超 越する力( 2003/10/12)
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作者
松川彰
登場キャラクター
クレア



物心ついた時には、全てが決まっていた。
 悔しさとか哀しみとか、そう言った名前がつくであろう痛みの感情を自覚したのはかなり経ってからのことだと思う。
 がむしゃらに追い続けることが、そんな感情達を追いやってくれたのだと気付いたのはまた更に後のこと。


◆ ◆ ◆


 賢者の学院。その2階の隅にある講義室。
 そこで私は、学院への入学を志す少年少女たちが下位古代語の習得をする、その手伝いをしていた。私塾よりはやや良心的な値段のはず。相場というものが、 私にはよくわからないのだけれど。
 この教室に集う子供達は、下は11才、上は16才。家庭環境も様々だ。年が下の子供ほど、家が裕福ではある。そんな年齢のうちから、こういった場所へ通 わせることが出来るのだから。稀に、20才を超えてここへやってくる者もいる。その多くは、ここへ入学することを夢みて、それまでの間、必死に授業料を貯 めた者だ。私が担当していないクラスでは、20才どころか30才を超えた者や、異種族もいると聞く。
 彼らはここで下位古代語を習得し、そして試験を受けて上のクラスへ上がる。その試験の難易度は低くはない。下位古代語を別の場所で習得した者たちも、そ の試験を受けるのだから。逆に、この教室で古代語を習得し、上へ上がらない者たちもいる。学院に入ることが目的ではなく、ただ下位古代語を習得するだけが 目的の者たちも。
 幾つかのクラス分けの際、当初からの希望を元に振り分ける。講師たちも同様だ。ある程度の希望は汲み入れてもらえる。そして私は、将来的に魔術を修める ことを目的とするクラスを担当することを希望した。

「 ……目指すものが研究者でも冒険者でもいいわ。その手段として魔法を選んだのは……何故? かっこいいから? 強いから? 面白そうだから? どんな 理由でもいいわ。……でもね。ひとつだけ覚えておいて。これから先、学院に入ったとして……お金も随分とかかるわ。そしてそれ以上に時間がかかる。1年や そこらで魔術師と名乗れると思う? 正魔術師になるために10年近く費やす人もいるわ。そして……それだけの時間をかけて、あなた達は、『人を超える力』 を手にするのよ。
 修練と知識と技術と。そして金剛石よりも堅い意志の力であなた達は魔法を手に入れる。その覚悟がある?」

 年端もいかない子供達を前に、私はそう告げた。
 それは、遙か昔、私が師に言われたことでもある。


◆ ◆ ◆


 私には、7つ年上の兄がいた。その兄と、言葉を交わした記憶は少ない。そして、それよりも更に少ないのは、父と言葉を交わした記憶だ。
 私の生まれたシルヴァスタイン家は、名家と言われる家柄だった。爵位こそ持っていないものの、騎士を多く出してきた家系だ。そこに生まれた兄も、当然の ごとく、幼い時から剣の修行に明け暮れていた。そして、剣だけではない。騎士の名に恥じぬ教養、礼儀、物腰。全てを要求され、そして兄はその全てに応えて いた。
 父の後継者として申し分のない兄。父は兄を溺愛した。自分の全てを兄に継がせたいと願った。それこそが、シルヴァスタイン家の意志だと信じて疑わなかっ た。明確な基準としての爵位を持たないからこそ、家としての意志が大事なのだと。
 私が生まれた時、女だと知って父は落胆した。もしも男であるならば、兄と競わせようと思ったのだろう。シルヴァスタイン家は長子相続ではない。家を継ぐ 資格は、唯一、実力だ。そして、男子であること。
 他の家に嫁がせて、縁戚関係を以て生きながらえることを父は良しとしなかった。もちろん、今までにシルヴァスタイン家に生まれた娘たちも結婚はしてい る。けれど、結婚と同時にほぼ絶縁状態になる。傍流を作らない、それは爵位がないからこそ父が拘る部分なのだろう。シルヴァスタインの名を継ぐ者だけを残 す。根を広げるよりも、深く太い1本の根を育てあげること。

 名家に生まれたものの教養として、幼い頃から、家にはいろいろな教師が呼ばれた。礼儀作法、教養。それを父は愛情と呼ぶだろう。実際、私は何不自由なく 育った。絹の服、絹の寝具、宝石をあしらった装飾品。召使いが運んでくる紅茶は、いつだって薔薇の香りがした。
 けれど、父は一度も私の目を見なかった。
 父の前では、私はいつも『いない者』として扱われた。父の興味はただ1つ。兄のことだけなのだ。兄の支度をするついでに、私のことも時折思い出す。そし て、そんな時には新しいドレスが1着届く。それだけだった。
 仕方がないのよ、と。そう言ったのは母だ。この家に嫁いで、母は男子を産むことだけを義務づけられていた。最初の子供は流産してしまったと言う。そして その後、何年も子供が出来なかった。周りからの重圧に耐えきれなくなる寸前に身ごもり、そして出産したのが兄だ。母は、それで解放された。この家の……そ して父の考えを熟知しているからだろう。仕方がない、そんな台詞が出てくるのは。


