<報告書>
『ワーレン、人間の男で三十四歳。
衛視をやっていて、昔は傭兵兼冒険者で体格はかなり頑健。 ぐずぐずの革鎧、長槍、腰には小剣の格好をしている。 その姿から一見すると、そこらの荒くれに見えなくも無い。
俗に言う”剣”であるが、幼少の頃は”鍵”の修行もしていたようだ。
茶色交じりの黒い髪の毛はかなり短く刈っている。瞳の色は灰色。 顎あたりには無精髭を生やしている。 勤務態度は不真面目。上司との確執もそこからの様子。 しかし、事件の時は其の限りではないとの事。やはり”昼蝙蝠”だ。
性格は・・・至って”不器用”也。
ちなみに・・・今月の彼の行動・・・巣穴への不利益行動は見られず・・・』
「ふぅ・・・やっと、終わった、な」
私は羊皮紙を丸め、蝋を押す。 明日はこれを届けるだけだ。
<商業地区 衛視詰所>
「交代だ、ワーレン」
「おう。じゃ、お先」
「うぃ、お疲れ!」
俺は仲間と交代し、衛視の服を脱ぐ。 そう、ようやく長い一日が終わる。
今日も衛視の勤めも終わり、俺は家路を辿る。 月明かりで闇霊の中に光霊が微かに戯れているのだろうか。 暗闇に月の優しい青い光が足元を照らす。 しばらく其の中を歩くと、控えめな街灯が眩しいとさえ思える。 俺はとても清清しい気分になれる。
少なくとも帰るまで。
<オラン北西 常闇通り近くの住居区 貸家>
「おっかえりー!」
狭い貸家に帰ると、微かなスープの匂いと必ず決まって出迎える明るい声。
その声の主は・・・
「遅かったわね、あ、な、た」
世に言う”奥さん”・・・正式じゃあないが。
「・・・なんだ、リテ・・・また来てたのか?」
ぶっきらぼうに俺は答えつつ、服を着替える。
「あー、”また来てたのか”とは随分ねー。私は貴方の奥さんよ?」
そう言いながら、鼻歌を歌いながら台所でリテはスープ鍋を火から下ろす。 その姿は狭苦しい薄汚れたこの住まいに似合わぬ小奇麗な服装。
「あ、ワーレン、蜜柑買って来たから食べてていーよ」
「・・・もう食ってる」
リテ。
普通の人間。歳は十代後半と言っていたが、俺の勘だと二十代後半と思う。 その顔つきは整ってはいるものの、子供ぽさが残る。 そのせいか、十代にも見えなくは無い・・・ま、どうでも良い。 身長は俺より頭一つ分低く・・・体格はそれ相応にやや小さめ。 一般的な女性に比べ、少しばかり小さい部類に入るだろう。ま、色々と。 赤みかかった茶色の髪は肩より少し下辺りまで垂らしている。 ちなみに目の色は茶色でちょいと子犬みたいな瞳だ。 一見、いいとこのお嬢さんに見えるが、どうも言動はよろしくないのが珠に傷。
一昨年、酒場でリテが荒くれに絡まれているのを助けたのが始まりだ。 それからと言うもの、俺が勤務中だろうが非番だろうが時場所構わずついてきやがった。 最初はかなり迷惑と感じたが、そのうちそれが自然になってしまった。 ・・・で、去年、思いっきり飲んだ後、酔った勢いで・・・訳ありの”縁故”になっちまった・・・。
衛視ワーレン、一生の不覚。 それからは・・・もう”奥さん”気取り、だ。 手際良く小さいテーブルに食事を並べてあっという間に食卓が完成する。
「・・・むぅ・・・」
匙を右手で弄びながら、俺は今の状況を改めて考える。 やっぱり、釈然としない。
「ねー、何考えてんのぉ?スープ冷めるよ?それともついに頭馬鹿になっちゃった?」
笑いつつ小馬鹿にした目で俺を見る。
「ふん、うるせぇ・・・誰が馬鹿、だ・・・たく、また芋スープかよ」
そう言いつつも、俺は今日もリテの飯を食っちまってるんだ。 そうだよ、習慣って怖いね、うん。
「えー、芋好きだって言ったじゃないー。美味しいでしょぉー?」
「・・・普通、つーか、飽きた・・・」
そう、飽きる。一ヶ月のうち半分は芋のスープだ。普通は飽きる。
「ぶぅ・・・ひどいなー、ワーちゃんったら。我侭なお子様だぞ」
「ワーちゃん言うな。それと誰がガキだ、ガキ。お子様はリテだろーが」
「じゃあ、レンちゃん。それと、そう言うこというのが子供だって言ってんのぉ」
「レンちゃん言うな、子供は・・・」
いつもこうだ。 食事しながら不毛な口喧嘩。 これじゃ、ホント行儀の悪い子供じゃねぇか、俺。 口喧嘩にも疲れ、俺が結局負けを認める・・・連戦連敗。 どうも、不器用な俺に口喧嘩は勝てない宿命の様だ。
「疲れた・・・もう寝る。帰れ」
俺は素っ気無くそう言って、灯りを消して、狭いベッドで俺は寝る。 だが、リテは無理矢理横に入ってくる。
「残念、帰らないもんねー」
