「青ひ空っ」
「白ひ雲っ」 照りつける夏の日差しの下、涼しげに波が打ち寄せる砂浜に降り立った娘が二人、交互に叫んだ。一人は黒髪の活発そうな印象を与える娘――レイシア。もう一人は、雰囲気はきつそうなものの女性的な魅力にあふれた妙齢の女性――クレフェである。 「浜辺はわたしたちの貸切状態でっ」 「どこからともなく流れてくる爽やかな音楽と歌っ」 そこで二人はばっと、苦笑を浮かべていた彼女らの連れを振り返った。そして、頬に手を当てて柔和な表情を少々困り気味にさせた銀髪の娘――スピカに持っていた弦楽器を押し付けた。 「どこからともなく流れてくる爽やかな・・・・・・!」 「はいはい・・・・・・わかりましたわ」 そのテンションと迫力に押され、苦笑を浮かべながらも古めかしいが爽やかな音色を奏でた。スピカは、本職とは言わないものの簡単な演奏であれば楽器を扱えるのである。 『いーなーせだねー夏をつれてきた人〜♪ っとぉ〜』 どこぞで聞いたようなフレーズで歌いだすレイシアとクレフェ。 「はー・・・・・・みなさん、元気ですねぇ」 同じく苦笑を浮かべていたうちの一人、一番華奢で可愛げのある少女――ディーナが呟いた。そんな呟きも聞こえていないかのようにはしゃぎまわる二人を尻目に、残った一人――五人の中で一番小柄な浅黒い肌の少女ミトゥが、 「しょうがないよ。いつもすさんだ生活してるんだし、こーゆーときくらい羽目外したいって思うしね」 そう言って、自分も太陽に向かってぐーっと伸びをする。一行の中でそういう台詞を言うのが最も似合わない少女だと言うのに、妙に説得力があるのは彼女も同じ冒険者だからであろう。 そう。この海岸に集った五人は全員が冒険者である。しかし、この海岸に怪物退治や遺跡探索に来たわけではないということは、先ほどからの雰囲気で十分察することが出来る。 ここはオランの南方約二日の位置にある、ローラ村の海岸。「翼の浜」と名付けられた、夏になると村の親子連れの憩いの場になる浜である。彼女らは、ミトゥの故郷であるこの村に骨休めに遊びに来ていたのである。 冒険者にも休息は必要だ。そう言い出したのは、スピカだった。相棒であるレイシアを誘い、大勢で行く方が楽しいとクレフェやミトゥ、ディーナを誘った大所帯で押しかけたのであった。 村に着くと、以外にも手厚く歓迎され、宿を用意してもらい今に至るわけである。
「今更ですけど、やはり申し訳ありませんわ。いきなり大人数で押しかけてしまって」 砂浜に座ったスピカが、同じく隣に腰掛けたミトゥにすまなそうに声をかけた。すでに皆、服を脱ぎ肌着姿で思い思いにくつろいでいる。その光景を眺めてから、ミトゥは笑いながら、 「ううん、大丈夫だよ。うちの村人、みんな冒険者に悪い印象抱いてないしね。それに、基本的にお祭り騒ぎが好きなんだよ。お客があれば、総出でもてなして騒いだりするくらいね」 さっきもそうだったでしょ、と付け加えた。確かに、かなり派手に歓迎されていた。ミトゥが一緒だったこともあり、ほぼ村人全員で迎えていたのではないかとも思うくらいに。部屋も――女性だけということもあり、全員でもゆったり泊まれる大部屋――すぐに用意してくれたし、夜は歓迎会をするとも言っていた。 「本当にご迷惑でないなら、幸いでしたわ」 にっこりと微笑んだところに、海で泳いでいたレイシアから声がかかった。 「おーい、スピカもミトゥも、早くおいでよ」 「ええ、わかりましたわ。ミトゥ様は如何なされます?」 ぶんぶんと手を振るレイシアに小さく手を振り答え、スピカは立ち上がってお尻についた砂を払った。 「うーん、僕はもうちょっと、日差しを浴びていたいかな。ここの風や太陽を感じるのも、久々だし」 「うふふ・・・・・・ここはあなたの故郷ですものね。あなたにとっては、思い出深い場所なんでしょうね。それでは、わたくしは少しばかり行って参りますわ」 微笑を浮かべ、ミトゥにぺこりと一礼してから小走りでレイシアの方に走りよっていくスピカ。