水温む (みず ぬるむ) ( 2003/01/07 )
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作者
琴美
登場キャラクター
ユーニス



< ゲスト >
   バウマー・ハルマン
   マックス・マクシミリアン
   ラストールド・カーソン
   ナヴァル
   (登場順、敬称略)

  ※ 各PL様に、敬意と感謝をこめて。    


   〜〜 水温む 〜〜

 何気ない会話、何気ない動作。何年も続いた習慣や個人の性癖。いつもどおりのそれらが、ほんの小さな重なり具合で別の何かを生み出すこともある。
 経糸が引きつれば模様が出来るように、横糸が撚れていれば細かな皺のよった布が織れる様に。小さな力加減、経糸と横糸の出会い。
 他人に指摘されてはじめて気付くこともある。他人とのふれあいで生まれるものもある。

 514年の暮れ、ユーニスの身に起きた事も、微小な重なりが生んだ日常のひとコマに過ぎなかった。
 彼女にとっては人生の転機ともいえる出来事であったのだが。
 

   《 始まりの日? 》

 冬至を過ぎて二日過ぎた12の月、24の日。オランを照らし始めた曙光のなかでユーニスは師匠から独り立ちを許された。とうとう精霊使いとしての第一歩を踏み出したのだ。
 「この朝日の光、死と再生を経たばかりの太陽のように新たな力を得たのだから、たとえ今は弱々しくとも、しっかりと着実に一歩を踏み出していけよ。」
 師のはなむけの言葉を胸に、朝日を見つめる彼女の胸には様々な思い出が去来した。父のこと、母のこと、エレミアに居る祖父のこと。
 次々に浮かびあがる大切な人々の顔ぶれの中に、今は師匠とその妻の顔もある。自分がどれほど恵まれて、幸せなのかを痛感した瞬間でもあった。

 その夜のことである。
 師匠の友人宅への届け物を終えたユーニスは、夜道をひとり「きままに亭」に向かっていた。今日は祝杯でもあげて来い、と師匠に言われ、どことなく足取りも軽い。
 と、そのとき。
 野伏としての勘が踏み出しかけた一歩を引かせた。そのまま体を半歩引いてひねる。案の定、踏み出しかけた場所で小石が空を切った。
 次の攻撃に備えて姿勢を整え、背負った剣の鯉口を切らんばかりの気迫で振り向いたユーニスの目に、噴水にもたれかかるようにしてくず折れる魔術師らしき姿が映る。見たところ、杖は見当たらない。
(魔法を打つ気力も無い、いや、もしかして助けて欲しくて呼び止めたのかな?)
 柄にかけた手を外し、慎重に歩を進める。苦しそうに身を捩りながら呻吟する様子に「これは後者だろうか」と少し警戒心を解いて声をかけた。

「大丈夫……じゃなさそうですね」
 黒尽くめの魔術師は、若い男に見えた。黒髪から覗く耳先は半妖精であることを示している。彼は全身で不機嫌を表しながらも反駁する自尊心は残っているらしい。
「ふん、なんだ笑いにでも来たのか?」
 そう答えてまた苦しそうに身を震わせる。殴打の跡から、どうやら袋叩きにあった様子であった。
(こういう応対する人なら、袋叩きも納得できるわね。きっと売られた喧嘩を買ったんだろうな)
 その想像を裏切らないきつい語彙。皮肉のスパイスを効かせ過ぎた口調。彼と会話すればするほど苦い不快感を覚えるものの、会話の端々に伺える奇妙な面白みにユーニスは少し興味を覚え始めていた。
(何かこの人面白い〜とか言ったら、怒られるかな。怒られるだろうな。)
 痛みの所為なのか、本人の性格なのか、耳が悪いのか、会話が上手く成り立たない。
 お節介とは思いつつも宿まで送る事になり、女の手は借りないと助けを突っぱねる彼を見守りながらの道中、ほんのわずかな時間のはずなのに会話に齟齬を生じつづけ、「様付けで呼べ」だの「腕前を確認したらさん付けを許す」だの無自覚に高圧的な彼に付き合ううちに、気付けば珍道中を繰り広げていた。

 きままに亭に送り届けた帰途、調子の狂った体を修正するかのように伸びをしたユーニスはある事に気付いた。
 「掲示板に気付かなかったのか?」とか
 「実力を見せろ」とか
 「契約成立だ」とか。
 
