あ なたに逢いたい
( 2003/10/13)
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作者
琴美
登場キャラクター
ユーニス
初めて出会ったその刹那、不思議な予感に胸が高鳴った。
驚きと喜び、ときめきと不安が私の心を揺らしていた。
それは、まごうかたなき始まりの瞬間。
もういちど、そんなときめきを知りたい。
今、私は新たな出会いを求めている。
*****************************************
〜 500年 エレミア西部:海沿いの街〜
その年の夏、体を壊した母の静養を兼ねて、私たち一家は海沿いの小さな街を訪れた。
住居のある王都近郊から数日離れただけなのに、街の傍らを流れる川と点在する泉の恩恵ゆえか、その町に吹くのはよく馴染んだ砂交じりの風ではなく、潮と 緑の香りを運ぶ優しい風だった。
初めて触れた他の町の空気、水、土。何もかもが珍しくて、ごくありふれた町並みさえもきらめく宝の詰まった箱のように見えて、幼い私は興奮していた。特 に宿の近く、街の中央広場に据えられた「それ」は私の興味を惹いた。
「ねぇ母さん、あそこで遊んでもいい?」
母の服の裾を引いてから私が指差したそれは、円形の大きな噴水だった。隊商の馬のために設けられた水呑み場であったが、よく見られる大きな水桶ではない のがこの街の水資源の豊かさを物語っていた。
中心にひざまずく少女像が抱える水瓶からは、間断なく水が流れ落ちる。その清らかな佇まいは街の人々にとっても心地良いものらしく、本来の目的から離れ て、憩いの場としても親しまれているようだった。
今にも走り出しそうな構えで母を見上げる私。母は水を汚さないようにと言い含めると、笑って私を送り出してくれた。返事を聞くや否や、私は噴水に向けて 駆け出す。
母は近くの店で飲み物を買ってきた父親に促されて木陰のベンチに腰を下ろし、そんな私の姿をにこやかに見つめていた。
「わぁっ、冷たくてきれい! きらきらしてる」
石造りの噴水の縁によじのぼり、最初は小さく水面をかき回していた指が、その心地よい冷たさに魅せられて両掌いっぱいに水をむすんでは水面に落とすよう になる。夏の日差しが水の冷たさを一層際立たせ、小さな手に掬い上げたそれを金剛石の塊のように輝かせた。
実際、それは砂塵の舞うこの国では、時に宝玉と等価とも言える輝きであった。
そうして遊んでいると、既にその場で遊んでいた地元の子供たちが寄って来て、噴水の縁で遊ぼうと誘ってきた。彼らに提案された濡れた縁を走りまわる遊び は他愛もないものであったが、子供のいたずら心をくすぐり魅惑するのに十分だった。
初めての街、初めての出会い、初めての遊び。
「うんっ、遊ぼう」
私は勢い良く頷いて、所々苔むした噴水の縁から下にいる子供たちに笑顔で手を差し出した。
噴水の縁の高さは馬が水を飲みやすいように幼子の肩ほどもあるが、子供にとっては周囲の装飾を足がかりに上ることなど造作もない。すぐによじ登った 3〜4人の子供たちが、誰かの合図を機に縁をぐるぐると走り始める。ただ走るだけなのに、それは心弾む喜びを子供たちに与えていた。
噴水は高さの割に意外と浅く、底部の石の白と苔の緑を胎内に抱いて揺らめく水面は、青空を映しとって輝いている。
父の肩の上よりは低いけれど、高くていい気持ちの場所。足元には水面に映る青い空と白い雲。吹き抜ける風と水の香り。あたかも空を走っているような心地 を覚え、夢中で私は駆けた。他の子供たちも同様に感じていたらしく、噴水は時ならぬ歓声につつまれた。
幼い歓声が沸きあがる中、走り回る子供たちが次々に前の子供に追突し、濡れた足場から水しぶきを上げて噴水に落ちたのはほんの少し後のことだった。
「怪我がなかったから良いようなものの……水を汚しちゃだめって言ったでしょう? 水がどんなに大切か、知ってるでしょうに。罰として今日はおやつ抜 き」
夏場のこと、噴水に落ちて全身濡れ鼠の子供達はむしろ心地良さそうに笑っていたが、母親たちの容赦ないひとことにすっかり打ちのめされた。先ほどまでの 勢いは失せ、水を滴らせながら悄然と立ち尽くしている。
