■■■ Act.4 - On-call Specialist - ■■■
海鳥が、波音を伴奏に、旅歌を歌っている。 青い空のもと、風に乗ったツバメが、大きく円を描いて、滑空する。 風は穏かで、波は静かである。
ベノールに向かう船上にあった。ベノールは、アザーン本島の南端にあり、サバス島をはじめ、付近の群島をその管轄領においている都市国家だ。
井戸の周りの地層を壊すための手段として、火球の魔法を用いる事のできる魔法使いに会いに行くためだった。 スー親父に聞いたところ、ベノールに、魔法を用いて鉱山の島ダゴンの鉱石を採掘するための研究をしていた魔術師が居るという。スー親父の昔の知り合いだということだった。かなりの老齢ではあるが、腕はよく、その道ではよく知られているということだった。 一度大陸に戻ることも考えていたが、これは都合が良かった。
そこで、本島で仕入れもしておきたいと、閑古鳥の鳴く宿を後にしたスー親父と共に、その魔術師を尋ねる事になった。
潮の調子にもよるが、4,5日の船旅である。 大陸からの旅に比べると短くはあるが、徒歩にくらべ、船旅は、寝ているだけで移動できてしまうので、暇であり、いろいろと考えてしまう。
アザーン。アレクラスト大陸より隔たって浮かぶ群島。
最も大きい本島は、手持ちの地図が正しいとすると、位置的にはアノスの真南にある。 炎の門で閉ざされた世界の南端に近くなるため、ガルガライスのように暑いというイメージがあったが、海流の関係であろうか、全体的には意外に気候は穏やかである。人々の気性も、幾分、おっとりしている。
かと思えば、数日程度の船足の範囲に、これまで居たサバス島のように砂漠だらけの不毛の島があったり、うっそうとした緑に包まれた島があったり、果ては、1年の大半が吹雪で覆われた氷の島があったりする。自然はこの群島で、非常に多様な顔を見せている。
本島と呼ばれる、北部の最も大きな島と、南側に追従する島々は、かつては一つの王国にまとまっていたが、100年前に反乱が生じて国が崩壊した。現在は、本島北の海洋国家ザラスタ、鎖国をしいている中部のアザニア、そして、南部の都市国家、ベノールの3つに分かれている。
ザラスタは、アザーンの玄関口といえる都市であり、大陸と往来する船が唯一寄港できる港がある。アザーンは全体的に遠浅であるようで、大陸往復のガレー船など喫水の低い船が出入りできる港は、そうないのだろう。だから、貿易港のある都市の力が格段に強くなる。
珍しいのは、ザラスタでは、王制ではなく、10数人の商人の代表が集まり、評議会なるものをつくって、政(まつりごと)が行われていることだ。王権による関税の搾取のあまりに酷さに憤り、商人が政権を覆したのか。この国に占める、貿易商たちの影響力の強さが伺えた。
サバス島までは、ほとんど素通りする形で、ザラスタ、アザニア、ベノールを降りてきた。思ったより疎遠な感じを受けたのは、商業の主要な航路である東回り航路ではなく、この季節に独特な潮流の関係で、西回り航路を取らざるを得なかったからだ。
潮流、というのは不思議なものだ。川の流れのように高低があるわけではないのに、ある方向を目指して、海は流れを持っている。そして、時期により、潮が異なるというのは、季節により、世界の精霊力のバランスが、変わっていき、水の精霊力の分布が異なっているからだろう。
波間に戯れる水の精霊とは次元の違う、ヒトたる存在が抗いがたい超越した力を、その潮の流れからは感じる。原初の海は、巨人の血であるというが、潮流はその巨人の血脈の名残なのかもしれない。それを今創り出そうとしたら、水の精霊王の力を持ってせねばならないだろう。
大陸からこのアザーンにはるばるやってきた理由は何であったか、と思い起こした。 そもそも、旅をすることに、確たる目的があるわけではない。
ムディールにうまい濁酒(どぶろく)がある。それを聞いただけで、なんとなく西部から極東まで、大陸を横断したりする。人に会うとか、届け物をするとか、景勝を見たいとか、仕事であるとか、なんだかんだと動機はあるが、そこを目的地にする理由などどうでもいいのだ。
要は、土地に沈没せず、口実として自分を動かすことができるものがあればそれでいい。 旅自体が、目的であるから。
