今日も村の広場で、歌の上手な婦人が子供達に歌って聞かせている。
子供達が地べたに座り込んで熱心に聞いているのは、ローレライの歌。
透き通る声が、ローレライの美しく、切なく、悲しい伝説を歌い上げる。10にも満たない子供も、成人を近くに控えた子供も、伝説に出てくるローレライに魅了された男のようにその歌に聞き入った。
「
・・・伝えるために今宵も歌口ずさむ」
古いリュートをゆっくりと爪弾かせながら、歌を締めくくる。同時にぱちぱちと子供達の拍手。
婦人はにっこりと笑い、立ち上がる。
「さ。歌はこれでおしまい。わたしは仕事があるから、後はみんなで遊びなさい」
はーい、と元気に返事をして、集まった小さな子供達は駆け出す。
「村から出ちゃ駄目だからね」
わかってる、と割かし年齢の高い子供も返事をし、小さな子供につれられ広場を離れていく。
リュートを布で大事そうに包んだ頃には、子供達の姿はすでに婦人の視界から消えていた。
「ローレライってホントにいるのかな?」
この歌を聴いたあとの子供達の話題は決まってこれだった。
伝説の妖精、ローレライは実在するのか。
それは村の大人も真実を知らない。最も大半の大人たちはただの伝説と捕らえ、信じてはいない。
しかし満月の夜に歌声を聞いたという者がいるし、中には歌に魅了されローレライに会ったという者までいる。
だが前者は気のせいかもしれないというし、後者は記憶が曖昧で夢だったかもしれないというので、信憑するに足りない。
村長も伝説は本当だと子供達に語って聞かせることもあるが、8割方は信じていない。
正直なところ、伝説が本当だと思っているのは子供だけなのだ。
「いるよー。いなきゃあんなに素敵な話が作れるわけないもん」
「いーや、いないいない。それに腕の良い詩人さんなら自分でお話作ることなんて簡単なんだぜ」
子供でも、女の子は大抵信じているのだが男の子は信じていない者が多い。
といっても、男の子達のリーダー、いわゆるガキ大将が「あんなの古臭い作り話だ」とバカにしているので、男の子の大半は皆、しぶしぶそれに同意しているといった感じだったのだが。ガキ大将に逆らうと、子供達の中で村八分にされるのはどこの村でも街でも同じことのようである。
「ねー。カミュはどう思う?」
色黒で銀髪の髪をした気の強そうな女の子が、隣で黙っている男の子に声をかけた。カミュは彼女とは逆で、男の子の割に気が弱そうな子である。
年齢も一番若く、その気の弱い性格と女の子のような名前が原因で、ガキ大将によくいじめられたりもする。
「ぼ、僕はいると思うよ・・・」
ぼそりと呟く。途端に、ガキ大将から野次が飛ぶ。
「カミュはまだ信じてるぜあんな話!だっせー、だから女の子みたいななるんだぜー」
ガキ大将の取り巻きも一緒にげらげら笑い、カミュは余計にうつむき加減になる。
いつもなら泣き出して家に駆け込むカミュだったが、今日は何故かうつむいたまま拳を握り締め震えていた。
「いるもん!絶対いるよ!だって僕見たんだもん!」
珍しく大声を上げるカミュ。ガキ大将をはじめ、そこにいた皆の目が点になる。
誰も何も言い出せないので、カミュは一人機関銃のように喋り続ける。
カミュが言うには、数日前、母親と一緒に父親に昼食の弁当を届けに行ったとき、岩場の向こうにちらりとその姿を見たらしい。背に羽根を生やした美しい少女の姿だったと言う。
「嘘つけ。大体ホントにローレライならなんで昼間にいるんだよ。歌じゃ、満月出てる夜に出るんだぜ」
ローレライは月夜にしか現れないと、歌でも歌われている。
昼間に現れるなんて、おかしいとガキ大将が指摘すると、「本当だ」と反論する。
にらみ合いが続き、今にも取っ組み合いの喧嘩になりかけたところで、
「じゃあみんなでこっそり調べに行こうよ」
先ほどカミュに声をかけた気の強そうな女の子が提案した。
背も小さくあどけなさが残るが、実際は子供たちの中でも最年長の部類に入る14歳の少女である。
「み、ミトゥがそういうなら調べてみようじゃないか」
村長の孫娘であるミトゥと呼ばれた少女は、見かけの気の強さどおり行動力も腕力も男勝りである。