 「それって、私が仲間に立候補したと勘違いしてるって事!?」
 伸びをしたままユーニスはその場で硬直したのだった。


 《 『女』であること 》

 翌日のティータイム。
 年の瀬を控えて忙しい店の手伝いと清掃を引き受けたユーニスは、昨夜の件を師匠に相談してみた。
 すると「自分で決めろ、誤解なら早く解け」とシンプルな返事。それはそうだと思い直してクッキーをかじっていると、
 「あー、お前、好きな奴はおるのか?」
 不意に師匠が尋ねてきた。決まり悪そうに泳ぐ視線の行き先はよくわからない。
 口に運びかけたクッキーを取り落としそうになって慌てるユーニスに、師匠は独り頷くと今度は正面から彼女の瞳を見据えた。
 「いや、な。今後もここに下宿すると決めたじゃろ? 好いた男が居るなら連れてくることもあろうかと思ってな。その、泊ったりなんぞもするかもしれんし。
 だがしかし、我が家の庭を知らん男が歩いておったらわしゃ戦乙女の槍を浴びせかねんから、さっきの男……バウマーとか言ったか、そいつの件も含めてうちに誰か出入りするようならば、一言言っておいて欲しいのじゃ。……ユーニス?」
 「氷の柩」でも掛けられたかのように、彼女は固まっていた。

(男の人が泊りに来る? 宿代浮かす為に強襲されるとかそんなんじゃなくて、ええとバウマーさんの事は解決すらしていないから埒外として、「好きな男の人」が? それってつまり、その、そういう事?)
 熱い血液が、下水道を流れる水音のような轟きとともに顔に昇るのが判った。顔に血の巡る音を聞くのは初めてかもしれないなどと的外れな感想を抱きながら、思考が停止する。
 「ユーニス? おい、ユーニス」
 師のわずかに慌てたような声でようやく我に帰った彼女は、
「し、師匠、そんなことあるわけ無いじゃないですかっ、もうヘンな事言わないでください!」
それだけ言うのがやっとであった。
 よろけながら席を立とうとする彼女を、苦味を含んだ優しい表情で師は制する。ゆっくりと席に座らせ、茶を注いでやりながら、居住まいを正す。
 長い間打ち明ける機会を待っていた、そんな決心に満ちた表情でユーニスの目を見つめる。
 指先で小さくテーブルを叩きながら、隣に座って場を見守っていた妻に、
「足りないところはお前が言ってやってくれ」と一言添えてから切り出した。
 「お前は、自分が女だという事を、表面的に、もしくは理詰めでしかしらない。それは冒険者等という稼業をするに当たって、まして剣を扱うものにとってありがちな傾向ではあるが、『精霊使い』としては時に致命的な欠陥だ。」
 瞠目するユーニスに、茶を一口すすってから続ける。
 「お前は精霊を友とし、親しみ、抱くようにして引き寄せる。それは彼らとの交流をおろそかにせず、声を聞くことを第一とした母御の教えに沿ったものでもあり、好ましいことだ。しかし精霊を道具として扱うものにはない障害が立ちはだかる可能性もある。
 それは、自分が受け入れる体勢を整えていない相手との交流が難しいということだ。
 この三ヶ月の間で、お前は感情の精霊や火の精霊とも交流を行うことが出来た。自分の中にあるそれらを容認し、見据えることが出来たからだというのは判るな。しかし、既に闇や光と交流をはじめているお前が一番遠い精霊が、なんだか知っているか?」
 首をかしげる弟子に、老いた師は言いにくそうに眉根を寄せながら告げる。
 「『生命の精霊』なのだよ。女性の声にしか応えぬあの者達が、女性であるお前に遠い。それが如何なる事か、如何に均衡の崩れたことなのか理解できるか? 
 ……そうだ、お前は内なる『女』に目を向けることを恐れているのだ。」

 師に返す言葉もなく、彼女は呆然と椅子に座っている。そんな弟子を、不憫にすら思いながら師は畳み掛けるように告げていく。
 「お前は、精霊を愛おしく思い、親しく手を伸ばす。力に見合っている限り、『扉』越しに差し伸べられたお前の手を拒む精霊などそうは居るまい。
 水が全てのものを裡(うち)に抱きいれて力を得、ものを運び、路を開くように、お前は精霊そのものを抱き寄せるようにして呼び寄せる。そして呼ばれた精霊は、お前に物質界のよすがを見出して力を振るうのだ。
 その姿はまさしく女性の心性を表しているというのに、お前は本当に自身を知らないのだな。」