そんな中、オランで暑い夏をやり過ごしていると、アザーンの島の一つにある、人の分け入らぬ深い森の中に、ひっそりと魔法樹が存在し、妖精界への扉となっているという噂話を、冒険者の一人から聞いた。
妖精界。なにやら引きつけてやまないノスタルジックな響きがあった。
旅をし異なる土地を訪れ、そこに根ざして生活を営む者に触れるたびに、いいようのない感情が湧く。 自分にはないもの。根無し草には得られないもの。平凡の中にこそ最高の非凡な幸せがある。 それを実感するたびに、自分はここにいないのではないか、という、存在が頼りどころのなくなる、空虚な想いがあふれた。
故郷に出会いたい、という想いは、旅を経るにつけ、さまざまな人の故郷を巡るにつけ、強くなるものだ。 しかし、半妖精の自分が、種族も、慣習も、考え方の土台も、気候も、同じく出来るような集団に巡り会えるということは、到底ありえないことだった。
部族。村。町。国。 単位が大きくなるにつけ、自分の所属の範囲は広がる。故郷だ、とみなせる範疇は大きくなり、多様性も増す。けれど、故郷の森は失われて、無い。森が属していた国も、すでに滅びている。そもそも国に郷愁を抱けるような義理もなかった。
…だったら、いっそ、この世界そのものを故郷にするしかないじゃないか。
いったん異世界に行くことができれば、この世界、物質界に戻ってきた時に、帰ってきたという感慨を得ることができるかもしれない。「ただいま」という一言が、言えるかもしれない。 その時に初めて、ついぞえられなかった帰属意識というものを、持つことができることができるかもしれない。ほかならぬ、この物質界に対して。
だから、どこでもいい。世界の境界を超えることに、憧憬めいたものを覚えている。
たわ事だ。たわ言であるのだけれども。捨て置けない感情だった。
ただ、異世界ならばどこでも良いというわけでもない。魔界などは、話に聞くにつけ御免だと思う。神の信者で無い自分は、ファリスの天界にもラーダの星界にもいけそうにない。 けれども、自分の血の中の半分のルーツになっている世界、妖精界なら、すこしは馴染めるかもしれない。そんな期待もあった。
そして、妖精界の情報を手に入れたその日の夜、試しに港に出てみると、アザーン行きの船がちょうど出航し、客員用の寝台が空いているというので、取るものも取り敢えず、誰に告げる間もなしに、船に乗りこんだ。そして、この果ての島までやってきた。
珍しく目的を持って意気込んできたわけだが。このごに及んで、しりごみをしていた。 妖精界への入口を見つけたにしても、自分は、この世界が故郷と呼べるほどに、この世界を知っているわけではない。 自分など、大陸のほんの表面を、這いずっているに過ぎない。そこを細部まで知らずして、なんでそこを故郷と呼べようか。そんな戸惑いがあった。
一様に理解するには、この世界はあまりに多様で、深く、神秘にあふれている。その大きさに対してなんと自分は小さいのか。世界自体を故郷と呼ぶのは、大それ過ぎている。 アザーンの島一つを取ってみても、その多様さに打ちひしがれているのに。
まだ、他の世界を目指すのは、早過ぎるのだ。おこがましすぎるのだ。 それで魔法樹の森のある島ではなく、反動からか、最も妖精界と縁の遠そうな砂漠の島に、乗りこみ、そのまま沈没していたわけである。
船の汽笛が鳴る。順調に、潮流に乗り、ベノールについたらしい。
アザーン本島の南端に位置するベノールは、高い城壁と深い堀に囲まれた都市国家だった。プリシスと似ていなくもない。 町並みは整然とし、路地も清潔で、隅々まで手が行き届いている。南の島々の特産品が集積する地点であり、各島に定期的に船が出ている。
定期船があるというのは、注目すべき事だ。それだけ、物や人の流れが規則的であり、収入と利益が確保されているわけで、船の日程をもとに、計画を立てることができる。それがいっそう、物の流れを加速させるわけだ。不定期ではそうはいかない。ベノールの国力の強さが伺えた。
都市の形を、鳥瞰できるとしたら、満月のように円形にみえることだろう。その円の中心に位置するところに、ベノールの城がある。それを囲むように貴族の館、その外側に豪商や力のある市民、そして円の辺縁部にいくについれて、生活のレベルは落ちていく。ここに住む者の力は、円の真中への距離に反比例するようだ。この都市になにかあったら、下層の者から荒らされていくわけで。よいか悪いかは別として、非常にわかりやすい。
