探 求(2004/07/07)
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作者
U-1
登場キャラクター
アル



真夏のような日差しと纏わり着くような熱気に辟易としつつ。
今日も文献調査の助手をして日銭を稼いでいた。
ふと、気になった事があったので、命じられた仕事とは、やや逸脱するが、書き残そう。

いま手掛けているのは、魔物に関する文献の整理とその真偽の判断である。創作のような事実や真実と取れるような誤りが散在していて、確りと編纂するのは、 かなり骨が折れる作業になりそうだ。

様々な文献にあたっていると、その魔物が、どれくらい有名な存在なのか、おぼろげながら、見えてくることがある。歴史書や伝承に知られる有名な魔物たち。 これらは、如何に遭遇することが稀であっても賢者たちの書き記した書物にその姿の一端を窺い知ることができる。逆に古代王国期に創造された魔法生物など は、その栄華の時代には、ともかく、現代においては、出会った経験のある数少ない賢者の記述にのみ、その存在があるだけだ。つまり、ボクにもその存在が虚 構であるか、真実であるか判断する材料がないのである。

そんな中で、ボクの興味を惹いたのは、バジリスクという生物だった。
分類としては、魔獣と考えられている。体長10メートルほどの大蜥蜴で、八本の足と鶏のごとき鶏冠を持つ。その巨大な牙による攻撃も無論脅威には違いない が、視線には石化の魔力を有し、血潮自体が毒になるという信じられない特性がある。おそらく、かなりのベテラン冒険者でも苦戦は免れない相手だろう。

このような生物の存在が、広く知られているらしい。それは、複数の文献に記述があることからも窺い知れる。一般人の中にも、その名を聞いたことがある者 が、一人や二人いるのではないだろうか。それこそ、東方ミラルゴの国に生息するケンタウロス族と同じくらいの頻度で文献に書き残されているのだ。

かの有名なグラックスの乗騎・ペガサス以上に賢者の心を捉え、調査の対象とされたのは、何故か。
その点がボクの興味を惹いた。

この件に関しては、広く知人から情報を得るとともに、賢者の残した文献だけに頼らず、吟遊詩人たちの伝承なども参考に、さらなる調査を続けたいと思う。







今日も夕食代を浮かすために宿泊先の女将さんの手伝いをする。
港湾区域にある宿屋だ。商人や船乗りたちが、一晩で消費する食料は、かなりのものになる。その食材の買出し時に荷物持ちをすることで、ボクの夕食代を免除 してもらえる約束なのだ。もっとも、酒代は別だし、料理も一番安いメニュー限定では、あるのだが。

様々な食材が並ぶ市場を女将さんに付き従いながら歩くと、この分野にも探求すべき膨大な知識があることに驚かされる。普段、何気なく口にしている料理だ が、その裏には数々の逸話・生活の知恵とも言うべき情報があるのだ。

例えば、食材の旬に関する知識……。
今の時期、旬の食材として広く利用される物にトマトがある。芳醇な水気と程よい甘味と酸味。冷水に浸していただけの生のものは勿論、煮詰めてソースにした ものなども食卓には多く上る。
トマトは、賢者たちの分類上、ナスの仲間とされ、大別するとピンク系と赤色系の二種類が存在する。このうち人々に好まれるのは、甘味と酸味のバランスがと れたピンク系であるが、ソースにする場合は、完熟度の高い赤色系の使用が適しているということだ。触って身がむっちりとしている物ほど新鮮で、色合いにム ラがあるものは、成熟具合にも同様にムラがあるので、味としては、やや劣るらしい。健康にも良い食材として知られ、「トマトが赤くなると治療師たちが青く なる」とは、昔から言われている言葉だ。

或いは、食材の産地に関する知識……。
トマトと同じ様に旬の素材から例を挙げると鮎がある。塩焼きが愛されるこの川魚は、オラン近郊の川でも捕れるが、産地によって味に差があるという。という のは、鮎たちが食べる川底の苔に違いがあるらしく、水の綺麗な場所に生息する鮎ほど味が洗練されているらしいのだ。特にエストン山脈を源流とするターカッ ク川の鮎は絶品で、オラン建国まもない頃の貴族も舌鼓を打ったという記述が残されているほどらしい。

