敬虔なる者たちの織り成した笑い話 ( 2002/11/14 )
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作者
登場キャラクター
カレン



「それでは、よろしくお願いしますね」
「はい……」
 カレンには、他に返事のしようがなかった。幸運と交流、そして商業を司る神であるチャ・ザに仕える彼は、そのチャ・ザの神殿から直々に与えられた仕事、いや、奉仕を断れるわけがない。しかも、日頃から積極的に奉仕に携わってると言い難い彼では尚更だ。例えそれが、どんなに気の進まない奉仕であっても。
 司祭の後ろ姿が廊下の角に消えたのを確かめてから、カレンは軽くため息をついた。
「苦手なんだよな、寄付集め」
 壁に掛かった額縁の中では、肖像画に描かれたチャ・ザが、彼の迷える信徒を暖かく見守っていた。

 神殿という組織は意外と物入りである。その機能のほとんどが神官や神官見習たちの奉仕によってまかなわれているとはいえ、彼らにも生活があるため給金が必要である。また、神の祝日に執り行う祭りの費用も、当然、神殿が負担することになる。また、旅の途中に立ち寄った一般の信徒に対して、寝床や食事を提供することもある。特にチャ・ザは、その性質を拡大解釈される。チャ・ザの司る”交流”は旅によって得られる。すなわち、チャ・ザは”旅”に加護を与える、と。
 その拡大解釈によって、旅路に就く者がチャ・ザの”にわか信者”となることも少なくない。しかし、”にわか”でもなんでも、信者として神殿を頼ってくる者と門前払いするわけにもいかず、結果、チャ・ザ神殿は他の神殿より多くの居候を抱え込むことになるのである。

 その分、かさむ費用はどうする?

 結局は寄付に頼ることになるのである。チャ・ザには商人階級の信者が多いために、その点では他の神殿より裕福であると思われがちだが、居候を含めた諸々の理由によってその経済事情はそれほど変わらないというのが実状である。それにもう一つ、商人といえども人間である。寄付は、誰でも渋るのだ。

「カレン……機嫌悪いのか?」
「そう見える?」
「…………」
「……出かけてくる」
「えーと……気を付けて」

 これだ。カレンは思った。感情一つ隠せない、こんな人間が出し渋る相手から寄付をせしめることなどできるわけがない。もっとも、ここで相手が十年来の相棒であるラスだったことが加味されていないのは、意図的だとするとずいぶんなインチキなのだが。

 実際に、寄付集めというものはそれほど困難ではない。寄付とは、神の加護に対する感謝を形で示すためのものであり、これからの加護を祈願するためのものでもある。商売に携わる者たちにすれば、チャ・ザの加護の有無はそのまま商売の成否に関わるため、寄付を求めれば二つ返事で差し出されるものである。
 否、厳密にはそこまで簡単でもない。商売人の頭の中では常に、元手からいかに儲けるか、そればかりが考えられているのである。そのため、いくら神の加護が喉から手が出るほど欲しいものであったとしても、寄付という元手を減らす行為は極力避けたいのである。彼らのこの板ばさみはとばっちりを生み、それを受けるのが寄付を求めて現れる神官たちとなる。
 どれだけ悩んだところで、結局最後には寄付を納めることになるのだが……。

「払いたくないなら払わなきゃいいんだよ」
 パンを齧る合間に、ぽつりとそう漏らす。昼食時の、混みあった酒場の片隅。正午の鐘が鳴るまでに、カレンは4件ほど家を訪問して寄付を求めた。いずれも商家であったが、程度の差こそあれ、寄付を払いたくない、払うにしても安く済ませたいという感情が言葉の端々に感じられた。結局、どの家からも相当額の寄付を受ける約束を取り付けてきたのだが、その交渉の最中に、何度この台詞を言ってやりたいと思ったことか。
「酷いこと言うな」
 耳ざとく聞きつけたリックが、向かいの席から呆れたような声を出す。
「酷い? どこが?」
「脅迫じゃねえか、それ」
 チャ・ザの加護が寄付と引き換えだとすると、払わなければいいというのは加護が与えられないということだ。
「払いたくないなら払わなきゃいい。その代わり、チャ・ザ様に見守ってもらえると思うなよ。……立派な脅迫だろ?」
「……オマエね、なにか誤解してるよ?」

「けど、その誤解が通ってるんだろうな……」
 次の訪問先へ向いながら、カレンは独りごちた。寄付の額なんかで神の加護に差が出たりするわけがない。だから「払いたくないなら」と言えるのだ。しかし、先刻のリックの言葉のように、信心の浅い人間だとそうは思わないらしい。そのせいで、より多くの加護を欲して「払いたくもない寄付を払う」はめになる。朝のうちに回った家々の主たちの、恨みがましい顔が浮かんできた。自分は彼らにとって脅迫者だったのかと思うと、ため息がこみ上げてくる。
「……分かってたけどね」
 指摘されるまでもなく最初から分かっていた。彼は結局、形式の上で用いる婉曲な言い回しを除いては「払わなければいい」なんて言葉は一度も口していない。情けない話ではあるが、それでも神殿には寄付が必要なのだ。誤解を利用したのである。
「だから苦手なんだ」
 チャ・ザを信仰する者としてこれほど嫌な話はない。はっきりとした事実として突きつけられる上に、その片棒を自分たちが担ぐのだ。チャ・ザへの信仰心とは捧げた銀貨の重さである、という風評の。
 ある一件の屋敷の前でカレンは立ち止まった。ここが午後の最初の訪問先である。そして、ここで彼は、その事実の最も醜悪な部分に出会うこととなった。

