野へと架かる橋 -後篇- ( 2003/01/31 )
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作者
あいん
登場キャラクター
ダルス、スカイアー



ドワーフ族であるダルスは人間のスカイアーと違い暗闇を苦にはしない。故に、夜間戦闘ではダルスの方が長じていると言える。スカイアーよりも先にワイトを一体斃したダルスは次なる標的を即座に絞っていた。

時を同じくして、スカイアーが組していたワイトが大地に崩れ落ちた。頚椎部を一刀両断。夜闇にてこずり間合いを測りかねていのだが、わずか数合の間にその微妙なズレの修正を果たしたのだ。“鉄”のスカイアーの本領発揮と言うべきであろう。

「ダルス! 一体遁げた。そちらを頼む」
「ウム。任された」

両者の思惑は一致していた。スカイアー自身、もう一体のワイトに剣を奮いながら、死角の方向に遁走した亡者をダルスに委ねた。朋友の力量に絶対の信頼を寄せていればこそ、互いに微塵の懸念もない。

己が不利を悟って遁走を図るワイトの行方を確認すると、ダルスは駆け出すよりも早く裂帛の気合と共に掌[たなごころ]から気弾を飛ばした。神聖語魔法のフォースである。その一撃がワイトの背を直撃し、衝撃で体勢を崩した隙を見逃さず、ダルスはワイトとの距離を一気に縮めた。

掛け声と共に荒々しく吐き出される息。低く迅い跳躍。
ワイトが体勢を立て直し、再び遁走するよりも早く、ダルスの木棍がその身体を叩いた。鈍い残響。それは確かな手応えを意味する。勝利を確信したダルスは、渾身の一撃を放たんとした。

斬!

闇をも切り裂きかねないほどの斬撃を水平に閃かせ、スカイアーは二体目のワイトを斃していた。刀匠ノカルディアの鍛えし断影・改は常に“鉄”のスカイアーを満足させる働きを見せる。まさに業物であった。

「ダルスの方はどうなったか」

不意に静寂過ぎることに気がついたスカイアーは周囲を見渡し、ダルスの気配を探った。

──あった。左斜め後方に人の気配がする。だが、

「面妖な。あまりにも動きがなさ過ぎる」

漠然とした不安を抱いたスカイアーがそちらへ歩を進めるよりも早く、事態は推移を見せた。
草叢をかき分けてスカイアーの方へ歩み寄ってくる小柄な影。だが、それはダルスではない。彼よりも僅かばかり背が高く、瞭らかに幅がない。むしろ、体型そのものは華奢な──子供であった。

声だ。声がする。
それまでスカイアーの聴覚には触れてこなかった声が微かに、そして、確かに聞こえてくる。

「鳴咽……否、泣き声と言うべきか」

未だ魔力の宿った佩剣の柄を握り直し、近づいてくる影に目を凝らす。先刻のワイトと対峙したときには浮かびもしなかった汗が滲み、その額を伝って落ちた。肌を刺す凶々しい気配。スカイアーの戦士としての勘が警鐘を鳴らす。

──眼前にいるものは敵であると。

小さく息をひとつ吐いたスカイアーが握りに力を込め直すのと、ダルスの抑制の声が夜闇に響くのはほぼ同時だった。そして、それに遅れること数瞬、その影に白銀の光が射した。

「止せ、スカイアー。それは、あの娘じゃ!」

月光に照らし出された影の正体は、行方不明の少女だった。

そこには変わり果てた少女の姿があった。引き裂かれた衣服には凝固した血液が付着し、瑞々しかった身体には無惨な傷痕が刻まれている。顔色に生気は無く、その表情は苦悶に満ちているのか、泣いているのか判別がつかない程に引きつり、歪んでいる。そしてなにより、その身体から凶々しい──先刻、斬り捨てたものたちと同じ、邪な気が横溢していた。