 「私は、どうすれば」
 紡ぐ言葉の全てがむなしいような気がして、答えなど自分の中にしかないと知りながらそのとき口をついて出たのは、その一言だけだった。
 自ら答を導き出させるのを常とする師が、これほど饒舌に自分について語る意味を、その重さを、ユーニスは痛感していた。
 つまりそれは、精霊使いとして歩みだしても、このままではいずれ躓いてしまうという事。そして、場合によっては精霊を狂わせてしまいかねない危険をはらんでいるという事。独り立ちする今、話しておかねば成らぬという師匠の配慮なのだと理解は出来た。
 「でも、でもどうすれば?」それが、正直な感慨だった。
 「感じよ、考えるよりもその方が良いかもしれん。丁度新年まで仕事の少ない時期だ。ここでゆっくり自分について思いを巡らせるのもお前にとっては大切な仕事だと、わしは思う。
 まずは、お前が『女』であることを恐れ、避ける理由を思い出し、向き合って見なさい。」
 

   《 恋と愛と、生業と 》

 ユーニスの自分との格闘が始まった。
 それは、未整理の感情や苦い思い出を放りこんで居た開かずの間を整理する作業。苦痛と羞恥、照れと呆れ、懐古といった、まるでガラクタまみれの先が見えない場所を片付けてその跡地に新たな何かを築こうとする迂遠な作業に思えた。

 夕食の支度をする師の妻を手伝いながら、ユーニスの脳裡には先程のやり取りが消えずに居た。師の言葉に頭を抱えたままのユーニスに、穏やかな笑い皺を目元に刻む老女は、そっと言葉を掛ける。
 「貴方はほんとうに色恋沙汰にも疎いから、その理由も関わりがあるのかもしれないわね。今まで好きになった人に手痛い仕打ちを受けたとか、そういう事がもしあるのなら、まず『女』の自分を好きになる努力が必要かもしれないわね。」
 黙々とジャガイモをむいていた彼女は、不意を突かれたような顔をした。
 一瞬包丁を繰る手を止めて何事か考え込むと、ほんの少し光明の差した笑顔で師の妻エヴァに感謝の意を告げた。老女は、にこりと微笑んで下ゆでした野菜をザルにあけた。

 夕食を片付け、自室に引きあげたユーニスは、先程のエヴァの言葉を思い出していた。
 「好きになった人からの手痛い仕打ち」その語は普通、愛欲や裏切りや、男女の泥土にまみれた戦いを想起させるものだが、彼女の場合はやはり違う。
 思い出していたのは、片思いに終わった初恋の苦い思い出。

 ユーニスの祖父には数人の弟子が居た。彼女も成人するまではそのうちの一人であり、彼らとともに孫ではなく弟子として仕立ての技を学んでいた。
 『彼』は弟子のうちの一人で、街で人に育てられた半妖精だった。茶色の髪の気の強い孤児。名をクロード、といった。
 ある日祖父の懐の財布を狙って敢え無く捕まってしまったものの、被害者のはずの祖父に説き伏せられて弟子になった経緯を持つ。
 「森の妖精族は自分の持つ時間に甘えて物覚えが悪いと思う。こんな俺の偏見を覆せるなら覆してみろ」と、祖父はクロード少年の耳を引っ張りながら挑発した。
 彼は負けず嫌いの気性と持ち前の器用さで着実に腕を上げ、周囲の雑音を黙らせるほどに成長し、いつしか仕立て屋リックスの片腕とまで言われるようになっていった。
 彼女が弟子入りしたのは10歳、彼が30歳。彼に恋したときは14歳、彼が34歳。
 彼は他の弟子と違い、一人前に成っても独立をせずに祖父を助け、助手として残る事を選んだ。独立をするよりも師のそばで全ての技術を継承したい、人間よりも長い生を活用して、彼の技術を後世に伝えたい。そう願ったのだ。だからこそ、ユーニスは彼に出会えたのだった。
 祖父の一番弟子として、自分の兄弟子として尊敬し慕う思いが恋慕の情に変わったのは、剣と仕立てに明け暮れる狭い生活をする少女にとっては無理からぬことであった。
 ある日彼女は、偶然彼と他の弟子の会話を立ち聞きした。理想の女性像という、他愛も無い男同士の会話。関心のあることなので、悪いとは思いながらもつい立ち止まり聞き耳を立てると、彼は笑いながらこう言った。
 「ほっそりしていて愛らしい女性らしい娘。気立てが良くて料理上手ならいう事なし」
 仕立て修行の合間に剣の稽古を欠かさなかったユーニスがこの条件を(気立て以外は)満たす訳が無かった。それを誰よりも知っていたのは、彼女自身だった。
 
