ひ とくちの水 のむたびに Act.8( 2003/03/02)
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作者
入潮丸
登場キャラクター
リヴァース






■■■ Act 8 - Discussion - ■■■

バラミの杯に労いを込めて酒を注ぐ。
透明な蒸留酒の、強い匂いが立ち上った。

「ええと、なんだっけ、あんたの名前…」
まだ、名を覚えてくれていなかったらしい。別に名前に誇りがあるわけでもないが、それはそれで、侘しいものがある。

「リヴァース…あぁ、そうだ。"川"だったね」

そういえば、そういう意味があったかと、改めて気がつく。

「…悪いねぇ。忘れたんじゃないよ。不意に新しい事が取り出せなくなるのさ。この年になるとね」
「それだけ達者で、知識を蓄えているのに?」
老いは人に共通にやってくる。エルフの間で育ってきたこともあり、人間の老いというものが未だ、実感としてよくつかめない。

「適当に元気な婆ぁで暮らすことはできるさ。けれど、新しい事が入ってこないと、現役で仕事をするには、ちょいと足らない。今は、昔に詰めこんだ知識の財 産で生活しているようなものだ。新しいこと覚えられないと、どんな失敗をして周りに迷惑をかけるかわからないからねぇ。もうお前さんの役目は終わりだ、い いかげん退場しろ、って、ラーダさんに言われているのさ」

この矍鑠とした婆さんに、意外な弱音だった。

「対象の井戸を選ぶのにも、井戸の一本一本の特質を、皆整理して覚えていたじゃないか」

「自分の子供の特徴を忘れる親はいないだろう?それと同じことさ。徹底的に観察して頭に叩き込んでるのさ」

仕事への意識の高さに、唸った。仕事の対象に対して、自分の血をわけた子供のように、真摯に臨んでいるのだ。

「なに、そう簡単に退いてはやらないさ。アタシの持っているものを、棺桶以外に必要としてる連中がいる、ってんなら、星界で手招きしているあの人たちに、 もうちょっと待っててくれ、っていわないとね」

「役に立てるうちは立ちたいと?」

「ちょいと違うねぇ。そんな殊勝なもんでもない。あえて言うなら、必要とされる、って事自体が嬉しいんかねぇ。しわくちゃになるまでやってきた事が、認め られてるってのは、悪い気はしない。…人に必要とされる、ってのは、何にも勝る快楽なのさ。あたしゃ、人の為じゃない、自分が面白いからやってる。ただ、 役に立たないのは必要とされないので面白くない。それだけのことさ」

必要とされる事が快楽。それは人の持つ本質の一つであると思えた。

「お前さん、最初にあんたの力が必要だ、と言っただろ?それだけでもう、引きうける気でいたよ。報酬がいくらかなんてのは、あまり関係はない」

「そのわりに額に固執していたじゃないか」
頷いてばかりも癪なので、少し茶化してみる。

「自分で金を払ったモノはちゃんと、金に見合った使い方をしなけりゃ気がすまないだろ? だから、大切に使うようになるのさ。そして、金をもらう側は、その金に見合う以上の仕事をして、結果を出さなけりゃならない。金をもらう事により、その責 任感が生まれるのさ」

仕事は金銭のやり取りによって成り立ち、それが責任感を生む。それは、理解できることだった。

「報酬の話が出たところで、だ」

村長が、銀貨を詰めた袋を持ってきた。すでに、村長が中心になって集めていたらしい。きっちりと約束を守るところに、島の民の誇りの高さを伺えさせた。そ う思ったら、まだ結構、支払わないところも多く、5人組の中で肩代わりしている者が多い。それも、水が得られる事がわかれば、金を出すだろう、ということ だ。

軽く確認してから、バラミはずっしりとした袋をしまいこむ。
そして、受け取りを証明する文書に、サインをする。
ほっと一息し、村長は胸をなでおろした。自分もまた、肩の荷が下りた気になる。金銭のやり取りが最もトラブルが起きやすいからだ。

「金を取らなかったら、連中、こんなに協力してくれたと思うかい?」
今の話を聞いた後であるので、首を振った。

「金を払うことによって、自分も参加している、という意識が生じるのさ。施してやるのは簡単だし、気持ちいいことだけれどね。それでも、タダでやるより金 を取る方が良い。ちゃんと受け取る側に、受け取るだけの対価を支払わせないと、本当の価値が出ない。個人同士ならプレゼントでもなんでもすりゃいいけど、 皆で使うものに関しては、知識にも情報にも本体にも、価値をつけないと、それがフルに活用されることはないんだ」

