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続・日常
ラス [ 2003/11/10 0:32:41 ]
 (PL注:前スレ#{194}が長くなったので続き)
 
理由
ラス [ 2003/11/10 0:34:52 ]
 数日前。
サテ、ヘネカ、クーナの3人娘が出かけてる時に、アーヴディアの所に泊まった。
その翌朝、驚いたことがひとつ。
朝方、目を閉じてからの記憶がない。つまり……俺は熟睡していたらしい。アーヴディアの寝台で。
目が覚めた時には遅い朝で。アーヴディアは風呂に入ってた。
何よりも寝顔を見られた可能性が、妙に……なんて言うか気恥ずかしくて。

更に、今朝だ。
昨夜、酒場でクレフェと会って、その後、手近な宿に2人で泊まった。
そしてやっぱり遅い朝。目が覚めて……またやっちまったかとうんざりする。
『目が覚めて』、ということは、つまりはそれまで寝入っていたということで。
そのことについてクレフェは何も言わないけれど。
でも何だか、少し嬉しそうに……というか、楽しそうに、というか。微笑んでいた。

──普段、女の寝台に泊まっても、そして娼館で夜を過ごしても、俺は熟睡することはない。ごく軽いうたた寝程度だ。
下手すりゃ、泊まらずに、朝になる前に家に帰ることもある。

クレフェと別れて家へと戻りながら、知らずに溜息をついていた。
溜息をついて俯いても、それを隠す髪はない。クレフェに切ってもらったから。
「髪を切って」と。クレフェにそう言わせたのは俺だ。
中途半端に伸びていた髪を切る理由が欲しかった。

……いや、理由ならある。
鏡を見るたびに、少しだけ嫌な気分になる。髪が伸びてくると、そこに親父の面影を見つけるから。
だから切りたかった。でも、切る理由が「親父に似た顔を見るのが嫌だから」っていうのは、気に入らない。
そんなこととは無関係で。そんなことは気にしてないから。……だから、別の理由が欲しかった。
女にねだられて髪を切るんなら、悪くはないと思ったから。
だから、クレフェに言った。
「髪切れ、って言ってくれ」と。

アーヴディアのところに泊まった時には、無意識だった。
でも、昨夜クレフェを誘った時には、俺は気付いてた。口にも出した。
どうやら、最近の俺は不機嫌らしい。だから……というのも変な話だが。
けど、何て言うか、女に…………ああ、いや。軽口で口に出すのは構わないけど、認めるのは何だか癪に障る(爆)。

不機嫌の理由は、多分わかってる。昨夜、クレフェと話していて気が付いた。
……誕生日だ。
年を重ねても見た目があまり変わらないことを、嫌でも思い知らされる。
普段は気にしてないはずの、自分は半妖精だという事実が目の前に横たわる。
だから、なのかもしれない。
同じ半妖精のアーヴディアんところで寝入ってしまったのも。
同じく誕生日を迎えたばかりというクレフェの隣で熟睡してしまったのも。

………………。
……ってかさぁ。あいつら……何もしなかったろうな、俺が寝てる間(爆)
いや、それより……何も寝言とか言わなかったよな、俺!?

なーんか……しばらく、外で寝るのやめよっかな……(←いろいろ複雑らしい)。
 
気分転換
ラス [ 2003/11/12 23:15:35 ]
 しばらく外で寝るのはやめようと。
<>そう思った翌日、セシーリカが訪ねてきた。
<>誕生日プレゼントだと渡してくれた包みの中は……枕。
<>「ラスさん、眠りが浅いって言ってたから」
<>……そうか。枕。
<>なんなら、おまえ本人が枕になってくれても……と、言おうとしてやめたのは、さすがに今までの学習効果か。
<>
<>そしてその翌日。今度はカレンが訪ねてきた。
<>「仕事しないか」と。
<>聞くと、駆け出し専用のような、簡単な……そして安い仕事。
<>なんでわざわざそんな仕事を、と思ったが、どうやらカレンが渋い顔をしてることと関係があるらしい。
<>ドレックノールから手紙が来たと言っていた。
<>だから、気分転換したいのだと。
<>
<>あー。なるほど。
<>気分転換か。それはいいアイディアかもしれない。
<>だよな。
<>OK、乗った。ファントー連れていこうぜ。(←勝手に)
<>ついでにセシーリカも? ああ、いいんじゃねえの?(←更に勝手に)
<>
<>………………あぁ?
<>…………おい。
<>……ちょっと待て。
<>
<>………………。
<>いいか、カレン。まず座れ。
<>前にも言ったと思うが、おまえは、冒険者として危険に対する感覚が鈍いんじゃないか?
<>いや、つまりさ。避けられるはずの危険をわざわざ呼び込むことはないだろう、と言ってるんだよ。
<>冒険者ってのは体が資本だろう?
<>健康が第一だよな?
<>

<>じゃあなんでわざわざ、セシーリカに弁当作らせるんだ!?
<>
<>弁当が欲しいなら俺が作ってやるから!
 
若い精霊使いたち
ラス [ 2003/12/01 0:15:03 ]
 ゴブリン退治から野盗退治に変わってしまった仕事(雑記参照)を終えて。
<>ファントーはどうやら、幾つか思うところがあったらしい。
<>
<>初めての戦闘をして。魔法を使って。失敗して。
<>狂った火蜥蜴を見て。そして倒れるまで魔法を使って。
<>俺に怒鳴られて涙ぐんで。最後に少しだけ誉められて目を輝かせて。
<>
<>めまぐるしく変わる表情と感情と。
<>何もかもを、片っ端から吸収しているんだろうというのが、ありありとわかった。
<>帰り道、カレンがぼそりと呟いていた。
<>「将来が楽しみだな」と。
<>それには黙って同意しておいたが。
<>
<>若い同業者が辿る道。
<>それは、既に自分が通り過ぎてきた道でもあるし、自分が辿ったのとは違う道でもある。
<>
<>昨夜、あの木造の酒場でヘイズと話していてそう思った。
<>ヘイズとファントーは違う。俺とファントーも違うし、俺とヘイズも違う。
<>感じ方も触れ方も、魔法としての使い方も。全て違うはずなのに、恐れるものは変わらない。
<>ヘイズと話しながら、そういえば、ファントーもレプラコーンは苦手だったな、と思った。
<>
<>相談とか、アドバイスとか。そういったものは、やれと言われりゃ出来なくはない。
<>けど、それじゃあ意味がない。
<>答えは自分自身で見つけなきゃ意味がない。
<>精霊たちと触れあうことで何を見つけるのか。精霊界でも物質界でもなく、自分の中に。
<>どこに立って何を見つけるかで、どんな精霊使いになるのかが決まる。
<>
<>ヘイズもファントーも、そして以前に話したネオンも。今は戦地にいるというユーニスも。
<>備わった才で精霊の世界を見つけて、自分の力でそれを捉えなおして……その次の段階だ。
<>さて、何を見せてくれるのか。
<>楽しみだなんて思うのは、あまりに年寄りじみているだろうか。
<>
<>ヘイズと話していた時に、多少余計なことを言ったが……まぁ、全部言ったわけでもないから、ヘイズにはきっと何のことだかわからなかっただろう。
<>あれは、少し口が滑ったかもしれない。
<>たかだか火酒の3杯程度で酔うはずもないが……こないだの仕事で、狂った火蜥蜴に触れてから体調が今ひとつ、ってのは言い訳にもならねえか。
<>
<>……へっくしょん!
 
不運?
ラス [ 2003/12/03 23:33:57 ]
 言われて初めて気付くってのも、何だか間抜けな話だが。
昨夜、酒場で、ワーレンやらルベルトやらに言われた。
運が悪い、と。
クソ安い仕事で、弟子の試験もしなきゃならなくて、戻ってきてみればギルドの仕事が待ちかまえてて、ついでに風邪気味で、おまけに雨に降られて。

…………。
……いや、いいんだ。ここらで『運が悪い男』の代名詞とも言われるあの男よりは多分マシだから。
どうせ、“からきし”の奴なんか、今頃同じようにクソ安い仕事でこき使われて、あげくにガキの相手と女の相手もしなきゃならなくて、ことのついでにハザードに落ちてみるとか。
そういうことをしてるに違いないから(勝手に妄想)。

ただまぁ……不運と言われる原因になった幾つかのことは、ほとんどどうでもいいけど。
でも、この時期に風邪はひきたくなかった。
案の定というか、予想通りというか……咳き込むたびに右胸が痛むから。

普通に仕事をしたり走り回ったり遺跡に行ったり。
そんなことには何の不自由もないが、咳をするという行為はやっぱりまだ負担らしい。
考えてもみれば、まだあの事件から3ヶ月だ。
そういえば、以前に腹ぁ刺された時も、しばらくは物を食べるたびに胃の隅っこが痛んだっけ。

俺としちゃ、そのこともまぁ、どうでもいいことの1つではあるんだが。
でもカレンはきっと、余計なことを気にしそうだから。
だからしばらくは……そう、咳が出る間は会わないでおこうと思った。風邪が治るまで。
とは言え、寝込んでると聞きつければ結局、顔を合わせる羽目になりそうだから、
こうやって誤魔化しながら仕事してるうちに治ればいいなぁ、なんて。

そんなことを思いながら、巣穴からの帰り道。
次の仕事に行く途中にあったのは、古代王国への扉亭。
向かう先が、あまり楽しい仕事先とも思えなかったから、そこで一杯ひっかけて行くか、と……。

…………ワーレン。おまえ、言ったよな。
「ここまで最悪なら、明日はハッピーデーだ」と。
なんで、『会わないでおこう』と思った奴に、こんなとこでばったり会うんだよ(爆)
 
役に立たない嘘
ラス [ 2003/12/10 0:39:44 ]
 ……参ったな。
たまたま、急ぎの細かい仕事が幾つかあって。
カレンの気遣わしげな視線から逃げるにはちょうどいいから、それを片づけてまわってた。
そうこうしてるうちに、しっかり風邪が悪化してやがる。

急ぎの仕事を全部片づけて、家に帰り着いたのは早朝。
外套を着たまま、居間の長椅子にへたり込む。
……いや。駄目だ。へたり込む前に、茶の一杯でも飲んで体を温めてから、寝室に行かなきゃ。
やたらのろのろと台所へ行って、種火から火を熾す。
湯が沸くのを待ってる間にも、瞼が落ちそうになる。
そろそろ限界かもしれない。カレンがまた余計なことを気にするけれど……ま、しょうがないか。

沸騰した薬缶の蓋が外れる音と、飛び散った湯が竈の端で蒸発する音で目が覚めた。
「あちちちちっっ!!」
……ついでにファントーの叫び声で。
あー。やべ。寝てたか。

ファントーに淹れさせた茶を啜る。
「ねー。風邪、大丈夫?」
「……大丈夫じゃない。だから、さっきみたいな叫び声は上げるな。頭に響くから」
「うん、わかった。でも、あんなとこで寝てちゃ駄目じゃないか。起きたらお湯がぐらぐら沸騰しててびっくりしたよ」

寝るつもりはなかったんだが。……ま、いっか。言い訳すんのもめんどくせぇ。
外套を着たまま、茶を飲み終え、椅子から立ち上がる。
「いいか、ファントー。俺はこれから寝るけど。今日で仕事は終わらせてきたから、しばらく休むけど。……誰か訪ねてきても、俺はいないって言うんだぞ? いいな?」
「えー? 誰かって、例えば誰?」
「……例えば、カレン」
「なんでカレンに嘘つくのさー」

心配させるから、とか。あいつは3ヶ月前のあのことを気にしそうだから、とか。
言おうと思ったけど、でもやめた。

そして、数刻後。玄関で誰かが話しているのが聞こえた。
寝室で、毛布の中に潜りながら、誰が来たんだろうとぼんやり考える。

「あ。カレン」
「……よう。ラスは? いるか?」
「え。あ。えと。えーっと」
「なんだ。また仕事か?」
「ううん、あ、いや、そうじゃなくって。ら、ラスはイナいヨ? えと、朝から、ずっと出かけテて。仕事でシバらく、帰りは遅イって言ってタ」
「……おまえ、なんでラスの寝室のほうを気にしてるんだ。それと……声、裏返ってるぞ」

…………使えねぇ。
 
1本のマフラー
ラス [ 2004/01/08 0:01:21 ]
 素人の手で編まれた、シンプルなマフラーが1本。
最近は、外に出る時にはそれを身につけていることが多い。
理由は簡単だ。
空気が冷たいから。

12の月にひいていた風邪はとっくに治ってる。
ただ、冷たい空気を吸い込むと、ほんのわずかに引きつるような痛みが右胸の奥に走る。
そんなにひどいものでもないから、仕事をしても支障はないと思うけど。
でも、もしも、ということがある。
冷たい空気の中で、呪文を唱える羽目になったら。
集中して、いざ声を出す段階になって、吸い込んだ空気の冷たさで集中がわずかでも途切れれば。
取り返しのつかないことになる可能性は、ある。

だから、結局、いつもの店でハリートが言っていた仕事は断った。
貴族絡みで報酬は高額とのことだが……雪原の仕事というんじゃ、今はやりたくねぇし。

別に、1年や2年、仕事をしなくても暮らせるだけの蓄えはある。
こないだのレックスの報酬も、ようやく懐に入ってきたし。
だからしばらく大人しくしてるのが一番なんだろうと……わかってはいても、愚痴は洩れる。
愚痴の行き先はクレフェだった。
生命の精霊を知る、女の精霊使いへの質問……そんな形をとってみても、結局は愚痴でしかない。
それも、ただ単に自分の体力不足への愚痴。

そんなことを考えていると、堂々巡りになりそうだから、別のことを考えてみることにした。
このマフラーの送り主。
11の月の初めに、レックスから戻ってきた時に、誕生日祝いだと言って、娼館の女たちがいろいろと持ってきた。
その中に、送り主の名も記さずに紛れてたのがこれだ。
心当たりがあるような、ないような……いや、あるんだけど……特定できないというか……。

「似合ってるじゃない」と、クレフェに言われた。
風邪ひきファントーの代わりに買い出しに行った先で、市場のおばちゃんにも言われた。
言われるたびに、考えてみる。これの送り主を。
でも、思い当たらない。

……いや、思いだしたからどうだってこともないんだが。
でも、なんとなく気になる。
あんまり気になるから、いっそ別のマフラーを買うことにしようかと思うくらいに。
「編んだ女性の情念が籠もっていそうね」なんていうクレフェの言葉を鵜呑みにしてるわけではないけれど。

んー。微妙(←何が)。
 
所帯持ち
ラス [ 2004/02/01 0:53:32 ]
 「……あれ。言ってなかったっけ」
がりがりと頭を掻いたカレン。
聞いてねぇよ。なんだよ、俺だけかよ、知らなかったの!
「いや、オマエだけってわけじゃないだろうけど……」

ギグスのガキのことだ。昨夜、酒場でギグスに言われた。12の月の半ば頃に子供が生まれたと。
「女だったらアブねェトコだった。15年後位ににお前を刺したとか言い出しそうで怖ェ(笑)」
なんて言って、ギグスは笑ってたけど。
確かに女じゃなかったのは惜し……(けほん)いや、まぁそれはともかく。
めでたいことなんだ、もっと言いふらせっての!

まぁ、カレンが先に知っていたわけは、夏の終わりにギグスと酒場で会ってその時に話したと聞いた。
それが8の月の終わり頃だったと知って、その時にカレンが俺に何も言わなかったのを納得した。
言わなかったんじゃなくて、言えなかっただけなんだ、と。
……にしても、ひと段落した後にでも言ってくれりゃいいのに。
「本人の口から聞いたほうがいいかと思って」
ちぇー。

そして翌日。今日。
予定日は聞いていたが生まれたことそのものはまだ知らなかったというカレンと一緒に、ギグスの宿まで祝いの品を届けにいった。
ギグスなんざどうでもいい。大役を果たした奥方に。
入り用そうなもんを適当に幾つか。そして奥方には花束と菓子。ついでに、ガキが生まれて宿屋暮らしじゃキツイだろうから、伝手を利用して手に入れた幾つかの借家や長屋のリストも。

「……仲間がどんどん、しっかり所帯持ちになっていくよな」
帰り道、カレンがぼそりと呟いた。
「おまえは?」
「……オマエこそ」
「俺は、だって俺じゃん」
「なんだ、それ」
「おまえ、相手探す気なら、ナンパでもしてく? 夕方からエルフ語教師の仕事入ってるけど、その時間までならつきあうぜ?」
「俺はこれから神殿だよ。……時間あるなら、せめてどっかの店で時間潰ししろよ。あんまり外にいるな」
そう言って、俺の襟巻きの端をぴん、と指で弾く。

神殿に向かいかけたカレンが、ふと振り向いた。
「……2人でナンパするんなら……来週なら仕事は暇になる」
……なんだ。やる気あんじゃん。
 
平和な予感
ラス [ 2004/04/06 0:34:24 ]
 春の森での爽やかな仕事。
化け物相手じゃない仕事。
今回の相方はユーニス。

……なんだか、平和そうな予感だ。

オランを出発したのは5の日の朝。
ここからエストン方面に向かって、5日ほど歩いたところにある森が今回の仕事場だ。
ルカト村とかいう小さな集落の近くに広がる森。そこにしか生息しない、そしてこの時期にしか現れない珍しい蝶が欲しいという依頼。

もともとその蝶自体もそこらに飛んでるような蝶じゃない。が、この時期なら、その森では大量発生するらしいから、見つけるのは簡単だろう。問題はそこから先だ。
依頼人が欲しがってるのは、その蝶の中でも特に珍しく、5千羽に1羽の確率でしか現れない、炎の精霊力をまとった蝶。特殊な条件下では羽がルビー色に輝くとか。ただし、普段は至って普通。……というわけで、精霊使い向けの仕事になる。精霊力の働きを見極めることが出来る奴の。

金持ちな依頼人がどんな酔狂で俺たちを雇おうと構いやしねぇ。
生きたまま捕獲して連れてこい、って話だから、虫カゴぶら下げて仕事に行くのが、微妙に情けないビジュアルだけど、それも別に構いやしねぇ。
要は、その依頼を果たして、ちゃんと報酬がもらえればそれでいいんだし。


「依頼人の方はコレクターさんなんですか?」

そうか、俺が交渉してたからユーニスは依頼人の顔を見ていないのか。
まぁ、確かにコレクターと言えばコレクターだけど……。

「どんな方でした?」

想像してみろよ。

「えっとですねぇ……。こういうことにお金をかける人だから……ちょっと年を取った学者さんでしょうか」

ふんふん、それで?

「お屋敷の中にはもちろん、サンルームみたいなお部屋があって、そこに蝶がたくさんいるんですよ。そして、書斎の中には私なんか目眩を起こしそうなほどの書物がたくさんで。それと一緒に、蝶の標本がたくさん置かれてて。自分がもう少し若くて足が達者だったら自分の手で蝶を捕まえたいのに、とか悔しがったりして。どうですか? 何か1つだけでも当たってません?」

当たってません。

「え!? ひとつもですか!?」

依頼人は、金持ちの未亡人。今月の18の日が期限ってのは……その未亡人が今、ツバメにしたい男ナンバー1な奴の誕生日が18の日だから。その男が、蝶を研究してる学者の卵なんだとさ。
未亡人自身は、学者でも何でもない。
ただまぁ、コレクターなのは当たってるかもしれないな。蝶じゃなくて若いツバメのコレクションだけど。

「そうかぁ……わたし、まだまだ経験不足ですねぇ……」

………………いや、それって何の『経験』だよ。
 
足りないもの。
ラス [ 2004/04/08 0:16:58 ]
 「2人きりか…………変な気起こすなよ」
「誰が?」
「オマエ」
「……誰に?」
「ユーニス」
「…………なんで?」
「……そこまで言われてしまっちゃ、ユーニスの女性としての立場はどうなるんだろうな……」

今回の仕事に出る前に、カレンと交わした会話。
だって……なぁ?
いや、ユーニスは魅力的な女性だとは思う。見た目も、そして……なんていうか、反応も。
なんつーの? 頭のいい娘だとは思う。意外と鋭いし。思慮深いし。
ただ、そういう部分とは全く別の次元で……面白いというか、興味深いというか……趣があるというか。

あと2日ほどで目的の村に着く。
昨夜もその前も、道沿いに小さな集落があったから、野宿はしなくて済んだ。
ただ、今夜だけはそううまくはいかなかった。
道から少し外れたところで、野宿。
野伏としての知識もあるユーニスは、手際よく野宿の支度をしていた。
彼女が作った野伏料理もなかなかの味だった。
出発前の短い時間で、蝶のことも調べてきたらしく、その知識も申し分ない。

でも。
でもさ。

「昨夜は幅広剣を抱いて眠ったから、今夜は連接棍にしようっと♪」

……ぬいぐるみを選ぶ子供じゃねえんだからさ。
しかも、なんかすっっっげぇ幸せそうな顔して寝てるし。

変な気起こすって? …………誰が誰に?
 
帰路の心配
ラス [ 2004/04/11 2:29:27 ]
 (#{252}のユーニスの宿帳「たからものを胸に」中、#2「先輩とお仕事」の続き(?)です)

塩漬けの指の話でユーニスをからかうのにも飽きて。
何とも言えないニオイの中で羽化を見守るのにも飽きて。
……いや、ここについてから1日しか経ってないけどさ。
だって飽きるだろ!? 時々ふわっと羽化していく蝶は確かに綺麗だとは思うけどよ。

まとう精霊力はどうやらサナギの状態では見分けられない。……のか、それとも、今、目の前にある群れの中には目当ての蝶はいないのか。

「あ。でもラスさん。安心してください。ここ以外の場所で孵った蝶も、もう少ししたらこの先にある泉に集まるんですって。村の人に昨夜聞いたんですよ」

泉の傍に群生している、蜜の多い花に蝶たちが群がるとか。それは俺も聞いた。
その泉自体は、ここから先にある谷を通った突き当たり。
毎年この時期になると、谷が蝶で埋め尽くされるから、“蝶の谷”と呼ばれてる。
その地形を聞いたから、実はこの話をOKしたんだ。

孵った蝶を1羽ずつ追い回すのは大変……というか、めんどくせぇ。
だから、それならいっそ、谷をふさぐ形で、闇霊の壁でも立てれば、いっぺんに気絶させられっかなーと思って。

にしても……こんだけ全部羽化すんのかよ……(目の前の群れを見て溜息)。
期限に間に合うかどうか……。

「あ。ラスさんラスさん、安心してください。昨夜、村の人に他のことも聞いたんです」

ああ、そういやなんか熱心に話してたな。

「ここから1日ほど行くと、ハザード上流の村に出るんですって。そこでは森から切り出した材木をオランに運ぶ船があるらしいんですよ。材木用ですから、船っていうより、大きな筏みたいなものらしいんですけどね。それに乗せてもらえば、オランまでは1日で帰れるって言ってましたよー」

そうか。俺たちはハザードをさかのぼる形で歩いてきたから5日かかったけど、帰りは川を一気にくだるなら……って、ちょっと待てぇいっ!!
船か!? 船なのか!?(がーん)

「そうですー。船なんですよー。筏で川下りなんて、ちょっと楽しそうですよね。陽気も良くなってきたし。……ラスさん? そんなに楽しみなんですか?」
 
前夜
ラス [ 2004/04/14 0:38:02 ]
 (#{252}のユーニスの宿帳「たからものを胸に」中、#3「真紅の暁光 」の続き)<>

<>……だいたい、おまえは力加減というものをだな。
<>あんだけ力一杯、木にたたきつければ用意してた網の柄が折れるのも当然だろう。
<>「きゃー! ごめんなさーい」
<>
<>「でも、ラスさん。いくらなんでも『今すぐ標本にしてやる!』ってダガーを投げようとするのは……だって、生きたまま捕まえないとお仕事にならないですし、それに可哀想ですよ」
<>──いや。まぁ。その。……悪かったよ。
<>

<>そんなこんなで午前中が過ぎて、結局、今夜もここで過ごす羽目になって(←逃げられた)。
<>とりあえずは、早めに夕食の支度をすることにした。昨夜はユーニスの料理だったから今日は俺の番だ。
<>
<>──いいか、ユーニス。明日の夜明けがラストチャンスだ。
<>確かにサナギでいる間は精霊力を見分けることは出来ない。けど、逆を言えば、羽化さえすれば見つけられるわけだ。
<>今朝の精霊力を覚えているか。
<>この濃密なドライアード色の空気の中で、ほんの小さな、けれど見紛いようもない炎の精霊力。
<>もしも、他の精霊力ならわからなかっただろう。ノームでもシルフでもウンディーネでも。
<>森妖精の奴らが炎の精霊力をあまり好まないのは、それが自然の状態の森の中では存在しないからだ。そして、ややもすると、森にとっては害になりかねないからだ。
<>つまり、それだけ、あの蝶に宿る炎の精霊力というのは森の中では目立つ。
<>
<>更に言えば、蝶ってやつは、羽化してすぐに飛び立てるわけじゃない。
<>夜明けと同時に羽化しても、しばらくは羽を乾かしてるわけだから、少なくとも半刻は羽化した場所から動けない。
<>それだけ目立つ精霊力をまとった奴が少なくとも半刻はじっと動かないわけだから、夜明け前からサナギたちを一望出来る……そうだな、木の上がいいか。そこでスタンバイしていれば、必ずそれは俺たちの感覚の中に飛び込んでくるはずだ。
<>いいか、気を逸らすなよ。集中して、あたりの精霊力を感知し続けるんだ。小さな変化を見逃すな。
<>
<>
<>「わかりました!」
<>真剣な顔で頷くユーニス。……よし。さてと、それじゃ晩飯の支度を……。
<>
<>「ところで……あの。ラスさん……?」
<>
<>……ユーニス。顔が赤いぞ。
<>
<>「いえ。もし明日の朝、うまくいけば、2人きりで過ごす夜は今日が最後になるわけですから……(もじもじ)」
<>
<>だから何?(調理中)
<>
<>「ラスさん……わたしの言いたいこと、わかってるくせに。以前から、お願いしたいと思ってたんです。噂によると、ラスさんは慣れてるからお上手だって……。それとも……わたしじゃ不満ですか?」
<>
<>……ユーニス。そういうことじゃなくて(調理中)。
<>
<>「街の中だと目立っちゃうけれど、ここなら誰もいないから……それに、向こうに少し広い場所があるんです。心地のいい草原が。……ね? いいですよね?」
<>
<>ヤだ(どきっぱり)
<>
<>「えー。どうしてですかー。夕食の前に、軽く組み手のお相手お願いしたかっただけなのにー。盗賊の方とはあまりお相手していただく機会もないですし……それにラスさんなら、普段の路地裏で同業者以外の方との組み合いも慣れてますよね?」
<>
<>おまえとやったら、『軽く』にならねぇからイヤなんだよ!
<>ってか、今だって、顔が上気するくらい筋トレしてたんだろ? それで我慢しとけ!
<>そもそも、俺とおまえじゃ、俺が軽く放り投げられて終わりだろうが!
 
