翼あるものの楽園 (2003/05/04 )
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作者
霧牙
登場キャラクター
アルファーンズ、ミトゥ



時が来た。季節が巡り、年が巡り、刻が巡り、幾度も巡った。

そしてついに繁栄の刻がかえってきた。

わたしたちの“王”が返ってくる。

わたしは行きます、約束の地へ。新たな命を残すため。

しばしの別れをかみ締めて。

ですがわたしは必ず帰ってきます。古よりの歌を伝えるために。

生きて戻れぬこともあるでしょう。しかしそのときは、幼き我が子が伝えるでしょう。

古よりのこの歌を………。




★ ★ ★

「いや、つーかアルファ見境いないし」
「はぁ!? ……女の子に?」
 流星の集い亭は、今日も客足は大したことが無いながら騒がしかった。その根源は例によって、泊り客であるアルファーンズとミトゥの口論。ちなみに、今回の口論の原因はミトゥが一人で行くとごね続けている、オラン周辺の村からの依頼についてだ。
 内容は、村の周辺に謎の怪物が出た。さらに、村外れの海岸に数年前から住んでいるハーピィの姿がどこにも見えなくなっているから心配だ、というものだ。
 詳しく話を聞かされていないものなら、頭をひねる依頼内容であろう。ハーピィとは言え魔物の眷族である。普通ならば狩られる側なのだ。しかし数年前のとある事件依頼、その村では半ばハーピィと共存体制のようなものが取られてきたのである。
 が、生憎アルファーンズは、その共存体制を取っていると知らされるどころか、詳しい依頼の内容すら教えてもらえていないのだ。だから余計にミトゥ一人で行かせることに抵抗があるのだろう。
 蛇足ではあるがその村はミトゥの故郷で、本人は隠したかったらしいが………口論を続けるうちにうっかりと口を滑らせてしまっていた。
「ってか、故郷のことで一人で背負い込むのもわからねーでもねーけどさ。一応相棒なんだぜ? ちょっとくらい信用してもいいんじゃねーの?」
 アルファーンズはため息をついて手にしたカップのミルクを一気に飲み干した。そしてそのカップを返し、代わりにエールを注いでもらう。
「だって、頭からハーピィと戦う気じゃないか、アルファは」
 ぶすっとした顔で呟き、ついっと横を向き視線をそらす。アルファーンズは、そこで「ふっ」と不敵に笑った。そしてなにやら、カウンターの端に寄せてあった羊皮紙をつかみ上げた。
「そのことなら心配は無い。ハーピィが全て悪でないことくらい、綿密な調査で判明している!」
 そう言ってアルファーンズは、つかみ上げた羊皮紙をばっと広げた。数枚に及ぶそれらには、ミトゥにも見慣れた彼の字で、ハーピィに関することが事細かに記されていた。
「………アルファ。君、今日一日居なかったのってまさかこれを調べてたから……?」
 頬杖をついてそれらを眺めたミトゥは、呆れているのか驚いているといった様子で、拳を握り締めて立ち上がったアルファーンズを見上げた。
「そうだ。これはラーダ神殿と学院で、使えるだけの資料を使って調べてきたものだ。海辺に生息するハーピィは、えてして温厚な者が多いとの確認もばっちりだ」
 そこでいったん、座りなおしてエールで喉を潤す。そして羊皮紙の数枚をどかし、一番下の羊皮紙を引っ張り出す。
「あと、近年オラン周辺に出没した魔物の記録を、ラーダ神殿の伝承のとこで見せてもらってきた。海岸沿いにだけ絞って調べた奴を書きとめて……って、おい」
 アルファーンズの言葉をさえぎり、伸びてきたミトゥの手がその羊皮紙を掻っ攫う。幸い共通語で書かれていたため、ミトゥにも読むことは出来た。上から下までをざっと読んで、綺麗に折りたたむ。
「これ貰っとくね。さんきゅー。君の苦労はありがたく頂いておくよ、後はボクに任せて」
 爽やかに笑い、話はこれで終わりだと言わんばかりに立ち上がる。ミトゥはそのまますたすたと歩き出そうとするが、その頭をがしっとアルファーンズにつかまれた。
「ちょっと待てぃ。そんなつっけんどんにするほど、俺は頼りねーってか? それとも、あの神官ボーズとの邪魔をされたくないとかか?」
 彼の言う神官ボーズというのは、件の村――ローラ村から来た依頼人の少年で、村唯一の小さな礼拝所でマーファの神官をやっているカミュのことだ。
「カミュとはただの幼馴染! 邪魔とかそういうんじゃなくって、わざわざ君の手を煩わせるほどのことじゃないってば!」
 頭を押さえられていても、アルファーンズは大して力が無いので痛さも大したこと無いらしく、払うことなくそのままの体制で大声で言い返す。
「ゴブリンとかなら兎も角、ちょっと前だと巨大蟹やスキュラまで出てるらしいじゃねーか! んなのが出たら煩わせるどころか、死ぬぞ!」
 負けじと大声で言い返すアルファーンズ。ちなみに彼は、そのスキュラが出たのが他ならぬ件のローラ村であり、ハーピィと村人たちが共存していくことを決定付けた事件であることを知る由も無かった。ラーダ神殿には、退治した冒険者から詳しいことはまったく伝えられていないから当たり前といえば当たり前なのだが。
「人がせっかく心配してやってんだから、素直に聞き入れろよ!」
 仕舞いには二人とも立ち上がって、今にも殴り合いになりそうな剣幕でにらみ合う。あと一歩踏み出せば唇同士がくっつきそうな距離なのだが、そんなロマンチックムードとは無縁な険悪な雰囲気が漂っている。
「…………わかった」
 長い沈黙の後、ミトゥはしぶしぶ呟いた。諦めたように椅子に座りこみ、出来立ての鶏肉の香草焼きを受け取る。
「何か嫌そうなんだよな」
 アルファーンズはオムライスを受け取って、猛烈な勢いでスプーンを動かす。
「……だって、故郷の村ってことはボクの昔を知ってる人がいっぱい居るんだよ? 君に余計な入れ知恵しないとも限らないし」
 アルファーンズはそれだけの理由か、と言いかけたがそのまま口をつぐんでオムライスを完食する。これだけ一人で行くのにこだわろうとする理由を聞くのも、気が咎めたので別の話題を振り、食事の一時を過ごした。
「じゃ、ボクはもう寝るね。最近寝不足なせいかちょっと眠いから」
 食器を流し台のほうへ渡し、代金を置いて椅子から立ち上がる。そのままふらふらと二階へ向かって歩いていく。
「……俺の同行を承諾したフリをして、勝手に行くんじゃねーぞ」
 ミトゥの足取りがびくりと止まる。数瞬の後、乾いた笑い声。図星のようだった。
「ハハハ、ヤダなぁ、そんなコとするわけないじゃなイ。じゃ、おやすミ〜」
 必死に平静を取ろうとするが、どうしても声が裏返る。
「おやすみ。あ、それと。昔はどーあれ、今のお前はお前じゃん。入れ知恵なんか気にするなよ」
 これ以上弁解しても余計に墓穴を掘りそうだったので、アルファーンズの声を背中に受けながらさっさと二階へ駆け上がっていった。

