ヤサシイニンゲ ン(2004/08/10)
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作者
カムイ・鈴
登場キャラクター
キャナル



「この半年の間、私がした仕事は実は一つだけでね。
それも成功とは言い難いものだったわねえ………」

左頬に手を当てるお決まりのポーズで、私はそう語り出した。
そんな私の肩の肩の上でクアゥ、と小さなあくびをする猫が居た。
どうもこの子、アップルにはあまり興味の無い話しの様だ。

「テュラムって町、知ってるかしら? まあ、あまり大きな町でも無いから
知らなくても……え? 知ってる? そうそう、あのクッキーがすっごく
美味しいのよねえ。あ、うん。焼き菓子も良いわよねえ。そそ、それなら
あの穴場のパン屋は……」

話しを乗せた馬車が街道から大きく脱線している事に気付き、私は
咳払いで馬車を元の位置へと移動させた。

「そこに何でも毎晩化け物が出て、人を襲ってるって言うのよ。
これはもうファリスの神官として放って置けないと思ったわね。
それに、そこの町には昔色々とお世話になってたし」

「食い物の世話になってたんだろ?」

誰かから飛ばされたヤジはあざとく無視し、私は酒場にたむろっている
この人々に、脳内にあるまだ新しい記憶をどう説明しようかと試行錯誤していた。


その町に着いた時の印象は、数年前訪れた時とは大分違っていた。
広場を駆け回る子供達の姿は無く、私の大好きなクッキー屋さんは
それこそ押し潰したクッキーの様に壊れ、町にはくたびれた雰囲気の
老人しかおらず、かつての活気はそこに存在していなかった。

「おやおや……こいつは酷いもんだねえ……」

私の隣に立つ、一見男性と見間違えでもしそうなガタイの良い女性、
今回の仕事の同業者である戦士のジェリアさんが呟いた。

「ええ、そりゃ何が酷いってクッキーをお土産に大量に買い込もうとした
私の心境と胃袋を落胆させた事が酷いわよ」

「言ってろ、行くよ」

簡素に答え、ジェリアさんは依頼主である町長の家へと足を進める。
私は町の様子を見渡しながら、その後を早足で追った。


久し振り、と私に声をかけてくれた町長もまた町並みと同じ様に
くたびれてやせ細っていた。数年前はあんなにふっくらしてたのに。
ちょっと太っちゃった。なんて悩みを持ってる内はまだ幸せなのかしら。

「化け物は毎晩決まって夜中に現れます。残念ながら夜中ですので
ハッキリとした姿は分かりませんが、あまり大型ではないそうです」

「そうかい……それで、殺された人間はどのくらいになるんだい?
町の様子を見る限りじゃ、若い連中は皆……」

「いえ、実を言うと殺された人間はそれ程でもなく、若い連中は
化け物を恐れて町を出て行ったのです。我々老人はここ以外に住む場所も
あてもありません故……」

どうも私が思ってたより、町の状況は深刻な様だった。楽観的に
仕事に望んだ私の心に罪悪感が芽生え、気まずそうに窓の外の
ぐったりとした町並みを覗く。でも、目に映ったのは以外にも
見知った青年の顔であった。

「あ……ハウゼル君……?」

「え? ………ああ! キャナルさんか!」

怪訝そうな表情のジェリアさんに私は彼と数年前まで一緒になって
遊びまわっていた中だと告げる。しかし彼女が知りたいのは
何故、若い人間が残っているかという事らしかった。

「ハウゼル君はこんな年寄り連中に情けをかけて、この村に
残ってくれている唯一の若者です。逃げ出した者達を責める訳では
ありませんが、彼には本当に感謝している」

照れ臭そうに会釈するハウゼル君に、しかしジェリアさんは何も応えず
町長との話しに戻ってしまった。

「御免なさいね? ジェリアさんって恥ずかしがり屋なんだと思うの」

「いや、気にしてないですよ。しかし、化け物退治に来た冒険者が
キャナルさんだとはねぇ……っと、ちょっと仕事があるから、話しは
後でにするとしようか」

「ええ、また後でね」

去って行こうとする途中、彼は私に向かって何かの包み紙を投げ渡した。
この香りは……クッキー! そうだった。彼は昔っからこういう物を
作るのが大得意だったっけ……。
しかし、ジェリアさんは走り去って行く彼の背中を睨む様な鋭い目付きで
じっと見ていた。