「ご苦労様です。今回は寄付額は……」
「……ありがとうございます」
 カレンは一瞬、言葉に詰まった。今回の相手は、寄付を渋るどころか自ら進んで額を提示してきた。しかも、カレンが驚いたのはそれだけではない。提示された額が予想より多いどころか、予想の遥か上だったのだ。
「本当に良いのですか? そんな大金を」
「商い事をしてはいますが、私も幸運神の神官位にあります。神殿が困っているのを見過ごすことなどできません。どうぞ、お役立てください」
 さすがにカレンは恐縮した。相手が同じ神官であると知らなかったからである。寄付集めの訪問先を教えてくれたあの若い女性神官は、その中に神官がいるとは一言も言わなかったはずだ。彼女の気の利かなさを、カレンは少しだけ恨めしく思った。
 実際は、その神官はカレンに伝え忘れていたのではない。伝える必要がないと判断したのである。そしてカレンも、すぐにその事に思い至ることになる。
 形式の上だけの話であるが、寄付を受けたとき、それに報いて神の加護を授けるための祝詞を唱える。しかし、この相手はそんなものは不要だとばかりにそれを遮った。彼には神の加護よりももっと大きな関心事があったのである。彼は一人の高司祭の名を挙げ、次の言伝をカレンに託した。
「これで私は、十分な額の寄付を納めたはずです」
 カレンは相手が何を言い出したのか分からなかった。しかし、それも続く言葉ですぐに理解することになる。そして、カレンの機嫌はその言葉に決定付けられた。

 夜。”古代王国への扉”亭には、夕食を摂るカレンとラスの姿があった。
「……なんだよ?」
「おまえさ、仕事、うまくいってるって言わなかったっけ?」
「言ったよ」
「だよなあ……」
「…………」
「…………」
「……だから、なんだよ」

 部屋に入るなりカレンはベッドに身を投げ出した。嫌な一日だった。チャ・ザへの信仰心は捧げる銀貨の量に比例する。ただの揶揄だと思っていたこの話を、現実として目の当たりにしてきたのだ。言い訳の立ちようもない。彼が寄付を集めるために訪問した家々は、チャ・ザを奉じていることになっている。その家々にしてあの有様なのだから。
 しかし、そんなことはまだどうでもよかった。信仰について深く考えない者はどの神の信徒にもいる。例えば、戦いを求めるばかりのマイリー信者や、ただ知識を蓄えていればいいと考えるラーダ信者。どちらもそれだけで信仰に通じるわけではないのだが、それに気付かないでいる者たちだ。それを考えれば今日の話も、金銭という形を取っているために他の神と比べると情けなく感じてしまうのだが、本質的にはそれらと何ら変わるところはない。それよりも、カレンの機嫌を降下させたのは午後の最初、そして今日の最後の訪問先になってしまったあの家だ。
 自分と同じチャ・ザの神官でもあるはずのあの男は言った。期待に満ちた目で、何のためらいもなくこう言ったのだ。
「私の司祭位はいつ賜られることになるのでしょうか」
 チャ・ザの神殿では地位までもが銀貨で買える。これこそ性質の悪い冗談だと思っていた代物だったのに、あの男はこれを当たり前の事のように言ってのけた。
 さすがに司祭の地位となると銀貨だけで叙されることがあるとは思えない。だが、現時点でもすでに、あの男は神官位にあるのだ。その地位がどのような経緯で得られたのか……考えたくもなかった。
「よぉし、分かった」
 カレンはついに決心する。幸運神が、こんなことをお望みになるはずがない。こんな思いをしてまで寄付を集める必要なんかないはずだ。だから言ってやるのだ。寄付は集まらなくなるかもしれない。そのせいで神殿から叱責を受けることになるかもしれない。だが、知ったことか。言ってやるのだ。神の加護は寄付によって得られるものではないと。神への信仰心は寄付の額によって量られるものではないと。
「払いたくなければ、払わなきゃいいんだ」

 そして翌日の昼下がり。昼食時で賑わう酒場に入ったリグベイルは、隅の席で黙々とパンをかじるカレンの姿を見つけて手を挙げる。
「よう、カレン。一人か?」
「よう。ラスのやつは一緒じゃないよ」
「だ、誰もおまえの相棒の話なんかしてないだろう!」
「そう? あいつなら、今日は家でクロシェと遊んでると思うけど」
「しつこいぞ!」
 今日もカレンの機嫌は悪かった。

