エルメスの不鳴 琴
(2004/09/28)
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作者
U-1
登場キャラクター
アスリーフ、アル、ネリー、リディアス
「“魔力なきエルメス”ねえ?」
男……ドワーフはそう応えながら値踏みするような視線を向けて来る。
エレミアにアルたち一行がたどり着いて数日後のことだった。王都内の目的地をすべて回り終え、配達という依頼をほぼ完了させたところである。あとはオラ ン帰着後に受け取り証を依頼人に提示し、残金を受け取るだけだ。≪きままに亭≫のマスターから依頼されている香辛料の仕入れは、帰る直前にするつもりであ る。帰路への英気を養うため、数日はエレミアに滞在しようと仲間たちの意見が一致したのだ。酒場で浴びるほど酒を飲む者、エレミアの街をぶらぶらと見回る 者、皆思い思いの過ごし方をしていることだろう。
「お前さん、本当にそれを知りたくてわざわざオランからやって来たってのかい?」
アルは相手の意図するところを量りかねたまま頷く。
仕事のついでというより、この調査がしたくて仕事を見つけたようなものなのだ。『チャ・ザ大祭』のおりに知り合った同業者から聞いたのである。エレミア の楽器ギルドにかの人物に詳しいドワーフがいると。
「ふん。物好きな」
鼻で笑いながら男は視線を手元に戻す。
アルには何の楽器になるのかも判らない木片を丹念に削りながら彼は続けた。
「まあ、そういう馬鹿も嫌いじゃないがな」
「それでは?」
「ああ。俺の知ってる範囲で構わないなら教えてやるさ」
「ありがとう御座います!」
アルの声が工房に響き渡る。
年甲斐もなく大きな声だ。あまりの嬉しさに自制を忘れてしまったのである。周囲で作業を続ける若者たちからの非難の視線にすら気が付いていない。正に喜 色満面という奴だ。
「エルメスってのは……」
ドワーフが苦笑しながら語り出す。
古代王国時代の魔術師でありながら、魔力に頼らず良い音色の楽器を作ろうと励んだ男の話である。自身に魔力が無かったわけではないらしい。らしいという のは、彼自身の手による文献や彼の出自に関する歴史的資料などが見つかっていないからだ。実在していたことだけは事実らしいが、なぜ彼が魔力を捨て楽器作 りに傾倒したかなどは皆目見当も付かないのである。彼の弟子や後世において彼に興味を持った賢者たちの手記などが、彼の足跡を窺い知る数少ない資料だっ た。
ドワーフや蛮族たちとも親交があり、当時の貴族たちからは浮いた存在であったというのが、そういった後世の人々の共通した認識である。だが、謎が多いだ けに人々を惹きつけているのだろう。魔力至上主義の時代にありながら、その風潮に流されることを良しとせず、自身の努力によって魔力を凌駕しようと生き抜 いたことも魅力の一つに違いない。
「と、まあ、この辺りが一般的な彼に対する評価だな」
ドワーフはそこまで語って削っていた木片を目の前に翳す。
前後左右様々な方向から木片を眺め満足そうに微笑む。そして傍らに置いてあった小振りの木槌で木片を軽く叩き調子をみた。
「で、ここからが、俺独自の推論なんだが」
そう前置きしながら彼は手を休めアルの方に向き直る。
「この街から北に半日ほど行った場所に枯れた遺跡がある。いや、枯れているとしか思えない遺跡と言った方が正確かもしれんな」
「と言いますと?」
「宝や罠、番人といった類のものが一切ないんだよ」
「はあ……それで、その遺跡がどうかしたんですか?」
「ややこしい話なんだがな、エルメスが一時この周辺である種の楽器に傾倒していた時期があると、さる賢者の文献に残されているんだ。その楽器ってのが、ど んな種類のもんかも判らんし、その賢者以外にそういった資料を見つけた人間もおらん」
「はあ……」
「で、それとは別に、遺跡についての資料があってな。それによると件の遺跡は蛮族の少女の為に作られたもんだというんだ。その少女に音楽の素晴らしさを教 えるための楽器としてな」
「遺跡が楽器なんですか?」
