出来ない約束
( 2003/10/30)
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作者
MASASHIGE
登場キャラクター
リドリー
新王国歴493年春 オラン
「人の子などすぐに産まれるだろう。本当にあの約束で良かったのかい?」
ラーダ神殿のある太陽丘、その近くにある住宅街を後にしながら、片耳の女半妖精が抑揚のない声で尋ねた。
尋ねられたのは隣を歩いていた人間の男。手を頭の後ろで組みながら、彼はさも面倒臭そうに答える。
「あん?まだまだかかるって。そりゃお前らにとっちゃすぐかも知れねぇがよ。人間にとっちゃ長い長い。その頃になりゃ、俺の遺跡への情熱、ってヤツも消え てるかも知れねぇしよ。ほら、孫は可愛いって言うし、そっちの世話にかかりっきりになるかも、だろ。ま、何にしても20年は後のことだ。そんな先のこと今 から考えてもしょうがねぇって」
男の答えを聞いた半妖精は、本当にすぐだと思うけどね、と一言呟いたが、その言葉を男に聞かせるつもりはなかったらしく、風に乗せて消してしまった。
「ま、何にしても戻ろうぜ。あいつらが待ってる。それに、ブランプの野郎も待ってるぜ、俺らに小遣いやるためによ」
半妖精の言葉を聞けなかった男は、会話を打ち切るように大声でそう言うと、その太い足をパダへ、そしてその先にある、大陸最大の遺跡レックスへと向け た。
男の名はリドリー・ワイゼン、半妖精はウェシリンと言った。2人は共に、パダを塒とし、墜ちた都市を仕事場とする冒険者、“穴熊”であった。パダの “中”で頭角を現し始めた彼らを、そこの人々は“暴れ牛(ムスタング)”リドリー、“片耳”ウェシリンと呼んだ。そして2人の属する冒険者集団は『黄金の 六人』の名で呼ばれていた。
――――――――――――――――――――
それから20年。新しい仲間を得、力及ばなかった仲間を失い、彼ら自身何度も生死の境を彷徨いながら、それでも2人はパダにいた。『黄金の六人』が解散 しても彼らは穴熊で在り続けた。20年の歳月と、それと共に培った経験は、暴れ牛を面倒見の良い巨梟へと変えたが、本質的に彼が穴熊であることを変えるも のではなかったし、ましてや、片耳で在り続けた半妖精を変えるものではなかった。むしろ、時を重ねる程に彼らは穴熊としての風格を身につけていった。20 年という時が流れても、彼らはまだまだ辞める気すらなかった。例えリドリーに何度そのきっかけが訪れようとも、彼はそれを遺跡への情熱でねじ伏せた。
その情熱という言葉で幾度となく辞めるきっかけから逃げ続けた男を、逃げられない約束が待ち受けたのは、彼が馴染みの店で飲んでいた時であった。
――――――――――――――――――――
――新王国歴514年春 パダ『斧と槍亭』
「あ、リドリーさん、手紙預かってるっすよ〜」
奥の厨房から顔を出し、『斧と槍亭』の店員チャーリーが、1人カウンターで飲んでいたリドリーにそう声をかけた。
「また娘からだろ?ああ……ったく……」
そう言いながらもどこか嬉しそうなリドリーを見たチャーリーは、にやにやしながら一度そのにきび顔を引っ込め、手紙を持ってカウンターまで出てきた。
「はい、これです。奥さんの名前も書いてありますけど」
チャーリーがそう言いながら出した手紙をリドリーは奪い取るように受け取り、己の懐にねじ込んだ。そして辺りを忙しなく見回してから咳払いをし、椅子に 座り直す。パダで戦士として20年以上生きてきたその男の、その妙に愛嬌のある仕草に、チャーリーは思わず吹き出した。