知識に価値があるというのはわかるが、それに対して対価が支払われるという概念は、これまでにあまりきいたことがなかった。

「あたしゃ、慈善事業、ってのが嫌いでねぇ。ありゃあ、自分が善人になれる機会を、金で買っているだけさ。上手く行かなかったとしても、慈善だから、ギフ トだから、ってことで、許されちまう。もらった側も、どうせタダだし、ってことで、気合を入れて管理しないし、壊れちまっても固執しない。不思議なこと に、役に立つものほどいっそうね。
慈善、ってことをいい訳にして、与える側ももらう側も、妥協してしまいがちになるのさ。

けれどね、善い心がけさえ持ってたらいい、ってことじゃ、生活はなりたたない。金の使い方に困った貴族の道楽じゃあるまいしさ。生活、ってのは、生きてる 者が生きる場で全力で取り組むものだろ。だから、結果に見合うだけの金を取るのは、妥協してしまわないために、必要なことなのさ」

バラミのいっていることは、自分の利益を考えることが、最終的に結局、対象の利益になる、あるいは、対象の利益そのものが自身に還元される、ということ だ。
本当に長期的な視野で考えると、そういった相補的なあり方になるという考え方は、とても新鮮だった。

「なにより、こっちだけ苦労してプレゼントしたら、はい、終り、ってのは、ぜんぜん面白くない。もらった側にもきちんと一緒に、苦労してもらわないと ねぇ」
といって、ひゃひゃひゃと、意地悪婆さんよろしく、笑う。

「あんたもね。ただ働きなんてのは、自分の能力への侮辱であるばかりでなく、結局、たいして役に立つものじゃないんだよ」
これはとどめだった。返す言葉も無かった。

「婆さん、若く見せているが、本当は、300年ぐらい生きている妖怪なんだろ。魔法で人間に見えるように変化しているんだ…」
「何でじゃっ!」
みな、大笑いした。

いい人になりたいという欲求に従って、善意で人を助けるのは簡単だ。助けられた者は感謝するだろう。しかし、等しく困窮している者を助ける事ができない限 りは、目に見える者を助けていても、それは自己満足に過ぎないという面が、どうしてもある。自分はヒトを助けられる、という事に対して安心し、善人気分を 味わっているわけだ。与えられた側は、プレゼントを受け取っただけで、自分は自らに対して何も働きかけをせず、一時的なプラスの変化だけを受け取る。そし て、その変化が崩れた時、問題に対応する能力は身についておらず、責任転嫁をするだけの弱さが残される。

しかし、金を払うという行為により、問題を防ぐ事や問題が起こった際の対処についての関心が生まれる。金を払ったのだからということで、きちんと中身が適 当であるか、どうすれば最も効率的に運用ができるのかを、学ぼうとする。
だから、自分の行った行為に対して、対価をとるのは、正当で、公平なことであるだけではなく、必要なことなのだ。

金を払うというのは、その者が、変化のために金を得る為の努力を、別の分野で背負わねばならない、ということだ。人にはそれぞれの専門とするところがあ る。問題が自分の専門でなければ、それを専門とする者に頼む。別の分野での自分の専門で稼いだ金を、頼んだ者に支払う。金というのは、このような役割の置 き換えを、可能にする。

そして、役割を分担して受け持ち、組み合わせることで、より、複雑な事が実現できるようになり、過去に不可能であった事が可能になる。だからこそ、自分に しかできないような専門の役割を持つことは大切で、いわば人間の使命なのだ。
そして、金の流れは、物事の変化と発展ためには、必要なことだ。

ただ、役割を分担するというのはそれだけ、関わるべきところで関わることがなくなり、知らないですむことが増える、ということでもある。

たとえば、人間の世の中では、猟師が獣を殺し、肉屋が肉を売り、自分はただ、金さえはらえばいつでも肉を買う事ができる。自分自身は獣を殺さずにすむ。料 理されてきた肉だけを食べることになる。それでは、食べるという行為の中に、命を奪っている、という実感が生じない。自分の命は他の命を犠牲にして成り 立っているという事実を、知る事ができない。自分で獣を殺さないと、獣の命の重さを感じる事はできないのに。

役割分担により、自然との関わりが限定され、奥行きのある実感が欠落していく。それにより、現実の繋がりと相互作用を理解せぬままに、表面的な善を求める 者ばかりになる。それは、他者への想像力と理解が欠如されていくことに等しい。それが、果たして人間達にどう影響していくのだろう。それはまた、大きな過 ちに結びつくのではないかという漠然とした危惧が湧いた。