入れ替わりに、頭からずぶぬれになったディーナがミトゥの隣に腰掛けた。 「はわー・・・・・・話には聞いてましたけど・・・・・・」 「ん? けど?」 「・・・・・・しょっぱいです」 はらはらと涙を流しながら、布を手にとって顔と頭を拭くディーナ。それを見て、ミトゥは吹き出した。 「あ、酷いですよ。私、海って始めてなんですから」 「あはは。ごめんごめん。で、どう? 海の感想は」 ミトゥはぷくーっと膨らすディーナに軽く謝ってから、改めて聞いてみた。 「そうですね。なんていうのか、すごく広くて、水は冷たいのに暖かい感じで、凄く落ち着く感じがしますっ。何だかお母さん、って感じですね」 目をきらきらさせて、かなり感動した様子で熱く語るディーナ。海は全ての生物の母親だ、という学者もいると言うが、ディーナがいうとまさにそのような感じがしてくるとミトゥは思った。 「それにしても・・・・・・」 ばしゃばしゃ。 「あ、やったなこいつーっ、てりゃー!」 「そんな二人がかりでなんて卑怯よっ、後が怖いわよ? うふふふ」 「あらあら、まぁまぁ・・・・・・」 ミトゥは、海で水のかけ合いをしているレイシアとクレフェとスピカを見やって呟いた。つられて、ディーナの視線もそちらへ向く。 「それにしても、なんですか?」 ディーナは小首をかしげた。分かってないらしい。 海に来たから、普段話しているよりもこれみよがしにミトゥの視界いっぱいに飛び込んでくるもの、それは。 「何だか、あの三人見てるとちょっと悔しいね」 「なんの話ですか?」 そう呟き、ミトゥは自分の薄い胸と三人の豊満なそれとを見比べ、ため息をついた。そしてディーナに改めて視線をやり、気付く。 「・・・・・・・・・信じてたのに」 「・・・・・・あのー、お話が見えないんですけど?」 ディーナは、着やせするタイプだった。
「ボクに勝てると思ってるのかなっ」 ざばざばざばざばざばっ。 「ミトゥってば早いわ・・・・・・さすが海辺で育ったことはあるわねっ」 ミトゥとクレフェが、エールを賭けて泳ぎで競争をしている。ハンデをつけてもらったものの、やはり夏は泳いで育ったと豪語するミトゥの泳ぎの腕は大したもので、すぐにその差を縮めて逆に大きく差をつけていた。 「みなさん、泳ぎが上手いんですねぇ」 「そうですわね、羨ましいですわ」 波うち際で観戦していたスピカとディーナが呟く。 「ってゆーか、二人は泳ぎはどーなの?」 二人が振り返ると、疲労困憊といった様子のレイシアが立っていた。競泳の途中で、リタイアしてきたのだ。 「わたくしは、昔から水には浸かるだけであまり泳がなかったので・・・・・・少しだけしか」 「私も同じです。少しくらいなら泳げますけど、得意じゃないです・・・・・・」 それを聞いて、レイシアがにやりと笑った。それを見て、同時にぎくりとなるスピカとディーナ。特に、レイシアとコンビを組んでいるスピカには、何かよからぬことを考えているのではないと不安がよぎる。 「ねー、ちょっとちょっと。次はスピカとディーナで勝負、やってみない?」 丁度勝負を終えたミトゥとクレフェ――勿論、ミトゥの圧勝である――に向かって声を張り上げるレイシア。やっぱりという表情を浮かべ苦笑するスピカと「えーっ、本気ですか!?」と焦りだすディーナを尻目に、面白そうな顔で戻ってくるクレフェ。 「あの、わたくしこういう勝負ごとはあまり・・・・・・それに、賭けをするなんてとんでも無いことで・・・・・・」 「だーいじょうぶ、ただの遊びなんだし。それに、賭けしなきゃ良いんでしょ?」 さすがはスピカと組んでいるレイシアだけあって、こういう場合はレクリエーションだと割り切らせたり、賭け事をなくせばスピカは承諾するだろうと読み切っていた。 「それならば良いんですけれど・・・・・・ディーナ様はよろしいのでしょうか?」 「え、あ、私ですかっ!? 私も得意ではないですけど、別にいいですよ。遊びに来てるんですから、皆と一緒に楽しまないと駄目ですからね」 楽しもうという割りには、随分と気合と不安と緊張とが程よく混ざった声と仕草で言う。 