完全犯罪の綻び
( 2002/11/11 )
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作者
あいん
登場キャラクター
草原妖精
静寂が統べる部屋に漲る緊張感は厳しいまでに完璧だった。
立て付けの悪い窓枠から初夏の風が忍び込んでくる度に燭台の灯火が微かに揺らめき、その灯りに照らし出された七人の顔もまた、不安な色に揺れていた。
『皆さんに残念な報告をしなければならなくなりました』
単身、その七人に対峙する少年──いや、草原妖精の男は、神妙な面持ちで嘆息混じりの胸中を吐露した。
穏やかな口調だが毅然たる風格を備えているのは彼の後天的な才能だ。生年よりの数々の苦労が彼の性格ばかりか声質までをも変化させ、否、変化を余儀なくさせたのだが、その話はまた別の機会にでも語る事にしよう。
此処は自由人の街道沿いにある旅篭、黄金靴亭。
今夜、この宿で発生した事件を究明すべく立ち上がったのが、唯一、アリバイが立証されている草原妖精であった。
一同は沈黙のままに彼の次の言葉を待った。
一同とは人当たりの良さそうな五十代の人間男性、その傍らで怯える十代と思わしき人間女性、気弱そうな三十代の人間男性、眦[まなじり]鋭い二十代の人間女性、妙に威風堂々とした二十代の人間男性、残る二人は妖精族でそれぞれ森と土の部族に属する男性である。
『綿密な調査の結果、やはり、犯人はこの中にいるようです。ボクとしても皆さんを疑いたくはなかったのですが……残念でなりません』
彼の遺憾の念は本心ではあったが、その眼光は鈍さを帯びる事はなく、七人の容疑者達の一挙手一投足、その反応の仔細までをも見逃しはしなかった。これもまた、彼の後天的な才能であり、修練による技術の賜物である。
『では、お手数ですが改めて皆さんのアリバイを…』
『ちょっと待ちなさいよ!』
草原妖精の言葉を遮ったのは二十代の女性の、その眦にも似た鋭鋒な声。
『アンタね、何様のつもりか知らないけどアタシは関係ないわよ、ただの宿泊客なの! 迷惑な言いがかりも大概にして欲しいわ!』
激昂のままに感情を噴出させる女を隣で宥めているのは彼女とは対照的なまでに温厚な印象を与える男。この二人は夫婦、それも典型的な婦唱夫随型らしく、常日頃から妻の我が侭に夫が振り回されているようである。
『ワシからも一言エェかいの? 今更、説明するまでもないが此処はワシの店じゃ。その主が自ら、店の評判を貶めるような行為をするとは考え難いのではないかな? それはワシの娘も一緒の事じゃて』
容疑者の中で最年長にあたる男は、傍らで怯える娘の肩を抱きしめ、穏やかな口調で諭旨した。
正論である。草原妖精は微かに顎を引いてその主張を認めたが、同時に反駁も怠りはしなかった。
『皆さんの不満は重々に承知していますが、犯行とは時に理[ことわり]を超越する動機によって生じるものでもあります。また、これは捜査に公平と公正を保つ為の形式であって冤罪を捏造する為の公開私刑ではありません。それに……心配は無用です。何故なら、ボクは既に犯人に目星をつけています』
最後の一言に一同は慄然たる動揺を露にした。
そしてそれは互いの疑心暗鬼を誘発させた。
父は娘に。娘は父を。夫は妻へ。妻を夫の。
それぞれが無実を信じながらも、万が一の可能性を払拭しきれないでいる。
各人の不安定な精神[こころ]の共鳴により、室内は緊張の過度[ピーク]に達さんとしてた。
草原妖精は漫然たる動作で顎を引き、瞼を伏せたままで喉を震わせた。
『ところで、犯人さん?』
『おう、何だ?…………………………し、しまったァァァァァ!!』
突然の事態に一同が呆然とする中、ただ一人、自分の発言に仰け反り悶絶する者がいた──威風堂々とした二十代の、よく見れば顎の割れているタレ目の男だ。
その様相は正に七転八倒と評するに相応しいの一語に尽きるものであったと云う。
『だ、騙された! これは俺様をハメる巧妙にして悪辣なる奸計だ! アレだ、つい、思わず、条件反射的に反応しちまっただけだぜ、大体、一体、全体、何の証拠があって俺様を犯人呼ばわりしやがるのさ! ゥォィ!』
最早、男が口を開き、一言一句を漏らす毎に周囲の不信感は疑念から確信に変貌している事に気がついていないのは本人だけであったろう──いや、誰もお前が犯人だなんて言ってないから。
かくして、黄金靴亭で発生したデザート盗難事件は、犯罪史上、類を見ないであろう自白によって結末を迎えたのである。
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