ひ とくちの水 のむたびに
Act.9
( 2003/03/02)
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作者
入潮丸
登場キャラクター
リヴァース
■■■ Act 9 -Factors to Be Considered- ■■■
夜明け。東の空が、海と空が群青から薄紫色に濃淡の色彩をなす。最も気温の低い時間。この時間だけは、海からの湿気が薄い霧となって、島の周囲を包み、か すかな潤いを、乾いた村に与える。この霧があるから、この島にもわずかに、乾燥に強い植物が育つ。
波止場。
白く煙った視界の中、普段、島に来る定期船とは違った小型の船が、停泊していた。
そこに乗りこもうとする影を、遮る。
「おまえは…」
驚かされたのは、自分のほうだった。それは知った顔だった。
「よぅ。見送りか?嬉しいねェ…」
来る事は予想されていたのだろう。ニヤニヤとした笑い。母親から生れ落ちた時に、すでに頬に刻まれていたのではないかと思うほどに、板についている笑み だった。
ヴェッチ。物流に大きな権勢を持つロマールの豪族ネルガルの、懐刀のひとり。多少の因縁のある相手だった。
水が出てなお、不明な点が、2つあった。
井戸を潰せと採取師をそそのかした者の背後にいたのは誰か。
そして、岩蟲の巣に鉄粉をまいたのは誰か。少なくとも、採取師は、鉄粉のことを知らなかった。
村の者でないことは確かだった。鉄粉は、鍛冶場のない村には不要なものであるからだ。だれかが島外から運び込んだとしか思えない。そして、村のものがこれ までにない品を定期船で運べば、すぐにわかる。
それを行った目的として、考えられるのは、硝石だ。
岩蟲の巣のすぐ傍に硝石の鉱脈があった。岩蟲は、金属を嫌う。鉄粉により、採掘に邪魔になる岩蟲を遠ざけようとしたとしか考えられない。
顔料、繊維、薬、香料、調味料。人は、知恵の積み重ねにより、自然から素材を得てそれを加工し、単独では到底不可能な複雑なものを作り上げる。誰が見つけ たのだろうと思うような事も多い。硝石も、思わぬ方法で有用なものになるのだろう。
「背後で、多少大掛かりな思惑が働いているのではないかと思ったが、まさか、ロマールから、手を出してきているとは思わなかった。荒地の岩蟲の巣に、鉄粉 を撒き、井戸を潰せと採取師をそそのかした。
井戸の蓋を閉じろと、けしかけたのも、おまえか」
「ちょいと脅しをくれようとしただけなんだんがな」
ぬけぬけと、ヴェッチは言う。
「あれがちょっとした脅しか。死ぬところだったんだ」
「地面の底から魔法で別の穴をあけたらしいな。…んな七面倒なことしなくても、光の精霊でも入口にまで飛ばしゃいーだろが。完全に密閉なんざできねぇか ら、多少、光が漏れて、誰か気がついてくれるとか、考えなかったワケか? 」
「…ぁ、なるほど…。その手があったか」
「おいおい」
言われて初めて気がついた。不確実ではあるけれども、精神力を使いきって消耗しつくすより、そちらのほうが大分楽だ。冒険者に求められるのは、生き残るた めの閃きだ。その欠如を指摘されたようで、なんとも恥ずかしかった。
気を取り直す。
「で、硝石を何に使うんだ。建物を破壊する武器にでもするのか?」
「そこまで便利なもんでもねェよ。密閉したところで、いちいち魔法で起爆させなけりゃならねぇんじゃ、使い勝手が悪すぎぎらぁ。…肥料にするのさ」
意外な言葉だった。思わず、目をしばたかせる。
「…今、馬鹿にしなかったか?」
表情から邪推したのか、不本意そうにヴェッチが言う。
「してない、してない。肥料の獲得が戦の原因になったりすることはわかる。少々意外だっただけだ。…馬鹿にされてるのか…」
「うるせぇ」
確かに、肥料は人間の生産活動になくてはならないその有用性に対して、原料に人畜の排泄物が用いられたりする事から、品としての地位は低い。
地の精霊力の強すぎる土は、かえって植物が育ちにくい。岩山に植物はあまり生えない。純粋過ぎる精霊力は、生物にとって毒であったり、居心地の悪いもので あるのだ。作物の育つ土壌には、水は言わずもがな、ごく少しの火や風の精霊力も必要なのだ。肥料はそれらを供給するものとして、なくてはならないものであ る。また、土壌改良にも用いられ、それまで栽培が不可能であった植物を栽培可能にすることもある。