「ぷっ。い、今更娘さんたちからの手紙隠しても遅いっすよ〜。リドリーさんが娘さんに頭上がらないことなんて、パダじゃ常識っすよ?」
「じゃかあしい!はったおすぞ!!」
茶化したチャーリーの言葉に対して照れ隠しのように叫んでから、リドリーは席を立った。カウンターに飲んだ分よりも多めに代金を置くと、お盆を顔の前に 構えてガードしているチャーリーに向かって言う。
「何してんだ?…まぁ、いいや。上使うぜ?一室空いてんだろ?今夜はここに泊まらぁ」
お盆の横から顔を出し、チャーリーが答える。
「え?あ。いや、店長だったらここで何か飛んでくるんで。と、はい。分かりましたー。どうぞー、これ鍵っす〜。一番奥空いてますからー」
きょとんとした顔から、接客スマイルに変わったひょろりとした店員の調子の良さに苦笑しながら、リドリーは2階へと上がっていった。そわそわと、しかし ゆっくりと一歩一歩階段を上る大柄なその男。腹周りに少し肉が多めについたその後ろ姿は、彼の二つ名の通り、大きな梟のようであった。
「ホント家族のこととなると……って、いたー!!て、店長、さっきの聞こえてたっすか〜〜……」
後ろから飛んできたタマネギを後頭部に食らって、チャーリーが前のめりに倒れる。奥の厨房から聞こえた店長ラモルウッドの、フンッ、という荒い鼻息と、 いつも何か投げつけてるみたいな言い方しやがって、という理不尽な呟きを最後に、チャーリーの意識は途切れた。
2階に上がり、慎重に足を運ぶ。それでもぎしぎしと音を立てる廊下に顔をしかめながら、リドリーは一番奥の部屋へと入った。入ってすぐに扉を閉め、しっ かりと鍵を閉める。
扉の鍵が閉まっていることを二度確認し、一度大きく深呼吸をしてから、リドリーは堅いベッドに腰を掛けた。そして懐から折れ曲がった手紙を取り出すと、 丁寧に封を切って読み始める。
いや、読み始めようとした所で目が止まる。点になる。
『赤ちゃんが出来ました』
簡潔にそう書かれている。いつもの小言は殆どなく、淡々と書かれた手紙。そして娘の署名の後に添えられていたのは、妻から彼への釘をさす言葉。
『約束、果たしなさい』
そこまで読み終えたリドリーは、手紙を両手で持ったままベッドに倒れ込んだ。ドシン、という大きな音と共に宿が揺れる。埃が舞い、パラパラと木屑まで落 ちてきたが、全く意に介さず彼はこう呟いた。
「あっという間だぜ、20年なんてよ」
片手を額に当てて、巨梟はただ呆然と天井を見つめていた。
脳裏に焼き付くように残っている約束を思いだして、彼は大きく息を吐いた。
――――――――――――――――――――
――新王国歴493年春 オラン ワイゼン宅
「ま、孫が生まれたら!孫が生まれたら冒険からは一切足洗う!!」
土下座をした態勢のまま、リドリーは自分でも苦しい言い訳をした。
産まれたばかりの、産んだばかりの赤子を抱えて立ち、冷ややかにその男の後頭部を見つめながら、彼の妻アデリは静かに、だが凄みのある声で確認した。
「本当、ね?」
その声に戦慄しながら、震える声で返すリドリー。
「ま、間違いない!やめるやめる!孫が産まれたら辞める。や、辞め…ます」
捲し立てながら顔を上げたリドリーは、彼にとっての死の女神の冷ややかな視線を見て後悔し、すぐに視線を自分の膝へと落とした。壁にもたれ掛かってその 様を見ていたウェシリンが、暴れ牛の見る影もないね、と呟いたが、当事者2人は全く聞いていなかった。
「結婚したら辞める、子どもが出来たら辞める……どっちも出来なかったわね。確かに女遊びはやめたようですけど」
ちなみにリドリーが女遊びをやめたのは、彼女が“その道のプロ”に素行調査を依頼したからであり、約束とは関係がない。その辺りの事情を全て踏まえた上 で、彼女は続ける。
