ひとくちの水 飲むたびに -Act 3- ( 2003/01/19 )
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作者
入潮丸
登場キャラクター
リヴァース



■■■ Act.3 - Analysis - ■■■


…声が聞こえる。

"歪んだ心で精霊を使ってはいけない"

そこを聞いているのは、いじけた目の、垢じみた薄汚い、半妖精の子供。
みそっかすで、非力な、子供。

"見えないところからイメージを得なさい。
匂いのないところに匂いを感じなさい。
静寂の中でこそ声を聞きなさい。

心を透明にして。
存在を世界に共鳴させて。
おまえは一つの世界。もう一つの世界と、融け合わさりなさい。
高らかに鳴る、世界の鼓動を、受けとめなさい。"

その声に導かれるままに、感じられる精霊の力。
自分を包んでくれるもの。
扉を開く。精霊を呼ぶ。

優美な女性のような流線型を伴って、水の精霊が現れる。汲み置いた、藻が浮いた湖水を、浄化するようにお願いする。
精霊はふわりと漂い、濁った湖の水を、透明な純水に変化させると、もとの世界に戻っていく。

「よくやった」
誉めてくれた。はにかむ。頭に載せられる手が、乾いていてあたたかい。

…この手だ。

寂しさというレプラコーンの束縛から解いてくれたのは、この手。
半妖精の自分を、はじめて、受けとめてくれたのは、この手。

ただ、この手に撫でてほしくて、受け入れてもらいたくて。
薬草を育てた。服を編んだ。料理を覚えた。字を習った。精霊の声を聞いた。

この手がなければ、わたしは、まだ生まれてきていないのも同じ…。


そしてはじめて、風の精霊の扉を開き、彼らを招くことができた。周囲の音を操ることができたとき。
無闇に精霊を遣うものではないと戒められてはいたが、嬉しさに、その事は頭に無かった。

ただ、誉めてもらいたかった。よくやったと、撫でてもらいたかった。

風の通る家の中で、エルフの長と、"彼"が、会話をしているのを知り、盗み聞こうとする。
あとから、内容を当てて、驚かしてやるのだ。

緑の合間を渡るそよ風から扉を開き、風の精霊に音を届けてもらう。

"…おまえは、あれを気にかけすぎる"

神妙な長の声。それに答える、"彼"の声。

"当たり前である。"

どきりとする。秘密の箱を覗いているような緊張。
続けて紡がれる答えに、耳をそばだてる。

"気にかけずにおれようか。
…あれはエルフの純血を汚した、歪んだ存在なのだ。
あれには、穢らわしい血が流れている。
我々の愛する者を捻じ曲げ枯らせた、忌まわしい人間の血だ。
放っておけばいずれ、我々の、厄災の種となる。そうならぬように見張っておかねばならない。"

ぴしり、と心に、亀裂が入る。

"…わたしはただ、後の災いの芽を育てぬように、楔を敷き詰め柵を設けているだけなのだ。"

頭の中が真っ白になる。会話の内容は、間違いない、自分のことだ。

皆から愛されていたエルフの母は、人間の男に手折られた。
自分はその母を殺しながら生まれた、禍禍しいモノ。

"忌まわしい存在"

その言葉が頭の中に鳴り響く。
自分がどう思われているのかを思い知らされる。
"彼"にだけは、受け入れてもらっていたと思っていたのに。
あの手だけは、真実だと思っていたのに。

