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風花の調べ
“橋を架ける”ロエティシア [ 2003/01/25 2:13:36 ]
 先日。レイフと名乗る若き詩人に出会った。
それは、外にフラウの舞う寒い夜。
シャリオルという自称・無骨者と話していた時のこと。

初めて会う者同士、名を名乗りあうこともする。
そして、私の名を聞いて、レイフが驚いたように言った。
ロマールの白線亭を知らないか、と。

ロマール。かの国に私がいたのは20年ほど前のことか。
さほど長くはいなかったと思う。おそらくは、2年か3年か……。
たったそれだけの時間のことを、私は今でも覚えていた。
と言うよりも、レイフのひと言で思いだした。

「あの店には今も、銀の笛が飾られています。あのエルフの女性も音の外れた鼻歌を歌っていますし」

白線亭のカウンターの中には、人の街には珍しく、我々の同胞がいた。
名はプロヴィクヴァーネ。エルフの古い言葉で、「叫び」を意味する名だ。
魂からの叫び。時には哀しく、時には愛しく。そういった声と音を使い分けることの出来る女性だった。
そう、あの銀の笛を手に取るまでは。

いわく付きの笛、とレイフは口にした。
ということは、詳しい事情は知らぬということだろう。

件の笛は、“引き寄せる笛”と呼ばれていた。
その笛を吹けば、音色を耳にした者を全て引き寄せることが出来るとか。
それだけではなく、笛を吹き続けることによって、その使用者本人の歌声もまた、聴衆を引き寄せると。
真偽のほどはわからなかった。
ただ、歌を職業にしている者であれば、心ひかれもする。

そして、プロヴィクヴァーネはその誘惑に負けた。
なまじ実力があっただけに、更なる上を目指したのであろう。
皮肉なものだ。何も持っていない者であれば、さほどの誘惑も感じまい。
持っているからこそ。失うまいと……そして、今まで以上のものを手に入れようとする。
誘惑に負ける心には、人もエルフも関係ないのだと知った。

だが、レイフの言葉で、彼女はまだ歌をやめていないのだとも知った。
どれほどの絶望を感じただろう。
“忘却”の魔法を、と彼女はあの時叫んだ。その名の示す通り、魂からの叫びを。
取り戻すことが出来ないならば、せめて過去の一切を忘れさせてくれと。

件の銀笛を捨てもせず、戒めとして店に飾り、そして歌うことをやめなかったプロヴィクヴァーネ。
酒場を辞し、風花亭への仕事へと足を運びながら思った。
もしもあの時自分が、笛を得手としていたなら、あの誘惑に耐え切れただろうかと。
そして、誘惑に負けたあと、彼女のように生きられるだろうかと。

空から風花が舞い落ちる。
ふわりと舞って、そうして石畳へと落ちる。
楽しそうに踊る氷乙女たちにも、風花のひとひらひとひらがどこに落ちるかなどはわからない。
それは……潔いと思った。