「で、出来そうもない近場の約束はやめて、言うに事欠いて“孫が生まれたら”?」
一言一言に押しつぶされるようにリドリーが小さくなっていく。その様子を見ながら、アデリは溜息をつくと、傍目には優しい微笑を浮かべて言った。
「ええ、いいわ。この子が大きくなって、結婚して、孫が生まれて、私たちがお爺ちゃんお婆ちゃんになったら、やめてくださいね?絶対に」
一言一言、リドリーの心に刻みつけるように言い渡し、最後に嘆息しながら一言付け加えた。
「それまで、無事でいてください。ね?」
――――――――――――――――――――
――新王国歴515年春 オラン ワイゼン宅
窓から降り注ぐ温かい陽射しの中、リドリーは頬杖をついて寝そべっていた。
目の前には揺りかごに収まった可愛い赤ん坊がいる。すやすやと心地よさそうに眠るその赤子、彼にとっての孫を見ながら、リドリーは呆けていた。
娘と妻からの手紙を読んですぐにオランへと戻った後、有無を言わさない態度の妻を宥めながら引退し、魔法の品を含めて使っていた装備は全て売り払われ、 リドリーは約束通り穴熊から足を洗った……のが半年前。
2人して買い物に出掛けた妻と娘に頼まれて、今は孫の世話をしていた。
「ふぅ……」
大きな溜息をついて、揺りかごを揺らす。
「ふぅ……」
繰り返す。
「ふぅ…………………っと。ととと」
そのまま寝入ってしまいそうになった身体を起こす。彼が触れていた揺りかごが大きく揺れる。リドリーは慌てて揺りかごを止めて、中を覗き込んだ。赤子は 何事もなかったかのように眠っている。
「ふぅ……」
先程とは違う安堵の溜息を漏らし、リドリーは思わず顔を綻ばせた。が、その次の瞬間にはまた退屈そうな顔をして寝ころび、その心の裡を表すかのように長 く息を吐いた。
「……ふぅぅぅぅぅ」
「退屈そうだね、リドリー」
「う、うぉおおお!?」
突然背後から聞こえてきた声に動転し、思わず飛び上がるように身体を起こして振り向くリドリー。そこには、涼しげな表情で立つウェシリンがいた。狼狽し たリドリーを気にも留めず、続けて聞いてくる。
「アデリは?」
前置きなく用件を伝えてくるウェシリンに、一度咳払いをし、狼狽えた自分を落ち着けてからリドリーは答えた。
「あ、ああ。娘と出掛けてる。買い物だとさ。俺は…留守番だよ」
そうか、と短く答えてウェシリンは家に上がってきた。そのまま奥の押し入れまですたすたと歩いていく。
「用件は?伝えとくが」
「預けていた物が必要になってね。返して貰いに来ただけさ。自分で探すよ」
そう答えてから四つん這いになり、ウェシリンはごそごそとこの家にある彼女の私物入れを漁り始めた。必要のない物を無造作にそこいらに投げ捨てていく彼 女を目を細めて羨ましそうに見て、リドリーは今日何度目かの――そしてここ数ヶ月止むことのない――溜息をついた。
リドリーとの出会いから25年以上その姿を変えずにいる金髪の半妖精。リドリーは知っている、彼女の内面が随分と変わったことを。出会ってから何度も彼 女と共に遺跡へと潜った経験と記憶があるリドリーはそれを知っている。そして彼女が自分と同じ時間にいることを知っている。だがこの時のリドリーには、目 の前で私物を漁り続けるウェシリンが、20年前アデリと約束を交わした時のままで現れたかのように思えた。彼女との間の決定的なズレを感じ、リドリーは嘆 息して下を向いた。
「退屈そうだね」
その様子を気付いていたのか気付いていなかったのか…目当ての物が見つかったウェシリンは放り投げた物を仕舞いながら、俯いているリドリーに言葉を投げ た。