それにしても、どうやらこの街は、豊かな水資源が人の心まで潤しているらしく、母が懸念した水を汚したことに対しても、さして咎め立てをされなかった。 噴水が馬の飲み水用だったことも幸いしたようだ。しきりに頭を下げる私の両親に周囲の母親達は笑って応じ、それを機に二人を誘って仲良く談笑を始めてし まった。さきほどの「おやつ抜き」も、戒め程度の調子であり、厳格な裁きというほどのことはなかったのだ。
その和やかさが伝わったのか、子供達もいつしか元気を取り戻し、炎天下の陽炎舞う中、また遊び始める。私も地元の子供たちに遊びに誘われて、夏の昼下が り隠れ鬼を堪能した。
日が傾いてから宿に戻った私は、興奮しながら今日の遊びの成果を母に報告した。
自宅の周りでは見られない珍しい虫がいたこと、木々が青々と茂って登りやすかったこと、色鮮やかな花が咲いていたこと。土産にと摘んで来た小さな赤い花 を差し出しながら、擦り傷の手当てをしてもらう私の顔は今日一日で赤く日焼けしていた。
「でね、ジャンが木に登る女の子はあんまりいないよ、っていうんだよ。登ってもいいよねぇ。あんなに楽しいんだから」
「ユーニスは父さんと一緒に森や野山を駆けているからそれが普通だと思ってるかもしれないけれど、ほんとうは珍しいことなのよ」
「棒振りごっこもしないんだって」
「それも、父さんの影響よねぇ」
母の困ったような笑顔に、ふと私はもうひとつ気になっていたことを思い出した。昼に怒られた噴水にかかわることでもあり、おずおずと切り出す。
「ねえ、噴水に落ちたときなんだけど……水の中から見えた”噴水の女の子”が笑ったの。そういったらみんなが笑うんだよ。絶対笑ってたのに」
「”噴水の女の子”って? ああ、石像のことね。もともと可愛らしく笑ってる像じゃない。水を通して見たから笑って見えたのじゃなくて?」
母が首を傾げるのを見て、珍しく私はむきになって反論した。絶対本当だと信じていたからだ。
「だって、くすくす笑ってる声が聞こえたもん、すっごく楽しそうだった。それでびっくりしてわあっ、って言ったら水でむせちゃったんだよ。水から頭を出 して起き上がったら元通りの女の子だったけど。他の子は水に落ちてびっくりしてたから誰も笑ってなんかいなかったし、絶対あの女の子だと思うんだけど なぁ」
「…………もう少し詳しく聞かせてちょうだい」
その後は母にいくつかの質問をされた。今までそういうことはあったのか、見え方や聞こえ方、感じ方……など。
私は思ったまま、感じたまま正直にそれらに答えていった。答えるにつれ、母の表情は少しずつ翳りを帯びていったのだが、見たことを信じてもらえる嬉しさ に夢中で、幼い私はそのことに気づかなかった。
夜、私が夢の中にいる頃、両親は私の寝顔を見ながらいろいろ話し合っていたらしい。ある種の熱を伴って語る父と、苦しそうに反駁する母。二人が話し合っ て出た結論は、
「この子には、成人するまで精霊使いの修行はさせません。そのかわり、お義父さまの弟子として仕立てを学ばせましょう。できるだけ、普通の子供として 育って欲しいから」
……というものだった。
その後、母の切なる願い――普通の女の子に育って欲しい――を裏切るように、私は剣と弓の道を選んだ。それでも、母は私自身の決断を尊重してくれた。だ からこそ、母は私に10年間告げずにいたことを教えてくれたのだ。
自分が精霊使いとして立てる存在であり、あの日、噴水の中で聞いた笑い声が水乙女のものだったと知ったのはそのときだ。邂逅から10年。やっと私は精霊 使いへの道を歩みだしたのだった。
〜 515年 6の月 エレミア 〜
一年ぶりに墓参りのためにオランからエレミアの祖父の家に戻った。故郷のその町は一年前と変わることなく、砂交じりの風を受けてざらついていた。そう、 街自体は変わっていなかった。
変わったのは私のほうだった。この街にも精霊力が満ちていることを感じ取ったのだ。当然過ぎて笑える事態だが、そんな当然のことに驚愕した。