「ああ。まあ、どんな楽器になってるかは、口で説明するより実際に見てきた方が確かだと思うがな。ともかくだ。蛮族の為に楽器を作る魔術師なんてのは、俺 の知る限り一人しかいないんだよ」
「……それが、エルメスだと?」
「少なくとも俺はそう思ってる」
ドワーフは自信に満ちた顔で言い切る。
アルにしてみたら、その推論は些か性急に過ぎる気がした。そもそも遺跡の成立年代がエルメスの生存していたのと同時代であるという検証すらなされてはい ない。エルメスには、この周辺で活動していた時期がある……それすら確証はないのだ。あくまで可能性であり、そう唱える賢者が一人しか居ないのではその可 能性も決して高くはないだろう。百歩譲って、それが事実だったとしてもその事と件の遺跡が楽器としての機能を備えているという話だけで二つの事実を結びつ けるのは飛躍し過ぎというものだ。
だが、ドワーフはそんな反論は百も承知だと言うように笑っている。
「何か他に根拠が、お有りなのですか?」
アルが訝しげに訪ねる。相手は待ってましたとばかりにアルに顔を近づけながら伝えた。
「その遺跡には、一切魔力がないんだよ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「で? あんたは物好きにもその遺跡に行ってみようってわけかい?」
アスリーフがフォーク片手にアルに問いかける。
リディアスもエールのタンブラーを口に運びながら「やれやれ」と軽く呆れた顔をしていた。
「ええ。まあ、確証があるわけでもないですし、実際にこの目で見たからと言って求める遺跡だと判別できるわけでもないんですけどね。せっかく近くに居るん ですし、物は試しってことで……。実際に現地を見た方がマスターにお話しするにも万事都合が良いですし、吟遊詩人の端くれとして楽器になる遺跡ってのに興 味がわきましたし」
「やれやれだな」
「良いじゃない、リディ。往復でも一日でしょ? アルさんじゃないけど、ちょっと行ってみるのも一興だと思うわよ。もしかしたら新しい詩の題材が見つかる かもしれないしね」
ネリーは後半をアルに向けて言っていた。顔には楽しそうな笑顔が浮かんでいる。
「まあ、おれもいい加減勉強には飽きてるし行っても良いけどね」
「ほら。アスリーフさんもこう言ってるし、あとはリディだけよ」
「行かねぇとは言ってないだろうよ。良いさ、つき合ってやるよ。その代わり上手いこと詩の題材になるようなら報酬に色をつけてくれよな。エール一杯分で良 いからさ」
「はい! 皆さん、ありがとう御座います」
「気にしない♪ 気にしない♪」
こうして夕飯の席は新たな冒険の成功を願う小宴会へと発展した。
(初めての旅……そして初めての遺跡探索。彼らと共に冒険できる幸運を感謝します)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その遺跡はひどく変わった外見をしていた。
といっても、その感想は中原より東に生まれ育った彼らが抱いたものである。西部諸国を旅したことがある者がいたなら、その外観がザーンの街を優美な曲線 が補った物に見えたであろう。規模としてはかなり小さいのだが。
「まるで半分に切った林檎のような形ね。平面を下にして置いたような」
そう評したのはネリーである。
「あるいは、ひっくり返したサラダを盛るボールとか?」
アスリーフが続く。
なんにしても綺麗な半円形のドームが彼らの前に在ったのだ。外壁には苔や蔦がからみつき、古めかしさを演出しているが、不思議と破損した個所は無いらし い。というのも石を組み合わせて作り上げた壁ではなく、一枚の土壁であるからだ。おそらく雨が内部に入り込み浸食するということがないのだろう。雨も風も 穿つべき場所を見つけられないまま表面を流れ、周囲の森への恵みとなる……そんな光景が容易に想像できた。壁には凹凸という物がほとんど無い。在るのは、 彼らが目指す両開きの扉だけである。
「ご丁寧に扉まで同じ材質みたいだな。しかも曲線を崩してないときてる。こんな建物を建てるにゃあ、随分と手間暇がかかっただろうな」
リディアスがそんな感想を呟く。