森の精霊力
ラス [ 2004/04/16 0:29:15 ]
 (#{252}のユーニスの宿帳「たからものを胸に」中、#3「火蜥蜴の吐息」の続き)

いいか。もし首尾よく見つかったら……。
ユーニスが眠っている間に考えたことを、交代の合間に告げたのは昨夜。
夜明け間近の今は、2人とも木の上にいる。
俺の位置はサナギの群れを見下ろす位置。ユーニスが登った木は少し離れた位置。

山間から陽が昇る。新緑の森に、透明な朝日が切り込んでくる。
そして、蝶の羽化が始まった。
息を詰めて見守っていると、そこかしこでかすかな音が聞こえる。おそらくひとつひとつは小さな音。
何千羽もの蝶が一斉に、サナギという殻を破って出てくる音だ。

目を閉じる。感覚を別の次元に移す。
まず感じるのは、濃密なドライアードの気配。
それを育む温かなノームの気配。
木々の隙間をすり抜けていくシルフの気配。
わずかにウンディーネの気配が混じるのは、そこかしこに朝露があるせいか。

そして、捉えた。
それらとは馴染まない、けれど馴染んでいる、そんなサラマンダーの気配。
目を開けて、木から飛び降りる。その直前にユーニスも叫んでいた。
「ラスさん、あそこ! 若いクヌギの枝に居ます!」
──いいぞ、ユーニス。優秀だ。


  いいか。首尾よく見つかったら、おまえは近づくな。

  「え? でも……」

  理由がある。別に男だからとか女だからとか、ンな間抜けなことを言うつもりはない。
  確かに体力的な面や、後々の交渉を考えるなら、おまえが捕まえたほうがいいんだろう。
  でもな。運ぶ時のことを考えろ。蝶が呼吸出来るように運ぶんだとしたら、どのみちヤバいだろ?
  俺なら、おまえに出来ないことが出来る。
  なに、大丈夫だろ。羽化直後に見つければ、羽はまだ湿ってる。
  完全に羽を開く前に、俺が辿り着ければ、俺たちの勝ちだ。


森の下生えをかき分けて、目指すクヌギの木に辿り着く。
差し込む朝日の中で、羽化を始めている蝶たち。早い奴らはもう半分以上羽が乾き始めている。
ひょっとしたら、と考える。
ひょっとしたら。……炎の精霊の加護を受けた蝶なら、他の蝶よりも羽が乾くのは早いかもしれない。

森の中では異質な精霊力。それだけを頼りに探す。
探していた時間が長かったか短かったかはわからない。俺にとっては長く感じられたけれど。

そして見つけた時には、蝶はもう羽ばたきを始めようとしていた。
枝に手を触れないように……枝を揺らさないように。最大限、自分の気配を絶って近づく。
口元の布を引き下げると同時に、手を伸ばし、すかさず精霊語を紡ぐ。

<眠りを司る小さき者よ。この蝶の目に砂を>

最初の羽ばたきを始めたと同時に枝から落ちたそれを、手のひらで受け止める。ふわり、と……なんだか暖かく感じたのは、そこに働く精霊力をそのまま感じているだけなんだろう。
さてと。
…………今日は13の日か。今日、このままオランに向けて発てば期限には間に合う。
けど……多分、急いだほうがいいんだろうな。

あーあ。船かー。
 
18年前
ラス [ 2004/05/24 0:31:28 ]
 いつもの店でホッパーに会った。
一週間もかかったクソつまんねぇ仕事が明けた後に、いつもの木造の酒場で。

冒険者になってちょうど1年だというホッパーに、この仕事について聞いてみた。
するとホッパーは、大変だけど面白いと笑っていた。
この1年、何度か話は聞いている。死にそうな目に遭った話も。大変だった話も。
それでもそれを全部ひっくるめて面白いと。過ぎてしまえば知的好奇心に繋がるから、と。

そんな話をしていて、自分が1年目だったころを少しだけ思い出した。
18年前の話だ。森を出た次の年から冒険者生活を始めた。

「予想するに、遺跡に潜っていたり、大変な依頼に四苦八苦していたり、誰かともめて喧嘩したり……などでしょうか?」

そう言って笑ったホッパー。
それはおおかた間違いじゃない。あの頃はまだ遺跡に潜れるような腕じゃなかったから、遺跡関係の仕事をしたことはなかったけれど。
ただそれよりも覚えてるのは、あの頃が一番くさってた頃だったな、と。

森で習い覚えた精霊魔法は、平時の状態ならば、召喚した精霊を自分の持ち物に宿らせるくらいのことは出来た。相手の声を封じることも、ノームの石つぶてを使うことも出来た。
けれど、冒険のさなかではそれが出来なかった。
おそらくは、集中力の問題なんだろう。
戦闘の中で、一瞬のうちに使うべき魔法を見極め、あたりの精霊力を確認し、自分の『声』を精霊に届かせる。……それはとてつもなく難しいことだった。

実戦で魔法を使うことの難しさをあらためて突きつけられて。魔法に対するスタンスを一から変えざるを得なくなった頃。それが、ちょうど1年目……18年前のことだ。
同じ頃に、もしも魔法が通常通りに使えたとしても、自分に出来ることには限界があると知らされた。その時組んでた仲間が死んだからだ。
結局はそれがきっかけで盗賊の技を習い覚えて、それでも実戦経験のない盗賊に出来ることは限られてる。自分の身を守るだけで精一杯だし、時にはそれすらうまくいかなかった。

あれから18年経って、実戦の中で魔法を使うことにも躊躇はしなくなって。
盗賊技のほうは、鍵開けや罠を探ることは今でも苦手だけど、剣を使うことには不自由しなくなって。

ホッパーの顔を見ていると、あの頃の悔しさを思い出した。
悔しくて、面白くなくて、自分に自信がなくなって。
それでも、冒険者という仕事をやめなかった自分を。
それは、意地だったのかもしれない。たとえやめても自分には他に出来ることがないし、行く場所もない、だからこその意地。

悔しさからスタートした自分と、面白さからスタートしたホッパーと。
辿る道がどれほど違うのか。
もう少し、ホッパーの冒険者生活を眺めてみたくなった。
 
非日常
ラス [ 2004/05/29 1:26:26 ]
 不快さで目が覚めた。妙に体が軋む。
<>関節という関節が、きしきしと音を立てているかのような。
<>毛布の中で丸まって、そこが馴染みの娼館だったことを思い出す。
<>
<>夕方の早い時間に娼館回りの仕事が一段落して、最後の店で酒でも飲もうかと思っていたら、店主が声をかけてきた。
<>あまり評判の良くない新入りがいる、その原因を突き止めて、ついでに諭してやって欲しい、と。
<>そこまで思い出した時、覗き込んできた顔を見て、夜伽の相手も思い出す。
<>半刻ほどのうたた寝が中途半端だったせいか、妙に頭がぼんやりしてる。
<>
<>「あら。目が覚めた? もっと寝てていいのよ。ねぇ、あたしの可愛いボウヤ」
<>
<>……待て。ちょっと……目つきがヤバくないか、この女。
<>体の軋みも治まったようなので、寝台から起きあがろうと……あれ? ……これって……?
<>
<>ふと、眠る前のやりとりを思い出した。ほんの半刻ほど前のことだ。
<>好きだった男がいた、と言っていた。俺によく似た金髪の森妖精だと。
<>自分は結ばれるつもりでいたのに、相手の男はその結果のことを思うと耐えられなくて逃げ出したと。
<>そんな話を聞いて気分がいいわけもない。
<>コトが終わった後で良かったと思った。始める前だったら服も脱がずに部屋を出ていただろう。
<>
<>自分の金髪は少し暗い色だけれど、彼の子供を産めたとしたら、きっと綺麗な金髪の子供だったろう、と呟いていた。
<>貴方のようにね、と続けながら口移しで飲まされた酒はやけに甘かった。
<>「洋梨と蜂蜜のお酒なの。気に入った?」と笑ってた。
<>甘い酒は好まない、と彼女に伝えていなかった。この店の女たちは、俺の好みを殆ど知っているはずだが、彼女はまだ入って日が浅い。
<>
<>多分、こうやって埒もない話をしたがるあたりが『評判が悪い』ということなのだろうと思った。
<>それ以外のところは特に取り立てて不満はなかった。
<>──ひと眠りして、目が覚めるまでは。
<>
<>「ねぇ。あたしの可愛いボウヤ」
<>
<>って、おい。
<>なんで俺、ちっちゃくなってんだよっ!!?(がーん)
<>
<>抱きすくめようと覆い被さってくる女の視線が危うい。精神の精霊は絶対に覗かないでおこうと思った。
<>とりあえずこの女を押さえ……って、この体で?(滅) どう考えても3〜4才サイズじゃん!
<>……いちかばちか。力が足りないなら魔法で、と。そう思って、闇霊を呼び出した。
<>かなり効いたようだが、まだ気絶はしない。ふらふらした足取りで近づいてくる。
<>万全の状態なら、戦い慣れてない人間1人くらい1発で気絶させられるのに。
<>もう1発。それでようやく気絶してくれた。……けど、こっちもかなりギリギリだ。
<>闇霊の1発2発がこんなにキツイなんて。……嘘だろ?(汗)
<>
<>物音を聞きつけたのか、店主がそっと扉を叩いた。扉の外に店主が一人なのを確認して扉を開ける。
<>店主の驚愕の顔を見るまでもなく、今までこんなことがなかったのはわかる。多分、俺が『金髪の半妖精』だったからだろう。
<>いろんな後始末は後で俺が手配するから、まずはこの姿を他の娼婦連中に見られないようにそっと外に出してくれと要請する。ついでに女はどこかに軟禁しておくように。
<>あと、出来れば服の調達を。今のサイズの。
<>
<>今はちょっと……これ以上考えがまとまらない。
<>まず……まず、ちょっと俺を冷静にさせてくれ(家までダッシュ)。
 
別の日常
ラス [ 2004/05/31 23:42:50 ]
 解毒の待ち時間があと1週間ほど。
とりあえず仕事も出来ないし、そもそも外に出るのもまずいから、一日中、家の中で過ごしている。
とはいえ、人通りの少ない時間に庭に出るくらいはいいだろうと、クロシェを連れて外の空気を吸いに出る。
と、見たことあるようなないようなガキがこっちを見ていた。
やべぇ、とは思ったものの、相手がガキならまぁ別に構わないか、とそのまま庭に出た。

「おまえ、どこのガキだ」

……ガキにガキって言われたよ、俺(がーん)。
見たところ、相手は6〜7才。今の俺よりも一回りは大きな体格だから、向こうにしてみりゃこっちは“ガキ”なんだろうけど。

「無視すんなよ、チビ」
「(かちーん★)……俺はそんな名前じゃねえ」
「じゃあ、なんて名前だ」
「てめぇに教える義理はねぇ。うせろ。うぜぇ」
「おまえ、ここんちの子供か。ここんち、変な冒険者が住んでんだろ? ブッソー(注:物騒)だから近づくなってうちの母ちゃんが言ってたぜ。それにここ、前は幽霊屋敷だったんだってなぁ?」
「ああ、物騒だ。だから近づくな。……ガキは嫌いなんだよ」
「ブッソーだろうと何だろうとオレは怖くねぇもん! ってか、おまえこそガキだろ!?」

──47才なんですけど。
ああ、思い出した。こいつ、3軒向こうの家の子供だ。

「なぁ、ここホントに幽霊屋敷なのか? 探検させろよ、探検!」
「幽霊なんざいねぇっての(内心:そりゃブラウニーが荒れてた頃の話だろ)」
「んじゃ、勝手に探検しちまうぞ。最近は、あの金髪のにーちゃんも見かけないし。留守なんだろ」
「あ。馬鹿。勝手に入るんじゃねえよ」
「うるさいっ!」
「(振り払われてすってんころりん)…………てめぇ、このクソガキ。教育的指導すんぞコラ」
「やれるモンならやってみろ!」
「よく言った。後悔すんなよ」



「……この痣と鼻血は……?」
神殿から戻ったカレンにアイリーンが事情を説明する。ち。
「……なるほどな。オマエ……見た目がガキだからって中身までガキと同レベルになるなよ……」

いや。同レベルになったつもりはなくて。成り行きで。
そもそもあんなクソガキくらい軽くあしらって終わり、と思ってたら、始めてみるとそうもいかなくて。
マウントなんて久々に食らったぜ(舌打ち)←後悔したのはこっち。
なんてぇの? 体格差? 向こうのほうが力も強いし体も……。

「……そういうことを言ってるんじゃない。オマエ、次に同じコトやったら本当に尻ひん剥いてひっぱたくぞ」

……わかった(頷)。
────こいつならやる。本当にやる。
 
訪問者2人
ラス [ 2004/06/12 4:10:03 ]
 <6/1>

ハリートが訪ねて来たのは計算外だった。まぁ、あいつなら口は堅いから大丈夫だろうけど。
ハリートが持ってきた籠に入っていたカードを見て納得する。
例の薬を飲む少し前にちょっと手を貸した冒険者だ。
今度メシを奢る、と約束してくれていたが、どうやら遺跡へ出かけるらしい。出かける前に約束を果たしておこう、ってわけか。律儀な奴らだ。
……帰ってくるまでの約束ってことにしときゃいいのに。身辺整理していく奴って縁起わりぃんだよな(ぼそ)

そしてハリートから聞いたネタがひとつ。
どうやらあの娼婦に薬を売った奴がいるらしい。
他の街から流れてきた薬師だとか。……普通の薬師ならともかく、そういう毒薬まで調合する奴か。
まぁ薬師が普通に仕事をする分にはギルドはあまり関係ねぇけど。
ただ、少し前に噂は聞いていた。他の国のギルドから流れてきた兼業薬師がいるってことは。そしてハリートから聞いた人相とも一致する。……と思う。
そいつがこっちのギルドに顔出ししてなかったとすると……報告はしといたほうがいいんだろうな。

「……ラスさん。あまりラスさんの字に見えないです」

うるせぇ、アイリーン。これでも真面目に……(羊皮紙を見る)……おまえ、代わりに書け。んで、ついでにギルドに持っていけ。


……しかし。
予想通りの反応だったぜ。クレフェのやつ。

「あなた、生命の精霊に手を出したの!?」

確かに生命の精霊を狂わせれば時を逆行すると聞いたことはある。だからって、なんで俺が。
ってか、そもそも応えちゃくれねぇだろ。俺には。
最近は落ち着いたと思ったのに……女ってのはどうしてこう、若返りだとか永遠の美だとかに執着するんだか。

あー。いろいろめんどくせぇ。
早く元通りになんねぇかな。小さい体ってのも不便だし。

「牛乳飲むと大きくなるですよ?」

アイリーン……違うだろ。っていうか、さっさと出かけろよおまえはよ。
 
解毒
ラス [ 2004/06/12 4:11:28 ]
 「じゃあ、これで解毒の魔法は終わりです。もうお帰りになって結構ですよ。……ご喜捨、誠に有り難うございます(深々)」

…………え?
えーと。大きくなってないんだけど。

「……変化なしなのか?」

付き添いのカレンが覗き込んでくる。
──見ての通り。いや、なんか体ん中がざわっとした感じはしたけど。なんていうか、精霊力が整理整頓されたような?

「わかんねぇよ、その言い方じゃ」

「先ほど解毒した毒は特殊なものでして、解毒が終わってから数日かけて元の体の大きさに成長していきます。解毒の後、即元通り、というわけにはいかないものでして……」

目の前の司祭がそう説明してくれる。……ふーん。不便なモンだな。
あーでもなんか、言われてみれば、関節が軋んできたような。
小さくなった時と同じようなざわざわ感っていうかなんていうか。痛くはないけど微妙に気持ち悪い感じ(謎)。


「さ。んじゃ帰るか。アイリーンがメシ作って待ってるし。……ほら。背中に乗れよ」

……なんでわざわざ背中に?

「……足もと。危なっかしい。それに、これから成長していくんならなるべく早く帰ったほうがいいだろ。……服、きつくなってくぞ」

そりゃそうだ、と納得して背中に乗る。
そして帰り道。

「……なんか、気のせいかな」

なにが。

「……重くなっていくような気がする。……どっかの村の民話にあったよな。子供だと思って背負って歩いてると、どんどん重くなっていって、最後には」

スプリガンになる?

「ならねぇよ」
 
夏の終わり〜秋
ラス [ 2004/10/09 8:12:54 ]
 あれは……いつだったっけ、こないだ……いや、ちょうど1年くらい前か。
去年の11の月だった。遺跡から帰ってきて、ついでに誕生日を少々過ぎた頃。

遺跡に行く前に、ちょっとだけ死にそうになって、遺跡自体もかなり……なんというかヤバい遺跡だった。
そんなこともあって、多少は疲れてたのかもしれない。
誕生日を迎えて1つ歳をとるのは、それだけで女には重大な出来事なんだとクレフェが言っていた。
それ以外にも、歳を重ねることに何かの含みがあるようだったが、それは聞いていない。
クレフェが話すつもりになれば、いつか枕辺で聞けるかもしれないが。

ちょうどその頃に、アーヴディアのベッドに泊まった。
そしてその数日後には、クレフェと2人で某宿屋のベッドを借りた。
その2晩とも……事後にどうやら熟睡したらしい。

なんでそんなことを今頃思い出すかといえば……クレフェだ。
夏の初めに、ちょっとしたドジで、小さなガキの姿になって……そこへクレフェが訪ねてきたもんだから、なんとか

誤魔化そうと、親戚のガキの振りをした。
そして、まぁ……勢いでクレフェをおばさん呼ばわりしちまったわけだ。
演技の範囲、とはいえ、クレフェの恨みを買ったらしく、夏の終わりにしっかり仕返しされた。

──貴方の寝顔は「賢くて愛らしいボウヤ」の面差しそのままだったわよ。

………………………。(←なんか複雑らしい)

外で熟睡することはほとんどない。ベッドを共にした女に寝顔を見せることもない。
職業柄、安全が保証されない場所ではあまり眠り込まないようにしてるから……ってのもあるが、
他人の前で無防備になることを、無意識に嫌がってるんだろうと思う。

今年もまた、誕生日が近づく。
……ヤバイな。誕生日の前後って、いろいろ微妙なんだよな……。
 
その他諸々
ラス [ 2004/10/28 22:43:15 ]
 シタールがパダから戻ったのは、2週間くらい前だ。
向こうでバイトしていた店が、店主の結婚で畳むことになったらしい。

そして、戻ってきて早々に儲け話に辿り着くあたりが、あいつらしい。
ギグスが持ってきた儲け話にシタールが食いつき、その場にいた俺も誘われた。
おそらく、あいつの計算の中では既にカレンも頭数に入ってる。
「あとは腕のいい“薬”探すか」とは言ったが、「“鍵”を探すか」とは言わなかったから。
そして俺自身は、返事を保留したにもかかわらず、カウントされている。
……けどさ、船だろ?(汗)

船に乗ってる最中と、上陸してからほぼまる1日、使い物にならない可能性は高い。
それを承知で、あいつらは俺に来いと言っている。
向こうが承知なら、こっちも覚悟を決めるか……。

そう思って、巣穴にその予定を話したら、しばらく留守にする代わりにと厄介な仕事を押しつけられた。
……報告しなきゃよかったぜ。

その厄介な仕事をどう片付けようか考えながら、街を歩いていると、仕事の合間なのか、露店を覗き込んでいるバシリナ発見。
とりあえず気に入ったらしい細工物をプレゼントして、食事の約束を取り付ける。
このことはロビンの耳に入らないようにしねぇと、邪魔されそうだ。

そして、バシリナにコナかけてる最中に偶然出会ったイゾルデと、イゾルデの荷物持ちをしていたシタール。
話を聞くと、イゾルデの昔の仲間が西からオランに来たので、その歓待の用意らしい。
更に聞くと、昔の仲間というのが女性ばかりだという。
行かない手はねぇよな。

イゾルデの家で食事の用意を手伝いながら、イゾルデに聞くと、仲間の1人はエルフだと言う。
「だから、ラスくんがエルフの口に合うような料理を作ってくれると便利なんだよねー」
「……って、エルフなら俺がいちゃまずくねぇ? 大丈夫なエルフなのか?」
「んー。どうだっけ。ま、大丈夫だと思うよーん」

そして、女性達が集まってくる。
そのうちの1人はシタールと昔なじみらしく、しきりにシタールにまとわりついている。
ライカのことを気にしてか、シタールは距離を置きたがっているようだが、カナンというその女性は積極的だ。
……あ。押し倒された。
……あ。キスされた。
どんまい、シタール。

人間ばかりの中に、1人だけエルフがいる。銀髪を肩口で切りそろえた女。
俺と話す時だけ、少しだけ表情が硬い。ほんのわずかに口調がぎこちない。
なるほど……大丈夫ではあるけれど、慣れてない、ということか。
ということで、俺は自分の位置をそのエルフの隣に決めた(勝手に)。
イゾルデが、「ありゃりゃ」という顔で見ていた。

──誕生日前のこの時期は、機嫌が不安定になるけど。
そしてセシーリカは、誤魔化してると後でどっとくるよ、みたいなことを言って脅すけど。
でも、目先のことだけを考えるなら、こうやって忙しさで紛らすのは悪くないのかもしれない。
 
誕生日
ラス [ 2004/11/04 1:15:04 ]
 こないだから、ちょっとばかり忙しくしていて……そして一昨日の夜から昨日の朝にかけて、その詰めだった。
油断したつもりはないし、多少徹夜が続いたからって、ガタが来ていたわけでもない。
単純に、向こうとこっちの技量差だったろう。背後をとられたのは。
相手が絞首紐使いで、絞め上げられる羽目になった。

まぁ、なんとか抜け出して、なんとか仕事も片づいたが……喉は随分と痛めたらしい。
声はかすれるし、何か口にすれば喉に沁みるし。そもそも空気すら沁みて、咳き込む羽目になる。
そんな状態で家に戻ってみれば、カレンとセシーリカの合作だというスープが。

……ひとつだけ解らないのは、野菜と肉のスープだというそれに、どうしてシナモンが大量にぶちこまれているか、だ。

だがそれが、カレンからの誕生日の祝いだと言われれば食わないわけにもいかない。
他にも大量にいろいろなスパイスが入っていたのをいいことに、別のスパイスを追加して、南国風の別料理に変えてしまったが。
そしてセシーリカも、祝いだと言ってプレゼントを持ってきた。

祝いだと……誕生日ってのは、俺にとっては見た目と実年齢が離れていくことを再認識させるものでしかない。
そして、それでもほんの少しずつは見た目が変わっていく。それはエルフとも違うことを認識させられる。
そんなことを最近はずっと考えていた。だから、誕生日が来るのは楽しみでも何でもなかった。
けれど、それでも。
祝ってくれるのか。

おまえだって、少しずつ変わってる、とカレンは言った。
そして、料理を教えてくれと言いだした。
野営中のメシ作りを少しでも手伝いたいと。
戦闘と同じで、そこには役割分担があってもいいと俺は思っていたんだけれど。
……こいつも、変わっていこうとしているのかもしれない。
ついでだから、明日からセシーリカも一緒に仕込んでみることにした。

喉は痛いし、咳き込みすぎて体力は使うし。
でも……不思議と、穏やかな気分になったような気がする。

スパイスのたっぷり入った(元)野菜スープは、喉に沁みた。
けど、美味かった。
 
料理指南
ラス [ 2004/11/14 23:54:00 ]
 セシーリカとカレンへの料理指導。

……………………………。
……………………。

……俺はもともとは人間の街で生まれたが、その頃のことはほとんど記憶にない。ガキ過ぎた。
はっきり記憶してるのは、エルフの森に移る前後からのこと。
だから、言葉も習慣も、全てエルフ育ちといっても過言じゃない。
ということは、俺には、神に祈る習慣はない。
神のことを知識として知ってはいるが、それが信仰とか祈りという形態には結びつかない。

「ラスさーん、お芋切ったよー。ニンジンも。次は?」

──そう叫ぶセシーリカの手元にあるのは、芋とニンジン。

「……出来た。と、思う。……味見してくれないか」

──そう呟くカレンの手元には、湯気のたつ小皿。

神に祈りたくなる気持ちが、少しだけわかったような気がした。


「おう、ラス、いるか? ああ、こないだ言ってた資料とやらは見つかったか? いや、ライニッツの奴がよ……」

シタール!!!!(すがりつくような視線)

「おいおい、なんてツラぁしてんだ。お、そういや、来る途中で焼き栗屋があってよ。小腹減ったから買ってきちまった。みんなで食おうぜ」

……カミサマありがとう。
 
衝撃の告白
ラス [ 2004/11/18 23:23:41 ]
 セシーリカとカレンを見ていて、気付いたことがある。
2人が料理を苦手に……というか、出来上がったものの味がエキセントリックなものになるのが何故かということだ。

セシーリカは、まず不器用だ。
せっかく切った素材の形が揃わない。ということは、火が通る時間も違うから食感も違ってくるわけで。
そして、せっかく用意した調味料を鍋に入れるまでにこぼす。こぼした分を追加しようとして量り間違える。
そして、火加減を調節しそこねて焦がす。もしくは生煮えになる。

カレンのほうは……重大な欠陥がある。
奴には味覚のセンスがない。
手先も器用だし、段取りも最近は手慣れてきている。
ただ、味見をしても、奴には意味がない。それが美味いか不味いかわからないんだから。

どうしたもんかね……。


ああ、とりあえず来週から俺、パダにちょっと出かけてくるから。
ん? カレンも仕事? そっか。んじゃ、どっちにしろしばらく料理修行は休みだな。

と、そんなことを話しているうちに、2人の料理が出来上がる。
一応、多少は上達し……………………てなかった(滅)。
なんかこう……。

「よーっす。また来たぜー。いいワインが手に入ったんだよ。んで、そこの市でいい鹿肉売ってるやつがいてよ。これでこのワインを飲めば……って、なんか妙な匂いがしてるな、この家」

シタールが来た。……救いの神だ。

「……そんなに不味いかな」

不思議そうに言うカレン。……いや、『そんなに』ってほどじゃないが、決して美味くはねえぞ。
っていうか、だいたい、おまえはどうしていきなり料理を覚えようなんてことを……。

「でもさ。これ……割とイケるよな。セシーリカのと同じくらいには」

…………は? なに?
どういう意味?

