ひ とくちの水 のむたびに Act.10( 2003/03/02)
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作者
入潮丸
登場キャラクター
リヴァース





■■■ Act 10 -Reporting- ■■■


夜明けまで動き回っていたので、目覚めたらすでに、午後も遅い時間になっていた。

夕餉の煙が、空に舞い上がる。最初、まっすぐな糸のように上昇しようとしていた煙は、すぐに乱れ、流れ、渦を巻き、複雑にうねりながら、うす赤い空に広 がっていく。この煙の動きはすなわち、風の動きである。
注意深く感じてみると、煙自体からは、ほんのかすかな地の力を感じる。 燃やされ、火の力で上昇し、残った地の力の属性をもった小さな小さな粒が、風に乱されているのだ。風自体は、目に見えない。それが、地のかすかな力と混ざ る事で、目で知覚できるようになる。

奔放で、予測できない、けれど優雅な動き。風の精霊。
純粋な精霊の力は、我々からは遠いものだ。けれど、違った精霊の力が混ざる事で、我々の存在と近くなり、感知しやすくなる。

細かく、小さく、感覚を鋭敏にして、様相を知ることは、世界を深め、広げていく作用に他ならない。
そうすると、物には必ず、そこに働く力や属性を持ち、それが驚くほどに複雑で、けれど一定の法則を持っている事に気がつく。
たった一欠けらの石、1滴の水についてすら、知るべき事が多すぎるのだ。

自分の家の庭一つでも、知ろうと思えば人生は短すぎる、という言葉。
小さな庭と、広い世界は、相似形をしているのだと思う。庭を知れぬ者に、世界を知ることはできない。
一体いつになったら、自分は自分の庭に出会うことができるのだろう。

そんな事を考えながら、島の比較的人の行きやすい近辺を歩き回り、帯水層が浅いところに出ている場所や、深くなっている場所を地図に記していく。数年後か 数10年後か、また井戸を掘らなければならなくなったときに、参考にしてもらうためだ。
浅いところは掘りやすいが、予想される出水量は少ない。逆に深いところには、地下の水が移動しやすいので、掘るのは大変だが、一旦掘り当てると長く使う事 ができる。そういうことも、調べていくうちに、だんだんとわかってきたことだ。

後は今回の結果として、この島の地の力の特質や、井戸を掘る場合の注意事項などを、バラミと共同でまとめていく。記録というのは結構な作業になるが、まだ 見ぬ次世代の者に、蓄えた事を伝えることを可能にする。それを手に取る者は、手間と金をかけて試行錯誤する必要無く、必要な情報を取り出せる。
使ってもらえれば、ではあるが。
せっかく来たのであるから、役に立つものを残したいと思う。

書き物というのは苦手で、言葉の意味に幅を持って伝えられる口語と違い、こういった記録に用いられる言葉は、定められている意味に厳密に従って用いなけれ ばならない。千人が見れば千人が同じ認識を行えるように、記述されねばならない。かなりバラミに校正された。共通語は古代語に比べれば大分シンプルなので はあるが、長じてから身につけた言語というのは、どうも感覚では操りにくい。一度きっちりと、物を書くということについて学ぶ必要があると感じた。

まとめたものは、村長の家に保管してもらう。貴重な文書になると、喜んでもらえた。

結構な長居をしてしまったので、宿代がかなり嵩んでいるだろう。スー親父に、清算を頼む。

「なにいってんだ。そもそも、お前は、土地なし家無しの貧乏住人だから、一番下の額を払ってもらうと言ったんだ。土地の奴から、金が取れるか」

「………。」
土地の者と呼んでくれたことに、つんとした嬉しさを感じた。言葉が出なかった。

「水が枯れたら、またおまえが必要になるしな」
「…今度は金をもらうぞ」

つい、照れ隠しに、俗物的になる。
必要になる。その言葉に心に染みた。

「それで、たのみがあるのだが」
スー親父は、採取師を招き入れる。彼は持ってきた木箱を渡してくれる。蓋をあけ、中に入った白い結晶を見せた。
メクターナだった。

「数年後には水が枯れて、また、金を集めなければならなくなるんだろ? 島がこれから先も潤うように、せいぜい、売りさばいて、宣伝してきてくれ。いいな?」
親父は片目を閉じる。