彼の言う通り扉までもが半円形の曲線に沿って存在しているのだ。当然、扉自体が僅かながら湾曲してる。
「罠なんかは一切ないって仰ってましたけど……」
アルが遠慮気味に声をかけた。
自分一人ならドワーフのその言葉を信じてすぐにでも扉を開ける。しかし、ここは曲がりなりにも古代王国期の遺跡だ。初めて遺跡に挑む自分では、正しい判 断ができないだろう。彼はそう思い周囲の仲間を省みたのだ。
「アルさんって不思議と人に好かれるところがあるから、そのドワーフさんに騙されてるとは思わないけどねぇ」
「だね。でも用心しとくに越した事もないだろうけど」
「だな。念のため頼むわ」
「任っせて〜♪」
そんなやり取りを終え、ネリーが扉を調べようと近づく。
「あら? これって……」
「ん? どうした?」
尋ねたリディアスを先頭に全員が歩み寄る。
と、そこには草に埋もれるように石版が埋め込まれていた。ちょうど扉の下部と接するようにである。扉を開けようとその前に立ってみて初めて気が付く…… そういう位置に計算されたように設置されているのだ。
「下位古代語のようですね……
“シルフの友となれぬ少女のために”
ですか……」
「魔法は一切ないって話じゃなかったっけ?」
アスリーフに言われて、読み上げたアル自身も困惑した表情を浮かべる。
「何かの比喩かもしれないわよ?」
「と言っても、精霊の事なんぞオレらにはさっぱりだしなぁ」
「まあ、入ってみれば、何か判るんじゃない? ざっと見たけど罠も無さそうだし、アルさんの聞き込んできた話も信用して良さそうよ」
「ということは、この先も危険は無いって?」
「いうことだろうな。よし、入ってみるか」
リディアスのその言葉に全員が頷きあう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「なんなんだ? ここは?」
そう呟いたのはリディアスだったか、アスリーフだったか。
扉を開け放ち内部に進入した彼らが見たのは、外壁から想像できる広さを持った空間だったのである。部屋も階層もなく、ただ半円形の内部に広がる空間…… そこかしこに草木が萌ゆる箱庭……それが遺跡の内部だった。広さは直径が二千歩ほどだろうか。内部に入ってみると完全な球体を半分にしたのではない事が判 る。高さが足りないのだ。おそらく全体を俯瞰する事が出来たなら、割ったばかりの卵の黄身を思ったかもしれない。そして、床も中央に向かって下っていた。 こちらは天井以上に緩やかにだが。だから、木々がある空間の全体を見渡せたのである。
そう。彼らは入口に居ながら全体を見渡していたのだ。
窓一つないと思われていた遺跡内に光があふれていたのである。魔法的な青白い光でもランタンなどの橙がかった光でもなく外と同じ自然な陽光だった。
「どういう事なんでしょうか?」
アルが誰にともなく聞く。
勿論、その問いに答えられる者はいない。アル自身そんな事は承知していたが、口にせずにはいられなかったのだ。この遺跡が楽器だとドワーフは言っていた のである。しかも魔力に頼らない楽器だと。アルは、その言葉からなんらかの機械的な装置を擁した内部を想像していたのだが、この中にそんな物があるとは思 えない。例えあったとしても木々の存在する意味が理解できないのである。
「半円形の外観を見た時は、反響を考慮して建てられているのかと思ったのにねぇ」
アルもそう呟いたネリーと同じ想像をしていたのだ。
内部で発せられる音が理想的に響くように……とそういう意図で継ぎ目のない土壁が使われたのだろうと。だが、内部にこれだけ遮蔽物があっては、どこで音 を発生させようとも外壁の完璧さを損なってしまう。規則正しく石畳の小道を囲むように生えた木が自然発生したものだとは考えにくい。とすれば、この並木道 は遺跡の作成者が意図的に演出した物であるはずなのだが……。
「とりあえず、道を辿って奥まで行ってみよう。それから周囲を調べてみれば良いじゃないか」
アスリーフの提案に全員が周囲を見回しながら歩みを進める。
