或る夏の夜
(2004/08/06)
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作者
霧牙
登場キャラクター
スピカ、レイシア
レオン=F=ウィンドグレイス卿。オラン周辺にささやかではあるが領地を持つ、若き貴族であ る。彼の屋敷の大広間に、思い思いに着飾った者たちが集まっていた。そこはチャ・ザ大祭の夜に、毎年開かれている舞踏会の会場だった。
レオンは爵位を与えられる前から家名を継ぐべくため、各地を旅してその見聞を広めてきた。そのためか、冒険者とも交流が深く、この舞踏会にも貴族や大商 家などのお偉方だけでなく、冒険者なども割りと多く顔を出していた。
スピカとレイシアもその中の一組であった。スピカは幼少の頃にウィンドグレイス卿と出会っていて、冒険者になってからは何度か彼からの依頼をレイシアと 共に解決してきたのだ。
「やー。相変わらず、豪華ね」
「そうですわね・・・・・・たまにはこういう雰囲気も、悪くないかもしれませんわ」
普段は質素な生活の多い二人だ、ついついあちこちに視線をめぐらせてしまう。すでに詩人たちが奏でる音楽が広間に流れている。集まったものたちも、思い 思いに社交ダンスを踊っている。
「じゃー、私たちもさっそく踊ってみようか。感覚思い出しておきたいし」
「ええ、ではお相手させていただきますわ」
スピカがレイシアの手を取り、その踊りの輪の中に加わっていく。例年のごとく、女二人で踊るようだ。レイシアよりも若干踊りなれたスピカが男役を務め、 レイシアをリードして優雅に踊る。
今年のスピカのドレスは、シックな漆黒のドレスだ。スピカには白が似合うと思われがちだが、黒もかなり似合っている。白い肌と銀髪が黒色になかなかに映 えている。レイシアのものは、スピカと対照的な白。これまた意外な選択だったが、スピカと同じように、レイシアの黒髪には白がよく似合っている。それに色 が清楚だろうと、胸元は大胆に開いているし丈も短い。
白と黒のコントラストが絶妙だ。加えて、踊っているのはどちらもスタイル抜群の美人。そんな二人が踊っているものだから、余計に目を惹く。
やがて一曲踊り終えると、すぐに輪を抜けてしまった。休憩だといわんばかりに、レイシアはワインに手を伸ばしていた。
「ちょっと、スピカ。これアージュの四百九十年モノよ」
「レイシア、あまりがっつかないでくださいな」
高級ワインにご満悦なレイシアをスピカがたしなめる。
「いいじゃない、ウィンドグレイス卿だって遠慮せずに飲み食いしてくれ、っていってたし」
気にした様子もなく、ワイングラスに口をつけるレイシア。あらあら、とばかりに頬に手を当てて苦笑を浮かべるスピカ。
そんなことをしていると、数人の男がスピカに声をかけてきた。
「失礼。私と踊っていただけませんか、お嬢さん?」
「いえ、是非わたくしと。マドモアゼル」
「僕の踊りの相手を勤めていただけませんか?」
などといった風にである。だが、
「ごめんなさい」
ぺこりと、ただ一言そういってそれらをすべて断ったしまったのである。ちなみに、どの男も貴族や商家の息子のようで、口調も丁寧だし顔もかなり良い線 言っている。残念そうに去っていく男たちの背中を見て、
「相変わらずね。もったいない」
レイシアがぼやく。スピカはこうして去年もすべての誘いを断っていたのだ。
「いいんです。わたくしはあまりこういう踊りは慣れてませんしね」
「そーいってるくせに、卿とは踊ったじゃん」
レイシアはにやにやと、スピカのすまし顔を下から覗き込んでくる。
「そ、それは・・・・・・主催者のお誘いを断ることなどできませんわ」
必死の言い訳。
「ふ〜ん。まぁそういうことにしといてあげる」
レイシアの意地の悪い含み笑いに、スピカは心なしか頬を染めて、つんとすましている。
