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花は枯れ、川は流れ。
リヴァース [ 2002/12/29 17:35:23 ]
 自由人の街道から外れ、山間で立ち寄った村。手持ちの地図には、このあたりまで記されていなかった。

宿も無い小さな村。一宿一飯を預かった農家で、水牛が死んだ。老衰だ。
畑を耕し、収穫物を運ぶ動力の牛は、農民にとっては財産であり、家族である。

水牛の世話役だった子供の反応は、特に強いようだった。悲しいというよりは、喪失を理解できず、目の前の出来事を拒否しているようだった。

皮膚の一欠けらの変化も見逃さないように世話をしても、自分の手の及ばないところで、生物の命は尽きる。

なんで生き物は死ぬの?

だれもが1度は問うたことのある、子供の単純な質問。
大人が答えるに窮したとき、祈りにやってきたマーファの神官が、子供に答えた。

明日はもう、今日ではない。花は枯れ、水は流れる。
世界は、不完全です。日々、変わっていきます。

あらゆる生き物は、変わっていく世界に追いつくために、進歩をしながら生きていかなければならない。そうでなければ、世界に置き去りにされる事になる。

人も、牛も、豚も、兎も、鳥も、樹も。
それぞれが、それぞれの種族の中で、子供や種を為します。混ざりあってできる次の世代にの中は、より変わっていく世界に適する者が生まれます。
より良い、新しいものが産まれたら、古い者は、退場せねばならなくなります。

だから、古い者は、死ぬのです。自らの為した変化を、次の代の踏み台として残すという、役目を果たして。去らなければならないのです。

生き物は、変化する世界のために、自ら生き続けるより、死により子供に世界を手渡すことを選んだのです。自分より、種族の繁栄を優先させるために、死ぬのです。

生き物はみな、「自分である」事よりも、この不完全な世界の担い手たる「生き物である」ことを、選びました。だから、あなたの牛も、あなたの母も、あなたも、いつかは死ぬのです。

死があるからこそ、わたしたちは、変化し、成長できるのです。
子牛を何匹も生み亡くなったあなたの水牛は、立派に役目を果たしたのですよ。

そんな内容だった。子供は、悲しみという正常な感情をようやく受け入れ、激しく、泣き始めた。そして、こちらに余波が届いてきた。

ラスの言葉を思い出した。

実を結ばない造花を求めていた、と。

あの時、雨に濡れるゴミ捨て場で、ラスの言葉に、怒りも悲しみも感じず、ただ、空虚になった。言葉の泉が枯れたようになってしまった。

それは、ラス自身の想いを、自分自身が、持っているから。
たとえ、自分に育む力があったとしても、自分と同じ思いを持つ者を生みたくない、と思うことは、わかりきったことだから。
否定されるということが何を意味するかを、知っているから。
似てない子供は愛される事がないということを、刻み込まれているから。

反応などできるはずがなかった。
 
かざはなの向こうは
リヴァース [ 2002/12/29 17:41:08 ]
 
子を、次代を成すことは、死に縛られる生物の、義務であり、使命であり、本能だ。そして、自分と同じような不幸をさせたくないから、子を成さない…というのは、いわば、半妖精の世界からの撤退を、意味する。それを認めてしまったら、半妖精の宿命だと受け入れてしまったら、それは、半妖精という種の、世界からの敗北ではないか。

いずれ我々は、退場させられ消え去る存在なのだろうか。何ら役割を持つ事もない、世界樹の実から間違いで零れ落ちてきた、イレギュラーな存在に過ぎなかったのだろうか。
だとしたら…空しすぎる。

意味が欲しかった。我々が、半妖精が、この世界に産まれてきた意味が。
それは、見つけたと思ったら霧散する。確たる形のない、一生追い求めても掴めるものではない問いだろう。そうだとわかっていても、求めずにはいられないものだ。

エルフにヒトとは違った役割が与えられているのと同様に、我々には、半妖精には、ヒトや、他の生き物と、また違った意味があってもよいのではないか、と思った。

ラスは未完成だ。脆い部分を抱えている。
エルフへ、そして肉親への憧憬と恨み。それを持たないと自分を騙す事で、父の意識の中の自分自身の喪失という、耐えがたい事から自分を守った。恨んでしまうと、自分の居場所を否定する事になるから。

父の笑顔を守りたかったとラスが言ったのを思い出した。自分の存在は、父に、ラスの母…愛した存在の喪失を思い出させるから、それぐらいなら自分の存在は無くて良いとラスは考えたのだろうか。父親を自分の居場所として定めたのに、肝心の父親がラスの存在を消した、符号のあわなさ。

その居場所を守るために、ラスは、親に対して経るべき感情を、経てこなかった。怒りや悲しみ、憎しみは、物事を経るのに正常な過程であるのに。それが彼の持つ歪だ。

父親に存在を否定されたラスと同じだ。あってしかるべきだった彼の感情の精霊は、所有者に存在を否定された。持つべき感情をもち損ねたことのある心は、柱の欠けた家のようなものだ。危うい。

ただ、その事に、ラス自身は気がついている。だからこそ、というべきか。卓越したバランスで、試行錯誤を繰り返し、確実に、精霊使いというかたちで、存在の力を強めようと、もがいている。

物質界。精霊は通常いない。あるのは、精霊界から紡ぎ出された精霊の力に過ぎない。力に意思はない。
その力を呼びこんでいるのは他でもない、ラス自身であって、精霊から入りこもうとしているのではない。ラス自身が取りこもうとしている。抑圧に対して自らの存在の力を強めようとしている結果なのだろう。

自分の選択でも努力の結果でもなく、生まれたときに与えられた条件。生きている過程での抑圧。そのいわれの無い不利さはまた、成長と発展の原動力になる。
彼はそれを、身を持って証明しようとしている…

全ての精霊を知る者になる、と彼は言った。大言壮語であるとは思わないが、それを他人に明かにしたことに対して、あとから照れくさい思いをしたのではないだろうか。
それはわたしへの言葉、というよりは、自分自身への挑戦であり、宣言だったのだろう。

ラスもまた、半妖精なりの在り方で、世界の主である、不完全を糧にして成長する者たる道を行こうとしているのだと感じる。

わたしはラスに、半妖精の一つの姿を託そうとしているのだろうか。
彼の一言一言が、こんなに強く、脳裏に焼き付いている。

やれやれ。少し当てられてしまったようだ。
自分は…。すでに、傍観者にすぎなくなってしまったはずなのだが。

もう、彼は、曲がり小路から抜け出したのだろうか。彼を包む霧に、光は指したのだろうか。

乾いた冬乙女の息から、それを知る術は何も無く、ただ六花だけが嘲笑うように舞ってくれるのだけれど。