”鏡貝(ミラーシェル)”
外見は黒くゴツゴツした二枚貝。身は軽度の麻痺毒があり、食用に向かない。大きさは一番成長して大人の握り拳小ほど。オラン南海諸島のひとつ、アラミ島のみに棲息する。名前の由来である「鏡」は貝の内側が鏡のようであることから。普段は常に殻を閉じっぱなしであるが、年に一度、七月頃の初めから満月の間の夜に産卵する時は内部の鏡面部分を一晩中開く。産卵が終わる直前、昇ってきた朝日を受けて光を反射すると、周辺の浅瀬が光輝いて見える。その様子から、アラミ島は別名”光り輝く海の島”とも称される。アラミ島の住民の口伝によれば、鏡貝は土着の海神の流した涙とされる。 ちなみに、産卵後の鏡貝を採取し、身を剥がした後に乾燥させて、鏡面に磨きをかけて、装飾品に加工する。そういった装飾品は南海諸島の名産品としてオランなど周辺国へ出荷される。珍しさや、ほんの僅かな期間のみで少量しか採取されずと希少な事もあり、なかなか入手しがたい逸品とされている・・・
”オラン南海諸島寄港録 第六章 光り輝く海の島 アラミ島風土記”より抜粋
【オラン商業地区 港湾区】
七の月下旬。初夏。
突き抜けるような青い青い空。雲一つ無い天空は灼熱に燃え盛る太陽だけが支配しており、乾いた風がオランを通り過ぎて行く。石畳には陽炎が浮かんで、梅雨の気配はどこへ消えたかと思うぐらい。あまりの暑さに人影は無い・・・だが、そんな中。
「暑いさね〜」
呑気そうな声の主が石畳に影と汗を落としながら歩いている。其の姿は、通常の人に比べ、やや背は低く、逆に横にやや広い。丸顔、団子鼻、灰色の瞳、短い茶髪、しかし後ろ髪は少し長めでそれを短い尻尾の様結んで垂らしており、薄い皮鎧に身を包み、頭には帽子・・・一本の羽根を刺したもの・・・を被り、腰には手斧と小盾という姿。 しかし、一番目を惹くのは背中の大きな革のリュックだ。何か様々な荷物が入っているのか、ところどころ角張っていたり出っ張ったりして、表面はゴツゴツしている。 一見、背の高いドワーフにも見えなくないが、髭の生えていないところを見れば普通の人間である。彼の名はオン・フー。旅の商人である。
「矢張り、もうすぐ夏祭りが近いだけあるさね、うんうん」
彼は一人頷きつつ、汗を拭いつつ、楽しそうな笑顔で港に係留されている一隻の船を目指していた。
【”南海の旋風”号 甲板】
「まだ、だってぇっ!?一体どういう事さね!?」
俺は目の前の船長の肩を掴みながら・・・俺より背が高いのでまるで子供が親に食って掛っているように見える・・・揺さぶりつつ、悲鳴にも似た素っ頓狂な声をあげてしまった。其の声に荷物運びや甲板掃除の船員が何事かと振りかえる。目の前にいる船長が苦笑いしている。
「落ちつけ、オン。一応、マシイカデ島の港で一日待ったんだが・・・」
「これが落ちついていられるかさね!年に一度、しかも僅かな量を、今この時期にしか入荷できない鏡貝さね!あれを逃したら夏祭りで売る商品は無いさね!」
そう、もうすぐ訪れる夏祭り。オラン周辺から様々な人々が訪れるこの祭事は商売の大きなチャンスである。しかし、逆に言うとオランで売られているような商品では商売してもたかが知れている。そこで、ここぞとばかりに俺は入手の難しい逸品、鏡貝の装飾品を入手して儲けを企んでいるのだが・・・。
「商品が無きゃ、鏡貝を入手する為にあれこれ使ったに資金が全部海の泡になっちまうさね・・・有名ワインの取引で得た収益や今まで得てきた収入・・・困ったさね・・・」
あまりのショックに俺は船の縁にうなだれ、頭を抱える。
「まぁ、オン・・・祭りで無くとも売れるもんだろ?今回は別の荷物もあったわけで、仕方なく・・・まぁ、明日にでも出航して、マシイカデ島へ寄ってアンタの依頼した荷物を次の便で優先して持ってくるから」
俺の方をポンと叩きながら、慰めの言葉をかける船長。船長も俺から依頼された仕事を完遂できなかったことにそれ相応の責任感もあるようだ。しかし、その慰めの言葉の中から俺は一言に引っ掛かった。
「・・・明日に出航?今、言ったさね?」