「あのさ、嫌なら断っても良いんだからね? 楽しむっていうんだから、嫌なこと無理にやってるんじゃそれ以前の問題なんだしさ」 控えめにミトゥが口を挟むものの、どうやら二人はそれなりにやる気らしく、準備運動なんかをはじめている。 「ま、二人がやる気なんだし。ここは見守るとしようよ」 自分でけしかけておいて、にこやかに笑うレイシア。程なくして準備運動も終わり、ざぶざぶと海に入っていく二人。 「じゃ、用意はいいわね。位置について、よーい」 クレフェが手にした布を上に振り上げ―― 「スタート!」 ばさっと勢いよくそれを振り下ろした。それを合図に二人は泳ぎだした。 ばちゃばちゃばちゃ! 「・・・・・・・・・」 「・・・・・・・・・」 「・・・・・・・・・」 激しい水音を立てて二人が進む! 水を掻いて掻いて、掻きまくって―― なかなか進まない。 それもそのはず、二人の泳法は犬かきなうえ、双方かなりの不恰好な泳ぎ方だった。しかも、表情が真剣そのものなのがより哀愁を誘う。 「・・・・・・あー。なんというか」 クレフェがコメントに困っていると、自分の相棒を見ながらレイシアがぼそりと呟いた。 「・・・・・・命名、スピかき」
「あー。もう良いよ、無理しないで。ね?」 ミトゥが声をかけたところで、その勝負は終わった。しかしまだまだ海での騒ぎは続いた。
ざぶーん。 「きゃ・・・・・・あら? あらあらあらあら〜?」 「おおおー。スピカってば大胆」 「・・・・・・やっぱり負けた」 大波がスピカに打ち寄せ、思い切り直撃を受けたスピカの肌着が波にさらわれたり。(挿絵。諸事情で別窓で開きます(何))
「ちょいやーっ!」 ぱかん。 「やるわね。一刀両断だわ」 ローラ村の特産品のひとつである、赤く甘い果肉の果物を木の棒でかち割るという村伝統の遊びをして、レイシアがそれを一発で両断してみせたり。
「美味しいですね。こんな果物があるんて、知りませんでした」 その割った果物を皆で食べているときに、その味に感動したディーナがメモを取りはじめて――果汁で羊皮紙がべたべたになったり。
「うーん、このジュース飲むのも、久々だな」 「不思議ですわ。こんなに硬い木のみですのに、とても柔らかな甘みですわ」 ミトゥがどこからか取ってきた木の実を割って、中につまった甘いジュースに皆で舌鼓を打ったり。
がさがさっ。 「誰!?」 不意に茂みから物音がして、クレフェが鋭く声を投げると――村の子供が出てきたり。 「あら、驚かせちゃったみたいね。どう、ボクたち。おねーさんたちと一緒に遊ばない? 」 「いいの?」 「ええ、もちろんよ」 「わーい、じゃあ僕たちもおばちゃんたちと遊ぶー」 「そう、じゃあおねーさんがたっぷり遊んであげるわよ、うふふふふ」 「・・・・・・うん、おねーちゃん」 やたらとおねーさんの部分を強調して優しい笑顔で不気味に笑いながらも、小さい子供と皆でたっぷり遊んであげたり。
気付けばすっかり日も落ち、空に美しい月が昇っていた。村人たちからの歓迎会も終わり、満腹状態幸せ気分で部屋でまったりしていた。 「よーし、じゃあ夜はこれから。ということで、夏の夜といえばコレでしょう」 かと思えば、またしてもハイテンションでレイシアが立ち上がった。 「怪談しよう、みんなで」 と、ほけっとした皆の顔を見渡してそうのたまった。 「そうね。あれは確か、《魅惑の唇亭》でのことだったかしら。わたしが酒場で知り合ったイイオトコと・・・・・・」 「それは猥談でしょ!」 真っ先に語り始めたクレフェに、顔を赤くしたミトゥの鋭いツッコミが炸裂した。スピカも心なしか頬を染めて、きょとんとしたディーナの耳を塞いでいた。 「冗談よ。でも、怪談なんて知らないわよ。ディーナは何か知らない?」 不意に話をふられたディーナが、豊富な知識の中から「怪談」という単語を検索するものの、そういった類の話や伝承はあいにくとストックには無かった。 