「……いや、オマエやシタールの料理は美味いと思うけど。俺、セシーリカの料理も結構美味いと思うんだよな。ってか、普通の味」

…………。

「おい……カレン……」
「カレンさん……変だよ、それ」

シタールとセシーリカが同時に突っ込む。っていうか、セシーリカ、自分で言うな。

「だからさ……なんていうか……今、俺とセシーリカが作ったこれと、普段のセシーリカの料理と、シタールのと、ラスのと……みんなたいして違わないっていうか……」

(Σ( ̄□ ̄;がーん)

「……あ、いや、もちろん、シタールのとラスのは、その中でもかなり美味いとは思うけど……」

………………。
とりあえず、俺とシタールは一瞬見つめ合って、2人で同時に溜息をついた。
 
出張前日
ラス [ 2004/11/22 0:06:42 ]
 巣穴関係の仕事で、明日からパダに出張……という時になって思いだした。
こないだユーニスも気にしていたが、そろそろファントーが山から下りてくるのかもしれない。
が、最近は、カレンがうちに住み着いている。

んー……寝室が足りないな。いや、俺が使ってるほうの寝室は広めだから、ベッドをもうひとつ運ぶっていう手もあるが。
今年の春まで、ファントーがいた時だって、カレンが泊まり込む時もあったんだし。
奴はもともと、それ用に俺の寝室にソファをひとつ運び込んでるし。

「うす、ラスさん。明日からお仕事なんでしたっけ? 留守にするなら、クロシェの餌やりにきましょうか」
ケイドが訪ねてきてそう言う。
いや、カレンも仕事中とはいえ、一応家には戻ってくるはずだから。それはカレンがやるから大丈夫。
っつーか、おまえ、それを聞きにわざわざうちに?

「まさか。屋根裏に置かせてもらってる本を取りに来たんですよ。少々調べ物のバイトを頼まれまして」
そう言ってケイドが天井を指さす。
屋根裏。
そうか、屋根裏。

俺の家そのものは切妻造りだから、家の中央部だけは屋根裏の天井も高い。
そこを中心にして、左右に多少広いスペースがある。
その一部が物置……というか、ケイドの本を置く場所に貸してるんだが……まだスペースは余ってるはずだよな。

なぁ、ケイド。屋根裏ってもうひと部屋作れそうか?

「ラスさん、俺から言うのもどうかとは思うんスけど、女性を屋根裏に住まわせるのは感心しません」

とりあえず軽くどついておいて、俺はダルスを探しに外へ出た。
ダルスなら、俺がパダに出かけてる間……10日か15日か、そんくらいあれば仕事を完成させるだろう。
 
100ガメルの仕事
ラス [ 2004/12/11 2:00:07 ]
 パダへの出張から帰ってきて、それ絡みの仕事も片付けた翌日。
木造の酒場で、馬鹿(注:ロビン)が騒いでいた。仕事をよこせ、と。
すったもんだがあって、なんとなく俺の手元に残ったのは、
「屋敷の地下に入り込んだ鼠(大)を始末してほしい」という依頼。仕事料100ガメル。
下水道の通路と地下室の間の壁がもろくなっていて、そこの隙間から巨大鼠が侵入したらしい。

普段ならもちろん断る仕事だ。
駆け出しの貴重な食い扶持をかっさらうほど俺は金に困ってるわけじゃない。
ただ、ナイル商会の依頼だということにちょっと食指が動いた。
ナイル商会の店主には妾がいる。そしてその妾との間に出来た娘が別邸に住んでいるらしい。その別邸での仕事だという。
……面食いの店主のことだから娘もさぞかし……。
(こほん)ま、ナイル商会と伝手を作っておくのも悪くない。

そう思って来てみたわけだが……。
まいったな。この娘……妾の娘だっつーから、多少はスレてんだろうと思ったら……。
本家のほうに子供がいないせいで、お嬢様育ちらしい。テンポがズレてる。
見た目は悪くないが、こういうのを相手にはしたくないな。おとなしく仕事だけ終わらせるか。

「それでですねぇ〜……」

長い話をなんとか最後まで聞いて、要約してみると。
まず、鼠が出たらしいので娘は母に相談した。そうすると母はナイル商会の主に相談した。
店主は冒険者にあまり縁がなかったので、周りの商店主たちや雇い人に聞いてまわって情報を集めた。
そこから冒険者の店へと依頼がいって、それを俺が受けた。
ただし、その間、1ヶ月。

「入るのが恐いので、扉は施錠していたんですの……。今、どういう状況になっているのかは、あいにくと存じ上げませんが……」

扉の前で、よろしくお願いいたしますわね、とにっこり微笑んで、俺に鍵を渡してくる娘。

……いや、ちょっと待て。なんか……扉の向こうで聞こえる足音や鳴き声って1〜2匹じゃねえんだけど。
……………。
……。


報酬のつり上げ交渉には夜までかかった。
 
気になってること。
ラス [ 2005/03/28 22:58:26 ]
 「……糸みたいなもんかな」

海(#{303})から帰ってきて情けない話だが数日は寝込んだ。
起きられるようになってから、景気づけ(?)に、道行く女性たちとの交流を楽しんでもみた(注:ナンパ)が、今ひとつ本調子じゃない。
どんな感じなんだ、とカレンに聞かれて、説明する言葉に迷ったあげくに選んだのが、『糸』という言葉だった。

クレフェは以前、精霊たちの操り糸をこちらから逆にたぐり寄せて操ってやりたいと口にしていた。
彼女にとっては、精霊に触れるもの、精霊の力の道筋が糸なのかもしれない。
俺にとっては、精霊の力そのものが糸のように思える。

例えば目の粗い織物があるとして。──そう言って、カレンに説明を試みた。
織り糸が複雑に絡み合って綾を成している。その織り糸の1本1本が、それぞれの精霊が司る力だ。
正しい場所に正しい力加減で織りなされていれば、その織物は正しい模様を描く。
ただ、その中の1本だけが強い力で引っ張られたり、数本が互いに別々の方向へ引っ張られたりすれば織物は歪む。
そうなれば、それはもとの模様を壊してしまう。
強い力で引っ張られた時に、反対の端をとどめるための何らかの力がなければ糸はやがて抜けてしまう。
抜けてしまえば、模様を修復することは不可能になってしまう。

「……なるほどな。あのエルフはそうなってしまったということか」

だろうな。エルフにはもともと、とどめる……いや、留まろうとする力が薄いのかもしれない。
だからこそ容易く精霊界に感覚をとけ込ませて、そうやって精霊魔法を使うから。
ひょっとしたら、精霊を『友』と呼ぶ奴らだからこそ、精霊が自分の意志を無視して、まるで蹂躙するかのように力をふるうことに必要以上の衝撃を感じてしまうのかもしれないけどな。

「で。おまえのそれはしばらくかかるのか?」

自分の感覚としては、自分の中身と外側が微妙にズレたような感じ……と言ってもわからないんだろうな。
さっきの喩えで言うなら、何本かの糸が強く引かれた影響で、まだ模様がズレたままになってるんだろう。
同じく強く引き戻しても、それに交わる別の糸がまたずれる。
だから、ゆっくり、他の糸に影響が出ない範囲ないで1本ずつ引き戻していくしかないわけで。

まぁ、しばらくゆっくり……あー……いや、何日か森に籠もってくるかな。
でもまださすがに、木の上で寝るには寒いよなぁ。

とりあえずさ、俺、自分の体調よりも気になってることがあんだけど。
──シタールとレイシアってどうなのよ?
 
頭痛の種
ラス [ 2005/04/13 1:14:53 ]
 どうにもおさまらない頭痛と目眩をどうにかしてもらおうと思って、イゾルデに来て貰ったのは10日ほど前だ。
どうやらイゾルデ自身も、少しばかり不安定だったらしく、うまくいかなかった。
頭痛自体は、そんなに激しいものじゃないし、そう頻繁にあるわけでもないから、イゾルデの言うように、じっくりゆっくりバランスを戻していくってことには賛成だ。
ただ、目眩のほうは頭痛よりもすぐおさまるとはいえ、割と頻繁にある。これじゃろくな仕事も出来やしねぇ。
というわけでイゾルデに頼んだんだが……。

イゾルデは、「ラス君のココロのほうの問題なんじゃないかなぁ」と言っていた。
それは予想もしていなかった答えだ。
「精神の精霊の乱れが、そのまま肉体の精霊の乱れになっているんだと思う」と。
その自覚はない。……っつか、ないからマズイのか?
いや、けれど、イゾルデの言うように「自分の意志を壊されかけたことに対するショック」とやらは、あまり感じていない……と思う。

イゾルデが失敗したことで、どちらの主張が正しかったかはまだわからないままだ。


それから数日して、酒場でクレフェに会った。
俺を見た途端に眉を顰めたところを見ると、幾つかのことには気付いたらしい。
ただ、クレフェと会った時に、一緒にいたホッパーの持っていた厄介事(#{306})に巻き込まれて、しばらくは頼み事どころじゃなかった。
とりあえず、ホッパーの厄介事に関わる幾つかの調べ事をしようということに方針が決定して、事態が一段落したところであらためてクレフェに頼もうと思っていたんだが……頼みそこねた。

というのも。

クレフェが数日前に持ってきた、調査結果のメモに書いてある文字。それは俺がよく知っている手だった。

「なぁ、なんでライカの書いた字がここに?」

一瞬、誤魔化そうとしたようだったが、クレフェも諦めたようだ。

「ええ、ライカに手伝ってもらってるのよ。気分転換になるだろうしね。……こないだ、酒場で貴方と会った時に気がかりなことが幾つかあるって言ったでしょう? そのひとつがライカのこと。とりあえず、出来ればシタールには……ううん、彼に聞かれたら答えるのは構わないけれど、貴方からシタールに告げることはしないで。ライカが今いる場所のことは」
「その事情のことは?」
「……知りたい?」

けれど、クレフェの顔には、聞かないでと書いてある。
おそらくは、他人のプライバシー云々ではなく、クレフェ自身が幾つかの未整理なことを抱えているからのような。

「いや、聞かない。……まぁ、しばらくは地図の解明を手伝って貰えるってことだな」
「そうね。それだけのこと。……ああ、ひょっとしたら、貴方の相棒のほうがよく知っているかもしれなくてよ?」
「……カレン?」
「ええ。ライカは私のところに来る前に、カレンと会って話したようだったから」

とはいえ……俺は、例の島から戻ってくる時の、帰りの船の中でのレイシアとシタールの様子を知っているわけで。
そんで、今、ライカがクレフェのところ(正確にはその友人のところらしいが)にいると聞けば。
……まぁ、想像はつくわな。

…………あれだよな。頭痛の種を増やすこともないよな。
 
意地
ラス [ 2005/04/16 18:45:50 ]
 「と、言うわけ(#{312})で……兄貴達は『あいつ』に詫び入れろって。でもその前に、にーさんに話通しとくのが筋かなって思ったから」
 あたしとしちゃ、詫びよりも礼を言いたい気分なんだけど、とスウェンが笑った。

 おおまかな事情を聞いた数日後、酒場で『あいつ』に会った。“形見屋”だ。
 詫びも礼も言われる筋合いはねぇ、とハゲ頭に青筋を立てる。
 金額だけが不満なら、『兎』になってでも金を稼ぐと言ったスウェンの本気は感じ取ったはずだ。
 それは“形見屋”自身も言っている。金額は問題じゃない、と。
 なのに、それを受けなかった。“形見屋”が形見を探す仕事を。

──今まで自分で積み上げてきたものが、あることをきっかけに一瞬で崩れさっちまったっていう経験……あるか?

 馬鹿なことを聞いてきたあのハゲを笑ってやればよかったのかもしれない。
 積み上げてきたものは、そうそう簡単に崩れるモンじゃねえだろう、と。
 つまんねぇことなんか酒かっくらって忘れろよ、と。
 そう出来なかったのは、俺もたしかにそれに似た経験を持っているからだ。
 2年前か。精霊使いであるはずの俺が、精霊に触れる術を失ったのは。


 とりあえず、酒場から家に戻る前にギルドに寄った。仕事明けのスウェンを捕まえて、ハゲからの伝言を伝える。
 詫びも礼も要らないから、そんな暇があれば鍵のひとつも開けていろ、と。
 なんだか嬉しそうに頷くスウェンに、明日から数日留守にすることを念押しして帰宅。

 道すがら考えていたのは、馬鹿みたいなことだ。酒場にいたキアに一笑に付されたこと。
 “形見屋”は“形見屋”であることを、そして俺は精霊使いであることを。
 忘れたい瞬間ってのは確かにあるんだと思う。いや、より正確に言うなら、忘れたいというよりも、「そうじゃない立場の自分」でいたい、もしくは、「そうじゃない自分」に某かの期待を寄せる。

 癇癪起こしたハゲに椅子を蹴飛ばされるのなんか珍しいことじゃない。
 たいていは蹴り飛ばされる寸前に椅子から立ち上がって、難を逃れる。
 今夜みたいに、立ち上がる寸前に目眩を起こさなければ。
 今夜のことも……そして、もともとの原因だった、例の島でのことも。
 俺が精霊使いでなければ、その醜態は晒さずに済んだ。

 ……いや、それは言ってもしょうがないことだ。ハゲにも言ったように、俺は精霊使いとしてしか生きられない。それはあの2年前の時に、骨身に沁みたはずだ。
 「そうでなくなった自分」ってものが、どれほど無能か。
 そして、精霊の力に触れられないことがどれほどの恐怖と苦痛なのか。
 それを思い知っているから、俺は精霊使いとしてしか生きられない。けれど、その力で傷つけた相手は……。

 キアと話していて気が付いた。
 確かに、俺はあの島でのことを気にしてるし、後悔してる。
 そして何よりも、俺はあの時の自分を許せないでいる。

 懐に突っ込んだままの、ブーレイのナイフが妙に重く感じる。
 どうにもならないようなら、パダにいるエルフの医者を訪ねろと言って、紹介状代わりに置いていったナイフだ。
 突っ返した俺に、ガキみてぇに意地張るな、と無理矢理置いていった。
 確かに、エルフに対しては意地がある。医者なんてものも大嫌いだ。
 けれど「エルフの医者」というものに対しては、それとは別の感情がある。

 45年前に、偶然の振りをした故意で俺を殺そうとしたのは、「エルフの医者」だ。
 未だに薬が飲めないでいる元凶にもなったそれには、俺の意志よりも体のほうが先に反応する。
 ……ふざけるな。誰が、「エルフの医者」なんぞに頼るかよ。

 帰り着いた自宅の玄関先には、人影。
 カレンは何日か留守にするはずだし、そもそもカレンなら合い鍵を持っている。
 訝しんで近づくと、人影はクレフェだった。

「あなたの相棒の留守を見計らって夜這いに来たのよ。入れてくださる?」

 近場とはいえ、出掛ける前日の夜中に夜這いなんて、元気が余っているようで結構なことだな。

「そうね。近場とはいえ出掛けるんだから、同行者の体調はやっぱり気になるのよ。挑戦してみてもいいでしょう? ……さ、早く入れてちょうだい」
 
光霊の意味
ラス [ 2005/04/29 17:20:20 ]
 「正直に言えば、ちょっと悔しいかしらね」
<>ちょっとどころじゃなく、悔しそうにクレフェは呟いた。
<>
<>厄介事(#{306})に出掛ける前のことだ。
<>少しばかりズレたままの精霊力のバランスを戻してもらおうとした。
<>結局。
<>多少は緩和された……と思う。少なくとも数日の間は。
<>根本的な解決にはなってないし、日が経ってしまえば体調も前のままだ。
<>
<>「イゾルデも試したって言ってたわよね。……ひょっとしたらあたしたちの分野じゃないのかも」
<>
<>負け惜しみかしらね、とクレフェが肩をすくめていた。
<>それが少し前のこと。
<>
<>
<>クレフェやイゾルデの分野じゃないとしたら、どの分野だっていうんだ。
<>イゾルデの言うような、「ココロの問題」なんか思い当たらない。
<>
<>確かに気にしてるし、あの時の自分は許せない。
<>なにせ……よりによって、光霊だ。くそ。
<>
<>以前、人を殺したことがある。
<>もちろん、護衛の仕事中に山賊が襲ってきたりした時や、暗黒神官と敵対する羽目になった時や……結果的に相手の命を奪うことになってしまったのは1度や2度じゃない。
<>自分や仲間の命を守るために、相手の動きを止めることが、相手の命を奪うことに繋がったことは何度もある。
<>けれど、エレミアでのあの時は違った。
<>俺は、多分殺意を持ってあいつを殺した。
<>猛り狂う炎のなかでも、火蜥蜴じゃなく光霊を呼び出したのがその証だと思う。
<>勢いに流されたのではなく、冷静に相手を殺そうとした。その時の俺が、一番得意な手段が光霊だったから。
<>
<>実際、今でも火蜥蜴より光霊のほうが得意だ。
<>あの浮島で、レイシアや……カレンにまで向けたのと同じ精霊の力。
<>闇霊でもよかったはずだ。相手を気絶させるのが狙いなら。
<>光霊を使ったというのが、本気で殺ろうとしていたかのようで……。
<>
<>俺が同調したのは、緑乙女だったと思う。あの場所で、本当の意味で狂っていたのは彼女たちだから。
<>緑乙女では効果的な『攻撃』は出来ない。そしてあの場に火蜥蜴はいなかった。
<>土精で攻撃するよりは光霊のほうが消耗が少なくて済む。
<>そんな冷静な計算が成り立っていたのだとすると、吐き気すらする。
<>
<>戦乙女じゃなくてよかった、と後でカレンは笑っていたけれど、そんなものは救いになんかならない。
<>
<>
<>──俺は、居間にあるチェストの引き出しを開けた。そこには、布に包まれたナイフが1本。
<>ブーレイが投げて寄越したナイフだ。紹介状代わりのこれを持ってとっとと医者に行け、と。
<>「お前のために言ってるんじゃねぇ。お前のせいで余計な心労かさねてるカレンのために言ってるんだ」
<>って、言われてもなぁ……。
<>
<>とりあえず、心配させないように振る舞うくらいしか思い付かない。
 
弱さ
ラス [ 2005/05/01 13:47:40 ]
 「弱くちゃ、いけないんですか?」
昨日、そうユーニスに問われて、返す言葉に詰まった。

何日か前、ちょうど郊外から街に戻ってきた時にユーニスに偶然会った。
そして会うなり、どうしたんですか、と問いつめられた。問われるままにいろいろと……多分、余計なことまで話して。
そしてユーニスが出した結論は、「ピクニックに行きましょう」だった。

街の中心から徒歩で一刻ほどのところに小さな森がある。二人でそこに出掛けた。
俺にとっても、ユーニスからの誘いは有り難くもあった。
同じ家の中でカレンと面を突き合わせていれば、ブーレイが言っていた『心労』ってやつを倍増させちまうかもと思って、なんだかんだと理由をつけて家にいないようにしていたから。実際、その理由のうちの幾つかは本当に仕事だったけれど。

そして、その森の中でユーニスは言った。弱くちゃいけないのか、と。
──いけないと、ずっとそう思ってた。
カレンは時々、ふと思い出したように呟くことがある。おまえは強いよな、と。
そうあろうとしてきた。弱いところを見せびらかしたって、あそこでは……エルフの森では何の意味もなかったから。
いつでも前向きに。いつでも強く。そうじゃなければ、親父が悲しむと思ったから。

今でも多分それは変わらない。
精霊使いの腕が上がって、名前が売れれば売れるほどに、弱みは見せられなくなっていく。
精霊使いとして名が売れることは、盗賊ギルドでは敵を増やすことにもなりかねないから。

けれど、ユーニスの言葉に何かが揺らいだ。
いつもなら、言い返していたろう。弱くちゃいけないのか、と問われて、いけないんだと咄嗟に言い返していたはずだ。
それが出来なかった。
多分、自分の弱さを知ってしまったから。
あの島で、緑乙女の狂気に同調しながらも、わずかに残っていた自分の意識で考えていたのは、誰かに──多分カレンに──止めて欲しいと……ただそれだけだった。
それは、自分では止められないと、諦めていた証でもある。
狂った精霊が傍に居ながら、彼女たちを還すことも物質界での存在を絶ってやることも出来ずに。
そんな男が弱くないだなんて、口が裂けても言えない。
そして、自分の弱さを知ってしまった後なら、ユーニスの言葉に言い返せるわけもない。

「カレンさんを、大切な人を傷つけた自分を、見たくないだけじゃないんですか? 
 緑乙女さんに戦乙女を使わせなかった自分を見もしないで!
 ……でも、見なきゃだめです。それこそ、ラスさんの意思じゃない何よりの証拠だから」

そう言いつのるユーニスに、ガキみたいに稚拙な言葉しか返せなかった。
誰だって仲間を傷つける自分なんか見たくない。けれどユーニスは、それよりもっと大事なものがあると言った。
それが本当なら……と思う。
けれどそれは、あまりにも自分に都合が良すぎて。

「それに、操られた人は仲間に剣を向けるとも聞きます。ラスさんの剣はなんですか?」

……以前、ユーニスと話したことを思い出す。ユーニスにとっての『剣』は、戦う心、戦おうとする自分自身の心のありようだと言った。
そして俺の『剣』は、魔法だ。自分の心を映す何よりの手段。自分を、そして仲間を傷つけようとする敵を滅するための力。それに一番近く寄り添っているのは、戦乙女だろう。

『剣』は、向けなかった。
それだけは許さなかったのでしょう?と、ユーニスの瞳が俺を見つめた。
そんな、自分に都合のいい解釈を信じていいのかと……けれど、確かにそれを聞いた時は揺らいだ。
そう信じることを許されるなら、それは……。


仕事で呼び出されたのは、今朝の明け方だった。
ユーニスとの「ピクニック」から帰ってきた後も、花街周りのいざこざで呼び出されていて、それが終わって帰宅してからそう時間も経っていない頃だ。
とりあえず荒事にまでは発展しなかったせいもあって、昼には家に戻れた。
たかがこれくらいの仕事をこなしただけでも、足が重くなる。そして足よりももっと頭が重くなる。

調子が下向きなのは、ユーニスの言葉で揺らいでいるせいかもしれない。
……ああ、イゾルデのヤツは一番最初に言ったっけ。「ココロの問題じゃないの?」と。
結局、自分で気付いてなかったぶんだけ重症だったってことか。情けねぇにも程がある。

そして帰宅すると、庭にはカレンとキア。
カレンに、聞いてみようかと迷った。ユーニスが言っていたことを信じてもいいのかと。そこにある弱さを認めた上で、それでも、その中でも『剣』だけは向けなかったことを救いにしてもいいのかと。
俺の心を一番正直に映し出す『剣』。戦う意志。それに寄り添っているはずの戦乙女だけは、あの狂気に使わせなかったことで、自分を許してもいいのかと。
どう切り出せばいいのか迷っているうちに、キアに言われた。

「やっぱにーちゃん、まだ気にしとることが気になったまま?」

……よりによって、このタイミングでそれか、キア。
言えなくなる。
ここまできても、それでも見栄を張りたい自分がいる。都合のいい自己弁護を切り出せるわけもない。
子供じみた自分をもてあます。そんな自分をどう切り捨てればいいのかわからない。
頭だけじゃなく、口まで重くなっていく。いつものように「人当たりの良さ」を演じることすら出来ない。
言い淀めば言い淀むほど、自分の弱さを再認識させられているようで。

「俺としちゃ、もう『あんなことにはならない』って、そう言ってくれただけで十分だった。
 俺は、それを信じればいいだけなんだし」

……そして結局カレンも、俺の『強さ』を信じてる。
そんなもの。
もうどこにもないのに。

……なぁ、ユーニス。やっぱ弱くちゃいけないみたいだ。
 
外泊
ラス [ 2005/05/06 4:18:20 ]
 妖魔通りで仕事をした。それが終わったのは明け方だ。
帰って寝るか、それとも今から帰ると朝拝に出掛けるカレンとかち合うだろうから少しどこかで時間を潰して帰るか。