「ん・・・ああ、そうだが・・・マシイカデ島に寄港して、アラミ島からの荷物を・・・」
俺の顔に笑みが戻る。頭の中で明日の計画が組みたてられる。
「よし、俺も一緒に行くさね!準備してくるさね」
「は?で、でも、いくらなんでもアンタが行かなくても・・・」
「俺を誰だと思ってるのさね?」
俺がニヤリ、と笑みを浮かべる。同時に縁へ飛び乗る。何が起きたのかと、再び船員が俺のほうに目を向ける。
「東は故郷”東の果ての王国”ムディールから、西はかの悪名高き”盗賊都市”ドレックノールまで!東西駆け巡って早十年、旅の商人、オン・フーとは俺のことさね!炎の如く燃える商魂逞しきその俺が夏祭りで儲ける機会を逃してたまるかさね?あっちから商品が来ないなら、こっちから俺が直接迎えに行ってやるさね!」
呆気に取られる船長や船員。俺は口上を続ける。
「そういう訳さね、船長!出航は明日いつごろになるさね?」
「・・・え、ああ、天気が良ければ早朝五つには・・・色々とマシイカデ島に届ける荷物があるからな」
「よし!じゃあ、決まりさね!」
船の縁から俺は飛び降りる。甲板で無く、請う方の港の石畳にそのまま音も無く着地する。船員達が驚きの声をあげる。
「船長、勝手に予定変えるなさね?」
俺はにッと笑うと、明日に備えるために短い足をフルに走らせて宿に直行する。さぁ、未来の儲けが俺を待っているぞ、と俺は嬉しそうな顔して・・・
だが、俺はこの時肝心な問題を忘れていた。致命的な・・・
【マシイカデ島の酒場】
マシイカデ島。オラン南海諸島の一つで他の島に比べ、そこそこの大きめの島だ。大きな港がある為、近くを通る船舶の寄港地になっており、また周囲の小島から様々な品物が集まる市場があり、島としては多くの人で賑わう。そして、其の賑わいが最も凝縮された場所が、島唯一の酒場”海神の三叉矛”亭である。浜辺近くに簡素な木の柱で壁はほとんど無いつくり、南国植物の大きい葉を屋根に葺いたまるで即席の酒場である。凝縮された賑わいは熱気と歓声になって酒場を取り巻く。 その酒場には地元の島民をはじめ、多くの船乗り、周辺諸島の漁師で大勢賑わう。その客を入口脇の大きい看板、彫られた海神らしい人物が三叉矛を構えて出迎える。俺も当然出迎えられたわけだが・・・じつはそれどころではなかった。今、俺は酒場の隅っこ、一枚板と布で作られた即席のベッド上で横になっていた。其の訳は・・・
「・・・うぅ・・・」
横になって安静になっていた俺の耳に喧騒が飛び込んでくる。思い瞼を開けると周囲の景色が歪んで見える。同時に頭と胃に不快感が襲いかかってくる。
「・・・不覚・・・」
酷い船酔いが俺を悩ます。元来、俺は船の揺れに弱い。そのせいか、俺は今まで船を避けるように旅をしてきた。そのせいで、すっかり船酔いの事を忘れていた訳だ。川船などの揺れは別に弱くないが、少しでも海の揺れになると何故か駄目である。 本来であれば、島についた後にアラミ島へ直行するところだったが、船酔いでそれどころではなく、歩くどころか会話すら満足に出来ない状態だった。それでも空回りの意気込みで無理する俺を船長が流石にとどめた。丁度、船長の知り合いである酒場の主に頼んでもらって、今こうして酒場の隅っこを借りている
「大丈夫か?」
不意に俺は声をかけられて、重たい瞼を何とか開ける。目に飛び込んできたのは一人の女性だった。顔は目筋がすらっとしており整った顔立ち、やや冷たい印象を受ける。腰まで長く伸びた黒い髪白いシャツ、白いズボンという服装だ。腰には色あせた装飾の短剣。外見から予想するに、たぶん、漁師か何かだろう。手には椰子の身で作ったコップを持っている。
「これを飲め。少しは楽になる」
手渡されたコップの中には白い液体、其の表面には何かの千切った葉っぱらしきものが揺らいでいる。酸っぱい香りに混じって微かに爽やかな香りが俺の鼻をくすぐる。一瞬、顔をしかめた俺を見て女性は面白そうに笑む。
「少々酸っぱいが甘味もある。安心しろ、椰子の実の汁と幾つかの香草の絞り汁だ。船酔いに良く効く」