「いえ、私も特にないですね・・・・・・」 スピカも、言いだしっぺのレイシアもストックが無かったため、次に白羽の矢が立ったのはミトゥ。 「うーん。ボクもないなぁ・・・・・・あ。そういえば、さっきカミュ・・・・・・えと、神官いたでしょ、一人? あの人から聞いた話なんだけど」 「何、故郷に残した彼氏?」 「ち、違うって! ただの幼馴染だよっ」 「んー、そうよねぇ。ミトゥのカレは、オランにいるんですものね」 「だから違うーっ!」 枕が乱舞する。きゃーきゃーと悲鳴が飛び交う。 ・・・・・・閑話休題。 「何かね。最近の話なんだけど、村人の一人が、海のほうで変なものみたんだって」 ミトゥの話によると、一人の漁師が朝早く漁に出ようと海へ出たら妙な影を見たという。暗いことと、距離もあったことで詳しくは分からなかったらしいが、また何か魔物でも出たのかと心配になり自警団に話を持ちかけたらしい。 ミトゥの兄――ミトゥには兄が二人と姉が一人いるのだ――、村のマーファ神官のカミュなどを含めた自警団が周囲の見回りをした。しかし、海だけでなく林や岩場など村周辺の殆どを探し回っても何一つおかしいところは見つからなかった。 その時点で調査は一度打ち切られ、気のせいではないかということになった。しかし、幾日か経った晩。別の村人が、海のほうを漂う不気味な影を見たという。翌日、すぐに自警団が調査に当たったものの、やはり特に不審な点は見つからない。今まで魔物が近くに潜んでいたときには、はっきりと目撃されていた。だが今回は目撃情報すら怪しいものだ。財政的な問題も有り、オランの街に冒険者を斡旋しに行くことをしないままだったらしい。 村に被害もないし、今の今まで放っておかれた問題だったらしいが、ミトゥたちが来たこともあって話のついでにカミュが教えてくれたのであった。 「しょ、正体の分からない不気味な影ですか・・・・・・。それはちょっと怖いかもしれませんね」 いつの間にか、毛布を頭からかぶったディーナが呟く。 雰囲気を出すために、部屋の灯りを全て消して小さなろうそく一本しか光源の無い部屋が、重苦しい沈黙に支配される。しばらく腕を組んで考え込んでいたレイシアが、 「よーし、じゃあ肝試しに行ってみない?」 と、唐突に言い出した。 「肝試し、ですの? そうですわね、こういう機会はあまりありませんでしたから、たまにはいいかもしれませんわ」 ろうそくの火を部屋のランタンに移しながら、スピカが言った。元来こういうイベント好きなレイシアならではの発想だったが、周囲への反応は意外にも上々だった。 「へぇ、楽しそうね。せっかく遊びに来てるのに、夜になってすぐ寝るってのもつまらないしね」 「ちょっと興味あるかも。それに、ホントになんか居たら大変だしね」 自警団とはいえ、夜の捜索はしていない。危険の少ない村の周辺とはいえ、夜になるとその危険性は増す。夜行性の肉食獣や魔物も少なくは無い。海へ出るための道を歩くだけならまだしも、林の中や村の郊外を探索するなどもっての他。 もしかすると、肝試しの途中で怪しい影の正体をつかめるのではとミトゥは思ったのだ。 「皆さんが行くというなら、わたしも・・・・・・」 最後に、ディーナが控えめに同意した。
ということで。 「わたしたちは今、付近の防風林を歩いておりますっ」 レイシアがエキサイトした声で実況した。 「誰に言ってんのよ」 「雰囲気を盛り上げてるんじゃない」 どちらかというとそのハイテンションが雰囲気を和らげそうなのだが、潮風を防ぐ防風林は思いのほか不気味さをかもし出していて、レイシアの陽気な声を軽く拭い去るほどの陰鬱さを放っている。 「それにしても・・・・・・みんな物々しいわねぇ」 ランタンを持ったクレフェが呟き、一行を見回した。淡い光に照らされた各々の手や腰には、戦斧やら広刃剣やら杖やらが携えられている。武器を扱うことが出来ないクレフェだけが、手ぶらだった。 「夜ですから。何かが出てこられては、大変ですもの」 重戦士が使うようなごつい無骨な形状のものでないとは言え、一番威力のありそうな戦斧を携えたスピカが微笑みながら言った。 