傭 兵課業:弓兵教官
(2004/09/20)
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作者
蛇
登場キャラクター
サイカ
新兵訓練
サイカが「きままに亭」に現れる2年ほど前
「傭兵隊長サイカ、入ります。」
木製の扉を開けて部屋の中に入ると、サイカは机の前で直立不動の姿勢をとった。
「楽にしていい。今日はお前に頼みたいことがある。」
セッツ砦の守備隊長、騎士コウンは椅子に座って両手で頬杖をついた。
「新兵たちが入ってきたのは知っているな?」
「はい。まだ環境になれないようで、右往左往しているようですね。」
直立不動の姿勢から足を横に開いて、サイカは休めの姿勢をとった。
「今回入ってきた新兵に弓の訓練をしてもらいたい。この砦には軽武装の敵が多い。
優秀な弓隊がぜひとも必要だ。」
「正規の兵でなく、私が教えてよろしいのですか?」
「砦の兵士ではお前が一番うまい。傭兵と新兵の顔合わせをしておく必要もあるだろう。」
一般に傭兵のイメージは良くない。一般市民はごろつきと同じとみなしているし、
実際のところそのとおりである。軍規のゆるい兵士は、盗賊よりよほど性質が悪い。
軍団に初めて入る新兵にとっても、傭兵たちは一種のごろつきであり、頼りになる
仲間だとは考えていないだろう。
「・・・・・やらせていただきます。プロの力ってものを教えてやりますよ。」
しばらく考えてから、サイカは答えた。名指しでの抜擢である。
内容から言ってもやりがいのある仕事だと言えた。
「よし。頼む。お前たちにとっても戦友になるんだ。しっかりと頼むぞ。」
「分かりました。」
コウンに敬礼して、サイカは部屋の外に出た。
仲間の傭兵たちにも相談して、準備をしなければならない。
石造りの廊下を進むサイカの足取りは軽やかだった。
洗礼
「俺が君たちの訓練を担当することになった傭兵隊長のサイカだ。よろしく頼む。」
サイカの言葉に、新兵たちはあまり反応しなかった。
皆、思い思いに腰を下ろして、中には隣の仲間と話をしているものもいる。
「とりあえず、君たちは弓兵としての訓練を積んでもらう。今日はその第一回目だ。」
二言目にも、目立った反応はなかった。
サイカの後ろには、5人の傭兵が整列している。
彼らは酒場での自堕落ぶりと打って変わって、身じろぎもせずにサイカの後ろに控えている。
好き勝手に腰を下ろしている新兵たちとは対照的だ。
サイカは表情を変えた。
「おい、お前。立て。」
サイカに言われて、話をしていた新兵の一人がいぶかしげに立ち上がった。
「何で話してる?」
「は?」
「何で俺の話を聞かないのか、って聞いてんだ!」
「・・・・・」
まだ幼さを残した顔立ちの新兵は、言葉に詰まった。
「理由を言え。」
「・・・・・・・・」
「どうした。理由もないのに俺の話を聞かなかったのか!」
叱責されている新兵を見て、別の新兵がくすり、と笑った。
サイカは涙目の新兵から、笑い声のした方向に向き直った。
「今笑った奴、立て。」
一瞬硬直して、件の新兵がおどおどと立ち上がった。
サイカは大股で新兵に近づくと、驚いてぽかんと口を開けた新兵をいきなり殴り飛ばした。
「てっ、てめえっ!俺が何で殴られなきゃならねえんだっ!」
怒鳴って起き上がろうとした新兵の背中に、サイカの軍靴がめり込んだ。
間髪いれずに後頭部に蹴りが入って、新兵は顔面から泥の中に突っ込んだ。
「仲間が苦しんでいるのが面白いか。お前は。」
サイカは新兵の後頭部を踏みつけた足に力を込めた。新兵は悶絶した。
「そんなに面白けりゃお前も苦しませてやる。たっぷり楽しめ!」
新兵たちは呆然としている。圧倒的な暴力の前に声も出ない。
サイカは新兵の頭を踏みつけていた足を上げた。新兵は地面を転がって咳き込んだ。
顔中、泥と血にまみれている。
「いいか、この道の向こうを見ろ。」
サイカは道の向こうにある丘を指差した。