「お嬢さん。私と踊りませんか?」
そうするうちに、レイシアにも声をかけてくる男が現れた。
「はーい、よろこんで。よろしくね、お兄さん」
笑顔でそれに応え、ウィンクして男の手を取る。
「じゃあ行ってくるね」
「ええ。いってらっしゃいませ」
スピカが軽く手を振って、レイシアを見送る。一人になったところで、自分もワインを貰って一口飲む。だが、それを飲み干さないうちに新たな来客。
「やぁ。スピカ」
「あらあら・・・・・・卿、わざわざわたくしに・・・・・・」
レオンだった。スピカはかしこまって挨拶をしようとしたが、レオンは苦笑交じりにそれを制止した。
「だからそうかしこまらないでくれといつも言っているだろう」
「ですけど、場所が場所ですわ」
レオンは肩をすくめるが、確かにもっともなことだ。
「それなら、この場所に相応しいことをしよう。今年も、私と踊ってくれるか?」
す、と手を差し出す。
「わたくしでよければ。ですけど、いいんですの? あたなと踊りたがっている方はたくさんいますわ」
「良い。私が君と踊りたいと思っているんだ、それでいいだろう」
その言葉に、スピカは少し躊躇って周囲に視線を向けてから、再度微笑みレオンの手を取った。
●
レオンとスピカは、踊りの輪に加わり、ステップを踏み始めた。こうして手を取り合い、共に踊れることに幸せを感じる。だが同時に自分を苛めるこの思い。
(わたくしは、こんな想いを抱いてはいけない。だけど――)
レオンを一人の男として慕っている。幼いころに初めて抱いた想いだが、今でもそれは確かに変わらぬ気持ちだった。確かな気持ちであるからこそ、その想い は自分を苦しめる。
相手は貴族の頭首。自分は一介の冒険者。主従関係は結ばれるかもしれないが、決して対等に愛し合う立場にはなることは出来ない。それが許されるのは御伽 噺や夢物語の中くらいのものだ。
レオンを見上げる。初めて会った頃よりも背は高くなっていた。体格もずっとがっしりしていた。知識も相当に蓄えているようだ。だが、その瞳に宿る優しさ だけはあの頃と同じだった。その優しさに自分は惹かれていた。すべてのものに等しく向けられる、優しさ。それは爵位を授かり、家名を継いだあとでも変わる ことなく、領民にも家来にも慕われているらしい。
不意に目があって、微笑みかけてくる。それだけで自分の心は弾けそうになる。だからすぐに目をそらして踊りに集中した。
永遠とも思えるその時間も、やがて終わりを告げる。手を離して、ゆっくりと一礼しあう。
「光栄でしたわ、卿」
精一杯にっこりと微笑み、再び頭を深く下げる。
「その、スピカ。少し話がある。ついてきてくれないか?」
下がっていこうとするスピカを呼び止め、レオンはとても――とても言いにくそうに、そう切り出した。
●
レオンがスピカを連れて行ったのは、屋敷の庭だった。さほど広くはないのだが、大広間からは離れているため、人の気配はない。使用人もそちらの対応で忙 しいらしく、ひっそりとしたものだ。
レオンはスピカに背を向け、巨木の前で立ち止まる。
「卿。お話とは、なんですの?」
普通、男が女をこういう場所に連れてきたら警戒するものなのだが、レオンに関してはそういう心配はしなくてもいいだろう。スピカはおとなしくレオンの後 ろに立って、言葉を待った。
「その・・・・・・君に真っ先に言っておくべきことだと思ったのだが・・・・・・」
伝えなければならないことこそ、伝えにくいものだ。そのことをスピカはよく知っていた。だから急かさず、ずっと黙ったままレオンの言葉を待ち続ける。
その、なんだ、などと口ごもっていたレオンだが、意を決したようにスピカに向き直った。
「実は私は、この秋に結婚することになった」
ガツン、と頭を殴られたような感覚がした。
「・・・・・・それは・・・・・・おめでとうございますわ」