 ミトゥは部屋に飛び込むなり、ベッドに突っ伏した。
「はぁ……結局、OKしちゃったな」
 これまで彼女が一人で行くとごねていたのは、アルファーンズが思うとおり入れ知恵をされたくないからだけではない。
件の行方不明のハーピィは、ミトゥが幼い頃から聞き続けていた伝承に出てくるローレライという精霊そのものの姿だったのだ。その姿をはじめて見たとき、それは幻想的な風景だった。今でもあの時のことは目に焼きついて離れない。
 そして討伐されかけた後、誤解を解かれ村人にも受け入れられるようになってからは何度も村を抜け出して会いに行った。会えるときもあれば、会えないときもあった。打ち解けたとはいえ、人の前に滅多に姿を現さないため後者のほうが圧倒的に多かったが、それでもミトゥはハーピィと少しばかりの友情を交わすことが出来た。
 そんなハーピィを殺されたくは無い。
 えてして冒険者というものは、魔物退治の依頼を受けると目にした魔物を善悪問わずに討伐するものといっても過言ではない。口ではああ言っていたアルファーンズも、いざ実物のハーピィを前にして武器を構えて攻撃をする可能性は無いとは言い切れない。
「…………あ。ローレライ相手なら例外かも」
 そう思ったが、ハーピィの名を呟き、遠い目をする。海に住むハーピィの一種であるディーラは、その大半が麗しく温厚な種族である。ローラ村に住むハーピィ、ローレライもその例に違わず上半身だけを見るなら美しい娘だ。しかも、全裸。若い娘に目がないアルファーンズなら、攻撃する前にナンパするかもしれない。
 彼と相棒をはじめて随分経つ彼女は、どうしてもそう思ってしまうのであった。
「そうじゃなくてもね………アルファを『相棒です』って連れて帰ったら……」
 村で漁業に励む父親や、未だ現役で村長を続けている祖父のことを思い出す。
「じーちゃんも父さんもぶっ倒れそうだな……」
 苦笑を浮かべ、故郷にいる兄弟や幼馴染、歌を聞かせてくれたおばさんのことを思い出しているうちに、ミトゥは深い眠りに落ちていった。


 オランの街を出て、二日目。昼はすでに過ぎ、日は傾きかけている。
ミトゥとアルファーンズのコンビに、依頼人のカミュを加えた一行はすでに村の近くまできていた。
「もうすぐ着きますよ」
 先頭を歩くカミュが、遠くを指差す。目を凝らせば、遥か向こうに村を囲む柵が見えている。日が沈みきる前には着くだろう。
「わぁ。懐かしいな。みんな元気かな」
 懐かしい海から吹く潮風を浴びて、心なしかはつらつとした声のミトゥ。硬革鎧と広刃剣を帯びているが、足取りは軽い。ローレライのもしもの場合を思い浮かべないように振舞っているようにも見えなくもないが、故郷を懐かしむ気持ちもない訳ではない様だ。
「それより俺はさっさと休みたいぞ……」
 少しばかりやつれた表情で、長い槍の石突を引きずっている。出発の前日は逃げられないように徹夜、出発してからも歩き詰め、夜は見張りでろくに寝ていないのだ。見張りは全員でやっているが、やはり初日の徹夜がかなり効いているようだ。
「ほらほら、しゃきっとしなさい、しゃきっと。せっかく連れてきたんだからね」
 無責任な物言いでガッツポーズを作り、ミトゥはすたすたと歩いていく。苦笑したカミュがアルファーンズに近づき、
「もうすぐですから。着いたら、ご馳走します。宿もありますから、今日一晩はゆっくり休めますよ。あ、ミトゥさんの家の方がよろしいでしょうか?」
 そう言って意味ありげにくすくすと微笑む。
「だーから違うっ。俺と奴はただの相棒! そんな家に行くよーな間柄じゃねーっての!」
 じろりとにらみつけるが、カミュを微笑を浮かべるばかり。
「冗談ですよ。ですけど、あなたは羨ましいですよ。僕たちの村の『一番』の相棒をしているんですからね。それに僕には、出発前に酒場で見せてくれたような表情を向けてくれたこと、ありませんし。さぁ、急ぎましょう。置いていかれますよ」
 一歩的に話を打ち切って、一足先に歩いていたミトゥを追いかけカミュも小走りに進みだす。アルファーンズは首をかしげつつ、それに続く。
「………誰が『一番』で、あの表情のどこがいいんだ?」
 鬼のような形相で自分と言い合いをするミトゥの表情を思い浮かべて、再度首をひねる。
「……ま、早く行こ。飯も食えるし、ベッドで寝れるし」
 気を取り直したアルファーンズは、槍を肩に担ぎなおして、背負っていた円形楯の位置を直して走り出した。