ワイトの爪には肉体のみならず心をも侵食する悪しき力がある。その力に抗えきれなくなった者は、同族に身を落とすのみ──すなわち、亡者と化す。

このような事態の予測を、スカイアーはその胸襟でしていなかったわけではない。故に驚きはしなかった。が、流石に愕然たる想いは拭えない。このような可能性を、最悪の事態を、避ける為に、スカイアーは、そして誰よりもダルスが、労を惜しまず、必死に、懸命に尽くしてきたのではないか。

しかし、現実とは往々にして残酷なる女神に支配されているものである。

最早、術はなし。一度、亡者と化した者は土に還してやることしかできない。
そう断を下したスカイアーが悠然と断影・改を構えても、少女はその歩みを止めようとはしなかった。ただ、その嘆きのような音の隙間から、微かに声と思わしきものを漏らしているだけである。

「…なんで? あたし、大きくなったらダルス様のような立派な神官になるの。痛いよぉ。 絶対、ここから出ちゃダメだからね。 …どうして? …なんで? あたし、大きくなったら──」

繰り返されるその言葉に脈絡はなく、漠然と語を繋いでいるだけのようだった。それは無意識の未練なのかも知れない。

「断ち切ってやろう。それがせめてもの憐憫の情だ」

一歩踏み出し、未だ魔力を帯びる剣を振り下ろした刹那、スカイアーの眼前にダルスが立ちはだかっていた。
少女とスカイアーの間に立ち、断影・改の苛烈な一撃を木棍で受け止めたその表情は、憐れなまでに苦渋に塗れていた。

「……心情は解るが、長引かせるだけだぞ、ダルス・ドーム」

剣を引いたスカイアーは顎を振って、退くよう促したが、この頑固なドワーフは頭も心も朋友の言の正しさを理解しながら、身体だけが納得しきれていないかのように、少女とスカイアーとの間に立ちはだかり続けた。

だが、二人の対峙した時間は長いようで短かった。ダルスが髭を震わせるように口を開き、

「ワシがやる」

短く、そして重い呟きを発したことで、スカイアーはその剣を収めた。
実のところ、彼の剣に宿った魔力は既に消散しており、ダルスの協力なくしては少女を土に還すことは不可能だった。全てはダルスに決意させる為の、スカイアー・ロックウェルという漢の配慮であった。

だが、前言に反するかのようにダルスは悠然と少女の方へ歩み寄り、その眼前で立ち止まったまま微動だにしない。亡者となった者が生への未練を断ち切れぬように、生者もまた、死者への未練を断ち切る事は容易ではない。

しかし、その思いに縛られたままでは生者も死者と何ら変わりがないではないか。生者には生者の──死者を弔ってやる責務があるのだ。

ダルスの背を後押しするように見つめていたスカイアーは、そのとき、予想外の方で鳴った草叢の音に意識を奪われた。足音がふたつ、いずれも大きな闊歩の、人間と思われるサイズ。咄嗟に身構えたスカイアーは反射的に剣に手をかけたが、松明によって照らされたその姿を見て、緊張は警戒へと変化した。

傭兵とも冒険者とも見てとれる二人組の男。賊の可能性も完全には否定できない。
ある意味、怪物よりも人間の方が厄介なものだ。

「ん、貴公らがマイリー神殿所縁の者か? 故あってオランより加勢に来たのだが……いささか、事情が見えんな。説明して貰えれば有り難いのだが」

二人組の先頭に立つ大柄な男は屈託のない声でスカイアーに言葉を投じた。後方には気難しそうな中背の男も松明を掲げ、その様相を怪訝そうに眺めている。

「加勢と申されたが、貴殿らは──チャ・ザの手の者か?」

大柄な男の装飾の紋を見止めてスカイアーは問い掛けたが、それに対する明確な返答は得られなかった。男は不敵な笑みを浮かべてスカイアーを一瞥した後、その視線を散らばったワイトの骸、少女と対峙するダルスの順に推移させていく。