笑う事を。喜ぶ事を。はにかむことを。樹を愛する事を。水をいとしむことを。世界に触れる事を。生きている事を。
教えてくれたあの手だけは。

…そこが居場所だと思っていたのに。

全てが否定されて、胸の中が張り裂けそうになった。
混乱と悲しみの精霊が、膨張した。
集落を逃げ出すように飛び出して、湖まで走った。

そこは、人間の村から流される、染料の原液や廃棄物で、汚染された湖。
澱みに溜まり、腐臭を放つ濁った水が、自分の汚れた血のように思えた。

混ざったモノ。歪んだモノ。汚れたモノ。忌まわしいモノ。
自分を否定する刃を持った言葉が、頭の中でぐるぐると渦巻いては、鈍い痛みを与えて打ちのめしてくる。

水の汚濁が、自分だ、と思った。
そんなもの、いらない、と思った。
それがなければ、自分もきれいになれるかもしれない、と思った。

"水のせいれい……。よけいな、小さなふわふわゆらゆらぬるぬるした粒と色を、消すの。汚いものも、にごったもの、混ざったものも、どこかへやるの。きりりと透明にすきとおるきれいな水にするの。

……純粋な、水になるの……。"

切なる思いで、覚えたばかりの言葉を、唱える。
水の扉。その先の精霊は、澱み懸濁した、汚染された水を嫌い、この世界に来るのを拒む。

"だめ。来るの。ここを綺麗にするの!"
全身を振り絞るような強い意思で、無理やり、引きずり込む。

水が揺らいだ。幾粒もの波紋が浮かんだ。

引きこまれる水霊。歪んだ心で、歪んだ扉に呼び出された精霊。
ぐるぐると、のたうちはじめる。

"チガウ、チガウ!!これは我々の水ではない、歪められた水!死んだ水! いられない"
水の精霊は悲鳴を上げ、扉から自分の世界に戻ろうとする。

"だめよ、帰っちゃだめ! 逃げないで、お願い!"

浄化できないと、よごれたままだ。よごれたままだと、うけいれてもらえない。
また、否定されてしまう…。
今、水の精霊を戻してしまったら、いつまでたっても認めてくれない。除け者で、つまはじきで、忌まれたままだ。

"イヤだ、イヤだ、イヤだよ…!いきたくない!"

"来て…来なさい!!"

自我が突出する。強い、強い、意思の命令。

濁った水の扉からこちらに、水の精霊を引きずり込む。湖の水を浄化するよう、命令を下す。

油が浮き、濁り、異臭を放つ水。ぽこり、と泡が立つ。
泡の周りで、水が、渦を巻く。透明な部分が表れては、渦に飲み混まれる。

ぼこ。ぼこり。

泡がひっきりなしに、沸き立つ。
何かおかしい…そう思ったとき。

キィィィィィン!!

金属を金切らせたような、全身の皮膚が裏返るような、叫び。
制御が利かなくなる。

"…苦しい!苦しい!閉めつけられるようだ!剥がれるようだ!砕かれるようだ!磨り潰されるようだ!
つらい、フユカイだ、堪えられない。ヒドイ、惨い、痛い、苦しい!!"

…苦痛に充ちた波動があふれてくる。

"よくも、呼び出したな、こんなところに。よくも、よくも、ヨクモ!!"

害意と恨みにあふれた水の精霊が、口と鼻をふさぎ、体の中に進入してくる。喉が汚水に満たされる。

…狂った!!

苦しい。苦しい。助けて。

"歪んだ心で精霊を使ったな!"

呵責の声。あの人と約束したことを、破ってしまった。
自分の過ちを思い知らされる。身が引き裂かれそうになる。

ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
もうしません。もうしません。
許して…!

罪の許しを乞う叫び。
それも、虚しく消え、濁った水の中に、体ごと引き込まれる。
水音。

がくん。
足の下の感覚がなくなる。落ちる。無限に。
息が出来ない。苦しい。胸が張り裂けそうに痛む。

死ぬの、死んでしまうの?
もがき、足掻いた時。

下のほうに淡く光って見える、体。それは、透明なまでに清らかできれいな、エルフの女性。
あんな風にあれたらと、ずっと願っていた姿。

おかあさん――

自分が生れ落ちると同時に死んだ、見たことのない母。水葬に附され、今も水の中で眠っている母。
手を伸ばす。助けて。
…ううん、もう、助けてくれなくてもいい。

ただ、そばにいさせて…

しかし、眠る体は、それに触れた瞬間に、どろりと、崩れた。不死の魔物のように。
悲鳴をあげる。
…また、拒絶された。

壊れ白骨化していく母の体。はらわたのようなものが喉に絡み付いてきて、締まる。
苦しい。苦しい。
息ができない。喉がちぎれそう。身体が砕かれてぐちゃぐちゃになりそう。狂いそうだ。

