野へと架かる橋 -前篇- ( 2003/01/31 )
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作者
あいん
登場キャラクター
ダルス、スカイアー



「ダルス! 一体遁げた。そちらを頼む」
「ウム。任された」

鋭鋒な声が夜闇を裂き、その間隙を斬撃が埋めていく。
宙に正確な軌道の、青白い残照を描きながら。

夜空は薄い雲に覆われ、時折、顔を見せる月が冷たい白銀の光を射し、大地に横たわる数体の骸は、その身体に刻まれた鮮やかな痕を晒している。傷痕は刃物と鈍器によるもの。その何れもが的確に急所を捉えていた。

ダルス・ドームとスカイアー・ロックウェル。
両名ともに王都では少なからず名の通った人物だ。歴戦の中で培われた、その戦闘技倆は冒険者と呼ばれる者たちの水準を遥かに上回る、いわゆる、英雄に近しい存在である。

その二人が王都の北東三日に位置する村落を訪れたのは十日程前の事。戦神マイリーの神官たるダルスが神殿からの要請でそこに赴くことになったとき、この世話焼きなドワーフは朋友スカイアーを同伴にと誘った。
スカイアーは“鉄”の二つ名で知られる評判の剣士であり、比類なき勇者として声望を集めていたが、その心胆は異名の如く必ずしも堅牢ではなかった。

“鉄”のスカイアーとて人の子である。

ダルスのその一言で、心の鏡を曇らせていたスカイアーは暫く王都を離れて静養する決を下し、ダルスの誘いに応じた。

ダルスとスカイアーの二人にとって村落での時間は実に穏やかに流れた。
元々、ダルスは神殿からの要請により近年、商売ならぬ布教熱心に、地方の勢力拡大を図る異教の進出に対抗すべく派遣されたのだが、この村落に住まう人々は永く戦神を崇めてきたこともあって、神殿上層部の危惧は杞憂に終わった。だが、それ以上にダルス個人にとって収穫だったのは、ある少女との出会いだった。

わずか齢十を数えたばかりのその少女は誰よりも熱心に説法を聞き、篤く敬虔に戦神を崇めていた。中でも特筆に値するのは、兎角、大人でも誤認しがちな神と心との関係を、知識ではなく実感として既に会得していたことである。これは得難い資質と言う他にない。

だが、そんなある日、その少女が同年代の男児たちと喧嘩沙汰を起こしたという報が飛び込んできた。更に詳報を聞いてみれば、三人を相手に怯むことなく戦い、結果的に負けはしたものの、最後まで涙を見せることがなかったと云うから、ダルスでなくとも驚き、感心もしよう。ダルスはその奮闘に頬を緩ませつつも、最も肝心な事を諭旨するのを怠らなかった。

「なぜ、喧嘩をしたのじゃ。いや、責めているのではないぞ。じゃが、蛮勇は戦神の好まざるところである。人生とは戦いであり、逆もまた然り。すなわち、正当ならざる戦いは人の道に逸れるということじゃて。それは分かるな?」

ダルスの問いに少女は無言で頷くのみである。だが、決して喧嘩の理由を口外しようとはしなかった。
しかし、それは自ずの脚で歩き、そして少女の足元に擦り寄ってきた。

一匹の仔犬が、甘えるように懐いてきている。その白い毛並みの隙間にはまだ新しい怪我と、稚拙な手当ての痕跡がある──その理由は、あまりにも明白過ぎた。

ダルスは困惑と羞恥の色を隠せない少女に短い賞賛の言葉を贈り、その頭をひとつ撫でてやった。少女がそれを欲していることをダルスは経験上から知っていたのである。幼い勇者へのささやかなる報奨の価値は、その表情──満面の笑顔が全てを物語っていた。

仔犬と共に去っていく少女に戦神の祝福を捧げるダルスの背を凛と通る声が叩く。
スカイアー・ロックウェルである。

「良い資質を備えた娘のようだな」
「ウム。このまま健やかに育てば、かの“剣の姫”の再来になれるやも知れんのぉ」
「ホゥ。では、貴殿は後世に“新しき剣の姫”の育ての親として名を残すのかな」
「ハハハ、それも悪くはないが、ワシが望むのは、あの娘の生涯が戦神と共に健やかにあること。それだけじゃよ」

そんな少女との心のふれあいは、ダルスにとって正に至福の時間であった。


だが、穏やかなる日々は闖入者によって破られた。
村落の外れで怪物らしき存在が目撃されたのである。俄かに騒然とする村人を宥めつつも、ダルスとスカイアーは目撃者の情報から怪物を不死の亡者と断定し、その対策を練った。

「この目で確かめぬ限りは判然とせんが、おそらくはワイトじゃろうな」
「うむ。下級の亡者であれば事は容易かったのだが、ワイトとなれば状況に座して静観するは愚策であろうな。一度[ひとたび]、被害が拡大すれば策の打ちようがなくなる」
「ならば、話は早い。ワシとおぬしで殲滅する他はない。情報が確かであればワイトの数、そう多くはなさそうじゃ。勝機は充分にある」
「異存はない。他に、村人には昼間は決して単独にならぬよう、夜間は外出を禁じるよう指示を図ろう。それと、念の為にオランへ遣いを出しておくべきであろうな。村長、すまぬがそのように手配して戴きたい」