いくら村長の孫娘であろうと誰も贔屓はしないが、ミトゥに不覚にも一度だけ喧嘩に負けて以来、どうも頭の上がらないガキ大将であった。
「でも居なかったらカミュ、おれに逆らったことを後悔させるぜ」
にらみを利かすと、縮こまるカミュ。
そんな彼に、ミトゥは大丈夫とばかりににっこり微笑んだ。
数日後、漁師たちが沖へ出て浜辺にいない日を狙って、子供たちはこっそり村を抜け出し海へ行った。
抜け出して、といって四半刻も歩けば到着する近場である。近場と言えど、様々な魔物が住み着くアレクラスト大陸では、子供達だけで出歩くのは少々危険である。
しかし冒険心が生まれ始めた子供達に、魔物が滅多にでない土地となれば怖いものなしのようだ。
それぞれ、念のため家から持ち出した鍋のフタや長い木の棒で武装した小さな冒険者たちは何の危険もなく目的の浜辺に到着したのだった。
お互いの姿が確認できる範囲で、子供達はローレライの姿を探し始めた。
このあたりは夏になれば親子連れで遊びに来る絶好の遊び場である。平坦な砂浜が広がって、ローレライが潜んでいるような住処になるようなものはまったく無い。
普段遊ぶ場所よりちょっとだけ離れたところを探してみても、ローレライの姿はおろか住処すら見つからない。
そろそろ日も高くなり、昼時が近づいている。早く帰らなければ、不振に思った母親が探しに来て大目玉を食らうだろう。
帰り支度を始める子供達だが、カミュだけは一向に帰り支度をする気配が無く、ずっと周囲を見渡している。
「なにしてんだよ。こんなに探していねーんだぜ。もう無駄だぜ」
にやにやと笑うガキ大将。それでもカミュはその言葉を無視して探すのをやめない。
無視されたことにカチンときたのか、ガキ大将はつかつかとカミュに歩み寄り横からどんっと突き飛ばす。
「いねーっていってんだろ。生意気なんだよ、カミュは!」
顔から砂浜に突っ込むカミュだが、起き上がって睨み返す。
「本当だったら本当だもん!僕があっちに目をやったら岩場の影からバササーって!」
そういって岩場を指した瞬間、何かが飛び立った。
バサバサと羽音を立ててそれはすぐさま視界から消えた。岩場近くの絶壁の向こう側に飛び去ったのだ。
ちらりと見えたその姿は、背に羽根が生え、月の光を映したような髪、そして豊かな胸の少女のようだった。恰も伝説のローレライをそっくりそのまま再現したように。
「う、うわあああー!!」
その初めて目にする現実離れした姿を一瞬とは言え目撃してしまったガキ大将たちは恐怖におびえ、一斉に村に向かって駆け出す。カミュは驚き、その場にへたりこむ。
逆に、正体を調べようと勇気を奮い起こしたミトゥは絶壁のほうへ向かって駆け出す。
が、ローレライらしき人影が消えたのは絶壁の向こう。回り込めば向こう側にいけないこともないが、そこは波が強く、大人でもそこで取れる貝を獲りにいくとき以外は滅多に近づかない場所だ。
近くまでいったが、自分の背の高さくらいで弾ける波の前に、やはり尻ごんでしった。
仕方なくへたり込んだままのカミュの所へ戻るころには、近くで弾けた波飛沫を被り全身ぐっしょりだった。
結局ふたりが村に戻ったのは、昼時が過んだころだった。
勿論、家族にはこっそり抜け出していたことはばれていた。
村長である祖父にしこたま叱られ、昼食は抜き。夕食の時間まで、上着はおろか下着までぐっしょりのまま、家にさえ入れてもらえなかった。
その日から、ミトゥとカミュを除くガキ大将たちにはローレライは恐怖の象徴となった。
しかし、しっかりとその姿を目に焼き付けたミトゥとカミュには、とても幻想的で美しい、まさに伝説の中の妖精そのもの、一種の憧れのようなものの象徴となった。
ミトゥたちが村を抜け出してから数週間後。
村ではちょっとした騒ぎが起こっていた。村の男が数名、行方不明になったのだ。4人兄妹であるミトゥの家でも、長男の行方が昨日から分かっていない。
行方不明者は、20代の青年を初めとする比較的若い男だということだ。
ガキ大将たちは即座に犯人はローレライではないかと決め付け、大人たちに進言した。
きっと子を残すために歌を歌って魅了し、そして食ってしまったのではないかと。