だからこそ、知らねばならぬ失われた関わりを、思い出してもらうための役割もまた、必要なものではないのだろうか。それもまた、精霊使いの一つの使命では ないだろうか。

精霊を感知して得られる情報は、それ単独では、大した物ではない。その者が今何を感じているのかを知りたければ、精神の精霊の微妙な動きを推し量るより、 表情を一目見るほうが、よほどによくわかる。その程度のものである。

しかし単独ではなく、知識や五感の感覚と組み合わせて精霊の感知をしたとき、見ること、触ることでは無し得なかった、奥行きのある感覚が得られる。複数の 感覚を用い、知識と経験により感覚が何を意味するのかを解釈することで、立体感のある、増幅されたものとして、情報を受け取ることできる。

自然に対して変化を為そうと思ったら、今ある自然の様相から、いかに情報を読み取るかこそが、大切である。そのための、かけがえのない感覚。それ自体に破 壊力は無いが、使い様によっては、魔法以上の破壊に繋げることもできるもの。生産に繋げられるもの。そして、短視野的な便利さではなく、長期的な視点で自 然を利用することに結び付けられるもの。自然と人との関わりを、実感させることができるもの。

精霊使いとして持つ自分の役割を、大切にしようと思った。
バラミの話を心に刻みながら、いつしか、壁際でバラミと二人、語りあう構図になっていた。

「あたしゃぁね、魔法と技術との混和。奇跡、呪文、魔法、職人の技能、剣の力。それらが融合して成り立つ世の中。それこそが、剣の時代の目指していく姿で はないかと思ってるんだ。どれが欠けてもならない。どれか一つでもならない。誰もがだれもの役目を持っている。そして、…魔術には、魔術の役割がある」

バラミ婆さんは、魔術の力が、他の技術と組み合わさる事で、正しく使えば、安全に人の生活の下支えとなるものであるということを立証し、そのことにより、 人々の魔術への認識を変えようとしているのかもしれなかった。秘密組織じみた魔術師のギルドを嫌い、魔術を商売に用いることも厭わない。

魔術を人々の生活に役立てていけば、いずれ、魔術師への偏見も少なくなる
人には過ぎた力として魔術を遠ざけていても、偏見はいつまでたってもなくならない。

「行きすぎた魔力が破壊を招くからって、魔術を否定して蔑むこたぁね…子供が人を殺す能力を身につけうるからといって、子供の可能性を全て否定してしまう てぇことと、おんなじなんさぁね…。育て方によって、役にも立てられるし、危険なものにもなるんだよ。子供を否定していて、何を育てられるっていうんだ い」

独語するように、バラミ婆さんは言う。古代王国の流刑地、太守の狂気の影響が、強く残されたこの地にある魔術師として、さんざんに辛酸を舐めた者ゆえの言 葉だ。

「もともと、魔法は10の系統に細分化されていた。四大魔術は最初は、精霊力の乱れによって発生する天変地異を予測したり防いだりするためのものだったん だけれどね。いろんな副産物がもたらされて、やがてそっちのほうが主流になっていった。破壊の魔法もその一つさね。そういう風に、魔術にも変化と流れがあ る。
それで、マナ・ライが、10の系統を1に統合させたんだ。そのほうが学びやすい、ってね。それはそれで偉業だし、膨大な作業が必要だったと思う。けれど も、それを踏襲して満足していても、のっぺらぼうになっていくんじゃないかね、と思うのさ」

魔術は奥深く、個性のあるものだ。四大、幻覚、拡大、付与、精神…10の系統それぞれ1つ1つが、古代王国の魔術師が生涯を尽くして研究し、開発して受け 継がせていったもので、1つでも、一生かかっても極めることは到底不可能である。一人にできるのはほんの限られた狭い狭い分野だ。その代わりに、その深さ を各々が分担して理解する事で、ひとつひとつを発展させることができ、それを組み合わせることで、魔術の奥行きを広げることができる。そうバラミは説明を する。

「婆さんの世代は、今よりもずっと専門化がなされていたのか。婆さんが四大魔法の専門だったことは、こちらとしては幸運な事だったわけだが」

「まぁ、あたし程度の技術なら、統合魔法で学んでも、できることは同じことなんだけどね。統合魔法のおかげで、一人ができる幅はずっと広がった。けれど、 みな、器用貧乏になっていく。各系統の原理をきっちりと理解しないままに、先人の足跡を表面だけ踏んで、結果良ければ全て良し、のようなけらいがあって ね」