「あそこに山賊が来ているとしよう。俺は敵を見つけて「弓隊、射てっ!」って命令した。」
「でもこいつはよそ見してて俺の命令を聞いてなかった。」
サイカはまだ立っている新兵に向かったあごをしゃくった。
「どうなるんだ!一体!」
「敵が・・・そのままやって来ます・・・・」
一人の新兵がおずおずと答えた。
「そのとおりだ。」
サイカは新兵たちに向き直った。
「で、命令を聞かなかった奴がいたせいで、敵が突っ込んできた。怪我人がでた。」
サイカは泥まみれの新兵を冷然と見下した。
「怪我した仲間がいるのに、こいつ横で笑ってやがった。」
「さて。どうしてくれようか。」
新兵たちは沈黙した。
「そういうバカがいると周りが迷惑するんだよ!命令をきかねえ、仲間のことを助けようとも
しねえ、そういう非常識な奴がいるとな!」
新兵たちの顔色が変わっている。泥にまみれて、サイカをにらみつけていた新兵も、
毒気を抜かれて視線を地面に落とした。
「よし、全員座れ。座って俺の話を聞け。」
まだ立ち上がっていた新兵がその場に腰を下ろした。新兵全員がサイカに注目する。
「戦場じゃ、一人の勝手な行動が部隊全体を危険にさらすことがある。」
「だから、命令を聞かん奴は、最悪殺してでも言うことを聞かせる。命令不服従は死罪だ。」
「俺の言うことを聞く気がないなら、いつでも殺してやる。そのつもりで訓練に臨め。」
「わかったか?」
新兵たちは引きつった顔のままうなずいた。
「返事は!」
「わかりました!」
新兵全員の大声が山々にこだました。
武器説明及び使用法
傭兵の一人が、胸の辺りまで届く弓を持って進み出た。
「これが、この砦で使っている長弓だ。その辺りの猟師が使っているものと大して変わらない。」
新兵たちは熱心に聴いている。
もう余所見をする人間もいなければ、無駄口をきく人間もいない。
「射程は180くらいだ。弓を強くすればもっと飛ぶんだが、集団で使うために、皆同じくらいの強さに
なっている。特に力の強いやつでなくても引けるようにな。」
別の傭兵が、一本の矢を持って進み出た。
「で、これが矢だ。みんな見たことがあると思う。先端にやじり、矢の本体があって、一番後ろに
矢羽がついている。」
サイカは並べて地面に置いたクロスボウと短弓を指し示した。
「ちなみに、横においてあるのが、俺の使っているクロスボウ、その隣が蛮族の使っている短弓だ。
クロスボウは普通の弓に比べて威力が強い。短弓は射程は長弓より落ちるが、携帯には便利だ。
蛮族はこれを馬に乗ったまま使う。」
「続けて、弓の使い方を説明する。実際にやって見せるから、よく見ておけ。」
後ろに控えていた傭兵の一人が進み出て、ゆっくりと弓に矢をつがえ、放った。
矢は70メートルほど離れた的に、見事に突き刺さった。
「ありがとう。よし、拍手。」
パチパチと新兵の掌が鳴る。
「見てのとおりだ。矢を弓につがえて放つ。やっていることは単純だが、的に当てるのは難しい。」
「それでは、細かく説明する。皆、立ち上がって近くに来い。」
新兵たちは展示役になっている傭兵の周りを取り囲んだ。
「まず弓に矢をつがえる。矢の尻の部分に溝がある。そこに弓の弦を合わせるようにする。」
展示役の傭兵が、鞍壷から矢を引き抜いて、弓につがえた。何人かの新兵が傭兵の後ろに回って
手元を覗き込む。
「そのとき、矢の本体を、弓を握っている左手に乗せる。これをやらずに弓を引き絞ると、
手元が狂ったときに矢があさっての方向に飛んでいくから、大変危険だ。
下手をすると横にいる仲間を傷つけてしまう。弓に矢をつがえるときは、必ずこのやり方でやれ。」
新兵たちがうなずいた。
「弓引け!」
サイカの言葉に従って、新兵の中央に立った傭兵が弓を引き絞った。
「言い忘れていたが、見学するときも絶対に射手の正面には立つなよ。万が一のことがあるからな。」
サイカの言葉に、傭兵の前に近づいていた新兵があわてて身を引いた。