 好きな人の為に可愛くなれるだろうか?……素手で人喰鬼を倒すくらい難しそうだが、一応可。
 好きな人の為に料理を修業できるだろうか?……非常に困難だが努力はしてみよう、可。
 好きな人の為にほっそりとした女性らしい姿になれるだろうか……
    それは幼い日から鍛えあげた筋肉を捨て、剣を捨てられるかということ?…………否。

 ユーニスの初恋は、儚く散った。否、自らそれを選択した。

 成人したとき、きっぱりと”剣”を選べたのはこの出来事があって覚悟が固まっていたからなのかもしれない。 

 ここまで思い返して、ユーニスも流石に苦笑する。
 (そうか、私は剣のせいで恋を捨てた、ってどこかで思ってたのかもしれない。そして、恋をするなら剣を捨てなきゃって思い込みがあったのかも。それじゃあ恋なんて、したいとも思わないわよね。自分の選んだ道を否定する事になるんだもの。
 でも、それだけじゃない。私が恋をしたくない理由は……)
 
 父と母、二人は昨年相次いで亡くなった。
 母が亡くなって半年後、父も流行り病で亡くなった。まるで妻の足跡を急いで追うように。いつも仲の良いふたりだった。相手を求め互いに受容する想いが、傍から見てもあふれ出ていた。その姿はまさに「半身」同士。片身を失っては生きてゆけぬ者が、手を繋いで歩いていたのだ。
 あれこそが恋、そして愛の姿なのだと、ユーニスは幼い頃から思い続けていた。文字通り命を共有し、心身を分かち合い、存在の全てを相手に委ね得る関係。
「あんな夫婦を見ちゃったら、しかも両親だったら、恋なんて簡単には出来ないわよ、怖くて。」
 小さくもらした言い訳めいた呟きは、部屋のカーテンを軽く揺らして空に消え去った。


   《 実験と考察、結論 》

 問題の根本的解決を見ないまま、歳が暮れようとしていた。
 大晦日には過ぎ越しの祭りがある。師匠夫妻と出かける約束になっているので楽しみではあるが、のしかかる気の重さは拭いきれなかった。
 とにもかくにも、バウマーに説明をして、誤解ならそれを解かねばならない。心を決めて、ユーニスはきままに亭へ向かった。

 マスターに相談していると、金髪の半妖精が奥から出てきた。ラスである。
 彼は先日バウマーに関わっていたので、その印象と顛末を教えてくれた。
 隣に座った彼が「花街の王子様」と呼ばれている事を、ユーニスは最近知ったばかりだったので何となく気恥ずかしいような不思議な感覚にとらわれながら、聞いていた。
 「アタマは悪いが、人は悪くない奴」
 「要領の悪いお人好し」

 そんな結論を聞いてバウマーと組む方向に、少し心を動かされたのは否めない。
 「口が悪くて性格捻じ曲がってる人かな?」から「お茶目さん?」へと印象が激変したのだから
人間とは面白いものだ。いや、いい加減なもの、というべきだろうか。
 マスターも、「口や態度のでかさ程度には実力も経験もありそうな奴」と彼を評した。彼の人物評価に信頼を置いているユーニスは、その一言でかなり気鬱を晴らすことができたようで、改めて冷静に話し合いをする心構えが出来たようだった。
 
 思えば、ここでラスの情報に感謝して酒の一杯でもご馳走し、そそくさと帰ればよかったのだ。しかし、先輩精霊使いであり、実力には定評のある彼の話を求めてしまった。
 彼はまだユーニスには読みきれない人物ではあるが、精霊使いの戦い方、心構え、そういった実践的な知識を求めるには最適だと思ったのだ。