あの後からカレンは、俺を見るたびに迷うような視線を向ける。
はたから見れば無表情にも見えるけれど、俺にはわかる。
多分心配していて、多分何かを問いただしたくて、けれどどう声をかけていいのかわからなくて。
そういう視線だ。
だからと言って、こちらから言い出せることは何もない。

帰るか否かを迷っていた時、通りがかった家から小さな影が3つ出てきた。
いつの間にか、アーヴディアの店の近くまで歩いてきていたらしい。
中を窺うようにして、そっと家から出てくる3人の草原妖精。最後の1人が出てきた扉に鍵を掛けようとしている。

声をかけると、口々に挨拶やらこれから出掛ける旨やらを喋り始める。
どうやら、これから春の山菜や薬草を採りに3人で出掛けるらしい。

「ラスは仕事の帰りかい?」

クーナに聞かれた。3人の中でも、こいつはある程度、巣穴の事情に通じている。

「ああ、少し先の通りでちょっとした取引をね」
「ここを通りかかったのは偶然? それとも?」
「偶然だ。偶然だが…………中に入りたいと言えば入れてくれるか?」

その問いに、クーナは小さく笑って扉の鍵を開けてくれた。

「アーヴは今、読書中だ。声をかけても反応はないだろうと思うよ。じゃ、あたしらはこれで」


草原妖精たちを見送って、“精選香草堂本舗”の中に入る。店舗と住居の境目のあたりに腰を下ろした。
室内を見ると、こちらに背を向けて、角灯の光で本を読んでいるアーヴディアが見えた。
そのまましばらく待っていると、突然彼女が振り返った。

「……きりのいいところまでもう少し。待っている間に……ヘネカがそこに夜食を作ってあるわ。わたしは要らないから、お食べなさい」
「なに。腹減らしてるように見える?」
「飢えているという意味でなら、それも正解。……お茶を淹れるなら、お茶の葉は台所」

茶を淹れろ、と言われたように思えて、俺は台所に向かった。
湯が沸くのを待ちながら、なんとなくここが楽な場所に思えてくる。
ここでなら気遣われないで済む……というよりも、意地を張らなくて済む、と言ったほうがいいか。
以前、森を出たばかりの頃に一緒に暮らした人間の女のことを思い出した。
俺はまだ30前で、女のほうが幾つか年上だった。年の差こそさほど大きくはないけれど、経験の差はまるで違った。
彼女はいつも俺を子供扱いしたけれど、不思議とそれは不快じゃなかった。
俺はいつも彼女に甘えるばかりだった。子供じみた虚勢を張りながらも、結局は彼女に受け容れてもらっていた。
せめて今の俺なら、逆に彼女を甘やかしてあげられるのかも知れないが。もうそれは絶対にかなえられない。

自分の分と、アーヴディアの分。両方ともぬるめに淹れて、アーヴディアのカップには糖蜜をたっぷりと入れる。
それを持って戻ると、アーヴディアは本を閉じていた。

「……ところで、何か用事でも? 気鬱の薬ならば、良いのがあるけれど」
「用事はないし、薬も要らない。ただ…………泊まってってもいいか?」
「……追いつめられた子供のよう……。ママに甘えたいというのなら、お門違いよ、ボウヤ」

追いつめられた、というのならそうかもしれない。おそらくそれは正しい。
今の状態をどうにかしなきゃいけないと……そして、あの時だって本当はどうにかしなきゃいけなかった、と。
それはプライドなんていう上等なものじゃない。ただの意地。そうじゃなければ虚勢。
1人で『どうにか』なんて出来るわけもない。そんなことは自分が一番よく知ってる。
けれど、出来ないと口に出すことは、もっと出来ない。
期待に応えなければ否定される、自分で自分の存在価値を見つけるには、力を見せつけることしかなかった。それが、あの森で学んだことだった。

「けれど……そうね、お茶の温度と甘さはわたしの好み。ラス、貴方がここに来る頻度も」

──この分じゃ、事後にまた熟睡しちまうかもしんねぇな。
そう思いながら、彼女の後について奥の部屋へと向かった。
 
仕事の後の予定
ラス [ 2005/05/09 1:01:06 ]
 ……ああ、やべ。頭いてぇ。

目の前を見ると、娼館店主は禿頭を汗で光らせながら、帳簿の再計算に必死だ。
小銭を誤魔化そうとして、こういう目に遭っている。
多分それが出来上がるまでには、まだしばらくはかかるだろう。

「親父、奥の部屋借りる。休んでるから、出来たら呼んでくれ」

どこの娼館にも大抵あるのは、予備室のような部屋だ。
使われなくなった個室だったり、物置だったり。大抵は、備品や消耗品のストックを置く場所になっている。
ここ、“銀木犀”では物置よりは多少上等だ。以前は住み込みの従業員の控え室だった部屋に古い家具が放り込まれている。

埃避けのシーツをかぶせたソファに寝転がる。
どうにも頭痛やら目眩が続いたままじゃ、動きが鈍ってしょうがない。
つい数刻前も路地裏で絡んできたチンピラ2人に苦戦した。

古びたシーツの手触りは、親父と2人で住んでいた家のベッドを思い出す。エルフの森の。
──自分はいつから、いろんなことを言い出せなくなったのだろうかと考えてみる。
少し考えて……そして諦めた。
頭痛で鈍った思考力じゃ答えは出ない。いや、答えなんか最初から出す必要もない。
多分、最初からだった。

物心ついた時には、親父はもう体を壊していて、俺が4つの頃からは、森で親父と2人で暮らしていた。
街で冒険者をやっているお袋とは年に数度会うかどうか。

エルフたちの冷たい言葉も。
枝で打たれた事も。
体調を崩した時だって。

言えなかった。聞かれても笑って誤魔化した。
誤魔化し続けることがプライドだと思ってた。……それは多分、子供じみた意地でしかなかっただろうけど。

なんで無茶ばかりする、とか。誤魔化すのはよせ、とか。そんなことをカレンに言われたこともある。
……今更、どうしろっていうんだ。


古いソファに仰向けになったまま、額に張り付いた前髪をかきあげる。
部屋の隅にある鎧戸の隙間から見える空は闇の色だ。さっきまではまだ薄闇が残っていたはずなのに。
ろくでもないことを考えているうちに少し眠っていたのかもしれないと思う。
……あの禿げ店主、まだ計算終わらねぇのか。
そう思いながら起きあがると、すぐ脇の壊れかけた卓の上に書類はきちんと揃っていた。

掛けられたはずの声も、扉を開ける音も、傍に店主が近寄る気配も。
その全てに気付かなかったってのは、少なからずショックだった。

……とりあえず。まぁ、仕事は終わった……んだよな。複雑ではあるが。これを巣穴に届ければ終わりだ。
この時間なら、家に帰るとカレンがいるのか。
そして……ああ、そういえば、シタールやルギーが飲み会だと騒いでいたのは今日の夜の予定だっけか?

──どうすっかなー。
 
喧嘩の原因
ラス [ 2005/05/14 16:31:45 ]
 「早いとこ相棒と仲直りしろよ」と、いろんなヤツに言われた。
ギルドの連中がかなりの割合で知っていたのは、おそらくリネッツァあたりが触れ回ったんだと見ている。
そのことに対する制裁は、完全に復調してからじっくりと取りかかろうと思う。

仲直り、というのも不思議だ。別に喧嘩をしていたわけでもない。
多分……俺が子供みたいに意地を張っていただけなんだろうと思う。
だからといって、今更この性格をどうこうできるわけもない。
ただ……。

そこまで考えて、昨夜カレンが俺の頭に手を置いた時の感触を思い出す。
何よりも気恥ずかしかったのは、そのことでものすごく安堵している自分がいたことだ。

馬鹿みたいだと思った。
ずっと、自分1人でどうにかしなきゃいけないことだと思っていた。
それはユーニスが指摘したように、自分の意志でどうにかなる類のものじゃない。
だからこそ追いつめられていた。けれど、どんなに追いつめられようが逃げるわけにはいかなかった。そもそも逃げる先なんかなかったし、だからといって忘れるわけにもいかないことだから。
シタールやカレンが言ったように、それは許容出来ることじゃない。自分の力で仲間の命を奪う、なんてことは。
俺を殺してでも止めろというのが、あいつらには無理だと言うのなら……それなら、俺があいつらを殺すかもしれない、その痛みを受け止めるしかないのかと思った。
あの島でのことは、結局そういうことだったんだろう。

今回は幸い、どちらも無事で済んだけれど、次にそれがあれば……と、俺は多分そのことに怯えていた。
次があれば、最初に戦乙女を使わない保障なんかない。
そうじゃなくても、俺は光霊で人を殺せる。驕りでも慢心でもなく、自分にそれだけの力があることを俺は知っている。
あいつらを殺したくなんかない。でもあいつらは俺を止めてくれない。それなら自分でどうにかしなきゃいけない。でもそれは自分の意志でどうにか出来るもんじゃない。
……結局はその堂々巡りだった。

「止めてやるよ」

信じろ、と。言われるまでもなく、その言葉を頭から信じた自分がいた。
堂々巡りの輪を、たった一言で断ち切ったヤツは今、俺の部屋にあるソファで寝息を立てている。

馬鹿みたいだ、とまた思った。
俺だけじゃない。あいつもだ。2人とも、一緒にやっていくことしか、そして相手を生かすことしか考えてなかった。
それが、この『喧嘩』の原因だ。


奇妙な安堵の中で、ふと寒気を感じた。
ここのところ、無理をしていた自覚はある。そのツケがまわってきたかと考えて、ふと気付いた。
体の中の精霊力は……確かに火蜥蜴が暴れている気配は感じるが、それ以外は何ともない。
今まで感じていた、微妙なズレがない。
どこまでも単純な自分に苦笑が漏れる。

だとすると、これは摩擦熱のようなものかもしれない。絡み合う精霊力の糸をいきなり正しい位置に戻した反動の摩擦熱。
そうじゃなければ……再生の炎か。傷を癒すための熱。
クレフェやイゾルデあたりに言えば、知恵熱じゃないの?なんて笑ってみせるんだろう。

クローゼットから追加の毛布を出そうかと考えて、思い出した。
そうか、カレンがいるんじゃん。
カレンを起こして、毛布を持ってきてもらう。
ふとカレンが呟いた。

「……オマエが、こういう類のことで俺を起こしたのは初めてだな」

どことなく嬉しそうな響きを聞いて、そういえばそうかもしれないなんて思う。
一緒に組んで12年か。
……これからもよろしくな、相棒。
 
夜更け
ラス [ 2005/05/17 1:21:14 ]
 夜、目を覚ますとユーニスの姿がなかった。

ユーニスが、夕方持ってきた蛇スープ。ゲテモノ食材が云々というよりも、蛇というもの自体、何故か俺にとっては薬という認識だ。
それは、森にいたあの薬草師の小屋の壁に、いつでも乾燥させた蛇がかかっていたからかもしれない。
ライカの実の父が、タラントで薬草師をやっているエルフだと聞いた時も、それを少し思い出した。
明らかな殺意があったとは思わない。けれど、故意か過失かというのなら、故意のほうに天秤はやや傾くのだろう。
そうじゃなければ、5歳の子供にあんな薬を飲ませるはずもないから。

ユーニスのは純粋な厚意だとわかっている。
それに、多少薬を盛られたって、それがたとえ毒だとしても、今の俺なら死ぬほどのことなんか滅多にあるもんじゃない。
それはわかってる。
わかってるのに、体があの森での記憶を忘れていない。
さっきまで付き添っていたはずのユーニスの姿が見えなくなって、いつになく一抹の心細さを感じるのも、その記憶のせいだろう。

飲ませた相手にではなく、薬そのものへの……これは多分恐怖心とでも言うべきものだろうと思う。
手が震える。
背筋が冷える。


カレンが仕事をしている書斎は、廊下と俺の部屋とに繋がる扉が二つある。
俺の部屋の奥、書斎へと通じる扉の隙間から灯りが洩れている。
毛布を引きずって、その部屋に行った。

「ああ、起きたのか。オマエさっき眠ってたろ。ユーニス、さっき帰ったぞ。もういいってのにまだ謝ってた」

生返事をして、カレンが座っている椅子の後ろ側に腰を下ろす。
手近な本を取り上げて頁をめくる。

「なんだ。眠れないのか? ……まぁ、昼間も寝てたんだろうしな」
「……なぁ、カレン」
「んー。あと少しでこの書類終わるから。そうしたらワインでも開けるか?」
「蛇の他は…………サンショウウオ。……あと、ミミズ」
「……安心しろ。それは俺も嫌だ」
「…………ならいい」

適当に選んだ本は、クレフェに借りた本だった。こんなところに紛れていたのか。

「……ラス」
「なに?」
「……寒いのか?」
「いや? なんで?」
「いや……寒くないならいい」

ふと気付くと、本の頁をめくる手がまだ少し震えていた。
くるまってた毛布で、それを慌てて隠す。

「……書類、あと2枚で終わるから」
「ワインより火酒のほうがいい」
「火酒はまだダメ」

夜が更けていった。
 
願い
ラス [ 2005/05/21 4:10:11 ]
 余計なことを言ったかもしれない。
けれど、言わずにはいられなかった。
レイシアのために……そして、オランを去ったライカのために。

……あの朝、細い体にローブをまとい、無骨な杖を手にしていたライカの姿を思い出す。
タラントに行くと言っていた。
自分は大丈夫だと笑っていた。
シタールと、そしてレイシアが心配だと。
自分がオランを出る、その朝にさえも、シタールの体を気遣ってシタールを起こさなかったライカ。

強くて、いい女だと思った。
けれど、そこまで強がってみせなくてもいい。
ちょうど自分が、子供のように意地を張って、そんな強がりに嫌気が差していた頃だったこともあって、ライカの精一杯の強がりが手に取るようにわかってしまった。
半妖精だから、ということで何もかもを理由づけてしまいたくはないけれど。
でも、ライカと俺はそういう部分では似ていると思った。

慰めてあげたくて、別れの挨拶にかこつけて肩を抱きしめた。
照れ隠しに暴れてみせるライカが、本当に隠したかったものは、涙だったんじゃないかと思う。
……そんな時にさえ、涙を見せなかった。
誰よりも幸せに、と。それを別れの挨拶にした。

ライカ、おまえは俺と少し似たその性格で、多分人に甘えられずに損ばかりするから。
タラントにいるという父親が、おまえに優しければいい。おまえを甘やかしてくれるといい。
そう願った。


そして今夜、木造の酒場で店員をしてるシタールと、そこに泊まっているらしいレイシアと会った。
何か、違和感を感じた。
以前、うちに、引っ越すまでの荷物を置かせてくれと来た時にも感じたことだが、それよりも今日はより一層強く感じた。
一緒に仕事をする俺とアンジェラに承諾も得ずに、レイシアを仕事に同行することをシタールが頭から決めていたことがきっかけだった。

レイシアと離れたくないのはわかる。
けれど、俺の腕はまだライカの肩の感触を覚えている。ライカが出ていってまだ2週間しか経っていない。

2人の間には、まだライカとスピカと、そしてレイシアの姉がいるはずなのに。
2人はそれに目を背けているようにしか見えない。
スピカにすがる代わりに、レイシアはシタールにすがっているように見える。
シタールは、どうすればいいかわからない迷いを、レイシアに気持ちの全てを向けることで誤魔化しているように見える。
そうじゃなければ、シタールが仕事に関することで礼儀や手順を忘れるとは思えない。

復調してから街をうろつけば、この中途半端に長い耳にはいろんな噂が流れ込んでくる。
シタールが、「ライカに捨てられた男」なのはいい。
けれど、レイシアが「ライカを追い出して後釜に座った女」になるのは、ライカも望んでいないことだろう。

シタールとレイシアは、結局そういう関係になるのだろうとは思っていた。
けれど、こんなにすぐにだとは思っていなかった。それが多分、違和感の正体だろうと思う。
シタール自身も時間と距離を置くつもりだったとは思う。レイド行きの仕事に迷っていたから。
ちょうどその頃にスピカがオランを出て行ってしまって、レイシアを放っておけなかったシタールの気持ちはわかる。
そしてシタールにすがってしまったレイシアの気持ちもわかる。
わかるけれど……。

これは……結局言わずにおいたことだが。
確かにライカは、自分が諦めることでシタールが幸せになるようにと願った。
友人として、レイシアのことさえも祝福しようとした。
それなら……そのシタールとレイシアこそが、ライカの幸せを願ってやらなくちゃいけないんじゃないのか、と。

誰よりも勝ち気で、突っ張り続けていたライカ。
……後でクレフェに聞いたことだが、ライカは女友達にさえ涙を見せなかったという。
そんなあいつが出て行ってすぐに、シタールとレイシアが2人の新居探し、なんて。
それはあまりにライカが……なんていうのは、俺の身勝手なんだろうか。

とりあえず、明日からはアンジェラと……そして、酒瓶空けるところだったイゾルデを運良く捕まえられたので、3人でオーガ退治だ。
うまくいけば、5日で帰ってこられる。
その間に、多少なりとあいつらが冷静になっていてくれればいいが。
 
わざとじゃない。
ラス [ 2005/05/31 1:55:21 ]
 (PL注:一部、ユーニスの宿帳「たからものを胸に」(#{252})のNo.11「罪深き天然」と連動しております)

オーガ退治から無事に帰ってきて、少し経った昨日。

その前夜、カレンと飯を食いながら話していた。
内容は主に、俺がいない間に、鍋が幾つか新しくなっていたり、庭の一角がやけに枯れている事実への追求だったりしたけれど。
そしてその原因は、カレンの料理修行の成果だということは聞いたけれど。
話題はちらほらと移り変わり、カレンが俺の本音を聞き出そうとしたきっかけをカレンから聞いた。
「まぁ……ユーニスとね。少し話して。……うん」
それ以上は話さなかったけれど、ああ、自分の時と同じか、と思った。

鈍いとか天然だとか。そういったニュアンスで彼女をからかうことは多い。
けれど、たとえばユーニスにしろ、セシーリカにしろ、アイリーンにしろ。
天然、と言われる原因は、彼女たちがまっすぐなせいだ。
疑うことをせず、物事を素直に解釈する。そして、揶揄することもせず、真剣にそれに取り組む。
それが他人のことであっても。

ユーニスが以前、ファントーの眼差しを羨んだことがあった。
ファントーを見ていると自分の目が悪くなったような気がする、と。
俺にとっては、ユーニスを見ていても感じることだ。
自分のことでさえ、今回はユーニスに教えてもらったことが多い。

その礼をしようと夏物の服地をユーニスに届けに行った。
選んだ生地は、評判のいい店の新作だ。今年は白が流行らしいので、白く柔らかい生地を選ぶ。
ユーニスは仕立てが出来るようだから、自分で好みの形を作るといいだろう。
だから、生地は襞のふんだんなドレスでも作れるような分量を。
もしもワンピースを作るなら、アンダースカート用のレースもあるといい、と店の人間が言ったのでついでにそれも。

ユーニスの下宿先は、彼女の精霊使いの師匠の家だ。現役を退いたとはいえ、俺にとってもあまり多くはない精霊使いの知り合いの1人。
あいにくとユーニスは留守だったので、ハゲ(注:師匠)に預けることにした。
「なんじゃこれは」
「ああ、ユーニスに。こないだの……(内心:お返しってのも変だよな。やっぱ礼か)……うん、礼だと。そう言ってくれればいい」
「……中味は?」
「ヤバいもんじゃねえよ。ただの布だ」
「……布。そうか……布。……こないだ、というのはユーニスがおまえんとこに行った時のことか?」

ハゲが言うのはおそらく蛇スープを持ってきた日だろう。
俺としてはその前の、郊外の森で話してくれたことも含めての『こないだ』なんだが。まぁ、蛇スープの日のことでも間違いではないな。
肯定すると、ハゲは言い淀みながら続ける。
あの日は随分と帰りが遅くなったようだ、と。そしてどうも様子がおかしく、赤くなったり青くなったりして、しまいにはひっくり返った声で心配いらないと叫んで自室に閉じこもる始末だったと。

言われて考える。
確かにあの日は、蛇スープのせいで俺がヤバくなって、ユーニスにしばらく付き添ってもらった。
俺は眠っていたけれど、ユーニスが帰ったのは夜中近くだったらしい。
蛇の件で責任も感じていたようだから、その反応も頷けなくはない。
だからこう答えた。

「ああ、あの日は、ベッドまで付き合ってもらったからな。疲れさせたかもしんねえ」

蛇云々で落ちこんでいた、と、そこまでは言わないでおいた。
ユーニスの自己嫌悪は、ユーニスのプライバシーだと思う、だからそれをハゲに教えてやる義理はない。
それに自分がヤバくなった事実をこのハゲジジイに教えてやるのも業腹だ。
……おっと、やべ。そろそろコーデリアとの仕事の打ち合わせの時間だな。

「な……! おい、ラス!? まさかおまえ……っ! ユーニスを…?」
「あ、わりい、爺さん。俺、これからちょっと約束あるんだ(←聞いちゃいねぇ)」
「待たんかこr(ぐきょ★)」
「あらあら、あなた……」
「やぁ、エヴァ。今日も綺麗だな。んじゃ、そのハゲのことよろしく」
「ええ、ラスさんも気を付けて」

そして、仕事を終えてコーデリアと行った酒場でユーニスに会った。
届け物のことと、昼間の顛末を教えると、慌てて帰っていったが……。

昼間は本当に急いでいたから、実は爺さんの様子をあまり気にしていなかった。
じっくり思い出したのは、コーデリアと組んでやっていた仕事が一段落した頃だ。
なるほど、あの返事じゃ誤解を与えたのかもしれないな。
……いや、でも、嘘は言ってない……よな?
 
