ひ とくちの水 のむたびに Act.7
( 2003/03/02)
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作者
入潮丸
登場キャラクター
リヴァース
(これまでの文章)
Act 1 Introduction
Act 2 Development Study
Act 3 Analysis
Act 4 On-call Specialist
Act 5 Detailed Design
Act 6 Project Implementation 1
Act 6.5 Project Implementation 2
■■■ Act 7 - Results and Findings - ■■■
月の昇らぬ、闇夜。
顔に黒い布を巻いた長身の男が、井戸に忍び寄る。
井戸に置かれた蓋が外される。
男は、抱えていた砂袋の口をあける。そして、その中身を、井戸の中に撒こうとする。
その背後に、立つ。
集中を解き、小さき精霊の力を解放する。精霊から借りていた透明な姿から、本来の姿に戻る。
人の気配に、男は身をこわばらせる。
後ろから男の手を握り、砂袋を足元に落とさせる。ばらける、金属の気配。緑青のわずかな色味が、闇に浮かぶ。それを、足で擦る。
「…蒸した銅の粉か。そんなものを入れたら、井戸の水は、金気でとても飲めたものではなくなる」
振りほどいて逃げようとする男の足をかけ、肩を押しつけて、地面に倒す。
「地霊の束縛などで手を焼かせないでいただきたい。あまり精霊を遣いたくない、ということはわかってもらえているだろう」
耳元で言うと、びくりとその体が震えた。
「……なぜわかった」
メクターナの採取師だった。
「月の無い夜、明かり無しに躊躇無く歩ける人間は、そうはいない」
井戸への導水を妨害しようとしている者がいることに対して、ずっと、考えていた。
誰が、何のために行っているのか。
それは、井戸から水が出てくることにより、不利益を被る人間だろう。
自分を除けば、島で唯一、自らで生水を作り出すことのできる精霊遣いである採取師がまず、挙げられた。
メクターナは島の共有財産である上、生産や精製は厳しく村により管理されていたため、それを用いて自分の稼ぎを増やすことは、不可能なことだった。
一方で、採取師は、呪文により海水を浄化させることで得た飲用の水を、自分では直接売らずに、水を運んできた商人に売り、その代金を得ていた。商人は、他 の島から運んできた水が少なくなってきた頃に、値を吊り上げて、その水を島の民に売ればよかった。
「商人の船の水夫の一人が、教えてくれた。おまえはやらないのか、と。それだけ、商人にしてみれば、水を運ぶ手間と回数が省けるであろうし」
採取師の歯軋りする音が聞こえてきた。
「ただ…わからないのは、何ゆえ、このような行いにまで及ぶのか。私欲にしては、行きすぎだ。 …事情があるのではないかと思った」
人は、好き好んで不徳を犯すものではない。絶対の悪事というのは、存在しない。ただ、境遇が悪人を作り出すのである。それを行うとなると、必ず、何らかの 理由が存在する。
「金が…要るのだ」
唇をかみ締め、彼は言った。力が抜けたので、拘束を外す。
それは、彼の妻のため、ということだった。彼女は自分の仕事を手伝ったとき、自分の身代わりとなって、巨大蟻地獄に襲われ、足を失った。
自分が島に来なければ、採取師の地位を継いでいたのは、彼女のはずだった。彼女自身はこの島で生まれ育ち、島が豊かになるために働きたいと思っていた。で あるのに、彼女は自分のために、採取師の地位を譲ってくれた。体力も経験もある彼のほうがふさわしいとして、彼女自身は身を引いて、彼のサポートに徹して くれた。
彼女の方が採取師の地位にふさわしいと、主張する者も、島の中には多かった。よそ者が採取師になることは、これまでに前例がなかったためだ。島の者に認め てもらわねばならぬと、彼は焦っていた。
そして、危険地域を知る彼女の提言にも耳を貸さず、強引に蟻地獄の巣の多発している地区に足を踏み入れた。結果、ついて来た彼女が、右足を喪失してしまっ た。それは、砂漠の様相を把握せず、危険を侮り、足を踏み入れてはならぬ場所に侵入した自分の責任だった。
何を犠牲にしても、どんな手を使ってでも、彼女の足を取り戻したかった。そうせねばならぬと思った。それは、彼の誓いだった。
そして、神の代理人たる高司祭の奇跡だけが、それが可能であると知った。