斯くして、ダルスとスカイアーによるワイト討伐が開始されたのである。


ダルスによって魔力が施されたスカイアーの剣がワイトの身体を初めて捉えたのは、事件が発覚してから二日目の夜の事であった。一般に亡者は憎悪の衝動によってのみ活動していると思われがちだが、それは下級の類のみで、ワイトともなれば人並みの知恵を持つ。当然、自己の存在が人間たちに歓迎されぬ事を熟知している彼らは、その警戒心を逆手に取って潜伏し、不安と恐慌を煽りつつ、様子を窺う事もあるのだ。

そして、不死の亡者の中にはワイトのように銀製か、魔力を帯びた武器でなければ効果を為さないものも少なくはない。スカイアーの佩剣──断影・改は当代の業物ではあったが、魔剣ではないが故にダルスの魔法の助力を必要とした。それは必然的に両者を随伴させ合う形となり、捜索の範囲を狭めてしまったが、状況的にはやむを得ない事でもあった。だが、結果として、それが事態の変化に対して鈍となった。

「今日で三日目、じゃが、覆滅するどころかワイト自体発見できたのは一体のみ。残された足跡から見るに、あと三体はいるはずじゃ」
「うむ。深刻にならざるをえまい。僥倖にも未だ村落への被害こそないものの、既に三日、村民の精神的負荷は限界に近いかも知れん。亡者共の狡猾さが恨めしいところだ」
「心情は分かるが焦慮は禁物じゃぞ。なに、おぬしの技倆[うで]ならば居場所さえ見つければ半日で事足りるわい」

日没を間近に控えた逢魔ヶ刻、会話を交わしながら武具の手入れをしていた二人のもとに緊急の報が届く。
村人の中にその行方が杳として知れぬ者がいるというのだ──あの少女である。

それは村人の間に張り詰めていた緊張の糸が切れる契機となった。
村長を始め、村人たちが総出で少女の捜索に出かけんと激発しかけたのを未然に防いだのは、スカイアーの重厚なる一語だった。

「待たれよ。亡者の危険が払拭できておらぬ現状で徒に闇に飛び込めば被害が拡大する一方だ。我ら二人だけで貴兄ら全員を護る事は不可能であり、さすれば、亡者共の思惑の内であるぞ。ここは自重されたし」

だが、村人の中にはスカイアーの言を理解すれど納得の出来ぬ者もいた。
少女の両親である。

「あの子を、うちの娘を見殺しにしろって言うんですか!」

両親の痛切なる叫びはスカイアーの反論を封じ込めた。理屈には理屈で反駁することも可能だが、親が子を思う心情を如何なる言葉で抑制できようものか。己が無力さに歯噛みするスカイアーの傍らで、それまで沈黙を守り続けていたダルスが、その重たい口を開いた。

「ここはワシらに任せて貰えんかな。あの娘は必ず救い出してみせる。戦神神官ダルス・ドームの約定では、納得して戴けぬか?」

ダルスは、決して多弁でも雄弁でもないその一語を以って、混乱の様相を呈していた場を沈静化させた。
これが神官の、否、ダルスの徳というものであろう。スカイアーは心底、この朋友の器の大きさを頼もしく、そして誇らしく思った。オランのマイリー神殿に従事する者が数多いようとも、ダルスほどに徳の高い者は稀有であろう、と。

だが、村人の承諾を得て捜索に出た二人に、時間は激しく、厳しく、そして、空しく流れた。

四日目の太陽が地平の彼方へ沈んでいく頃、ダルスもスカイアーも不眠不休の捜索により肉体、精神共に困憊の色を強くしていた。連日の蓄積による疲労が心身を蝕み、集中力を削いでいく中で、尚、二人は不撓不屈を体現化した化身の如く、その身を粉にして少女の名を叫び、草叢を踏み分ける。

その二人を狙う敵意が草叢の中で爪を光らせていた。

空気の異変を敏感に察知したのはスカイアーだった。異変とはすなわち風の気配が変わった事を意味する。だが、それは精霊使いたちが感知するものとは違い、もっと漠然とした感覚的なものに過ぎない。殺気にも似ているが少し異なる独特の気配。それは傭兵時代に培われた勘と経験による賜物であった。

草叢が音を慣らした刹那、凶しき爪がスカイアーに襲い掛かる。
だが、それは寸の見切りで躱された。相手の気配を察していたからこそ可能な業であったが、何者の仕業であるか判然としない為にすれ違い様に薙ぎ払わずにいたのだが、案の定、潜伏していたのはワイトが──四体。
亡者たちにすれば罠に飛び込んできた獲物が二体なのであろうが、スカイアーたちにとってもここでワイトを殲滅すれば憂いが断てるとあって、双方ともに、この戦闘は望むところである。

「剣に魔力[ちから]を!」
「応!」

ダルス自身、ワイトの爪をかい潜りながら、断影・改と自らの木棍に魔力を宿す。流石に“鉄”のスカイアーと比べれば見劣りは否めないが、ダルスの戦闘技倆は決して他者の後塵を拝するものではない。特に急所を狙わせればスカイアーのそれを凌ぐほどの冴えを見せる。

先にワイトに致命的な打撃を与えたのはダルスの方であった。
蜒る木棍が立て続けにワイトの関節部位を砕き、その膝を崩した。そこに間断なく追い討ちを加え、ワイトの身体を完全に打ち砕いたとき、背後からスカイアーの声が響いた。



  


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