◆ ◆ ◆


 6つか7つ。それぐらいだったと思う。あまり話したことのない兄と、視線が合った。私は礼儀作法の授業を終え、庭でくつろいでいた。その時、渡り廊下を 歩く兄と目があった。
 いつも背筋を伸ばし、声を荒げることのない穏やかな兄。私とよく似た艶やかな黒髪と、闇のような瞳。14才とは思えない、落ち着いた視線。私がそれまで 兄に抱いていた感情は畏怖だった。畏怖と、そして、おそらくは憧れ。父の愛情を受けていることに憧れたのではない。そんなものとは切り離した部分で、私は 兄に憧れていた。
 私を見つけて、わずかに微笑むその顔が綺麗だと思った。未だ筋肉の育ちきっていないしなやかな四肢も、かすかに癖のあるその黒髪も。
 ただ、残念に思うのは、その瞳を彩るものだ。兄はいつでも、私と視線が合うと、微笑む。穏やかに。少しだけ哀しげに。その瞳にあるのは、哀しみといたわ り、そして、それでも私を羨ましいと感じているような、そんな色。
 哀しみといたわりに対してなら、私は応えられる。私は大丈夫。父に愛されてはいないかもしれないけれど、決して邪険にされているわけではないから。だか ら、大丈夫。
 けれど、羨望の視線は。

 幾度となく視線を交わし、いつしか私にはわかるようになった。兄の羨望の意味が。
 この家を継ぎたくないわけではないだろう。けれど、兄はそれよりももっとやりたいことがあったのではないだろうか。
 生来、穏やかな気質の兄は、自然学の書を読むのを好んだと言う。兄と私の両方を教えていた教師がそれを教えてくれた。
 兄はおそらく、別の何かになりたかったのだろう。けれど、父がそれを許さなかった。そんな父に逆らうこともなく、ただ受け入れるだけの自分を不甲斐なく 思ったのかもしれない。だが、私はそれを責められなかった。幼い頃から、そうであるように仕込んだのは父だ。それ以外の道を示すことはなく、ただ1つの道 だけを許した。そしてその道を進む以上は、何もかもを与えた。


◆ ◆ ◆


 10才の頃から教わっていた下位古代語を、会話方面はぎこちないながらも、習得できたのは13才の頃だった。16才になれば、社交界へデビューする。そ うなれば、どこかの御曹司の目にとまるかもしれない。女はそうやって生きていくのだと、母が教えてくれた。けれど私は、古代語習得のために読んでいた本の 一節に心惹かれていた。


 ──私が抱いたのは、飢餓感というものかもしれない。それは何かを超越する力へ の強烈なる飢餓感。求めていたのは、まさに超える力だ。生来の私に何かが欠けていたとは思わない。けれど、飢え渇き、求める心があることは否定できない。 否、欠けていたのだろう。何が欠けていたのか、今となっては分からないけれど、確かに私の心には何かが欠けていた。だからこそ私は求めた。そして手に入れ た。


 飢餓感。その言葉に、私の心は震えた。それは、魔術を修めた者が書いた随想のような1編だ。彼が手に入れたものとは、魔術なのだろう。古代の言葉と技で 操る魔術。それは、超越する力だ。そして、それこそが彼の求めていたもの。
 何もかもを超える力。それがあれば、私は私を取り巻く状況を変えられるだろうか。兄を取り巻く状況を変えてあげられるだろうか。
 兄と、替われるものならば替わってあげたいと思った。私自身、剣など手にしたことはないけれど、それでも、兄と交わる視線はいつも哀しげだから。その哀 しみが少しでも和らぐのなら。
 何不自由のない生活で、それでも私は飢えていたのだろう。渇いていたのだろう。愛情に飢えていたなどと青臭い台詞を吐くつもりはない。愛情はあった。母 からも兄からも。そして、形こそ違うものの、父からさえも。
 だから、その本の一節は、私を惹きつけてやまなかった。
 欠けていたとは思わない。けれど、何かが欠けていなければこれほどの飢餓感は覚えなかったろう。
 力が欲しかった。超越する力が。
 そして、私は求めようと思った。


 黒皮の表紙の本を撫で、私は思いを馳せた。社交界デビューなどどうでもいい。どうせ父は私の嫁ぎ先などに興味を持たないのだろうから。シルヴァスタイン の名を汚さない程度の家に嫁ぐならば嫁げばいい、その程度なのだろうから。
 ダンスを覚えるよりも、話術を覚えるよりも、小首の傾げ方の角度や指先を頬に持っていくタイミングを覚えるよりも。何よりも私は、力を求めた。
 その日の夕方。
 兄が亡くなったとの報を受けた。