もちろん一年前、この街を出たときもそれなりに精霊の存在を感じ取ることが出来た。しかし、実際に精霊を使うようになってから訪れたこの国は、自分の良 く知る故郷とはまったく異なる様相を私の前に呈していた。それほどに、自分の精霊感知の力は鈍く霞がかかっていたのだろう。
今は亡き母が私に「精霊感知と言葉の聞き取り」に専念するよう厳しく言いつけたのはその辺りにも理由があるのかもしれない。弟子には厳しく、精霊には優 しい人だったから。
昔、精霊と私の間には、まるで庭を豪奢なレースのカーテンと板ガラス越しに眺めるような距離があった。厳然たる隔てが私の前に立ちはだかっていたのだ。 それゆえに私を取り巻く世界は、確かに存在するのに手を触れられないガラス越しの木々、風、小鳥たちのようにどこか虚ろな部分があった。
精霊に呼びかける手段を得た私は、今ははっきりと彼らを捉える集中の仕方を知っている。感覚を切り替えれば、そこに火蜥蜴の吐息を見出し、精霊達の気配 を嗅ぎ取ることが出来る。それによって、私を包み込みながらたゆたう霧は随分晴れたのだ。今ならわかる。世界に満ちるそれらを。
物質界と精霊界、その狭間の扉は越えられずとも、ごく薄いカーテン越しに相手を抱きしめることは出来る。相手が世界中に満ち、私たちを抱擁していてくれ るなら、抱き返せばいいのだ。
霧から抜け出して目を見開いたとき、懐かしいその街には、数え切れないほどの神秘が広がっていた。
砂交じりの風に舞う風霊の羽衣。
わずかに身を縮めながらも地を潤す水霊のみ髪。
砂漠のみに飽き足らず地を焦がす火霊の吐息。
それらを受け止めつつ身を粉にして働く地霊の胸。
すべてが、明確に己に迫る。精霊のあらあらしい抱擁を身に受けていることを実感させられる。
そう、私をとりまく世界は、こんなにも深い意味に満ち溢れている。
その実感を確かめながら、長年過ごした故郷を見知らぬ街を探検するかのように歩き回った。
懐かしい人々と旧交を温め、ここは故郷なのだと再確認をしながら、全身で街を感じた。
この体験はきっと私の宝物になる、そう思った。
精霊使いになったのはオランでも、精霊と出会ったのは紛れもなく故郷エレミアだし、精霊魔法の最初の師匠だった母が、父と共に眠るのもこの国だ。
ふるさとで得たこの感覚の変化は、いずれ新たな力を手にするとき、さらなる感慨を持って私に再度訪れるような、そんな予感がした。
母が感じていた世界にやっと触れることが出来た喜びを母の墓前に報告してから、私は大切な故郷とそこに住まう人々に別れを告げた。
自分が見出した「もうひとつの帰るべき場所」に戻るために。
〜 515年 10の月 オラン 〜
今ふたたび、私は「賢者の国」の王都にいる。オランに戻ってからの私には、様々な変化が訪れた。その最たるものが傭兵ギルドへの登録だろう。
現在師事する老師匠が嘆きを以って受け止めたその事態は、亡き両親もまた喜ばないであろうことが想像できた。それでも私は、その道を選んだ。自分の道を 切り開くために。
傭兵ギルドに登録してから一ヶ月ほどが過ぎた。
当初は一日の訓練を終えると節々が痛み、ようやくたどり着いた下宿で泥のように眠ることもしばしばだったが、最近は体のほうも少し順応してきたらしい。 いくらか軽い足取りで酒場に向かえるようになった。
オランに来て二度目の秋。今年も実り豊かな野山を駆け巡れるだろう――戦場に赴かなければ。
「秋の日は釣瓶落とし」と誰かが言っていた。ギルドでの訓練を終えて辿る道にももはや闇の帳が落ちている。闇霊が光霊を蹴散らして、街を支配する時刻。
こんなにも闇霊に満ちた世界なのに、私はまだ彼らに声を届けられない。存在を感じるのに、その震えを自分の心に見出せるのに。彼らもまた、カーテンと板 ガラス越しの風景のように遠い。
寄り道をして、噴水広場に足を伸ばした。夜の噴水は水門が閉じられているらしく、闇色のしじまを湛えて密やかに佇んでいた。水面に映るのはあの日の青空 ではなく、深淵に続く闇と西方にかかる細い月。
噴水の縁に腰掛け、片手で水面の月を掬いあげる。水面が乱れて月が光の帯になり、形を失う。
ややあって、たなごころに残るのは、闇の中の光、闇に食まれた暗い月。あの日の風景とはごく対照的な幽玄の美と、体の芯を凍えさせる水の冷たさ。