これが苦しさ。無理やりに、居場所ではない世界に呼ばれた精霊たちの、狂おしさ。

ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
贖罪の叫び。
死の影。迫る闇。

そして、闇が、一瞬にして、光に反転する――。

■■■

朝の光。…夢だ。
気がついたら、宿の寝台の上だった。
寝汗の玉が皮膚に浮かび、髪が頬に張りついている。気持ちが悪い。吐き気がする。
荒れた息を整えようと、深く息をつく。

幼い頃の夢。夢などずいぶんと見たことは無かったのに。

精霊を力で従わせ、狂わせる。精霊使いとしてはもっとも、禁忌とすることをしてしまった時の、夢。
精霊もまた一つの命あるものだ。その命を無碍に扱って自然の断りを捻じ曲げた。
今になってその過ちの大きさを実感し、寒気がした。

気を失う以前の事を思い出そうとした。どこからが夢だったのだろう。
まだ胸の中に渦巻いている苦しみ。…思い出した。

地面の中で、3度目の地霊を召還した瞬間に、精神力が尽きて、意識を失ったはずだ。どうして自分は生きているのだろう。そのまま、時間が過ぎて空洞が塞がり、生き埋めになったのではなかったか。
生きている事を確かめるように、息を深く吸いこみ、吐く。

あぁ、そうだ。窒息死しかけたのは、二度目だったのだ。幼いころと、今。
空気がない、生きていくのに必要なものがない、という事がどれほど苦しく、狂おしく、恐るべきことか、実感として蘇る。精霊を、精霊界から切り離し、彼らの属性から遠ざける仕業は、同じような苦しみを精霊に与えることになる。唯一、彼らの属性を同じくする、彼らから紡がれた力の結果である自然だけが、彼らを宥めることができるのだ。

そして、意識を失う間際に感じていた感覚が、確かに頭の中にはりついていた。
透明で、けれど濃い世界。
無限に希薄に自分を手放しながら、無限に自分の神経が世界に向けて広がっているような、感覚。その感覚の中で、何故水が得られないのかが、閃いた。
限りなく鋭敏に感じられた地と水の精霊力から、得られた解答を、言葉にしようと、頭の中で整理してみる。

すると、スー親父が水を持ってきてきてくれた。もはや、水は、同じ量の黄金と同じものに思える。
どうしてここに自分は、と問うと、彼女に聞くといい、と言って、後ろを顎で差した。
戸口から、ロピュタがおずおずと、こちらを伺っていた。

助けてくれたのは、そのロピュタだった。
ロピュタは昨夜、親の目を盗んで家を抜け出し、自分が入っていた井戸の様子を見にきた。すると、井戸の傍の地面にいきなり穴があいた。不思議に思って中を覗いても何も見えない。下に下りてみるかどうか様子を伺っていると、底の方からだんだん穴が塞がり、中から気絶した自分が出てきた。そこで、急いで大人を呼んで、運んでくれた、ということだった。

「まるで、地面から生まれたみたいだったよ!」
と、のん気に教えてくれる。

井戸には蓋がされていたという。空気の通り道を閉ざされたため、窒息しかけていたのだ。危ういところで、よくある怪談話のように、井戸の中の白骨死体になっていたところだったのだ。ぞっとする。

井戸の壁を攀じ登ることが出来なかったために、地の精霊に命じ、斜めに開けた地の穴。意識を失ったからには、その中に生き埋めになったと思っていたのに、地面に現れることができたのが不思議だった。

