ひとくちの水 飲むたびに Act 1
( 2002/12/29 )
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作者
入潮丸
登場キャラクター
リヴァース
■■■ Act 1 -Introduction-■■■
地の精霊の営みが、頭にわんわんと響いてくる。
井戸の底。
人が10数人も、縦に重ねられるだろう、深い枯れ井戸だ。
近くに顕著な精霊力が働いていると感覚が影響されるので、火を使う照明道具などは持ってきていない。昼間は何とか届いていた太陽の光も、今は翳り、周囲は闇に包まれている。
ひやりとしていて、息苦しい。水の匂いはしない。あるべき水を失って久しく、岩が露出した周囲の壁は、硬く乾いている。
岸壁を指で擦る。指の先につく細かな砂の欠片。匂いを嗅ぐ。頬に擦りつけ、砂の粉の感触を確かめる。
周囲に働く精霊力。波紋を皮膚で受けとり、些細な違和感も感じ取ろうと試みる。
すでにここで、数百回となく繰り返した行為だ。
地の中の水を求めて、枯れ井戸の中にもぐりこんでいる。井戸が枯れてしまった原因を探るためだった。
押しつぶされそう不安と、体を支えてくれる安心感が混在する、大地の精霊の気配。次に強いのは闇の精霊の力。対し、風の精霊の力、火の精霊の力は、ほとんど感じない。
大地の精霊力と闇の精霊力は、なじみが良い。そういえば大地の妖精であるドワーフは、闇の中でも、陽の光の元とほとんど同様に動ける。ドワーフが、闇を見通せる能力を有することとは、何か関係があるのかもしれない。今はその視力がうらやましい。
目線より上にある、一つの岩の層に触れてみる。
いい岩盤だ、と思った。みっしりとした存在感がある。
その下側。底から、胸の高さのところには、硬いが脆い、叩けばすぐに割れそうな、黄土色の層があり、足元まで続いている。
こうやって地面の中に降り、地中を注意深く見てみると、大地は到底、一様ではないことに気がつく。
どっしりとした存在感の地の精霊の力。触手を伸ばすと、大地の精霊力はさまざまな感触を感じさせてくれる。
それを読み取るための、大地の精霊との対話。といっても、通常、精霊は、我々のいる物質界に存在しているわけではない。我々の居るこの物質界に紡がれた大地の精霊の力を、受動的に読み取っているに過ぎない。
岩にもいろいろとある。砂質でぽろぽろと崩れやすいもの。泥のようにねっとりとしているもの。宝石のようにしっかりと固結しているもの。一見固そうでも、衝撃を与えてみると簡単に壊れる脆いもの。ひび割れだらけのもの。泡のように空気が入っているもの。
岩の性質は土地により、山により、高さにより異なる。道沿いに軟らかく脆い岩があったりすると、大雨などで崩れる可能性があるから要注意である。堀り、切り出すのには容易でも、その分、維持が難しい。岩や土の性質に、人の生活は左右されてきた。
この島の岩は、基本的に、固く引き締まって、地の精霊力の強い、良い岩である。しかし、井戸を掘りぬくための岩としては、やっかいなものだ。鉄の掘削器具を跳ね返し、崩されるのを拒む。この井戸を掘るために、いったいどれだけの人手と労力、手間が費やされたのだろうか。
精霊界にいる大地の精霊たちは、必死でその力を読み取ろうとしているこちらの事など、気にも留めずに、その営みを繰り広げている。この世界に現れる彼らの力は、大地の様相と同じく、一様ではない。場所ごと、深さごとに、さまざまな強さを与え、文様を紡ぎ出してくれている。
ややこしいのが、精霊と精霊力の違いで、説明される際は、よく混同しがちである。誰かがむりやり止め置かない限り、物質界には精霊はいない。物質界にあるのは、精霊力である。精霊使いが虚空に向かってぶつぶつと何かを言っていることがあるが、これは、精霊力に対して、精霊使いが関連する精霊をイメージして、対話しているような気になっているに過ぎない。
そもそも、精霊の感覚は人間のそれとはかけ離れている。呼んで来た精霊がいるとして、会話するとしても、精神を感応させる、というほうが近い。
無理やり精霊力を擬人化してイメージしてみると、こんな感じだろうか。
「なぁ」
"なんじゃい、鬱陶しい。"
「この層がどうなっているのか、お前たちがどのように集い、営んだ結果なのかが知りたいのだが」
"一言で語れんわい。そうじゃな、ここは一枚一枚丹念に薄皮を押し広げ重ねていって作った。力の集まり具合の悪い合間を破るように水どもがめきめきと押し入っていってな、ワシラの肌がひび割れだらけになってしまった。"
