| 声 |
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| ラス [ 2002/10/14 0:32:50 ] |
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| | 声が聞こえる。 いや、正確に言うなら、聞こえるんじゃなくて、感じる。
人ごみの中を歩くと、人の精神にまつわる精霊たちの意志を感じる。 それは、ごく普通のことだ。別に、だからと言って周りの人間たちの感情がわかるわけでもない。 ただ、ああ、そこに誰かいるんだなってことを感じるのと同じ。 人ごみの中に限らず、風の中、雨の中、樹の下、土の上、暖炉の前。 精霊たちはどこにでもいる。力を感じようと思えば、俺にとっては簡単なことだ。息をするのと同じくらい無意識に出来ること。 たまに、気まぐれに精霊たちが声をかけてくる。 聞き流すこともあれば、返事をすることもある。こっちから話しかけることすらある。
ただ、人ごみの中にいると、それが出来ない。 ふとした瞬間に、意識の下に滑り込んでくる声。その声に捕まると、逃げられない。 精神の精霊たちのわずかな動きのひとつひとつに気を取られる。 そんなものに気を取られちゃいけないと思う片っ端から、気になってしょうがない。 周りに何十人もの人間がいる時に、それをいちいち追いかけてちゃ、消耗するのも当たり前だ。 いつもしているように、自分の感覚の表面で精霊たちの存在を感知するだけじゃなくて、もっと深いところでその波を感じてるんだから。 望んでその波の中に自分を委ねるならいっそ心地よいのかもしれない。 無理矢理引きずり込まれて波に飲み込まれれば、酔うだけだ。そして結果は、頭痛と吐き気。
だから、追いかけなくていい、気を取られるな、と自分に言い聞かせる。 なのに“声”が呼ぶ。自分を見ろと。自分たちがちゃんと正しくあるように見張れと。 冗談じゃない。俺が見張る必要なんかない。それは当人たちが律するものだろう。 それに、もしも見張っていたとしても、俺には何も出来ない。ただ、見てることしか出来ない。
──それでも見ていないと不安だろう? ──おまえが知覚出来る範囲の中で、またいつ誰が“彼”のようになるのか不安だろう? ──我々がいつも正しく働いてるか、確かめていれば安心するんじゃないのか?
聞こえてきた“声”に、目が覚めた。 そうか……昼間、人ごみの中でクーナと会って……仕事を頼んで……ああ、そうだ、もうすぐクーナが仕事の結果を届けに来る。寝てる場合じゃない。 そういえば、クーナが言ってたな。「ラスは精霊以外の声も聞くのか」と。 俺は、聞こえてくるのは精霊の声だと答えた。けど。 少し違ったみたいだ、クーナ。 俺が人間たちと…そしてそれにまつわる精神の精霊たちの波の中で聞いていた声は。 …………多分、自分の声だ。 |
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| 知恵熱の大人 |
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| リヴァース [ 2002/10/21 2:50:20 ] |
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| | 不必要とされ、うち捨てられたモノが集まる、街のゴミ捨て場。 雨の夜にわざわざそこに足を止めたのは、剥き出しになった地面から生えていた、幾種もの雑草のせい。
様々な地方の種を集め、粘土玉に混ぜて、行く土地で蒔きはじめたのはいつからだったか。捨てられる地にも生える雑草の子らは、どこの土地でも生きるだろう。そんな鷹揚な生命力を集めようかと思ったら…
雑念の塊がやってきた。知恵熱の大人。
人の精霊感知が見たいとかいうから、なにかと思いきや。他人の精神の精霊が入りこんできて煩わしいのだという。
