破顔一生 ( 2003/02/09 )
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作者
シャリオルPL
登場キャラクター
シャリオル



圧倒的な魔力で栄華と権勢を極め、神々の領域にも達さんとした古代魔法王国の体制と秩序が崩壊し、新たなる支配者たちが新しい時代を確立してより五百を数える年。
大陸の中原部に、野心を横溢させんとする一人の男がいた。レイド帝国四代目皇帝ルゾン二世、その人である。
彼が如何なる野望を燃やし、どのような夢を描いていたのかは判然とした記録には残されていない。ただ、年表だけが淡々と歴史的な事実を綴るのみである。すなわち、レイド帝国による、近隣のロマール王国に対する武力侵攻。中原に鹿を逐うが如き、彼のその所業は、歴史に新たな血文字を加筆する事となった。

世に言う、レイド−ロマール戦役の勃発である。


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敗戦国の末路とは常に一定の方向性に沿った運命の路上を加速していく。
すなわち、戦勝国による蹂躪と支配。

ロマール王国に敗れたレイド帝国の末路もその途を辿り、命運尽きた国家は空しく滅亡と併呑への階段を下るのみであった。その階段も、いつ何時、瓦解しかねない、不安定な均衡によって辛うじて保たれているに過ぎない。

若き日のシャリオル・サビ・フライアンは敗戦の色に塗れたレイドの街並みに愕然とした。
街の荒廃は決してロマール軍の侵略侵攻による被害の為だけではない。敗戦が濃厚になった国家とは常に内部から先に崩れていくものである。離反者の蜂起、日和見勢力の造反、その混乱に乗じて暴動、略奪を行う民衆。それら全ての者が沈みゆく船を見限り、新たな船に旗を振って媚びを見せる。それが露骨であればあるほどに、新しい船長は優越感と勝利の実感を増大させ、後の宣撫政策に寛大になり得るというものなのだ。

だが、兵士として前線で戦った者たちの胸中は複雑を禁じ得ない。
シャリオルもまた、その一人であった。傭兵として前線に配属されたものの敗北を喫して遁走、血に塗れ、泥を啜り、辛うじて追撃の牙を免れて帝都に帰還を果たせば、既に帝国の戦意は絶え、出征にあたって英雄であった彼らは最早、無様な敗北者に過ぎず、その敗戦と戦犯の責の一端を担う者として白眼視に晒される凋落ぶりである。

戦によって失われるものは生命や文化、財産、建築物、自然だけではない。
争いは人の誇りや絆をも奪うのだ。故にその業は重く、深甚なのである。

シャリオルは失火で焼け落ちた街並みの一角に腰を降ろし、眼前の瓦礫を呆然と眺めていた。
街は敗戦による一時の混乱と迷走から解放されて復興の動きを見せはじめている。国が滅び、為政者が変わろうとも、人々は営みを続けていかねばならないのだ。それは辛く、過酷な途であるかも知れない。だが、それを嘆いていても事態は決して好転には傾かない。その不安を振り払うかのように人々は体を動かし、復興に力を尽くすのである。

しかし、若いシャリオルの心を包むのは虚無感であり、その感情は麻痺に縛られていた。
生命の価値。戦いの意義。人間の業。今まで抱いてきた陳腐な価値観が、この戦によって完膚なきまでに粉砕されたのである。そして、その修復と再構築に助力してくれたであろう者たちをも失ってしまっていた。戦場で散っていった戦友たちと、瓦礫の下で轢死を遂げた肉親とを。

悲哀に起因した脱力が頭を垂れさせる。
立てた膝に顔を埋め、流す涙もなく、ただ、風に嬲られるがままであった。

「ねェ、アンタ、どっか痛むのかい?」

不意に声がした。遠くからではない。すぐ近くからだ。
その声が自分に向けられたものであることを察したシャリオルが顔を上げると、そこには少年が立っていた。年の頃は十歳、煤で汚れた肌と綻びの目立つ衣服。一瞬、貧民街の子供を想起させたが、街の現況を鑑みればそうと断定するには薄弱な根拠であろう。

「……イヤ、そういうわけではないが」

困惑するシャリオルを観察する双眸には一点の曇りもなく、まるで上空の蒼穹を映したかのようであった。
そこには苦境に屈せぬ強靭さと活力が漲っている。街の大人たちは理性と義務感によって自己を奮い立たせていたが、子供たちは違う。彼らは彼らだけが備える強さを幼い躯に秘めていた。

その瞳に吸い込まれるように視線を重ねた刹那、蒼穹は柔和な光彩を放った。

「じゃあ、腹が減ってたのか。オレ、ちょうどパンを持ってるから半分やるよ」

少年は服の下から薄汚れたパンを取り出し、それを半分に折って差し出した。折れた音から察するに、古く、固いパンなのであろう。だが、この情勢下にあって余剰な食料などは何処にもない。パンの一本たりとて貴重である。民衆が暴動を起こす原因の最たるものが糧食の不足であることは多くの歴史書が記すとおりであり、その価値は金貨よりも重いと言っても過言ではない。