口では何とかそう言えたものの、視界が真っ暗になる。抱いてはいけない想いだと分かっていながら抱き続けていた想い。それが、今、はっきりとした現実と なって襲い掛かってきた。
そのショックがここまでのもとは、スピカも想像がつかなかった。足元がおぼつかなくなる錯覚すら覚える。
「相手は私の許婚だった貴族の娘でな・・・・・・」
やはり現実とはこんなものだろう。それはスピカにも分かっていたこと。貴族ともなれば、許婚の一人や二人、いてもおかしくなかったのだ。
心の中では、想い続けていても決して結ばれることはない、そんなことは夢物語の中だけだと認識していても、その現実は世界が終わるようなほどの衝撃だっ た。やはり頭でどう理解しようと、子供のころのように、もしかしたらその夢物語が実現しないだろうか、と密かに願っていたのだろう。
「私も君の想いには気付いていたさ。そこまで鈍感じゃない。・・・・・・だからこそ、なかなか言い出せなくて・・・・・・」
想いに気付いるが、だからこそ断れない。断ってくれないということがこれほどに辛いことだとは。
「君は私を軽蔑するだろう? 君の顔を見れば、私を慕っていてくれるとわかっていたのに。私には相手がいるのに、何も言わないばかりに君が傷ついてしまう ことを分かっていても、いえなかった」
それは、レオンの「優しすぎる」優しさが生んでしまった葛藤。だがその優しさはより残酷な結果を招くことにも気付かなかった。
「・・・・・・ええ。確かに、わたくしはあなたをお慕い申しております」
黙っていたスピカが、ぽつりとつぶやいた。
「わたしくはきちんと身分などはわきまえているつもりでした。でも、やっぱり悲しいものですわね、失恋というものは」
くすりと、苦笑を浮かべる。その目からは今にも涙があふれてきそうだった。
「ですけど、言ってくれなかったことを恨んではいませんわ。言えなかったのは、あなたの優しさだということは痛いほどわかっていますから。だから、どうか そんなに気になさらないで・・・・・・」
「私も君のことは好きだ! だから、本当のことを言えば、この関係を壊してしまうのではないかと思って・・・・・・言い出せなかった。怖かったんだ、君が 思っているような優しさなどとは違う・・・・・・」
レオンにとっても、スピカは気の許せるいい相手だった。関係をずっと続けていきたいと思っていた。だが、スピカとの違いは「like」と「love」。 ただそれだけの違いが、お互いの大きな傷だった。
愛しているからこそ伝えられなかった想い。好きだからこそ関係が崩れることを恐れた思い。
「そうだとしても、あなたは優しかったですわ。たとえ言うのが遅くなったとしても、言ってくれましたから」
微笑むスピカの肩に、レオンは手を伸ばしかけたが、それより早くスピカが「大丈夫です」と言った。
「わたくしは平気ですから。どうか、あなたはあなたが愛する人と、愛し合うことの出来る人と幸せになってくださいませ」
もう涙腺が限界近かったが、無理をして笑ってみせる。レオンは辛そうな表情だったが、伸ばした手を引っ込めてくれた。そしてそれ以上、何も言わなかっ た。喉まで出掛かっている言葉を必死にこらえている。
何も言わないことが、今のスピカにとって一番だと感じていたから。代わりに、別の言葉を口にした。
「昔言えなかったことだが、な。私にとって君は初めて出来た友人だといってもいい。だから、あのとき、私は君にだけはレオン様と呼んで欲しくなかった」
昔。ミラルゴで出会い、そしてミラルゴで最後に別れたとき、その瞬間を思い出しながら続けた。
「だから今、親友として、私を親友として扱ってくれるならば、頼みがある。せめてプライベートのときくらいは、昔のようにレオンと呼んではくれないか」