木々は森というほどの物ではないが、ちょっとした林程度には生い茂っているようだった。そのほとんどが紅葉の中程にあり、紅や黄色や残った緑の葉が目に 賑やかである。下草にも様々な花が咲き乱れ、しかもそのすべてが種類ごとに区分けされながら植えられていた。ちょうど見頃の花が植えられている辺りは、さ ながらその花の色の絨毯のようであり、それ以外の場所は葉や茎の色で染められ、何かの文様のようである。
彼らは、建物の中央を目指していた。
入口から見渡した時にそこだけ木々が途切れ、池が在るのを見知っていたからである。探索を進める拠点として水が得られる場所を確保するというのは、なん にしても重要な事だ。休息を取るにしろ怪我の治療をするにしろ、清潔な水があるかないかは安全かどうかと同じだけの意味がある。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
幸いな事に池の水は淀むこともなく、ひんやりとした空気を周囲にもたらしていた。
変な臭いも虫の姿もない。水底まで見通せるほど透き通り、害はないように見える。
「飲めますかね?」
一行の中で最も旅慣れていないアルが周囲の仲間を窺う。
自分の腰に下げた水袋の中身よりも冷たそうだ。革の臭いが染みついた温い水より新鮮で清潔な湧き水があるとしたら、これほど嬉しいことはない。
「ちょっと綺麗すぎる気がしないでもないけど……」
ネリーがそう答えながら残る二人を見る。
「出口も入口も無さそうなのにな」
リディアスが軽い同意を返した。
彼の言うとおり、この池の水は循環してる様子がない。少なくとも冒険者たちに見える範囲には流れ込む場所も出ていく所もないのだ。仮に水中で湧いていた としても出口らしい穴は見あたらない。透き通っているだけに底に敷き詰められたように広がる苔が、池全体を覆っている事が判るのだ。
「たぶん……大丈夫だと思うよ。あの苔が浄化してるんだろうからね。これで苔すらないようなら止めるように言うところだけど」
アスリーフが自身の野伏としての経験から答える。幾分肩をすくめるような口調で。
彼の興味はすでに池の水が飲めるかどうかから、その池に設けられている飛び石へと移っていたのだ。
池には数十に及ぶ飛び石が設けられている。
彼らが歩んできた石畳の小道に続くように始まり、対岸へ行くまでに池の上を右に左にと蛇行するように。
「ここも渡ってみるか?」
「ん〜。そんなに深い池じゃないけど、うっかり落ちると服を乾かすのが厄介だろうね」
二人の“剣”がそんな会話を交わす理由は、飛び石の不規則な大きさと高さにあった。見る限り配置されている間隔もまちまちである。材質も均一ではないの か黒い石であったり、灰色であったりと見た目からして統一感がない。勿論、注意して渡らなければならないほどではないが、渡河中に何らかの驚異が迫り不安 定な場所での戦闘などという事態に陥るのは、ごめん被りたい……そういう事だった。
「でしたら、先に池の外周に沿って向こう岸を調べてみますか?」
手持ちの布を水に浸して害の無い事を確かめた後……汗を拭い、喉を潤していたアルが遠慮がちに声をかける。
「それよか、この明るさの正体の方が気にならねぇか?」
「確かにね。太陽と同じように上から降り注いでる感じはするけど……」
そう言いながら天井を見上げたアスリーフの動きが止まった。
眩しそうに目を細めながら、それでも何かを見ようと天井を凝視する彼の姿に他の者も同じように天井を見上げる。
「水晶?」
「らしいな」
「あれが光の正体みたいだね」
そこ……というのは、つまり空間の中心の天井……には、四方八方へと乱立する水晶があったのだ。どうやらその基部は一体化し、外壁の一点……いわゆる天 頂部と接しているらしい。それが遺跡内を照らす光源である。もちろん水晶自体が発光しているわけではない。おそらく外からの光を内部に招き入れ拡散させて いるのだろう。
「ということは、ここが明るいのは日中だけってことですかね?」
「いや、もう少し短いと思うよ。太陽が傾いて天井を照らさなくなったら光も入って来なくなるだろうからね」
「それなら、急いで探索するが吉ってことよね?」
「だな」