 そして日が沈むまであと半刻ほどといった頃に村に到着したアルファーンズは困惑していた。
 カミュの案内で、人気のない道を歩いて宿屋に連れて行かれた。村唯一の宿屋兼酒場は「月夜の翼乙女亭」。そして村長と名乗った老人が出迎えてくれた。ここまではごくありきたりの風景だったが、その先が彼の想像を超えた展開だったのだ。
「このやろー、久々に帰って来たと思えば!」
「いつの間にそんな立派になったのよ!」
 ミトゥと似た顔の作りをしたした青年ふたりと、顔は似ているがスタイルが似ても似つかない女性がミトゥを取り囲み、抱擁したり口付けをしている。
 このあたりは、事前に兄弟――兄二人と姉が一人――がいると聞いていたから、想像の範疇だ。姉に至っては、アルファーンズの想像よりもずっと美人だったが。
「冒険者になると言ったきり顔も見せんとおもっとったら。立派になったのう!」
 村長の老人が、ミトゥの頭を撫でている。
 これも、久しく村を出ていたものが帰って来た時の村長の反応としては、頷けないこともない。が、
「あはは、痛いって、じーちゃん」
 じーちゃん。さすがのミトゥも、自分の村とはいえ村長をつかまえてじーちゃん呼ばわりするほど、礼儀知らずな娘ではない。となるとアルファーンズが導き出した答えはひとつ。
「……お、お前村長の孫娘だったのかーっ!?」
「うん、そだよ」
 驚愕の真実。開いた口がふさがらないアルファーンズ。
「失礼なやつだな、そんな顔して。だって、聞かれなかったし」
 心外そうにぷんっと横を向くミトゥに、村長が声をかける。
「のう、ミトゥ。こちらは……」
 未だ唖然としているアルファーンズをちらりと見る。
「ああ、こいつは……」
 ミトゥは頬をぽりぽりとかきながら、しばらく逡巡したのち、
「ボクの相棒のアルファーンズだよ………って!!」
 ミトゥの予想に反することなく、村長とその様子を静かに見守っていたガタイの良い親父がばたりと倒れたのであった。今更だが、終始無言で見守っていたその親父は、ミトゥの父親だということは言うまでもない。


「だから君を連れてきたくなかったんだ」
 倒れた村長とミトゥの父親を自宅まで運び介抱し、冒険の相棒だと説明したころにはすでに月が空に昇っていた。アルファーンズは当初の予定通り「月夜の翼乙女亭」に部屋を用意してもらい、一階の酒場で遅めの夕食を摂っていた。
「もしかして、本当の理由ってそんだけか?」
 動かしていたフォークを止め、じと目でミトゥの顔を見つめる。
「や、やだな。それだけじゃないよ」
 顔が引きつっている。半分は本当なのだろうと思うことにして、気を取り直して夕食の皿に向かいなおす。皿には、この村で採れた黒光りするムール貝が白ワイン蒸しにされ、これでもかというくらい盛り付けられている。村の名物料理らしいのだが、その量は大食らいのアルファーンズでさえ驚くほどだった。
 料理を出された当初は、この貝が食えるのかと疑っていたアルファーンズも、一口食べてそのふんわりとした食感、海水から出る自然の塩味、白ワインの風味と香りが絶妙にマッチしていて実に美味いと感想を述べた。
 しばらく無言で食事が進み、アルファーンズが食後の地酒を飲んでいる最中、その間ずっと悩んでいたミトゥが口を開いた。
「あのさ、言おうかどうしようか迷ったんだけどさ。間違って殺されちゃ困るから一応、言っとく」
 えらく歯切れの悪い口調で言うと、当たり前の反応のようにアルファーンズが首をかしげる。
「なにを?」
「いやだから……。ハーピィのことを」
 まだ迷っているのか、もごもごと口ごもりながら呟く。ああ、と納得したような表情を浮かべて、再度カップを傾けるアルファーンズ。
「やっぱ何かあるのか。随分気にかけるから、何かあるだろーとは想像付いてたけど。何がどーなってんのか、やっと話す気になってくれたのか」
 酒を飲み干し、笑顔を浮かべる。気になって気になって仕方ないようだったらしい。
「話すけど、ホントのことは他の人に言っちゃ駄目だからね」
 この村の人だけが知ってる事実なんだから、と付け足し昔話を語るような口調で話し始めた。
 村に昔から伝わる、精霊ローレライの伝承歌。数年前、まだ自分が子供だった頃に起きた村人の行方不明事件。そのとき村を抜け出し確かめに行き、目撃したハーピィのこと。数日後、冒険者が退治に来たこと、必死にそれを阻止しようとしたこと。しかし逆に冒険者からハーピィのことを聞かされ、その正体を始めて知りハーピィに非はないと教えられたこと。そして現れた事件の黒幕、スキュラのこと。
 冒険者が自分の憧れの女戦士などの省けるところは省いて簡潔に説明する。腕を組み話を聞いていたアルファーンズは、ミトゥが話し終えると同時に立ち上がる。
「あれ………どしたの?」
「話は分かったし。明日は早いんだろ。俺は寝るわ」
 ぎしぎしと階段を踏み鳴らし、二階へ上がっていく。途中、階段の中ほどまで来て、一度足を止めた。
「あー、それと。ありがとな、村の奴しか知らない話聞かせてくれて。心配しなくても、ハーピ……じゃなくて、ローレライを見ても手は出さねーよ」
 頭をがりがりと掻きながらそう言って、そのまま二階の部屋へと上がっていった。一人残されたミトゥはどうしようか悩んだ挙句、結局そのまま家へ引き返していった。