酒場のハゲと、娼館の雑用。
ラス [ 2005/06/05 17:17:28 ]
 盗賊ギルドの店で、ブーレイに会った。
何日か前からあのハゲを探していたから、俺にとっては好都合だ。
以前、まだ調子が悪かった時に、ハゲが医者を紹介してきやがった。パダに住んでるという腕のいいらしい医者。
医者のところになんぞ行くつもりはなかった。その医者がエルフと聞けば尚更。
行かねぇと言ってるのに、紹介状代わりだと言って無理矢理置いていったナイフが1本。
それを突き返してやるのが、奴を探していた理由だ。

そして、稲穂の実り亭のカウンターで奴の話を少しだけ聞いた。
形見を届けたら、依頼人が後追い自殺しちまった、というくだらねぇ話。
それを聞いて思い出したのは、お袋の冒険者仲間たちが、お袋の形見を森まで届けに来た時のことだ。

遺跡に潜りに行く身内。そして、帰ってくるのを待つ時間。
その時間は唐突に終わりを告げる。形見だけが戻ってくることによって。
親父はお袋の後を追うことはしなかった。けれど、それまでの『時間』を自ら殺したことに代わりはない。

ブーレイに、その『依頼』をした側は、覚悟していたのかもしれないと思う。
想う相手がこの世界からいなくなってしまったら、と。それが決定的になるのなら、と。
親父は、お袋がいない世界で生きることは出来なかった。
ブーレイの依頼人も同じだったのだろうと思う。
追いつめたのはブーレイじゃない。


そして、そのブーレイから、「捨てといてくれ」と渡されたものがある。
腕が良くて、予約が詰まっているという一級の細工師・モスグス製のツールセット。
中の2本が使い物にならないらしいが、他は十分に使えるという。
それを道具として使うにしても、細工師の仕事の見本として見るにしても、一級品であることは間違いない。
ブーレイは何も言わなかったし、俺も確認はしなかった。
けれど「捨てろ」というのは、それを必要としている奴の目の前で捨ててもいいということだろう。そしてそれをそいつが拾うことに関しては何も言わない、と。


今日。娼館に行った。
俺の仕事先のうちのひとつ、“銀木犀”に。
ここらの雑用をしているスウェンが、今日はこの店まわりをうろつくはずだから。

「あ。ラスのにーさん来てたんだ。さっきサラねーさんがさ……あれ、それなぁに?」
「ああ。モスグス製ツールセット。欠番があるから、完全なモンじゃねえけど」
「え、モスグスって、あのモスグスっ!? へー……さすがにいい仕事……あ、にーさん、なんでしまっちゃうのさ!」
「言ったろ。欠番があるって。これ、捨てる予定なんだ」
「え!? 捨てちゃうのっ!?」
「ああ。俺は別のツールセット持ってるし。二つあってもしょうがねえしな。まぁ誰か他に使うやつがいれば……」
「……いれば?」
「……と言っても使う奴なんかいねぇか。やっぱ捨てよう」
「す……っ!」
「……酢?」
「え。いや。あの」
「で。サラがなんだって?」
「……え。だから。……あの」
「ああ、女将。ゴミ捨て場は裏だっけ?」
「……げ。えと、その!」

ちょっと楽しかった。
 
騒動の顛末
ラス [ 2005/06/13 23:52:02 ]
 (PL注:ユーニスの宿帳「たからものを胸に」(#{252}) No.15「結婚騒動」と連動)

「また朝帰りか。よう続くもんじゃな」

欠伸しながら通りかかった公園で、そう声をかけられた。
……なんだっけ、ジョン、ジャン、ジョナサン、ジャクソン、ジェイソン……あ、さっき惜しかったような……。

「ジャックじゃ、ジャック!」

ああ、そうそう、それそれ。
なんだあんたの早朝散歩コースなのか、この公園。最近よく会うな。

ユーニスに師匠が腰掛けているベンチに、俺も腰をおろした。
昨夜の相手は、先週見かけた金髪の女かと問うハゲに、今日のは黒髪だったと答えたら、何とも言えない顔をした。

「……もとはと言えば、おぬしの言い方が悪い。昔からそうじゃ。肝心なところは誤魔化す」
「昔からとか言うな。たかだか6年前だろう、あんたと会ったのは」
「人間にとっちゃ、『昔』で通じる」
「『ついこないだ』じゃねえのかよ」

うぉほん、と咳払いをしてハゲが続けた。

「あのチャ・ザ神官は、おぬしの相棒か。会ったのは初めてじゃが……おぬしより数倍良い男じゃな」
「それは俺も認める。……カレンから事情は聞いたのか。どこまで?」
「ユーニスがあの晩遅くなった事情まで。看病、と言っておったな」

……ち。それを知られたくなかったっていうのに。

「素直にあの日もそう言えばよかったろうに」
「……馬鹿言うな。こう見えても俺は人気者でね。俺の好物を見つけようと虎視眈々と狙ってる奴も少なくないんだ」
「本業一本に絞れば敵も少なくなるだろうが」
「なかなかそうもいかねぇのが、こっちの事情ってもんさ。……ただ、あんた、人のせいにばかりしてんじゃねえぞ。俺の言葉が足りなかろうと、ユーニスの返事が誤解を招こうと、あんたは早とちりしすぎだろう。歳くって時間が惜しいのはわかるが、確認くらいしやがれ」

ふん、と鼻を鳴らすハゲに、エヴァによろしくなと言い置いて、俺はその場を去った。

あの日、パニクって酒場に駆け込んできたユーニスをからかった。
まぁどうせ本人たちが承諾してないものを、ハゲが何をどう誤解していようと、つく決着なんかたかが知れていると思ったし、キャンセルに金がかかることが心配ならそれくらい幾らでも払っていいと思ってたし。
どう転んでも結末はさほど変わらないだろうと即座に判断出来るものに、慌てる要素もなかったから。
っていうか、そこで即座に、「誰が結婚なんかするかよ!」と本気で返せば、それはそれでユーニスに失礼だとも思ったし。

俺がからかったことでユーニスは少し拗ねていたようだが……。
その後に、どきどきするのが少しだけ嬉しかった、と照れたように笑っていた。
ユーニスとは違う意味合いで、俺もおそらく似たようなことを思ってた。

少し前に会った時は、自分はひょっとしたら無神経なんじゃないかと落ちこんでいたユーニスが、パニクっている時はそれを忘れているようだったから、それが嬉しくてからかい始めた。
それを続けたのは、結局最後まで「じゃあ結婚しようか」とは冗談でも言わなかったけれど、何年か前に付き合ってた女にそれを迫られた時のように、嫌悪感や忌避感といったものはあまり感じなかった自分に気付いたから。
それだけを考えれば、自分も多少は変わったのかも、なんて思ったりもする。

「…………結婚ねぇ……」
あの日、後から帰ってきたカレンがぽつりと呟いた。どことなく憧れ混じりに。
忌避したいとまでは思わないが、こいつのように素直にそれを受け容れる気にならないのも事実だ。
ユーニスもカレンも、そして酒場で同席したヴァイルも、ひょっとして忘れてるのかもしれないが、俺は半妖精だ。

あの日の酒場での騒動でも。
そして今日のハゲとの会話の中でも。
生きる時間、なんてものを少しだけ考えさせられた。
 
最近のあれこれ
ラス [ 2005/06/23 23:11:20 ]
 ファントーが山から下りてきた。予定よりも半年も遅れて。
その件に関しては、当然、会った次の瞬間にぶん殴ったわけだが。

山で幻獣の子供を保護していたために、その世話にかかりきりになってるうちに山が雪で閉ざされたという。
俺も含めて、街にいた側の奴らは心配していたのだが、本人はいたってのんきなものだ。
まぁ、連れてきた犬(トゥーシェ)の手触りが極上だったから、許してやるとするか。

去年の春までファントーが使っていた部屋は、今カレンが使っている。
だからファントー用には、屋根裏を去年のうちに改築してあった。
屋根裏とはいえ、屋根の中央部分の真下にあたる位置なら、天井高はかなりある。
小さな窓もあるから、寝室として使う分には不自由ないだろう。

そしてファントーが山から下りてきた数日後。
玄関先に、バスケットが置いてあった。発見したのは、一足先に帰ってきていたカレンだ。
見ると、先日の詫びだとの手紙とともに、チェリーパイが入っていた。
そこへ来たのはユーニス。手に提げたバスケットには、同じく先日の詫びという杏のタルト。

キアのは、以前にあいつが俺とカレンの頬をひっぱたいたことに対する詫びらしい。
そして、ユーニスのは、結婚騒動に関する詫び。
ファントーが戻ってきていて良かったと、つくづく思った。
野郎2人で、パイとタルトが1つずつあっても、食いきれるモンじゃねえだろう。

甘いものはあまり得意じゃないが、作った奴らが2人ともそれを承知していたのか、両方とも甘さは控えめだった。
甘いものを食って、美味いと思ったのは久しぶりだった。

そういえば、と思い出す。
キアが遺跡から戻ってきたのなら、以前の約束を果たさなくちゃならない。
キアやユーニスほど凝ったものは作れないが、シンプルなパウンドケーキの類なら作れる。
そしてそれをキアにねだられていた。

「オマエ、自分じゃ食わないものをどうして作れるんだ…?」
台所に立つ俺にカレンが尋ねる。
……それはまぁ、以前に一緒に暮らしてた女が甘党だったから。
そう答えて、ついでに思い出す。
──どうして俺が一緒に暮らす相手は、いつも料理が下手な奴ばかりなんだろう。

「……ん? 俺の顔に何かついてるか?」
相棒が頬をこすった。
 
贅沢な夜
ラス [ 2005/07/10 1:43:59 ]
 タトゥス老からの依頼(#{324})で仕事をしてきて、そして手に入れたのは氷。
俺とファントーの分で、桶に2つ分だ。
家に帰る途中も、抱えた桶からひんやりと冷気が。
ああ……この仕事してよかった……(うっとり)

そして家に帰ると。
昼過ぎから待機していたというセシーリカ。
今日は非番だったというカレン。
店員のバイトが終わったとシタール。
犬猫に挨拶に来たんだとキア。
冷やすと美味いという蒸留酒を抱えているギグス。
まぁその他諸々も居て、早速氷パーティが始まった。

いつもは常温で飲んでいるエールに氷を入れてみたり。
ギグスが持ちこんだ蒸留酒に氷を入れてみたり。
キアが抱えてきた西瓜の中味をくりぬいて、そこに氷と西瓜とワインをぶちこんでみたり。
セシーリカが持参した果実のシロップ漬けを、細かく削った氷にかけてみたり。
ついでに犬猫たちにも、氷を振る舞ってみたり。

「うっわ……贅沢……」

トゥーシェ(犬)が氷を噛み砕いている様を見て、セシーリカが呟いた。

まぁ確かに贅沢だろうと思う。
けど、どうせ報酬のおまけとして貰った贅沢品なら、贅沢に消費するのが本来の使い道だと思うから。
それに、小さく割った氷は長持ちなんかするもんじゃない。
どうせ溶けちまうモンなら、無駄に溶かして水にするより、楽しめるうちにめいっぱい楽しんだほうが得ってもんだろ。
この楽しい気分が報酬だったというのなら、それだけでもいいと思ったくらいだ。


もともとの報酬、500ガメルの現金からは、ファントーが100ガメル、食費だと言って俺に渡してきた。
滞在費なんかとるつもりはなかったが、渡すファントーが嬉しそうだったので受け取ることにした。
ファントーも、仕事をするってことがどういうことかだんだんわかってきたようだ。
その証としての報酬を手にすることで、少しは大人になったのかもしれない。


その日の夜は、首にかけた水晶からの冷気が伝わってきて、この季節には珍しく気持ちよく眠れた。
ただ、オランの暑さを考えると、数日すれば水晶に宿らせたフラウの機嫌は悪くなるだろう。
そうなる前に還してやらないと、とは思うんだが……あと2、3日くらいは我慢してくれるかな?(期待)


次の日の朝(というか昼)、溶け残ったわずかな氷を水出しの紅茶に入れて、そして氷は全て使い切った。
「……たまにはこういうのもいいな」
相棒の台詞には、俺も同感。
 
夏の出来事
ラス [ 2005/07/18 2:46:59 ]
 リックが珍しく高い買い物をするらしい。
魔法のかかった銀の短剣だとか言っていたが、真偽のほどは知らない。
ただ、それを手に入れるにあたり、俺の仕事場でのいざこざが少々関わりあった。
その経緯のひとつとして、リックに1つ貸しを作った。
あいつが目的の短剣を買ったかどうかは知らない。
ただ、貸しを作ったことだけを覚えておけば、俺にとってはそれでいいから。

それが一昨日の夜の出来事。
その時のいざこざを片付けるのに朝までかかった。
そしてここ数日は暑い。暑いとしか言いようがないくらい暑い。

んで、暑いのと寝不足続きなのとで、昼間から居間でぐだぐだしているとカレンが顔を覗き込んできた。

「……どうした。調子悪いのか」

んー……いやー……別にー……(←だらけまくり)。

「……そうか。……そういえば、さ。今日、神殿でな……」

昼間の出来事をぽつりぽつりと話し始める。
黙って聞いているが、それは別に怪しい話でもないし、仕事の種になりそうなことでもない。

──最近、カレンはおかしい。
『単なる世間話』というやつをよく口にするようになった。
夕食時だったり、茶を飲んでる時だったり。
いや、今までだって世間話をしなかったわけじゃない。
けど、最近は明らかに口数が増えている。
いつくらいからだったかな……ユーニスと俺の結婚騒動が終わったあたりから?かな?

────なんで? 暑いから?(←違うと思う)
 
依頼終了
ラス [ 2005/07/26 2:05:32 ]
 オン・フーが、涼しい仕事があると持ちこんできた。
それを受けたのは、ちょうどその場に居合わせた俺とキアとルベルトの3人。

商人の別荘で彷徨っているらしい子供の幽霊を始末する仕事だという。
始末、といっても力尽くでどうこうというわけじゃない。話を聞くと、かなり高位の神官じゃなければ力尽くで還すことは難しいだろうと思えたから。
だから仕事のメインは、その子供を現世に縛り付けている、「未練の品物」をその屋敷の中から捜索すること。

期限は三日。屋敷自体は郊外の丘の上にあり、庭に隣接する小さな森もその商人の私有地だという。
風が渡り、森の木陰が心地よく、井戸水は心地よい冷たさ。
とっとと仕事を終えれば、残りは優雅に避暑生活が出来る、と。そんな目論見もないわけではなかったが。

まぁ期待が裏切られるのは珍しいことじゃない。
結局、目当てのものを見つけ出したのは三日目の夕方だった。


庭に隣接した小さな森へと足を運ぶ。夕刻とはいえ、この季節、まだあたりは明るい。
ようやく和らぎ始めた日差しを、それでも避けて葉の茂る樹に登る。
大振りの枝に腰を落ち着け、そこであらためて大きく伸びをした。
不死者が近くにいる気配、というのはどうにも落ち着かない。どことなく薄ら寒いような、肌の内側を目の粗い麻布で撫でられているような、そんな感触がする。

不死者を見送るのは初めてじゃない。今回のように納得させて還したこともあるし、気力だけが存在の源である彼らに気力を削ぐ魔法をぶつけて、力尽くで還したこともある。
むしろ後者の依頼のほうが俺には多い。力のない精霊使いなら、彼らの存在の源を削ぎきることが出来ないからだ。
そういう仕事が嫌いなわけじゃないが、それでも今回のように納得して還ってくれるほうが気分的に楽なのは確かだ。

同情してるのか、と失笑されたこともある。逆に、力尽くで還すのはひどい、と詰られたこともある。
どっちに対しても、「そういうことじゃない」と返した。

例えばカレンならもう少し違う考え方をするんだろうが、俺にとっては、迷った不死者たちは狂った精霊と同じだ。
いや、同じだと思いたい。
自身があるべき場所に戻れずに、この物質界に縛り付けられている。
存在そのものを力尽くで消すのではなくて、彼らをこの世界に縛り付ける鎖そのものへの攻撃。
精霊たちはそれでも礼を言う。もともと彼らはこの世界に縛り付けられていることが不本意だから。
けれど、不死者たちは自分の意志で現世にいたいと願ってしまっている。時を経るにつれその意識は歪んで、本来の意志の意味すら失いかけていることが多いけれど。
それならやっぱり、力尽くで不死者を送ることはひどいことなんだろうか。

納得して還ってもらったはずの今回、わざわざこんなことを考えている。
しかも、その一方では純粋な“森の空気”にものすごく安堵している。

──馬鹿か、俺は。

盛大に溜息をついた時、夕食が出来たとキアが探しに来た。
ささやかな最後の晩餐を楽しんで、明日にはオランだ。
 
8/12 夕刻
ラス [ 2005/08/13 2:36:59 ]
 数日前、カーフっていう若い女を盗賊ギルドに紹介した。
<>旅芸人の一座で軽業をやっていたという女だ。
<>まぁ、多少は誘導尋問じみていたが、冒険者志望ということで。
<>金もあまりないと言うから、誘った手前もあるし、入会金は俺が払ってやった。
<>
<>そして今日、ギルドに顔を出した。いつもの仕事の報告だ。
<>ちょうど、奥からカーフが出てきた。どうやら体術の訓練を終えた後らしい。
<>調子はどうだ、と聞いてみるとさすがに疲れるとのこと。
<>軽業なら慣れているし、その訓練で体を使うことにも慣れてはいても、体術となればまた話は別なんだろう。
<>それでも筋はいいと言われた、と嬉しそうに笑った。
<>
<>「ところでさ、先輩ってあまり有名じゃないんですね」
<>
<>…………は? なんで?
<>
<>「昨日、酒場に行ったら事情通?みたいな人たちがいて、ギルドの親切な人がって話をしてたんだけど……先輩の名前出てきませんでしたよ?」
<>
<>試しに、出てきた名前というのを聞いてみると、ダーティン、ヴァイル、リックだという。
<>ダーティンはともかく……ヴァイルやリックが並んでるなら、そこに俺の名前は出てこなくていい。っつか、むしろ出すな
<>
<>まぁ、あくまで最初の入会の紹介をしただけだし。
<>多分おまえは俺とつるまないほうがいいと思う。
<>
<>「え? どうして?」
<>
<>俺が盗賊ギルドで請け負ってる主な仕事は、娼館まわりだから。
<>あまり女が出入りするような場所じゃねえだろ?
<>
<>「それでも先輩は先輩ですよー」
<>
<>結局、練習後の1杯を奢る羽目になった。
 
サラダのトマト
ラス [ 2005/08/23 0:04:27 ]
 肉体が死んだ後に何かが残るのか、そして肉体以外のその何かがいずれはどこへいくのか。
<>そんなことは知らない。死んでみたことなんかない。
<>
<>ただ、目の前で生命の精霊が力を失っていく様を感じたことは何度もある。
<>弱まり、薄れ、溶けるように消えてゆく。
<>俺からは決して干渉出来ないそれは、存外にしぶといこともあれば、手のひらで砂を掬い取った時よりもあっさりと消えてゆくこともある。
<>生命の精霊が力を失い、それでも後に残る「何か」が、物質界への強い想いを持てば、それは負の生命の精霊を呼び込むのかもしれない。
<>いや、ひょっとしたら生命の精霊が負のそれへと変じる可能性もある。
<>
<>どちらにしろ、不死者と呼ばれる奴らが、その結果、不自然な形で物質界に縛り付けられることになるのは同じだ。
<>ただそれは……それでも、彼らはそれを望んでいるのだとしたら。
<>
<>ちょうど1ヶ月前の仕事の後から、そんなことをずっと考えていた。
<>おかげで夢見が悪い。
<>今まで幾つかこなした、『不死者退治』の仕事のことだったり。
<>そんな未練すらなかったのか、あっさりと死んでいった昔の女のことだったり。
<>
<>仕事として請け負うのならば、仕方がないことだ。
<>不死者たちがこの世界に縛り付けられる原因となったもの、それを見つけられなければ、力尽くで還すしかない。
<>大抵は、力尽くで還すこと、つまりこの世界から彼らを消滅させることが依頼の目的だから。
<>受けた以上はその覚悟で仕事をする。ただ、期限に余裕があれば、なるべく彼らに満足して逝ってもらいたいと思うから、彼らを繋ぎ止める鎖を見つけようとするだけで。
<>
<>今まで還した奴らの中には、逝きたいのに、それにこだわるあまり縛り付けられる、という奴らが多かった。
<>けれど、そうじゃない奴らもなかにはいる。
<>どんな形でもいい、どんな姿でもいい、魂と呼ばれるものが永久の責め苦を受けながらでもいい、それでも離れたくない、と。
<>そんな彼らを力尽くで還してしまうことは……。
<>染みついたエルフの教えは、俺の疑問を否定する。負の生命の精霊力に支配されることは、正しい生の在り方じゃないんだから、と。
<>
<>
<>
<>昨夜、セシーリカとそんな話をした。
<>ついでに、昔付き合ってた女が未練の欠片も見せないのは何でだろうな、なんてくだらないことも。
<>
<>「だって、ラスさんのことだから、きっとその子が出てきたら、心配するんだよ。思い残すことがあったんだ、辛かったんだ、って」
<>
<>……じゃあ、もしおまえだったら?
<>おまえと俺がそういう仲だったら、と仮定して、おまえが先に死んだらやっぱ出てこない?
<>
<>「………やっぱり、出られない。わたしだったら、だけど。
<> だって、夢枕に立ったとしても、そしてラスさんがわたしに文句を言ったとしても、辛くなるだけだもん。ラスさんもきっと辛いんだろうけど、わたしもきっと辛いよ。生きているうちに聞きたかった、生きているうちに言いたいことがたくさんあった、って」
<>
<>うまく言えないけど、とセシーリカは眉根を寄せていた。
<>
<>
<>
<>もしも……。
<>もしも、キリエ(PL注:EP参照)が俺のことを多少は未練に思ってくれていたら。
<>そして、負の生命の精霊力で俺の目の前に現れたら。
<>多分、伝えられなかった言葉は伝えられるだろう。そうしたらキリエのほうからも俺に何かを伝えてくれたかもしれない。
<>じゃあそれで俺たちは満足するんだろうか。幸せだと思うんだろうか。
<>
<>違う、と思った。
<>それは結局、間に合わなかったことの再確認でしかない。
<>生きている間にどうして伝えなかったのか、という後悔を再度味わう行為でしかない。
<>触れられない。抱きしめられない。体温は伝わらない。それらをひとつひとつ噛みしめる作業だ。
<>きっとお互いに。
<>
<>──だからせめて、次は間違わないように。
<>不死者たちの存在をこの世界から消滅させてやることは、そんな意味があったのかもしれない。
<>自己満足かもしれないけれど、そう思えば、なんとなく今夜は眠れそうな気がしてきた。
<>
<>とりあえずそのきっかけをくれたセシーリカに、礼と称してサラダのトマトを分けてやったら、
<>「お礼じゃないじゃん。嫌いなの押しつけただけだろ」
<>と怒られた。
<>……バレたか。
 
出掛ける準備
ラス [ 2005/09/10 21:46:49 ]
 いろんな厄介事は押しつけられるし、担当地区はごちゃごちゃとした面倒事が続くしで、夏の疲れもなかなか抜けないなーと思っていたそんな時。

「ノルド村に、司祭代行の仕事で赴任することになったんだけど」

と、カレンが言ってきた。
期限は今のところわからないが、新しい司祭を探すまでの間の臨時だという。

ノルド村について俺が知っていることと言えば。
オラン市中から3〜4日の距離。何年か前までカールがそこの神殿長だった。
カールを頭として……つまりは、チャ・ザ神殿がてこ入れして開発して、ノルド村の名物になったのは高級エール。
質より量を求めがちなエールに、量より質を追求したものらしい。
近場には天然の温泉も湧いていると聞く。村人たちがよく訪れるらしい。
カールの奥方が出産する時に、ケイドやセシーリカが手伝いに行っていたことで、田舎の村には珍しく半妖精の存在にも慣れている。

それらを思い出した結果、俺はカレンの仕事についていくことにした。
あいつは仕事。俺は物見遊山。
森の空気、温泉、山の恵み、高級エール、平和で静かな村。
これが行かずにいられるか。

ああ……考えてみれば、探索とか調査とか化け物退治とか……そういうの一切無しっつーのは、すっげ久しぶりじゃね?
オランの街ん中はまだ残暑が厳しいが、山に入れば空気はずっと和らぐだろう。
石畳の照り返しで暑気あたりすることもなく。
朝方ようやく寝付いてからほとんどすぐにギルドからの呼び出しを受けることもなく。
酒場で喧嘩に巻き込まれたあげく衛視に引っ張られて説教くらうこともなく。

田舎の村バンザイ。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

んで、オランを留守にする間のことを、担当してる幾つかの娼館をまわって店主に伝えて歩く。
そのついでに今出来る分の雑事を片付けていく。
それらが一段落したのが明け方近く。
娼館のひとつで、スウェンに会った。

「いたーっ! ラスの兄さん、ひどいじゃないか! 全部押しつけていく気だろっ!?」

数刻前にギルドの酒場で俺のことを聞いて、走り回って探していたらしい。ちょうどよかった。
スウェンに注意事項その他を伝え、いくらかの現金と宝石も預けておくことにする。

「まぁ何かあれば早馬でも飛ばせ。金で片が付くことなら、この金で片付けろ」
「兄さん……」
「あ?」

潤んだ目で上目遣いに見上げてくるスウェン。俺の手をそっと握る。艶を含んだ声と瞳。

「兄さん……行っちゃやだよ」
「……」
「……兄さん?」
「誰に習った。そんな真似。サラあたりか?」
「あ。バレた?」
「……馬鹿だな、スウェン」

とっておき(でも営業用)の笑みを向けてやる。そして俺の手を握っていたスウェンの手を握りかえす。
戸惑うスウェンの瞳を優しく見つめかえす。
そのまま引き寄せるようにして、もう片方の手でスウェンの頬を優しく撫でる。
スウェンの声がひっくり返った。
「え? あ、ちょっ! ア、あレ? に、兄サんっ!?」
朱の走った頬に軽く口づけて、そのまま耳元で囁く。
「スウェン……色仕掛けってのはこうやるんだ。10年早ぇ」

離れると、スウェンが赤い顔のまま叫んだ。
「ちくしょーっ! グレてやるっ!」
「だからおまえは馬鹿だって言うんだ。もう立派にグレてんじゃねえか。それ以上どうやってグレるって言うんだ」

とりあえず、土産は買ってきてやろうと思った。
 
そろそろ本気で。
ラス [ 2005/09/19 5:19:04 ]
 俺が育ったのはエルフの森だ。空気も景色も綺麗だったし、森の恵みも十分にあった。
ただ、そこの住人どもの大半は俺のことを忌避していたし、俺自身もそいつらのことが好きじゃなかった。
長じて冒険者になってからは、仕事を請ける都合上、どうしても拠点は街になった。
それでも時折、仕事や旅の途中に田舎の小さな村に立ち寄ることはある。
大抵、そういう小さな村の住人たちは半妖精に慣れてはいない。
悪意ではなくても、奇異の視線やら困惑の視線やら。慣れてはいるが、あまり居心地のいいものじゃないことは確かだ。

けど、ノルド村は違う。
ケイドやセシーリカといった半妖精が実際にこの村を訪れていたせいもあるし、オランから3日という距離のせいもあって閉鎖的な村じゃないんだろう。
目立たないからという理由で、田舎より都会のほうを好んではいたけれど、この村にきて、もともとの自分はこういう場所のほうが好きなのかもしれないと思った。

そんな居心地のいい村に到着して2日。
普段は食堂兼酒場でしかない店は、旅人が来ると宿としても営業するという。時折、エールの買い付けにくる商人もいるそうだ。
俺とファントーはその宿の部屋を借り、カレンは神殿に付属した小さな家で寝起きしている。

「どうだね、ノルドのエールは口にあうかね。買い付けの商人さんによると、他の蔵のものよりも酒精が濃いというが」

陽気な村人たちとも、仲良くなった。
最近はめっきり暑さも和らいで過ごしやすい。
寝入りばなに限って呼び出しくらって仕事に駆り出されることもなく、よく眠れる。寝不足はすっかり解消された。
もともと森育ちだったせいもあって、山の恵みを中心とした食事も口にあう。食欲も復活。
村の端にある小さな森を抜けた先には、温泉が湧いていて、真っ昼間からのんびり浸かるのも気持ちがいい。

「いやぁ、あんた見かけの割にはよう飲むよなぁ。エールを作ってる側にしちゃ嬉しい飲みっぷりだねぇ。で、今日も飲むかね?」

……体調は完璧(ぐ)。しばらく仕事もない。
到着した夜と昨夜は、今までの体調も考慮してたこともあって、飲む量は遠慮気味だった。

──おやっさん。今日は……本気で飲んでもいいか(きらーん)。
 
情報入手。
ラス [ 2005/09/29 23:11:50 ]
 (PL注:ファントーの宿帳 #{244}-8「ノルドに来てから」の続き)

ファントーが無言で寝室に引き籠もった夜、俺は出かける用があった。
「とりあえず様子見か?」とカレンが訊ねてくる。
そうだな、様子見かどうかはこれから考える。

そして半刻後、俺は村はずれに住む猟師と一緒にいた。
ここ数日、畑を荒らす猪が出て困っているという。夜になると森の奥から畑に来るらしい。
その退治を手伝う約束をしていた。