そう算段をつけると彼らは心持ち足早に池の外周を歩き始めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
多少光が翳ってきた頃。
彼らは内部の探索をあらかた終えて元の池の畔まで戻ってきていた。結局、この池が人工の物だという確信を得た以外、大した発見は無かったのである。木々 の間……下草の生い茂る道無き道を分け入ってもこれといった建造物も装置も見い出せず、生き物どころか自分たちの息づかい以外の気配を感じた試しがなかっ た。唯一の収穫といえば、この池の形が外壁と同心円になっていることが判っただけである。判って、人工物だという確信を得たが、それだけなのだ。飛び石も 全員で渡ってみたが、歩く度に飛び石に伝わる振動が無秩序に水面を波立たせるだけだったのである。
「いったい、これのどこが楽器だってんだ?」
リディアスの疑問ももっともである。
楽器どころか音楽一つ聞こえない静かな庭園……それが彼らの見た遺跡の姿なのだ。いや、普通の庭園の方がまだ音がある。鳥の囀りを聞くことも無ければリ スなどの小動物が駆け回る気配すらない。楽器の名に反して自ら音を立てる存在が皆無なのだ。微かに開け放たれたままの入口から外の音が聞こえてくる。入口 まで一千歩近く。そのさらに外までは、結構な距離だ。それなのにその音が聞こえる。遺跡はそれほど無音に包まれていた。
「どうする、アル? 諦めて戻るかい?」
アスリーフが聞いてくる。他の二人もアルの言葉を聞こうと視線を向けた。
「……そうですねぇ。ただ、なんらかの楽器である事は事実らしいですし、ボクとしては、せっかくなんで一晩ここで考えてみたい気もしますけど……」
やっぱり、と全員が思ったのか、互いに顔を見合わせて苦笑しあう。
謎を謎のまま素直に白旗を上げる男ではないと旅を通して知っていたからだ。普段は穏和で人畜無害そうなアルだが、こと探求となるとそれなりに頑固にな る。そういう男なのだ。
「なら、余計な乱入者が来ないように扉を閉じてきましょうよ。そうすれば見張りの緊張も少なくゆっくりと過ごせるでしょ?」
「確かにな。……ん?」
「どうしたんだい?」
「いや、入口にあった例の文句さ。“シルフの友となれぬ少女のために”って奴。あれって、ひょっとして風が吹き込まない状況を指してたんじゃねぇかと思っ たんだよ」
「ああ! なるほど。冴えてるじゃない、リディ」
「つまり、扉を閉じている時にこそ遺跡の真の姿が見える……ということですか?」
「ありそうな話だね」
「だろ?」
閉塞した思考に一縷の望みが宿ったかのように彼らは活気づいた。
実際のところ、なんの収穫もない遺跡探索に倦怠感を感じていたのである。無論、枯れている事を承知の上でやって来たのだから実入りを求めてのことではな い。だが、なんらかの経験を得られると思っていたことには違いないのだ。その気配さえないでは、ここまで赴いたのが全くの徒労である。アル達は新たなる展 開を求めて入口へと引き返すことにした。
「でも密閉したことで何が起こるんでしょう?」
「さ〜な。やってみなきゃわかんねぇよ。扉に仕掛けがあるのかもしれんしな」
「……そういう気配は無かったけど……」
「でも、ざっと見ただけって言ってなかったっけ? もしかしたら見落としがあるかも知れないしね」
そんな会話を交わしながら、石畳の小道を戻る。
なんにしてもこの遺跡で一晩過ごす気になっているのだ。もし扉が関係なかったとしても他の事を試してみればいい。全員がそう思っていたのである。時間は 十分にあるのだからと。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「さて、お立ち会い」
リディアスがそんな軽口を叩きながら扉を閉ざす。
それはちょうど太陽が室内に最後の残照を投げかける頃だった。扉を閉ざしたことで内部の明るさは、ちょうど夕暮れ時を過ぎたばかりの頃のように薄暗くな る。時間的には本当の夕暮れまで今しばらく猶予があるはずだが。
そして、土壁に遮断され外の音が入り込まなくなったことで、しんっと静寂の音さえ聞こえそうな無音が広がる。
「何かある?」