「それで、謎の怪物を見たのはどのあたりなの?」
 翌日。寝起きの悪いアルファーンズを、ミトゥが手馴れた様子でたたき起こして軽い朝食を摂ってから、調査をはじめた。
「こちらです。海に繋がる小川のほとりで、漁師の一人が目撃しています。なにぶん、遠い上に恐ろしくてすぐに逃げ帰ったというので詳しい姿は分かっていませんが……」
 オランに来たときと同じく、硬革鎧に身を包み連接棍棒とスリングを武器に携えたカミュが先導する。
「いや、良い判断だ。水辺や水中の魔物は、種類は少ないが強敵が多いからな」
 リザードマン、ジャイアント・トード、クロコダイルなどの水陸どちらの環境にも対応できる水生魔物の名前を挙げていくアルファーンズ。そして最後にスキュラの名を挙げる。
「まさかスキュラじゃないよね。だとしたら勝てないよ」
 ミトゥが不安げに呟く。スキュラの強さは、幼い頃の経験からミトゥもカミュも嫌というほど知っている。そのときは、一人の熟練冒険者をも苦しめていた。今は三人だとは言え、当時スキュラを討伐した戦士に比べると、遥かに実力は及ばない。
アルファーンズにしろ、過去の冒険で海に出たとき一度遭遇しているからその危険度は熟知している。そのときも、六人掛かりでどうにか倒していた。三人では到底、かなわぬ敵だろう。
「ま、そりゃ無いだろ。人間の方が相手に気づいてて、相手がこっちに気づかないわけないだろーし。スキュラなら、人間を逃がす間もなく精霊魔法でどうにでも出来るし、逃がす理由もない」
 話しているうちに、小川へ到着した。川幅は人二人分くらいで、深さも大したことは無い。夏場は、浜辺と同じく子供たちの遊び場になるらしい。無論、子供の遊び場になるくらいだから、普段魔物の類は滅多に出現しない。今も、普段どおり静かにせせらいでいる。
「懐かしいなぁ。昔、この川でカニとかとったっけ」
 顔をほころばせて、川に駆け寄り水を手で掬い上げる。
「あ、危ないよミトゥ」
 慌てて駆け寄ろうとするカミュに、アルファーンズが声をかけた。
「大丈夫だ。普通、こういう川に魔物や獣は棲んでねーよ。見ろ、浅すぎて全身を隠す場所が無いだろ。居るなら………近くに巣穴でも掘ってるってとこかな」
 そういって油断なく周囲を見渡すが、洞窟のようなものも無ければ、不自然に地面に開いた穴なども無い。
「では、とりあえずはこのあたりを捜索してみましょうか?」
「そうだな。川辺と、あとは林周辺を……足跡でもあれば良いんだがな。ほれ、ミトゥ、行くぞ」
 未だ水辺で水と戯れるミトゥを呼び、本格的に捜索を始めた。しかし、野伏せが居ないのが祟って、棲家はおろか足跡すら見つからない。
「くそ。見つからねー。……おい、この川の水源は?」
 カミュは首を振りながら、
「駄目です、こんな小さな川ですけど、本流はハザード……水源はエストンなんです」
「ちっ。上流を行くには遠すぎるか。となると、あとは下流の方へ進むか」
 川の下流へ視線を向ける。ここからは見えないが、小さな川は途中いくつかに枝分かれしながらも、ゆるやかにカーブを繰り返し海へ繋がっている。
「ああ、そういえば!」
 アルファーンズと同じように、下流へ視線をやったカミュが突然大声を上げた。
「なに、どうしたの?」
「忘れちゃったの、ミトゥ。この川の先……ローレライが居た、あの巣が!」
「………ああ、そうだ! 確か、ローレライが住んでたのも!」
 二人で何か分かったようにしているが、アルファーンズだけが要領をえずに首をかしげる。
「おい、大体想像は付くけど、いったいなんだよ?」
「こっちの方に、今までローレライが住んでいた巣があるんです」
 予想通りの返答。
「……行き詰ったことだし、行ってみるか。何か分かるかもしんねーし」
 一行はカミュとミトゥを先頭に、川沿いの道を下って海岸の方へと歩き始めた。

 その巣は、海岸沿いに聳える岸壁付近に作られていた。中を覗き込むと、想像とは裏腹に綺麗なもので、敷き詰められた草の上には羽毛ひとつ落ちていない。
「この中で争って行方不明になったってわけじゃなさそーだな。……自分から出て行ったのかもな」
 無意識に木切れを拾い上げ、それを器用に指で回しながらぶつぶつと呟き始めるアルファーンズ。ペン――もっとも、今は代用品の木切れだが――を指で回すのは彼が考え事をするときの癖である。
「どうして?」
 呟くのが聞こえたのか、心配げに巣を覗き込んでいたミトゥがアルファーンズに問いかける。アルファーンズは、木切れを回し続けながら、
「去る鳥後を濁さず、ってな……」
 その言葉が途中で途切れた。原因は至極簡単、ミトゥに睨まれたからだ。カミュも、控えめながら睨んでいるようにも見える。
「ローレライは鳥じゃないよ!」
「いや、しかし鳥乙女ともゆーし………あー。いや、悪かった」
 弁解しようとするアルファーンズだが、結局頭を下げた。ミトゥ相手にこういうとき、どんなに正当な理屈を並べても無駄に体力と時間を浪費すると経験上嫌と言うほど実感していたからだ。
「とにかく、次はこの周辺を探してみましょう。ローレライじゃないにしろ、謎の怪物がみつかるかもしれませんし」
 カミュが仲裁に入り、一瞬の険悪な雰囲気を払拭して再び捜索が始まった。岸壁付近から、その岸壁に口を開けた洞窟、砂浜、岩場……。日が沈みかけた頃には、魔物が潜んでいそうな場所は粗方探しつくした。それでもローレライの姿を見つけることは出来なかったが、成果はあった。
 潮風を防ぐための防風林を抜けている途中に、それは現れた。外見は樹木そのもので、根っこを足のように蠢かして先頭を歩くミトゥに飛び掛ってきたのだ。見事に林の木々に溶け込んだ、完全な不意打ちだった。その数、二体。
 クリーピング・ツリー。アルファーンズは瞬時にその正体を見破り、行動を開始した。ミトゥの力なら、蔓に締め付けられたくらいすぐに抜け出すだろうと判断し、別の一匹に対峙する。
円形楯で軽く誘ってやると、低能なそれは誘いに乗り楯にしゅるしゅると蔓を巻きつけてきた。腕に絡まる前に楯を放り出し、両手で槍を構えたアルファーンズは全体重を乗せた突きをその樫のようなクリーピング・ツリーの身体に見舞った。
 一方ミトゥは、巻きつく蔓の妙な感覚に混乱しつつも、何とか振りほどこうと必死に身悶えする。すると、より締め付ける力が強まって、身体中に痛みを覚える。
 解くのが困難と悟ったミトゥは、結局力任せにそれらを引きちぎった。蔓の一部を失ってよろけた本体を、勢いをつけて蹴り飛ばして距離をとる。そこへすかさず、カミュの連接棍棒がうなりを上げて叩きつけられた。
「これで、終わりっと!」
「マーファの胸で眠れ……」
 アルファーンズが槍を突き出したままの姿勢で相手が倒れるのを確認したとき、少し遅れてカミュも連接棍棒の打撃で相手を粉々に砕いていた。
「意外と、パワフルだな」
「いえ、戦いに関しては貴方ほどでは……」
 戦いを通じて男の友情でも芽生えたかのように、笑いあう二人。アルファーンズが楯を拾い親指を立てると、カミュも控えめなピースサインで返す。
「二人の世界はどーでもいいけど………ローレライ探しは?」
 ぽつねんと取り残されたミトゥは、ぼそりと呟き抜かれることの無かった剣に視線を落としため息をついた。