「ん……ああ……あ、いや、別にそんなこたねぇ。孫の世話もあるし、な」
目の前の半妖精から目を逸らして、リドリーは歯切れ悪くそう答えた。彼は、所在なく目をきょろきょろとさせてから、目の前の揺りかごに眠る孫へと目を固 定させ、座り直して胡座をかいた。座り直す時に、ウェシリンの横に置いてあるほこりを被った像に目が留まった。
左右非対称に手が7本生えているその像は、5年前レックスに潜った時に彼らが得た物だった。どこに持っていっても引き取って貰えず、気に入ったと言った ウェシリンが持っていき…結局はリドリーの家に放り込んだものだった。
「それの使い道が……分かったのか?」
「ああ。これがあればネフェルの神殿跡地の罠と鍵を第2階層まで解除出来るらしい。キャロモの調べだから間違いはないだろう」
ウェシリンは一度作業の手を止めて像を手に取ると、淡々と簡潔にリドリーの聞いてきた問いに答えを述べた。
だが、リドリーは、そんな答えを欲しがって質問をしたわけではなかった。彼はただ、そういう話を長々としたかっただけだ。しかし、半年の間、遺跡の生の 情報に接していない引退したリドリーにとって、その会話を発展させることは出来なかった。
「あ、ん……そうか」
そう答えて、沈黙する。リドリーの脳裡にその像を手に入れた時の探索が思い浮かぶが、それを想い出として語ることに抵抗を覚えた。顔を上げて、ウェシリ ンの顔を見る。いつもと変わらないすかした表情のその半妖精を見て、思わず言葉が出た。
「おい、その話もっと詳し……」
彼が最後まで言い終わらぬうちに、元気な泣き声がその言葉を遮った。面食らったような顔をしながら、慌ててリドリーは孫を抱え上げ、あやし始める。
「おー、よちよち。ん、こりゃおしめかえねぇとな……」
少し覇気を失った声でそう言いながらリドリーは慣れた手つきで孫の世話を始めた。
その様子を興味深そうに見て、ウェシリンは感心したように言った。
「すっかりお爺ちゃんが板についてきたね」
「ついてねぇ」
即座に言い返し、憮然とした表情をするリドリー。そんな彼を見て、ウェシリンは彼女らしくない、わざとらしい溜息をついた。
「未練が見え見えだよ、リドリー」
今更な図星をつかれてリドリーは言葉に詰まり、その直後に開き直った。
「ああ、その通りだ。未練たらたらだよ。自分でも嫌んなっちまうくらいに、だ。……ただな、3度目だ。20年待たせたんだ。で、あんな顔見た後で、続けさ せて下さい、なんて言えるか」
再び寝入った孫を揺りかごに乗せて、リドリーはそう言って腕を組んだ。孫が生まれた後、引退を迫った時の妻の顔を思いだし、ブルッと震える。
「実際、孫は可愛い」
目線を落としてそう言ったリドリーを見て、ウェシリンはクスクスと笑った。
「相変わらずだね、君は」
「どういう意味だよ」
「言葉通りさ。結婚した時も、娘が生まれた時も、そう言っていた」
笑いながらそう言った後、ふと真顔に戻って彼女は続ける。
「これまでは頭を下げて許しを貰っていたけど、流石に3度目となると難しいね。その未練とどう付き合って行くか、それがこれからの君の課題だろうね」
「簡単に言うなよ……」
さらりと言われた言葉に渋面を浮かべてリドリーが答えた。そんな彼の様子とは無関係に、淀みなくウェシリンの言葉が続けられる。
「孫を連れて散歩でもしていればそのうちその生活に慣れるんじゃないか?」
「散歩、か。身体動かすのもいいかもな」
そう言ったリドリーの目からは、ずっと漂っていた眠気が飛んでいた。だが、それを見抜いてウェシリンが釘を差す。
「ただ、アデリを泣かすような結末にはならないでくれ。それが僕が君とした昔からの“約束”だ」