「よし、そこで止まれ。この姿勢について説明する。」
弓を引き絞った傭兵がその姿勢で止まり、左手の人差し指と中指を使って弓の先端を握った。
力が緩んで矢が飛び出さないようにするためである。
「弓を握った左手越しに目標を見て、狙いをつけろ。左手の一番上、握った人差し指の上だな。
ここに目標がくるようにしろ。」
サイカは弓を持たずに形だけを作り、片目を瞑って弓を構えた姿勢をとった。
何人かの新兵が、その形をまねて弓を構えた姿勢をとる。
「よし、休んでくれ。」
サイカの命令で、展示役の傭兵が弓をおろし、弓から矢を外した。
「全員俺の周りに集まれ。」
サイカはしゃがんで地面に簡単な図を描いた。その周りを新兵たちが取り囲む。
「ちょっと考えればわかると思うが、矢ってのは直進しない。飛んでいけば自然に下に落ちる。」
サイカは地面に描いた人型と、放物線を指し示した。
「だから狙いを定めるときは目標のちょっと上を狙う。そうしないと矢は目標の下、
もしくは手前に落ちてしまう。」
サイカは地面に描いた図に、人型の手前に落ちた放物線を書き加えた。
「よし、ちょっと立て。一列横隊!的の方向を向け。」
新兵たちは一列に並んで的のほうを向いた。
「その状態で弓を引いた姿勢をとれ。狙いは最初に教えたとおり。左手のすぐ上に来るようにしろ。」
新兵たちが言われるままに姿勢をとった。傭兵たちがその後ろにつく。
「俺の言うとおりに動け!お前たちはまっすぐに的を見ている。そのままだと矢は
狙っているところの下に落ちる!」
新兵たちが広く展開しているので、サイカは大声を張り上げた。
「だから目標のちょっと上を狙いたい!左手のこぶしをこぶし一個分、上に上げて角度をつけろ!」
新兵たちが命令に従って動く。動作が良くわからないものは、後ろについた傭兵が指導した。
「その状態で目標が見えるか?」
新兵達の返事はない。皆、いぶかしげに前を見ようとしている。
「返事!」
サイカの怒鳴り声に一瞬遅れて答えが返ってきた。
「見えません!」
「そうだな。よし、休め!俺の前に集まれ!」
新兵たちは姿勢を解いてサイカの前に集まってきた。一列横隊の一番端にいたものは、指導を
していた傭兵に蹴りを入れられて、あわてて走って集まってくる。
全員が集まってから、サイカは説明を始めた。
「実は今のは悪い例だ。目標の上を射ちたいからといって、左手で角度をつけてしまうと、
左のこぶしに邪魔されて目標が見えない。角度の修正は矢を握った右手でやる。」
「矢を貸してくれ。」
サイカは展示役の傭兵から矢を受け取って、弓を持たず、矢だけを持って姿勢をとった。
「目標を教えたとおり、左手の上に来るようにする。そして、角度をつけたいときは、
この右手を少し下げる。」
サイカは頬の横につけた右手を微妙に上下させた。
「このとき、右手が右の頬についているようにしろ。右手を頬から離したら、矢は横にずれて
どこに飛んでいくかわからん。」
「顔がでかい、小さいは個人差があるから、右手を頬のどこにつける、という決まりはない。
訓練して身に付けてくれ。」
新兵たちはうなずいた。
「おっと・・・肝心の体の姿勢について説明するのを忘れていたな。展示して説明するぞ。」
サイカは矢を展示役の傭兵に渡した。
「射手!位置につけ!」
「射手、位置につけ!」
展示役の傭兵がサイカの号令を復唱し、弓と矢を握って的に向かった。
まだ矢をつがえてはいない。
「足の前後の開きは大体肩幅程度、後足は前足の直線上。後足の角度は大体直角。」
サイカは傭兵の足を指し示した。
「これはあくまで基本だ。ある程度個人差がある。訓練していくうちに自分が射撃しやすい姿勢が
わかってくる。憶えとけ。」
「は、はい!」
新兵たちから初めて返事があった。
「続けていくぞ。弓引け!」
「弓引け!」
再び復唱して、展示役の傭兵が弓を引き絞った。
「弓を持った左手はまっすぐ伸ばせ。呼吸は静かに!息を吐ききって動きをとめろ!