酒が、バラミの口を、滑らかにしているらしい。恐らく長年、胸のうちに抱えていた事だろう。自然、姿勢が正される。

「このままじゃ、魔法の発展が、現状のまま止まるんじゃないかと、そう思うことがあるんだよ。昔から、今の統合魔法には批判は多かったけどね。寄せ集めだ とか歯抜けだとかさ。けれど、もうちっと、搭の天辺の連中の頭の中身は、奥が深いような気がするんだ…」

そういって、バラミは遠くを見る。

「もしかしたら統合魔術は、魔術の習得を促進させるためではなく、魔術の発展に歯止めをかける為に生み出されたのではないかと、ね。古代王国の過ちを繰り 返させないために、さ」

マナ=ライが、魔術師への偏見と排他を取り除き、魔術師は何ら一般人と変わらない役割の一つであるということを示し、既成の概念を変えようとしていること が、偉大な試みであることは、疑いの余地はない。しかしそのために、大きな犠牲を払っているのではないか。そうバラミは危惧する。

「魔術…上位古代語は、上代に神が、世界を創造するのに用いた言葉さ。それをほんの欠片とはいえ、持っている危険さは自覚するべきさ。それを押さえて一般 化しようとする無理は、やがて、歪みになる。人は人と自分が同じであることに絶えられないから、危険とわかっていても特異に手を出すんだ。
そして、いつかひび割れて問題が吹き出て、それを解決するために、過去を参照しなければならない日が来る。
人は、後戻りをしながら、進むものだからね。だから、こんな老いぼれも、古い記憶を残しておくために、さいさいと捨てられていられないのさ」

それはあたかも、予言のようだった。

統合魔法のおかげで、手の届きやすくなった古代語魔法。複雑になろうとしている時代に、むしろ魔術は、逆行しているのかもしれない。そして、彼女は、時代 から取り残されていく寂しさよりは、古いものこそ、かえって新鮮に受け止められ必要とされていることに誇りを持っており、そこに価値を見出している。

「……なんにせよ、あたしら、系統魔法を学んだ最後の世代からみれば、今の若い連中は大変さねぇ。中身の見えないことを、とにかく広範囲にやらなければな らないんだから」

彼女から見れば、今魔術を学んでいる人間は皆、違った世代の者たちなのだ。時の流れをしみじみと感じさせる。古きことを知る者に対しては、それを知らない 世代の者は何も語れない。そして、古きもののなかに、時折、真実が隠されている。

過ぎ去った過去の事に、我々には手を出すことはできない。ただ、過去の遺産を、埃に埋もれさせて忘れ去らせるか、後に伝えていくかを選ぶのは、今の世代の 者たちの仕事である。

バラミのように、一つの分野を特に深く掘りつめた上で得られた知識や技術は、幅が狭いだけに、受け継がせるのは困難であり、故にいっそう、得難いものに思 えた。

「まぁ、要るんなら早いところ使ってもらわないと、いいかげん、先が短いんだけどねぇ」

そういって、ひゃひゃひゃと、老魔術師は、糸のように目を細め、笑う。
浮かんだ深い皺が、彼女の時の刻印だ。それは、大樹の年輪のようだった。
この笑い顔が、なんともいえない、人が人として持つの魅力をにじませていた。

「その知識を学んで後を継ぐ弟子はいないのか?」

「それがなかなかできなくてねぇ。なんでだと思う?」

「根性とやる気のある奴が、なかなかいなかったとか?」
違う違う、と老婆は頭を振った。

「他の奴に任せる、ってことができないのさ。任せてたらついつい口を出したくなってねぇ。だいたい、こんな楽しい事、他の奴に奪われてたまるかい」

予想外の答えに、思わず口が開く。

「この婆さん、あと二世代は現役だ」
そういって、二人で笑った。

人に教えていく暇もないほどに、自分の生きているうちに、とことん、自分でやろうとする。このぐらいでないと、逆説的だが、人に伝える価値のあるものは生 まれないのかもれない。

バラミほどの能力があれば、魔力で変身して若く肉体を保つ事も可能であろうにと思い、聞いてみる。

「あまりこっちにいて、じいさんと子供を天上で待たせとくのも悪いしね。あたしゃ与えられた身の丈で十分さ…」
そう答えた。そして、不意に、眼に深い光を浮かべた。

「赤ん坊はみんな、この世界にやってきたとき、泣き声を張り上げながら、周囲を喜ばせるだろう? 逆に、この世界に暇を告げるときは、皆が泣いて、アタシだけは微笑む、ってな具合になるだろうねぇ。そんな楽しみなことを、なにも先延ばしにすることはな いさ」