「結局収穫は、魔物退治だけか」
 夜の海を、宿の窓から眺めてアルファーンズは呟いた。村の周辺に出没していた謎の魔物は、目撃者の証言とも特徴が一致し、クリーピング・ツリーだったとアルファーンズらは断定した。
草木が萌える春先によく出没する場合が多いことも結論付けた理由のひとつだ。最初に目撃されたとき川辺に現れたのは、きっと水分を摂取しにきていたのだろう。
 しかし、ローレライの姿は結局見つかることが無かった。まさかクリーピング・ツリーにやられたわけでもあるまいに……。
 頭の中に暗い考えが浮かぶが、すぐに否定する。ローレライの棲家は海辺、クリーピング・ツリーは林の中。さすがに植物型の魔物がわざわざ海にまで出向くことは無いだろうとの考えだ。
「ああ……明日はどこを探すか……」
 海に向けた視線を上げ、夜空に浮かぶ月を眺めながら、アルファーンズは再び呟いた。不意に白く輝く月に照らされ、小さな黒い点が見えたような気がした。
 不思議に思って、アルファーンズは眼をこすってから、もう一度凝視したが――月は変わらぬ白い光を放ち続けているが、おかしな黒い影などは見えなかった。
「ふぁ……」
 自然とその口からあくびが漏れる。明日も早いことだし寝ようと、ベッドにもぐりこむ。やはりどうも釈然としないが、襲い掛かってくる睡魔には抗うことが出来ず、灯りを消した数分後、穏やかな寝息が、
「がー……ぐー……」
 もとい、豪快ないびきが部屋に響き渡っていた。