意識を無くすと同時に開けた3度目の穴は、幸い、地上に届いたらしい。その時点で、空気が穴に流れ込むので、窒息死からすんでのところで免れた。これはいいだろう。

あと疑問となるのは、穴が埋まる方向だった。穴を穿った先のほうから塞っていくので、穴の底にいたら、そのまま埋まると思われた。しかし、地面の中から地表に通された穴は、上からではなく、逆に地下から地表に向けて塞がっていったらしい。
恐らく、穴を穿った方向ではなく、地の精霊力の強い個所から弱い場所、つまり、地中から地表へ向けて、塞がるのだ。
こういったこともよく把握せずに、魔法を使っていたのだ。まったく情けない。

それにしても、大人たちは彼女が見たものを信じはしていないだろう。
彼女に礼を言いながらも、どう説明すればいかな、と首を捻った。

「そうだ、ロピュタ、スー親父。井戸から水が出てこない理由が、わかった」
伝えねばならない重要な事を思い出した。
起きあがり、羊皮紙に図を描きながら、説明してみる。

通常、水のある岩の層には、岩の中に無数の小さな孔が空いていて、そこに水が含まれている。水を通す岩は、砂粒が固まったもので、砂粒と砂粒の隙間に水がある、と言ったほうがいいかもしれない。
井戸が存在すると、この水が、地の力に押されて染み出されてくる。ちょうど、水を含んだ海綿(スポンジ)が、上下から押さえられているようなものである。

地下水には、地の成分が溶け込んでいる。サバス島の地面の場合、これが通された井戸の空気に触れることで、溶けている成分が析出する。水に溶けた岩の粒が、水が乾く事によってまた、岩に戻るのだ。塩水を乾燥させると、塩が浮き出てくることを考えれば良い。

この析出したものが、井戸の周りで、岩の中の水の通り道を塞いでいってしまうのだ。
もともと、この島の水を含む層の岩は、緻密であるという特徴があった。水が通るべき砂粒の隙間が小さいので、すぐに詰まってしまうのである。

岩の中の無数の隙間同士が、井戸まで連続して繋がっていなければ、水は隙間から動けない。密封された小さな容器に水が満たされているようなものである。蓋がされているので、水は流れない。

つまり、地下にいくら水があっても、水に含まれる地の成分が析出して井戸の壁をふさいでしまうので、いくら井戸を掘っても、水が出てこなくなってしまうのだ。
呪いでも魔法の影響でもない。自然の摂理だ。しかしそれゆえにいっそう、複雑で手ごわかった。乾燥しているこの島ならではの現象であるといえた。

「じゃあ、もう一度、底を広げて掘ればいいの?」

ロピュタは理解してくれたらしい。聡明な子供だと思った。

「いや、同じ事だと思う。掘った先から、乾き、岩の水の通り穴がふさがれて、詰まっていくだろう。乾く速度より、水が染み出てくるほうが早ければいいのだが、ここの岩の空洞は小さく、水の流れはとても遅い」

「では、どうすれば良い?」

スー親父の問いに、少し考えてから、答えた。
…要は、空気に触れて地の成分が析出しても詰まらないだけの、広い水の通り道が、岩の中にできれば良いのだ。
岩自体を粉々にする、までは行かないまでも、無数の亀裂を入れることができれば良い。岩の性質を変えることが必要なのだ。

「なるほど…。だが、どうやって地下を壊すんだ? ハンマーで叩いて壊していく、というわけにも行くまい。聞くからに、難しそうだが」

「……かなりの破壊力が必要だ。地震でも起これば良いのだがな」

精霊使いも極めると、地震を発生させる事も可能である。そうすれば地下に亀裂を入れる事も思いのままだが、そのためには、通常の地の精霊の力では不可能だろう。地の精霊王を借りねばならない。四大の精霊王…今の状態で彼らに命令を与えられるほどの意思の力は、残念ながらまだ自分には、ない。