大人たちはローレライの存在を信じていなかったし、伝承では男達を魅了したあとは食うなど伝えられていないことから違うだろうと子供達を諭した。
しかし、子供達はあの日見た。伝説に登場するローレライに酷似した容姿をした人影・・・怪物の姿を。
一人が見た、と言うのなら大人たちも信用しなかったと思うが、さすがに全員が見たというとなれば話は別だ。集団で幻を見たと考えるより、本当にローレライがいたとするほうが信憑にも足る。
村長の家で話し合いを開こうと決まったところで、なんとミトゥの兄が満身創痍で村の男達に抱えられ戻ってきたのだ。
手当てを受け、話せるまでに回復した彼はこう語った。
寝付けない夜に散歩をしていたら海のほうから歌が聞こえた。誘われるようにひきつけられ、気が付いたら海岸にいたらしい。記憶がなく、おかしいと思いつつも村に戻ろうとしたところで・・・何者かに襲撃された。気付けば、捜索にきた男たちに抱えられていたと。
手当てが済んだ後、改めて行った村の話し合いの結果、これ以上被害が出る前にローレライらしき魔物を退治しようという方針で決まった。
「違う!ローレライはそんなことしないよ!ローレライは良い妖精だもん!」
もちろん、ローレライを善良な美しい妖精だと思っているミトゥとカミュは反対したが、村の話し合いで決まったことは絶対だ。特に、村長の家の末っ子で育ったミトゥは、世間は奇麗事だけじゃないのだ、とまで諭されてしまった。
馬を持っている村人が急いで王都オランまで馬を走られ、冒険者を斡旋しにいった。
村には自警団もいるのだが、その自警団の中でも腕利きであったミトゥの兄がやられたとなっては迂闊に手を出せない。
その日から、村の夜はとても。本当にとても静かになった。
オランへ向けて早馬が出された3日後。
ミトゥが朝目覚めると、家には誰も居ない。朝の早い父と二人の兄がいないのはしょっちゅうだが、普段は家で家事をする姉も、祖父も誰も居ない。
「あっ!きっと冒険者がローレライを退治にきたんだ!」
急いで寝巻きを脱ぎ捨て、普段着に着替える。
慌しく自室を飛び出し、村にある唯一の小さな酒場兼宿屋へ向かう。
そこには小さな人だかりが出来ていた。もう現地へ送り出すところのようだ。
「待って!ローレライは悪くない!」
人だかりの中心から出てきた、鎧の人物にしがみつきながらミトゥは叫んだ。
慌てた祖父や兄が、ミトゥの小さな体を鎧を着込んだ戦士から引き剥がし、父が謝礼する。
「何だよー!父さんもじぃちゃんもこんな男にぺこぺこするなよ!ローレライを倒そうなんてほうが悪い奴だい!」
羽交い絞めながらもじたばたと暴れるが――祖父に怒鳴られ、父から拳骨をもらい沈黙する。
頬を伝った涙を拭い、戦士を睨みつけると、
「・・・本当に悪い奴だったら、私が倒す。でも、本当は悪くない奴には剣は向けないよ」
高い声で語りかけてきた。男の割りに声は高いが身長は低い。いや、髪から覗くその笑顔は間違いなく、
「・・・女の・・・人?」
それはミトゥの目には異常な光景に映った。戦士は本来男の仕事である。この村の自警団は全員男だし、女は家で家事をしたり農作業をするのが普通である。
少なくとも、それが常識だと思っていた。
呆然とその顔を見つめていると、女戦士はくるりと振り返り、村の外へ向かい歩いていった。
村人達は安心しきったように、それぞれの仕事へと戻っていった。ミトゥも祖父に連れられ、村の入り口を振り向き振り向きしつつ自宅への帰路を辿った。
その数分後。
ミトゥは部屋から抜け出して村の外、海岸へと続く道を走っていた。隣には、カミュの姿もある。
やはり心配になった――女戦士ではなくローレライが、だが――ふたりはそろって村を抜け出して例の海岸へと向かうことにした。
入り口からではなく、わざわざ柵を乗り越えて、藪を突き抜けて道へ出た。誰にも見つかっては居ない。
藪を突っ切ってきたため、足や腕に無数の擦り傷ができていた。痛むが、歯を食いしばりさらに走る。
息が切れるころ、ようやく海岸に到着。
ローレライを最後に見た岩場へまっすぐに走る。転ぶ。起き上がり、歯を食いしばり岩場を目指して駆け抜ける。
「見えた!」
羽根を生やした少女を確かにみた岩場には、ふたつの人影があった。