ラスは、自分の存在を、精霊が人間界に呼ぶ際の扉、あるいは触媒とする。つまり、精霊と自分を区別し、自分が自分であるという意識を強める方向性で、精霊を遣う。 わたしは自分の存在を精霊に近づけ、自分を希薄にして精霊を遣う。つまり、意識を精霊に同化する方向性。 どちらにしても、精霊は「意志ある力」であり、より意志の強い者に従う。目指すところは同じで、アプローチが違うだけだ。
なのに、何がきっかけなのか。成長を志したゆえか。無意識的に本来の自分と異なる、混ざる在り方を試そうとしていた。それが、周囲の精神の精霊が入りこんでくることに繋がっていたのだろう。そして、それに対して身体が拒否反応を起こしていた。それは…
ラスは、彼の母親を失い悲嘆にくれたエルフの父親から、自分の存在を母親で塗りかえられてしまった形で、存在を否定された。父親が自分の精神を喪失感から守るために、ラスの存在をゼロにした。それをラスは受け入れた。…想像すると正直、ぞっとする。だからこそ、ラスは、自分が自分であるという同一性に、いっそう拘っているのではないかと思った。否定される苦痛を知っているから。
そして、その経験が、自分の喪失に対するいわばトラウマとなり、彼が自分を手放すことに対し、肉体的な拒絶となって邪魔をしているのではないかと思った。
だとすれば、ラスの父親や、わたしのように、自我を手放すような精霊の使い方は、ラスには、馴染まない。
自分のやり方を極める研ぎ澄ますか、他者のやり方を取り入れて容量を増やすか。 …どちらが良いのかはわたしには分からない。選ぶのは本人だ。だから一切示唆せず、在り方を示した。 そして、ラスは自分で答えを手繰り寄せた。 隔てることによって認識を強める。自分は境界を通す垣根となる。その在り方をかえる事はない。 ラストールド。柔らかき垣根。…自分の方向性を見定めるのに、彼がエルフからもらっただろう自分の名前に拘ったのが、何だか可笑しかった。
いつ見てもラスは、不安や恐れをかみ殺して強がっている、道に迷った少年のような一面を持っているように感じる。したたかで不埒でモノの道理をよく弁えた十分すぎる大人であるのに。そういうスタイルの服をこの上なくうまく着こなしているに過ぎない気がするのだ。
ラスは雑草というよりは、花だ、という気がした。自分で生き、独り咲きできるように精一杯になりながらも、周囲に華やかさを与える花。 わたしはなんだろうかと思い、根のない植物などないことに思い当たった。
いずれにせよ、雨は、花にも雑草にも、等しく降り注ぐ。 花にも雑草にもなれないなら、せめて、奴を濡らし冷やす雨粒の1つにでも、なれたのだろうか…。
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| 雨に濡れる種 |
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| ラス [ 2002/10/21 3:06:17 ] |
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| | 雨が降ってた。秋の真夜中にふさわしい、冷たい雨。音もたてずに、ただ降り続く静かな雨。 その雨の中に、ウンディーネを存分に感じて、家に帰り着いたのは朝。 居間の床にぺたりと腰を下ろして、服のポケットから小さな粘土球を出してテーブルの上に置く。 いろんな国の雑草の種を混ぜ込んで粘土で包んだものだと、これを寄越した奴は言っていた。 アザーンやムディールの雑草がオランで茂れば、それもまた世界を混ぜ合わせることへのささやかな助けだと。 あいつは……世界を混ぜ合わせたいんだろうか。 自分自身、エルフと人間の混ざり合った結果として生きているくせに。それでもまだ、更に混ぜたいのか、リヴァースは。 俺の髪先から落ちた秋雨の名残が、粘土球の表面をわずかに湿らせる。
