”女にからきし” (2003/07/14)
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作者
R
登場キャラクター
リック



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*この話は新王国歴515年1月か2月頃の出来事です。*
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男と女が対峙していた。
「ひとつだけ訊く」
「何かしら」
「あんたがやったんだな?」
「そうよ。……良かったら、理由も聞かせてあげましょうか?」
「いいや、いい」
 刃が鞘から引き抜かれるのに、音はしなかった。
「関係ねえからな」
 こんな状況にも関わらず、女は男のそれを微笑ましいとすら思った。
「そうね」
 女は身構えた。交渉の余地がないことは分かっていた。

 男の足音を耳にしたその時から。

◆◆◆◆◆

「足音を殺すのはそんなに難しいことじゃないネ」
 白髪の、満面に人の好い笑みを浮かべた老人が相手にしているのは、まだ成人したばかりという顔立ちの少年少女たちだった。地上では小さなみすぼらしい建物でしかない盗賊ギルドの本領は、その性質に相応しく地下に広がっている。ここはその中の一隅、盗賊たちが技を磨き、伝える場である訓練場である。老人は盗賊としてはすでに一線を退いていたが、若い盗賊たちを教えることに関してはいまだ一流だった。
「キミたちはとっても優秀でボクの言うことをすぐに覚えてくれたから、もうボクが教えることは何もないネ。まだ悪路は無理かもしれないけど、街の中ならキミたちの足音はきっとボクにも聞こえないよ」
 若い盗賊たちの中に穏やかな笑い声が広がる。
「おっとっと、でも慢心はダメよ、キミたち。先輩たちはキミたちよりもっと上手ネ。足音を殺したままキミたちよりずっと素早く動けるネ。つまり、これからも訓練をサボっちゃダメっていうことヨ」
 威勢のよい返事に満足げに頷いて老人は続ける。
「でも、それはもうキミたち次第ネ。もう、ボクに教えることが無いというのは本当よ。だから今日はキミたちに別のことを教えるヨ。でも大丈夫、今日は難しいことじゃなくてチョットした心構えよ」
 教え子たちの顔に教えを受ける心構えができたのを確認して老人は切り出す。
「キミたちは訓練で足音を殺して歩けるようになったネ。しかも”意識せずに”ネ。でもそればかりなのはダメよ。もし傍を歩いてる他人が足音を立てずに歩いていたらどう思う?」
 教え子たちの顔を見て老人は満足そうに笑みを浮かべる。やはり彼らは優秀だ。
「そう、これからのキミたちに必要なのは、普段、意識して足音を立てることネ」