一人は先ほどの鎧を着込んだ女戦士。そしてもうひとつは、
『ローレライ!』
叫び、ふたり目掛けてラストスパートをかける。
女戦士がこちらに向かって突進してくる子供二人に気付いたが、距離がもう近い。加えて重い鎧を着ていては思うように回避が出来ない。
驚きをあらわにした表情のまま、甘んじてその突撃をその身に受けた。倒れる。
「・・・い、いたい」
が、ダメージを受けたのは無論子供達のほうである。固い板金鎧に顔から突っ込めば痛いのは当然だ。
「こんなところで何をしているの。危ないじゃないの」
しりもちをついたまま、女戦士は子供二人を助け起こす。
「ローラレイを殺しちゃだめだ!」
「そうだ、殺すな!」
二人はローレライだと思い込んでいるものの前に回りこみ、両手を広げて立ちふさがる。
しばらく唖然とした顔でそれを見ていた女戦士が、唐突に噴き出す。
「あはははは。わたしはそのハーピィを殺す気なんてないよ」
『・・・はぁぴぃ?』
異口同音に呟き首をかしげ、後ろを向きじっくりと観察する。
おびえた表情のその生物は、羽こそ生えているが、背中からではなく手がそのまま羽になっていた。確かに髪は美しく、曝け出した胸は健全な少年が直視できないほど豊かなものだったが、その下半身は驚くべきことに鳥のような強靭な鉤爪になっていた。
ハーピィ。それも、海岸に住むディーラという種族だ。
「君たちの村の伝説に出てくるローレライという妖精にそっくりだが、正確には別の種族だよ。この子はね・・・」
女戦士は子供にも分かるようにゆっくりと話し出した。
このディーラはしばらく前からこの岩場の近くの洞窟を住処にし、暮らし始めたらしい。
洞窟は波の荒い場所にあるため、漁師たちに見つかる心配もなく、細々と暮らしていたという。
しかし、彼女にも繁殖の季節がやってきた。子孫を残さなければならないが、こればかりは雌ばかりのディーラだけではどうしようもない。
この場合、ディーラは人を魅了する歌声を使い人間の男を誘惑して交尾する。丁度、伝説のローレライのように。
「そういうわけで、君たちの村の男を誘惑したらしい。しかし・・・」
なかなか子が孕まなかったらしく、幾度か違う男を誘惑し続けたのだ。4人目のミトゥの兄で晴れて子を孕み、卵を産み落としたらしい。
なるほど彼女が羽を持ち上げると、大き目の卵が一個、敷き詰めた草の上に寝かせてあった。
「じゃあ・・・戻ってきてない男の人たちは食べちゃったの?」
その言葉に、ふるふると首を横に振るディーラ。ディーラに食人の習慣はないはずだ。
「いや・・・男たちを村の入り口近くの海岸まで帰したところで別のものに襲われたらしいんだよ」
そこで女戦士は油断無く周囲に視線をやり、腰に佩いた剣に手を伸ばす。
ミトゥとカミュはびくっと震え、何事かと女戦士に声をかける。
「・・・どうやら真犯人のお出ましのようだね」
ずらりと片手半剣を抜き放ち、駆け出すと同時に海から突如として何かが出現した。
それは奇怪な魔物だった。上半身はディーラと同じく美しい女性だったが・・・下半身はディーラのそれよりも醜悪な、大蛇の頭と蛸の触手だった。
スキュラ。
それがこの魔物の名前だが、ミトゥたちに分かるはずもない。
「君たちはディーラと一緒に下がっているんだ!絶対に近づいちゃ駄目だよ!」
そう叫ぶ女戦士はすでに切り合いを始めていた。
牙をむき出し噛み付いてくる大蛇の頭をあしらい、隙を見て斬激を叩き込む
「危ない、おねーさん!」
足に蛸の触手が絡みつくが、冷静な動きでそれを見切り逆に切り捨ててやる。
(す、すごい・・・!)
ミトゥは例えようのない恐怖を味わいながらも、女戦士の優雅な戦い方に見とれていた。
女の人でもこんなに戦えるなんて!
小さな体で、こんな怖い魔物とやり合えるなんて!
男の人顔負けの剣技で、豪快だけど優雅に!
女の子であるミトゥがガキ大将と喧嘩したときも、女の子が喧嘩なんかするんじゃない、と怒られたこともあった。以来、女は家で働き、男の帰りを待つものだと強く教え込まれていた。乱暴であってならない、喧嘩や戦いなど論外だ、と。
(おかしくなんかない。女の人が戦うのに、問題なんてないんだ!)