確かに、硝石の持つ強い風と火の精霊力は、土質を見極めた上で用いるなら、その改良にはうってつけだ。
井戸を潰そうとしたことにも得心がいく。来る際に水を運び、帰る際に硝石を搬出すれば、効率が良い。また、硝石を独占するためには、彼らには、この島は不 毛の乾いた島であってもらわねば、都合が悪い。水の便がよくなって物流が盛んになり、サバスが硝石の産地であることが知れ渡れば、他に商人が入りこんで、 競争が起き、価格がつりあがる。そうなれば、大量に硝石を必要としている彼らにとっては、都合が悪い。
「…ベノールの宮廷に届ける。自国の資源にロマールがちょっかいを出そうとしているのを知ると、ベノールも黙ってはいないだろう」
「へっ。ネルガルの旦那が、そのあたりの手回しを怠るはずがねぇだろ。すでに承知さ。手数料に関税ぐれぇはベノールにくれてやるがな。連中も、莫大な税金 が手に入るんだ。喜ぶぜ。そのかわり、こっちに独占権をよこせ、ってぇことだ」
ヴェッチの本業は、そちらの根回しだったのだろう。宮廷と調整し、競争相手の商家を押さえ込み、事業を独占する手はずを整えること。それはほぼ終わってい るようだ。相手の方が格が上であるようだった。
ため息が漏れる。
「そもそも、この話をベノールの城に持ちこんできたのは、ここの村長だぜ? 島に資源があるなら、なりわいを増やしたい、ってな」
これには驚いた。たしかに、メクターナのような単一作物に頼ったやり方は危うい。島の発展を考えるなら、複数の産業をもちたい、というのは、むべならない ことだった。よそ者が入りこみ長蟲の巣に鉄粉を撒くという所業が可能であったのも、村長の協力があってこそのことか。
「ま。井戸に関しては、いいさ。先にルートを抑えて、よそが入りこめなくしちまえばいいことよ。そうすりゃ、こっちとしても便利がよくなる」
下手に遣り合って、潰すか潰されるかの一か罰かの賭けをするよりも、変わった状況を利用して新しい利益が出る方法を考える。その当たりが、この男の非凡な ところであると言えた。
「ロマールと、島と、ベノール。すでに三者で結びついていたとはな…」
歎息する。
「あ の宮殿が、おキレイだと思ってたら、たいがいなお気楽モンだなぁ、おい。あそこはよ、財を懐に入れるために、国自らが、私掠船で海賊行為を働いているん だ。そうすりゃ、海の安全のため、ってぇ名目で、関税を高く保てるからよ。へっ、いまに、飼い犬に手をかまれても知らねえよなぁ」
予言するように、ヴェッチは言う。
結局、ベノールの街まで行っても、表面しか見ていなかった、というわけだ。
国というのは非常に有機的で、複雑な機構を成り立たせるために、様々な面を同時に内包し、一元的にこうだということはできない。だからこその、国なのだ。 白旗を揚げるというように、両手を挙げる。
「いいのかい?そんな素直に降参しちまってよ」
気勢を殺がれたように、ヴェッチは肩をすくめた。
「許せん、正義の名にかけて征伐する…、とでも息巻くべきところなのだろうが。そこまで、ものの道徳に対して勤勉でも無謀でもないもので。というか、悔し がってやるのも、悔しいし」
「悔しがってくれねェのは、面白くねぇなぁ、確かに」
ゲラゲラと笑った。
「… 少なくともわたしとしては、乱費した水の償いをして水源を見つける、という目的は達したのだから、それでいい。島が自分たちの土地を使ってどう商売しよう が、ベノールが自身の発展の為にどういう政策を取ろうが、そこをロマールがどう利用して上前を跳ねようが、実害がない限りは知らん。行きすぎた搾取は、い ずれ淘汰される。程度を知る本当に賢い者が、発展し持続するものだ。それが世の中だ。それに逆らう気は無い」
ふん、とヴェッチは顎を撫でる。
「てめぇ、よほど怠け者か、さもなきゃ、うちの旦那と同種だな。まだ、青いがよ」
「…後者でないことは確かだ。
お前こそ、子悪党を気取ってないで、その悪知恵を、宮仕えなり商売なり、別の方向に役立てれば、重用もされように」
「…へっ。今んとこ、旦那を離れる気はねぇよ」