猪待ちの間にはちょっとした世間話なんかをしたりもする。
「そういやぁ、森の奥で見慣れねぇ奴を見たなぁ。変わった服着とった」
変わった服ってどんな?
「綺麗な織り布でなぁ。それをこう……袖無しのチュニックのようにして着とった。ここらじゃ見かけん顔だし、見かけん服装だ」
……それって、今日の夕方の話?
「ああ、そうだぁ。愛想のない奴でなぁ。目があったから挨拶したんだが……無言で会釈するだけだった」

華やかな柄を織りこんだ布をチュニックのようにして身にまとうのは、ファントーもよくやる。
ファントーの出身部族の慣習らしい。エストンの山の民。
部族の人間がここに? ……いや、偶然ってこともあるか。

夜明け近くに猪を退治して、解体まで手伝うと、すっかり朝になってしまった。
血を温泉で洗い流して服を着替え、俺はそのまま村の共同井戸へと足を運んだ。
井戸の周りでは、おかみさんたちが野菜を洗いながら世間話に興じている。

ノルドへ来る前に、カールに脅された(カール「ラスさん、ノルドは田舎ですからね。女性とおつき合いするということは結婚と同義ですよ。味わうのは温泉とエールと料理だけにしておいたほうが無難でしょう」)こともあって、ここでの俺は『イイヒト』でしかない。
余計な見栄も張らないし、口説きモードにも入らないと、妙におかみさんたちからの受けはよくなる。

猪退治の話から、猪料理の話に。そして互いの料理レシピを教え合ったり……その世間話のついでになにげなく聞いてみた。
ここらで違う部族──例えばエストンの山の民とか──を見かけたことはあるか、と。

「この村は隣の村とも離れてるからねぇ、見かけると言えばオランからのエール商人さんとか。2つ先の村と時々穀物とエールを交換したりもするからそこの人たちとか」
「山の民? へぇ、エストンにはそんな人たちがいるのかい。半耳さんは物知りだねぇ」
「確かにエストンとは尾根続きだけど、ここは山からは随分と離れてるし。聞いたことはないわねぇ」

ふーん。おっけー。


宿に帰って2階の部屋へ行くと、ファントーは既に起きて着替えていた。
今から寝るから起こすなよ、と言うと、小さく「うん」と返事をする。まだ眉間の皺は深い。
──かまをかけてみた。
部族の奴に何か言われたのか、と。

びっくりしたような顔でしばらく俺を見つめ、そして小さく頷いた。
「あと……1年。1年で、山に戻るか街に残るかを決めなくちゃいけないんだ、オレ」

話せるようなら話せ。いくらでも聞いてやる。1人で考えたいと言うなら何も聞かない。
それだけ告げて、とりあえず俺はベッドに潜り込んだ。
 
ノルド出立。
ラス [ 2005/10/23 22:43:45 ]
 ノルド村の近くにある森で婆さんを拾ったのは、4日ほど前だ。
昼寝によさげな場所を探してうろついていたら、薬草採りにきて足をくじいたとか。
放置するわけにもいかないから、とりあえず家まで送り届けた。
送り届けた先は、村はずれにある薬草師の家だった。
家の中には、むせかえりそうなほどの薬草の匂い。
少々冷たいかもしれないが、薬草師なら自分で手当くらい出来るだろうと、とっとと逃げ帰るつもりだった。

……まあそんなにうまくもいかなくて。
結局、水を汲んでこいだの、あそこの椅子まで連れていけだの、いろいろと用を言いつかる。
その途中で見つけたのが、死んだ旦那の物だったという書架だ。
亡き爺さん本人が書いた幾つかの旅行記や、他のちょっとした書物が残っている。
暇つぶしにと何冊か借りてきて……そして興味深い記述を見つけた。

オラン近郊には農村が幾つもある。合間に小さな森や谷を挟んでいたりで、その村同士は必ずしも隣接しているわけじゃないが。
つまりはこのノルド村のようなものが多いのだろう。
そのうちのどれか一つ、その村の近くに随分と昔から忌まれている場所があるらしい。
黒い塔、黒い棺、そして黒い宝石というキーワードがちらほらと記述に見つかる。

爺さんの書架の中身を片っ端から読んで、そして推測してみると。
オラン以前のサーダイン時代。ここいらには何人かの地方領主がいた。
どうやらその1人の墓が近所にあるらしい。それが黒い塔で守られている、という記述が見つかった。
ただし、近所にあるという村がどれなのか、そして塔のある場所が実際にどこなのか。それが特定出来ない。

ノルドに派遣されるチャ・ザ司祭の正式な後任がようやくノルドに到着したこともあり、俺たちはオランに戻ることにした。
オランに戻れば、三角塔なりラーダ神殿なり……市井の好事家でもいい、文献を調べる場所は幾つもある。

街に戻ると聞いて、ファントーは嬉しそうだった。
例の、故郷からの使いの話を聞いてからしばらくは、ぐだぐだと悩んでいたようだが、まずはいろいろと経験してみると胆を決めたようでもある。

俺自身は、この村を離れるのが残念なのは確かだ。
エールも美味いし温泉も心地よい。それに何より村自体、居心地がいい。
けど。

「俺。やっぱ、冒険者だわ」

と、カレンが苦笑していた。神官として、いつでも居住まいを正しているのは向いていないらしい、と。
俺は別に居住まいを正していたわけでもないし、逆に思い切り羽根を伸ばしていたけれど。

でも、やっぱり俺も冒険者だ。
 
手紙
ラス [ 2005/11/28 0:02:08 ]
 (※PL注※ ライカの宿帳 #{305}-7「おてがみを あなたへ」に関連)

ライカがオランを発ったのは5の月の半ば頃だっただろうか。
シタールが以前予測した通り、無事を知らせる手紙はシタール宛てではなく、俺宛てに届いた。
西方の国からは内乱の話も聞こえてくる。足止めを食らうんじゃないかと危ぶんでいたが、無事にタラントにたどり着いたらしい。
賑やかな旅の仲間に助けられたことや、タラントに到着して翌日には父親に会えたことなんかが、ライカらしい淡々とした文体で書かれていた。
その中に、かすかな寂しさと、それでいて安堵した気分とが透けて見えるような気がした。
それでも全てをひっくるめて、苦笑混じりに「しょうがないわね」と呟いていそうな。

そんなライカの手紙の中に、もう1通別の手紙が紛れ込んでいた。
ライカの手紙自体はきっちりと封蝋がしてあったから、途中で紛れ込んだものでもないだろう。
なによりも、その“もう1通の手紙”のほうも宛先は俺になっていたから。
流麗な…というよりは、わずかに神経質さを覗かせる、それでも端正なエルフ文字で。
ライカの手蹟とは違うそれに、俺は見覚えはなかった。

その手紙の署名を読んで、血の気が引いた。
自分の鼓動がやけに大きく聞こえて、奇妙な息苦しさを感じる。
それは、「あの時」のことを身体が再現しているのかもしれない。
40年も昔のことを、それでも身体は忘れていない。

半ば反射的に手紙を握りつぶす。
思い直して中を開いて文面を読む。
そしてやっぱり握りつぶす。
傍にいたカレンにひとしきりぼやいたあと、気付けば丁寧に手紙の皺を押し伸ばしている。
それでもやっぱり、何かの留め金が外れたようにぐしゃりと潰す。
なのにまたその皺を伸ばそうとして、今度は伸ばす前にその馬鹿馬鹿しさに気付いて握りつぶす。

今更、何をどう謝ろうと言うのか。そもそも手紙の内容は、謝罪を云々しながらも、それはあのエルフのただの自己満足だ。
その驕慢さ、そうでなければ身勝手さ。それに嫌気が差して、羊皮紙を握りつぶす。
けれどあの森の、身内以外のエルフにこうやって対等に見てもらったのは初めてのような気がして。
もちろん今は、あの森のクソエルフどもがどう思おうと関係ないと……そう思ってる。はずだ。
なのにあの署名を見て、昔の感覚に引き戻される。認めてもらえたのかもしれない、平等に見てもらえたのかもしれないという、卑屈な希望から目をそらせない。
馬鹿馬鹿しさに気付いていながら、それでも羊皮紙の皺を伸ばす。
その繰り返しだ。

「こんなものが平等であってたまるか」

吐き捨てるようにカレンが言い切った。
わかってる。それは、おそらく自分でも嫌になるほどわかってる。
けれど俺は、カレンのように「会えば殴る」とは言いきれないし、そんな風に怒りをかきたてる何かが抜け落ちているような気さえする。
その代わりのように、鳩尾のあたりがきりきりと差し込むように痛んで、胸の奥に苦いものがこみ上げた。

その夜、夢の中に出てきたのはあの薬草師だ。
ライカの手紙では、「父はぶっきらぼうだけれど、優しい人だ」とたった1行だけ書かれてた。
だから多分、あの頃と今とでは、ずいぶんと印象も違うのかもしれない。
けれど俺は、自分を見下ろしていたあの冷たい薄緑の瞳しか知らない。

うなされて、起こされて、闇の中で自分を見下ろす瞳に一瞬だけ怯えたように反応してしまう。
それがカレンだと気付いて、礼を言ってまた眠って。けれど少し後にはまたうなされて、その繰り返しだった。

今日、何もなかったような顔をしてカレンは神殿に出かけたけれど、多分かなり寝不足だろうな、なんて無責任に考えていた。
昨夜、暖炉に放り込んだあの手紙はすっかり燃え尽きて、今はファントーの手で掻き出された灰の中に混じっている。
羊皮紙なら燃やせる。切り刻むことだって出来る。
けれど。

「……馬鹿じゃねえの」
そう呟いてはみたものの、それが自分のことなのかあのエルフのことなのかはわからなかった。
 
初めての気持ち
ラス [ 2005/12/08 23:41:09 ]
 外に出ると、口にするものが気に掛かる。
いつものつもりでシチューを頼んだら、結局一口も食えなかったこともある。
だから最近は、ナッツ類とパン、あとは透明な飲み物しか外では口にしてない。
それ以外の料理だと、中に何が混ざっているかわからないから……なんて、馬鹿みたいなことを考える。
少し前まで……あの手紙を読む前までは、何とも思わなかったことなのに。

何日か前。仕事の帰りに寄った木造の酒場ではワーレンに会った。
こんな風に飄々としたおっさんなら、飄々と答えてくれるんじゃないかと思って聞いてみた。

「自分を殺そうとしたヤツから謝られたら、おっさんならどうする?」

そして逆に聞き返された。返事に恨み辛みでも書くのか、と。
そう聞かれるまで、返事を書くなんてことは考えてもいなかった。

俺ならこう書くな、とワーレンは言った。
“よぉ、あんた元気でやっているか? 俺? あんたのおかげでこっちは元気にやっているぞ、この親愛なるクソ野郎”

ワーレンの言うように恨みや憎しみがあるなら、それもいいのかもしれない。
周りの奴らは俺のことをどう思っているか知らないが、実のところ、俺は本気で怒ることは滅多にない。
怒りや憎しみ、恨み、そういう方向へ自分のエネルギーを向けるのを怖がっているのかもしれないし、単にそれを面倒に思っているのかもしれない。どっちなのかはわからないけれど。

だから、例の手紙を寄越したカノーティスにも、恨みや憎しみみたいなものは殆どない。
自分でも戸惑うほどに。
なのに……そう、これは昨日セシーリカと話していて気が付いたことだ。

あのエルフは手紙で言った。
許してくれなくていい、と。

相手の許しを請わない謝罪に意味なんかない。
許しを得るためにするはずだった努力を放棄しているようにしか見えない。

そう呟いた俺にセシーリカが小さく頷いた。
「…そうだよね。許してくれないことが怖いから、許してもらうための努力が辛いから。だから謝ったことを理由に、無意識で逃げようとしているのかも知れないね。
辛いよね。そうやって逃げられると。残された選択肢が、限りなく一つに近くなるから」

セシーリカの想像した選択肢が何なのかは聞かなかった。
けれど、俺にとっては…………そうだな、胆は決まったかもしれない。

40年以上も前、あの森ではただ怯えるだけだった。
森を出てからも時折、あの時のことを思い出して……今回も手紙を読んで思い出させられて。その度に感じるのはただ怖いという感情だった。
嫌な夢を見たり、食事に神経を逆立てるほどに。

けれど、結局は逃げようとした、全ての努力を放棄した、その点で俺は初めてあいつに腹を立てた。
許せとは言わない、だと?

……スカしやがって。あの野郎。
 
時間の意味
ラス [ 2005/12/13 0:49:58 ]
 ──ふーん、エルフは長生きというけど、中身は大したことないんだな。

クーナの言葉に思わず俺は吹き出した。
奴から来た手紙のことを聞かせた感想がこれだ。

不思議なことに、クーナに対しては見栄を張ろうとか、事情は伏せようとか、そんな気持ちにはならない。
泣き言まがいのことを口に出しても、クーナなら……なんていうかな、茶化すでもなく、かといって真剣過ぎるでもなく。淡々と受け止めて、その上で笑って励ましてくれそうな。

まぁ多分、俺としても特に落ちこんでいるわけではない。
ただ、怒りに似たものを抱いてみても、その矛先をあのエルフに向けることには躊躇する。
それはおそらく、もともとすり込まれていた恐怖心があるからだろう。
心のどこかで……いや、もっとはっきり、明らかに怯えてる自分がいる。
あのエルフの手紙にも腹が立つが、そんな自分にはもっと腹が立つ。
けれど、むかっ腹を立ててみても、それで何かが解決するわけではなくて。

あのエルフから手紙が届いてから、アーヴディアのところには顔を出していない。
もともと足繁く通っていたわけではないが、彼女のところに行っていないという事実は、そのまま自分の弱さを表しているようでそれも腹が立つ。
じゃあ実際、行けるのかといえば、やっぱり足は竦む。
アーヴディアが薬草師だという事実や、そして彼女の家が薬草店だということに。

……記憶も。
そして、実際には覚えていないはずの、けれど身体が覚えている記憶も。
厄介なことこの上ない。

それでも、まだ基準が微妙だとはいえ、自分の料理したもの以外でも多少は食えるようになった。
時間が解決するものは確かにあると思う。

……そういえば、と思い出す。
40年前、正確には44年前。今よりももっと、口にするもの全てに怯えていた俺に食事をさせたのは親父だった。
必ず目の前で調理した。そして、調理したものを必ず1つの皿に載せた。同じ皿から自分も食べ、そして俺には自分でそこから選び取るようにと。
茶もそうだった。カップに注いでから、必ず一度、親父が口をつけた。
普通に食事が出来るようになったのは、何かきっかけがあったわけじゃない。
ただ、時間が解決した。

今の、このバランスの悪い感情も。胸の奥や腹の底がむずがゆくなるような居心地の悪さも。
時間が解決してくれるのかもしれない。

そう言ったらクーナは、煙管の掃除をしながら淡々と言った。

──物事は咀嚼するまでそれに見合った時間が必要というよ。それに何でもその場ではいはいと割り切れる奴の方があたしはどうかと思うな。

まったく……草原妖精なんて詐欺だよな。
見た目は子供のようなのに、中身は全然子供じゃないなんて。
 
貧乏くじ
ラス [ 2006/01/21 22:41:27 ]
 木造の酒場の裏手には、小さな厩舎がある。
冒険者の店としては普通だろう。地元の冒険者たちはともかくとして、遠方から来る者の中には馬やロバを連れている奴らも珍しくはない。
主にその厩当番になっているバザードは、その片隅でこっそりと犬を飼っている。
こっそり、と思っているのは当人だけで、一緒に働いているコーデリアやハリートは当然知っているし、店の主人フランツだって、かなり前からそのことには気付いてる。

カークと名付けたらしいそのぶち犬は、野良だったというのに人なつこい。
フランツと2人でカークに餌をやったり、腹を撫でてたりしていると、フランツが思い出したように聞いてきた。
「結局、あれはどうなった。報酬はつり上げたのか」
あれ、というのは俺が盗賊ギルドから引き受けた仕事のことだ。もともとギルドの人間なだけあって、今でもフランツはギルドの事情には詳しい。
……つり上げたと言ってもたかが知れている。もともと半分は罰ゲームのようなものだから。
受け手のいない仕事を賭けてやっていたカードゲーム。そのテーブルを通りかかったのが運の尽きだろう。そういう時には、最後に巻き込まれた奴が貧乏くじを引くと相場は決まっている。
というわけで、俺がその貧乏くじを引いたわけだ。

昨夜、酒場で同席したスカイアーが、夜会に行く貴族の護衛のような仕事を引き受けたと言っていた。
詳しく聞くと、護衛というよりは、監視役というか守り役というか。
酒乱で粗暴なその貴族の男が乱行に及ぶのを止めるのが役割だという。
エンドレ・ランゼイというその男は、実は巣穴でも有名人だ。
巣穴の仕事でも、貴族が絡むことは存外に多い。情報収集の先だったり、貴族にかくまわれている誰かに関することだったり。
もちろん、商売をやっている人間と同じように、盗賊ギルドに保護料を払っている貴族達も少なくはない。一種の保険というわけだ。
だから、夜会に忍び込む仕事もないわけではない。
ただ、その夜会にランゼイ卿が出席していたら、彼に絡まれないようにしないと、仕事の成功はおぼつかない。なにせランゼイという男は、背後を通ったという、ただそれだけで剣を抜きかねない男だから。
大概の場合、礼装用の模造刀なのが救いと言えば救いだが、ランゼイの体格やその膂力を考えるに、例えその剣を鞘から抜かなかったとしても脅威であることに変わりはない。

……そして、俺がひいた貧乏くじの内容は。
その夜会を主催する家の食客となっている占い師の女が1人いる。その占い師からとあるものを取り返してくること。
占い師はそれを警戒しているらしく、その貴族の館から殆ど一歩も外には出ない。
人前に姿を現すのは、夜会の時だけ。少しは名の知られている占い師らしく、彼女に占ってもらうのが流行りでもあるらしい。
彼女を招いている貴族は、ギルドに保護料を支払っている家なだけに、忍び込むわけにもいかず。
かといって彼女に取引を持ちかけても首を縦に振るはずもなく。
だから今回のは妥協策、というわけだ。

……けどさぁ。だからって、その夜会にランゼイが出席しなくてもいいじゃん?
とりあえず、スカイアーから聞いたところによると、ランゼイはさすがに女にまでは剣を抜くことはないと聞いたから……。
いや、手を上げることが全くないわけではないらしいけど……。

…………………………。
……………………。

その手の変装が経験ないわけじゃないが……最近やってねぇよな。
けど、今回のは、変装がバレるかバレないか、ってよりも、ランゼイに目をつけられないかどうかが重要なわけだから……もしも目をつけられた時のことを考えると、女のほうが安全な可能性は高い、のか……。

はぁ……(溜息)。

「まぁ、がんばれ。……食うか?」

──フランツ。それ、カークがしゃぶってた骨だから。
 
覚悟完了。
ラス [ 2006/01/27 0:28:53 ]
 変装、というものには目的がある。
少なくとも、俺たち盗賊ギルドのメンバーが仕事としてする変装には。
面が割れないように、もしくは既に割れている面を隠すために。
そうでなければ、その場にいることが自然に見えるように。
警戒されずに仕事を遂行するために。

変装のパターンも幾つかある。
一番安全で簡単なのは、年格好はそのままで、服装や髪、含み綿、化粧、歩き方なんかを変えて、別の人物になりすますこと。
面が割れてさえいなければ、例えば衛視の制服を着るだけで衛視詰め所に潜り込める。
次は、見た目の年齢を変えること。カツラの白髪や化粧で書いた皺が自然に見えるようにするには、全体的に薄汚れた格好をするのが一番だ。
ひっくるめて考えれば、物乞いに変装するのが一番安全で簡単だということになる。物乞いの顔をわざわざ覗き込む奴はいないし、物乞いはどこにいても大概自然だ。

持って生まれた体格や顔立ちにもよるが、かなり難しい部類に入るのが性別を変えることだろう。
面白半分や、罰ゲームで異性の服装をすることとは根本的に違う。
ギルドにはそれを専門としてる奴もいるくらいだ。
未成年や成人したての奴らなら、性別を変える変装をするのもそう難しくはない。まだ声や体格が定まっていないうちなら。
そうじゃないなら……それは不自然だ。
確かに、多少体格の良い女性もいる。声の低い女性もいる。その逆に女顔の男だっている。
けど、盗賊の仕事の第一は「目立つな」だ。
不自然さで印象に残るわけにはいかない。


自分の部屋で鏡を見ながら、俺は考えていた。

貴族の夜会に潜り込む、という今回の仕事は、まぁ罰ゲーム的なもので受けた仕事ではあるが、仕事であることに変わりはない。そして俺はそれを受けた。
面が割れているわけもないから、普通に考えれば、多少上等な服を着て、ついでに違和感がないように耳を隠して。それで済む話だ。
ただ、スカイアーからランゼイの話を聞いた。
あの男の近くにいて安全なのは……女だ。
おそらく年寄りにも手は出さないだろうが、俺の顔立ちで年寄りに化けるのには無理がある。
裏路地で物乞いの格好をするならともかく、ふんだんに灯りを使った夜会の中では特に。

男のままで行って、ランゼイの目に止まる可能性と。
女に変装して行って、それがバレる可能性と。
天秤にかけて考えた。
前者は運だ。
後者は努力と技術で変えられる。

腹をくくった以上は、出来るだけ完璧にしなくてはならない。
伊達や酔狂でやるんじゃなく、仕事としてやるからには、最後まで騙し通さなくちゃ意味がないから。
そこには一片の不自然さも残しちゃいけない。

鏡を見る。
幸い、体質的に髭はほとんど生えない。エルフの血が濃いことに一瞬だけ感謝した。
男と女で違うのは骨格だろう。その中でも、耳下から顎にかけてのライン。それと、首。
首は襟の高いドレスでごまかせるか。
顎のラインは、ちょうど髪が伸びてるからそれでなんとかごまかそう。ついでに、“化粧屋”に言ってこの伸びた髪を巻いてもらえば耳も隠せる。
あとは……手首から指先にかけてのラインか。これは手袋が必要だな。
足もとは裾の長いドレスならごまかせる。
全体の体格は、詰め物をしたコルセットを“化粧屋”から借りればいい。

“姿隠し”を覚えてからは、この手の変装は滅多にしなくなったからなぁ……。
とはいえ、夜会の真っ最中に“姿隠し”をかけたり解いたりするわけにもいかねぇし。
……全部ランゼイのせいじゃん。
ったく。誰かどうにかしろよ、あの暴れ牛。

…………さ。行ってこよ(溜息)。
 
がんばれ、俺。
ラス [ 2006/02/01 23:21:14 ]
 ……風邪をひいた。

原因はわかってる。先週の夜会だ。
あの日は、いろんなところを締め付けるコルセットが殺人的に苦しかったが、あのスカートというのもなかなか落ち着かないものだった。
なんとか言う……スカートを膨らませる骨組み。その下には絹の靴下と下着だけだ。

足もとから這い上がる寒さと、呼吸もままならないコルセット。……あばら折った時だってこんなに締め付けられはしなかった。
あれでにこやかに談笑し、なおかつ平気で飲み食いし、更にはダンスを踊って、ついでに引っかけた男とテラスで情事、なんてぇんだから……貴族の娘たちってのは化け物か。

と思っていたら。
壁際でダンスの順番を待つ娘たちが話している内容が耳に入ってきた。
曰く。
この季節は毛織りのアンダースカートが欠かせないとか。
高原山羊の毛を織り込んだ靴下はとても暖かいとか。
靴の内張に兎の毛皮を使うといいらしいとか。

…………そういう情報は夜会に来る前に聞きたかったっつの。


まぁ、そんなこんなで。
娼館周辺の仕事はスウェンに押しつけてサボろっかなーと思っていた。
が、この季節、食い詰めた農村から売られてくる娘も多い。
兎の毛を張った靴も、高原山羊の毛を織り込んだ靴下も知らない娘たちが売られてくる。
そうなると当然、雑務は増えるわけで。

とりあえず少しずつスウェンに押しつけ……(ごほん)いや、スウェンを鍛えることにして。
と、思っていたら、ストライキしやがった。ち。仕事まわしすぎたか。
まぁそれは娼館の姐さんたちに頼んで、俺からだってことがわからないように、スウェンにまわしてもらう。

そして俺はといえば。スウェンには押しつけることの出来ない仕事というものもある。
荒事の始末だったり、仲裁だったり。ちょっとヤバい系の仕事だったり。後は“上”との話し合い。その他諸々。
一応、精霊使いの端くれとして、自分の体内の精霊は時々宥めている。
けど、それもそろそろ限界かなーと思う頃。

「兄さん、あたし、蝙蝠のおっさんに情報提供する約束しちゃったんだよねー。2〜3日忙しいからよろしくっ!」

……てめぇ、スウェン。またおまえは後先考えずにそうやって……って、もういねぇし!