大陸の者は、辺境の島と馬鹿にしがちであるが、ザラスタの制度といい、アザーンの都市は、むしろ大陸より洗練された、高度な文化を持っているように思えた。
スー親父は、わざわざついてきてくれたのだと思っていたが、島では手に入らない日用品や食料の買出しが主目的であるようだった。市場でしこたま買物をしては、次の定期船への荷運びの手続きを行う。
目的の魔術師、バラミは、貴族と豪商の館が混在する一角の屋敷にすんでいた。胡散臭げな目で見られたが、スーの名を告げると、しばらく待たされた後に、会う事ができた。人の出入りが激しい活気のある館で、商会の看板が掲げられていた。 バラミは、すでに老境に差し掛かっている婆様で、頭は雪のように真っ白である。しかし、背筋はぴんと伸び、目の光は強い。深い笑い皺が目元に刻み込まれているが、目は笑っていない。そんな印象だ。
楽隠居しているのかと思いきや、今もザラスタにある魔術師ギルドの現役の会員であるということだ。それだけではなく、商会の代表も務めている。こちらが本業らしく、魔術師にありがちな、象牙の搭の住人、というわけでは決してない。世間慣れした、かなりのやり手である印象だ。
忙しいのに一体何をしに来た? そういう表情だった。
「四大魔法を学んだという老人がいると聞いた。力が必要なんだ」
水の出ない枯れ井戸から水を得たい、と持ちかけ、背景を説明する。井戸の壁の周りで、固体が析出して詰まってしまい、水が流れなくなっている。それは、水を含む層が、細かい砂が固まってできた岩であるために、もともと、水の流れるべき隙間が、他の岩よりも小さかったことによる。それらの原因を説明した後で、破壊の魔法により、井戸の岩石に亀裂を作り、水の移動を可能にすることができるかどうか、打診した。
興味を引く事はできたようで、井戸の深さや、いつ掘られたものであるのか、岩の性質や固さ、詰まっている範囲などを、細かく聞いてきた。 結果、行ってみなければわからないが、不可能ではないだろう、ということだった。
ただ、思わぬ要求をつきつけてきた。
「依頼人が、村長の名前だけではだめだね。井戸に手をつけること、および魔術師が計画に参加することについて、ベノールの宮廷から文書での承認はもらっているのかい? 村が城の許可無しに勝手に行うってのなら、引き受ける事はできないよ」
城の後ろ盾が必要だ、ということだ。 そのためには、サバス島の代表である村長の名で、ベノール宮廷宛の承認依頼書を書いてもらい、それを受けて宮廷が承認状を発行した上で、この魔術師に申し込む、という面倒な手続きを踏まねばならない。公共のものに手をつけるということには、思わぬ複雑な落とし穴があった。
今からまた、サバスに戻らねばならないというのは、ばかばかしい。 しかし、意を得たとばかりに、スー親父が胸叩いた。
「宮廷への承認依頼書は、ちゃんと村長にサインをしてもらってきている。あとは、別紙に手段として、婆さんの参加のことを書き足せばすむことだ」
「用意周到だな」 口笛を吹いて感心する。 「前にも何度か、井戸掘りのときに来ているんでな」
井戸の掘削には、金も人手もかかる。なにより、国の領土をいじるわけだから、それ相応の許可が必要ということらしい。水や資源を得るということは、その地方が他の地方よりも力をつけるということであるので、特に慎重になる必要があるのだ。 この当たりの社会影響については、かなり考慮せねばならないということに気がついた。
「婆さんにしても、大義名分が必要なのさ。特に公共性の強いものだとな。あとから、誰が勝手にやった、と責められることは避けたいのさ」
メクターナの採取師の話を思い出した。古代の魔術師がこの島でした事を考えると、大陸よりもずっと、魔術師は肩身の狭い思いをしなければならないし、信用を得るのが大変なのだろう。魔術師が私欲で行ったことではなく、国の正式な依頼に基づいて行った、という証が必要なのだ。
「承認の発行は、いつになりそうだ?」 お役所の手続き事項というのは、時間がかかるというのが相場である。
「早くて3、4日後というところかな。いくつかの部署を通るだろうし。その間に仕入れをしておきたいし、ちょうどいいさ。お前も街をゆっくり見てきたら良い」