「キャナル……ライカンスロープって知ってるか?」

彼女の声に、無論私は頷いた。
伝染病の一種でそれにかかると、一定の条件になった時に虎や熊といった
獣に変貌し、本能のままに破壊と殺戮を繰り返すのだ。
そして、彼女が伝えたがっている事も理解出来た。

「……確かに一人だけ残っているのは不自然かもしれないけれど、
ちょっと考え過ぎじゃあないかしら…? それに彼の性格なら
自分がそんな病にかかっていると分かったら、誰にも迷惑のかからない
山や森に姿を消してると思うわ」

「アンタがアイツの家族だとか、そういう深い関係なら分かるけどね。
数年も会ってなかったんだろ? それに、生憎アタシはアイツと
ついさっき会ったばっかりでね。信じろなんて無理だよ」

「……それじゃあさっき会ったばかりの私も信用出来ない?」

潤んだ瞳で私が呟くと、彼女は慌てた様に顔を引きつらせ、後頭部を
掻き毟りながらしどろもどろに弁解しようとする。私はその様子が
可笑しく、可愛らしく見え、つい噴出してしまった。

「……アンタ、アタシをからかってたのかい?」

「うふふ。どう受け取るかは貴女に任せるわ♪」

からかっていたと受け止められたらしく、私は脳天に手痛いチョップを
おみまいされてしまい、その場にうずくまった。その際に、私は
町長の腕にできものの様な小さく膨らんだ腫れ傷があるのを見つけた。

「ああ、これですかな? どうも夜中虫に刺されたらしく、
町の者皆に同じ様な傷がありますよ。あ、でもハウゼル君は
刺されていなかった様ですね。年寄りを好む虫なんでしょうか」

その赤い腫れ傷をジェリアさんは先程ハウゼル君を見ていた様な
鋭い目で睨んでいた。私も、そんな顔をしていたのだろう…。
包み紙を持つ手に、自然と力が入ってしまった。


その夜、私は『彼』が変貌する瞬間を目の当たりにし、ギョっと
してしまった。だって……虎や熊ならともかく、犬科である狼に変身
しちゃうなんて……尻餅ついちゃったわよ。
それに気付いた『彼』がこちらを振り向く。

「……キャナルさんか。タイミングが悪いな。これから君の仲間の首を
食い毟ってやろうと思ってたのに」

「ええ、私も半信半疑だったけど、それにしても不思議ねえ。
その姿になったら知能的な行動は出来なくなるんじゃないの?」

「俺はどうも感染の仕方が半端だったみたいなんですよ。
だからこうやって平気で喋ったり出来るんですよ」

私はジェリアさんから預かった魔力のこもっている短剣を握り締め、
ハウゼル君の声をした化け物へと足を進める。

「俺が最初に人を殺した理由を教えてあげますよ」

「聞きたくないわ」

「笑っちゃいますよ? 『肩がぶつかっただけで怒鳴って来た』
これだけなんですよ」

「聞きたくないわ」

私の声は聞き流し、化け物は道化じみた動きでこちらへと近付きながら
何かを嘲る笑みを浮かべ話しを続ける。

「俺って凄い人間ですよね? 人一人殺す理由がそれだけ、
それだけで殺せるんだから」

「聞きたくないって言ってるでしょう!」

ヒステリックな声を上げる私。化け物はまた私に向かって歩み寄り、
私と化け物の距離はもう互いの息がかかる程の距離になっていた。

「キャナルさん、もしかして俺の事を優しい人間だと勘違いしてない?
違うんですよ。俺は優しいふりをしてただけ。人に好かれる好青年の
真似事をしてただけなんですよ。何時もニコニコ笑って無理してて
その分蓄積された怒りが俺を人殺しの化け物にしたんですよ」

「もう黙って! 喋らないでよ!」

魔法の短剣を彼の顔面に突き出し、私は叫んだ。剣が震えていた。
いや、震えているのは私の手だった。私の身体だった。
この化け物はハウゼルさんの優しさを、ハウゼルさんと私の思い出を
侮辱している。許せない。この化け物を早く黙らせたい。

「それで俺を殺すんですか? 大丈夫ですよ。俺はライカンスロープ
としては半端な奴ですから、ファリスの神官様なら簡単に殺す事が
出来るでしょうね」

汗ばんだ私の手が、ゆっくりと化け物の喉元に当たる。でもそれ以上、
手が言う事を聞いてくれなかった。何故この手は動かないんだろう。
化け物を殺す事なんて、今まで散々やってきた事なのに、何故この手は
この化け物の息の根を止めてくれないのだろう。

「良いんですか? 殺さなくて。だったら俺が殺しますよ?
キャナルさんを殺して、あの戦士を殺して――――!

