比 翼堕天( 2003/03/03)
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作者
琴美
登場キャラクター
サエ(ウェルディン村の女)、バウマー、ユーニス




 夫が行方不明になって数日、残された家族である私達は、様々な視線を向けられた。

 最初は心遣い、次いで疑心暗鬼。いつのまにか羨望と憎悪。最後には同情。
 戦の予感に震える村人達は、彼が徴兵を恐れて逃亡を図ったのではないかと邪推したのだが、
彼の遺体が街道近くの森……兎やら狐やらを狩る場所……で見つかったことから
遺族への同情に置き換わったのだった。
 遺体は無残にも、狼に食いちぎられていた。衣類や靴が散らばっていなければ
彼のものとは判別できない程度に、酷い有様だった。

 「裏切り者」から「可哀想な未亡人と遺児」へ。それが、村でのわたしたちへの扱い。

 ある日、我が家に冒険者が訪ねて来た。王都からやって来た魔術師と剣士の二人組。
私を気遣って付き添っていてくれた友人が、幼い次男と三男を連れて出てくれた。
長男は近隣の農家で働かせてもらっている。数日の間は村八分だった我が家に
相互扶助の手が差し伸べられたのも、誤解が解けたこと以上に夫が非業の死を遂げたからだった。

 女剣士が、背嚢から見馴れたものを取り出して、私に頭を下げた。
それは、夫の愛用していた鉈。遺体発見現場に見当たらなかったもの。
呆然と事情を聞けば、夫はこの女性が殺したと言うではないか。

 夫は街道で馬車を襲い、間接的にとは言え人を殺してしまった。さらにその人の財布を盗んで逃げたと言う。
 冒険者達は別の馬車を護衛していて現場に居合わせ、夫を見つけた。警告に応じず逃亡する夫を
足止めしようと放たれた矢が、彼の命を奪ったのだと。

 足元が脆く崩れていく気がした。
 正直で朴訥で優しくて、いつも子供達を心から愛していた。私を、愛していてくれた。
いつもいつも真面目で損ばかりしていて、それでも憎めないひと。
その夫が、そんなことをするなどにわかには信じ難かった。
だが彼女のもたらした鉈は、まぎれもなく夫の愛用の品。名前まで彫られた本物だった。
 青ざめ、ふらついた私は椅子に座り込み、見上げる形で女剣士の言葉を受け取る。
 彼女は努めて淡々と夫の最期を伝える。追いかけてきた彼女を、私や子供達と見間違えたらしく
盗んだ財布を手渡して、金を用立てたから買い物をするようにと告げ、微笑みながら亡くなったと。
 
 胸に打ち込まれた鋭い楔が、するりと抜け落ちる気がした。その痛みが別の感覚に変わっていく。
 「生きていてくれれば、それで良かったのに……」
気付けば、声を殺して泣いていた。夫が死んだことを知ってから、初めてこぼれた熱い涙だった。
 女剣士は、私の涙に冷静さを欠いたのか、悲痛な表情で私に詫びた。
 だが、そんな事はどうでも良かった。

 私は彼女に問うた。このことを他言したかと。
 否定する彼女に他言無用を言い聞かせ、村の誰かに訪問の理由を尋ねられたなら
「夫の出稼ぎの際の知人で、近郊まで来たから村に寄ったのだ」と説明するよう求めた。
 冒険者達は驚愕に目を瞠り、男魔術師の方は物言いたげに眉を顰めたが、私は構わず続けた。
 私と子供はこの村で生きていかねばならない。だからこそ「それ」はあってはならないことだと。
ゆえに、あなた達を責める理由も無い、あるはずが無いのだ、と。

 二人を送り出すとき、私は再び問いかけた。何故、鉈を持っていったのかと。
女剣士は、遺品を無くさぬ為、そして遺言を裏付ける為だと迷いながら応えた。
 それを聞いて、ただの自己満足だと思った。結局、自分を責めて欲しいのか許して欲しいのか、
彼女の思いが私にはわからなかった。
だから「冒険者の考える事は、良くわからないわ」と応えて、二人を送り出した。
 二人が扉の向こうに消えて、足音が遠ざかった後、私は小さく笑った。

 その夜、私は密かに部屋の床板を外し、布に包んだ鉈を床下に収めた。
これでもう、真実は闇の中に消える。

 子供達を寝かしつけ、灯りを消す。
 数日前まで夫と肩を寄せ合って寝ていた床の中で、独りわたしは笑みを浮かべる。

 あなたは、最後の瞬間まで、私達を愛していてくれた。それが判っただけで、満足だった。
 あなたは最期まで、私の知っていたあなただった。ただほんの少し、魔がさしただけのこと。

 最後の最後まで、私達を気にかけていてくれたと知ったときに感じたのは、
悲しみでも怒りでもない、悦楽にも似た心地だった。

 東方には、2羽がそれぞれ目と羽根を一つずつしか持たず、重なりあって飛ぶ”つがい”の鳥が
いるという。片方が傷を負えばもう片方も飛べなくなり運命を共にするのだと。
 私達はまさしくその鳥のようなもの。片方の翼が罪を負ったなら、もう片方の翼にも罪の重さが
なければつりあいは取れない。きっと”そういうもの”なのだと思う。

 ……ならば私は、敢えてあなたの吐いた「家族への嘘」を守り抜きましょう。
貴方が胸に嘘を収めたまま”家族”に財布を手渡したように、私が真相を胸に収めて嘘を吐き通し、
墓の中まで持っていったなら、それはこの村での”真実”に変わる。
 
 嘘を共有することで、わたしとあなたは、私が死ぬまで”一つ”でいられる。ずぅっと一緒。
考えるだけでもすてきな約束。あなたがくれた最後の贈り物。
 私を責められるのはあなただけ。あなたを責められるのは私だけ。
この嘘を抱いて生き続ける私を、もしあなたが冥府から苦々しい思いで見ているのなら、
その苦味が私の苦しみだったのだと思い知ってくださいね。



 狂気と正気の狭間で、狂恋が、小さな花を咲かせた。





  


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