約束という言葉を強調され、リドリーは言葉に詰まった。
「それじゃ、僕は行くよ。キャロモを待たせているのでね。アデリ達に宜しく」
ウェシリンはそう言うと立ち上がり、リドリーの返答を待たず家を後にした。昔と変わらないその後ろ姿を見ながら、リドリーは彼女との約束を思い出し、苦 笑いをした。
「約束、約束か……復帰しねぇと果たせねぇもんもあるんだが……」
言いながら思う。先約が優先か、と。
「でも、なぁ……」
未練をつきつけられた。俺の身体は、まだ穴熊をやれる。
「約束、か……」
眠っている孫を見下ろし、一言呟く。
そしてリドリーは立ち上がった。
気が付いた時、リドリーは孫を背負って走っていた。
――――――――――――――――――――
そして半年。未練を引きずりながらリドリーは身体を鍛えた。身体を動かすことで彼は無心になろうとしたつもりではあったが、実際には身体を鍛えることは 未練そのものだった。内心、それが分かっているからこそ、彼は妻にも娘にも、そして昔なじみにも気付かれないように、フードを深く被って鍛錬を続けた。
隠れてのトレーニングを始めて3ヶ月目、家で寝ていた所を『掃除の邪魔』と追い出されてからは、外での鍛錬によけいに熱が入るようになった。
ただ、そうすることで彼には余計に鬱屈した想いが溜まっていった。それを絞り出すように身体を苛めたが、その想いを発散出来る場所が一つしかないことを 彼は再確認することしか出来なかった。
俺は、穴熊だ。
まだこの手に栄光を掴んじゃいない。
気が付けば彼の足は冒険者の店へと向いていた。
――――――――――――――――――――
――新王国歴515年秋 オラン『きままに亭』
「まさか、こんな所で出逢えるとは思っていなかった」
そう感嘆したように言ったのは、寸鉄一つ身につけず己の肉体で戦う男・アハト=ゲゥラ。ロマールの闘技場で戦った経験を持つこの大柄な男の師を、リド リーは知っていた。
「“ムスタング”リドリー。先生がパダの変わり者にその技を教えたと言っていたが、まだ現役だったとは」
リドリー自身、ロマールの地でアハトの師である“岩の”イアーゴーに教えを受けたことがあったのだった。
「現役じゃねぇよ」
口の中に入れたコルクを、ジュースになるまで噛み砕いてから飲み込み、リドリーはそう言った。
同じように飲み込み、そしてこちらを値踏みするように見た後に、アハトはこう告げた。
「先輩の心の獅子が死んでいるようには思えない」
獅子。イアーゴーは、強者をそう指した。その言葉と眼が、この弟弟子がどれだけ師の教えを忠実であったかを思わせる。こちらを真っ直ぐに見つめるその視 線は、確かに獅子だった。
「イアーゴーの先生はどうしてる?」
今でも獣を育てているかつての師。その熱き岩のような身体を思いだし、リドリーは手が汗ばんでくるのを感じた。そして聞く。今でも、岩は岩か。
「そろそろ冒険者にでもなるかと、言っていましたよ」
衝撃を覚えた。そして約束を思い出した。
――おい、リドリー。俺が冒険者になったらよ、レックスってのに連れてけよ――
野太い声を、全てが太いその身体を思い出して笑いがこみ上げてくる。70を越えたであろうその姿を思い浮かべるが、出てくる姿はあの時のままであった。
「あんたは、あんたたちはパダ生まれの俺にとって憧れなんだ」
その隣から声が聞こえる。ヴァントーザ、パダ生まれの若き剣。引退したと言っても信じていないこのパダ気質の穴熊は複雑な表情でそう言う。彼の両親は レックスで死んだ。親に蔑ろにされたと思いこんでいる彼にとって、リドリーに遺跡を思い出させる言葉を言うのには、躊躇いがあった。
だが、彼はそれを告げた、彼にとっての先輩である巨梟を見上げて。