 若い教え子たちの修練を見守っている最中とはいえ、老人に隙はなかった。
「何をこそこそとしているネ」
 老人の後ろをすり抜けようとしていた一人の男がぎくりと身を竦ませる。
「キミの忍び足はこの子たちと一緒に鍛え直していった方が良さそうネ、リック・”ボーイ”」
 老人が振り向いた先には、そっと足を踏み出した姿勢のまま固まっているリックの姿があった。老人と目が合うと、きまりが悪そうな顔で姿勢を正す。
「じいさんの勘が良過ぎるんだよ」
「キミの足音はすぐに分かるヨ」
 にっこりとして老人は言ったが、半分ははったりである。リックは老人の存在に気付いて足跡を消したのだが、老人はそれより先にリックの足音に気付いていたのだ。最初から足音が無ければ気付くのは難しかったかもしれないが、一度気付いてしまえばその気配を逃さないようにすることなど、この老人にとってはわけのないことだった。
「それにボクは、ボクの教え子を挨拶もなしに人の後ろ通り抜けようとするような礼儀知らずに育てた覚えはないヨ」
「いや、それは……ほら、講義を邪魔しないようにって」
「遠慮することないヨ。キミも彼らと一緒にボクの講義を受けて行けばいいネ」
 それが嫌だからこっそり通り抜けようとしたんだ、とは口にはしなかった。
 正確に言えば、リックはもともとエレミアの盗賊ギルドに属していたので、盗賊の技をこの老人の元で身に付けたわけではない。この老人の教え子となって指導を受けたのは、彼がオランに移ってからのことである。そして老人が講義と称するその指導の内容、ここで若い教え子たちに行っていた技を授けるためのそれとは比べ物にならない、技を磨かせるための講義。それがリックに礼儀知らずな行いをさせた理由だった。
「残念だけど今日は呼び出されて来たんだ。じいさんの講義はまた今度、ゆっくりできる時に受けさせてもらうから」
「必ずヨ」
 口約束で逃げようとしたリックにすかさず釘を刺す老人。やはり老人の方が彼より一枚も二枚も上手らしい。リックは、近いうちにこの老人の講義を受けに来なければならないことを覚悟した。
「でも、ちゃんと仕事の呼び出しに応じるのは感心ヨ。いつもサボらないでそうしていれば、キミは優秀な教え子だとボクも胸を張れるのに」
「……名指しの時なら、断った覚えはねえよ」
 言い返しはしたものの、それは名指しでなければサボっていると言ったも同然である。さっきからどうにも分が悪い。
「それじゃ、遅くなると怒られちまうから」
 こういう時はさっさと逃げるに限る。リックは別れの挨拶もそこそこにその場を後にした。老人もこれ以上は、この哀れな若者を苛めようとはしなかったが、彼の後姿を見送りながらふと思い付いて、近くにいた教え子たちを呼び集める。
「あの子をよく見ておくネ」
 老人は教え子たちに先刻の講義を思い出させ、そして歩いていくリックの後姿を指した。
「あれが悪い例ヨ」
 無用の時は足音を殺さぬこと。しかし、若い教え子たちにはあの先輩の盗賊の何が悪いのかが分からなかった。老人が悪い例と言った、彼の不名誉な二つ名の一端を示している、その足音の意味が。


 奇妙な話であるが、街の治安の維持は衛視だけでなく、盗賊ギルドによるところも少なからずある。盗賊たちの集団である盗賊ギルドは本来、街の治安を乱す存在でしかないはずであるが、街の裏の支配者を自任する彼らは、それ故に彼らの領域である街における犯罪すべてを支配しなければならない。つまり、街で起きる犯罪はすべてが盗賊ギルドによるものであり、それ以外の犯罪は起きてはならないのである。このため、場合によるとはいえ、盗賊が街の治安のために動くという奇妙な状況が起こり得るのである。
 ただし、盗賊ギルドの恐ろしさは世に知れ渡っており、敢えてそれに逆らおうとする者は滅多に現れるものではない。よって彼らの治安への貢献は、彼らの存在そのものによる犯罪の抑止(ギルド外のものに限るが)が主であり、実際にそのために盗賊たちが動くということは稀である。しかし、”極めて”稀であるとは言えない……。
 リックに与えられた仕事はそんな話の一つだった。


 被害は大したことはない、むしろ皆無と言ってもよい。問題は被害のあった場所である。
「ったく、いったいどこの馬鹿の仕業なんだか」
「それを調べるのがおまえの仕事なんだろう」
 酒場の片隅の席でリックの向かいに座るのは、長い黒髪を紫のバンダナで留めた、彼より幾分年上の女性だった。名をジョゼフといい、リックと同じく盗賊ギルドの一員である。
 リックの愚痴をたしなめながら、ジョゼフは頭痛のする思いだった。彼が一週間ほど前にギルドに出頭して仕事を渡されたという話は聞いていたから、以来こんな調子だろうということは予想が付いていたのだが……。
 しかし今日、彼女がここに来たのはそんな愚痴を聞かされるためではない。
「ビンゴだ。俺のとこを頼ったのは正解だよ」
「あったのか?」
 逸るリックを制するように、ジョゼフは彼の前に右手のひらを差し出す。
「銀貨が先だ」