「………あとどこを探せって言うんだ」
 二日目の調査をはじめて数時間後、言いたくは無いがそろそろ文句が自然と口をこぼれてくる。アルファーンズは、砂浜に座りこみ天を仰いで言った。
「ほら、しっかりしなさい! まだ肝心のローレライが見つからないんだから!」
 ミトゥにぐいぐいと腕を引かれ、だるそうに立ち上がる。小さな村の周辺は、昨日一日でほぼ見回っている。昨日探しきれなかったところも、二日目の今日の数時間で全部見て回ったはずだ。しかし見つからない。
そうなると、本当に自分の意思でどこかへ出て行ったのかもしれない思い始めていた矢先、アルファーンズの視界にあるものが映り込んだ。
 海の沖合い、近くは無いがそんなに離れては居ないだろう。そこにひとつの島があった。人が住むにはいささか小さすぎるが、ここから見えるだけでも砂浜と小さな森か林が確認できる。
「なぁ、あれって何の島だ?」
 アルファーンズがその島を指差すと、カミュは慌ててそれをさえぎった。
「駄目ですよ、あれは禁断の島です。恐ろしい怪物がいくつか棲んでるらしいんです。指なんて指すと呪われますよ!」
 どこの迷信だ、と吹き出しそうになったが、ふとその顔が上を向き――足元を睨み始めた。それは彼の考え事を始めるときの合図だった。指を見れば、ペンも木切れも持ってないのに、そこにあるなにかを回すような仕草を見せている。
 昨晩の時間帯の月の位置を思い出し、村の方を向き直って宿の自分の部屋を確認。窓から見えた月、その月明かりに照らし出された黒い物体、その位置を思い出すとそこは島の上空付近だと思われた。
「もしかして……その島に行ったのか? 何かの理由で……」
 ペンを回す仕草をしていた指の動きが止まる。そして、昨晩見たことを話す。
「何かの理由って……なに?」
「わかるかよ。でも、何かがありそうな気がしねーか? 禁断のだなんて行って近づかないのも、昔から何かにちなんだ伝承があって、それが今では禁断の島なんて形で伝わってるとか、さ」
 アルファーンズがミトゥとカミュの二人に、禁断の島に関する昔話は無いかと聞くと、するとまぁ出てくる出てくる。島にはミノタウロスが棲んでいて、引潮のときに海に道が出来て村の娘を喰らいに来る。マーマンの集落があって、そこにはマーメイドの女王が住んでいる。大昔の魔術師の幽霊が封印されている。オーガーやトロールをはじめとする巨人たちが数多く住んでいる、云々。そして、
「百年に一度、翼あるものたちが集って、王国を築き上げる……」
「それだな。だんだん思い出してきた、まだ確証はできねーけど……」
 翼あるものの王国という単語から何かを思い出したようなアルファーンズは、そこでいったん言葉を切り、
「船だ。あの島まで行ってみるぞ」
「え、で、ですがあそこは……」
 やはり村の言い伝えで禁断の場所と言われている以上、カミュにとっては近寄りがたいのだろう。
「いいから! ローレライがいるかもしれないんだよ! 早く船、船」
 が、ミトゥにとっては大した問題ではないらしい。
「でも本当に何か居たらどうするんだよ」
「そんなの、ただの伝説じゃん!」
「……ローレライも、伝説で言われてるのとはちょっと違うけど、実在したじゃないか」
 慎重派のカミュと、一刻も早くローレライの無事を確かめたいミトゥ。この幼馴染同士の口論は、今回の仕事始まって以来のものだった。このままいつもの自分との口論のように発展するのかと思うと、アルファーンズは気が滅入ってきた。ミトゥと口論することは多々あったが、ミトゥと他人との口論を傍観する側に回るのは初めてかもしれない。
 いつも自分たちが口論するとうんざりしている面々の気持ちが、初めて分かったような気がした。が、やはり気の弱いカミュが相手のためか、アルファーンズとの口論のような激しさは無く、それにもかかわらずカミュはだんだんと押され気味になっている。
「ええーい、じゃあこうしよう。あの島へは行くけど、捜索するのはローレライが住むような場所……ま、つまりは海岸沿いだわな。そこだけってことで。そうすりゃ、森にいるような魔物とは鉢合わせにはならねーはずだ」
 カミュはしばらく考えたものの、他に探す場所が無い以上、少しばかりの可能性にかけてみることに結局同意し、小さなボートを用意した。ボートを操るのは、一番船になれているカミュの仕事。
 慣れているせいもあってか、ボートは快調に進み、程なくして禁断の島へ到着する。砂浜の景色はローラ村と大して変わりは無いが、村でいうと防風林があるあたりが深い森と化している。これなら、ミノタウロスやその他の魔物がいると伝説に残ってもおかしくなさそうだ。
 一行は当初の約束どおり、砂浜の周辺を調べ始めた。島の西端は砂浜になっているが、反対側の東端は切り立った崖になっていた。そこは崖下から吹き付ける強い風で、アルファーンズたちのような体重の軽いものが不用意に覗き込みすぎたら吹き飛ばされそうなくらいだった。
 その強風のためか、崖下を覗き込んでもまともに岸壁を確認することが出来なかった。もしそこで岸壁を確認できていたのなら、そこにある複数の巣や、気づかれぬよう彼らを遠巻きに囲むいくつもの影にもっと早く気づいていたかもしれない。
 不幸なことに、彼らがそのいくつもの視線に気づいたのは、砂浜に戻ってきたからのことだった。最初にミトゥが気づき目を凝らして周囲を見渡すと――数え切れぬほどのディーラの群れが自分たちを囲んでいるのだった。


「こ、こいつらは……ッ」
 事態に気づいたアルファーンズが思わず槍を構える。途端、美しい顔にいっせいに警戒の表情が浮かぶ。中には、自衛のために今にも飛び掛ってきそうなディーラも少なくない。
「駄目だってば! この子達、本当は優しい子たちなんだから!」
 アルファーンズを制したミトゥであったが、その顔から焦りの色は消えない。ディーラは比較的温厚な種族であることはよく知っているが、腐っても魔物である。自衛のためなら人をも襲うし、そのための足の鉤爪はかなりの脅威である。それ以上に脅威なのが、その数。軽く二十匹を越えている。そのディーラが、声をそろえて、人間の耳には聞きなれない言葉で叫び続けている。
「何て言ってるんでしょう……」
「わからん。ゴブリン語なら分かったんだが……せめて地方語でしゃべりやがれってんだ」
 アルファーンズがもどかしげに毒づく。
「それよりどーするよ、この状況。船で逃げても、連中は飛べるん……」
 アルファーンズの目が見開かれる。カミュも同様に目を大きく見開いて、信じられないような表情を浮かべた。
「ねぇ。君たち、ローレライの友達なんでしょ? いい子たちなんだよね?」
 ミトゥが両手を広げて、ディーラの群れの中へ歩いていったのだ。もちろん、言葉は通じるわけも無く、より一層の警戒の声をあげる。そして、ついにその中の数匹が翼を大きく広げて空高く舞い上がり、鉤爪を光らせてミトゥに向かって突っ込んできた。
「――――っ!?」
 ガキィィッン。
 甲高い音が響いた。ミトゥが身に着けていたのは、革鎧。こんな金属音は上がらない。無論、楯も持っていない。
「あ、アルファ!?」
 ミトゥの前に立ちふさがり、円形楯を両手で持ってディーラたちの爪を受け止めたのは他でもないアルファーンズだった。しかし、楯だけではさばけずその身体でもいくつかの爪を受けていた。しかも、普段ならつけている鎖帷子は、ボートに乗る際に着ていては万が一海に落ちたとき溺れるかもしれないので、脱いで置いてきていた。今着ているのは、外歩き用の動きやすいが薄いローブのみ。
「ぐ………。無茶するんじゃねーよ……」
 そういう本人が一番無茶をしている。ローブは裂け、傷口から血がにじんでいる。
「ちょ、ちょっとアルファ! なんで!?」
 アルファーンズはそれに答えようと口を動かすが、それはすぐに苦痛のうめきに変わる。立ち上がろうとするが、足にも力が入らずそのままばたりと倒れてしまった。
「いけないっ……慈悲深きマーファよ、彼に癒しを……うわっ!」
 カミュはマーファに祈り、アルファーンズに《癒し》を施そうとするが、飛来したディーラにより邪魔されてしまった。祈りを中断し、危うくその攻撃をかわす。
「もう、駄目かもしれない……」
 カミュは戦況を確認して呟く。ミトゥは、大量の出血で気を失ったアルファーンズの身体を支えたまま、うつむいて動かない。自分ひとりでは――いや、三人がかりでもこの数相手に立ち回ることは不可能。万事休すか、とマーファに祈りを捧げる。
 そして翼のはためく音が強まった。大量のディーラが、彼らをめがけて突っ込んできた。
『……待って』
 鉤爪が振るわれる寸前、それをさえぎる高いソプラノの声が響いた。しかし、ミトゥとカミュには理解できない言葉だった。響いた声――それは、ハーピィ語だったのだ。