・・・なんで、手ぇ出しちまったんだ、そもそもの俺よぉ。 俺は隣のリテが暗闇でどんな顔しているか、だいたい想像ついた。
<”巣穴”の一室>
手渡された羊皮紙を広げ、一瞬目を見開く。 長い沈黙の後、重々しい声が部屋の中に静かに響いた。
「報告書は読んだ」
薄暗い一室。壁掛けランタンが僅かに二人のシルエットを浮かび上がらせる。 一人は手に羊皮紙を持った白髪が目立つ壮年の男。 もう一人は・・・女性の様だ。
「相変わらず・・・か」
「相変わらず・・・だ」
同じ言葉を交わすと、暫く沈黙が訪れる。
ぢ ぢぢ ぢぢぢ・・・
微かな音にランタンの光が揺れる。 それに合わせてシルエットも揺れ、一瞬女性のへの字に曲がった赤い唇が見えた。
「思ったほど最近は派手ではないな。”暴れン坊”の件では少々・・・だったが」
「ふん・・・どーせ、言うほどの事件じゃ無いんだろ?」
「しかし・・・まぁ、良い。これからも監視を頼む」
「・・・分かった」
それだけ言うと、すっと足音も無く女性が扉を開けて出ていく。 部屋には一人、男が残された。 改めて羊皮紙を広げ、書いてある字に目を通す。
「ふ・・・昼蝙蝠め・・・」
顔の皺が微かに動く。 しかし、顔つきが真面目な顔から急に笑みに変化する。
「ぷっ、う・・・わっはっはっは!!」
壮年の男は、部屋で一人、大笑いする。
羊皮紙に書かれていたのは共通語で書き殴ってある。
『リテへ 俺が報告書を摩り替えている事に気付いたら何か言う事聞いてやる! By お前の愛するワーレン』
「まったく、相変わらず・・・だ」
<オラン北西 常闇通り近くの住居区 貸家 明け方>
ちゅん ぴぃ ちちち・・・
月と闇夜が役目を終え、太陽へ天空を引き渡す。 それを告げる小鳥の鳴き声で俺は目を覚ます。
「くー・・・」
控えめな寝息を立てて、隣で寝るリテ。 其の寝顔はおとなしく、黙っていればちょいとは美人、だ。
「だが・・・本当は・・・ぷっ」
ちょっと噴出しそうになるのを堪える。 リテが”昼蝙蝠”と言われる俺を監視する役目である事には会ってからすぐに分かった。
”衛視”で”鍵”。
そんな俺を一部の”巣穴”の連中から俺はある動物に例えられて呼ばれている。 獣ようで獣で無い、鳥のようで鳥で無い・・・つまり、”蝙蝠”、と。
幼き頃より密かに”鼠”として早くから”鍵”の才覚を見せていたリテ。
”ちょっと童顔で良いとこのお嬢さん”
其の姿からは普通の人間には想像できないほど、巧みに使い人を欺く。 それゆえ、”双頭鼠”と二つ名を拝領したのもこの頃だ。 情報員として、連絡役として、そこそこの才能がある。
だが、リテの存在は一部の構成員しか知られていなかった。
一昨年、ちょいと調子に乗っていた俺を”巣穴”は疑いを持った。 監視役として有能なリテを差し向け俺の行動を逐一報告する様命令したのだ。 俺が”巣穴”の情報を使って”巣穴”へ不利益な行動をとっているかどうかを。
俺との出逢いも所謂、リテが考えた演出で、その時ばかりは俺も気付かなかった。 用意周到に張り巡らした蜘蛛の巣のような罠に俺はあっさり絡め取られて嵌った。
「だが・・・」
三日も経たないうちにリテがとんだ失態を犯した。 ある酒場で俺と飲み比べ、リテは先に酔いつぶれた。 仕方なく帰り道俺がおぶっていると寝言で自分から言っちまった。
あっけらかんと。
「むにゃ・・・蝙蝠の・・・監視・・・続けます・・・」
あっけなかった。
この時、リテ自身は覚えていない様だ。 それからというもの、むず痒い、生活の日々が始まった。 リテが俺にまとわりついて、楽しそうに話す。 だが、実はあの笑顔の裏で冷静に今の俺を監視しているんだなぁ・・・と。
笑いたくとも、俺は笑いを堪えた。 すると不器用な俺はあんまりリテの前で思いっきり笑わなくなった。 いや、下手に笑うと、つい本音を暴露しそうになりかけたからだ。 ま、そんな俺なのかとリテにしてみれば、面白くなかっただろう。
それに、俺がリテが監視員であることが知っていると分かってしまうと・・・。
「良くて制裁、川流し。悪けりゃ処分、あの世行き」
それを恐れた。 それに、同時に気付いた俺も処分されるであろう事を恐れた。
妙な付き合い・・・なのかどうかは分からないが、結局二年も続いちまった。 で、其の間、俺がその愚痴をこぼしたのがリテ直属の幹部の耳に入っちまった。 すぐさま俺は捕らえられてその幹部の前に転がされた。
バレた、もう終わりだ・・・流石に覚悟を決めた。 震える声で言ってやった。
”吊るすんなら吊るせ。殺すんなら殺せ。俺は怖くないぞ!”