奇跡を神殿に乞うためには、相当な金を寄付せねばならない。そのための資金が必要だった。
海水を浄化して真水にすることは、彼の貴重な収入源だった。
しかし、水を湛えた井戸ができてしまっては、それも不可能になる。
それが、彼による妨害の動機になった。
彼を事に及ばせたのはまた、行きすぎた自責の念だった。妻が足を失ったのは自分のせいであり、その罪の意識から逃れるための、誓いであった。
枯れ井戸に蓋をしたのは、これでことが遅れれば良い、という、軽い気持ちであった。
ぎりぎりで蓋を開けようとしたら、ロピュタがやってきたので逃げたということだ。
しかし、今回。井戸を潰そうとする行い。それは、ほんの出来心ですまされることではなかった。
それは、商人によるけしかけがあったからだ。
この航路で水と燃料を運べば、確実に儲けが出る。その中で、井戸ができては、水の値段が下がってしまい、採算が立たなくなってしまう。よって、お互いの利 益のために、井戸を無きものにしてしまえ。水が出てくる前に、金気を溶かしてしまい、もともと、水は飲めないものだったということにすれば良い…。
最初は断った。しかし、今度は、商人は脅しに転じた。
井戸を汚染しなければ、これまで行っていたことを、妻と村人に、ばらす…と。
「どうかしていたんだ…」
悔恨の情と共に、搾り出すように採取師が言う。
どうしたものかと、深い息を吐く。
世の中、善人と悪人が、クリアに線引きされていれば、どんなに楽だろう。。
金が要る。他人を助けたい。それらの、のっぴきならぬ事情が、人を、負の方向に動かすのだ。
「…とりあえず、死ぬ思いをさせてくれた事の仕返しだけ、させてもらう」
口笛を鳴らした。
星明りものと、よろりと揺れる姿が、現れた。採取師の妻だった。
「なぜ…」
「今晩、夫の姿が黙って消えたら、この井戸に来てくれ、と。そう伝えていた。無駄になれば良かったのだが」
物陰で全てを聞いていた採取師の妻は、無言でじっと夫を見つめる。
「…明かりも無しで大変だっただろう。悪かった。
…聞いてのとおりだが。ベノールの法はよく知らんし、人を裁けるような偉い輩でもないので、わたしにはどうしたら良いかわからない。この島のしきたりにく わしそうなおまえさんに、一任してもいいか?」
そういって、採取師の妻に場を譲る。
ここから先は、夫婦の問題だと思った。
しばらく考えこんでから、夫人は、夫に向かって、口を開いた。
「あなたが水を売っていたことには、早くから気がついていました。…異常に消耗して帰ってくることが良くあるのですもの。あなたの妻が気がつかないと思っ てましたか?…そのような目的とはしりませんでしたけれど…馬鹿な人」
採取師は、打ちひしがれたように、何も言わない。
「…あなたに2つの罰を与えます。
…まず、私の足のことは、あきらめてください。
島の水を奪って足を得て、私が喜ぶような者であると思っていましたか? あなたの妻を、見そこなわないでください。
もう一つ。……このまま、知らぬ顔で、のうのうとしていてください。そして、心の内で、良心の呵責と戦い続けてください。あなたは私欲で、黄金より大事 な、この島の水を思うままにし、島の財産を奪おうとした。その、あなたの罪は、私が知っています。私が一生、あなたの傍で、あなたの罪を囁きつづけます」
「おまえは…」
採取師が絶句する。つまり、何も変わらないのだ、表面上は。その上で一生、苦しめというのだ。
「だって、私の夫の力は、この島に必要なんですもの。私がこの身体で、他に誰が、メクターナを採取できるというのですか。その責任ある立場で、水を私欲に 用いようとしたのですから。あなたには一生、厳しいこの島で、つらい思いをしていただかないと」
肝の据わった女性だ。この島で生まれ育っただけある。一生、彼は妻の尻に敷かれるな、と思った。
「それでいいですか…?」
そう聞いてきた採取師の妻に、肩を竦める。
「残酷な人だな。それ以上の罰を、誰が思いつくというのだ」
採取師の嗚咽の声が漏れてくる。
彼の軽率については、彼の妻が十分すぎる報いを与えてくれた。
ただ…背後で手ぐすねを引いた者がいる。それを放置しておくのも、心残りだった。
「さぁ、そんなところでいいかね。宴はとっくにたけなわだ。酒を飲みっぱぐれてもしらないよ」
バラミが現れた。いつから聞いていたのだろう。
「人を差し置いてもう始めているのか。気の早い連中だ」
そう文句をいいながら、二人を後にし、集会所へ向かった。