その眼は、パダの路地裏でリドリーを見上げていた少年達の眼であった。いつか連れていけ、とせがんできた彼らにリドリーは……
「連れてってやる、つったか」
「え?」
聞き返す若き戦士を見る。こいつはその場にいなかったのかも知れない。だが、せがまれた約束を、この眼は思い出させた。
「わりぃ。今日はもう帰るぜ。明日早ぇんだよ」
今決まった予定を告げて、リドリーは勢い良く立ち上がった。
次の日、ちょっと出掛けてくると告げて家を出たリドリーの足は、パダへと向いていた。その足取りは、20年前と変わらないものであった。
――――――――――――――――――――
――その三日後 パダ『円卓の誓い亭』
穴熊になった頃から世話になっているこの店にリドリーは訪れていた。応対した馴染みの店員は、リドリーが頼んでもいないソーセージをつけて、復帰祝い だ、と告げた。
リドリーは、気が早い、と言いかけてから、まだ決まってないと言い直した。
分かっている。俺は既に復帰する気でいる。端から見ても分かるものらしい、と思ってからリドリーは苦笑した。パダまで来てりゃそう思われるか、と。
静かにソーセージを囓りながらエールを飲む。静かであっても、その早さは変わらず、あっという間にジョッキは空になった。すぐに二杯目を頼む……が、そ の店員は奥へと引っ込むところであった。代わりに出てきたのは赤銅色に灼けた肌を持つ大柄な男。エプロンが妙に似合っていて所帯じみた所のある若い男、シ タール。
「わりぃ、遅くなった……おっさん?」
こちらに気付いたシタールに、リドリーは片手を挙げて応えた。二杯目のエールをこの店員に頼んで、リドリーはシタールを見た。昔の仲間『黄金の六人』の 1人である“鉄拳”ヴァイシャンの息子であり、父親の後を継ぐように、斧使いの穴熊としてパダで活動を続ける男。リドリーの引退と入れ違いでパダでの活動 を始めた戦士。会う度に活力を増しているのが分かる。こいつは、いい戦士だ。
「……で、おっさんよ。完全復帰するつもりなのか?」
前振りも何もなく、シタールはそう尋ねてきた。リドリーは誤魔化そうとして、シタールのその眼に黙った。男の眼をしている。餓鬼として、後輩としてじゃ なく、男として聞いてきている。
「……ああ、そうだ。まだ、カミさんに話してねぇ」
「ああ…孫が出来たらやめる約束だったもんな…何か理由でも……」
そう言って、自分の問題であるかのように悩み始める。次に彼が思いつくであろうことがリドリーには分かっていた。そして既にそれを、そしてそれらを理由 にすることを心の内で決めていた。
「俺と潜る約束は、理由に出来ねぇかな?」
――いつか絶対におっさんと潜る。それか、出し抜いてぎゃふんと言わせてやるからな――
――急いで抜くから止めずに楽しみに待っていてくれよ。約束だかんな?――
お前とだけじゃねぇんだよな。その約束を交わした相手は。その約束の時のシタールと、そしてそんな約束のその時々で安請け合いをした自分をリドリーは思 い出す。
「あとは、カミさんにどう言うかなんだよな」
無精髭の生えた顎を撫でながらリドリーはそう言った。
事も無げにシタールは明確な回答を示した。
「素直に言って頭下げる他ねえんじゃねえの?言い訳したって夫婦だろ」
聞いて思う。こいつは…いや、こいつも尻に敷かれるタイプかな。
「俺は、自分の親が生き方を変えてまで長生きして欲しいとは思わない。だから、親父が西方へ行くって言った時も最終的には止めなかった」
ヴァイシャンは、死んだはずの彼の妻、シタールの母親が生きていると聞いて、飛び出していった。その後音沙汰はない。だが、シタールは送り出したことに 微塵の後悔も見せずにはっきりと告げた。一度区切り、そして言う。