それを不満に思っていたミトゥにとって、その戦いは未知の興奮の連続だった。いつしかディーラとカミュの制止を振り切って身を乗り出し、声援まで送る。
すでに一心同体になっているような気分だった。
「はあっ!!」
煌く刀身。スキュラの胸に走る一閃。
スキュラは断末魔の叫び声をあげて、倒れた。
諸悪の根源は断たれ、無実のディーラは救われた。
しかし、ディーラに魅了されたままスキュラに襲われて生きて帰ったのはミトゥの兄のみ。
当初村人達は、ディーラも殺してしまおうとしたが、女戦士の、そしてミトゥとカミュの必死の説得により思い直してくれた。
子を残すことは、命あるもの全てに共通する使命であり喜びであると。
大らかで物分りの良いというこの村人たちの性格が幸いしたのかもしれない。たとえ相手が魔物とはいえ、無実の者を虐げることのできない優しさが人一倍だったのかもしれない。
困っているものは、誰であろうと助けるという村の流儀のせいかもしれない。
それは欠点でもあったが、同時にそれがこの村人の長所でもあった。
ただミトゥの兄は、自分とディーラの子だと思うとなんとも奇妙な感覚だ、と最後まで頭を抱えていたが。
その日の夜は丁度満月の夜だった。
ミトゥとカミュは、再び勝手に村を抜け出した罰として夕食を抜かれたうえ、倉庫に閉じ込められていた。格子のはまった窓から、月明かりが差し込んでいる。
静かな夜だった。いや、耳を澄ますとかすかな歌声が聞こえる。
村中に美しい歌声が響き渡っているのだ。聞き覚えのある声質だった。
「ローレライのハーピィさんだ!」
ディーラに謝罪という概念があるのかは分からないが、まるで迷惑をかけたことを詫びるように歌声を夜風に乗せている。
誰を魅了するためでもなく、皆の心を癒すような美しい歌声を。
不意に倉庫の扉が開けられた。そこには、笑顔の祖父が立っていた。
「外で、みんなで聞こう」
古よりの伝説を 今この空蝉に伝えよう
雲ひとつ無き空の月写すハザードは静かに揺蕩う
波間に見ゆる岩に怪しく座る麗しき少女の姿
月の光をその身に浴びて 月より美しき歌口ずさむ
その音は数多の男を魅了して その身を捧げて歌を伝えん・・・ その歌はこの村のものなら誰でも聞きなれた歌。
月満る夜が明けたとき 其処に残るは新たな命
古き命は新しきを生み そして古き歌をまた伝えん
古よりの歌はこうして新たな軌跡を生む
新たな命はまた歌う 伝えるために今宵も歌口ずさむ・・・「・・・ローレライの歌」
つたない東方語であったが、その声はしっかりとローレライの歌を歌い上げ、月が雲で隠れると同時にぴたりと止んだ。
まるで、伝説のように。
ミトゥが次の朝起きると、すでに女戦士はオランに戻ってしまった後だった。
きちんと挨拶できないままの別れだったけど、後悔はしていない。
昨日の夜、寝るまでの少しの間だけど話が出来たから。
なにより昨日の昼、一心同体になったように同じ空気を吸っていたから。
ミトゥは食卓につくと同時に家族にこういった。
「ボクは戦士になる!冒険者になる!」
★ ★ ★
新王国暦514年。王都オラン流星の集い亭にて。
「ふんふんふーん♪」
戦士に、冒険者になり、19歳に成長したミトゥは旅装束の用意をしていた。横は背負い袋。
少しの間、エレミアあたりまで旅をするらしい。
理由はひとつ。会いたい人に会うため。
誰に会いに行くかは自分の心の中だけに。相棒にも教えていない。
「覚えてるかなー。ウルフィーナさん」
なつかしの女戦士の名前を呟き、ミトゥは剣の手入れをはじめた。
★ ★ ★
その村には伝説がある。
数年に一度。満月が近づくと夜な夜な海から美しい歌声が聞こえてくる。
ふと、男の一人が海へ向かって歩き出す。歌に誘われるように、ふらふらと。
歌を口ずさむのは、月の光を映し出したような淡い金髪の乙女。
紡がれる歌声は、月よりも美しく澄んだ声。
ローレライという名のディーラが居る。
優しき心と、古よりの歌を受け継いだディーラの娘。
ローレライは歌う。新たな命を残すため。
そして古よりの歌を次の命へ伝えるため。
伝説の真偽を知るものは、村人以外誰一人としていない。
この村には伝説がある。
伝説の名は、「ローレライの歌」。