人のいない場所を求めてうろついて、道を1本間違えて迷い込んだのはゴミ捨て場。 ゴミに混じってこちらを見返してきたのは、黒髪の半妖精、リヴァース。 なんだっておまえに会うのか、と。溜息をついたのはお互い様だ。 けど、俺にとってはいいことだったのかもしれない。俺はリヴァースに、尋ねたいことがあったから。
以前、花宿の片隅で話していた時に、あいつにとっての精霊界、そしてあいつが精霊界に近づくやり方のことを聞いた。 同じ半妖精でありながら、そして同じように森の中でエルフに囲まれて育ちながら。 俺とあいつのやり方は、鏡に映したように真逆のやり方だった。 精霊界と物質界を隔ててから、自分自身がその2つの世界の境界となるように、精霊たちに手を伸ばす俺と。 2つの世界の境界を乗り越えて、自分自身が精霊と同化するように、広げていくあいつと。
自分のやり方が間違ってるとは思わない。そして、あいつのやり方も。それぞれがそれぞれのやり方を持っているだけのことだ。そう……思っていた。なのに、ここ最近の不調だ。違うやり方を求めても当然だろう。 だから、俺の目の前で、精霊に触れて見せてくれ、と。そう、頼んだ。
結果はと言えば……散々だった。 容易く精霊に同化するリヴァースと、自分を繋ぐ糸が切れるのが怖くて、そこから踏み出せない俺。 今まではそれで困っていなかった。自分の立ってる位置を変えなくても、俺の声は精霊に届く。俺の意識は精霊を捕まえる。そして、自分自身が扉として境界に立って、自分の背中に精霊を呼び寄せる。あとは呪文の詠唱と共に扉を開ければいいだけのこと。それが、俺にとっての精霊魔法だ。 今、不調とは言え、魔法を使うこと自体には何の影響もない。 魔法の力として行使するその瞬間まで扉を開けないからだろう。 でも、人ごみの中にいると、扉を外からこじ開けられる。精神の精霊がそこからどんどんと入り込んでくる。
「物質の自分をもてあましてるんだろう」と、リヴァースは言っていた。 ……今更だ。俺自身……いや、あいつだって、物質界の生き物であることに変わりはない。 物質界の生き物で在り続けて、それでも精霊界に意識を伸ばしている。2つの世界を繋ぐ位置に在ろうとしてる。 自分自身が、物質以外の者ではあり得ない……それははなから承知の上だ。 だとしたら、物質のままで……他に何かの方法を見つけるしかない。
怖がっているんだろうと……そうだ、俺はそれに気づいてる。怯えを否定してもどこからか声は届く。届く声は自分自身の声だ。振り切れない声なら……飲み込むしかないのか。 今までの自分のやり方じゃ駄目で、リヴァースと同じやり方も、どうやら俺には駄目で。 それなら、「そうじゃない方法」を探すだけだ。どのみち、いつかは必要になることだった。いつか…そう、「全ての精霊を知る者」になるためには。 今の状況は……過渡期として諦めるしかない。
立ち上がって、テーブルの上の粘土球を、窓から外に放り投げた。 降り止まない寒雨の中で、雑草の種がどうなるのかは知らない。オランの土に合うのかどうかも知らない。 それでも生きられるなら生きるだろう。リヴァースはそう言った。俺もそう思う。 奴らは勝手に自分が生き延びるための道を探すだろう。雑草としてのしたたかさで。 願わくば、俺自身にもそれに似たしたたかさが備わっていることを。 粘土の中で、違う種と混ざり、見知らぬ土地に放り出されても……混ざり合うことで何かを獲得して、それでも自分自身を見失わずにいられるような、そんな強靱さが……。 |
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| 花 |
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| ラス [ 2002/10/22 0:06:31 ] |
