たとえばこんな酒の上の話。 ( 2002/11/30 )
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作者
匿名
登場キャラクター
ありきたりの酒場の店主



とたん、目の前の客が目の色を変えた。

目線は私・・・ではなく、私が取り出し、卓上に置いたばかりのゴブレットに注がれている。
無理も無い。
明らかにこんな店には不相応な、とびぬけて上質な造りであることが一目瞭然といった代物なのだ。
金無垢造りであることは言わずもがな、精緻に施された彫りに、柄には宝石まであしらってある。
真青な、(――またしても、恐らくは・・・と注釈をつけてしまうのが哀しいが――)サファイアだ。
客が、口をパクパクとさせたが、私は努めて笑いを殺し、注文の通りぶどう酒を
流し込むとそのゴブレットを差し出した。


私の口は、生来か、商売柄か・・・いささか軽めに出来ていて、(と言っても御客の大事は
漏らしたりしませんよ――変わらずのご利用お願い致します)
そのゴブレットの不思議を問われるまでも無く語り出していた。
眼前の客は、手に取るのもためらわれるように指を差し出しては迷わせると言った仕草を繰り返して
いる。

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このゴブレットが私の店にやってきたのは、1年ぐらい前の事だったでしょうか。
一見してやんごとなきご身分であると思われる立派な男性から、決して少なくない額の銀貨と共に
差し出されたのです。

「このゴブレットを、この店で使って欲しい。
それから、決して同じ人間には使わないで欲しい。
このゴブレットを使えるのは、一人一回だけなのだ。
――それも、男だけ。」

もちろん、私は訳もわからず目を白黒させていましたが、立派な男性はそれ以上のことは何も
教えてくれませんでした。しかし、目の前に差し出された銀貨は大変魅力的でしたし、
それに、別段引き受けたってこちらが損になるような話ではありません。
いぶかしく無いといったら嘘にはなりますけれど、断るのももったいなかったのが事実です。

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店主がそこまで話したところで、ようやく意を決したのか男は怖々ゴブレットを持ち上げると
口をつけ――――目を見開いて手にあるそれを慌てて卓に戻した。
口元を抑え、なんとも奇妙な顔をしている。


「・・・今のは・・・なんだ?・・・・・・まるで・・・」


驚きの表情を浮かべたままの客に、私は笑ってゴブレットを下げる変わりに
新しくエールを満たした、今度は場相応の変哲も無い杯を差し出した。



オランの、有力な貴族の一人娘に噂の絶えない娘が居た。
豊かな金糸の髪に紺碧の瞳。
その娘は、一見するだけで並みの男なら虜にしてしまうと言われるほどの器量の持ち主で、
男性の影が尽きた事が無いといった女性だった。

「一人の男性に尽くすなんて、まっぴらだわ。
恋って、最初の口付けが最高の時なのよ。その後は、蛇足だわ」

彼女は、そういって憚らなかったという。

「一人でも多くの男と、口付けを交わすの。それが私の幸せなのよ」

彼女の、その願望は病的な程で・・・いや、言わば依存症とでも言うべきものだったのかもしれない。
男性・・・いや、恋愛依存か。

彼女の父親は、彼女を愛していたが、それと等しくもてあましてもいた。
年を追う毎に度を過ぎていく彼女の行動は、醜聞となって家名を汚すまでになってしまっていたのだ。
貴族は、苦悩の末に目の飛び出るような大枚を叩いて秘密裏の内に魔法の品を買い求めた。
なんでも、人間を望むがままの姿に変えてしまえるという品らしい。
もちろん<変身>のルーンのような単純な代物ではなく、失われてしまった、遠い魔法王国の時代ものだ。



今日の客は、なかなかいい男だった。

彼女は、今も案外幸せにやっているのかもしれない。



  


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