「きっと、おっさんトコもそうだって」
にやりと笑ったその頭をはたいて、リドリーは思う。こいつは馬鹿だ。だからこそ、こいつと潜りたい。
「……うじうじ悩むのはやめにすんぜ。完全復帰だ」
リドリーの言葉を聞いて、シタールはそのよく通る声で笑った。
「おう。それでこそのおっさんだ」
――――――――――――――――――――
――更に三日後 オラン ワイゼン宅
「穴熊に、復帰する」
妻アデリを目の前にして、リドリーは20年振りの土下座をした。用件は20年前と同じ、穴熊稼業について。
「………」
アデリは黙ったまま、この20年で薄くなったリドリーの後頭部を見つめていた。身体はもうお爺ちゃんでしょうに、と思いながらも口には出さず、ただリド リーの次の言葉を待った。
そのまま2人は動かずにいた。土下座をしているリドリーと立っているアデリとの間に視線が交わることはなかったが、様々な想いがその間で交錯していた。
暫くの時が経ち、不意にリドリーが顔を上げた。床に両手をついたまま、だが迷いのない瞳でアデリを見つめて、次の言葉を発した。
「約束、果たしてきたいんだ」
目を逸らさずに、澱みのない声で言う。
「私との、約束は?」
プロポーズの時以来ではないか、というような真摯な瞳に面食らいながら、それでも流されずに淡々とアデリは聞いた。私は、20年待ったのだと。
「それも、果たしたい」
我が侭だ。
「一回やめたからいい、とでも言うの?」
「そうじゃない。お前と果たした最初の約束が、まだなのを思い出した」
他愛ない約束だった。結婚する前に交わした約束。その夢物語を口にしたのはどちらからだったか、アデリはもう覚えていない。その時の互いの顔も既に忘れ ていた。それから流れた時は20年では済まないのだ。だが、そんな約束をしたことをアデリも思い出した。
リドリーは言葉を続けた。
「それだけじゃない。そういう約束を、パダに放り投げてきてるんだよ」
そこで一度言葉を区切り、大きく息を吸ってから、リドリーは真剣な面持ちで言った。
「穴熊に復帰する」
宣言だった。
――――――――――――――――――――
――翌日 秋晴れのオラン
坂を下る夫を見送りながら、アデリは溜息をついた。
あの後、買い物から戻ってきた娘の猛反対からも逃げず、真っ直ぐに復帰する、とだけ宣言したリドリーは既に何を言っても聞くような相手ではなかった。認 めたアデリを見て、娘は不満そうな顔をしていたが、孫を抱いた婿が宥めていた。彼にはあの穴熊の気持ちが少しなりとも分かるのだろうか。
リドリーの大きな背中が小さくなっていく。1年振りにパダへと向かうその男の足取りは軽い。
手を腰に当てて、目を細めてその姿を見ながらアデリは言う。
「亭主元気で留守がいい、とは言うけどねぇ」
困った顔をしながら、この一年いつかは来ると思っていた今日を、そう思っていた自分をアデリは笑った。そして…
「人から言われた約束は守るんだけどね。ホント自分から口にするのは出来ない約束ばかりなんだから」
そう言って大きく伸びをし、彼女は洗濯物を取り込むため、家へと戻っていった。
家に入る前に、呟きが漏れる。
「しょうがないか、お爺ちゃんにはなってないんだもの」
石が敷き詰められたオランの道を一歩一歩踏みしめて歩く巨梟の足はアレクラスト大陸最大の遺跡、“墜ちた都市”レックスへと向けられていた。その地で、 自分にしか出来ない一つ一つの約束を果たしていくために。
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