背後では、星明りの下、採取師と妻の影が、重なっていた。
■■■
「おぅ、リヴァース。なにをしてたんだ。酒がなくなるぞ」
スー親父が、酒瓶を振り回しながら、合図する。
屋根の隙間から星が見えている。集会所の屋根は雨を防ぐためではなく、昼の厳しい日差しを遮るためのものである。その下で、松明の光を頼りに、皆で盛大に 飲んでいる。灯りのための燃料も貴重なこの島では、普段ならとっくに寝静まっている時間である。
酒は、ニズルの村の発酵酒が振舞われていた。本島三国の一つ、アザニアの特産品だった。アザニアは鎖国を続けているために、その酒が大陸で手に入る事は めったにない。
「さぁ、乾杯の練習は終わりだ、本番、乾杯!!」
集会所に集まった村人達は、すでに完全にできあがっていた。
皆、島の伝統的な刺繍をちりばめた服を着、一番良い布を頭に巻き、女達は顔に化粧をしている。
朗らかな笛の音と踊り。
場に溢れている陽気な波長に、思わず目を細める。
宴の光には、ほかならぬ自分たちが、社会の基礎を作ったのだという、という自負と誇りが満ちていた。
「主役がいないと盛り上がらないじゃないか」
「これ以上騒いでどうするんだ。ベノールまで歌声を届けるつもりか」
「ベノール!結構!奴らにも水を届けてやろう。『地の始まりの水』と名前をつけるんだ。高く売れるぜ? これでもう不毛な島、古代王国の呪いの島、などと言わせねぇ!」
笑いの渦に包まれた。
過酷な気候には歯を食いしばって耐え、嬉しい時は、底抜けに喜ぶ。それが彼らであった。
皆が居るうちに、伝えねばならないことがあった。たけなわになった宴に、水を差す。
「心しておいて欲しいのだが。
あの井戸の水は、本島や大陸の井戸のように、いつまでも使えるわけではない。地面の中に、地表の河川や池などから水が浸透してきて、いくらでも供給され続 けるということではないんだ。使用量にもよるが、十年もつかどうかだと思う」
その点では、バラミ婆さんと意見が一致していた。
「大きな川や山脈のあるところと違って、小さな干からびた島だからねぇ。外からの地下水の供給源は、まずありえないね。使ったら終り、さ」
「それじゃあ、その後は?」
「…いずれ枯れる。他に水源がないなら、節約して使うに越した事は無い」
そう答えると、宴の雰囲気が変わり、ざわざわとざわめきが起こった。
「なんとかならないのか?」
「それは…」
「今は知ったことじゃないね。枯れかけた時に、使った人間と、それから使おうとする人間が一緒に考えりゃいいのさ」
自分が返答に窮していると、あっさりと、バラミが答えた。
「それじゃあ、数年後はまた同じじゃないか」
「井戸の水が枯れた後はどうするんだよ」
叫ぶ者も出てくる。剣呑な雰囲気が立ちこめる。
だまらっしゃい、とバラミは一喝した。
「一 度頑張ったら、あとはもう永遠に水が得られる、なんて都合の良い事考えているんじゃないよ。自然からタダでいただこう、ってんだ。そのためには、たゆまぬ 働きかけが必要さ。もらいつづけるためには、金であれ、知恵であれ、努力であれ、こっちも支払いつづけなきゃならないんだ。それがイヤなら、ちっとでも水 が長持ちするように、水に感謝しながらきっちりと節約しな」
バラミの叱責を受けて、場が静まった。
「島の地下の水 は、全て繋がっているというわけではないから、枯れたらまた別の井戸を掘って地層を壊せばいい。水は上方から下方に流れるから、層が褶曲していると、水の 流れる経路はいくつかに分かれる。層の向きを読んで、計画的に掘っていけば、水を得つづけることは可能だと思う。…それにしても、何百年後か、いずれ枯渇 していくのは確かだが」
今はこんこんと湧く井戸も、いずれは枯れる。しかし、それに対処をするのは、次の世代の仕事だ。時代の条件や要求を満たすように、その時代の者が、自分た ちの生活のために、知恵と力をつけるしかない。
無責任かもしれないが、何ら働きかけもせずにすむ永遠に持続可能な方法など、変化する世にありえるはずがない。一見、いくらでも自然から供給されると思わ れるものほど、それを得るための尽力と時間と金が必要なのだ。そして、それを知っておくことが大切である。
「遠からず、いずれ枯れる。それを忘れてはならない、ということだな」
とりなすように言った村長に、その通り、とバラミはうなずく。