「上のほうは大分違うようだが」
"上側は、隙間無くぎゅうぎゅうに固めた。細かくこまかく力を注いで、ごりごりさらさらと、すりつぶした泥でな。おかげで水の奴らは悪させんぞ。
こっちの下の部分は、火の連中が迷い込んでな、いったん粒が溶けてしまったが、わしらが押し固めて、カチカチにしたのじゃ。"
「ところで、水の連中がなぜ動いてこないかを知りたいのだが」
"知るか。水に聞けい"
…どうも、しっくりこない。大分、主観が入ってしまう。精霊の感覚は、人間の言葉で無理に表そうとすると、狂人のように比喩をまくし立てることになる。正確にイメージしようとすればするほど、実態とかけ離れてしまう。
この違和感を感じるようになって、久しい。
地中の水ときたら、もう、お手上げだ。地中に押しつぶされそうになりながら存在する水。たしかにあるということは感じられるのだが、なぜ動かないか、流れないかを読み取れるほどには、感覚は及ばない。水霊たちは、必死に探ろうとしているこちらをちらりと伺っては、闇のむこうで、ほくそえんでいる。
「リヴァース、夕飯にしないか」
頭上より、声が降り注いだ。
地面の中を旅していた意識が、現実に引き戻された。すでに日は傾き、井戸の中は闇だ。空腹だったのを思い出した。
下ろされた綱を伝い、時間をかけて、地上に上がると、照りつける夕日が眩しい。長く暗がりの中にいたので、頭がくらくらとする。
「何かわかったか?」
呼びに来てくれたのは、当座、厄介になっている宿の主人、スー親父だった。
「あまり進展は無い。もうすこしでなにか掴めそうな気がしているのだが」
村の向こうに見える岩山に沈もうとする太陽を仰ぎながら答える。
「昨日もそんな事を言っていたが。あまり根をつめないほうがいい…今日の夕飯は、鰊の赤煮だ。辛くてうまいぞ」
「この島に来て、魚でない料理と、辛くない味に出会った試しがないのだが」
「文句を言うな。罪人の分際で」
罪人。スー親父は軽く言ったのだろうが、その言葉がのしかかった。自分の犯した失態を思いやり、ため息をついた。
ここは、アザーンの群島の一つ、サバス島。
香り高き島、という麗しげな二つ名のみを聞いてきたら、幻滅することだろう。実態は、岩と砂に囲まれた、潤いの乏しい、乾いた島である。
砂漠の例に漏れず、ここでは水は非常な貴重品であった。人々に水を供給するための川はない。人々は地中深く井戸を掘り、節約をしながら水を使わねばならない。ここでは水は、ワインよりも高価なものだ。
であるのに、火事を起こして、この島の貴重な水を消費させてしまった。
原因は、自らの火の不始末だった。
この島では、薪ではなく、一般に木炭が用いられていた。薪は、採取された枝や木をそのまま用いるが、この島には薪になるような植物は非常に乏しい。木炭は、木を乾留して作る。乾留とは、空気を遮りながら燻らせる事で、これにより、木の持つ火の力を強め、燃料としての質を高めることができる。この島には木がほとんどないので、燃料はわざわざ、本島から運んでくる。その際に重量が少しでも小さいほうがいいので、木炭に加工されるのだ。
島の滞在中、宿の台所を借り、自炊をして少しでも飯代を浮かせようとした。木炭は、これまでにあまり用いた事がなかった。そして、火消しが充分ではなく、消したと思っていた木炭が燻り続け、夜の内に宿の台所に燃え広がってしまった。通常の薪よりも火の精霊力が強いので、火の持ちが良いことを失念していた。また、空気が乾いているので、火事が起こりやすい状態であったことが、災いした。
幸い、宿は全焼は免れ、台所が焼けただけですんだ。だが、火を消しとめるために、高価な水を、相当量、使う羽目になった。
消火作業の後、スー親父は「誰にでも起こり得たことだ、気にするな」と一言しただけだった。
その後、彼が、裏の部屋で「水が無ければ宿を続けていくことは難しい。先代から受け継いだものを放り出すのは申し訳ない事だが、宿を閉めて他の島に引っ越すしかないか…」と妻と相談していたのが漏れ聞こえてきた。
まだ、火事はお前の所為だとわめきたてられたほうがマシだった。さっさと焼けた台所と費やされた水の分を償い、謝罪して去って終われただろう。
しかし、だれも責める者はいなかった。無け無しの責任感と良心の呵責が、沸き起こらないはずはなかった。
「掘っていた南の井戸だが…やはりだめだったんだ」
火を消した後、井戸掘りに出かけていた島民の一人が、スー親父に告げた。一応水は出たが、それは数日だけのことで、取水を始めるとその後、すぐに枯れてしまったという。