そういって、老魔術師は、ずず、と酒を啜る。

言葉には決して出さないが、バラミはバラミで、ずっと罪の意識を抱えて生きてきたのではないか、と思った。自分の責任で人が死んだとき、自分こそが死ねば よかったのだ、という思いからは、誰も逃れられない。そしていつか、その罪から解放される事を、待っている。罰を受けたい、というのは、一つの欲望である のだ。
魔術の過失による罪であるから、その魔術により自分が、若さや美といった、人にない利を得ることに対して、後ろめたさがあるのではないか。
彼女は、自分で自分を罰し続けている。そしてそれは、尽きることがない。
あたっているような気はしたが口には出せなかった。

「また、しけた顔するんじゃないよ。どっちが婆ぁか、わからないだろ」
そういって、バシンと背中を叩いてくる。
この婆さんには敵わない、と感じさせられたのは、いったい何度目だろう、と思った。


「リヴァ!」
ロピュタがやってきた。まだ出歩いてはならないという親の目を盗んできたのだろう。
包帯は…していない。左頬から鼻に走る肉の引き攣りは痛々しいが、堂々としているせいか、違和感はない。

「よう、ロピュタ、もう起きてて良いのか」
「おー、ハクがついたじゃねぇか」
スー親父が感心したように言うと、うへへ、とロピュタが胸を張る。
村人には、あっさりと、受け入れられている。よかった、と、胸につかえていたものが、軽くなっていく。

ロピュタがちらりとこちらを見た。また何か企んでいる眼だ。
「あのねー、あたし、おんなのかおをキズモノにした責任をとってもらうのー」
少女は自分の顔を指差しながら、ませたことをいう。

まずい、と思った。

「…まて、それはできない」
次に来る常套文句は一つだ。それを差し止める。

「なんでー?」
気勢を殺がれ、むくれるロピュタに、耳打ちする。
「この島でも、おとことおんなが結婚するんだよな」
頷くロピュタ。
「じゃあ、おんなとおんなは、結婚できない」
ぱちくり、と目をしばたかせ、しばし、こちらを凝視する。
しばしの沈黙のあと。

「あははは、やだなー。せっかくまた驚かせて困らせてやろうと思ったのに!」
そういって、少女は大笑いする。

「ずっと騙されていたのはあたしの方だったんじゃ、な、い…」
また、少女は笑い続けようとして、失敗した。黒い大きな目から、ぽろりと、一条の液体が零れる。
そのまま、ロピュタ背中を向けて部屋を飛び出した、

これもいつもの悪戯の一つで、単に、先手を打たれてくやしかったのだと、それだけのことだと思うのだが。
…罪悪感にかられた。

そのまま、ロピュタは、抜け出した事を発見し探しにきた親に連れられて、帰っていった。

どうも、最後までやられっぱなしだった。

宴の囃子は、闇の空へ吸いこまれていく。酔いと、歌と、舞いは、飽きることなく、天に捧げられ続けた。

■■■

集会所を抜け出し、村を外れ、砂漠のほうへ歩いていく。
温度差が極端に大きい砂の島である。闇夜、皮膚が張りつくような、空気の冷たさだ。乾いているので息は白くならないが、酒に上気した頬が、すぐに冷たくな る。冷えた風。昼間とは打って変わって弱まった火の力。

歩きながら、宴の会話の内容が、頭の中を渦巻いている。
魔術師の役割。精霊使いの役割。
役割があれば必要ともされる。必要とされることが快楽である。そう、バラミの言葉を反芻していく。

ふと、精霊もそうなのだろうか、と思った。

我々が精霊を必要とするとき、彼らはそれを嬉しく思ってくれるのだろうか。…いや、嬉しいという感情は、恐らくない。あるとしても人間のそれとは次元が違 うのだろう。
感情とは離れたところで、意思のある存在。意思が感情から生まれる我々にとって、本当に不可解な存在だ。だからこそ、彼らに人の主観を当てはめるのは、危 険なことだ。そう自戒することにかわりはない。

ただ、精霊の力によって物質界の自然が成り立っているのと同様、物質界の何かが、精霊界に作用してはいないのだろうか。我々が彼らを必要とすると同様に、 我々もまた、彼らに必要とされるものを持っているのではないか。