 マスターを交えて話しているうちに、事件は起きた。
 ラスが人参を残すのを見て「食べないと大きくなれませんよ」などと余計なことをいったばかりに、人参を刺したフォークを「はい、あーん」と丁寧に差し出されてしまった。
 いつもからかわれてばかりで密かに悔しい思いをしていたユーニスは、そっとフォークを彼の指から抜き取り、にっこり微笑んで「はい、あーん」と切り返したのだ。
 これだけでも、彼女にとっては一つの冒険だった。女性として、という点にユーニスなりに少しこだわってみたくなったのだ。
 自分が女っぽいリアクションをしたなら、彼はどういう反応を示すのだろう。もしかしたら驚くだろうか? そう、好奇心を含んだ実験、そんなつもりで居たのに。だからこそ、そういう事に過敏な反応を示すというのに。
 相手の「ではいただきます」の台詞に半ば勝利に似た喜びを覚えたのもつかの間、手の甲に触れる柔らかで暖かな感触。
 ラスの唇が手の甲に触れていた。

 「うきゃあっ!!」

 その後、何を話したか、今はあまり定かではない。ただそのときは必死に冷静を装い、受け答えも矛盾の無いように努めたのは覚えている。効果があったかは微妙なところだが。
 やっと落ち着いてきたとき、草原の香りのする男性客がユーニスを見つめて言った。
「なんだ、そなたは『花』でなかったのか。蘭と藍の織物を纏えば、天の祭りの踊り子にもなろう器量であろうに 」
 
 ユーニスは完全に、混乱してしまった。
(私は『女』に見えるんだ、たとえただの性欲処理相手にしか見えないにしても、私を女性として扱う程度には、女の姿かたち、に見えるんだ……)

 下宿に帰り着いて、ベッドに身を投げ出す。体が熱っぽくだるい。頭が割れるように痛い。飲みすぎだろうかと口にしたものを思い出せば、ブランデーと緑茶。さして飲みすぎという事でもない。
 そんな事は、今はどうでも良かった。ただひたすら、倦怠感に似た体の重さを取り除きたかった。大雑把に装備を解いて、夜着に着替えて毛布にもぐりこむと、頭を抱えるようにして、目を閉じた。

 目を閉じて思い出されるのは、手をかすめた暖かな感触。そっと触れた指先。ラスの微笑み。
 「〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」
 恥ずかしさに跳ね起きて顔を撫でる。すると頭痛が波のように襲い掛かり、彼女を枕に押し戻した。枕に顔をうずめながら、手の甲に残った感触を思い出す。ふと思いついて、手の甲を自分の唇に触れさせてみるが、なにかが違った。
 自分の行為に闇の中で耳まで赤くなりながら、はた、と気付いたことがある。
 「なんか、あの時は気持ちよかった……かな」
 柔らかくて優しくて、伝わってくる笑みを含んだ想い。害する為の行為ではなく、どこまでも相手をからかうための楽しげな行為。傷つける意図など感じられない軽い遊び。
 そんな一瞬のふれあいの中に自分は心地よさと恥ずかしさ、そして好ましい刺激を感じていた。
 「うわ、どうしよう、どうしていいかわからない」
 感じ取ったものを再生して分析することがこれほど照れ臭いものだとは、ユーニスは今の今まで知らなかった。
 「……寝よ。寝よ寝よっ。」
 その夜、本人の意思に反して、安らかな眠りはなかなか訪れてはくれなかった。


   《 知恵熱 》

 翌朝、師匠夫人、エヴァは忙しかった。ユーニスが熱を出してしまったのだ。
 「本当に大丈夫? 何か食べられる? 薬をロックフィールド先生が出してくださったから、毎食後きちんと飲むのよ」
 そう、お粗末なくらい判りやすいが、ユーニスはどうやら知恵熱を出してしまったようだ。その上、一晩うなされた結果のようだが、風邪も引いてしまったらしい。
 エヴァの心遣いに感謝しつつ、自分で出来るからと看護を断り、一人になった自室で気恥ずかしさにまた顔を染めるが、今日は熱のせいもあってもとから顔が赤い為、あまり目立たないのが幸いであった。
 熱というのは、人を無理やり濃い眠りに引きずり込むことがある。そして、その合間にとんでもない悪夢を見せることが往々にしてある。
 ユーニスも、その例にもれず、様々な悪夢を見る事になってしまった。