ネリーが仲間たちの顔を見ながら聞いた。
これといった変化は見られない。全員キョロキョロと周囲を見回したり、音楽が聞こえてこないかと耳をすませるが、徒労である。
「特に何かが起こるわけでも無いみたいだね」
「だから仕掛けはないって言ったのに……」
「そうは言うがよ……」
扉から仲間を省みたリディアスが、そう言って言葉を止めた。
彼の視線は仲間の顔を素通りして遠くに在る池を見てるのである。
「光ってるようですね」
視線を追ったアルが言う。
それは全員が目撃していた事だ。遺跡の中央に位置するあの池が淡い碧の光をたたえている。それほど強い光ではない。周囲が明るかったら見落としてしまう ほどの弱々しい光だった。扉を閉ざさなければ気が付かなかっただろう。事実、今この瞬間までは気にもしなかったのだ。だから、閉ざして光り始めたのか、元 々光っていたのかは定かではない。
「やっぱり、あの池がこの遺跡のメインなんでしょうか?」
円形の遺跡の中央に同じ形の池があるのだ。しかも他には何の建物もありはしない。それ以外の可能性は思いつかなかった。思いつかないのではあるが、この 池が主体だったとして、それがどう楽器とつながるのか? それを考えるとその答えも同様に思いつかないのである。
「ともかく、もう一度、池まで戻ってみよう」
アスリーフに提案されるまでもなく彼らは全員同じ気持ちだった。
互いに言葉を交わす事もなく、彼らは来た道を三度辿る。
池に近づくにつれ周囲は暗くなっていった。
と同時に池の発する光が強くなるように感じられる。実際には変わっていないのかもしれないが、相対的に見ると明るさが増したように思えるのだ。池の表面 にのみ在った光が暗さが増すにつれ上方に伸び、彼らがその辺にたどり着いた頃には天井まで達する柱となっている。外でも夕闇が支配する時間となっているの だろう。陽光を取り入れていた透明な水晶は、さながら黒真珠のような光沢を持って池の光を反射している。
「どうやら、光を発する種類の苔みたいですね」
池を覗きながらアルが推論を述べた。
その言葉通り水全体が光っている。水底を覆っている苔が原因と考えて間違いないだろう。その光が水の表面張力によってレンズで照射される陽光のように収 束し、天井まで伸びているのだった。
「潜って調べるか? 底とかに隠し扉があるかもしれんし……」
「ん〜、だとしたら、すでに知ってる奴が居る以上、最低一度は開けられたってことだよね? 水はどうしたんだろう? それに見る限り、苔に不自然な感じは 無いようだけど?」
池の発する光を別にすれば、周囲は完全な暗闇である。
すでに入口付近を見通すことは出来なくなっていた。
「お腹が空いた頭で考えてもきっと答えはでないわよ」
ネリーがそう言いながら手近な叢に腰を降ろす。
「そうだね。飯食ってから考えたって良いんじゃない」
「だな。そうしようぜ、アル」
「……ええ。そうなんですけど……」
言いながらもアルは池から目を逸らさなかった。
周囲を歩く仲間の足が発する振動……それが岸から伝わり弱々しい波紋を水面に立てる。
「……もしかして……」
「どうした? 何か気が付いたのか?」
ランタンに火を入れようとしながらリディアスが聞いてくる。
それぞれ休息の準備を整えていたアスリーフとネリーも訝しげにアルを見た。
「明かりを灯すのは、少し待って下さい。一つだけ試して見たい事が出来たんで……」
「なんだい、急に?」
「あ、アスリーフさん、動かないで! ネリーさんもリディアスさんもそのままの位置で居て下さい」
不意に声を大きくしたアルに三人は互いの顔を見合わせる。
各自が思い思いの場所に居た。アルだけが飛び石へ踏み出せる位置に立ったままである。
「どうしたのよ?」
「もう少し……。もう少しで池が静まりますから」
そう言いながらアルは消えゆく水面の波紋を凝視していた。
静寂に包まれた空間……。
穏やかに立ち上る光の柱……。
その揺らめきが完全に消えるのを待って、アルは足を踏み出した。
『トン』
明確にそう音がしたわけではない。
アルが最初の飛び石に足を着いただけの事だ。
彼は、歩きながら池を見下ろす。