そう言われて、俺は鼻をつまんで一気に飲み干す。一瞬、酸っぱみでむせそうになる。しかし、飲んだ後の喉越しがすーっとして、気分が幾分か楽になる。
「ふぅ・・・感謝するさね」
「いや、海の民は困ったものを見捨てない。それだけだ」
気分が良くなってやっとこさ自分の普段の笑顔が元に戻ったを実感する。目の前の女性も少しつられたか控えめな笑顔で答える。其の顔を見てほっと安心した俺だったが、女性の胸元の首飾りに目が止まった。其の俺の視線に気付いたか、女性の表情が少し険悪になる。
「・・・いやらしい、奴だ」
「あ、いや、違う、その、あの・・・」
あくまで、名誉の為に言っておく・・・紐と一つの飾りだけ簡単な首飾りに、だ。俺は真っ赤になってそれを言い訳しようとするが、うまい事口が回らずそれが出来ない。女性はますます俺を疑いの目で見る。
「あー、その、だなぁ」
弁解し様とあれこれ言葉を並べ様としたが、それは酒場の入口に駆け込んできた青年の震える叫びにかき消された。
「祟りッ、祟りだっ!アラミ島の皆が、海神様の・・・」
酒場が騒然となった。
【海神の三叉矛亭】
「祟りだと?」
女性が怪訝な表情になる。
「・・・そのよう・・・さね」
先程までのやり取りを忘れたかのように、女性と俺は騒ぎの中心に近付いた。
蒼ざめた青年・・・擦り切れた服からして漁師なのだろう・・・の周囲に酒場の島民が集まる。青年はとにかくあれこれ話そうとするが、混乱しているのか上手く話せないようで要領を得ない。とにかく二言めには青年は「祟り」と繰り返す。
「・・・仕方ないさね」
其の様子を見ていた俺は、島民の人だかりを掻き分け青年に近付く。
「ちょいと失礼するさね」
突然の俺の出現に驚く島民の視線をそのままに、俺は青年の額に手を当て、精神を集中する。次に俺の口から”神聖語”が紡ぎだされていた。
「”交流神チャ・ザよ・・・この者に安らかなる心の平安を与え給え”」
神への祈りが届き、俺の体を通して青年に”奇跡”が与えられる。直後、青年の蒼ざめた表情が幾分和らいだものに変わる。
「落ちついたかさね?では、アラミ島について、順番に話してくれないかさね?」
俺は笑顔になり、それを見た青年は呆気に取られつつ頷いた。
「ええと・・・オラが、早朝にアラミ島近くの海で漁をしていただ」
酒場の隅っこの机には俺と青年、周囲には島民が集まっている。青年の話しに皆は静かに注目している。
「それで、其の最中に・・・アラミ島の漁に使っている小船が漂って来ただよ」
「小船は本当に間違い無いねぇか?」
側にいた壮年の漁師が聞く。
「ああ、間違いねえだ。長年見なれてるオラが絶対に間違えるはずがねえだ。で、其の小船はあちこち壊されて・・・良く見れば島の方向から幾つもの同じ様に壊された小船や破片が漂ってくるだ」
「妙な・・・何でそれが、祟り・・・ええと・・・」
「海神様だ・・・それで、彫ってあっただ・・・小船に・・・”アラミ島の 愚かなる者達は 海神の怒りに触れ 海の藻屑に消えた 我の怒りに触れるなかれ さもなくば 同じ運命を辿る”と・・・ああ、恐ろしいだ・・・」
青年が思い出したか恐ろしさに頭を抱える。同時に周囲の島民や漁師らは不安げな表情でざわめく。皆、口々に「海神様」「祟り」の言葉を何度も繰り返す。それほどまでに島民にとって海神の祟りは恐ろしいのだろう。
「それでアラミ島には確かめに行ったのさね?」
「ま、まさか!そんな恐ろしい真似、出来る訳無いだ・・・オラも海神様の怒りに触れろと言うのか?冗談じゃねえだ・・・」
「じゃあ、実際にアラミ島の人がどうなったのかは分からないのさね?」
「あ、ああ・・・でも、きっと、海神様に引きずり込まれて・・・海の底に・・・」
その言葉で周囲の島民は一気に青ざめる。これは一大事と、海神の怒りを静める儀式をしよう、お供物を捧げねば、もうお終いだ・・・周囲はあれこれと騒ぎ出す。その中、俺はどうも不自然さに疑問を抱いた。
「ちょっと待つさね。アラミ島の人が何か海神の怒りに触れる真似でもしたのかさね?」
「い、いや・・・」
唐突の質問に青年は困惑する。