 
 まず感じたのは、すえた匂い。生理的な嫌悪感、直感的に危険を知らせる本能の声。そして、汚いカーテンを通して聞こえてくるかすれた呻き声。
 カーテンの向こうに先に踏み込んだ父と戦神の神官が、苦渋に満ちた声音で仲間を呼び寄せる。誘拐事件の犯人達は全て捕らえた。この向こうにいるのはさらわれた4人の娘達のはずだった。
 向こうの状態に、全く予想がつかないわけではない。仕事柄そういう話と無縁ではいられないから。とはいえ、仲間が自分を気遣う気配を感じても、実際には虚勢を張ることくらいしか出来ない。
 戸惑いを隠せないまま、仲間の後ろに続く形でそのカーテンをくぐる。視界を遮るものがなくなったユーニスの目に映し出されたものは、

 体中の打撲の跡、食い込んだ縄で出来た擦過傷、白い腿に流れる血。汚れた肌。
 部屋の隅に放られた、動かない体。漂う異臭。
 人間の尊厳を嘲笑うかのような、残酷な仕打ち。

 吐きそうだった。悲鳴をあげなかったのは、我ながら褒めてやりたいと後で思った。
 父親がユーニスを庇うように視線を遮り、部屋の外に出そうとすると、母が静かに制止した。
 「男どもはあっちの部屋を片付けて、手当ての後に彼女達が休めるようにして頂戴。他の連中は奴らを衛視に引き渡しに出たんでしょ? 念のため警備もお願い。処置は私とユーニスがするから。」
 ユーニスの肩が雷に打たれたように大きく震える。母は仲間の抗議を含んだ視線に、沈痛な表情で応える。
 「女の私たちが清めてやらなきゃ。これ以上この娘たちに男の手を触れさせるのは酷だわ。……ああ、でもディクスン、貴方は残って癒してあげて。それ以外の事はしなくていいわ」
 名を呼ばれた戦神の神官、ディクスンは重く頷くと、最も容態の悪そうな女性の許に向かった。 仕方なく部屋を出て行く父と魔術師ルーセント、残ったのは自分と癒し手二人。
 二人が手分けして癒しを行うあいだ、ユーニスが命じられたのは水汲みと布の調達。手近な器に水を汲んで水場と部屋を往復しながら、こらえきれず涙が出た。声を殺して涙を流す。震えが体中を走る。歩みが止まる。器が手からこぼれて、通路が水浸しになった。
 足元に転がった器の金属音で我に帰り、かがんで拾おうとすると、視界に入る自分の指、胸、足。
 
 歯を食いしばって体の奥底から沸き上がる怒りと怯えに抗うことしか、彼女には出来なかった。

 数刻後、衛視達の応援も得、息のあるものは雛鳥のように大切に護られて、事切れたものは丁重に毛布に包まれてその場を後にした。
 慟哭の衝動を必死にこらえながらユーニスは娘達に付き添い、あるべき場所へ送り届けたのだった。


 肩に置かれるやさしい感触で、ユーニスは目覚めた。視界が歪む。理由がわからず目をこすると、手の甲に触れる熱い液体。
(ああ、泣いてたんだ…………夢、あのときの、夢を見てたんだ、私。)
 「ユーニス、酷くうなされていたけれど、大丈夫? お水を飲む?」
 エヴァが心配そうに覗き込んでいた。
 水を受け取って喉を潤し、エヴァに感謝を告げて、床に戻る。喉を滑り落ちていった水が、熱で乾いた体を文字通り潤すのを感じながら、脳裡にこびりつく夢の残滓の痛みを振り払って、考える。
 (あのとき、わたしは何を思って泣いたの? 同情、憐憫、義憤、殺意、たくさんの想いが心の中で渦を巻いていた。でも、一番強かったのは何?
 恐怖、それとも怯え? ううん、違う。安堵、だ。自分でなくて良かった、という。
 汚いっ、汚いよ私。自分が仕事柄そういう事に巻き込まれる可能性があるってことを知っていて、それでも自分ではなく目の前のひとたちだったことに安堵したんだ、きっと。
 自分が、女の体を持ってるって事、あんなにはっきり痛感したのに、怖いことを考えるのが嫌で、安堵した自分が嫌で、考えるのを止めたんだわ、あの時。
 自分の闇なんて、もう見据えた気になってた、だけど。)