ニヤけた笑みが消えて、意外にまじめな表情になる。
ネルガルに弱みでも握られているのかと思ったら、そうでもないらしい。悪党なりの忠誠心というべきか。一度認めた者には義理堅いのだろう。
「そういえば、あの最初の火事もお前達の…」
ふと思い立って、とりあえず、聞いてみる。
「…悪ィ。さすがにそれは、違う。単なるテメェの過失だ」
多少呆れ顔になるヴェッチ。
「……ち。聞くんじゃなかった。心の中でお前らのせいかもしれなかったと思う事ができて、罪の意識を軽くすませることができたのに」
「コラ」
かようにして、悪人は、人の善人でありたい本能を満たす、自己満足の道具とされる。
世の中の道には二種類あるとされる。ひとつは、正義とか慈悲とかで形容される、人の本道とでもいうべきまっとうなもの。もうひとつは、いわゆる、道から外 れた、道。
二つの道を流れるものは、時には加速しあい、時にはぶつかり合って渦になる。見ようによってはどちらにも見えるのに、お互いが正義と主張し合って譲らず争 いになることが多々ある。そこに人がいる限り、絶対の正義と悪の戦い、などというものは、存在しない。ただ、立場の違いがあるだけだ。
たしかに、人の道をそれるものは、単なる私利私欲だと批難されることも多い。悪人が生み出される事は好まれる。悪人という存在があれば、それを非難するだ けで、自分の立場が正当化でき、味方を得、自分は良いことをした気分になれるからだ。
安易な善には、引きずられがちである。善でありたいという欲望からは逃れられない。
ただ、世の中には、善人も悪人も存在しない。状況が、善と悪を作るのである。あるいは、悪人を必要とする者が、悪人を作るのだ。
そして、興味深いのは、条件や事情を顧慮してみると、本道から外れざるを得ないときや、短視野的には非難されるようなことでも、長い目、全体的な視野から 見ると、最終的には必要であったり、それにより改善が為されたりということがある。
ネルガルやヴェッチたちは、少なくとも、道徳や正義のためでも、目先の利益や己の欲望を満たすためだけにでも、動く連中ではない。長期的な視点にたって、 最終的に、自分たちの権益を獲得するための計算に基づいて、行動している。そして、自分と社会双方の利益を考えている。そのためには刹那、道から外れるこ とも厭わない。それが彼らの権勢の元にある。
「それにしても、苛酷な気候の離島から、わざわざ国元に運ぶ時間と手間と人足をかけてまで得る肥料が必要であるとすると…ずいぶん、商品としての価値の高 い作物なのだろうな。…糖か、香辛料か、香料か、染料か、あとは…」
一つ思い当たり、眉をひそめる。
「…おっと、推測だけで、人の商売にケチつけるもんじゃねぇぜ?」
そういって、ヴェッチは両手を広げる。その態度が、予想の的中を裏付けた。
じっと、見つめる。
しばらくして、肩を竦めて、ヴェッチは言った。
「ヘンプ、さ」
「ヘンプ…。麻、か」
麻。ヒトの生活とは切っても切り離せないものだ。
茎からとれる繊維は、織物にすると丈夫な風通しのよい衣服ができる。強度があり、縄や紐、魚網のほか、楽器や弓の弦などにも用いられる。茎の皮は燃料にな る。実からは、灯火の油、調理油、顔料が、そして、その油を灰汁や木灰と混ぜるとせっけんができた。
そして、花房や葉からは…
腰に差した曲刀の柄に、手をかける。
問うように、彼の目を凝視する。
ヴェッチは、微動だにしない。ただ、唇の端を吊り上げた。
――大麻。代表的な麻薬の原料が、採れる。
彼らは以前、市場で麻薬を扱おうとしていた。麻薬を許可制にし、流通を管理下に置く傍ら、独占して利を上げるわけだ。いくら規制しても、麻薬、売春、密輸 などの犯罪の類は無くならない。それならば、高い税をかけながら物流を統制するほうが、最終的な被害はずっと少なくすむ。それが基本的な考え方だった。
そして、彼らが麻薬流通のための実験をオランで行ったことに対して冒険者達の怒りを買い、ロマールへ出航する船は沈めさせられ、一件は終了した。自分は、 結果的にその計画に荷担していた。その裏には、麻薬を必要とする者を正当化したい自分の私情があった。そして、二度とそれに流される事はしまいと誓った。