「たかだか狼やら、出たとしても吸血蝙蝠とか植物の魔物程度でしょ」 腕利きの冒険者にかかれば、自警団が恐れる夜の獣も「たかだか」扱いされてしまう。もし不意をつかれようとも、実際クレフェにとって狼や蝙蝠ならば取るに足りない相手だろう。得手不得手を抜きに純粋に強さを比べるなら、クレフェが一番腕利きなのだ。 「それでも、念には念をってことだよ」 ミトゥが腰の瑠璃で意匠を施された広刃剣を叩いて笑う。ミトゥの場合、もし何か居たらその場で即刻退治するつもりでもある。 そこで不意に、がさがさと茂みが音を立てた。 「ひゃっ・・・・・・な、なんかいますっ」 ディーナが慌てふためき、杖をぎゅっと握る。 「ただの風よ」 「風乙女が雰囲気出そうと悪戯してるのかもね」 精霊使いであるクレフェとレイシアが、口々に言った。ほっとするディーナを促し、一向は防風林を抜け、海岸へ出る。 林では木々で遮られていた月明かりが、それを遮るもの無く降りそそぎ、海面を淡く美しく照らしている。 「海の夜というのも、風流ですわね」 「風流はいいんだけど、結局何にも居なかったね」 村の回りから始り、すでに小川付近、岩場、防風林と怪しい場所は粗方見回って来た。ミトゥの目的でもある不信な影も居なければ、レイシアたちの目的である怪奇現象も何も無かった。ただ、不気味ではあったらしくディーナはもう嫌と言うほどの恐怖を堪能していたが。特に、小川に行ったときに顔面に向かって蛙が跳んできたときは、杖を放り出して悲鳴をあげ駆け回っていた。 「そうだね。じゃあ、海岸を歩いたら帰って寝るとしますか。お月様ももう真上を通り過ぎたことだし」 やはり海岸にも特に変わったところは無かった。スピカが不意に波打ち際の一点に目を向けるまでは。 「あら・・・・・・あれは何でしょう?」 「あ、怪しい影ですかっ!?」 目を細めてみるが、いかんせんランタンの灯りはそこまで届かない。スピカの代わりに、わずかな暗視能力のある精霊使いの二人が目を向けて、同時に驚きの声を上げた。 「レイシア、あれって・・・・・・」 「間違いないよ」 二人は頷きあい、その影へ向かって急いで駆け出した。 「ね、ねぇ。何があったのさ?」 ぼけーっとしていたミトゥが慌ててその後を追う。スピカとディーナもそれに続く。 「あれは人よ。生命の精霊力がかなり弱ってるわ」 「ええっ、まさか溺れた人!?」 ローラ村でも、海遊びが解禁になる夏場に人が溺れるという事件はたまにある。しかし、こんな真夜中に起こったためしは無かった。もう少し朝に近ければ、早朝漁に出かけた船が転覆したという可能性もあるだろうが、こんな夜中に漁へ出る村人は居ない。 「ちょっと、大丈夫!?」 レイシアとクレフェがその影を抱き起す。真っ青な顔で浜に打ち上げられていたのは、年のころなら二十歳前後。淡い金髪を持った、美しい顔の男だった。 「あらま・・・・・・」 「わぁお、イイオトコ」 同時に呟くクレフェとレイシア。 「そういうことを言っている場合ではありませんわ」 駆けつけてきたスピカが、その場に跪き両手を胸の前で組み合わせ、チャ・ザに祈りを捧げる。祈りが届き、男の体が淡い光に包まれる。 「駄目です、この人息が止まってます!」 おろおろとディーナがパニックを起しかけるが、 「大丈夫、顔色から察するに、まだ止まって時間経ってないよ。たぶん、さっさと気絶したんじゃないかな。余計な水も飲んでないみたいだし、それが幸いしたのかも」 「じゃあまだ間に合うのね。ここはとりあえずわたしが人工呼吸を・・・・・・」 言うが早いが、男の顔色をを診ていたミトゥを押しのけクレフェが割って入った。心なしか、レイシアが「出遅れた」というような表情をしているように見える。それを察したのかスピカが、 「レイシア。・・・・・・助ければ、あわよくばお礼に・・・・・・なんてこと考えてませんわよね?」 「や、やーねスピカったら。そんなわけないじゃない。あ、あははは」