 まずは、自分が『女』であると直視できない理由を見出さねばならない。
 感じよ、考えるよりも。
 
 師匠の言葉が突き刺さる。
 知識よりも感受性。ユーニスの選んだ精霊との関係は、そういうものだった。それならば、生命の精霊を感じ、受け容れる基盤を築くのも、こころの有り様次第。
 剣を振るい、地を駆け、野を巡り糧を得、自ら護る力を持たないものを護る。それが今までの自分の仕事。でも、今までの自分に見えたものだけでは、きっと答は見えない。
 自分が見なかったもの、見ようとしなかったもの。
 育み、抱き、癒し、温め、送り出す。そんな想いを自分の中に認めて、自分の中に取り入れて、そういう生き方が『女』の自分にもありうることなのだと肯定出来る日がきたら、生命の精霊は自分に応えてくれるのだろうか。

 だとしたら、自らを『女』と認める事に伴う恐怖、女の弱さとして切り捨てていた自分の一部を取り戻し、克服せねばなるまい。

 恐れを認めよ、怯えを許せ。あるものはあるがままに、見えざるものもそこにある。

 受け入れる強さこそが、女の力であるとしたら、なんと女とは強い生き物なのか。それはもしかしたら、どんな剣よりも魔法よりも、人を強くする力なのかもしれない。まるで、未知の領域に眠る宝物のようだ。
(『女』の自分が欲しい。剣士でも野伏でも精霊使いでもない、私自身の存在の力になるなら。何より、何より自分の弱さに負けたくない。逃げていた事に気付いてしまったらもう逃げられない。
 これは逃げていい戦いじゃない。私は、自分の中の何かに怯える人生なんて送りたくない。もっと強くなりたい。)

 初めて、ユーニスはそんな風に思うことが出来た。

 「はー、なんだか頭の中が熱い……」
 知恵熱は、しばらくの間、収まりそうに無かった。


   《 死と再生のとき 》

 大晦日、チャ・ザ神殿の境内に、初めての過ぎ越しの祭りに心躍らせながら歩く娘の姿が会った。師匠夫妻の歩みにあわせてゆったりと歩く姿は、心なしか面やつれしていたが、好奇心に溢れた瞳の色は常のものと変わらぬ翠であった。

 「あまり無理をするなよ、病み上がりなのだからな。」
 苦笑交じりで師がたしなめると、意外に元気の良い返事が返る。今日のユーニスは師が薦めたスカート姿。珍しい事に丸腰である。
 「やっと最近、あいつもスカートが似合うようになった。いいことだ。」
 「最初はあなたがスケベ心を出したのかと仰天しましたよ。でも、ほんとうに、いいことをなさいましたね」
 妻の微妙に棘のある台詞を聞き流しつつ、夫は弟子の後姿を見守っている。
 「知る事は財産だ。だが、知識だけでは生きてゆけない。会得せねば意味など無い。身をもって知る事は習得方法として最もたやすいが、いつも体当たりをしていては命がいくつあっても足りない事になる。
 だが、ユーニスにはそれが一番楽なようだ。……あれには、辛い道を歩かないで欲しいと思う。わしは甘いんだろうか。」
 「甘いのは先刻承知ですよ。」
 エヴァが笑い皺を目元に刻む。
 「でも、願うのは自由なんじゃありませんか?まして今日は、過ぎ越しの祭り。人が一年の幸運に感謝して、新たな年の幸運を願う日ですもの。当然のことでしょう。」
 「そうか、そうだな」
 老妻の言葉に、微笑で返そうとしたとき
 「ですから、貴方が女性についてえらく饒舌に語った事については咎めないでおきますわね。」
夫が妻から会心の一撃をくらい、思わず冷や汗にまみれたのは言うまでもない。

 師匠夫妻の心境を知ってか知らずか、ユーニスは幸せそうに微笑みながら振り返った。
 「師匠! 奉納された酒樽で振舞い酒をやっていますよ。」


 ユーニスと精霊とのかかわりが、今後どのように変わっていくのかは今は誰も知らない。確かなのは、彼女が女性としての自分を認め、理解する方向に、一歩進んだこと。
 まだまだ時間はかかるだろうし、精霊を使役する腕も未熟ではあるが、いずれ生命の精霊に逢える日を願ってやまない新米『女性精霊使い』が、いま、最初の一歩を踏み出した。

 「おい、病み上がりなのにあまり飲むなよ!」
 「はーい、ほどほどにします〜」

 514年最後の夕日が地平に沈み、515年が新たなる朝日とともに訪れようとしていた。


     <終>



  


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