「………う……あ」
 目を覚ましたアルファーンズの視界に飛び込んできたのは、月の光を反射したような金髪の翼が生えた裸身の少女。
「………死後の世界? でもって、星界の乙女? ……どっちにしろ、いい眺め」
「何言ってんだ、変態―ッ!」
 ぼそりと呟いた言葉に、猛烈な顔面パンチが炸裂した。拳を打ち出したのは、ミトゥ。
「がぁぁ!!」
 顔を抑えて、転げまわるアルファーンズ。幸い、鼻血などの怪我はないようだ。ついで、慌てた声が聞こえてきた。
「せっかく《癒し》が効いたんですから、いきなり喧嘩は……!」
 カミュだ。そういえば、ディーラの鉤爪を受けてからの記憶が曖昧だった。まだ傷は痛むが、きっと、カミュが神聖魔法で治してくれたんだろう。視線をめぐらせると、今しがた自分を殴りつけたミトゥも居た。
「てめー、怪我人にむかっていきなり何するんだよ!」
「怪我人のくせにローレライの裸見て鼻の下伸ばしてるからだよ!」
 またも口論になりそうになるが、それをさえぎったのは一枚の翼。目を覚ましたアルファーンズの目に真っ先に飛び込んだ、有翼の少女――正確には腕が翼になったディーラの少女であるローレライだった。
「すみません、ボクたちの仲間が怪我をさせてしまったようで……」
 深く頭を下げ、高く美しい声で、それも流暢な東方語でローレライは謝罪した。
「あ……アルファ、東方語わかんないんだっけ?」
「いや、勉強のお陰で聞くくらいなら少しわかる。……しかし、この綺麗な顔で、『ボク』か?」
 アルファーンズの言うとおり、容姿は先ほどの群れの中でも最も優れていると言っても過言ではなかった。が、口から出た一人称は『ボク』。東方語を覚えかけの頃にミトゥと出会っていたので、ミトゥの一人称が伝染ってしまったのかもしれない。
「そんなことはどうでいいじゃないですか。まずは、いきなり居なくなった理由を聞かせてくれませんか?」
 カミュが東方語に切り替えて、ローレライに尋ねた。ローレライは、こくんとうなずき、わかりましたと答えて話し始めた。
「ボクたちの、“王”が生まれたのです……」

 このあたり一帯のディーラに、またひとつの命が生まれた。ただひとつ違ったこと。それは数年、数十年、数百年に一度の命だった。
 それを知ったローレライは、約束の地――ディーラの住まう島へと向けて飛び立った。そこにはすでに数多のディーラが集い、歌い、踊っていた。
 しかし、その島を長いこと使わない間に招かれざるものが巣食っていた。ディーラにとっても、脅威となれる存在、それは……。

「それを、退治しなければ我々に平安はありません……」
「なら、ボクたちが手伝うよ!」
 ミトゥが力強く言った。その言葉に、ローレライは一瞬の微笑を浮かべた。
「それは出来ない」
 毅然として言い放ったのは、ローレライではなく、アルファーンズだった。目を閉じ、腕を組んだままの体勢を崩さない。
「どうして!? ボクたちじゃ力不足だっていうの!?」
 噛み付かんばかりの剣幕で、アルファーンズに詰め寄るミトゥをどうにかカミュがなだめる。
「それもある。でも、これ以上……てか、現状でも言えることだけど、俺たちはディーラたちに関わることは本来あってはならねーことなんだ」
 その言葉に、ローレライも節目がちに小さく頷く。ディーラたちは本来ならば、“王”の存在すら知られないようにするため、極力人間とは関わり合いになろうとはしない。それ故、人間を魅了しようとはしない。そうしなくても、“王”がいれば人間を使う必要が無いのである。
「ローレライが“王”のことを話してくれただけでも、十分に大変なことなんだよ。そこをわかってやれ」
 それでも、ミトゥは納得しないようだった。助け合うのが当然。それがローラ村の掟でもあったし、ローレライとも助け合って過ごしてきたようなものだったから。
 アルファーンズはため息をつき、ローレライの遥か後ろで控えているディーラの群れをこっそり指差した。
「見ろ。ローレライは歓迎してくれても………他のディーラにとっちゃ、俺たちも招かれざる者なんだよ……」
 ミトゥがディーラたちを見やる。確かに、警戒はしていないが歓迎もしていない。むしろ、敵ではないが一緒にいると居心地の悪い相手。きっとそんな感じに思っているのだろう。ミトゥは顔を伏せると、拳をぎゅっと握った。そして、潤みかけた目でローレライを見つめる。
「………絶対、死んじゃ駄目だからね」
「……はい」
「………みんなも心配してるから。たまにでいいから、戻ってきてよ」
「……はい」
「………それから、それから」