「う・・・・・・ここは」 「あ、気が付いた?」 宿の一室に運んでしらばくして、ようやく男は目を覚ました。 「ここはローラ村ってとこの、宿屋だよ」 「おにーさん、一体どうしたの、あんなところで溺れちゃってさ。こんな時間に泳いでたってわけでもないでしょ、服も着てたし」 レイシアが問うと、思い出したかのように男はがばっと起き上がった。 「そ、そうだ! 俺は、俺たちは捕まって、妹が生贄で、俺はいらないから先に、死ぬかと思ったらここにいて!」 かなりの錯乱状態になっているらしく、頭を抱えたり叫びだしたりで手が付けられない。 「す、スピカさんっ」 ディーナが慌ててスピカを見やる。 「あまり奇跡を多用するのは好ましくありませんが・・・・・・物騒な単語が聞こえましたし、これは事を争いそうですわね」 錯乱して暴れまわる男にゆっくりと近づき、自分に向かって振り下ろされてきた手をやんわりと受け止める――ように見えているが、万力のような力でホールドしていたりする――。 「偉大なるチャ・ザ様。彼の者に平静なる心を取り戻したまえ」 短い祈りの文句。スピカの手を伝って、神の力が行使される。あれだけ錯乱していた男に冷静さが戻ってくる。 「落ち着きましたか?」 「あ、ああ・・・・・・落ち着いたから、手を離して・・・・・・痛い」 苦笑を浮かべ手を離し、スピカは謝罪する。 「それで、何があったの。尋常じゃなさそうだけど。話してくんない?」 ミトゥが促すと、男は冷静に、だが必死に話し始めた。
男はアレキサンドルと名乗った。妹のネムと共に旅をしているのだという。が、その道中に小さな船に乗せてもらい海路をとったところ、この村の近海で謎の襲撃を受けたのだという。 相手はその船と同じくらいの小さな船だったという。闇夜に音も無く忍び寄り、完璧な不意打ちだった。船員は皆やられてしまい生死は不明、自分と妹は連れ去られたらしく、気が付いたら洞窟の中の牢に閉じ込められていた。 どれくらいの日数が経ったか詳しくは分からないが、しばらくして賊の正体が分かった。賊はミルリーフの司祭だったのだ。しかし、それが分かったのも束の間、アレキサンドルはミルリーフへ捧げる生贄にされてしまったのだ。祭壇へ連れて行かれ、疲弊していたため抵抗も侭ならず、ぽっかりと海へと続く口を開けた大穴へ突き落とされてしまった。 酸欠で薄れ行く意識の中、死ぬのかと覚悟を決めたアレキサンドルだったが、海中を漂う体が不意に猛烈な勢いで引っ張られた。 「そうか。それって、ここらへんを流れてる潮だ」 そこでミトゥが口を挟んだ。アレキサンドルは知る由も無かったが、自分の命を救ったのはミトゥの言う通り、このあたりを流れる潮だった。泳いでいて流されるほどの急流ではないが、気絶した体を運ぶのには十分だったらしく、その流れはアレキサンドルの命を絶つ前に浜へと運び、偶然にも肝試しにきていた一行の手によって救われたのだ。 「これは急ぎませんと。あなたは、本格的な儀式の前の準備のために捧げられたのでしょう。暗黒神から一層の力を得るための儀式には、女性の生贄が好ましいらしいですからね・・・・・・」 下準備が今宵行われたのなら、本格的な儀式も近いはずだとスピカは呟いた。その呟きに狼狽するアレキサンドル。 「頼むっ、妹を助けてくれ! 俺に出来ることなら、なんでも礼はする!」 頭をこすり付けんばかりの勢いで頭を下げ、懇願する。 『・・・・・・・・・何でも、ねぇ』 勿論、同時に呟いたのは言うまでも無くレイシアとクレフェ。その声は心なしか不純な思考が混じっていたようにも聞こえた。気のせいだといいのだが。 「ボクは引き受けるよ。村にまだ被害は無いけど、そんなのほっといたら何が起こるかわかんないしね」 「わたくしも、神に仕える身として闇司祭を野放しには出来ませんわ。成敗しなければ。レイシアもクレフェさんも、勿論引き受けてくださいますわね?」 スピカに必要以上の朗らかさで微笑まれたレイシアは、びくりと体を震わせ肯定する。 「も、もちろん。