啖呵を切ってなお、粋がる俺を見て、その幹部が大笑いしやがった。
”いや、いい。お前がリテに監視されてから「巣穴」に不利益な行動はしていないことがはっきりした”
幹部はそう言って俺の縄を解くように命令した。
”だが、引き続き、リテをお前の監視につける”
”・・・何故だ?”
”これから先一年間、今度はお前がリテを監視しろ。リテに気付かれない様に”
そして目付きを変えてこうも言った。
”ただし、今度はリテにバレたら二人とも処分する”
俺には何故そんな事言うのかは分からなかった。 だが、辛くも俺は死ぬ事だけは避けられたが・・・その一年間は冷や汗モンだった。
「・・・で、その一年間は以外と呆気なすぎるほど早く感じた、な」
幹部の言った一年を終え、リテの監視は最早半分は無意味なものになった。 だが、結局、俺はリテにそのことを告げてはいない。 リテへの配慮もあるし・・・まぁ、色々と面倒臭いってのもあるが・・・
「俺って、不器用だからなぁ・・・」
で、不器用なりに俺も考えた。 報告書をちょいとばかりの隙を見て摩り替える。
ちょっとした賭けだ。 それに気付いたら、俺はリテの言う事を聞いてやる。 まぁ、ロクなこと言わないだろうが。
果たして気付くかどうか・・・
非番の朝は実に気持ちが良い。 ベッドから寝ているリテを起こさぬ様、器用に抜け出し、外へ出る。 気持ち良い朝の空気を吸い込み背伸びする。
お互いに騙し合って監視し合う生活もまた面白い・・・そう思って俺は自分を納得させた。
其の頃。 ベッドで寝ていたリテは半目になって呟く。
「・・・ホント不器用よねぇ、ワーちゃん・・・今回はヒントも出したのにね」
くすりと笑う。
同時にワーレンが入ってきたのを確認し、寝たふりをする。
<ある幹部の部屋>
高級な白い壁紙が張られ、赤い絨毯が敷かれた一室。
「相変わらず”昼蝙蝠”は気付かぬ様だな・・・やはり、思ったほど危惧する男ではない、か・・・」
先ほどの男はあの羊皮紙を近くのランタンの風除けの硝子を外し、火にかざす。 焦がさぬ様に熱を加えると徐々に文章が浮かび上がる。 それを見て苦笑する。
「寝言もリテの芝居であることに未だに気付かぬ。そして、この仕掛けに気付かぬようでは、一生監視付きだな」
書かれていた文字は・・・”ワーレンは相変わらず不器用 監視を続行 リテ”・・・
「さて・・・次こそは気付くか・・・否か」
羊皮紙の端をランタンの火にかざし、燃やし始める。 徐々にゆっくりと燃え始め、焦げる匂いが室内に広がる。 柑橘系特有の酸味の香りも混じる。
「この蜜柑の香りを、あと何度嗅ぐ事になるのか・・・さて」
半分ほど焼けた羊皮紙を銀の皿に放る。 そして今日の自分が行う仕事を再確認し、部屋を後にした。
羊皮紙の燃え滓には”不器用”の文字だけが残っていた。
・・・気付かぬばかりは不器用なる蝙蝠一匹也・・・
(終わり)
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