初冒険の裏っ側 〜とある少女の散々たる数日を記す〜
( 2004/01/19)
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作者
RYO
登場キャラクター
フレア
確か私が最後に此処を訪れたのは三週間前だったと言う記憶があった。
いいえ、確かに三週間前だった筈。記憶には自信があるし、ただでさえ師の家を訪れると言う事は早々無い事なのだから、寧ろ忘れ様の無い記憶だった筈だ。
しかし私の目の前に広がっていた光景は、そんな私の記憶への確固たる自信を揺らがせるには充分たる物だったのだ。
思わず深い溜息をつき、今迄私が16年間生きてきた中で此れ程迄に深い溜息など洩らした事があるだろうかと言うつまらない疑問を己に投げ掛けてしまう程 に我を忘れてしまう光景。何とも長い比喩ではあるが、実際にそんな疑問を思い浮かべてしまったのだから、致し方は全く、まるで、欠片足りとも、皆無である と言える。
単純かつ明解、万人に理解しうる表現を使うのであれば、私は其の時『あんぐり』としていたのである。
「おやフレア、どうしたんだい?そんな深い溜息なんかついたりして」
そんな私にその光景を作り出した張本人たる人物──師、ラノバ=サーディーンは振り向きこう言った。
まるで彼自身の作り出したこの光景が私の作り上げた幻想の物であり、彼の目には全く映っていないと言う様な語り口調。だけれどしかし、これは幻想でも幻 影でも、ましては夢などでも無く、現実の物であると言う事は私自身の手で床に落ちていたその光景を形作っている物の一辺に触れた時点で証明されている。
「先生…何度言ったらお解りになられるんですか?」
私が今迄生きてきた16年と言う年月の中で、声を振り絞ると言う経験は幾度かはあったが、多分この時もまたその幾度かの内の一度に含まれる事になるのだ ろうなと心中考えながら、私は師たる目の前の男性に呟きを洩らした。
「此処まで散らかしておいて、『如何したんだい』も何もあった物ではありません!」
そう。師の家に来ると何時も大抵はそうなのだが、今日のこの日も相も変わらず文字通り『散々』たる実状であった。毎度の様に私は口を酸っぱくする程に詰 言を呈している筈なのだが、この目の前の魔術師は全くそれを意に介そうともしない。
「まぁ、冬なんだし良いじゃないか。面倒、と言うならば其れまでかな」
あははは、と声を上げて笑う。冬なんだから、と言うその理由が、私には全く掴む事が出来ない。出来て堪る物かとさえ思えてしまうのは、私の現在の心境の 為す処が大きいと言うのは自覚しているのではあるが。
しかし今の私の心境たるや、全く何と表現するべきか迷う処だ。私自身の脳内を検索していく内に、恐らくこう言う時にはこう表現するのが最も適切なのでは 無いかと思われる表現が一つだけ見当たった。
(これが俗に言う、キレそう、と言う心境な訳ね…)
額に手をやる、と言う仕草を始めて無意識の内にやった気がする。
「丁度良いや。君の頼みと言うのを聞く代わりに、此処の清掃を頼めるかな?」
毎度の事ではあるものの、この時ばかりはこの言葉が伝承や御伽噺、英雄譚に出て来る悪魔と言う物が囁いた悪夢への誘いの言葉に聞こえたのは矢張り致し方 無い事なのだろうか。
”アルムとアムル 名似て 花似て 姿似て”
紛らわしいと言う事を示す、そんな言葉を残す二つの植物がある。
アルムとアムル。上記の言葉も、順序を逆に言ってしまう人が後を絶たない程に紛らわしい植物だ。
冒険者となろう。そう決断して冒険者の店を訪れた私に初めて舞い込んだ仕事の話は、その二つの内、アムルの実を採取せよと言う物だったのである。
意外だった、と言えば本当の処だろう。冒険者とは遺跡などを探索し、財宝を捜し求める職業だと思っていたのだから。しかし学院の同僚にして唯一会話を交 わす元冒険者のサラーリア=エルモンティーナはそう言った雑務と言うのも冒険者には多く舞い込む仕事であると話していた。
オランの街には多くの人々が集い、その所為かいざこざや事件と言う物が絶えない。そんな多くの事件を解決するのは大抵が衛視と言う人々の仕事ではあるの だが、街の外での事件に関しては衛視もあまり手を出す事は無い。そんな時に事件解決に乗り出すのが冒険者と言う人々なのだ。と、付け加える様にしてサラは 言っていた。私にとっては未だ何とも納得し難い処ではある物の、まぁそう言う物かと納得せざるを得ないのだから良いと言う事にしてしまおうと思う。実際今 考えなくてはならないのはそんな冒険者の仕事と言う物に関してではなく、もう受けてしまったその依頼に関して何らかの事前情報を入手する事にあるのだか ら。