あるとしたらそれは、我々のマナの力、ではないだろうか。
我々が、マナ、すなわち意志の力を強くすることが、彼らの存在の力になる。彼らが精霊遣いのマナを拠り所にして、物質界に出て来れることが、その証だ。物 質界に呼ばれ精霊遣いのマナを受け取ることで、彼ら精霊の存在の力が強くなる。精霊使いのマナにより精霊のマナが強まる。

そんな、異世界へ行く不快さを超えるメリットが、彼らにあるとは考えられないだろうか。精霊遣いもまた、精霊に必要とされるものを持っているとはみなせな いだろうか。

そのようにして、世界を介して、精霊遣いと精霊が共生している姿があると夢見るのは、また、危ういことだろうか。
これがわかればもう少し、精霊の事を理解できるようになるような気がした。


村から離れ、砂に覆われた砂漠の入口までやってくる。
だいたい、終わったな、と思った。あともう一幕を残すのみだった。
ここからも、去る時が、近づいている。次の土地へ足を向けねばならない。

月は無く、星は満天。前後左右全て、円を描く地平線に囲まれた砂漠。
上も下も感覚がなくなる。地に繋ぎとめられる力から解放され、星界に漂っているのではないかという錯覚が、心地よい。

星界。ラーダの信徒たちが死後行くと信じられている世界。バラミの夫や生まれなかった子供は、そこで彼女を待っているという。人間は自分が死ぬとどうなる のかという解答を、信仰という形で持っている。

自分が育ったエルフたちに、死後という概念はなかった。ただ、体を構成していた精霊力が霧散するだけである。自らの魂に執着のある人間には、そんな考え方 は耐えられないだろう。何が事実なのかは、わからない。神はそんなヒトに、心安らかになるための答えを与える。

ただ、自分は死んでも多分、行き場は無い気がする。
今も無いから、あまり変わりは無い。

砂漠。夏の終わり。
二つの言葉の符号が、螺旋を描いて時間軸を遡り、ある一点で、止まる。

思い出すのは、灼けつく太陽。まぶしいものでも、紅いものでもない。
ただ、自らを骨まで焦がしながら、苛烈な熱を発する、黒い太陽。

そうだ、今日は、身を寄せていた砂漠の部族が、戦で滅んだ日。黒い陽が落ちた日。
すでにあの者、滅んだ部族の生き残りは、その敵討ちを果たし、討ち死にしているのだろうか。蠍の執念は果たされたのだろうか。

砂の中にあって、かの者の持つ復讐の怨嗟の情が、無性に、耀かしく思い起こされた。

深く息を吸い、吐く。ひかりある闇に溶けこみ、砂粒の一つとなりながら、自分のなかに息づく力の源が膨らむ。世界の鼓動が、取り入まれる。周囲の全てが、 花咲く光となる。この感覚。
世にある全ての音が拾えそうなのに、届けと思うその声だけは、聞く事ができない。

なぜだろう。人の輪の中にあったことよりも、限りない空虚さに覆われながら孤影を散らしているだろうあの者を、無性に羨望する。
人の笑顔に囲まれた今宵に。砂の中で討ち死にをすることに焦がれる。
それは…

どれほど、輪の中が暖かく居心地よいものであっても、だからいっそうに、後にせねばならないものだから。

いくら酒と宴と温もりに包まれた場でも、そこに倒れこみたいと思っても、去らねばならぬなら、そこは砂の異国だ。
自分を埋める場所はない。千億の精霊になっても、さまよい続ける。

けれど、その魂の置き所を持っている者がいる。
ゆりかごと棺を、同じくすることを知っている者がいる。
砂の中こそが、今生の生き場であることを知っている者がいる。
砂を、その人生を受け止める還り場所にすることができる者がいる。

場所こそ違えど、同じ凍てつく砂の中にありながら。
愚かしいほど傲慢な、ないものねだり。

だから、叫ばずにいられない。
越えて行け、と。
生き抜け、と。

おまえが、部族の魂の叫びのままに、虚しき砂に埋もれることなど、願ってやらない
本望を果たすことなど、祈ってやらない。

生きて醜い姿を曝しやがれ…と。
呪ってやろう。

還る場所を知る者。
鮮烈な価値観に彩られたまぶしき光。

星よ。空の砂よ。
運んでくれないか。この呪わしい心を。
もう一つの砂の地へ。
アジハル。崇高な民族の化身へ。

星が、流れた。
地上に束縛される、翼無き身を嘲笑うように。

―――(もうすこし続)






  


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