鬱々とした重い空気が立ちこめた。
川の無い土地に人が住むのに、井戸は欠かせない。人の生活と井戸は、切っても切る事ができない関係にある。
この島では、乾いているのは地表だけではない。地下からも、水を得ることは難しい。硬い地盤を貫いて井戸を掘っても、大抵はすぐに枯れてしまう。
一度水が湧き出すということは、地下水は存在しているということだ。しかし継続して水が得られない。地下に水があるのに湧いてこない。それはいったい、どういうことだろうか。その原因は何だろうか。
水を乱費した償いにもならないかもしれないが、根本的なその問題を探らせてもらえないかと、申し出た。
古代王国時代の遺跡があるというから、古代の魔術師が、水が出ないように呪いでもかけたのではないか。呪いを掛けられたなら掛けられたで、なにが呪いの原因であるのか、それを解決する手段はなんであるのかを、探らねばならない。
魔法を掛けられているのではないか、ということは、誰もが考えることだった。すでに、地元の者が、冒険者に依頼して、呪いの有無を調べてもらった事があった。古代王国時代に太守の館が存在したというこの島には、遺跡目当ての冒険者がしばしばやってくるのだ。
魔術師が調べたところ、いかなる魔法の力も、地下に働いているとは感じられなかったということだった。
どうやら魔法が原因ではないらしかった。
であるとすると、純粋に、自然条件が問題であるということだ。
自然を読み解いた解答を、人の生活に寄与させることは、精霊使いの役目である、と思っている。
水の精霊に命じて、海水を真水に変えることはたやすい。しかしそれでは、一度利用したら終りになる。魔法は、その場凌ぎにすぎないし、精霊使いに接点のある者にしか水を利用できない。根本的な解決にはならない。
自然からの水の供給を求め、皆が等しく、継続して利用できる在り方を求めるほうが、よほどに大きな影響をもたらす事ができる。
人は、どんな過酷な条件の中でも、そこに住み付き、生活を営み、子々孫々に伝えていく。利便さに彩られた街を発達させる一方で、あたかも、自らの生存能力に挑戦していくように、自然のなかに棲家を定めている。
精霊使いの本来の役割は、自然に働く精霊の力を感じ、紐解くことだ。そして、それにより得た答えを、人々の、自然とのかかわりに支えられた生活に役立ていくことこそが重要ではないか。
魔法として精霊を使うのは、いわばそれに付随するものにすぎない。精霊に命令をするよりも、精霊を感じ、その作用を考えていくほうが、ずっと大切なのだ。
そのために、精霊使いとして、何ができるだろうか。それは世界における自分の役割を探索する上での、一つの命題でもあった。
そうして、地上と地下に働く大地と水の力を探るため、連日、荒れた野や枯れた井戸の底に赴いては、この島特有の大地と水との対話を行っているのだった。
宿への荒れた道の続く茜の空の下に、がーん、と、大地に孔を穿つ音が響く。
井戸掘りの音だ。ここではすでに、日常のものになっている。
もともと、ヒトは、川のほとりに住んだ。水を利用するためである。人が住めるところは、他の種族にも住み良いところである。生物が増えてきて、川の周辺の土地だけでは足りなくなると、ヒトは、川の無い土地にも住むようになった。
水の利用の為に、窪地に井戸が掘られた。井戸堀りの技術は重用され、時には、井戸掘り師の秘伝のものとされた。自然のわき水は非常に貴重であり、限られたものだった。
こうして、一つの井戸を中心に人々は集まった。その水が利用できる範囲に応じて、生活の舞台は、自ずから限定された。井戸が、街の興りの発端となることも多かった。
井戸と、人の生活の関わりの深さを思い知らされる。
そもそも井戸とは何か。なんとなく、地面を掘ると水が出てくるという認識はあった。思えば、地の力の強くなるはずの地面の下から、水が湧くというのは、妙なことだった。神は、南を炎で、東を風で、西を水で、北を氷で、そして下を地で閉ざしたのではなかったのか。深く考えるのは、これが初めてであった。
島民から見聞きした事を、整理してみる。
地下の水は、マーファの慈悲と呼ばれていた。他に、神々の戦の時に、大地の中に逃れた中立の女神が、戦を嘆いた涙だとか、竜を愛した罰として地の中に閉じ込められた川の神のせいだとか、地面のなかに迷い込んで帰れなくなった水の精霊が、精霊界へ戻る扉を探してうろうろとしているとか、地域により伝承としていろいろ言われているのは聞いたことがあるが、確たる説があるわけではないようだ。