「だったら、おかしいじゃないさね?それに・・・アンタ、さっき船に彫ってあった、と言ったさね?」
「あ、ああ・・・そうだぁ」
「可笑しい話じゃないかさね。そもそも海神が字を彫るなんて・・・それに、何語で彫ってあったさね?」
「え、ええと・・・”共通”の言葉だ」
「ますます可笑しいさね。神様が文字でわざわざ祟りを告げるなんざ・・・神様なら、もっとそれらしいやり方するさね。例えば、海の上に現れて”怒りじゃ、祟りじゃ〜”と言うのじゃないのさね?」
俺の言葉に周囲が静まる。”それもそうかも”と思った者、中には海神を侮辱するような言動と思った者もいるらしく、あまり良い顔をしていない者もいるようで、痛い視線を幾つか受ける。
「んー・・・まぁ、アラミ島に何かあったのは確かさね。まぁ、俺はアラミ島に用があるし、どっちみち確かめに行かねばならない・・・どうだろう、誰かアラミ島まで俺を船に乗っけてくれないかさね?」
俺は周囲を見渡す。これだけの漁師がいるのだから、誰か一人ぐらいは・・・と俺は期待した。
「・・・」
「もちろん、礼は幾らか払うさね?」
「・・・」
しかし、誰一人として声は上がらない。皆、困惑したり、顔を伏せたり、黙って考え込だりしている。
(やはり・・・土着の神とは言え、島民にとっちゃ何よりも敬い恐れる存在さね。いくら俺が妙な点をあげても、そう簡単に祟りの恐怖は拭えないさね)
俺は苦笑する。沈黙が続く。
「私が行こう」
沈黙を破った声の主・・・それは、あの女性だった。周囲が騒然とする。
「おい、海神様の祟りだぞ?怖くないのか?」
壮年の漁師が尋ねる。
「海神様の祟りとて、理由無き祟りは有り得ぬ。それに。そこの男の言うことも理に適っている・・・今回の事、とても海神様の所業とはとても思えぬ」
「し、しかし・・・ここは、もう少し慎重に・・・」
青年が制止しようとする。だが、女性は毅然とした態度で言葉を続ける。
「もし、これが海神様を騙る卑劣なる者どもであったらどうする。それを放っておく事こそこそ、海神様の怒りに触れようぞ」
周囲がまた静まる。
「それを、勇ましきをもって陸の者が確かめに行くの言うに、我らに助力を求めている。これに答えずして、海の民が務まるか?それこそ陸の者に海の者が”臆病で真偽すら見極められぬ愚か者”と罵られ、笑われようか!」
強い言葉で皆は圧倒される。俺も同じく、唐突の申し出に驚いたばかりで、其の言葉にも同時に驚かされたところであるが。だが、ありがたい申し出だ。
「・・・あ、ああ。では、アラミ島へ運んでくれるのさね?」
「そう言う事だ。陸の者。では、すぐにでも出発するぞ」
「え、だが、もうすぐ夜さね」
「だからだ」
そう答えた後、俺は呆気に取られつつ、女性の力強い表情の中、ふと僅かな笑みが見えた気がした。
【イマシカデ島の港 夜】
港に松明の灯り。
港の桟橋には夜遅くにもかかわらず噂を聞きつけた多くの島民が大勢いた。まぁ、島だけに、噂は時間もかからず広まるのは流石に早い。
「・・・では、俺が先に確かめに行くさね。もし、三日以上過ぎても動きも合図も無く、帰ってこないようならば、そちらの判断に任せるさね」
そう言って俺は漁に使う小船に乗り込む。
「あぁ、分かったぜ。だが、頼むぞ・・・本当に海神様を怒らせる真似だけはやめてくれよ?」
壮年の漁師が心配そうに答える。
「それなら安心しろ。海の民たる私がいる」
小船には漕ぎ手を名乗り出た女性がいた。わずかな松明の灯りであったが、自信に満ち溢れた表情が見える。暗く広い海に漕ぎ出す俺にとって、それは頼もしい限りだ。
「では出るぞ」
女性の合図と共に縄が解かれ小船が桟橋から離れる。
「どうか、海神様の許しあれ、そして海の民と陸の民にどうか祝福あれ」
桟橋にいた壮年の漁師が言った。俺はそれに笑顔で答える。女性が言った。
「海神の許しありて、我ら、いざ、光り輝く海の島へ!」
そうして、真っ暗な夜の海へ漕ぎ出していった。
<続く>
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