……………………。
………………。

オウケィ、わかった。
山積みされている仕事は、俺が片付けよう。全部。そう、全部だ。
蝙蝠のおっさん──ワーレンが調べているというのなら、あれだろう。昨日の昼間にあったという事件。
パンに薬だか毒だかが混入されたとか。
ただでさえ、外で口に出来るものが極端に少ない今、パンすらも安全じゃなくなったとなれば、俺はものも食べずに仕事しなくちゃいけないわけか。
……オウケィ。いいさ、それでも。
スウェンがそれの情報収集を手伝うとして……早くて2日。遅くとも5日。5日やってダメなら諦めるだろうから。

その間だけ凌げば……あとは全部スウェンに押しつけてやる(決意)。
 
エルフ文字
ラス [ 2006/04/17 1:15:13 ]
 2の月にひいた風邪が治った後には、なんだかどたばたとした騒動(#{357})があって。
どうにかこうにか、それも一段落。

赤ん坊騒動の間はファントーたちが俺の寝室を使っていた。
1ヶ月ぶりに自分の寝室に戻ってみると、いつもより片づいている。
ファントーと同じように俺の寝室を使っていた女性陣が片づけてくれたのかもしれない。
いつもより片づいている部屋は、なんとなく使い勝手が悪く、ちょっとした小物なんかが行方不明になっていたりする。
それはいつもが何もかも出しっぱなしだからだろう、なんてカレンは怒るけど。

ギルド絡みのちょっとした書類を探していた。
ベッドサイドのチェストの引き出しのどこかに、適当に放り込んだ記憶はある。
ごそごそと探して、そうして別のものを見つけた。

11の月の終わりに、タラントから届いた手紙。ライカからの手紙(#{305}-7)だ。
それに同封されていた、あのクソエルフの手紙はあの日の夜に、暖炉の中で灰になった。
しばらく、返事を書こうかどうしようか、書くとしたら何を書こうか、そう悩んでた。
結局、タラントへ向けて手紙を送ったのは、今年に入ってすぐくらいだった。
ザインのあたりがごたごたしているとは聞いたが、そろそろあの手紙もタラントに着いただろうか。

俺が書いた手紙の内容は主にライカに宛てた返事だ。
傷ついていたライカが、旅の間に……そしてタラントに着いてから、少しでも安らげたなら幸いだ。
こちらも元気でやっている、といった内容をつらつらと書いて。
少し迷ってから、シタールたちも元気だと付け加えた。

こういうことは苦手で、と呟いていたカレンは、それでも俺の手紙の片隅に、2行ほど付け足した。
『そちらも元気なようで何より。こっちも相変わらずだ』と。

2人とも、ライカの父親のことについては何も触れなかった。
ライカの手紙に返事を出すだけなら、受け取ってすぐに返事を書いただろう。
悩む余地なんかない。素直に、ライカの無事を喜び、ライカが安らかに過ごしているようにと願うだけだ。
ただ、ライカの手紙には、彼女の父親であるカノーティスの手紙が同封されていたから。
あの手紙を読んだあと……実際、今でも食べるものに神経質になってしまっている自分としては、ライカに返事を出せば、その手紙の署名を彼女の父親も目にするだろうかなんて考えてしまう。

思い悩んだあげく、ライカへの手紙とは別の羊皮紙に幾つかのエルフ文字を書き連ねた。

『許しを求めない謝罪に意味などない。
 それでも自分は謝罪をしたのだからという自己満足に浸っていたいなら勝手にしろ。
 貴様の自慰行為を俺が気に留める必要はどこにもない』

エルフ文字を書くと、否応無しに思い知らされることがある。
エルフの森を出てから随分と経つはずなのに、それでもやっぱり自分の母国語と言えるものはエルフ語なんだという事実。

……ついでだ。

2通の手紙をまとめて封をする。そして、外側にも目立つように署名をしてやった。
エルフ文字のフルネームを。
 
仕事中
ラス [ 2006/05/08 23:07:55 ]
 数日前。ユーニスとそっくりな女を見かけた。
ただし、顔だけ。
体格も、持っている雰囲気も何もかも違う。
まぁ、似た顔ってのはいるもんなんだなぁ、とか。当のユーニスは仕事でオランを離れていたから、帰ってきたらこの話を聞かせてやろうか、とか。
普段ならそれだけで終わる。

ふと気になったのは、その女がそこそこ金回りの良さそうな中年のおっさんと一緒に逢い引き宿に入っていったこと。その上、その数日後には別の男と一緒に同じ宿に入っていったこと。
その種の商売をしているのかとも思ったが、どうも気に掛かる。
なにせ、俺がその女を今まで見たことがない。
いくら何でもオラン中の商売女の顔を全て覚えているわけもないが、あれだけユーニスに似ているなら、一度見たら絶対忘れるはずはない。……のに、見覚えがない。

なんだかなー。春になってからモグリのが増えてるからなー。

と、呑気にそんなことを考えていたら“上”からお達しがあった。
曰く、モグリの組織があるらしい、と。美人局の組織だ。
街角に女を立たせて、なんてことはせず、小金を持っていそうな商人どもに取り入って、直接女を派遣する。大抵は、そこそこ見栄えのする逢い引き宿を使うらしい。

自分の女を街角に立たせるようなピンの美人局なら、その女に引っかかった振りをして、男が出てきた時点でそいつをシメれば事は済む。
が、組織だっているのならそうもいかない。しかも女が街角に立っているわけでもないから。

上からそれを調べろというお達しがあってから、ふとユーニスに似た女のことを思い出した。
見覚えのない商売女。一緒にいた男の風体。使っていた宿。
あれもその一部だったのかもしれない。

スウェンが遺跡に出かけてから、雑用係(パシリ)がいなくて不便だったが、スウェンの代わりにコーデリアを捕まえた。スウェンが帰ってくるまでのバイトとして。
細かな雑用はコーデリアにまかせて、ユーニスもどきを見かけた宿から調べるか。

そんなこんなで街ん中を走り回っていたら。
ふと、見覚えのある光景が。
あれは……いつだったろう。ワーレンが、記憶がないとか呆けたとか、妙なことを口走ってた日(#{233}参照)。
結局それの原因が、やっぱりライ麦だったのか、それとも誰かに殴られでもしたのか、そもそも原因が判明したのかどうかは聞いていないが。
とりあえず、目の前にある光景は、あの日の昼に見かけて、夜にワーレンにチクった光景と同じだった。
つまり、リテが何やら嬉しそうに若い男と話している光景。
話している男は、あの日見かけた男と同じ顔……だと思う。断言は出来ないが。

さて……これはワーレンに教えたほうがいいんだろうか。

まぁでも、俺も今の仕事が一段落するまでは色々と忙しいし。
忙しい中、ツナギをとってまで教えることでもないよな。うん。
 
利用
ラス [ 2006/05/09 19:24:54 ]
 今回、一緒に仕事をすることになったのはベルギット。と、その一団。
もともと彼女たちは、形式上ギルドに属してはいるけれど、ギルドの体系からは少し外れている。
俺のような兼業冒険者とはまた少し違う外れ方だ。
ある意味、自由な盗賊とでもいうか……そんな彼女たちでも、街で暮らす以上は、しがらみの幾つかがある。
そのしがらみを消化するひとつの手段として、今回の仕事があるらしい。
まぁ、俺としては、有能な人間が一緒に動いてくれるならありがたい。

「敵」は、組織だった美人局。
やりくちを調べてみると……なかなか合理的だ。
客がつくのを街角で待つなんて愚は犯さず、金回りのいい商人どもに取り入って、そこへ女を派遣する。
いざ、事に及びそうになれば、いかつい男が出て行って、脅したあげくに金を奪う。
それを、女1人と男2人程度が組になって、一時に数組が動く。
数日かけて荒稼ぎした後は、別の街区に行ってまた同じ事を繰り返す。

女を紹介する際には、そこそこ気の利いた、物腰の柔らかい男が動いているらしい。
物腰が柔らかいとはいえ、紹介文句は少しばかり物騒だ。
曰く、「うちの女性たちはギルドには無許可な子たちばかりだから、素人くささを味わえる。ただそのかわり、我々のことは内密にして欲しい。無許可と知ってて買ったならあなたも無事では済まないだろうから」と。
自分たちのことを口止めしつつ、買った以上はあんたらも共犯だとさりげなく脅すあたり、それも合理的と言えるだろう。

俺がユーニスもどきを見かけたのは金鯱通りだ。いかがわしいとまではいかない、繁華街。
あれから数日経っているということは、奴らはもう河岸を変えただろうから、ユーニスもどきはもうあのあたりでは見かけられないはず。

客を捕まえて、客から情報収集するのがまず早いだろうが、自分たちも無許可と知ってて買った負い目がある以上、協力的な客というのはなかなか捕まえにくい。
さて、どうするか……と、自宅の居間で考えていたら、ファントーが帰ってきた。
ユーニスやキアと行っていた、郊外の村での鹿退治を終えて。
そうか……つまり、ユーニスも戻ってきたということか。

本当なら、ユーニスに協力してもらえば手っ取り早いのかも知れない。
例えば、ユーニスもどきが着ていたような服を用意して、それを着て商人の多い通りを少し歩いてもらえば、声をかけてくる男もいるだろう。それの幾つかは騙されたことに対する文句かもしれないが、素人の男1人にどうこうされるようなユーニスでもないだろう。
ギルド側の人間が近くにいれば、声を掛けてきた男をそのままどこかに引っ張ってって、事情を聴けばいい。

……ただ、ユーニスはギルドの人間じゃない。
詳しい事情を話すのもどうかと思うし、協力させるのはもっとどうかと思う。
とはいえ……利用しない手はない、とも思う。

しばらく考えたあげく、俺はベルギットに頼み事をした。
ユーニスたちがオランに帰着した日の夕方だ。

ユーニスに、ひょっとしたらわけのわからないことを言ってくる男がいるかもしれないが気にしないでくれと、伝えてもらうように。
ユーニスにそっくりな女が少々問題を起こしているだけで、ユーニスにはあまり影響はないはずだから、と。
普段通りに振る舞うように、そして出来れば、もしも腕を掴まれたりしてもあまり事を荒立てないように。

「そうね。そのくらいがいいところか。詳しい事情を話すわけにもいかないしね」
俺の指示を聞いて、ベルギットが笑う。
「ところでそっちはどう動くの? ユーニスと出歩いて、元『客』たちの嫉妬心でも煽ってみるとか?」

あー……俺は、とりあえずユーニスを尾行する。
それで声をかけてくる奴らをちょっと裏路地に引っ張るさ。
何人かから情報収集すれば、あとはアジトを突き止めて、人数揃えて踏み込めばいい。
ただ……結局、ユーニスを思い切り利用してっからなー。……怒ると思うか?

ベルギットは笑って肩をすくめるだけだった。
 
結末
ラス [ 2006/05/17 22:59:37 ]
 食卓の上には、“肥沃な谷”のワインと、ユーニスが持参したチーズと鹿肉の薫製。
ユーニスがリクエストした仔羊の煮込みはトマト風味にして、ついでに新鮮な腎臓も手に入ったので、それはキドニーパイに。
これが、今回の件の結末。
いや、ベルギットがケーキを一緒に食べる約束をしたというから、それが結末なのかもしれない。


ユーニスを尾行して、近づいてきた男を片っ端から捕まえて尋問した。
客のほうは素人ばかりだから、尋問といっても、そう本格的な物じゃない。
が、やはり「盗賊ギルドに連行される」という心理的圧力もあるのだろう。
思った以上に、するすると情報は集まった。

交渉役の男や、娼婦役の女、脅す係の男たちのそれぞれの似顔絵が出来れば、あとは簡単だ。
アジトを突き止めるのにそう時間はかからなかった。
場所はオランの東側。
オランでのほとぼりが冷めるのを待って、カゾフでまた同じようなことをやろうと画策中だったようだ。

奴らをとっ捕まえた後は、奴ら自身から、誰に声をかけたのか、誰から金を巻き上げたのかを聞き出した。
買った側にも手落ちはある。
相手が素人の女と知っていて、そして、ギルドの許可は受けてないことを知っていて、買ったんだろうから。
火遊びはほどほどに、と睨みを利かせるついでに、ひとつ言い添えるように頼んでおいた。
つまり、“娼婦”の1人に良く似た女がオランの街にいるけれど、それは今回の件とは全く無関係だ、と。

「それにしても、並べてみたいほど似てたわね。……営業中の時は、だけど」
アジトを畳みに行って、その帰り道でのベルギットの言葉だ。
確かに、客の腕をとっている時の、笑っている顔はユーニスに良く似ていた。
けれど、こちらが踏み込んだ時に、無駄と知りながら、手近にあった果物ナイフを構えた顔はあまり似ていなかった。
ユーニスが戦う時に見せる真剣さとは違う眼の光。

冒険者なんてのはみんなならず者だとよく言われる。
けれど、犯罪者とは違う。
その違いが、あの眼の光なのかもしれないと思った。
 
後ろ姿
ラス [ 2006/05/31 22:11:31 ]
 クレフェがオランを発つ。
だから、関係を一度終わらせようと切り出してきた。
互いに冒険者だから、一期一会、離れてまで執着する必要はないだろう、と。

もともとそういう考え方は好きだし、いざとなればそう言って綺麗に別れられる女だろうと思っていたからこそ、今までこういう関係を続けてきた。
ただ実際、その「いざという時」になって、妙に惜しくなってしまうのは、俺の修行が足りない。
だからと言って引き留めることや、すがることなんてのは、今まで散々自分がやられて鬱陶しいと思っていたことだ。そんな真似が出来るわけもない。

オランを発つ前に、上物のワインを届けに来ると言いだしたクレフェに、別れの杯をわざわざ持ってくるなと言ったのは、精算を切り出された時に惜しんでしまった自分の、せめてもの意地。
夜を共に過ごした寝台の、まだ乱れたシーツの皺を見ながら、せめて前夜、寝台に入る前に言ってくれれば、跡の1つでも残したのにな、なんてくだらないことを思う。

クレフェが出立する日には予定が入っている。見送りには行かないと告げてもさほど残念そうな顔は見せなかった。つくづく、いい女だと思う。
精霊への思いや、精霊の力へ向かう立ち位置は、多分、俺とクレフェではかなり違う。男女の違いというだけではなく。
けれど、違うアプローチだからこその、クレフェの気概とその目つきが好きだった。
たまたま男女だったからこそこういう関係になったが、同性だったとしたらいい“戦友”になっていたことだろう。

最後に贈った旅用の外套は、季節にふさわしくペールブルーを選んだ。
水色の瞳と、けぶる銀の髪に良く似合っていることを告げて、そして互いの頬に口づけをして別れた。

振り返りもしない後ろ姿を見て、ふと思った。
クレフェが戻ってきたら、また口説いてみようか……。
 
ワインの味
ラス [ 2006/05/31 22:14:20 ]
 カレンが、気に入りのペーパーウェイトをロビンに汚されたと嘆いていた。
……いや、嘆いていたんじゃなくて、怒ってた……よな。

ミスリルで出来たそのペーパーウェイトは、ずっと以前に潜った遺跡からの戦利品だ。
俺も似たようなものを持っているが、売りものとしては、さほど高い値が付く物じゃない。
加工時の魔力と、そしておそらくは耐蝕の魔力は残っているものの、品物として成立するものではないからだ。
カレンの持っているものは、何かの箱の蓋だと思われる円盤状のもの。
俺の持っているものは、衝立の台座の一部と思われる、短い棒状のもの。

もう13年近く前になる。
俺たちが組んだばかりの頃、ラバンの街の近くにある小さな遺跡に腕試しにと挑んだ時の成果だ。
組んだばかりでまだ連携もとれず、互いの呼吸などわかるわけもない。
そして何よりも、互いにまだ技術は未熟だった。
命からがら……という表現がまさに似つかわしい。
けれど、労力と報酬がいつでも釣り合っているとは限らない。
枯れきってはいないものの少なからず荒らされた遺跡に、さほどめぼしいものがあるわけもなく、成果といえば幾つかのミスリルの欠片や屑魔晶石を拾って帰ってきただけだった。

はした金にしかならないのなら、売って酒代にするよりも記念に持っておこうと言いだしたのは俺だったかカレンだったかは忘れた。
けれど、俺たちはあれから13年経った今でもそれを手離していない。

あの後に飲んだワインは、渋い味がした上に悪酔いした、とカレンは言うけれど。
505年のラバンの赤は、今でも当たり年だと言われている。
あの時に飲んだ若い新酒も、少し渋かったり、酸味が勝っている部分はあったけれど、元の香りは悪くなかった。
そして、518年の今、熟成されて澱の沈んだ赤ワインは、渋さが深みに代わり、香りはそのままに年数がまろやかさを加えている。

505年のラバンの赤を買ってきて、夕食の席に出した。
「あの時の味とは随分違うな」と言ったのはカレン。
「13年も経ってて味が変わらないんじゃ、あまりに情けないだろう」と笑ったのは俺。
酒は苦手だというファントーに、
「おまえは今年の新酒の味を覚えておけ」と言ったのは、ややお節介だったかもしれない。

その夜、2日後に出発する予定の“ラウヒェンの墓所”行きの打ち合わせをした。
今はもう13年前とは違う。俺たち2人の間だけなら、綿密な打ち合わせをしなくても互いの呼吸はわかる。
時には視線だけで意志が通じるし、何かのアクシデントでパーティが分断されても、互いの行動の予測はつく。

新酒の軽やかさや、時に感じるほろ苦さ、若さ故の渋さも悪くはない。
けれど、年数の経った酒の味はまた格別だ。
 
馬鹿げた考え
ラス [ 2006/08/02 2:03:46 ]
 スウェンが妙なことを言いだした。
荒事を教えて欲しい、と。
これまでは徹底的に荒事は避けてたし、ギルドの練習室に通うのも最低限の回数でしかなかったのに。
何故急にそんなことを言いだしたのか、今まで何故避けてたのか、それらの理由は、聞いてみれば確かに納得のいくものだった。

とはいえ、聞いてしまったこっちとしては微妙に複雑だ。
相手の命を奪ったり、傷つけたりしてしまったら、二度と父親に会えなくなるんじゃないかと、そんな風に考えてるスウェンに、「そんな馬鹿なこと」とは言えない。
スウェン自身もそれはわかってる。馬鹿げた考えだ。でも、ちらりとでも考えてしまったら、その考えにとりつかれる。

スウェン自身がとりつかれてしまってるのなら、それは「馬鹿なこと」にはならない。
そんな気持ちが胸をかすめるようじゃ、剣先は鈍る。相手の懐に飛び込む足が止まる。
もともとは馬鹿げた考えでも、本人がそれに縛られているという事実は馬鹿げたものじゃない。

それに、そもそも俺に「教えてくれ」と頼むこと自体、間違っている。
確かにギルド絡みで、娼館周りの荒事を片付けるのはよくあることだ。
難癖つけてくるチンピラをシメるのはさすがに手慣れてきたと自分でも思う。
俺の体格や腕力を考えれば、それが力尽くのものじゃないこともスウェンにはわかったんだろう。

ただ、俺には魔法がある。

実際は、街の中でそうそう使えるもんじゃねえし、乱戦になれば呪文を呟く時間もない。
けれど、いざとなればそれが使えるから……だから、俺の戦い方は、なんとかして、ほんの数呼吸分の隙を作ることだ。
相手の隙をついて、懐に飛び込んで鳩尾に肘を入れるとか、ダガーの柄を脾腹に叩き込むとか。
真っ当な盗賊ならそう動くんだろうな、という時に、俺は数歩下がる。距離と時間を稼ぐ。
もちろん、相手の技量があからさまに自分より下だとわかれば、魔法を使わずに片付けることも多いが。

俺の戦い方をスウェンが覚えちゃいけないんだろうと思う。
アイリーンならいい。アイリーンなら、俺が教えることに何の問題もない。むしろ、他のヤツに教わるなと言いたいくらいだ。
けれどスウェンはアイリーンとは違う。

基礎を教えるだけなら、ギルドの練習室に通えば済むことだ。
だから結局、俺には、荒事に連れてって、その場の空気を教えることしか出来ない。
ビビらなくて済むように……練習室で覚えた技量をその場で出せるように。
場慣れすることは悪いことでもないし……。

そんな中途半端な妥協をして、でもなんとなく、それでいいのかどうか迷いながらも、今日は荒事にスウェンを連れていった。
距離を置いて見てるだけ、絶対に手を出すな、視界にも入るな、と言い置いて。
相手を殴る瞬間、スウェンの台詞を思い出した。

手首を挫いたのはおまえのせいだとスウェンに八つ当たりをしながら、まだ俺は迷っていた。
 
薬草のにおい
ラス [ 2006/08/03 3:13:31 ]
 挫いた右手首に、と、ファントーが湿布を作ってくれた。
が、あまりに臭くて、そのにおいにヤられそうになったので早々に洗い流したら怒られた。
「早く治さないと不便じゃないか」
仕事の予定はしばらくないし、そう不便でもないと言うと、それでも不便だろうと言い返された。
「右利きなんだしさ。料理作ったり、字を書いたり、そういう日常生活に不便でしょ?」
仕事をしていなければ、字を書く機会もそうそう無い、と更に言い返そうとして思い出した。


1月にタラントへ向けて送った手紙が着いたのは、3月頃だろうか。
いや、ザインのあたりでいざこざがあると聞いたから、少し遅れたかもしれない。
4月に着いたとして……返事が来るとしたらそろそろかもしれない。

最初の手紙で、ライカは自分の父親のことを書かなかった。
自分の手紙にあのクソエルフの手紙が同封されていたことも知らなかった様子だ。
それに気付いたのは、あの手紙がタラントを出発してからだろうと思う。
もしもそれに気付いていなかったとしても、俺が返事を書いたことでライカにもそれが知れたはずだ。
そのことについて、ライカは次の手紙に何か書いて寄越すだろうか。

ライカがオランを出発する前に、ライカの父親については俺は何も知らなかった。
タラントに住んでいるエルフで、薬草師をしている、と。それだけしか。
ひょっとしたらライカは、オランを発つ時点で、多少は可能性を考えていたかもしれない。
シタールに託されていた父親からの手紙には、署名もしてあったろうから。
俺の知っているカノーティスと、自分の父親であるカノーティスが同一人物かもしれない、とそう考えたかもしれない。
でも多分……そう、俺が話したカノーティスと、ライカの母親だった人間と駆け落ちするようにして結ばれたカノーティスと。それはあまりにかけ離れている。
偶然、同じ名前なのだろう……森を出たエルフがその居住先にタラントを選ぶのは、そう珍しいことじゃない……そう考えて、俺には何も告げずにオランを発ったのだろう。

でも今は、お互いに知ってしまっている。
ついでに言えば、カノーティス本人も。

カノーティス本人に宛てた返事を同封したくせに、俺はライカへの手紙の中ではあのクソエルフのことに触れなかった。
次に来るライカからの手紙は、そのことに触れるだろうか。
触れるとしたら何を書いてくるだろう。
そうしたら、俺はどんな返事を書くんだろう。

暑さで体力が落ちると、思考力も鈍る。
出来れば、ライカからの手紙は秋になってから届くといいな、と思った。


「ラスー。新しい湿布作ったよー。においを抑えた改良版!」
改良版とやらは、ミントの香りがした。
 
リドル
ラス [ 2006/08/06 4:50:58 ]
 カノーティスがうちに来た。
玄関に立っている奴の姿を見て、一瞬戸惑った。
顔は憶えている。忘れるはずもない。
けれど、あんなに小さかっただろうか。

仕事に行く、と家を出てきて、ずっとそう考えていた。
その合間に、何しにきたんだとか、タラントからわざわざ謝りにきたのかとか、3ヶ月もかけてオランまで来たところで無駄足だろうにとか。
そんな思いが、あんなに小さかっただろうかという疑問の上を行ったり来たりする。
仕事先の娼館“銀木犀”に到着した時にようやくわかった。
最後に奴を見たのは、俺が10歳になる前だ。もともと小柄なエルフよりも更に小さい、ただの子供だった。
奴が小さくなったんじゃない。俺の背が伸びただけだ。

例の事故(だと奴は言い張るが、事故でも偶然でもなく故意だろうと俺は思ってる)が、44年前だ。
その後、当然、俺は奴の住む家のあたりを忌避してた。おそらくは奴のほうでも避けていただろう。
けれど……たしか、8歳の頃だっただろうか。
俺が精霊魔法を本格的に習い始めた頃には、長老の家付近で奴を見かけることが多くなった。
もともとそれが奴の行動範囲で、自分が魔法を習い始めたことで行動範囲が重なったんだろうと思ってたが、それがそうじゃなかったらしい。
それから2年くらいして、長老との話し合いが終わったらしく、奴は森を出て行った。
何故出て行ったのか、それは聞いていない。
ただ、俺の親父に、奴は時折話を聞いていたようだった。外の世界のことを。

「んじゃ、兄さん。今日もついてっていいんすよね? 今日のはかるーい荒事だって言ってたし」
スウェンに服の裾を引っ張られて、自分のいる場所を思い出した。

……そういえば。
奴が森を出たのは多分、40年くらい前。
以前、シタールに聞いた話によると、ライカの母親と駆け落ちしてライカをもうけて……そして、ライカの母親はその後すぐに亡くなったらしい。
そして、ライカの祖父に、ライカを半ば無理矢理という形で取り上げられたとも聞いた。
その後、奴は森に一度でも戻ったろうか。
森に戻らなくても、タラントで同じ森の出身者に会っただろうか。例えばラシェジに。
カノーティスは、親父と同じ世代のエルフだった。
奴は、親父の……あれからのことを知っているだろうか。

「……兄さん。アレってほんとに『かるーい』やつっすか?」
仕事を終えて娼館に戻る途中でスウェンにそう聞かれた。
……多少、八つ当たりが入ったか。

スウェンにそう聞かれるまで──つまりは、『かるーい荒事』が終わってから後しばらくは、また森のことを考えていた自分に気が付いた。
森のこと、というよりも、カノーティスのことを。
考えるたびに、わずかな怯えがつきまとう。あとは困惑。
……敵意は? いや、無くはない。
「逃げるのか?」とカノーティスに言われた時に、敵意は抱いた。ただ、それがすぐ困惑に取って代わられる。

何を考えても堂々巡りだ。辿り着く言葉は、「今更どうして」。
それでも考え事は止まらない。いろんな疑問符が頭の中でぐるぐる回っていて、そしてやっぱり、「今更どうして」と心の中で舌打ちをする。
いや、実際に舌打ちもする。

……しばらく家に帰らない、とは言ったものの、女のところに泊まるといろいろと面倒そうだ。
「いつもすぐ帰るのに」とか「何か考え事?」とか。そんなことを聞かれた時に、適当に誤魔化すことを考えるのも面倒だし、事実を説明するのはもっと面倒だ。かといって黙り込めばきっと、「いつもと違う」とか言い出される。
霞通りの端にある、適当な安宿に潜り込むことにして、スウェンにそれを告げる。
そして、なるべく仕事をたくさん持ってこいと付け加える。

仕事をしている間は、奴のことを考えなくても済む。
答えのないリドルを解くような真似をしなくても済む。
そう、答えのないリドルだ。俺が奴を許すなんていう答えはあり得ないから……。

「……兄さん? そのスープ、そんなに不味い?」
掛けられた声で、自分の手がいつのまにか止まってたことに気が付いた。
──ああ、もう! ちくしょう!
カウンターを殴る音と、スウェンが小さく叫ぶ声が重なって聞こえた。
「……そんなに不味いのか……」
店主のためにその誤解を訂正してやる気にはなれなかった。
 
眉間の皺
ラス [ 2006/08/17 23:04:52 ]
 黒い銀貨亭、という宿がある。霞通りの片隅だ。
娼館ばかりが立ち並ぶ(しかもその大半はギルド直営だ)通りの中で、黒い銀貨亭だけは普通の宿だ。
壁が薄くて、そのくせ風の通りも悪くて、暗くて湿った部屋。そして出される酒と飯も、自分の味覚に挑戦されているのかと思うくらいの。そんな普通の宿。

カノーティスから逃げて、この宿に潜り込んで何日も経つ。
一度、着替えをとりに家に戻ったが、奴はやっぱり日参しているらしい。
はた迷惑な話だと思う。
仕事で泊まりになることは多いし、出先で服を汚すこともよくあるから、幾つかの仕事場には着替えをおいてある。娼館の下働きに、ついでに洗濯してもらえるし。
だから、そうそう着替えに困ることもないが、投擲に使うダガーは、半ば消耗品だから時々は補充が必要だ。
家まで取りに戻るとしたら……奴が来ない時間帯に行くしかない。


「カノーティスは、ラスにその薬を飲ませた本当の理由っていうのがあって、それを言いにきたんだよ」

少し前に家に戻った時にファントーにそう言われた。オレはきっとそう思う、と。
どんな理由であれ、結果は変わらない。本当の理由とやらを聞いてあらためてぶっ殺したくなったらどうしてくれるんだ。
……いや。ひょっとしたら、ファントーの言うことにも一理あるのかもしれない。
ただ謝罪のためだけに何ヶ月も歩いてくるのが解せないとファントーは言った。
だとしたら……謝罪以外に伝えたいことでもあるんだろうか?