メクターナは島の財産である。採取師の一存で処遇がきめられるものではない。もらうわけにはいかない、という言葉を封じ込めるように、有無をいわさず、押 しつけてくれる。
もともと、火事を起こした自分の過失の償いであったので、今回のことは仕事ではなく、従って、報酬は無い。しかし、宿代と土産でそれに変える。それが、 スー親父と島民なりの好意だった。

採取師の彼が、自分の前に再び姿を現すのは、気が進まなかったことだろう。しかし彼なりのけじめであるらしかった。

「いつでもまた戻ってこい。お前の導いた水だ。お前を待っている」
採取師が、言った。強い人間だと思った。

礼のためではなく、俯く。
そのような彼らの言葉は欲しくなかった。去る身には拷問だった。

「泣くなよ?」
スー親父が茶化す。

「誰が。この厳しい気候から、ようやくおさらばできて嬉しいね」

そう憎まれ口でも叩いてないと、本当に離れられなくなりそうだった。

■■■

出立。
ピィィィ…と、出航を告げる汽笛が鳴る。

次はどこへ行くのか、まだ決めていないままに、本島への船に乗りこんだ。船が港を離れると、寂寥感が押し寄せてくる。

ほつれかけた上衣の裾が、風に弄ばれて舞う。島への名残惜しさを見せつけるように。
海風が涼しい。頭に巻いていた布を広げ、肩にかける。
砂漠では、灼熱の太陽が文字通り頭を焼く。帽子やフードでは足りず、その上にさらにマフラーを束ねて巻いていた。砂漠の民のターバンは、決して飾りではな く、実用的にして不可欠なものなのだ。

その熱さも、すでに、懐かしい。
髪が、風の形を写しとって、複雑な形になびく。

もともと、厳しい気候で生きる人がいる、と聞いて、サバス島にやってきた。
それらの土地に引き寄せられるのは、どこででも生きていけるという実感が欲しいからなのだろうか。そしてその度に、自分の卑小さ、力なさを思い知らされ る。そうして打ちのめされることそのものを、求めているのかもしれない。
敗北感や無力感には、ある種の心地よさがある。

悪意の砂漠。ガルガライスの南の炎の荒野。そして、サバス島。考えてみると、心残してきたのは、人が好んで住むようなところではないところばかりだ。そう いうところに、縁があるらしい。

世界はこんなに思い通りにならない。世界はこんなに、深い、と。感じることができる。
そしてその中で生きている人々にこそ、魅せられる。

「あたし…好きだから…!この島も、島のみんなも、あたしも、あたしの傷も…。好きだから!みんな、大好きだから!」

ロピュタの澄んだ声が耳に浮かんだ。出航の時、見送りに来てくれた村人たちに遅れて、最後に駆けつけ、そう叫んでくれた。
それは、いつか、この島が好きか?と聞いた時の答えだった。


渡り鳥が高らかな声をあげて、鷹揚に滑空する。見えぬ陸地を、自分たちの行き先を、彼らは、知っている。

この世界は、どのように成り立っているのか。我々は、なぜ存在しているのか。そして、どこへ行こうとしているのか。 誰もが問い、誰にもたどり着けず、誰もが自らのやり方で、答えに近づこうと、あがいている。

魔術師は、世界の根源の物質であるマナの結びつきを知ることから、この世界の構成を理解しようとする。
神官は、神がこの世を創造したその意思と思考に近づこうとすることにより、この世界の真実に触れようとする。
そして、精霊使いは、世界に働く力を感じることで、この世界を読み解こうとする。