「それにしても、よく気付いたものだな」
 袋に詰まった銀貨の数を数えながら、ジョゼフは半ば感心したような、半ば呆れたような感想を漏らす。
「持ち主が言ったんだよ。どこで手に入れたか覚えてねえって」
 リックが目を付けジョゼフに調査を依頼したその内容は、もちろんリックが受けた仕事に関することである。
 リックに与えられた仕事は、言ってしまえば、ただ泥棒を捕まえるというそれだけのものである。ただし彼にその仕事を与えたのは盗賊ギルドであり、彼自身も盗賊であることから、相手は普通の泥棒とは少しばかり毛色が違っていた。
 まず、その泥棒が盗んだものがガラクタばかりであるという点である。確かに盗みに入った家にあった品物ではあるが、とてもではないが盗むような価値があるとは思えず、また盗まれた方にしてもなんら痛手にはならない、例えば召使いが間違えて捨ててしまったとしても「ああそうか」で済んでしまう、そういう品物ばかりなのである。
 では、泥棒はいったい何が目的で盗むのか。それを納得させる理由は、盗まれた品物の価値とは別のところに、より判り易く存在していた。そのために盗賊ギルドが動き、リックが働かされることになったのであるが……。
「それでどういう繋がりがあったんだ?」
「ちょっと待てって」
 話を急かすリックをよそに、ジョゼフはあくまでもマイペースで銀貨の数を数える。
「……やっぱりだ。二枚ほど足りないぞ」
「数え間違いだろ」
「俺が金勘定を間違えると思うか?」
 そう言われるとリックには言い返しようがない。ジョゼフはリックと同じく盗賊ギルドに属しており、その中の”金庫”の一員として、貸し付けた金の回収を主な仕事としている。またそれは、今回の仕事のことでリックが彼女を頼った理由でもあった。
 ともあれ、その彼女が数えた銀貨の数が、少なくともリックが数えるより正確なのは間違いない。
「……負けろよ、それくらい」
「約束は約束だ。銅貨一枚負けない。だいたい、この報酬の額を決めたのはおまえだろう」
「分かった、あんたが飲んでるそれ、俺の奢りだ」
「毎度あり」

 ジョゼフが調べてきた話はリックを満足させたが、それは半分だけだった。
「繋がりがあるのは確かなんだな?」
「ああ、どれも全て五年前まであの屋敷にあった物なのは間違いない。家財の一切が借金代わりに持ち出された時、それに混ざってそれぞれの家に散っていったってわけだ」
「しかし、まあ……」
 リックは頭を掻いた。
「よくもそんなどうでもいい品物まで記録が残ってたもんだな」
「それを当てにしてきたおまえが言うな」
 呆れた言い方をするリックをジョゼフはじろりとひと睨みするが、次にはため息をひとつこぼした。
「まぁ俺も、いつもいつも面倒なだけだと思っていた作業が役に立つこともあると分かって嬉しかったけどな」
 ジョゼフが調べてきたのは盗まれた品物の繋がり、つまり、盗まれた品物たちの、無いと思われていた価値の一端だった。盗まれた品物はただのガラクタであり、泥棒の目的は別のところにあるというのがもっぱらの噂である。しかし彼女の調査結果はその噂を否定した。盗まれた品物は全て、五年前のとある家の没落と共に失われた物だったのである。偶然とは思えない。おそらく、泥棒の目的はそれらを回収することにあるのだろう。
 ここまでの話は期待通りだった。出来すぎなくらいだ。しかし、ここから先が期待通りとはいかなかった。
「価値がない?」
「そうだ。繋がりはあったんだが、だからと言って品物そのものに価値があるというわけじゃないんだ」
 リックは最初から盗まれた品物に価値がないなどとは信じていなかった。だから盗まれた品物の価値を見つけようとしたのである。価値さえ分かれば泥棒の正体もその狙いも見えてくるはずなのだから。だが今、その目論見は脆くも崩れ落ちようとしていた。
「そんなわけがないだろうが。泥棒がなんで盗むかって? 価値があるからだ。欲しいからだ。それ以外の理由なんてあるわけがねえ」
「何を怒ってるんだよ」
「怒ってなんかねえ」
 そう言ってついとそっぽを向く様は、ジョゼフの目から見て百歩譲っても不機嫌という形容がぴったりだった。どうもこれは、とジョゼフは思う。リックが仕事を押し付けられて不機嫌になるのはいつものことだ。しかし、今回はその”いつものこと”とは事情が違うらしい。まったく、面倒なやつ……。
「価値が全くないというわけでもないんだが……」
 その言葉にリックはすぐさま飛びついて来た。
「あるなら早く言え」
「いや、価値がないのはさっきも言った通りだ。”銀貨に換えることのできる価値”はない。あるのは”それ以外の価値”だ」