無論、食材の保存方法や調理法に関する知識など、知ろうと思えば限がない。特に調理法は、地域毎の特性もあり、それこそ綺羅星のごとしだ。

こういった知識を賢者でもない人々が、母から娘に、娘からそのまた娘にと語り継いでいる事実は特筆に価する。
世の女性には、心底感服する思いだった。

正直、料理人たちに任せたい分野の知識だが、その食材の生息場所などを知っていれば、野営時に野伏へアドバイスできる場面もあるだろう。
女将さんから教わる様々な経験則を折に触れ、編纂していこうと思った。






バジリスクに関する調査は、遅々として進まない。
恐らく、何らかの国家的危機や壮大な英雄譚にその起源があるのだろうとは、思うのだが、そういった事実に関する文献が見当たらないのだ。まったく見当外れ の推測なのだろうか。
ともかく、バジリスクに関しては、引き続き調べるとして、今日は、別の面白さを発見したので、それを書き残そうと思う。
これも賢者の文献調査を手伝っていた時に気が付いた魔物たちに関する経験則的事実だ。

魔物たちは、各々好む生息地域が存在するらしい。そう考えると、今現在、ボクが行っている編纂作業から類推される魔物との遭遇頻度や有名さは、普遍的なも のでは、ないのかもしれないのだ。

例えば、ライオンという肉食性の動物がいる。草原や荒地に多く生息しているらしく、冒険者だけでなく、普通の旅人にも脅威として認識されている獰猛な獣 だ。ボクの調べている文献は、師の個人的蔵書であるから、その殆どがオラン出身の賢者たちによって書き残されている。故に草原の多いオラン国では、非常に 知られた存在だ。一方で、同様の獣であるタイガーは、その生息地域が森の奥であることもあり、ライオンほど知られてはいない。少なくとも文献に登場する頻 度は、ライオンに劣るのだ。

しかし、例えば、草原より森が多く、国土の大半を占めるムディールでは、どうだろう。

かの国の事情を深く知らない恥を正直に言えば、確かな事は言えない。しかし、草原以上に森が多いらしい地形を鑑みると或いは、ライオンよりタイガーの方が 生息数が多く、土地の賢者たちに知られている知識の深さも我々とは逆であることが、あるのではないだろうか。

こういった想像をするに至った一つには、魔法生物の存在がある。ボクのように魔術を使えない非才の身には、存在を知るために苦労を要する生物たちが、魔術 師にとっては、知っていて当然という場合が、往々にしてあるらしいのだ。その事から考えると生息数の少ない種に対する認識も地域によって差異があって当然 だと思える。

より飛躍的に論旨を広げれば、我々にとって知られざる神として歴史に埋もれてしまった存在があるとして、それを信仰し続けている地域・風俗の人々からする と六大神の方が、忘れられた存在である……という事もないとは言えない。

そういった空想をしながら行うと単調で退屈な文献調査が、苦になるどころか、非常に楽しいものに思えてくるのだ。
世界は、ボクにとって常に未知の驚きを秘めている。






「恋の悩みほど甘いものはなく
 恋の嘆きほど楽しいものはなく
 恋の苦しみほど嬉しいものはなく
 恋に苦しむほど幸福なことはない」

と吟遊詩人が酒場の片隅で前口上を述べている。何処かから引用した文句なのだろうが、これから恋物語を奏でるのに適した台詞であるのは事実だ。人は、いつ の時代においても恋をしている。

今日は、学術の徒としてではなく、楽師の端くれとして考えることをまとめよう。
ボクの決して多くない経験から言えば、恋というのは、どんな知識より探求の難しい問題だ。先人や吟遊詩人が如何に語ろうとも、その知識を活かす場面という のがないのだから。