「麻の大規模な栽植農園を作るんでな…
レイドにさ、しけた村があったわけさ。麻で食ってた村だ。ところが、ある時、国の許可状を持った冒険者の一団がやってきて、畑だけでなく、村の至るところ に、大量の塩を撒いた。…麻薬を栽培している、ってな。
国は地方の小せぇ村の実態なんざ、いちいち把握しちゃいねぇ。麻の流通で儲けていた領主が、国への納税をちょろまかしていた。そこで、国が、自分とこの騎 士団を派遣したら内紛だと周囲の国に聞こえが良くねぇから、冒険者を使った、ってぇ話もある。
多量の塩は、畑を、草木も生えない不毛の荒野にするらしいな。村の連中は、唯一の商品作物を奪われた上、土地を完全に、殺されたワケだ。畑を奪われて生活 を破壊された。飢えて散り散りになった。正義の冒険者サマどものおかげで、な。 その村の、代わりだ…」
…そこは、その村は、もしかして、彼の故郷か、少なくとも関連の深い場所だったのではないか。
そう思い浮かび、動きが止まる。唇を噛む。
麻は、乾燥に強い反面、地の滋養を蓄えるので、地力を消耗させる。肥料は欠かせない。
肥料になる硝石。原料が採れる麻。それ自体は、何ら害のない、有用なものだ。しかし、加工し流通する側の意図により、危険なものにもなりえる。硝石を採掘 する者も、麻を生産する者も、それぞれが役割分担されているので、自分が害のあるものを生み出しているという自覚はない。
生産物の一部の用法が悪しきとして、そのほかの用途とそれに支えられている生活を全て断ちきるべし、というのは、単純な正義を振舞うには、結構な結論であ るが、切り捨てるものが多すぎる。
結果が悪しきとして、他の要素を切り離してしまうのはあまりに短絡だ。生産活動は、個人の思惑、島の思惑、国の思惑が複雑に絡み合っており、枝分かれして いるものだ。その経路に、人々の生活の実りがある。
そして、問題になるのは、もっと末節の使われ方である。それは、この島における問題ではない。根こそぎ切り落として良いものではない。
正しいかどうかというのは、立場の問題に過ぎない。絶対の正しさなど、存在しない。
「なぁ、どうするよ…。 ヤルかい?」
ことさらに、ヴェッチは、両手を広げて無防備を振舞う。明かに、自分の逡巡を愉しんでいる。相手の心の動きが手に取るようにわかる優位さを持つ者の、眼 だ。
今は、みすみす、見過ごすしかないのか。
いや。
ここでヴェッチを見逃せば、麻薬の生産に荷担した、少なくとも見逃したことが事実になる。そうすると後で後悔するのは自分だ。
人の立場など知ったことではない。自分は自分の善に従えばいい。四捨五入して切り捨てなければ行動などできない。自分が正しいと思う立場をとればいいじゃ ないか。そうすれば、気持ち良くいられる。
そう、誘惑する声が頭に沸く。
細い月の形をした刃を抜く。しゃらら、と楽器にも似た、金属の擦れる音。
そして。
がっ、と。白い刃を突きたてる。
…砂地に。
「……行けよ」
俯き、ずるずると、座りこんだ。
切り捨てたのは、自分の浅はかな虚栄心だった。
「硝石をどうしようと、阻むことはしない。ただ、井戸には手を出さないでくれ。硝石に支えられる生活も、麻に支えられる生活も、水に支えられているから」
「……わかった」
承諾の意。顔を上げられなかった。ヴェッチが、どのような表情をしているのかは、わからない。
いっそ、水を奪うと宣言してほしかった。そうすれば、良心の命じるままに、彼らを敵とみなせたのに。
背後の波止場の柵を殴りつける。手に走った重い痛みに、腕が震えた
抑えきれない感情。切り捨てられないものに自分の判断をゆだねた情けなさなのか、結局行動を起こせない弱さへの嫌悪なのか、居直っているヴェッチの弁論に 翻弄された悔しさなのか。拠り所が、ぐらつきっぱなしだった。
それを読まれていることも、いまいましかった。
項垂れた頭に、ぽんと、手が触れた。
そのまま、人の気配は、船の中に消えていった。
船は、黄金色に染まる海の中に、波音も静かに、溶けこんでいった。
―――(続)
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