「それにしても面倒だ。袖の下でどうにかなるものじゃないのか」 緊急で進めねばならないというわけではないが、物事が進行しているときに流れを止められるのも、良い気分ではない。
「まぁなぁ。だが、多少わずらわしくて時間がかかってたらい回しにされても、皆がきちんと手続きをしないとならないほうが、賄賂でどうとでもなるよりは、いいんじゃないかな」
真っ当な考えであるし、それを実行しているこの国は、まともだと思った。 このまともさを維持するのが難しいのだ。大抵は、権力者は特権があるとそれに浮かれ、手放そうとはせず、自分が特権を受ける立場である限り、権力の偏りを維持させようとする。 大陸から離れた、古代の流刑地である、大陸から辺境と見下されているいえるこの島で、前衛的な政治が実現されているのが、新鮮に感じられた。
承認は、思ったより簡単に取れた。目的を説明し、3日後、再度受け取りに来ると、行政官の名で、きちんと承認証を発行してくれていた。
問題は、さらに別のところにあった。 承認証を手にして再びバラミの元を訪れたときの彼女の一声。
「依頼料は10,000だ。ガメル1枚、まかんないよ」
予想よりも桁が一つ上であったので、驚く。
「火球程度の魔法なら、オランの学院の相場は3000程度だろう。魔法を不当に高く売りつけてあこぎな商売を行う者がいると、ギルドの本部に報告されるぞ」 抗議の声を上げると、じろりと睨まれる。
「お前さんはどこの世間知らずだい? 依頼の内容とあたしの経験を考えな。だいたい、学院から連れてくるにも交通費、手数料がかかるだろうし、ここからサバス島に赴くにも時間と金がかかる。それに、魔法をかけて、ハイおしまい、じゃないだろ。調査料や日当はどうなるのさ」
理屈をつけては、ここの相場は自分だ、と言ってゆずらない。
「日あたり50としても半月かかったとして750、魔法で4000として、その他をいれても、せいぜい6000程度じゃないか」 「足りない足りない。話にならないね」 老婆は首を振る。
「わかった、じゃぁ、オランに戻って、別の魔術師を探す」 そういって背を見せて、ドアのノブに手をかける。
「…しょうがない。9,500でどうだ」 婆さんはようやく譲歩してきた。無茶苦茶に吹っかけて、追い出そうとしていたわけではなかった。ほっとする。
今からオランまで、船を捜し、魔術師を探してとなると、2カ月は要する。それに、オランに戻っている間に責任を放棄して逃げられたと島民に思われるのも癪である。オランまでの往復の経費や日当を考えると、バラミの言う額より高くなるのは十分考えられる。今のところは、この老婆に頼むほかは無かった。
アザーンに来島する船上で、島の商人は、3回ドアに手を触れてはじめて商売になる、ということを水夫が教えてくれていなかったら、ここまで強気にはでられなかった。 宮廷からの依頼状を要求するぐらいなので、引きうける気はあるのだと踏んでいたこともあった。
たしかに、魔法を一度かけてもらって終り、というような類の依頼ではないので、値が上がる事にも納得はいく。逆にいえば、それだけ真剣に考えてくれているのだ。
結局、宿や食事は島の側が受け持つ、必要な人足は島の住民で調達する、などの条件をつけて、8,000で折り合いがついた。
「前金3割、成功報酬7割でいいな?」 スー親父が、すかさず付け加える。
通常、前金は4、5割である。悶着になると思ったが、これに対しては、老魔術師は、片眉を上げただけだった。
「まぁそんなものだろう。確実性は低いしねぇ。経費がでりゃぁいいさ」
これには助かった。失敗しても、損失は少なくてすむ。 後は、溜まっている商館のほうの仕事の引継ぎをしたらすぐ、来てくれるということだった。老境にあるとは思えない機敏さで、バラミはてきぱきと部下に指示を出しはじめた。本業は大分忙しいらしい。それを圧して、こちらに来てくれるというのだ。感謝せねばなるまい。
「にしても、やはり高いなぁ。ごうつくで有名な婆さんだから、覚悟はしていたが。今回こそはうまく行ってもらわねば…」 船の手配をしに商館を出てから、親父は嘆息する。
「上手くいかなかったら?」 「その時はリヴァースに、島で一生働いて返してもらおう」 「寿命は多分人間より長いから、半生ぐらいでまからんか?」 「そんなことにまで、値切るな」 「いいじゃないか。島の物価は高いんだし」