ドッ!

鈍い音と共に短剣が毛に覆われた喉に捻り込まれる。化け物は
断末魔も上げずにその場に倒れこんでしまった。
許せなかった。ハウゼルさんの口を使って、ハウゼルさんの声を使って
私を殺す、などと言うこの化け物が許せなかった。
化け物は牙の間からだらりと真っ赤に伸びる舌を出し、途切れ途切れの声で
言葉をつむぎ出し始めた。

「俺は…優しい人間なんかじゃ……ないんですよ……畜生……
何で……優しい人間は……町を出て行かずに……老人達の世話を……
一人でやらなくちゃ……何で優しい人間は……怒りたい時に……
怒鳴っちゃ……いけないんだよ……なんで……ヤサ…しイ………
ニンゲンは……自分ノスキな様ニ……生きチャ……イケナい………」

自分の言いたい事を全て言い終えたからか……それともただ身体の方が
限界だったのか……化け物はそれ以来ピクリとも動かなくなった。


「終わったみたいね」

自分の背丈に負けじと巨大な剣を担ぐジェリアさんの背中に、
私はそっと言葉をかけた。彼女の足元には無数の化け物の死骸が
転がっている。どれも皆、私の殺した化け物と同じ狼の頭をしていた。

「半端ってのは厄介だね。病気にかかった時の症状も小さくて
感染力だけは普通と比べものになりゃしねえ。町民の奴等、全滅だよ」

「……御免なさい……こんなに大量の人を殺させてしまって」

「ああ、気にするなよ。アタシはコイツ等と知り合いでもないし、
コイツ等は知能も何も無い完璧な化け物になってたしね。
………それより、辛いのはアンタじゃないのかい?」

そんな事は……
そう応えようとして、私は自分の瞳から雫が何滴も流れている事に気付いた。
何を泣いているんだろう、私は。化け物と一緒に、ハウゼル君が
死んでしまった事に泣いているのだろうか。どうしよう。
止めようとしても涙が止まらない。ハウゼル君の死を私は受け入れている
筈なのに、私の涙は止まってくれない。

「アンタは優しい人間だよ。友人にこれ以上罪を被せずに
楽に逝かせてやったんだ。迷う事無く楽にしてやったんだよ。
アンタは優しい人間だよ………」

優しく抱き寄せるジェリアさんの腕の中で私は子供の様に泣きじゃくった。

「違うんです……! 私は……私は優しい人間なんかじゃない!
ハウゼル君の本性を化け物扱いして……ハウゼル君の心境を理解せずに
………自分の中のハウゼル君を押し付けて……彼を……ハウゼル君を…
殺してしまったんです……クッキー……ハウゼル君、クッキーを……
クッキーをくれたのに………殺したんです! ……うう…うううう……」

廃墟と化したテュラムの町に背を向けながら、私はジェリアさんの
腕の中で泣き続けた。そこでやっと私は分かった。何故、私はこんなにも
泣き続けているのか。私は、ハウゼル君の友達なんかではなかった。
私も町の人と同様にハウゼル君を苦しめていたのだ。
その事実が……私がハウゼル君を苦しめていた事が苦しくて、
悔しくて、哀しくて仕方が無かった………。


「でも…結局そいつは町の爺さん達をライカンスロープにして
一体何をしたかったんだ?」

話しを聞いていた男性の話しに、私はお酒を喉に通してから答えた。

「そうねえ……これは私の勘だけど、ハウゼル君は証明したかったんじゃ
ないかと思うの。ライカンスロープになれば、どんな人間でも
心の奥にある黒く、ドロドロとした触りたくも無い部分をさらけ出す。
自分だけが嫌な人間じゃないって事を証明したかったのよ」

無論、その黒い部分は私にもあるのだ。ハウゼル君を化け物と呼び、
慈悲も何もかけず、化け物として彼を殺したあの瞬間の私。
認めたくは無いけれど、あれも私と言う人間の一部なのだ。
……ハウゼル君はやっぱり優しい人間だと思う。自分の身体をあんなにして
自分の命を犠牲にして、私にこんな大事な事を教えてくれたのだから。

と、私がそんな事を考えていると、アップルがまた大きくあくびをした。
少なくともこの子には、そんな黒い部分は無さそうだ。




  


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