嬉しかった。世間が、スピカの学んできた常識が、レオンをそう呼ぶことを否定してきた。幼かったころ、貴族だと知り今までの自分とレオンの関係からけじ めを付けるべく「レオン様」と呼び始めた。爵位を授かったときから、「ウィンドグレイス卿」と呼ぶようになった。だが、できるものならレオンと呼びたかっ た。
恋人としてではなくとも、親友としてでも、その申し出は嬉しかった。世間が例え認めなくとも、スピカの常識がそれはいけないと警告しようとも、今なら自 然とそれを了承することが不思議と出来た。
「わかりましたわ、レオン。それに、このお話はもう終わりにしましょう。あなたの恋人に、悪いですから」
そういって、レオンの背後に見えた女性の影に微笑みかける。
「わたくしの幸せは、わたくしの愛していた方が幸せになってくれることですから。どうか、末永くお幸せに」
ぺこりと頭を下げ、そのまま小走りに去っていった。レオンはその後を追わず、ずっと背中を見送っていた。
●
「スピカ」
戻ってきたスピカを迎えたのは、笑顔のレイシアだった。
「ごめんなさい、ちょっと抜け出してましたの」
笑顔で返そうとするが、どうしても声が震えてしまう。それを察したのか、そうでなくても最初からそうするつもりだったのか、
「スピカ。舞踏会抜け出さない?」
言うが早いが、スピカの手をしっかり握り締め、玄関へ向かいそのまま外へ抜け出してしまった。
スピカも引かれる手に逆らうことはせず、無言のままレイシアについていく。しばらく無言で二人は夜道を歩く。
「ねぇスピカ」
歩きなれた川沿いの道に差し掛かった辺りで、レイシアが口を開いた。
「事情は聞かないよ。けどさ、何でも自分の胸に仕舞い込むの、スピカの悪い癖だと思うよ」
いつもの軽い笑顔や、意地の悪い笑顔とはまったく違った、優しい微笑み。その笑顔はまるで娘を気遣う母のようで、すべてのものに慈愛を齎すマーファのよ うだった。
「ね?」
レイシアは、両手を広げた。
「・・・・・・・・・わああああああっ!」
レイシアの胸に飛び込み、すがりつき大声を上げてスピカは泣いた。幼いころ、同じように泣いた時に押し殺していた声を一緒に絞り出すように、力いっぱい 泣いた。
「わたくしはっ、わたくしはっ・・・・・・」
「うん・・・・・・」
胸に顔をうずめ、子供のように泣き続けるスピカをレイシアは優しい笑顔で抱きしめ続けた。スピカが想いを泣き声にし、それを相槌を打ちながらさらさらの 銀髪をなで続けた。
「・・・・・・うっく。えっく・・・・・・うわあああああん!」
「大丈夫。スピカだって、女の子なんだから」
夜の川原に響く泣き声。泣きはらして、落ち着くまで。レイシアは少女に還ったスピカをずっと抱きしめ続けていた。
●
「今日は朝まで付き合うよ。いっぱい飲もう、二人で」
宿へ帰る道を歩きながら、レイシアは言った。
「ええ。でもわたくし・・・・・・」
スピカは小一時間ほど泣きはらしたせいで、目は真っ赤になっていたが、思った以上にすっきりして、割と元気は戻っていた。
「大丈夫、酔っ払っても宿なら心配ないでしょ。私もいるしね、凶行に走ってもとめてあげるよ」
ちなみにスピカの凶行とは、多種多様の悪酔いである。
「・・・・・・そうですわね。ありがとう、レイシア。やっぱり、あなたは頼りになりますわ」
目を細めて微笑み、レイシアの手を取るスピカ。
「やーね、相棒として友達として当たり前じゃない」
照れたように笑うレイシア。
「ええ。これからもずっと、よろしくお願いしますわね」
「もー、改まっちゃって。うん、こっちこそよろしくね」
古い想いに別れを告げて、それでも壊れぬ親友という新しい絆を確かめて。
そして自分には欠かせない、相棒の存在を再認識して。
自分はまた強くなれると思った、或る夏の夜だった。
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