「それを待つのも無理な話で。現実的な手段として、相談がある。…アザーンで魔術師がいるところを知らないか?できれば導師級かそれに準ずる者を」

考えた方法について、話を持ちかけた。
魔術師への忌避感が特に強いアザーンでは駄目でもともとであり、場合によっては大陸に戻ることも考えていた。
幸い、まかせておけと、スー親父は胸を叩いてくれた。

安心すると、身体の痛みがぶり返した。しばらく休めという言葉に、甘える事にした。

二人が部屋から出ていった後、再び、ベッドに沈み込む。昨夜したたかに打ちつけた身体中が、痛む。落下の時に、強く捻った腕が、ズキズキとする。しばらく、左手は使えない。よくこれで、穴の中を上がっていけたものだと思う。

夢の名残が、手を震わせていた。
昨日の、岩蟲相手に無理やり召還した大地の精霊。あの最中に、たとえば自分が途中で前後不覚に陥っていたら、精霊を狂わせていたかもしれない。幼いころと同じ過ちを犯しかけていた。ぞっとする。

首を振る。朝日のさし込む窓から、外を見る。葦作りで風通しの良い立床式の家は、涼しく居心地が良い。
目を閉じると、井戸の中の感覚が蘇ってくる。薄れた空気の中で、極限まで集中したときに、流れ込んできた世界。

あの感覚は一体、なんだったのだろう。自分の存在が無限になったような、無力でありながら同時に万能の存在になったかのような。世界が全てが音となって流れ込んでくるような。自分自身も波になって、それを受けとめ、世界と共鳴するような。

細やかでありながら濃厚な感覚。意識する精霊力は、魔法の眼鏡で拡大されたように、細部まで変化が読み取れた。
これまで行っていた精霊感知は、その片鱗に過ぎなかったのだと思わせてくれる。

人は、死を意識するような極限状態になったとき、生への執着のために、思わぬ力を見せるという。普段無意識に抑えこんでいた力が、解放されるのだ。火事場の馬鹿力、というのはその一つである。それだろうか。

いや、たぶん、少し違う、と思った。そんな眉唾なもので語られたくはない感覚だった。

これまでは、周囲に透明に、自分を希薄に、ということを意識しすぎていた。
精霊力を感じることを、さも精霊と語るように置きかえるのは、自分の恣意による作用に過ぎないのではないかとは、気がついていた。それが、純粋な感覚に蓋をすることになるのだ。

自然を感じる際に自分の主観が入る結果、精霊の姿を捻じ曲げて把握してしまわないかという恐れがあった。精霊力は精霊ではないし、精霊は人間ではない。違うものを同じ感覚で捉えようとすることが、そもそもおかしいのではないか、ということに拘っていた。

精霊力自体は、力そのものであるので、我々の思惑などに気をかけていない。我々が、熱は何を思っているのだろう?などと普通は思うことが無いのと同じことである。

精霊にしても、「意思ある力」はただ精霊界に存在し、時たま扉の向こうから働きかけてくる強い意思に従うだけだ。それを我々が、勝手に解釈し、都合の良いように翻訳しているだけにすぎない。

全く異なった存在である人間と精霊。その中で、自分の認識と精霊が持つ感覚は、近ければ近い方が良い。その整合性がすなわち、精霊使いとしての素質なのだろう。エルフや子供は生来のものとして、精霊に近いというのは、それだ。

ただ、自分には、その素質があまりない。自分の感性自体をあまり信用することができず、考え、懊悩してしまう存在だからだ。

だから、自分は、精霊遣いの中でも、かなり本質的に精霊とは遠いほうだろうと思う。故に、できるだけ、物質界の存在であるところの自分を希薄にするしか、精霊力への感度を高める方法はないと思っていた。

しかし、死に直面したときに現れた、生への動機という、極限まで高まった自分自身の存在の力と、生きねばならない、という意思。それ自体が、精霊力にとっての大きな親和性になり、感知力に大きなプラスに働いたのではないか、と気がついた。

