、裏庭の倉庫は整理するものも無いままに荒れていたのだ。
 妻のエヴァが手の届く範囲で片付けるものの、小柄でか弱い女性のこととて、重い物や抱えて運ぶ物やらは
長い間動かせずに居た。ユーニスが来たのを渡りに船と、念願の大掃除に踏み切った次第だ。
 彼女がてきぱきと片付ける様子を見ながら、ブラウニーが居れば多少は楽だがと口にする夫に、
妻は、自分でやらないで人任せなど図々しい、と噛み付いている。
自分の非力を悟っている分、忸怩たる思いがあるのだろう。
 そんな二人を尻目に、木箱や壷を軽々と持ち上げ、庭に広げていくユーニスに、エヴァは思わず瞠目する。
「あらまぁ、本当に力持ちなのねぇ。感心したわ」
「嫌ですよぉ、照れるじゃないですか」
 女性に対してほめているとも思えないが、とりあえずユーニスには気分が良かったらしい。単純である。
調子よく倉庫二つ分の中身を日光の下に広げて不用品を整理し、一通り掃除を終えて合間に昼食を摂り、
二つある倉庫が一つ空になった頃には、陽が傾いて倉庫の長い影を庭に落としていた。
 
 宵闇の迫る刻限。師弟は夕食を終えて庭に居た。
「闇精霊はこの時間に認識するのが良い。光精霊を蹴散らすようにやってくるからな」
 無言で頷いて、意識を精霊に向ける。一週間かけて、一年以上前……母が亡くなる前の勘を
取り戻しつつある。
ユーニスは何とはなしに、精霊を使っていた母の姿を思い出していた。
 母がユーニスに精霊を使う方法を教えたのは、成人後、冒険に出てからだった。
生業を定めるまでは、教えない方が身の為だと思っていたようだ。
確かに一介の仕立て職人には、精霊使いの技など必要ない。むしろ邪魔になることもあろう。
 ユーニスの母は、もともと丈夫な性質ではなかった。他人に言い辛いような幼少時代を過ごし
栄養状態の良くないまま成長した。年を重ねるにつれ、その影響が体調に現れたのだろう。
年々床に伏す日が多くなっていった。
 母が冒険に出ないときは父や仲間と出掛けていたユーニスは、実際さほど集中して
精霊使いの修行をしたわけではない。冒険に出てから母が亡くなるまで、4年。
その間、流れた月日に相応しくないほどしか修練を積んでいないのだ。
 生来、言葉を覚えるのが苦手な彼女に、母は「聞き取り」「感知」を重点的に教えた。
それらが出来ないまま中途半端に指示を出せば、精霊を制御できず、最悪狂わせてしまう。
 娘が冒険者としては未熟なのを良く知る母は、狂った精霊と対峙させることを恐れたのだ。
故に、言葉は母がついているときのみ口に出すことを許し、通常は聞き取ることに専念させた。
 だからこそ、今、ジャックの言葉や指導がきちんと吸収できているのだった。

 闇精霊は、まだ応えてはくれない。しかし、その存在ははっきりと感知できるようになってきた。
この一週間の特訓の成果が明確な手応えとして味わえて、ユーニスは心密かに喜びをかみしめていた。
 集中を解いて、師に向き直る。ジャックも満足したように頷き返して、ふと、夜空を見上げる。
つられた様に見上げるユーニスに、穏やかな声で、彼は告げた。
「母御は、自身の身体のことを良く弁えていたのじゃろうな。お前さんが一人前の精霊使いになるまで
きっと見守り続けることが出来ないということを。」
 言葉につまり、振り向いた彼女に応えず、空を見上げたまま、老人は続ける。
秋の日は落ちるのが早い。すでに闇は深くなり、星が瞬き始めた。
「賢くて、優しく、お前さんを心底愛しているお人だったのじゃろう。
……だからこそ、自分亡き後に娘が誰に師事してもついて行けるように、基礎固めに終始した。
まさか師匠になるのがこんな爺だとは思わんかったろうが」
 笑いを含んだ台詞に笑って返すことも出来ず、ユーニスは頬を伝う液体の温かさと歪む視界に
戸惑いながら黙りこくる。
「約束じゃったな?二週間で見込みが無いときは、諦めると。」
「!」
息を呑んで強張る彼女に、老人はゆっくりと振り向きながら穏やかに微笑んで、
「合格じゃよ。二週間待つまでも無い。……これから、3ヶ月ほど、集中してやってみるか?
上手くいけば年明けには新米精霊使いの誕生じゃ。来年の母御の命日には、墓前で風乙女の舞を披露してやれるぞ。」
返答は、しばらく言葉にならなかった。


「よし、今日からはより実践的に水の浄化なんぞしてみようかの。
これが出来るか否かで生死を分けることもあろうからな」
「はい、師匠」
 今日は裏庭で水桶を前に修行している。詠唱の韻がやや滑らかになり、ぎこちなかった意思の疎通も
少しずつ肩の力の抜けたものになりつつある。
 同時に、師弟の仲も、どことなく和やかで楽しげなものに変化してきていた。
 ……スカートを履いて、女性であることを認識した方が生命の精霊を呼びやすい、とかどう考えても
嘘が混ざってそうな言動が目立ち始めたことからも、それは裏付けられるだろう。
 しかし、根が素直で人を疑うのを嫌がるユーニスのこと、つい従ってしまっていたりする。
と言うわけで、今日はスカートの裾を膝裏に織り込みながら、庭先でしゃがんでいる。

「精霊との付き合い方の初歩さえ判れば、魔法の使い方も判ってくる。
そうなったらあとは実力を蓄えて、少しずつ高位の精霊と交信しあうようにすれば良い。
どういう事が出来るかはあらかた教えたが、詳しいことは精霊が教えてくれるようになるだろう。」
 瞳を輝かせて聞き入る弟子を導きながら、師はここ数日言い出そうと思っていたことを、やっと口にする。
「ところで、の。お前さんさえ良ければ、あの空いた方の倉庫、下宿として使わんか?」
 突然の申し出に目を見張る弟子に、師は照れ臭そうに言う。
「今のところ、お前さんは居間の長椅子で寝起きだろう?いつまでもあれでは気が休まるまいて。
あの倉庫は5年前まで娘の部屋として使っていたものでな。あれが嫁いだから倉庫にしたのじゃが
もし、これからもオランに留まるつもりなら……格安で提供するがのう?」



  


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