「分別を忘れないような恋は、そもそも恋ではない」

と有名な詩人が言ったように、恋は、その最中において、知識を活用しようだとか、経験に照らして考えるということが、不可能にできているのだ。例えば、身 分違いの二人が惹かれあったとして、二人に見えるのは、精々お互いの微笑みか涙だけであり、周囲の声やその他の猥雑な多くの事は、何らの妨げにもならな い。
かくして、そういった心情は、悲恋と呼ばれる当所ない帰路へと向かうのだ。それでも人は恋をせずにはいられない。
子孫繁栄の為、人生の伴侶を求める為、その詩的表現が恋愛だと訳知り顔の賢者は言う。それだけの行為であるならば、恋に「落ちる」と人は言わないだろう。 恋とは前触れもなく、躊躇もなく、停滞も逆行もないものだ。あるのは、ただただ相手への思慕であり、求める心のみである。
勿論、愛、または愛情と呼ばれる段階に発展したなら、状況は変わるだろう。しかし、そうなってしまえば、ある意味において、すでに恋は終わっているのだ。 愛する場合に求めるのは、「相手」ではなく、「二人の」将来なのだから。

話が逸れた。正直な話、愛の何たるかについては興味もないし、語る意味もない。それは、愛し合う二人が、それぞれ考えれば良いのであって、その帰結するも のも恋人たちの数だけ存在していて構わないはずなのだから。

恋は、あくまで一方通行である。言い換えるなら、自分だけの想いと言っても過言ではないだろう。故に経験乏しい楽師風情があれこれと語れるのだ。先人たち も同様に考えたのだろうか。恋に関する詩句は、思いのほか多く知られている。書き連ねれば、限が無いほどだ。ただ、多くの詩人が語るように、本質的に男よ り女性の方が恋に積極的である。無論、自ら声をかけ、幻想を打ち砕く愚を冒す者は少ない。男には、その点が分かっていないのだ。自らの思慕を育む術を心得 る事ができない愚かしい存在として、男は恋の虜となる。もちろんボクとて例外ではない。

「恋をして恋を失った方が、一度も恋をしなかったよりマシである」

その詩を免罪符として人々は、恋に「落ちる」。老いも若きも男も女も関係なく恋を重ねる。あるいは、愛を得る為の訓練かもしれないが……。

……些か、ボクには、過ぎたる命題だったように思う。いずれまた、新たな恋に出会った時に改めて想いを綴り直そうと思った。最後にボクの苦笑を誘った二つ の詩を付記して筆をおこう。

「真面目に恋をする男は、恋人の前では困惑し、拙劣であり、愛嬌もろくに無いものである」
「愛することにかけては、女性こそ専門家で、男性は永遠に素人である」






毒というのは、暗殺者やダークエルフが好む卑劣な代物であり、冒険者にとっては、忌避すべき不誠実の証でもある。
如何にボクが非力で、荒事が不得手だからといって、そんな物に手を出せば、「きままに亭」への出入りはおろか、せっかく出会えた多くの人々と話す事さえ許 されなくなるだろう。
まっとうな冒険者なら、毒を使うような人物を蔑視し、決して仲間とは呼ばない。そういった代物なのだ。

しかし、知識として毒を学ぶ事は、学術の徒たる者に与えられた多くの使命の一つである。
万が一にでも仲間が、その悪意ある恩恵を授かった時に正しい対応が出来なければ、取り返しのつかない事になるのだ。
故にボクは毒を学ぶ。

いつものように師の家で、文献調査を行っていた時の事だ。
師は今日も学院に出かけていて不在である。学院の正魔術師を務める彼が、ボクのような駆け出し冒険者に助手をさせるのには、二つの理由からだという。一つ には、自身が導師の助手をするため単純に時間的余裕がないということ。今一つは、彼らしい分別のせいであり、つまり、学院に属する弟子(魔術師見習)たち を助手として扱った場合、情が移り、学位判断の際などに予断が入る懸念があるというのである。
些か堅苦し過ぎる気もするが、おかげで仕事にありつけているのだ。文句は言えない。