 ジョゼフの示した”価値”を、リックは受け入れることができなかった。
「あんたがそんな立場に立ったとして、わざわざこんな馬鹿げた真似をするか?」
 俺だったら絶対にしない。リックは付け加える。
「そりゃ、俺だってやらないさ。そんな分の悪い……」
「そういう事じゃないだろ。分の良い、悪いは問題じゃない。俺たちは……」
「だけど、泥棒のやつは俺やおまえじゃない」
 自分がそれに価値を認めないとしても、ジョゼフは”価値”そのものまでも否定する気はなかった。否定? いや、リックのそれは否定なんてものではない。拒否、いや、拒絶と言ってもいいくらいだ。
 そこでようやく気付いた。ジョゼフの口からため息がひとつ漏れる。リックの不機嫌の原因。なるほど、そういうわけか。
「……か」
「なんだよ」
「いいや、なんでもない。とにかく、俺の知ってることはこれで全部だ。後は関係者でも洗うんだな」
 ジョゼフは席を立った。必要な情報は全て渡した。これで十分だということは”リックにも”分かっている。これ以上言い合いを続けたところで意味はない。”これ以上巻き込まれてやる必要はない”。
「……か」
 外へ出る扉をくぐりながらリックを振り返り、ジョゼフはさっき呟いた言葉をもう一度口の中で繰り返した。
「まったく、おまえにぴったりの二つ名だよ!」


「本当に、価値がないと思っているのか?」
 隣に座る男の問いに、リックは何も答えようとしない。無視されたように感じて、男は自分の金色の髪を不機嫌に揺らした。髪の間から、半妖精の証である人間よりとがった耳が覗く。しかしこの半妖精は、その不満を口にしたりはしない。たぶん、これがリックの”正直な答え”なのだと分かっていた。本来、この問いには即座に答えが返ってくるはずなのだから。”価値なんかない”と。
 半妖精――ラスにもリックの気持ちは分からなくもなかった。だが、同時に呆れも覚える。数日前にジョゼフがそうだったように、彼も自分が巻き込まれてやる必要を感じなかった。”てめえ自身がそうしていたいのなら好きにすればいい”。
「嫌な話を押し付けやがって。知ってるやつ。それも女だ! 女の過去を暴くなんて趣味じゃねえのに」
「あんたにとっては得意技だろ」
「だからおまえは……。いいか、女の過去は探るもんじゃない。相手が自分から話すのを……ま、おまえにこんなこと教えてもしょうがないか」
「調べはついたんだろう?」
 ラスの挑発を無視してリックは先を促す。いつもであれば、どんな安っぽい挑発にも簡単に乗る男が、である。ラスはこの後、それを肴に少し酒を飲んでいくつもりだったのに、当てがすっかり外れてしまった。懐から羊皮紙を取り出す。さっさと話を渡して、他の店で飲み直しだ。

「……それで家が潰れた後に、自分から志願してきたって話だ」
 ラスが調べてきた情報とは、あるひとりの女の過去だった。その女はもちろんリックが追う相手である。
「路頭に迷った娘が、身を売るよりはましだと考えて盗賊に身を落とすのはそれほど変な話じゃない」
 そして、彼らと同じ組織に属する盗賊だった。
「その時から今回の件を企んでやがったわけか」
「さあな。実際のところは、今になって魔が差しただけかもしれない。何かのきっかけで在り処が判った。そして今の自分には力がある。おまえならどうする?」
「関係ねえ」
 間髪入れずにリックは答えた。ラスは自分に呆れる。くだらない質問をしたからではない。”巻き込まれてやる気はないのじゃなかったか?” ラスはため息をひとつ吐いた。今日は特別だ。優しい俺に感謝しろよ。”もう少しだけ巻き込まれてやる”。
「ああ、関係ないな。それはいい。それでてめえはどうするんだよ」