「……がんばって、立派な“王国”作ってよ」
「……わかりました」


★     ★     ★     ★

 夜、「月夜の翼乙女亭」。
 村に帰って来て、“王”の存在を隠すためにローレライは近くの海岸に居を変えたと皆に伝えた。たとえ村の者とはいえ、やたら滅多に言うようなことではないと思ったからだ。
 ローレライをちゃんと見つけたという印として、ローレライからもらった三本の羽根のうち、カミュのものを村長に渡しておいた。残りの二本は、アルファーンズとミトゥにお守り代わりとして手元に残った。
 その美しい羽根を手でもてあそびながら、アルファーンズは呟いた。
「はぁ………なんか、思えばすっげー体験してきたな」
 一人になって思い返してみて、改めてそう思う。大量のディーラに殺されかけ。美しいディーラの娘、ローレライをこの目で見て。そして、“王”の存在を聞かされ。最後には、ミトゥとローレライの友情を見せられ。
「ホント、いろんなことがある……」
 ベッドに寝転がり、月夜の空を眺めていると、不意に扉がノックされた。
「開いてる」
 がちゃりと扉が開き、ミトゥが入ってきた。もうすでに、鎧も剣も帯びていない。
「やぁ……ちょっといいかな?」
「ん、別にいいけど」
 部屋に招きいれ、椅子に座る。ミトゥも椅子に座り――長い沈黙。何を話すでもなく、視線を泳がせ、
「あのさ」
 ミトゥが先に口を開いた。
「えーと……昼間はごめん。ありがと」
「え?」
「庇ってくれたじゃないか。あれだよ。まだ謝っても、お礼も言ってなかったから」
 照れたように、申し訳無さそうに呟く。アルファーンズは軽く笑い飛ばして、
「大丈夫だって。大したこと無かったし。そんな改まるなよ」
 ミトゥの頭をぽんぽんと軽く叩いた。
「うー、なにするんだよっ。子供じゃないんだから」
 頭を振って、その手を追い払う。
「俺の方こそ、無理についてきた割りには役に立たなかったよーで……悪かったな」
 頬をぽりぽりと掻いて、アルファーンズはぼそりと呟く。
「ううん……庇ってくれたし。一応、嬉しかったんだからね」
 語尾に近づくごとに小声になりながらも、にこりと微笑を浮かべる。そして、しばらく見詰め合って――同時に吹き出した。
「ふ……ふははは。なんか、アホらし」
「あははは。そだね、でもなんか懐かしい。こうして一緒の部屋で話すのって、最初の頃以来だね」
 アルファーンズとミトゥがコンビを組んだ当初は、二人とも金が無いから相部屋で住んでいた。思い返せば、相部屋でもずっと口論か喧嘩ばかりだったが、それなりに充実した日々をすごしていた。
「久しぶりに、何か話でもしよっか」
「……ま、あとは帰るだけだし。良いんじゃねーの」
 それから、夜明け近くまで談笑は続いた。ミトゥの振ってくる話題に頷き、笑い、時には怒った。ゆっくりとした空間で、相棒の少女とのんびり話したのは久しぶりのことだった。
 改めて話すことで、口論は絶えないがやっぱりなんだかんだで気が合う奴だと実感するアルファーンズ。そして同時に、村に来る途中、カミュが言っていた言葉の意味がなんとなくわかった気がした。
 ミトゥのころころ変わる表情、感情を一番よく知っているのは、自分のような気がしたのだ。ひょっとすると、家族並に、それ以上に。カミュの場合、道中言っていたように怒鳴られたことが無かったのだろう。同年代の者は、ミトゥの泣いた顔を見たことはないのだろう。自分は、そのどちらも知っているし、それだけではない。
 楽しい一緒に笑ったし、嬉しいときは喜んだ。怒ったときは喧嘩したし、かと思えば少女らしいか弱い一面も見たこともあるし、泣いた顔も見た。
 戦う姿も知っているし、苦手だった料理を克服して鼻歌交じりに料理をする姿も知っている。
 気づけばもう日の出までわずかだった。さっきまで笑っていたミトゥは、すでに夢の中。改めて、寝顔も知っていることにも気づく。心の中でカミュの言葉が反復する。
「うらやましい、か」
 心の中で、様々な思いが膨れ上がる。楽しいときも悲しいときも、冒険者をやり始めてからのほとんどの思い出が、この少女と共にあった。かつての恋人だった少女よりも、ずっとたくさんの思い出が。
 どれほど自分の中で、この少女の存在が大きくなったことか。改めて思うと、カミュが呟いた羨ましいという言葉も、理解できる。
 ――こいつは、俺にとって何なんだ。
 自問するが、答えてくれるものは自分以外に誰も居ない。この少女は、自分にとって……。
「だーっ、やめだやめだ! 今はとにかく、相棒で十分だ。うん、それでよし、俺!」
 誰かが聞いているわけでもないが、大声で自分に言い聞かせ、考えを中断した。そして自分のベッドを奪われていることを思い出したアルファーンズは、仕方なく椅子に深く腰掛けて毛布に包まって、眠りについた。


 その夜は、満月ではなかったが、月が美しく空で輝いていた。海が静かに波うち、風がそよぐ。
ふと、夜の帳を破るかのように、小さな歌が聞こえたような気がした。
 小さな小さなその歌は、海に浮かぶ島から聞こえているような気がした。
 美しく、優しく、時に雄雄しく、逞しく。そんな歌のような気がした。
 それはローレライ――ディーラたちの歌。それが戦いの始まりを告げる戦歌なのか、戦いの勝利を讃える凱歌なのか、王の誕生を祝う喜びの歌かは分からない。だか、静かに深く遠く、歌は浸透していった。
 しかし、人も草木も寝静まった深夜のその歌に、気づいたものは誰も居ない。



★     ★     ★     ★



この村には伝説がある。

約束の日が近づくと 月夜の空に響く美しい歌を紡ぐ声が聞こえる。

しかし今ではその歌に人を魅せる魔力は無い

歌うはただ伝説を伝えるため 聴くはただ伝説を受け継ぐのみ

歌を口ずさむのは、月の光を映し出したような淡い金髪の乙女。

紡がれる歌声は、月よりも美しく澄んだ声。

ローレライという名のディーラが居る。

優しき心と、古よりの歌を受け継いだディーラの娘。

ローレライは歌う。 友との約束を果たすため

そして古よりの歌を次の命へ伝えるため。

伝説の真偽を知るものは、村人以外誰一人としていない。

真実を知るものは、彼女の友のみ。

この村には伝説がある。 伝説の名は、「ローレライの歌」。

友の心には真実が眠っている。

その名は、「翼あるものの楽園」。

――ローラ村マーファ神官 カミュ=リカム



  


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