方法こそ違うが、たどり着こうとしているところは皆、同じなのだろう。
そして、その過程で知り得た原理があってこそ、変化の動力が生じる。

バラミ婆さんが、甲板に上がってきた。婆さんもベノールまで戻るので、同じ船に乗っている。船酔いもせず、達者にも水夫に怒鳴り散らしている。
「汚物が部屋まで逆流してきたよ。どういう設計になっているんだい、まったく」
掃除をして修理するように言いつける。

「この海風にあたらず、部屋の中に篭っているからだよ」
「冷えは年寄りにゃ、毒なんだよ」
「そういえば老人だった。忘れていた」

そんな事を言いながら、今回の事で、魔術師と精霊遣いの世界の原理への近づき方について、思った事を話してみた。

「あたしゃぁね、この年まで行き当たりばったりな生き方をしてきたけれども、一つだけ、自分に課し続けていることがあるんだ。そいつは、物事を知るのに は、まず、ちゃんとその原理を理解しなきゃならない、ってことなのさ。やり方がどうであれ、そこをすっ飛ばして方法だけ覚えて、楽をしちゃぁいけない。例 外が理解できるのも、原理を知ってこそなんさぁね。そこが灯台になるのさ。灯台がしっかりして明るいから、どこへでも遠くへいけるし、だれも行けない場所 へも行けて、ちゃんと戻って来れるんだ」

彼女は意識などしなかったであろうが、その言葉にはずいぶんと啓発された。

自分は精霊遣いに向いていない。それに気がついた時、このままこの道を進んで良いものか、悩みはした。
向いていないから、回り道をする。直感的に答えにたどり着くことが出来ない。精霊を理解するのにも、考えを重ね、遠回りし、後戻りを重ねて、ようやく一つ の答えに行きついている。

けれど、物事の現象の下支えとなることを理解してはじめて、摸倣や現状維持ではなく、誰も思いつかなかった発展を可能にすることができる。未踏の境地に行 き着くためには、まず、自分の立つ地のことを誰よりも知らねばならない。

自分の中で一つだけ自信が持てるところがあるとしたら、それは、いつまでたっても自信がもてない、その一点だ。
何も知らない、なにもできないということを思い知っているからこそ、次を知りたい、歩みたい、身につけたい、と思い行動することができる。
結局、自分は、足りていない、ということを思い知っていることが、一番大切なことではないのかと思う。足りていないと思うから、深く考えていくことができ るし、未知のことを受け入れられる。
そして、「なぜ」そうなっているのかを理解する事によりこそ、新たな発見と進歩が産まれる。

だから、今のままでいいのだ。ゆっくりであるけれども、それだけ遠くへ行き着くことが出来る。才能の無さを焦ることも、悔しく思う必要もない。ただ、道程 が違う。最短距離を行けば早いけれども、寄り道、回り道するほうが、周囲の景色をじっくり眺め、世界を理解し、よい石を拾うことができる。

そして、その過程で得た変化こそが、神が、この世界の主たる者として生み出したものどもに課したものであり、また、1つなる巨人の意思にそぐうものではな いか、と思った。

空想をしてみる。

神は人間を不完全なものに創りあげた。それは、神の失敗なのではなく、その不完全さこそが、神の、そして、おおいなる一つの意志なのではないか、という… 空想だ。

完璧なものであれば、それは一様で、変化のないものだ。完璧ならば変化などなくても良い。一つでよい。
けれど、世界は不完全で、多様さに満ちながら、変化している。

この世界の祖であった巨人は、たった一人であった。かの存在は、完璧であり、孤独であった。孤独を憤る心が原始の炎となり、悲しみが風を呼び、原初の自然 が生成した。

その巨人の肉体から産まれた神は多数であり、鱗から産まれた竜は多数の属性を持ち、体毛から生えた世界樹はあまたの実をつけた。

孤独な巨人。彼はその孤独さゆえに、世界も神も竜も樹も人も、自らの落とし子たちを、かくも多様で完璧ではない存在として生み出したのではないか。完璧な らば1つあればいいのだ。しかし一つの完璧な存在は、孤独すぎる。
多様であるなら、不完全でなくてはならない。だから、我々は不完全なのだ。
それが、再び孤独な一人に戻りたくはない、巨人の意思であり、もしかしたら、我が子らを孤独にさせたくない親心とでもいうべきものではないか…。