「こ この島の連中はさすがに、聞き分けがいいねぇ。ある状態をあるがままに守ろう、永遠に保護しよう、という喧伝は、耳に心地良いんだけどねぇ。でもそれは、 自分たちの生活が自然からの搾取によって成り立っているという明かな事実を感じる事のない連中の、想像力の欠けた幸せなたわ言にすぎないんさね。自然と深 いかかわりの無い連中、都合のいい一面しか見ないやつに限って、えてして、そういうことをよく口にするもんさ」
バラミのその言葉に、どきりとした。
生活をするということは、奪うということだ。なぜ生活が脅かされるか、その泥臭い本質を理解せずに、自然を守れというのは、綺麗事で善人ぶっている以上の ことではない。生活を守って初めて、自然を守ることができる、その難しさには言及されない。自然を守ろう、というと、それだけでいいことをした気分に簡単 になれるが、結局それは、慈愛ではなく、善人でありたい自分への自愛にすぎない。
「生物はみな、自然から奪いながら生きているのさ。ここ をごまかしちゃいけない。自分らは奪う存在だ、ってのを認めなければならない。奪っちゃいけないなんていうのは、世間知らずを暴露しているだけじゃなく て、有害だね。『奪ってはならない』ということ自体が、奪わなきゃならない他人の生活を、奪うことになるからさ。
大切なのは、できるだけ影響と周りへの迷惑が少なく、回復が可能であるように加減しながら奪うことと、常に今よりももっとよい手段を考え続けることさ」
自分の世代の生活が守れない者に、次の世代を守る事を要求する資格などない。
我々にできるのは、次世代の者たちが、問題の発生を先代のせいだと責任転嫁することなく、自分たちで問題の本質を読み解き、解決することができる誇りと能 力を、育てていくことなのだろう。
村人一人一人が、老魔術師の言葉をかみ締めていた。
「だいたい、年寄りができる事を全部やっちまったら、若いモンには、する事が残されないじゃないかね。若いモンがきっちりと苦労して、マトモな人間になる ように、問題を残してやることも、年寄りの仕事なんさ」
ひゃっ、ひゃっ、とバラミ婆さんは声を立てて笑った。
甘やかすことが優しさではない。障害を取り除いてやることが思いやりではない。
水の精霊に命じて、海水を飲める水にすることはできる。しかし、一度にそれができる量は、せいぜい、一家族が一日に使える程にすぎない。村、町単位の者全 てのために、一人が長期的にそれを行うことなど、到底不可能だ。神官が神の奇跡を行使して救えるのが、ほんの限られた数の人間であるに過ぎないのと同様 に。
魔法は、結局、刹那的な金儲けは可能にしても、最終的な解決手段ではありえない。
しかし、役割を分担しながら、人々の力と組み合わせれば、大きな影響力を及ぼす事ができる。
自分一人で井戸を掘る事はできない。地層を破壊するにも力が及ばない。自分にできるのは、ただ、精霊力を感じ、読み解くことだけだった。けれど、井戸を掘 る技術を知る村人、井戸の支保のための金属加工を行ったスー親父、木炭や硝石の収集、加工に当った者たち、資金を集め国から許可をもらった村長、そして、 地層を破壊する魔術を行使したバラミ。
それぞれの専門性を持つ多数の作業が組み合わされる事により、これまで不可能だったことが可能になる。人が住めないようなところにも、住むことが可能にな る。多くの者が、食糧不足や天候不順、災害などの不安から身を遠ざける事ができるようになる。
一つ一つの能力は決定的ではない。使い古された事ことしかできない。しかし、それらを組み合わせたときにこそ、複雑さの中で、思わぬ力が発揮される。その 組み合わせを考えるのが、知恵であり、成し遂げられたその結果こそが、発展だ。
ふと、森という、自然の中のほんの恵まれた一面の、閉じた世界の中にいるエルフを思い起こす。
恵まれた自然の中で、恵みを享受し、馴れ合いしかしないのならそれでいいだろう。しかし、それでは、つねに自然と戦わねばならない業を背負っている人間た ちと、いつか対立する時が来るのではないか。拡大しゆく、世界の主たる種族と。
それは、いずれ、大きな悲劇を招くことなのではないか。
エルフは…変わらぬことを自らに課した森の種族は、いったいどういう道を選択するのだろう。
自らの種族の行き先を求めて、独り、この世界を去ったエルフのことが頭に浮かんだ。
その漠然とした不安を余所に、一度静まり返った場が、新たな目標を得て、さらに、沸き立った。景気付けの乾杯が、繰り返される。
酒と、人の意気は、尽き果てる事はなかった。
(続)
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