 昨夜の決心の通りに行動したはずだった。寄付の額と信仰に何ら関わりのないことを、自分でもかつてないと思えるほど熱心に説いた。しかし、それでも相手は信仰心の代わりに寄付を差し出した。そもそもの間違いは、カレンが神殿から寄付を募りに来た張本人だということなのだ。
「何を言っても言い訳けか……」
 寄付を強要しているわけではない、という自己弁護にしか聞こえなかったのだろう。
「だったらもう、好きなだけ払えばいいんだ」
 諦めた。払う必要はないといくら説いても、寄付は彼ら自身が払いたがっている。そして、それが信仰心に代わるものだと信じている。払いたいやつには、払いたいだけ払わせてやればいい。神殿としても、寄付は貰えるに越したことはないのだから。
 だけど、意地もある。聞き入れられないにしても、信仰が寄付の金額に拠らないことは最後まで説くつもりだ。それが彼自身の信仰心に対して見せる、せめてもの誠意だった。

 その決意が肩透かしをくらったような気分になったのは、次の訪問先の門の前に立った時である。この屋敷に住む人物の名が、カレンの記憶の中にはあった。

ハリス・エドワーズ

 彼はチャ・ザの神殿内ではちょっとした有名人だった。寄付集めの訪問先に選ばれているのだから、やはり商売によって財を成しているはずなのだが……物凄くケチなのだ。かつて彼から寄付を受けることができた神官は、一人もいないともっぱらの評判である。カレンも最初、訪問先にこの名前を見つけて顔をしかめたものだ。
 ここなら、何もしなくたって寄付を受け取らずに済みそうだ。それはそれで複雑だが、信仰心の伴わない寄付を受けることになるよりはずっと気楽である。ある者はどうにかして寄付を取ろうと意気込み、ある者は寄付を受けられないことで自分が受けることになるであろう叱責に怯えながらくぐる門を、カレンは何の気負いもなくくぐっていく……

「それで……どうなった?」
 夜の帳が下りるほど賑わいを増す酒場。ラスとカレンが占拠するテーブルにやや豪勢といえる料理が並んでいるのは、仕事上がりのカレンへの慰労の含みがあるのだろう。
「貰えたよ、寄付。初めての快挙だって」
「すごいじゃん!」
 口笛を鳴らすラス。が、当のカレンの方は、少しも晴れた顔をしていない。
「……ええと、うまくいったんだよな?」
 困惑気味にラスは尋ねる。仕事は終わったとカレンは言った。しかも、今まで誰も寄付を取れなかった相手から寄付を取るという快挙を成したとも言った。しかし、カレンの表情を見ると、それらは聞き間違いだったのかと思いそうになる。
 少し間を空けて、ようやくカレンは口を開く。
「説教されたんだよ」
「説教? 誰に?」
「そのハリス老人にさ。オマエは何しに来たのかって」
「何しにって、そりゃ、寄付集め……あ!」
 気付くと共に堪えきれず笑い出す。その遠慮のなさに、カレンは深いため息を吐いた。文句は言えない。
 寄付を集めるために家々を訪問したはずの自分が、いろいろな要因があったとはいえ、いつの間にか「寄付を払わなくていい」と言って回っていたのだから。
 自分でも呆れる話。ラスの反応は至極当然なのだ。
「あの老人、俺と同じだったんだよ。寄付を払ったことがなかったのは、信仰心の代わりに寄付を差し出すのが嫌だったからなんだ」
 おそらく、これまでハリス老人の家を訪問した神官たちは、特に疑問もなく寄付と引き替えに加護をという決り文句を使っていたのだろう。しかし、敬虔なチャ・ザの信徒であるあの老人は、この信仰心と寄付の額を同一視する行為に疑問をもっていた。……まさしくカレンと同じように。
 結果、カレンが寄付を集めない神官なったように、ハリス老人は寄付を払わない信徒になってしまったのである。どちらも、神殿に寄付が必要なことを良く知っていながら。
「カレン、だけどさ……」
 ラスが、ふと浮かんだ疑問を口にする。
「おまえとそのじいさん、同じ間違いに陥ってたんだろう? なんでおまえだけ説教されたんだ?」
「それだ」
 カレンは飲みかけの杯を置いて、ため息混じりに答える。
「先に気付いた方が、勝ちだったんだよ」
 再び笑い始めるラスに、カレンはほおづえをついてそっぽを向いた。この事実にどちらが先に気付いたか、たったこれだけの差で今まで同じ道筋を辿っていたあの老人は、今ごろ上機嫌で杯でも傾けていることだろう。ようやく、満足できる形で寄付を納めることができた満足感も伴って。
 一方、満足できる形で寄付を受け取ることができたカレンはというと……。
「まだまだだな、俺は……」
 微かに、チャ・ザの楽しそうに笑う声が聞こえてきたような気がした。



  


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