体制が崩れると矢はまっすぐに飛んでくれないからな。」
「よし、ありがとう。休んでくれ。射撃訓練に入る。」
サイカに促されて、展示役の傭兵は弓を降ろして列に加わった。
「2列横隊!俺の前に並べ!」
新兵たちがあわててサイカの前に整列する。
「これより射撃訓練を実施する!各人弓と矢を受け取って的の前に行け!」
「おらっ!時間がねえんだ!とっとと動けっ!」
傭兵の一人が新兵の後頭部をひっぱたいた。新兵たちは大慌てで駆け出した。
新参兵の苦難の日々は、まだ始まったばかりである。
手入れ法
「射ち方止め!全員集合!」
太陽が西に傾くころ、新兵たちの最初の射撃訓練が終了した。
サイカは新兵を整列させてその前に立った。
「なかなか当たらんものだろう?最初は皆そうだ。いきなり命中することはまずない。安心しろ。」
「射撃訓練はこれをもって終了とする。あとは、後始末だ。」
控えていた傭兵の一人がサイカに弓を差し出した。
「これから弓の手入れの方法を説明する。武器は戦場の友だ。大切に扱え。」
サイカは弓の先端に当たる部分を地面につけ、体重をかけて弦を取り外し、左手にまとめて新兵に示した。
「見てのとおりだ。訓練が終わったら弦をはずす。付けっぱなしにしておくと弦が伸びてしまうからな。」
「それから、この弦ってやつは弓の部品の中で一番壊れやすい部分だ。戦場でいきなり弦が切れたら、それで弓は役に立たない。ま、常に予備を携行することに なっているがな。とにかく丁寧に点検しろ。練習の最中に切れたりしたら、たたじゃおかんからな。」
地面の上にぼろきれの入ったかごが置いてある。サイカはその中から一枚をつかみ出した。
「弓本体と弦は乾いた布で丁寧に拭け。弓は錆ないが、剣よりも繊細な武器だ。扱いに注意しないとすぐに駄目になる。」
「特に湿気は大敵だ。なぜだかわかるか?」
新兵たちは首を横に振った。
「弓ってのは見てのとおり木製だ。弦は単なる紐だったり、動物の腸から作ったりするが、どっちにしても水を吸うと伸びる。本体も水を吸うとカビがはえて寿 命が縮む。弦が伸びてしまうとどうなる?」
「ええと・・・うまく矢が飛ばないと思います。」
サイカに質問された新兵の一人が答えた。
「ま、大体そのとおりだ。一番の問題は射程が変わってくるところだな。弦が伸びてしまうと、弓の張力が落ちて射程が縮むんだ。そうすると狙う位置が変わっ てくる。普段より矢が手前に落ちる、ってことだからな。」
「反対に乾燥しすぎた状態も良くない。この砦ではそういうことはないと思うが、木が粉を吹くくらい乾燥すると、弓がひび割れたり、弦が伸びきって切れやす くなったりする。」
「ま、この砦は山の中にあるし、乾燥はそんなに気にすることじゃない。一番の問題はやっぱり湿気だ。濡れた弓にカビが生える、なんて状態には絶対にする な。そして、普段からなるべく弓をぬらさないように注意を払え。」
「教官・・・・」
一人の新兵がおずおずと手を挙げた。
「ん?なんだ?」
「弓をぬらすな、というのは戦場でも、ということでしょうか?」
「もちろんだ。戦場でやらなきゃ意味がない。重ねて言うが、弓ってのは繊細な武器だ。お前たちも気づいたと思うが、風の影響を受けるし、俺が話したように 雨にも弱い。矢も一本一本違うから、本当ならその一本に応じた射ち方ってものがある。弓兵にはそういうものを全部考える繊細な神経が必要だ。」
「わかりました。」
「よし・・・それじゃ、皆、弓の手入れの前に、俺の前に並べ。」
新兵たちは言われるままにサイカの前で一列横隊になった。
「回れ右!」
新兵たちが後ろを向くと、鮮やかにオレンジ色が空いっぱいに広がっていた。弓兵訓練用に広く開闊した地面が丘の向こうまで続いている。新兵たちが使った練 習用の的が一定の間隔を置いて並び、その周りには彼らが射ち込んだ矢が何本も刺さっている。新兵たちの腕前を見事にあらわして、矢は少しも的に集まらず、 野原のあちらこちらに散らばって立っている。