「やれやれ、聞いてたのと状況が少し異なるようだな。どうやら手後れらし……でもないか」

頭を掻きながら、発した男の声はどこかこの状況を楽しんでいる風でもあった。恐らく、そういう性分なのだろうとスカイアーは直感したが、何故、そう感じられたのかは自身にも判然としなかった。しかし、妙に確信めいたものがあるのは、この男が己と同じ匂いを備えているからではないかと分析した。

暫く何事か考える素振りを見せていた男は頭を掻く手を止めて腰の鞘から小剣を抜き、まるでゴミでも棄てるかのように無造作に宙に放り投げると、それは、綺麗な放物線を描いてダルスの足元の地に突き刺さった。その刀身は、青白い光を発する──魔剣であった。

「やるよ、それ」

それだけを言い残して男は踵を返した。そして、喧しく叫んでいるもう一人の男を強引に引っ張って村落のある方へと姿を消していったのである。余りにも唐突な展開に、流石のスカイアーも唖然とする他なかった。

スカイアーが一瞬、我を失った隙に事態はまたも動きを見せていた。
ダルスの鈍い悲鳴が漏れ、少女の──少女のものとは思えぬ鋭利な爪がダルスの革鎧の隙間を裂いていた。鮮血の筋が走り、朱珠が宙に舞う。

「…どうして? …なんで? あたし、大きくなったらダルス様みたいな神官に……イヤァァァァァァァァ!!」

それまでは呟きの如しであった少女の声が一際、甲高くなると、その様子が一変した。狂乱したかのような、悲鳴とも咆哮とも取れる雄叫びをあげて闇雲に爪を奮っている。ダルスはそれを避けようともせず、ただ、立ち尽くすのみであった。まるで死を甘受する者のように、その切っ先に嬲られるがままである。

少女の腕は細く華奢で、ダルスは人間より頑健さを誇るドワーフ族であるとはいえ、次々と刻まれていく無数の傷はいずれ肉体を、あるいは精神を破壊し尽くしてしまうだろう。そうなれば、ダルスもまた少女と同じ末路を迎えるのみである。そのような事態は断じて避けねばならない。

ダルスは少女を討つ意を決したのではなく、自らが犠牲になるつもりだったのか。
スカイアーは脳裏に浮かんだ疑念を振り払うかのように、先程の男が放った魔剣を手にしようとした、そのとき、新たな異変に気がついた。

ダルスが
少女を
慈しむかのように
そっと
優しく
そして力強く
抱擁している。

だが
ダルスの
胸を濡らす
返り血が
事の終焉を
静かに
顕示していた。

「……恨んでくれて構わんぞ。勇気の無かったワシを憎んでおくれ」

ダルスの無骨な手が少女の頭をひとつ撫でると、それが合図であったかのように瞼が固く閉ざされていく。
力なく崩れていく少女の、それは、二度目の絶命であった。

少女の胸元に吸い込まれた小剣を伝い、紅い雫がひとつ、ふたつと零れていく。
スカイアーはそれを涙の如しと喩えるのを厭った。少女の身体から、突き刺さった剣から、零れ落ちるそれは正真正銘の血液であり、彼女が生きていた証でなくてはならないのだ。人の生と死を過剰に美化することは生命に対する冒涜である。幾多もの死を見、乗り越えてきたスカイアーの、それは揺るぎ無い価値観だった。

ゆっくりと少女の身体を横たわらせたダルスは静かに戦神の印をきり、スカイアーに背を向けたまま語を発した。

「迷惑をかけた」
「かけられた覚えはないが、そう申すのであらば、後日、酒でも馳走して貰おう」
「ウム。それにしても、ワシはとんだ大嘘吐きじゃな。必ず救うなどと大言壮語しておきながら、この醜態[ザマ]じゃ」
「いや、貴殿の判断は適切であった。もし、私が少女を薙いでいれば彼女は未練で怨霊と化したやもしれぬ。その最後を、ダルス・ドームの手にかかることで、彼女は思いを吹っ切れたのではないか。それは即ち彼女の心を救ったことになる。……それに、我々が捜索に出たときには手後れだったのだ」