師の家には、彼の夫人と、夫妻が愛する黒い雌猫がいるだけであり、決して広くない平屋建ての家の片隅に師の研究室と書庫がある。
ボクは、もっぱらその書庫に篭って文献を漁り、折を見ては、休息を勧めてくれる夫人の話し相手となる。夫人の煎れてくれる薬草茶は、疲労著しい目と重石の 乗ったような肩に頗る優しい。
もともと針仕事で疲れた夫人のために用意されている物だという。師がこういった方面にも明るいと知ってボクは、自分の知識の狭さに赤面する思いだった。

ボクは、普段、師が帰宅する前に師の家を辞する。だが、その日は夫人に頼み、師の帰りを待たせてもらった。
どうしても師から毒や薬に関する書物を借り受け、学びたいという思いに囚われたからである。
帰宅した師はボクの申し出を快く承諾してくれた。それも最近入手したという西方渡来の毒物に関する書物まで一緒に貸してくれたのだ。自身で読み進める時間 がないからと。ボクの西方語読解能力向上のためにも是非通読して要約を作成するようにというのである。
まるで、学院の生徒が導師に宿題を課せらているようだと夫人は笑っていた。

宿に戻って早速読み始める。しかしボクの読解能力では遅々として進まない。一つ二つの毒物について学んだところで気力が尽き、気分転換のつもりで、これを 書き付けているのだ。明日も毒と格闘することになるだろう。






ボクの初仕事が終わって数日……。
師から『世界案内』という書物を譲り受けた。昨年オランを訪れたオーファンの女性魔術師も参考にしたという世界法則などの研究資料である。無論、ボクの 貰った物は、かなりの代を経た写本だ。それでも未知の知識を得れるという点では、ありがたい存在であり、読み解くべき課題である。
余談だが、聞くところによると、前述の女性魔術師は、オーファンに帰着し次第、見聞きした情報やこの本のような旧き書物から得た知識を編纂する予定だとい う。何年先の事になるか分からないが、出来上がったら是非入手したいものだ。

期待に胸を膨らませつつ書を読む。もしかしたらバジリスクが有名になった何らかの理由が、例え一端でも伺いしれるのでは、ないかと。残念ながらボクの期待 は裏切られてしまった。勿論、それまでは朧げとしか把握できていなかった事象を確りと理解できたのは収穫だったのだが……。やはり、知識は一朝一夕に身に 付く物では無いという良い証左だろう。

その様な話を師にすると彼はまるで初めて算術を解いた息子に接するように微笑みながら言った。
「そこが始まりだ」と。その言葉を聞いた途端、勃然とボクの中に探究への果てない欲求が沸き起こるのを感じた。一を知る毎に、その先の十を知りたくなる。 それが賢者なのだと。おそらくボクは、この書で懸案のバジリスクについて知ってしまっていたら、そこで探究を止めてしまっていただろう。つまり、そこでボ クの賢者としての成長は終わっていたのだと思う。ちょっとした疑問を解決したことで、すべてを解明したかの様に錯覚し、別の命題を探究することを忘れる。 そんな状態に陥っていただろう。

“大賢者にして至高の魔術師”マナ・ライ最高導師
学院の知識の塔の長“知らぬことなき”クロードロット師
オランのラーダ神殿にいらっしゃる“旧きを伝える”トルセドラ最高司祭

彼らの様な偉大な先人に及ぶべくもないが、ボクも賢者の端くれである。彼らの様な歳まで探究を繰り返しても知り得ない真理が存在するのだ。いま、この時点 でボクに解き明かせる問題など、そう多くはない。だが、それで良いのだ。これから先、知る喜びがいくらでもあるという事なのだから。

いずれボクも、かの女性魔術師の一団のように世界を巡ろう。
例えそれが終焉のない旅になろうとも、そうする事こそ探究なのだから。

改めてボクは賢者として歩きだす。例えその歩みが遅くても。
昨日より知識に溢れ、明日出会うであろう謎に胸をときめかせながら……。







  


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