「もう二つほど手入れするものがある。矢と的だ。砦にはそんなに予算がないんでね。矢の中で折れていないやつはそのまま次の訓練に使う。乾いた布で丁寧に 拭いて、やじりには油を塗れ。的はとにかく泥を落としてきれいにしろ。方法は問わない。」
新兵たちの肩がわずかに落ちた。
「兵士は武器の手入れが最優先だ。そうしないとすぐに戦えないからな。俺の仲間たちが点検してやる。徹底的にきれいにしろ。無理な力は加えるな。弓はデリ ケートだ。自分の彼女を扱ってると思え。」
「回れ、右!」
新兵たちはサイカの方に向き直った。
「ちなみに飯の時間まであと半刻しかない。さっさとやらないと飯が食えんぞ。」
サイカの言葉に新兵たちは青ざめた。一日動きっぱなしで腹が空ききっている。
「ジャッカル。作業の指揮を執ってくれ。」
「了解!」
ジャッカルと呼ばれた傭兵がにやりと笑った。
「作業、かかります!」
「かかれ!」
サイカの号令が下されると、周りで控えていた傭兵たちが動き出した。
新兵たちはどうしていいかわからずにおろおろしている。
「飯を食いたかったらさっさと走れ!ぼぉっとしてる暇なんざねぇ!」
傭兵たちの怒鳴り声が、新兵たちを追い立てる。
まだ厳しさを失わない初秋の太陽が肌を焼く。新兵たちは夕焼けの空に向けて全速力で駆け出した。
分隊訓練
新兵たちの訓練が始まって一月が経過した。
最初は文字通り的外れだった矢も、次第に的の周りに集まってくるようになった。
訓練の後には後片付けが待っている。的を大きく外してしまうと、矢は広い範囲に
散らばってしまい、拾い集める手間がかかる。
手間に反比例して、新兵たちの自由時間は削られてゆく。
自分たちの平和な夜のために、新兵たちは必死になって練習を重ねた。
人は己のために動くとき、もっとも良く働く。
「今日から分隊訓練に入る。今までの訓練は基礎訓練。これからが本番だ。」
秋が深まったある日、サイカはいつものように整列した新兵の前に立った。
一月の間に新兵たちはかなりたくましくなった。背筋を伸ばしてぴしゃりと並んだ姿は、
これから命令を受けようとする兵士の姿だ。
「当初、傭兵隊で展示をする。隊形を崩して見学しやすい位置に行け。傭兵隊、
位置につけ!」
サイカの号令一下、長弓を持った5人の傭兵たちが一列に並んで的に向かう。
サイカ本人は並んだ傭兵たちの真横に付いた。
「分隊!」
「的の方向、基準3番、射角5、斉射一発、射撃用意!」
傭兵たちは上空に向けて45°の角度をつけて弓を引き絞った。
全員が全くと言っていいほど同じ角度に弓を構えている。
「射てっ!」
傭兵たちの弓から一斉に矢が放たれた。矢は放物線を描いて180(m)ほど離れた
地面に突き刺さった。多少のばらつきはあるものの、矢はほぼ横一線にそろって
地面に突き立っている。
「射角4、斉射一発、射撃用意!」
傭兵たちは2本目の矢をつがえた。矢の角度は先ほどよりもやや落ちる。
「1番!指一本分下げ!3番、指一本分上げ!」
サイカは射撃角度を微妙に修正した。サイカに指摘された二人の傭兵がわずかに
弓の角度を変える。
「射てっ!」
傭兵たちの放った矢は、一回目に放った矢より30mほど手前の地面に突き刺さった。
何本かは地面に突き刺さらず大地に転がったが、やはり横一線に並んでいる。
サイカは射撃角度を次第に落とし、最後は矢を水平に構えて射撃させた。
20〜30mほどの間隔をおいて、矢の一列横隊が六つできた。
「射ち方やめ!展示終わり!後方へ下がれ!新兵は俺の前に来い。」
新兵たちがサイカの前に集まってくる。
傭兵たちが集合するのをまって、サイカは話を始めた。
「今見せたのが、お前たちが最終的にやらなきゃならないことだ。今までやってきた
訓練とはだいぶ違う。頭を空っぽにして、新しい気持ちでやってくれ。」