噴水は私にたくさんの出会いをもたらした。精霊と、師匠と、想い人。けれど未だ闇霊と光霊には出会えない、抱きあうことが出来ない。こんなに求めている のに。
師匠は私に告げた。「火霊を制してこその困惑の子鬼、闇を制してこその光」と。
想い人は剣に灯火の魔法をかけてくれた。闇夜を歩く私に「これで護衛もいらぬだろう」と。
そんな私はまだ、闇も光も手にしてはいない。
昨年の冬、ここで宣言した「剣と精霊、どちらも一流になる」その決意を変えるつもりはない。むしろ今、私の胸の中には精霊をつかう力すら自らの刃に、と の気概が満ちている。ならば弱気になって闇も光も手にしていない自分を恥じるより、前に進まねば、と思う。
精霊を刃にと考えることの是非は判らない。けれど、私が一生戦い続ける心を持つならば、必ず辿る道のひとつなのだと思う。戦う力となる「それ」を手にす るのは、自ら剣を取るのと何ら変わりがないから。
手の中の水がすこしずつ零れ落ちるのを感じながら、傭兵となった経緯を思う。
切欠は、カレンさんの病気の際、癒しの力について悩む彼を知ったこと。相棒のラスさんが、そっと教えてくれた「癒せない苦しみ」の話は、ただ憧憬の念で 癒しを捉えていた自分を恥じさせ、続けて突きつけられた「癒しのもう一つの側面」は、重い命題を私に与えた。
癒しの力は使い手の心次第で刃にもなる。それは緩慢に死を与える残酷な刃。その刃を使いこなす心構えが自分にあるのか? と。
そのとき私は「癒しの力を得ながらも、その冥い側面を相手を赦さない手段として使ってしまうかも知れない」と確かに答えた。それは、自分の本質が「剣」 であり「癒し手」ではないことの何よりの証だと思う。そんな自分の内側を、私はまだ、正直受け入れ切れていない。
癒しの力を得るにはまだ遠い。その前段階の闇霊と光霊に声を届けられないのだから。それでもいずれそのときは来るはずだ。それまでに、私は自分を見定め ねばならない。
剣として、その力を振るうであろう自分をはっきりと。
だからこそ、私は否応なく剣を振るう場に身をおく決心をしたのだ。
先日、傭兵ギルドに伝令が来た。北への派兵に際し輜重兵に充てる人材が不足する見通しとのことだ。ミードでは現在、本来戦力外のような経験の少ないもの にも訓練を施しているため、逆に雑役や補給に割ける人材が不足しているという。そのため、冬になる前に先の募集で外された顔ぶれの中からでも、ある程度人 数を派遣して欲しいとの要請だった。
前回の募集の際は諸般の事情で免れたが、今回は行かざるを得ないだろう。初めての戦場が厳冬の北国とは運がないのかもしれない。それでも自ら戦いの場に 身をおいて剣の意味、戦う意味を見出そうというなら、贅沢は言えないし、言う気もない。
袖に伝う水の冷たさに我に返り、空を見上げ、そしてまた水面に視線を落とす。
水の少女はいつも「ここ」にいた。そして、私に手を差し伸べていた。
初めて彼女の手を取れたとき、私は「ずっとここに居たんだね」と笑って彼女に告げた。彼女も笑いながら応えてくれた気がした。
いつかそんな風に、闇霊と光霊に言えるだろうか? 「ずっとそこに居たんだね」と。ずっと居てくれたんだね、と。
……否、言えるだろうか、ではない。言ってみせる。そう決めたのだ。
だから、今、私は勇気を奮い立たせる。
何があっても必ず生き抜いて、歩き続ける。遠い星や月を掴むような道のりでも、必ず歩ききって見せる。
そのために宣言する。昨年の冬、一つの宣言をした場所で、もう一つ。
必ず生きてここへ帰ってきてやる、と。
銀の月と宵の星だけが、手に受けた噴水の水を口にする私を見ていた。
体温でややぬるくなったそれは、青空の下で口にした水とは異なる、鋼のような味がした。
誓いの儀式を終えるように飲み終えた後、私は噴水広場を後にして、もう振り返らなかった。
あなたに逢うまで、そしてその先にたどり着くまで。
私は絶対死なないよ、シェイド……そしてウィスプ。
<終>
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