 既に成人し、騎士見習いとして任務についていた兄が、派遣されていたのは辺境警備だ。正規軍が出動するほどのものではなかった。だからこそ、騎士見習い たちの訓練としては絶好だと、上はそう考えたに違いない。
 何が起こったのか……詳しくは教えてもらえなかった。ただ、訓練中の事故だと聞いた。剣の訓練をしていたとか、偶然に仕事帰りの山賊達が通り、それを詰 問したところ返り討ちにあったとか、天候が悪く土砂崩れに馬ごと巻き込まれたとか。よくはわからない。わかっているのは、あの哀しげな瞳をした私の騎士は もう二度と帰ってこないということだけだった。
 跡継ぎを喪い、悲嘆に暮れる父親が立ち直るには数日の猶予が必要だった。
 そして、立ち直った彼が一番先に目をつけたのは私だった。
 ──女騎士でも構わぬ。いや、婿をとらせてその婿に継がせるのも良いだろう。
 耳を疑った。
 私の目を、生まれて初めて、私の目を正面から見据えた父が口に出した言葉は。
 驚いたことに、私の中に生まれた感情は、悔しさでも憤りでもなかった。それは、哀しみだった。兄が駄目ならば妹を、と。

 ……お兄さま。貴方が何もかもを諦めて進もうとした道は。貴方の哀しい決意は。

 兄は私を羨んだ。少なくとも、父から自由であるというその1点だけで、兄は私を羨んだ。全てを手にしているはずなのに、何も持たない私を羨んだ。それが 彼の我が儘であるとは私は思わない。捨てる勇気のない意気地なしだとも思わない。
 だからせめて、私は兄が羨んだとおりに。


◆ ◆ ◆


 家を出、それまで私に下位古代語を教えてくれていた師のもとへ転がり込んだ。何がしたい、と問う師に、私は魔術を覚えたいと答えた。
 師は、私に更に問うた。
「魔術を覚えるということは、人を超える力を手にするということだ。人から疎まれることもあるだろう。世間はまだまだ、魔術に対して寛容とは言えぬ。クレ ア・シルヴァスタイン。貴女にその覚悟があるか」
 あります、と答えた。
 それこそが、私の求める力です、と。
「何のためにそれを望む」
 柔らかな眼差しで、けれど一切の誤魔化しを許さぬ口調で問う師。

 ──自らを蝕む飢餓感を埋めるために。力を得て、何が変わるのかそれはわからない。結局、私は何も変えられないのかもしれない。けれどせめて、飢え渇く ことのないように。

 13才だった。世間というものを何も知らなかった。けれど、身につけていたものと、持ち出した幾つかの宝石の全てを処分すると、かなりの金額になった。 その全てを師に預け、私は師の家に住まわせてもらった。

 シルヴァスタインの名を捨てなくても良いのか、と師に聞かれたことがある。私は首を振った。
 家名など、もともと私には何の意味もなかった。捨てなければ生きてゆけないとまで思う、そんなこだわりすらなかったのだ。父が、後継をどう探すのかは知 らない。けれど、ひょっとしたら父の代でシルヴァスタインの家は絶えるのかもしれない。それならそれで構わない。ただ、私があの家で生まれ育ったことは事 実だ。そして、後継となるはずだった若き騎士──未だ見習いではあったけれど──と、庭で交わした視線を私は覚えている。その思い出まで捨てるつもりはな いから。

 師は、それ以上問わず、私に上位古代語を教えてくれた。そして、私が預けた金銭をもとに、学院への入学手続きも取ってくれた。
 師の屋敷の一室で、そして学院の寄宿舎の一室で。着る服も寝具も絹ではなくなっていたけれど、紅茶も薔薇の香りではなくなっていたけれど、私は満足だっ た。
 寄宿舎暮らしの時も、師は時折、私に差し入れを持ってきてくれた。家から持ち出したものでは授業料を贖うだけで精一杯だったから、生活のために私は自分 が出来る限りの仕事をしていた。師が差し入れてくれる食べ物や服、そして時には現金。心苦しく思いながらも、生きるために私はそれを有り難くいただいた。
 それが、実は師からだけではなく、父に隠れてこっそりと、母が師に仲介を頼んでいたのだと聞いたのは、正魔術師になった頃だ。
 母は、父を捨てた私を責めてはいない。
 杖を貰った時よりも、正魔術師の試験に受かった時よりも。何よりもそれを知った瞬間が嬉しかった。家名を捨てなくて良かったと思った。あの母の娘である と言えることが。


◆ ◆ ◆


 あれから17年。先月、導師認定試験を受けた。
 師が、微笑みとともにその結果が入った封筒を渡してくれる。
「クレア・シルヴァスタイン。貴女は……まだ飢えているか」
 問われる言葉に、私も笑み返した。
「ごめんなさい。あたし、欲張りですの」
 その部分は、父に似ているのかもしれない。






  


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