「それはお前のモノだろ。貰うわけにはいかん」

固辞した一因に、慰みによる施しを受けるのを良しとしない自尊心があった。
ましてや、相手は年端もいかぬ子供である。屈辱以外のなにものにも感じられない。

「なに強がってんだよ。誰だって生きてりゃ腹が減るもんさ。生きてるからにはしっかり食わないと。死んじゃった人たちの分もな」

半分に割られたパンを強引に押し付けられても、尚、躊躇を禁じ得なかった。
少年の主張は正論だが、それが他人に糧食を与えることの直截たる理由にはならない。その意図を見抜けず、困惑するシャリオルに対し、少年は明朗な口調で言葉を続けた。

「それに、アンタ、兵隊さんだろ。顔を見れば分かるよ。戦争に負けて帰って来た人たちはみんな、アンタみたいに泣きたいのに泣いちゃいけないって顔してるから。やっぱ強い人たちは違うんだなって感心してたんだ。オレなんか、昨日まで大泣きしててさ。ヘヘヘッ。でも、今日から我慢するって決めたんだ。男なら泣くなって、それが母ちゃんの口癖だったから─」

「─だから、もう泣くのはヤメタ。笑うんだ。笑って、笑って、街を元通りに戻して、そしたらオレも兵隊になって、悪いロマールを退治してやるんだ」

いつのまにか強い口調に変じていた少年は鼻を一擦りしてから──最高の表情(かお)で笑った。
それは決して彼が純真だからでも、無垢だからでもない。汚辱に、泥濘に塗れた者だからこそ、その輝きを放てるのであろう。言わば、心の強さの光輝であると言っても良い。

「アンタ、オレたちの為に頑張って戦ってきてくれたんだろ、そりゃ、負けちゃったけどさ。 ……でも、オレがいま生きていられるのも、もしかしたら、アンタが戦ってくれたお陰かも知れないし、沢山の人が死んじゃった中で、こうやって、オレとアンタが出会えたのってスゴイことじゃん。きっと、戦いに勝ってたらオレたち出会ってなかったんだぜ。オレ、知ってるんだ、こういうのを縁って言うんだろ。幾つもの偶然が積み重なって出来るんだよな。だから、生きて巡り合えた幸運を祝して、それ、アンタにやるよ」

シャリオルは戸惑いながらもそれを両手で受け取った。

「……それと、ありがとな。オレと出会ってくれて」

照れくさそうな声を残して足早に立ち去って行く少年に声をかけようと腰を浮かせたが、返すべき言葉に迷っている内に、その時機を逸してしまった。一度として振り返ることなく駆けていった少年の背に逡巡の影はない。

再び独りになって腰を降ろし、両手で抱えたパンを凝視する。
表面には薄く黴が生えていた。焼きたての温もりはなく、冷たい感触だけが掌に伝わってくる。
一口だけ齧ってみる。予想に違わず固く、そして不味い。

なのに、心が揺さ振られるのは何故か。
睫を伏せて考えてみる。その答えはひどく曖昧で、そして明快なもの。

雨雫が一滴だけ落ちてパンを濡らした。
その染みが広がっていくのを、シャリオルはどうしても抑えることが出来なかった。


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「人の一生の価値とは、その死にあたって流された涙の量によって決するものなのでしょうか」

目黒通りにある酒亭で、男は悲哀に塗れた口調で呟いた。
聞けば、過日、幼子と共に妻までをも喪ってしまった身の上であると云う。馴れぬ深酒も手伝ってか、その思考は悲痛と沈痛の色を濃くする一途であった。

人は常に感情の大海を泳ぎ続ける生き物である。
それに際して、鼻腔と口腔から侵入する水が咽喉を流れ落ちて臓物に溜まるのは決して特異な事例ではない。そのままに溜め続ければ、体内の精霊力の均衡をも崩しかねない毒となる。故に、それを吐き出す必要があるのだ──いわゆる愚痴である。

古今東西、酒席における最良の酒肴はそれと決まっている。
しかし、逆にそれに溺れ、沈んでいってしまう者が絶無でないのも事実なのだ。

この男も、このままに放置すれば酒に溺れ、負の感情に溺れ、やがて沈んでいってしまうであろう。
酒で身を崩す者の末期とは常に一様なものだ。恐らくは、彼自身が先刻に発した最も惨澹たる事例のひとつとして、この世を去っていくことになる。

だが、その責を酒に押し付けられては敵わない。

酒を人生最良の友と仰ぐシャリオル・サビ・フライアンは、親友の窮状を救うべく、その身を乗り出した。

「これは、ある地方の俗伝らしい」


──おまえが産まれしとき、おまえは泣き、周囲の人々は笑っていたであろう。だから、おまえが死せるとき、おまえは笑い、そして、周囲の人々が泣くような人生を送るべきである。


豊潤な声で朗々と誦じたそれは、かつて、彼が戦友から幾度となく聞かされたものであった。

「だがな、俺はそうは思わん。魂魄を見送ってやる者が悲嘆に暮れていては、魂も安息の地で安穏たる刻を過ごせまい」

シャリオルは男の酒杯を奪うとそれを一気に干した。
咽喉の内壁を苦い液体が滑り落ちていく。

「だから、笑えよ。お前さんにはその義務があるのだからな」

十二年前の帝都で、少年が与えてくれたものは固く不味いパンだけではない。

自分は限りある生涯の中でそれを何人(なんぴと)に託していけるのか。
己が人生の価値とは、それによって決するものであると信じて邁進すればこそ、シャリオルはあの日の少年の背を懐かしむも、一途に追い続けることができるのである。



  


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