そして、生物は皆、巨人の心、孤独を受け継いでいる。故に、いけとし者は皆、寂しい。

寂しくない者などいない。

それはまた、一つの原理。
だから、皆、交わろうとする。混ざろうとする。その交わりの中で、発展していく。

変化の道を歩むゆえに、人は、奪い、失敗し、喪失し、傷つき、後悔し、憤り、恨む。
それゆえに、人は本質的に哀しい。
その悲しみに揺さぶられながら、成長と進歩をもぎ取っていく。

いわば、数多の可能性を持ちながら、それぞれが、交わり、失敗をし、それから学び取り、変化していくからこその、巨人の意思を継ぐ世界の主なのだ。

その親心に応えるには、自分はあまりにも、小さく、無力で、無知だ。けれど、欠陥だらけだからこそ、幾多の者と混ざることで、変化の欠片にぐらいはなれ る。 それこそが、巨人の親心に応えるものではないか。たった一人の巨人を、慰められる手段となりうるのではないか。

ふと、自分の考えのおこがましさに気がついて、失笑する。
かつてどんな信仰にも、神や世界、そして一なるものを慰める、などという概念があっただろうか。慰められよう、救われよう、というものこそあれ。一体自分 は、何を始めようとしているのだ。

ただ、人が高みを目指すのなら、自分は地へもぐり、世界の深さと重さを受け止めようと思った。

そして、不意に、振り向いて老魔術師に言う。
「婆さんみたいなのがいるから、世界は面白いよ」
「あんたみたいなのがいるから、いつまでたっても、じいさんのところにいけないんだよ」
そういって、二人で笑い合った。

一人でも生きていけるような完全さを求めていた頃は、生きていくことがつらかった。
一人では到底生きていけない不完全さを知った今、生きていくことが、楽しい。

ピーロロロロ――

海鳥が鳴き声が、その考えを嘲笑っているのか、同調してくれているのかは、わからない。空を滑空する影を、目を細めて見つめる。

あぁ。地面の中の事ばかり考えていたので、上に、突き抜けるような空があることを、忘れていた。


海は、天に近い。

空は、水と繋がっている。
水は地に注ぎ、また、天に還る。

その循環をほんの刹那、自分たちの都合のために遮るのが、人間の生活だ。
大いなる巡りに手を出すのだ。容易であるはずがない。

水はただ、そこにあるものではない。誰かが、野山をさまよい、考え、調べ、設計し、方法を捻りだし、金を集め、水路や井戸を堀ったり堰を作ったりして、初 めて、利用できるようになるものだ。そこには、先人が人生をかけて挑み、時には命をかけて臨み、各々の能力を結集させた、知恵と努力と苦労が積み重なって いる。それらを経てこそ、生活するための水が得られている。

それが、人が持つ水の、深さだ。
水を持つ人の、深さだ。


          ひとくちの水 のむたびに 水の深さを 思い知る

          ひとくちの水 のむたびに 人の深さ こころ染みこむ


この旅で得たものは、たった2行の詩。

それだけのものに過ぎないのは、詩人としてあまりにもお粗末なことだろう。感慨を表すのに、いつまでたっても、言葉はちっとも、足りたものになってくれな い。
ただ、今は、それが全てだった。

旅をすることは感じることであり、考えることだ。詩はそれが言語化したものである。
詩人が旅人になるのではない。旅が詩になるのだ。

いつまでたっても、精霊使いとしても、詩人としても、中途半端なままだ。
けれど、中途半端だからこそ、楽しいのだ。


海鳥に唱和し、声を空に吸いこませる。
見えぬ陸地を目指しながら、潮流に乗り、巨人の血脈を辿って、船は揚々と旅ゆくのだった。


            □□□ -Project Completed - □□□









  


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