悪の芽は早いうちに摘み取っておかないと」 「そうよ。悪即斬って言葉もあるし、ここは協力させてもらうわ」 二人そろって乾いた笑い声を上げる。もっとも、二人とも礼が貰えなくても引き受けるつもりだった。なんだかんだで、厄介ごとは見過ごせないのだ。 「わたしも手伝いますっ。人が困っているのに、放っておくなんて出来ませんからねっ」 最後にディーナが同意したところで、アレキサンドルが再び頭を深く下げる。 「あ。ところで、その居場所の入り口はどこなんだろう。この辺に怪しい場所なんてぜんぜん無かったし・・・・・・」 レイシアの呟きに、はっと気付く。言われてみれば、この付近に隠れ家になりそうな場所はどこにも無い。この村の出身であるミトゥですら、儀式用の祭壇があったり牢があったり、生活空間に不自由しない場所には覚えが無い。 「俺の記憶が正しければ、あれは古代王国人の隠れ住居跡だ」 アレキサンドルが口を挟んだ。賢者としての知識があるアレキサンドルが、祭壇に向けて連行されている途中目にした建造様式は、確かに古代王国期後期のものだった。 「なるほど。多分、蛮族の反乱があったときに、生き延びた魔術師たちが逃げ込んだ場所でしょうね。そうすると、地上からの入り口はかなり見つけ難いと考えたほうがいいです、見つかったとしても強力な魔法の鍵がしてあると思います。まぁもし鍵が開いていたとしても、闇司祭が内側から掛けてしまえばわたしたちに開ける術はありませんけど」 情報ひとつあれば、そこは魔術師であるディーナの独壇場だ。アレキサンドルから聞き出したいくつかの情報で、すらすらと推測を上げていく。 「じゃあ、地上以外の入り口を探せってことだね。昔の魔術師はどうやって移動してたの・・・・・あ、移送の扉ってやつだっけ?」 「それを使うにしても、場所は分からないし機能してるとも言えないわよ。他の可能性なら、あるわよ」 クレフェが提案したのは、精霊魔法の《水中呼吸》を使って、アレキサンドルが生贄のために放り込まれた海中の穴から侵入しようという大胆なものだった。 「確かに、一刻を争う現段階ではそれしか方法が思いつきませんけれど・・・・・・」 心配そうなスピカとディーナの表情を見取って、 「大丈夫だよ。呼吸さえできれば、あれくらいで十分だって」 泳ぎ方のことを言っているのだろうと、レイシアが軽くそう言っておいた。それで不安が拭い去れたのだろう、二人の顔に笑顔が戻った。 「じゃあ、作戦立てましょう。潮が流れてる場所から、入り口がどのへんか推測立てなきゃね」 クレフェが部屋に備え付けてあった紙とペンを取り出し、言った。 「・・・・・・そういえば、ローレライやあの島以外にも妙な言い伝えって、あったなぁ」 ぼそりとミトゥが呟いた。 「あら、何か心当たりでもありますの?」 「え。あ、うん。近くにあるいくつかの小島のうちの一つなんだけど、そこの海底・・・・・・って言ってもそんな深くないんだけど・・・・・・」 ミトゥが言うには、村の沖合い数百メートル付近に、名前も付いていない小島がいくつかあり、その一つの海底に大きな穴があるということらしい。その島は貝がよく取れた。貝目当ての昔の村の海女が潜っていたときに発見したらしく、随分前から村で知られている話だという。無論、不気味なので誰も近づこうとしない。 第一、中に入ろうと思ったところで、穴の長さは不明である。いくら海女とはいえ、穴を抜けるまで息が続く自信は無いだろう。 それにただでさえ、この村には不気味、幻想的な伝説が沢山ある。島繋がりでは、魔物が数多巣食う禁断の島なるものまであったため、関わりにはなろうと思う人は居なかった。 「そこ、怪しいね」 「じゃあ、そこへ行ってみるっきゃないでしょ」
同日、明け方。朝の早い漁師たちよりも早く。
海岸に降り立つ勇ましき戦乙女たちの姿があるのだった。悪しき闇司祭の潜むと古代魔術師のものと思しき隠れ家を目指して。
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