死者がワイトに化すのは二十四時間が必要とされている。
恐らく昨夕の時点で既に亡者の爪にかかり、帰らぬ身となっていたのであろう。

「それにしても、未練とは心の縛鎖なのだな。如何なる剣を以ってしても断ち切れぬものであると教えられた──私も貴殿に救われた一人だ。感謝する」

ダルスの肩が微かに揺れた。
スカイアーは夜空を仰いだ。

少女は静かに眠っていた。



オランへの夜道を進む二騎がある。
先頭を歩くのは黒鹿毛の馬。騎乗しているのは空の鞘を腰に提げた、あの大柄な男。

「──殿、あれで良いのですか!?」

馬蹄の音にかき消されがちな細い声が明瞭さを帯びてきたのは、後続の馬が馬体を寄せてきたからだ。その語調には明らかに非難の色が含まれている。

「では、お前さんは後から来た者が横からしゃしゃり出て、挙げ句、少女の亡者を討って功を誇れと言うのかね」
「そ、それに、神殿より拝借した魔剣も回収せずに!」
「あまりセコイことを言うなよ。大神に仕える者たちの鼎の軽重が問われるぞ。それに…」

「…墓標には碑が必要だからな」

男は同行者のそれ以上の追及を許さず、馬の横腹を蹴って駆歩におろすと、一気に疾駆させた。風の塊が顔を叩く痛みよりも、同門とはいえ、あのように無粋な輩と轡[くつわ]を並べる苦痛の方が遥かに優ったからである。

「しかし、あれが噂に聞く“鉄”のスカイアーと、もう一方は“鋼腕の”ダルスと言ったかな。いずれ、手合わせを願いたいものだ。さて、その縁を司るのはチャ・ザなのか、それともマイリーか、そちらも興味深い話だな」

その呟きは風乙女たちの囁きに包まれ、誰の聴覚に達する事もなく消えていった。



ダルスとスカイアーは村落へ戻る途上、ささやかなる発見をした──あの白い毛並みの仔犬が兎の巣穴に潜り込み、身を潜めていたのである。その穴から出てくるよう二人がいくら呼びかけても頑なに身を隠したままの仔犬は、少女の亡骸を見止めると、神妙な顔で這い出て来て、物哀しそうな声で鳴いた。

それは、頬を嘗めても、もう撫で返してくれることのない、最良の友への餞のように聞こえた。

後に少女の両親の証言から、彼女はその仔犬が何処かへ行ってしまったのを探しに出かけていた事が判明した。それを聞いたダルスとスカイアーは互いに顔を見合わせた。

──なんとも勇敢な少女と、忠実なる仔犬ではないか、と。

そして、その仔犬の命名を託されたダルスは当然の如く、唯一無二の選択をしたのである。
万感の思いを込めて。



翌、早暁、ダルスとスカイアーはオランへの帰路に就くべく村落を出立した。
見送りの者はない。二人がそれを望んだからである。

道中、蒼穹を見上げると、一筋の白雲が、まるで歓びの野に架かる橋のように、長く真っ直ぐ、そして健やかに伸びていた。

──あれならば迷わずに済みそうじゃな。

独り呟いたダルスの言葉を、スカイアーは聞こえぬ振りをした。そして、ふと思い立った。

成る程。あの娘は彷徨う事なく歓びの野に辿り着けるであろう。では、このドワーフがその天寿を全うしたとき、彼もまた迷わずに歓びの野へと辿り着けるに違いない。何故なら、愛らしい先住者がその無骨な手を引き、導いてくれるに違いないのだから。

そして、時間はまた穏やかに流れ出す。いつの日にか。あの刻へと向かって。



  


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