賢者の学院と言う場所は、本当にこう言った時には便利な場所ではある。書庫へと参れば、書物と言う物自体とても高価な物であるにも関わらず、植物学に関 する書物は山の様に存在するのだから。
無論そう言った書物の中から目的とする事項を探し当てると言うのは、また骨の折れる作業には違いないのだけれど、そればかりはもう致し方無い物である。 半日と言う、長いのか短いのか僅かばかり疑問を抱き兼ねる時間を要して私はアルムとアムル、その二つの違いと見分け方に関する事項を確認した。代価とし て、この日の為に銀貨十枚を掛けて入手した羊皮紙十枚はその内三枚を残すばかりとなってしまった。しかし何時も思う事は、何故羊皮紙と言うのは一枚ずつの ばら売りと言う事をしないのかと言う事なのだけれど、まぁそれに関しては全く今の話とは関係の無い話なので、後で私一人の時間にでもゆっくりと考えを巡ら せてみる事としよう。
兎も角、アルムとアムル、二つの違いを確認した私がする事と言えば、もうあと一つしか残されてはいない。
両親に対する説得、若しくは口裏を合わせてくれる人物の捜索だ。
私はその内、後者を選択する事にした。娘が突然冒険者となって冒険に出る、などと言ったりしたら、恐らく父は激怒、母は卒倒、私は哀れ家に幽閉となって しまい兼ねない。もっと時間的余裕があれば時間を掛け説得と言う手段を取る事も考えられなくは無いのだけれど、今回は他の冒険者に誘われて行く事になって いるのだから、私一人の都合に因って行けなくなる、等と言う状況は何としても避けたかった。
其処で、取り出したるは師・ラノバである。師の言い付けで出かけなくてはならないと言えば、如何に厳格たる──と表現するには些か覇気に欠けていると言 う気もしなくも無いが──父も、首を縦に振らぬ訳には行かないだろう。
しかしその為には師に一応断りを入れねばならない。私たちが何らかのハプニングに遭い、帰還が遅れてしまうと言う可能性もまた、無くは無いのである。そ んな時に師に両親が連絡をしたりしたら、私の嘘が十中八九バレてしまう。いや、十中八九どころでは無く、あの素直な師が私の為にと虚言を呈してくれる可能 性は限りなくゼロに近い。
そうなってしまったら…あとはもう、考えるのも恐ろしい。
其処で私は師に口裏を合わせてもらう様、願いに行ったのだが…。
結果的には、何とも酷い代償を払う事となってしまった気がする。
私は手に箒を持ち、頭には白の三角巾を巻き、丁寧な事に前掛けまでも身に付けて。部屋の片付けも一応、本当に一応程度ではある物の少しばかりの結果が見 え始めたと言う頃になり、漸く師が何処なりへと消えてしまった事に気付いたのである。
清掃活動自体は嫌いでは無い。と言うか、汚らしく散かっている状態に生理的嫌悪を催すのだ。だからこそなるべく早く、早くと清掃に余念を赦さなかったの だが、まさかそうしている合間に師が逃げてしまうとは考えも及ばなかっ…いいえ。そう言えば何時もの事だったと、今になって漸く思い出した。
仕方無いといえば仕方が無い。書物や其れを模写した羊皮紙が置いてある程度ならばまだしも、脱ぎ捨てた衣服の類が見つかったらば、私は師に洗濯を命じる のである。物臭な師には其れが耐えられないのだろう。
しかし仕方が無いと言うのは勿論師の心境から考えた行動の理由なのであり、其れが逃げた事を正当化しているのかと考えれば答えはノーである。少なくて も、自分の家であり自分の部屋なのだから、多少くらいは手伝っても良いと私は思う。
更には切羽詰まった私の状況を考えてくれるのならば、逃げる前に私に口裏を合わせる事に関して確約してくれても構わないと思う。其れが如何か、今や師は 学院にある己の研究室に缶詰状態だろう。
はぁ…。
私は師が逃げた後、幾度目かともつかない溜息を洩らした。一つ一つが師への愚痴、苛立ち、そして片付けても片付けても片付いた様には全く感じられなかっ たこの部屋への堪え切れない怒りに満ちている。私が訪れなかったこの数週間と言う間に、何故こんなにも散らかす事が出来るのかと疑問は山積みだ。散らかす 事に関してならば、きっと私の師は天才的な才能を持っているに違いない。と言うか、そうとでも思わないとやっていられる訳が無いし、そう思っていたとして もやってなどいられない。
