朝霧の中で
(2003/05/26)
|
MENU
|
HOME
|
作者
うゆま
登場キャラクター
ホッパー・ビー
日も未だ射さぬ明け方。
春先の朝霧は一つの小さな村を容易く隠す。
そう、小さな村。
その中、僕は一人その村を出た。
誰一人見送りの無い旅立ち。
だけど、それで良かった。
朝霧がありがたかった。
誰にも見られずに旅立てる。
『役立たず』が。
『穀潰し』が。
『非力』が。
村で十五年余り生きて、ついた僕の呼び名。
そんな一人が、村から消えても。
朝霧の中、僕が消えても。
かまいはしないだろう。
脇に抱えた、ぼろ布の袋に荷物を確認する。
荷物と言っても、大して量は無い。
目立つものと言ったら…
「この、本だけ」
本が朝霧に濡れぬ様、革きれに大事に包み込む。
僕は逃げる様に、街道へ走り出した。
僕はホッパー・ビー。
駆け出しの、一応冒険者。
オランから太陽の昇る方。
三日間徒歩で歩くとある、小さな村の出身。
そこの世に言う「資産家」の家に僕は生まれた。
十人兄弟の末っ子として。
けど、実際は決して「資産家」なんかではなかった。
村では確かに大きい家だった。
畑もそこそこ大きかった。
でも、それはあくまで表向き。
家族全員が働かないと、生きていけない生活。
食事だって満足に食べられない。
朝早く叩き起こされる。
痩せた畑を耕して。
家で藁を編んで。
重い荷車を運んで。
夜遅く寝る。
姉や兄達はがむしゃらに働く。
僕はひ弱でろくに働けず邪魔者扱いだった。
それなのに。
母親はいつも言っていた。
「うちは資産家だ。村一番の、裕福な家だ」と。
いつも皆が働いているとき言う。
誰かに話をするとき、人一倍自慢したり、偉そうにしたりしていた。
だけど、滅多に働こうとはしなかった。
いや、しなかった。
何故かと聞くと、決まって言う。
「私は貴族の生まれなのよ」
だからどうしたと。
僕は一度、そう言ったら叩かれた。
最後に一言付け加えて。
「役立たず」
それに比べ、父は質素で寡黙。
一日中、家族の為に平原へ狩りに出掛けていた。
体の弱い僕を少しでも鍛え様と、連れ出されたこともあった。
獣の狩り方、弓の扱い方、皮の剥ぎ方。
狩人として色々と教えてくれた。
でも、僕が知りたかったのはそれじゃなかった。
世の中の知識だった。
僕のお爺さんは、それについてとても詳しい人だった。
家族の中で、一番に尊敬していた。
昔、立派な賢者として活躍したと聞いた。
僕がよく病気をしては看病してくれて、色々と教えてくれた。
大陸の果てに住まう、魔獣や竜。
深海の底に眠る、不思議な水中都市。
熱砂の嵐を耐え、そこに生きる人達。
半分御伽噺だけど、僕はそれがいつも楽しかった。
母親はお爺さんを厄介者扱いしていた。
働くのに、世界の知識や、文字なんて知らなくていい。
教えるなら、働くのに必要な知識だけでいいと。
だけど、知識を欲す僕にお爺さんはいつも教えてくれた。
ある日、お爺さんは僕に一冊の本をこっそりくれた。
表紙は擦り切れ、何とか「博物記」の文字だけが残った本。
お爺さんが若い頃、自分なりに知識を記した本。
「お前は体が弱い。しかし、賢い子だ。
いつか、お前は、知識を求めて世界に旅立つ。
その時、これが、役に立つだろう。」
「だが、この本だけで、満足してはいけない。
この本の、知識は動かぬ、過去の知識。
自ら動き、見て聞き、得る知識がある。」
お爺さんは、僕に、にっこりと微笑んで、力強く、言った。
そして。
数日後、お爺さんは亡くなった。
狭い村で、世界の知識を求めても無意味だった。
ここでは役に立たないのが、世界の知識だった。
ますます、僕は村で『役立たず』で『穀潰し』で『非力』となった。
朝霧が、少しずつ晴れてきた。
朝日が東の山脈から、顔を出す。
周囲の霧が、薄っすらと赤く染まる。
丁度、街道に出た。
そして西に未だ見えぬ、オランを見据えた。
冒険者として生きる為に。
「…」
不意に振り返った。
声をかけられたと思ったから。
誰もいない。
同時に朝霧が晴れて、遠くに村が見えた。
もう二度と帰ることも、立ち寄ることの無い、故郷。
僕はそう誓った。
でも、声をかけてくれる人を望むとしたら。
「…お爺さんかな…?」
一人で村を出る僕に声をかけてくれたと思った。
嬉しくて、ちょっと、泣きそうになった。
風が吹き、また声がした。
「…ーぃ!そこの人ぉー!」
東の方から誰かやって来た。
革鎧を着て、背中に蛮刀を下げた、冒険者らしき人。
その後ろには、金属鎧で戦斧を担いだ人の姿も見える。
「ああ、良かった。朝霧で迷っていたんだ。
ここはどこら辺か教えてくれんか?
俺達、これからオランに帰る所なんだが…」
僕は笑顔で答えた。
少なからず、安心してオランに行けそうだと思ったから。
(C) 2004
グループSNE
. All Rights Reserved.
(C) 2004 きままに亭運営委員会. All Rights Reserved.