 半刻後、ラスは別の酒場にいた。金髪の半妖精という彼の容姿に似つかわしくなく好む、大地妖精の強い酒を飲みながらも、彼は上機嫌とは程遠かった。彼の隣には褐色の肌を持った黒髪の男、さらに隣にはまだ成人したてといったふうの少年が座っている。
「それでオマエはアイツの機嫌をうつされてきたのか」
 黒髪の男――カレンは心底呆れた様子だった。彼とラスは冒険者として長く行動を共にしており、互いの心の内まで良く知る間柄である。その相棒に指摘されたということと、それがまったくその通りだということからラスは言い返すこともできない。端からその様子を見かねた少年――ジントが話題を変える。
「とにかくこれで、例の泥棒もついにお縄なんだね」
 こんな時に、この少年の無邪気さが有効に働く。もっとも彼の場合、それが自分の武器であることを知っており、それをほとんど意図的に使っているために、無邪気と呼ぶのは正確ではないのだが……。
 ラスの様子に言い過ぎを感じていたカレンも、渡りに船とばかりにジントの話に乗る。
「あっけないものだよな。あんな大それたことしておいて」
「そうそう。”うちのお得意さん”ばかりを狙うなんて」
 それは、盗賊ギルドの後ろ盾と言ってもよい家々だった。貴族や商人であり、特に資金面で盗賊ギルドを支え、見返りとして盗賊ギルドの力を借りている。その内容の大部分は表沙汰にはできないものとなるのであるが。
 泥棒が標的にしたのは、まさしくそんな家々だった。何を盗んだかは問題ではない。盗賊ギルドと特別な繋がりにある家に盗賊が入ったという、その事実が問題なのだ。泥棒はそのタブーを侵したのである。
「そのうえ、盗んだのはただのガラクタなんだもん。喧嘩を売ってるとしか思えないよね」
 ジントの言う通りだった。今までにもタブーを侵す者が全くいなかったわけではない。だが、その行為は文字通りに命懸けである。そんな中で彼らの目的は、大きく分けると二通りだった。
 ひとつは盗む品物。それに命を懸けるだけの価値が存在する場合である。だからリックはひたすら盗まれた品物の価値にこだわった。たとえ盗賊ギルドを敵に回してもそれにより莫大な財を成せるのであれば、タブーを敢えて侵す者が出たとしても不思議はない。
 それに対してもうひとつが、少年の言った「盗賊ギルドに喧嘩を売る」ためである。タブーをタブーたらしめているのは盗賊ギルドの力だ。よって、それを敢えて侵すという行為は、盗賊ギルドの力が軽んじられているということを意味し、盗賊ギルドの名に傷を付けるものとなる。もちろん、盗賊ギルドがそれを為した者をタダで済ませるわけがないのだが……。
 そして今回の泥棒のように盗まれたものに価値がないのであれば、自然、目的は後者であるように思われる。
「ところが実際には価値があったのさ。泥棒には、それを盗むだけの価値が」
 ラスが口を挟む。その価値とは、ジョゼフが予見したものをラスが裏付けたものである。
「くだらない価値だけどね」
 ジントは笑いながら言ったが、それは決して価値を冷やかしたものではない。彼が笑いを向けた相手は、その価値を頑なに認めようとしなかったリックである。
「あの馬鹿はクソ真面目すぎるんだ」
 ラスはうんざりした様子で言った。
「”決まり”やら”しきたり”たらに馬鹿が付くほど忠実なんだよ」
 横でカレンが忍び笑いを漏らした。
「思い出したんだよ。アイツの足音なんか特にそうだよなって」
 つられてジントも笑い出す。
「そりゃ、そう教えられるんだけどね。無用の時は足音を隠すなって」
 ひとしきり笑いあったところで、ラスは大きくため息を吐いた。
「だからって、いつでもどこでも正確に足音立てるやつがどこにいるんだよ」