『トン』
次の一歩を踏み出した時には全員が池を見つめていた。
変化が……冒険者たちの待ち望んだ遺跡の真の姿がその目に浮かびあがる。
『トン』
全員の視線が天井へと移る。
『トン』
アルが飛び石を渡る度に水面に広がる波紋。
立ち上る淡い光が天井にその揺らめきを伝える。
そして天井の水晶が遺跡の外壁全体に伝播させる。
『トン』
天頂部から水面の波紋と同じように揺らめき広がる光の波。
木々を照らし移り行く瞬間的な色の洪水を齎す光。
『トン』
大きさも、高さも、間隔もまちまちな飛び石。
その飛び石にアルが足を降ろす度に広がる波紋。
その波紋もまたまちまちである。
円の大きさも、広がる速さも、残る時間も。
儚く揺れ、静かに移りゆく光と影。
時に短く、時には長く。緩やかに広がったかと思えば不意に消える。
時に広く、時には狭く。弱々しく瞬いたかと思えば鮮烈に煌めく光。
それがリズムであり旋律なのだ。
「そうか……“シルフの友となれぬ少女”って、耳の聞こえない少女の事なんじゃ……」
「……目で聞く音楽ってわけか」
アスリーフとリディアスがそんな呟きを漏らす。
それがこの遺跡の正体だった。
相変わらず音はない。
だが、視覚的には流れる旋律がある。
感覚的に理解できるリズムもあった。
「鳴らない楽器……エルメスの不鳴琴……」
ネリーの呟きに全員が同じ想いを抱いたのである。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「その様子だと楽器を見つけられたらしいな」
エレミアの街である。
楽器ギルドの工房でアルの顔を見たドワーフが嬉しそうに笑いかけたのだ。
「ええ。素晴らしい楽器でした」
「そうだろう。そうだろうとも」
素直に感動したといった風のアルにドワーフは満足げに頷く。
「俺もな、あの遺跡の音楽を見た時は泣き出しそうなほど感動したもんだよ。あの楽器が素晴らしかったてのも勿論だけどな。ほれ」
そう言いながらドワーフは先日の木片を組み立てた楽器をアルに見せる。
「これって……ザイロフォンだったんですね」
「ああ。俺の作ってる楽器さ。あの遺跡も言ってみれば、こいつと同じだろ? 俺はな、それが嬉しかったんだよ。エルメスが例え一時とは言え、俺の作ってる 楽器と同じ打楽器に傾倒してたって知ってな。耳の不自由な少女の為に楽器を作ったエルメスにあやかってな、俺も誰かの希望になるような楽器を作り続けた いって思ってるのさ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「で? 結局告げずに戻って来たって言うのかい?」
「ええ。あの誇らしげな顔を見たらやっぱり言えませんでしたからね」
アルは苦笑しながらアスリーフに答えた。
「って事は、そのドワーフはこれから先もあの遺跡がエルメスとやらのもんだって思ってるのか。なんとなく酷くねぇ?」
「気にしない♪ 気にしない♪ それで楽器を作り続ける情熱が保てるんなら逆に良い事よ」
リディアスの言葉にネリーがいつものように節を付けて答える。
「そうですね。でも本当は彼も気が付いてるのかも知れません。それでもあえて尊敬する人物と同じ志を持って楽器を作ってると思っていたいんじゃないでしょ うか? なんとなくボクにはそう思えたんです」
「アルらしいね」
「違げぇねぇ」
「それが、アルさんの良い所なのよ♪」
500年以上前の遺跡にしては、木々の樹齢が足りない……それがアルの判断だった。
つまり、あの遺跡は“魔力なきエルメス”の手による遺跡ではありえない。もっと後世の……おそらくは新王国歴に入ってから建設された物なのだろう。
例えその推測が正しかったとしても、あの遺跡はエルメスの遺跡と呼んで構わないとアルは思っていた。
魔力に頼らない素晴らしい楽器であり、一人の楽器職人を魅了した存在なのだから。
もしかすると彼だけではなく、彼の作った楽器を耳にした人をも惹きつけるかもしれない。
あのエルメスの生き様のように……。
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