精霊を感じることは、自分の根源に還ることだ。自分はあまたの精霊が混じった故に存在を許されることに気付かせてくれる、過程である。

自分の中の何かの力…意志と存在の力を意識し、高め、それを、精霊力と共鳴させることにより、大きな感度が得られるのではないか。その力が何であるのかはよく分からないが、自意識や自我とは違ったものである事は確かだ。

周囲の力に透明に、という方向性は間違っていない。ただ、あの感覚を得るためには、受動的に精霊力を自分に流れ込ませるだけではなく、受け取る側で精霊力を増幅させる何かが必要だということだ。

その力…。"意志と存在の力"、と今考えたが、具体的にそれが何であるのかは分からない。ただ、体力や精神力とは次元の違った何かが、我々には働いている。それは確かだと思った。

そして、重要なのは、そうやって精霊力への感覚を敏感にできても、精霊力を読み取る力そのものの単独では、結局、大して意味を為さない、ということだ。

そもそも精霊遣いの独特な能力である精霊を感知する力のもたらす情報は、いくら細かく読み取れても、情報としては、働いている力の種類と、精霊を召還するための扉にできるほど精霊力が強いかどうかが判断できる、という程度にしか、役に立たない。地の中のように五感の届かない範囲から立体的に感知できるという特徴はあるが、それも漠然としたものだ。

どんなに探知力が優れていても、それが何を意味するのか具体的な情報を引き出す事はできない。精神の精霊についても同様だ。表情のほうがほよど雄弁である。結局、視覚や聴覚やといった五感に比べたら、精霊感知は情報量としては知れているのだ。

しかし、感じた精霊力を、五感と組み合わせ、自分の知る知識や経験と照らし合わせ、そこから引き出すものからは、大きな情報が生まれる。五感や精霊力により、単独ではわからなかった細かな様相の観察結果を組み合わせ、自分の知識を引き出すことにより、自然に何が起きているのかを知る事ができる。漠然とした感覚から引き出す、自分自身の解釈こそが、大切なのだ。

つまり、精霊力を感知する事と、それが何を意味するのかを解釈する事。この2つのこと、感じる事と読み解く事は、きっちりと分けながら、組み合わせねばならない。

感じる時はできるだけ透明に、付近に同化するようにして主観を捨てながら、"意志と存在の力"を高める。得られた感覚を解釈する時は、知識や経験を総動員して、主観を働かせ、それが何を意味するかを考えなければならない。考えてみれば当たり前の事なのに、これまでは混同していた。

そしてそれは、あくまで自分の場合だ。精霊遣いたちの性質や素質によって、おそらく、やり方はぜんぜん変わる。素質の乏しい自分は、このように、回りくどい事をしなければならない。もっと直截的なアプローチで判断できる者は、いるだろう。

それにしても、なんともはや。ようやくこれだけの事を掴むのに、一体、何年かかっていたのだろう。

"自分の家の庭一つでも、知ろうと思ったら人生は短すぎる"

そう述べた、昔の詩人がいた。
庭どころか、石一つ、その中身を知ろうと思ったら何日も費やさねばならなかった。それでも、確証は持てない。知ろうとすればするほど、自分は何も知らない、わからない、ということばかり思い知らされる。

水を得るために、地下を破壊すること。
これから行う事は、自然の状態を捻じ曲げ、人間の都合の良いように変えることだ。
以前に、エルフの森を潰して貯水池を作る計画に協力したことはあったが()、それはあくまで調査の補助という役割であったし、計画は結局、立ち消えになった。
今回の場合、それと異なり、確実に自分の判断に基づいて実行されるものであるので、自分にかかる責任は計り知れない。

それが、自然にどのような影響を与えるか。悪影響を最小限にするためにはどうすればいいか。正確になし得るには何が必要か。それを掴むためには、自身の精霊力の感知と解釈と、知識と経験から編み出す考えを、極限まで駆使しなければならないだろう。

部屋に差しこむ朝日の中で、自らが手繰り寄せた責務の重さに、じっと、拳を握り締めた。

―――(続)



  


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