ならば考えても考えなくても一緒ではないかと思わなくも無いのだけれど、何か別の事項を考えていないととてもじゃないけれどこんな部屋の清掃などやって いられなくなってしまうのだから如何し様も無い。
とは言え、一応床は見えるようになった。自分で自分を褒めると言うのは全く気恥ずかしくてやる気にもならないのだが、この時ばかりは私は私を褒めてしま いたくなった。一瞬の後に自分が何を考えているのかと顧みて、穴があったら入ってしまいたいと言う気分に駆られてしまったけれど。
しかしこの家の惨状たるや、矢張り私は私を褒めなくてはならないのでは無いかと一種の義務感さえも感じてしまう程だった。部屋のあちこちにうず高く積み 重ねられた書物の山は少しでも触れれば崩れてしまうと思える物だったし、しかもその一冊一冊が、細腕の私には三冊も纏めれば持ち運ぶ事が困難になってしま う程に重く分厚い物なのである。此処で一つ溜息。
視線を更に部屋の外、廊下へと向けてもまだ惨状は続いていた。埃に塗れたパン屑があちらこちらに散乱している。歩きながら物を飲食するなんて言う悪癖は 如何にかしてほしい物だとつくづく思う。同時に、夏場で無くて本当に良かったと思う。私が初めてこの家の清掃に訪れた時には、何故か青や緑の綺麗なグラ ディエーションを其の身に宿したパン──だった筈の何か──を見て、あろう事か悲鳴さえ上げてしまったのだから。思い出し、此処でもまた溜息。
キッチンに行けば行ったで、嘗て食物と呼ばれていた物が散乱し、素晴らしくもあり得ない程のハーモニーを奏でていた。──悪臭と言う名のハーモニーは私 の鼻腔を貫き、思わず顔を顰めずには居られなかった私を誰が責められようと言う物か。責めるべきならば私では無く私の師であり、片付けるのも私では無く私 の師のするべき事である筈なのだ。矢張り此処でもウンザリと言う言葉をそのまま溜息に込めた様な溜息を一つ。
勿論それだけではなく、この家のあちこちに脱ぎ捨てられた侭の衣服が散乱している。埃に塗れた物、しみの出来ている物などを集めていく内に、何故だろう たかだか三週間の間な筈なのに、私の胸程までの高さを持つ山となってしまった。ありえない、と思わず呟いてしまう。
兎もあれ、此れ程の散々たる状況を一日で何とかしてしまった。洗濯は…まぁ、師が帰って来たらば命じればいい。私が命じられたのは飽く迄清掃なのであ る。
取り敢えず、今日ついた溜息分くらいは師には働いてもらわないと。
清掃を終えた私は、見上げた空の一番星を見ない事にしながらそんな事を考えていた。
果たしてそれから数日、依頼は何とか成功を収める事に成功した。
とは言え、然程大変と言う事も無く、懸念されたアルムとアムルの混同と言うのも無い侭に済んだ。帰路に着こうとした処で飢えた狼達が襲ってきた物の、私 が特に何をすると言う必要など同行者達の手際を見れば明らかだった。此方も懸念──特に私の中で──であった攻撃魔法を使用する必要も無く済んだ。と言う よりも、火のついた松明を持っているだけだった様な気がする。同行者達にとってはスリリングな場面だったのかも知れないが、些か私にとっては刺激と言う物 に欠けていたと念じ得ない。
それもまた無事に済んだと言う事を喜ぶべきなのであり、刺激を求めると言うのは只の愚考に過ぎないのである。
しかし、何と言うべきか何と表現するべきか何とも言えず何とも表現出来ぬ様な事柄が、私を待ち受けているのは確かなのである。
依頼からの帰り道、途中で「顔色が優れない様だけれど?」と言う問いに私が答えられなかったのは、その待ち受けている事柄の重さが原因なのである。無 論、そんな事は言わずに何でも無いと言う愚かしい程に嘘であると見え見えの解答を返すだけではあったが。
依頼を達成出来た、その喜びとその充実感、その開放感とその清々しさ。全てをぶち破る程の重さを有す、私を待つ事柄。そう、確かに私を待っている筈なの だ。私の知る私の師、ラノバ=サーディーンと言う人物は確かにそう言う事をする人物なのであり、きっと彼自身には何の罪悪感も無く、然も当然と言った風な 態度で私にそれを命じる筈なのだ。
次は、多分二ヶ月程訪れていない師の研究室の清掃が、私の責務なのである。
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