実際、全体的に、島の品の値段は高かった。到底、自給自足はできない島である。本島から運んでくるにも、輸送費がかかるのだ。 ともかく、漫才はそこまでにしておいて、頭を現実的なものに切り返る。 「で、どうやって金を揃えるんだ?」 「島の皆から集めるさ」
そういって、スーは説明をする。 村の人口は約200人、50家族ほどになる。全員が水を利用するので、全ての世帯から集めることになる。これを5世帯ずつ、10組に分ける。収入をその多さに応じていくつかの階層に分けて、各段階ごとに、徴収額を設定する。収入の多いものほど、多く支払わねばならない。狭い島ゆえ、お互いがお互いの家計については良く知っているので、ずるいことはできない。
支払は、5世帯ずつの組全体を単位として行われる。組の中のだれかが支払わねば、組の他の者がその埋め合わせをせねばならない、という仕組だ。よく考えられたシステムだった。
思ったより、島の者の生活水準は良いらしい。これまでに幾度か、料金を収集しては、井戸掘りや村の道の整備、砂嵐でダメージを受けた家の補修や、集会所の建設などに当てているらしかった。国や領主の仕事を待たず、公共のものに、お互いに金を出し合って進んで整備しようという共同体意識の高さに感心する。
島の者の地元意識が強いこと、村長の権限が強い事などの要素はあるが、メクターナという、商品価値の高い特産物を有している事と、消費地への定期船があるので、島の住民が直接換金できる市場に来れることが大きいのだろう。商人任せにすると、途中で搾取され、島の者にお金が入らず、島の発展は遅れるのだ。辺境の農村の農民が貧しいのは、作物が取れない事ではなく、取れた作物を換金する手立てが乏しいことによる。
「あ、リヴァース。お前は一番貧乏人の額でいいから」 「……待て」
なんで住人ではない自分が払わねばならないのか。 なぜ自分が一番の貧乏人扱いをされるのか。
2つの抗議が頭の中で同時に閃いた。無論、スー親父の冗談ではあったが、どちらから口にしようか迷っているうちに、危うく了解させられるところだった。
額や仕事内容、条件を確認し、それらが記された契約書を交わす。お互いよく読み、被雇用者としてのサインが、バラミからしたためられる。雇用者は、サバス島の村長が良かろうということだ。島に持って帰り、村長にサインを入れてもらう。村長の承認は、これまでの経験から問題はないだろうということだ。見届け人として、スーと自分の二人の名も記した。
こういった金の絡む問題は、必ず、契約書が必要である。それが同意事項の証拠になり、後のトラブルを回避するのに重要なものになるのだ。
受け持っていた仕事の引継ぎに、多少の時間がかかるということで、バラミには、数日後の船でサバス島に来てもらう事になった。
なんとか、今のところは、進展だ。ふぅ、と息をつく。 ただ、なおも懸念はあった。
岩蟲の巣に撒かれた砂鉄。 入っていた井戸に閉められた蓋。
サバスの島に何らかの擾乱が起きているのは確かだった。誰もが自分の行動を歓迎しているわけではないし、自分とは別に、サバス島の自然を乱そうとしている者が居る。 それらは、全く別の要素にせよ、背後で繋がっているにせよ、今のところはまだ、それがどう影響してくるのか、検討がつかない。
婆さんが上手く働いてくれるという保証はどこにも無いし、成功するとは限らない。力が及ばないかもしれないし、最悪、金だけ持って逃げられる、ということもある。身元がはっきりしているのでそれはないかもしれないが、金だけ払って結果無し、というのが、最もありうるのだ。
サバスに戻る船の上で、今後のことをあれこれと想定してみるが、確たる展望にたどり着く事はできなかった。 何かを変えようとする行いを負うことが、こんなに大変だとは思わなかった。他人任せに出来れば、どれほど楽だろう。
船は、そんな想いを知らずして、逆方向の海流をそれて進路を取りながら、一路、サバス島に戻る。 真っ直ぐに、陸を目指して飛べる海鳥を、今ほどうらやましいと思う事はなかった。
―――(続)
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