「泥棒がそこにどんな思い入れを持ってたかは知らないが、そんなものはガキにだって想像がつく。あの馬鹿にしても、それくらいの想像力なら持っていないわけがない」
「それを認められないのはオマエも同じだろう」
 カレンが横合いから口を挟む。
「もちろん認められるわけねえ。だけど認めちゃいけないわけじゃない……おまえならそれくらい理解できてるだろう」
 しかし素知らぬ顔のカレンに、ラスはからかわれた自分を悟った。そんな二人の様子をジントが笑う。
「でも、リックにーちゃんにはそれが理解できていないんだね」
「アイツだって解ってないわけじゃないさ。実行できていないだけで」
「なあ、カレン……。おまえはそれを無意味だとかは思わないのか?」
「結局さ」
 ジントは指でナッツを弾く。弾かれたナッツは空中で弧を描き、見事に彼の口の中に納まった。
「リックにーちゃんはそこのところが不器用なんだよね」
「真面目なのは悪いことじゃないんだがな」
「もちろん僕たちにとって”掟”は絶対だけど、価値なんて人それぞれ。破る人は破っちゃうのに」
「アイツにとっては”掟”が全てで、例外なんてないのだろう……何やってるんだ、ラス?」
 カレンが目を向けた先では、ラスが指先にナッツを挟んだままで、きまりの悪さを笑って誤魔化していた。
「ま、まあ、あいつにとって無理があるのは、それが本心じゃなくて、そう思い込もうとしている結果だってことだな」
 言いながら、ラスはナッツを皿に戻す。見ると、なぜか数粒ほどのナッツが皿の周りに転がっていた。
「それであんな青臭いジレンマに陥るんじゃ、ただの馬鹿……なんだよ、おまえら」
 二対の目線がじっとラスに向けられている。
「オマエもその青臭いジレンマに”巻き込まれて”きたんだろう」
「失敗したんだよ! そんなつもりはなかったんだ」
 ラスは手をあげて店員を呼び寄せた。注文のためよりもむしろ、相棒の視線から逃れるために。ジントはまた、声をあげて笑った。
「でも、本当に不器用だよね。”掟”が全てだって思い込みたいなら、それ以外の価値なんて考えなくてもいいのに」
「きっと、元が向いてないんだな。だから思い込みきれなくて迷うんだ」
「それでよく盗賊なんてやってられるよね。”親方”にも見捨てられずに」
「仕事が出来ていれば文句は出ないから」
 カレンはそこで言葉を切った。そして少し間を置いて続ける。
「それで当人がどれだけ悩もうが苦しもうが、それはそいつが好きでやってることだ」
 彼にしては慈悲のない言葉であった。しかしそれは、この言葉がカレン自身にも当てはまるからである。彼は盗賊であると同時に、チャ・ザに仕える神官でもあるのだ。
「あの馬鹿の場合は神も精霊も関係ねえ。それなのにあの有様だ。不器用なんて言葉じゃ収まらねえよ。だから女ひとりすらあしらえねえんだ」
「だってリックにーちゃんは”女にからきし”だもんね。……ところでさ、ラスにーちゃん」
「なんだよ」
「教えてあげようか? ナッツをうまく弾くコツ」

◆◆◆◆◆

「なぁ……、あんたは本気でそんな理由が通用すると思っていたのか?」
「……なぁんだ、ちゃんと調べてたのね」
 女はどこかがっかりしたふうだったが、何かに納得して少しだけ笑った。
「通じるわけがない……知ってるわよ、そんなこと……」
「だったら……、あんたはただの馬鹿だ」
 男はぼそっと、呟くようにして言った。女はもう一度笑った。
「最初から知ってたわよ、私がただの馬鹿だってことくらい。ねぇ、貴方は本当に私が知らないと思ったのかしら……」
 男は何も答えず、ただ、女を見下ろしていた。女は満足そうに笑い、目を閉じた。
「評判通りね。貴方は本当に、女心が……」


「解からねえさ。解かりたくもねえ」
 男は答えた。それがすでに女の耳に届いていないことを知りながら。



  


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