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| | 夜中から朝にかけての雨。その中で、無愛想な半妖精と2人で濡れていた。 冷たい雨は、知恵熱にも似た火照りを冷ましてはくれた。ウンディーネの肌触りは気持ちよかったが、ここまで濡れることもなかったと苦笑が漏れる。 粘土の球を庭に放り投げた時に、どうやらカレンがいつの間にか持ち込んだらしい、鬼灯(ほおずき)の鉢植えを見つけた。 ……髪を拭いて、服を着替えながら、思い出す。
1年ほど前に失恋した、とリヴァースは冗談めかして言っていた。 己自身さえ焼き尽くす炎を内に抱えたその男に惚れた、と。自身の存在がかき消されるほどの炎だったと。 おまえもそんな女に出会えたら良いな、と……そう言ったのは、あいつには珍しいお節介。 その話を聞いて思いだしたのは、炎と言うよりは……血のように深く濃くなった、年代物の赤ワインのような女。 森を出て、少しした頃に出会った、人間の女。もう……そうだな、15年も前だ。 そうか……あいつも、リヴァースと同じ、黒髪だった。
漆黒の髪、夜陰の瞳、琥珀色の肌。あの肌の柔らかさは今でも覚えている。娼婦だった。 彼女の本名は知らない。教えてもらわなかった。店で名乗っていた名前はキリエ。 後にも先にも、人間の女で年上だったのは、彼女1人だ。
自由で奔放でしたたかで。そして鷹揚で無頓着で天真爛漫。彼女は計算ずくでそんな自分を作って見せていた。 彼女の前に立つと、瞳の奥を見透かされるようで怖かった。 彼女の前では、自分の、色の薄い瞳がもっと透明になるような気さえした。
──鬼灯は嫌い。知ってる? 鬼灯の根は薬になるけど……量を変えると、子供を堕ろす薬になるの。 ──ああ、そうね。あんた、薬の話は嫌いだったっけ。ふふ……やっぱりガキね。 ──生まれてこられなかった子供たちはたくさんいる。だからあんたは、生まれてこられただけで幸いだった。 ──あたし? 内緒。でもね、あたしには、もう子供は産めないの。
罪業と悔恨と懺悔と。後悔と諦念と韜晦と。 泥の海に頭の先まで浸かりながらも、どこまでも澄明で。 甘く熟した果実は、腐り落ちる一歩手前なのだと教えてくれた女。
──あんたのことは、大好きだけど大嫌い。あんた、心の底で安心してる。あたしが石女(うまずめ)だから。 ──あたしが何人殺したか知ってる? 自分が宿した命だけじゃない。娼館の若い娘たちにも、薬を作った。 ──死んでからどこに行くかなんて、あたしも知らない。でもきっとあたしの罪はあたしを許さない。 ──あんたの時間はあたしと違う。でもまたいつかどこかで会えたら……大人になったあんたを見せて。
会うことはもうない。タラントの街で出会ったあの女は、俺がタラントを出る前に死んだ。酔客に刺されて。 彼女自身さえ分かっていなかった、彼女の死後の行き先。俺に分かるわけもない。 ただ、そう言えばキリエも、リヴァースも、子を宿せない女なんだなと、妙な符合に気が付いた。
──女は花よ。覚えておきなさい。あたしは種を残せないけど。でも…花であることに変わりはない。 ──花であることを望まない女もいるけれど。それでもどこかにちゃんと花は咲いてる。見つけてあげるのが……男の礼儀よ。
彼女に言われたことを思いだしたからではないが。 リヴァース……ゴミ捨て場にあった造花を俺に投げてきたおまえ。 朽ちることも、実を結ぶこともないその造花よりも、俺にはおまえ自身のほうが、よほど花に近く見えた。 自身の炎など忘れたとおまえは言ったけど。それでもおまえの中には炎が息づいている。そしてその炎がきっと花を咲かせてる。 冷たい雨に打たれながら、俺は多分、雨と同じ温度のおまえの炎を見ていた。
……知恵熱を冷やして、何かを洗い清めてくれたウンディーネ。 なのに、自分の体の中では、それに反発するかのようなサラマンダーの吐息。 ああ、こんなにも厄介だ。物質の肉体というものは。 リヴァース、ゴミにまみれて咲く花でも、俺は見つけてやる。見つけてやるから……この寒気の責任を半分おまえになすりつけることくらい許してもらおう。 |
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