「まず後ろを振り返って、地面に突き刺さった矢を見ろ。」
新兵たちは全員後ろを向いた。地面には規則正しい矢の列ができている。
「ナムス、一番遠くの矢が見えるな?」
「はい。」
ナムスという名の新兵が振り返って答えた。
「お前の腕で、あの距離で当たるか?」
「いえ。無理です。」
「うん。そうだろうな。全員こっちを向け。」
新兵たちは全員サイカの方に向き直った。
「お前たちの腕ではあの距離で目標に当てるのは無理だ。実を言うと、俺たちでも
ほとんど不可能。狙って命中するような距離じゃない。あれはあくまで、矢が最も遠くまで
届く、弓の射程限界だ。」
何人かの新兵は、後ろを振り返って遠く離れた矢を確認した。一番離れたところにある
矢は、彼らが普段連取している的よりも、2倍も離れた地面に突き立っている。
一番手前に落ちている矢でも、練習用の的のわずかに手前の距離にある。
「距離が100を超えると、風の影響が強くなって、矢を的に命中させるのは難しくなる。
あの距離に敵がきて、矢を放ったとしてもまず当たらない。狙ったやつの隣の敵兵に命中
するかもしれないな。」
サイカはここで一度言葉を切り、新兵たちを見回した。
「しかし、戦場であの距離で弓矢を使えないか、というと、案外そうでもないんだ。
距離が100を超えても、最大射程まで弓を生かす方法がある。どういう方法かわかるか?
今の展示がヒントだ。」
「ええと・・・・一斉射撃をして逃げ場をなくす、ということですか?」
先ほどサイカに指名されたナムスが答えた。
「ご名答。下手な弓矢も数射ちゃ当たる。集団で一斉射撃してその区域に矢の雨を
降らす。傭兵の人数が少ないから一列横隊でやったが、本当は30人くらいで、方形の陣形を
とって射撃するのがいい。射撃角度を大きく取れば矢は前の奴の頭の上を飛び越えていくから、
同士討ちの心配はない」
「でも・・・・号令があんなに長くかかってたら当たらないんじゃないですか?」
「いいとこを突くな。しかし、俺たちがどういう相手と戦うか、ちょっと考えてみろ。
最近はフル編成の軍隊なんてトンとやってこないが、ここにはムディールの大軍が
押し寄せてもおかしくない場所だ。歩兵部隊や騎兵は密集隊形を作る。長い縦隊や、
方形の陣形に射ち込めば、かなりの効果が期待できる。敵の足は、堀を掘るなり、
逆茂木を植え込むなりして止めればいい。」
「しかし、相手が散らばって攻撃してきたらどうするんです?」
「実はそれが狙いだ。密集隊形、ってのは相手の歩兵や騎兵に突破を許さないための陣形だ。
お前らが普段やっている一列横隊じゃ、真ん中に騎士が一人飛び込んできたら、
あっという間に突破されるだろう?そして後ろに回りこんで包囲殲滅する。
散開した陣形ってのは近接戦闘にめっぽう弱いんだ。」
「弓兵の役割はそこにある。一本の矢で敵を絶命させることは難しい。しかし敵の陣形を
乱すことはできる。矢を食らって倒れる奴、傷を負って動きが鈍る奴、矢を避けようとする奴、
そういう奴が出るからな。で、陣形が乱れたところに騎馬隊か歩兵部隊を突入させる。
さっき言ったように包囲殲滅できればベストだ。ま、実際には突破が成功するとほとんど
陣形が散り散りになって勝負は決まりだが。」
「話を戻すぞ。これからしばらくは分隊での射撃に慣れてもらう。これは比較的簡単だ。
なにせ的を狙う必要がないからな。この射ち方だと、狙っているのは組長一人だ。
お前たちは射角がどの程度か、縦横の間隔はどの程度か、体で覚えろ。
後は言われるままに射てばいい。」
「他に質問はないか?なければ、訓練に移る。」
サイカの一言に反応して、新兵たちはすぐに1列に整列した。
訓練開始当初の、ひ弱な若者はもういない。
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