地下の水は、池や水溜りのように、水のみが溜まっている状態であるわけではない。地下にある砂岩や泥岩などの岩石の、砂粒の間の細かな無数の空隙に、砂粒に分けられ挟まれて、いわば、岩石と混ざった状態で、存在しているようだ。岩にもいろいろとあり、水を通すものとそうでないものがある。地下水は、水を通す岩の中にのみある。
井戸を掘り抜く過程で濡れた岩石にあたると、皆、がぜん張り切る。
井戸を掘ることにより得られる水には、2種類ある。地表からの雨水や、川や湖の水が、地面の砂粒の間を伝って、地下の表面近くを移動しているものを、「自由な水」という。もう一つは、地下深く、水を通さない2つの地層に挟まれている、水を通す層に閉じ込められている水で、こちらを、「地下水」という。
雨が降らず川も湖もないサバス島で利用できるのは、この地下水のほうだけだ。自由な水は、雨や川などから供給を受けるが、地下水は、神が世界を作ったときに生まれたものであるとされているので、再びどこかから満たされることはないと考えられている。
地下水を目的にしたものが掘り抜き井戸というもので、通常、自由水よりも大分深く掘らねばならない。地面の下の水を含む地層が、水を含まない地層に蓋をされた形になっているとき、水を含む地層まで掘りぬくと、地の精霊が紡ぎ出す地の重みにより、水が噴出する。地の重みに押されているため、井戸により地面の中に通り穴を通してやると、水が地上まで出てくるのである。
井戸の掘削にも、地面の質や水の存在する深さに応じて、さまざまな方法がある。地面が軟らかく浅い個所に水の層がある場合は、人が自由に出入りできる程度の大型の穴を、人力により堀り進む。地面が固く、岩になっていたり、水の層が深い場合は大変である。鑿(のみ)や錐もみを、ハンマーで打ちこむなどの工夫が凝らされる。
掘り進むうちに、土ではなく、岩が出てきたら、一仕事である。岩は硬く、鉄の掘削機具も、簡単に跳ね返してしまう。数人がかりで1日中掘り続けても、子供の頭ほども進まない。しかし、硬い岩の下の層に水が待っていると信じて、くじけそうになる心を叱咤しながら、炎天下でも、掘り進むのである。
ここでは、弓樫という、アザーンに独特な、弓の形に曲がって生える樫の木を用いて、掘削が行われていた。これが弾力をもち、よく、撓(しな)る。何本も継いで長くしたものを、大きな木製の、水車のような形をした車輪に吊り下げて巻きつけ、先に鉄製の錐(きり)を付けて、地上に固定した弓樫の反動と弾力を利用して、数人がかりで錐を上下させて、衝撃の力で掘削する。地面が固いところでも、工夫により、かなりの深さまで掘ることが可能になる。数百年もの間、水を得るために知恵を振り絞り工夫を凝らしてきた人々ならではの技術だった。
井戸を掘るのに適した場所を探す方法として、地元の者は、乾燥させた椰子の実の殻を半円形にして、地面に伏せておく。次の日の朝、もっとも水滴がたくさんついている椰子の殻の下を掘るわけだ。椰子の殻の内側を濡らすところの地面が、最も水の精霊力が強くなっている部分で、すなわち、水の出る可能性の高い場所である、ということだ。
精霊を読まない人間達は、祖先から受け継いだ知恵により、自然を知っている。
井戸から湧く水にも特徴がある。軟らかくて口当たりがよく、名水と呼ばれる水であったり、大地の力が働き、ぎしぎしとした感触があって服を洗うとごわごわになってしまうような硬い水であったり、草木も育たないような塩分の高い水であったり。
火の力を受けて暖かくなった水は、温泉と呼ばれる。
そのようにして井戸を掘り、ようやく水を得ることができても、塩気や金気があったりして、とても飲めたものではなかったり、現在の問題のように、1日や2日で枯れてしまったりする。
人は、自らの生活を支えるものを自然から得るために、団結し、想像を絶する苦難と努力を費やし、失敗し、学びとっていく。井戸の水一つを取っても、そこには、とうとうと流れる歴史がある。
水は、深い。
人々の行いの流れに、一体、自分の何が寄与できるというのだろうか。
地上の人間を嘲笑うようにして、暗い地下に留まっている、人の手の届かない水。
彼らを陽の元にぴっぱりあげてやることは、果たして自分に可能なのだろうか。
夕日は、遠くに見える荒れた丘を、一様に染め上げていた。その赤さは、憎たらしいほどに、毎日、同じものであるように思えた。
…(続)
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