このまま、逃げ対待ちの勝負になったとしても、なんせ向こうはエルフだ。こうと決めたら5年でも10年でも簡単に待てるだろう。
それも鬱陶しい。
終わらせるためには、奴と会って話をするのが一番早いんだろうが……そんなことを考えただけで吐き気がする。
……いや、それでも多分、会わなきゃいけないんだろう。

キアのほっぺを伸ばしてみても、トゥーリが何故か屋内で泥まみれになった姿を見ても、いつでもずっとそのことが頭の片隅に引っかかっている。
会いたくない。顔も見たくない。でも会わなきゃならない。
でももしも……謝罪以外に何か伝えたいことがあるとしたら、それは何だろう。

……眉間の皺が定着しそうだ。
 
一歩
ラス [ 2006/08/22 22:21:17 ]
 少し前、カレンがカノーティスからの伝言を持ってきた。

『君の大事な人たちは、今も息災だ』

──今も息災だ、って……『大事な人たち』? 例えば、タナトゥーシャとかラシェジとか、あとは……親父か……?
ってことは、俺が森を出た後に、あいつは森に帰ったことがあるのか。
考えてみれば当然だ。あいつが住んでいたタラントから森まで、ほんの1日半だ。
それにあいつは、長老と話し合った末に森を出てる。ってことは戻ることも許されている可能性がある。

息災だ、か……。
それを知って嬉しくないわけじゃない。
けれど、それを知ったからといって……いや、そうじゃない。そうじゃなくて。
もともとの寿命の違いや俺の稼業のことを考えれば、心配する側は俺じゃなくて……いや、それも違うな。どうせ森では俺のことはもう……違う、何考えてんだ、俺。そうじゃない、少なくともラシェジやタナトゥーシャは……。

カレンが持ってきてくれた、フランツのオープンサンドも半分残して、その夜は朝までそんなことをぐるぐる考えていた。


その3日後、仕事で自宅の近くまで行く用事があったので、ついでに家に寄った。
少しでも眠ろうか、それともやっぱり宿まで戻ろうかと考えていたら、ファントーが起きてきた。
いつもより早く目が覚めた、というファントーの言葉で、そろそろ夜が明ける時刻なのを知る。

「こないだ、カレンがラスんとこに行った日。あの日くらいから、あの人……えーと、カ、カノーティス?だっけ? あの人、うちには来てないよ。ラスのこと探してるみたい」


ファントーからそれを聞いて3日が経つ。
カレンが伝言を持ってきてからなら6日。
カノーティスはまだ俺を見つけられていない。
逆に俺は、カノーティスの泊まっている宿を見つけていた。ライカが小さな仕事を請けて出かけているということも耳にした。

あいつの宿を見つけたからといってどうこうするわけじゃない。
ただ習性みたいなもので、相手の居場所は確認しておきたいから……いや、どちらにしろ話をしなきゃいけないのはわかっているんだが……。
──またそこで思考が止まりそうになったことに気付いて舌打ちをする。
最近いつもこうだ。
何か考え始めると、結局は「だから、でも」の繰り返しでそこから先にちっとも進まない。いつまでも同じ場所で足踏みをしてる気分になる。

………………。
……よし。


今日の昼、南雲の端亭に使いをやった。カノーティスに宛てて。
『3日後、自宅にて待つ』と。
最後に署名をいれたそれを、奴は今頃読んでいるだろう。

俺は黒い銀貨亭を引き払って自宅に戻った。
前に進むか後ろに進むかはわからないが、足踏みするよりはマシなはずだ。
 
2冊の日記
ラス [ 2006/08/27 19:46:24 ]
 羊皮紙の束に、厚手の羊皮紙で表紙をつけて麻紐で綴じただけの本。
署名の違う2冊の本を読み終えたのは、朝日が差し込む頃だった。
灯り代わりにと呼び出してそのままだった光霊を精霊界に還して溜息をつく。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

俺の呼び出しに応じたカノーティスが家に来て、訥々と語ったのは、あの日の謝罪と当時のカノーティス自身の感情。
俺の、精霊使いとしての才に嫉妬したと言っていた。
けれど助けようとしたのだと。
確かに、少々辛い目に遭わせてやろうという目論見はあった、けれど、それでも助けようとしたのだと。

ただきれい事を並べただけなら、謝罪の言葉も上滑りに響いたろう。
確かに、殺そうとした云々は俺の思いこみから始まったものかもしれない。
けれど、死にかけたことと、その後カノーティスが俺を避け続けていたのは事実だ。
汚れた血というのを常に意識させられていたから、それが殺意に変わっても何の不思議もないだろうと俺は考えた。
そして、避け続けることで、カノーティスもそれを否定しなかった。
だから、今更それを否定されても、勝手なことぬかしてんじゃねえ、と一蹴することだって出来た。
いや、そうしようとした。

俺を助ければ、俺に対して優位を誇れるから、と。それを聞かなければ。

それは、一種、卑屈とも言える感情だと思う。
──年端もいかないガキに嫉妬して、自分の優位を誇りたかった。
──その過程で、少々辛い目に遭わせようと思った。
語り口こそ淡々としていたが、話している内容は剥き出しの感情だ。卑屈な敵意と、その幼稚な発露。それを取り繕おうともしない。
嘘じゃないのかもしれない、と……そう思えた。

そして去り際にカノーティスが置いていった2冊の本。
表紙には名前が記されているだけで、特にタイトルがついているわけでもない。
ただ、その名前が、1冊はお袋の、そしてもう1冊は親父の署名だった。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

2冊とも読み終えて、朝日の中で苦笑した。
よくある日記や覚え書きの類だ。別に期待していたわけではないが、俺に宛てたメッセージがあるわけでもない。
お袋の署名が入った本のほうは、親父とお袋が結婚した当初の頃の覚え書きだろう。タイデルの街での出来事が幾つか記されている。

友人と会う約束の日時が走り書きされていたり。
請けた仕事の条件が箇条書きされていたり。
金が入ったら買う物のリストが書かれていたり。

買う物のリストに、出産準備品を見つけた。
少しどきりとして、しばらく経ってから、両親の覚え書きに自分のことが出てくるのは当たり前なんだと気が付いた。

──それから幾らか日付が飛んで、育児日記のようなものになっている。
首が据わったとか、寝返りを打ったとか、春先の厄介事(#{357})を思い出させるような記録の数々。
それに続けて、熱を出しただの腹をくだしただの……そしてそのたびごとに、その横には買った薬草の量と値段がメモ書きされている。
それまでの覚え書きからすると、決して裕福ではなく、そんな生活の中では薬草はおそらく高価だったのだろうに。

お袋の署名があるほうは、かなり実用的な内容なのに比べて、親父の署名があるほうは日記に近いものになっている。
お袋が外で働き始めて、育児を交代してからのものだろう。
好き嫌いに困っていることや、街で育てるべきか森で育てるべきか迷ってるような書き込みや。
あげくに、伝い歩きをしたと書いては褒めちぎり、歯が生えてきたと書いては可愛がる。
……馬鹿か。このクソ親父。
と思いながらページをめくると、お袋の筆跡でまるっきり同じことが隅に走り書きしてあった。
ぶ、と思わず吹き出してから気付く。
外で働くお袋と、小さい子供に生活サイクルを合わせている親父とではすれ違うことも多かっただろう。だから親父はこんなに細かく書き留めたんだ。
俺の知らない、親父とお袋の交流がそこにあった。

奇妙な好奇心と少しばかりの気恥ずかしさで読み終えて、そしたあらためて気付く。
「……関係ねぇじゃん」
思わずぼそりと口に出た。
そうだ、別にカノーティスの件とは全く関係ない。
これを読んだからといって、俺がカノーティスを許す義理はないし、考え直す道理もない。

この2冊の本とカノーティスの利害とは全く無関係で……でもこの本は確かに、俺がもし本の存在を知っていたら家から持ち出してきただろうと思えるもので……。

会った途端に戦乙女の槍を食らうかもしれない、とライカは脅しただろう。あいつならそのくらい言う。
けれどカノーティスは、顔を見て謝罪をするために、そしてこれを手渡すためにオランに来た。

…………あいつ、きっと馬鹿だ。
 
結着
ラス [ 2006/09/04 4:45:41 ]
 目が覚めたら、陽は既に中天を過ぎていた。
昨夜寝たのが夜半前だったから、半日以上眠っていたことになる。
起きた途端に空腹を意識した。その久しぶりの感覚に、今まであまり意識はしていなかったけれど、随分と張りつめていたらしいことに気付く。

結局、堂々巡りの考えは、ある意味とても無難な結着だったんだろうと思う。
許せないと思っていた相手を、許さないことに決めたんだから。
カレンも同じように、殴ってやりたいと思っていた相手を殴ることで、結着にした。

この先、多分何年経っても、薬が飲めないことに変わりはないし、その原因がカノーティスだってことも変わらない。
ただ、もともと恨みや憎しみ、怒り、といったものは俺の中には薄かった。俺よりカレンのほうがよほど怒っていたくらいだ。
けれど、許さなくてもいいから謝りたいだの、本当は助けようとしただの……そんなことを聞かされて、ずっと眉間に皺を寄せていたこの1ヶ月間のことに関しては、怒ってもいいのかもしれない。そんなことを思い付いて、そのことに関してだけは仕返しをしてやろうと思った時に、ふと楽になったような気がした。

多少の返礼をしたところで、過去をなかったことには出来ないけれど、でもそれはもう40年以上も慣れ親しんできた傷のようなものだ。
許さなくていい、と本人が言うのなら、この先その傷が痛んだ時に、その傷のせいでなにか困った時に、カノーティスのせいにすればいい。
あのクソエルフのせいだ、と今までどおりに吐き捨てればいい。
それに気付かせてくれたのはカレンだ。
カノーティスと話したことで、俺は少なからず混乱していたんだと思う。カノーティスのあの訥々とした様子、語る内容、奴が持ってきたもの……。怒る理由を少しずつ見失って、許さなくちゃいけないような気にさせられて。けれど、さすがにあの日のことを許すほど俺の心は広くなくて。
けれど、カレンにそのことを話すとカレンは怒った。それを見て気付いた。許さなくてもいいんだと。
許せなくて苦しむなら、許さなきゃいい。こっちが負担に感じるようなら、それはもともと本当の赦しなんかじゃない。上っ面だけで許すと言ったって、そんな言葉には書き損じた羊皮紙一枚の価値すらない。

そうと気付けば、不思議と冷静になれる。
自分の傷のことばかりを考えていたけれど、忘れたくても忘れられないものが傷なのだとしたら、そしてカノーティスが語った内容が本心からのものだとしたら、俺についた傷の大きさの分だけ、同じ傷がカノーティスにもあるんだろう。
助けようとした相手を危うく殺すところだった、そしてそのことで自分の幼稚さに気付かされて、結局は自分を責める羽目になった、そんな傷が。
どっちにしろ、2人とも一生それを忘れないんだとしたら……寿命の分だけあいつのほうが長く苦しむ。それがあいつの責任分だと思えばいい。

奴に同情はしない。
けれど、面倒な傷を寄越しやがって、と舌打ちをすれば、心のどこかにこびりついていた怯えが、少し薄くなるような気がした。
この先、何年か何十年か。舌打ちの数だけそれがすり減っていって、いつか無くなる日が来るんだろうか。


──宿の裏手にカノーティスを呼び出した時、人の気配が無かったことを俺とカレンは確認していた。
あくまで「人の」気配はなかった。
けれどライカは使い魔の目と耳で一部始終を見て聞いていたんだろう。
最後にカノーティスに、ライカへの伝言を頼んだ時に、「伝えなくても伝わっている」とカノーティスは答えた。
カノーティスは、ライカが使い魔に後を追わせることを知っていた。知っていて、死ぬ覚悟を決めていた。
全く……父親ってやつは、どいつもこいつも非道いことしやがる。
 
夏の終わり
ラス [ 2006/09/10 18:03:58 ]
 言葉にするのは難しい。
言葉にしてしまうと、その言葉に多少の過不足があったとしても、そのまま決めつけてしまうようで。
だから、酒場で「何かあったのか」と聞かれても説明できないし、ライカが訪ねてきて、俺とカレンを1発ずつ平手で叩いた時も、「ごめん」としか言えなかったし。

許さないことと憎むことというのは、必ずしもイコールじゃない。だからこそ、その余白部分みたいなものを言葉に出来ないでいる。
例えば、関係の修復をとどちらかが願っても、そもそも俺とカノーティスの関係というのは、間に風乙女の壁を挟んでいるようなものだったし。
例えば、許すと俺が口に出したとしても互いの荷物が減るわけでもないし。
……いや、いっそ「許す」と言ったほうが荷物が増えるのかもしれない。だってどうせカノーティスのほうはあのことを忘れられない。だとしたら、許してやって、なかったことにすれば、俺の側の荷物をあいつに押しつけてやれたかも……いや、それはないか。俺の方だってどうせ忘れることなんか出来ない。
結局は、時間が過ぎるのを待って、この尖った部分をそいつがなだらかにしてくれるのを待つしかないのかもしれない。

──もやもやと割り切れない思いを抱えていたら、うっかりと誰かに八つ当たりしそうだ。
そんなことを考えていたせいか、「訪ねたのに留守だった」とギグスに言われた時に、「すまなかった」と謝った。
そうしたら、ギグスは俺の顔をまじまじと見て、「お前、暑さにやられたのか? 『すまないことをした』なんて全然合ってねェぞ」と笑われた。
八つ当たりを気にして、セーブしすぎたらしい。
……っていうか、謝るのが「合ってねェ」俺って一体?



そして、それから数日後。
仕事で朝帰りして、その日起きたのは昼だった。
どんどんと、玄関のドアを壊しそうな勢いで、俺の寝起きを襲撃してきたのはセシーリカ。
大荷物を抱えたセシーリカが言いだしたのは、「無期限で泊めて」の一言。

確かに、俺とカレン、ファントー、セシーリカの4人で仕事を請けて郊外まで出かけたことはある。
それ以外の冒険や仕事でも、セシーリカとは何度も一緒になったし、ひとつ屋根の下どころか同じ部屋で眠ったこともある。
にしても…………普通、若い女は男所帯に泊まりに来ないんじゃないか?

とはいえ、セシーリカは大抵、仕事の報酬をマーファ神殿に喜捨してしまうこともあって、あまり貯えもないらしい。
そこへ、一緒に住んでいる義兄のリデルと喧嘩したというから、確かに泊まる場所がないのは……って、待てよ。神殿に泊まればいいんじゃないのか?

「だって、神殿の宿泊所が今、満室なんだよ。豊穣祭が近いから郊外の司祭さんたちが来てて。仕事をサボ……じゃないや、奉仕から何とか逃れ……じゃなくて、えぇと……」

……わかった。

とりあえず、寝室が足りないので、俺の寝室に俺とカレンが、ベッドとソファ交代で使うことにして、セシーリカにはカレンの寝室を使わせることにした。
シタールやギグスならともかく、女性を廊下や居間や庭の四阿に寝かせるわけにもいかない。
まぁどうせ、家出の原因がリデルとの喧嘩なら、無期限とはいえ、そうそう長いことでもないだろう。

「なんか、やっぱり悪いなぁ。ね、ほんとに何でもするから、何でも言ってね」

ほんとに……ほんとにこいつは、男所帯に泊まりにきたという自覚がない。
いや、むしろ自分が女だという自覚がないのか、それとも俺たちを男だと思っていないのか。
どっちにしろ、なんだか騒がしくなりそうな予感がする。
けどまぁ、そうやって騒いでいるうちに秋がきて冬がきて……今年の夏の出来事が遠ざかっていくなら、それはそれでいいかもしれない。
 
夢の中で
ラス [ 2006/09/13 19:48:18 ]
 仕事に行った先の娼館で厄介事があって、家に戻ってきたのはすっかり陽が昇った頃だった。
居間のソファに寝転がった時、ふと、さっきのはやりすぎたかな、と思い出す。

盛大に酔っぱらった男が気に入りの娼婦を抱えて刃物を出して騒いでいた。
普段なら、混乱の精霊を呼び出して、相手が腑抜けた隙に取り押さえる。多少びくついてる相手ならダガーでも投げて少々血を見せてやれば、戦意を無くすことも多い。
……全治1ヶ月半、ってのはやっぱり少々やりすぎたか。

多分、一昨日スカイアーと話したことで、昔を思い出したのが原因だろう。
10年、20年と変わらない感情を持ち続けることは難しい。それが怒りであっても憎しみであっても、そして愛情であっても。
けれど、怒りや憎しみは、意識して持ち続ける。愛情はただ……そう、ただ、忘れられない。
だからこそ、怒りや憎しみが薄まったことに対して人は戸惑いを覚えるんだろう、とスカイアーは言っていた。

その時俺が思い出していたのは、カノーティスのことじゃなく、キリエのことだった。
彼女が生きていてくれたらいいのに、と思うことは、愛情故なのか後悔故なのかはわからないけれど。
それでも、20年……正確には18年経っても消えないものがそこにあると思った。

昨夜、娼館で暴れていた男は、よくいる性質の悪い酔っぱらいだし、その腕に抱えられていたのはキリエじゃない。
けれど、18年前は間に合わなかった、それを思い出してムカついた。
思い出した自分にも、そしてわざわざ再現してみせてくれた酔っぱらいにも。

……あの時も、間に合えばよかったのに。


「こんなとこで寝てたら風邪ひくよ」
女の声。
掛けられた毛布の感触に目を開けると、肩先で揺れる髪が見えた。
……なんだ、いつ髪切ったんだ。
抱き寄せる。
いつものように首筋にキスをしようとしたところで、突き飛ばされた。

ソファからずり落ちて、腰を打ち付けて、その衝撃で目が覚める。
ばたばたと騒がしい足音を立てて居間から出て行くセシーリカの後ろ姿が見えた。
……………………あれ?
…………えーと。
ああ……間違えたのか。


夕方になって、ユーニスが訪ねてきた。

「あの、突然すみません。ひょっとしてこちらに……セシーリカ、います……?」
「ああ。いるよ。今は出かけてるみたいだけどな」
「やっぱり……! あ、あの、セシーリカのお兄さんが探してるんです。彼女、家出中だとかで……」
「それも知ってる。あの兄妹は全く、兄妹喧嘩で家出したり黙って仕事に行ったり料理の味見から逃げるためだけに3日も散歩に出てみたり……」
「あ、そうなんですか。常習犯?」

確かに常習犯だが、今回の喧嘩に関してはリデルのほうが悪いと思う。俺が聞いた限りでは。
もちろん、リデルの側からの意見を聞いたわけじゃないから、判断は出来ないが。
ただ、どちらにしろ、お互いにガキじゃないんだし、周りが口出しすることじゃない。
リデルがここを探し当ててセシーリカを連れ帰るならそれはそれでいいし、セシーリカが思い直して自分から帰るんでもいい。
俺は、妙に匿ったりもしないし、リデルにわざわざ教えることもしない。それだけだ。
ユーニスがリデルにセシーリカの居場所を告げる分には、別に構わない。

そういったようなことを告げると、ユーニスは、うーん、と唸りながら帰っていった。

……そういえば、セシーリカは出かけたきり帰ってきてないな。
…………まさか、家出の家出?
………………昼間抱きついたから?
 
火蜥蜴の尻尾
ラス [ 2006/09/15 19:57:24 ]
 セシーリカが風邪をひいたらしい。
熱を出して寝込んでると聞いたので、様子を見にいってみた。

ほんのり赤い顔で眠り込んでるセシーリカの枕元に座り、その額に手を置いてみる。
体内で暴れている火蜥蜴に小さな声で呼びかけた。
と、セシーリカが目を覚ます。

「ああ、悪い。起こしたか。卵のリゾット作ったけど食うか? ってか、食えるか?」

かっ、と。
本当にそんな音がしたかと思うほど急にセシーリカの顔が赤くなった。
さっきまで捕まえていたはずの火蜥蜴の尻尾がばたばたと逃げて暴れ回る。
しかもベッドの反対端まで逃げられた。

……えーと。その反応は……。

「寝ぼけて抱きついたこと怒ってんの?」
ぶるぶる、とセシーリカがものすごい勢いで首を振る。毛布に顔を埋めたまま。
「っつか、おまえ、なんか熱上がったんじゃないか?」
ぶるぶるぶる。
「えーと……食欲は? ある?」
ぶるぶるぶるぶる。
「じゃあ今は食えそうにないか」
ぶるぶるぶるぶるぶる。

……どっちなんだ。

ふ、と。思い出した。
セシーリカに抱きついた日。寝ぼけてて何が起こったのかわからなかったし、それまでどんな夢を見ていたのかも、突き飛ばされた衝撃で忘れた。
けれど、何か声を出したような気がする。

「ひょっとして……俺、なんか言った?」

セシーリカが、ぱ、と顔を上げた。真っ赤な顔でしばし俺を見つめたあと、また毛布に顔を埋めた。
ふるふる、と今度は小さく首を振った。

とりあえず俺が傍にいると熱が上がりそうだ。
セシーリカの寝室(もともとはカレンの寝室)から出て、ふと考えてみる。
セシーリカのあの反応は……。


…………あいつ、やっと意識したのか。
 
もしも……。
ラス [ 2006/09/18 1:29:56 ]
 何年か前から気付いてはいた。
例えば、女の話をすると不機嫌になる。それが遊びであっても仕事であっても。
そういう話を出すと必ず、カウンターの下で脛を蹴られた。
俺の仕事はわかっていても、それでも唇が尖る。
冒険に行く時に、同行したことは何度もある。それでも、自分が同行出来ない時は寂しそうな顔をした。
セシーリカの態度はとてもわかりやすかった。
好かれているんだろうな、と思った。

それは俺の側からもきっと同じだったろう。
同族ということもあって、互いに心を許した会話だってする。
そんな風に近しくあって、あんな風に好意を向けられれば、ほだされる。愛おしくも思う。

けれど、セシーリカはあまりに幼かった。

俺がアンバランスなように、セシーリカもまたアンバランスだ。
時に道理を諭す言葉や、俺が愚痴った時に慰める言葉、それらを聞いていると大人だと感じた。
一方、兄妹喧嘩で家出をしたり、勝手に人の寝室にずかずかと入り込んできたり(しかも窓からだ、窓!)、確かに嫉妬しているはずなのにそれを意識していなかったり。そんな時は、スウェンよりもまだ幼く感じた。

そもそもセシーリカの中では、俺のことは「友人よりもちょっと意識してる男の人」くらいのレベルでしかなかっただろう。
今までの嫉妬や、別々の仕事をする時の寂しさは、セシーリカ自身あまり意識してなかったはずだ。
好意につけこんでものにするのは簡単だったろうけれど……それは何か違うような気がしていた。
それをしてしまった後で、もっと本人が意識するほどの感情を、いや、いっそ激情と呼べるようなものを別の誰かに抱くかもしれない。そんなことにでもなれば、互いに後悔するし、セシーリカは傷つくだろう。

例えば20年後、30年後、セシーリカが別の誰かと結婚して冒険者も引退して、そんな頃に「あの頃、ラスさんのことちょっと好きだったなぁ」なんて酒の肴にされる、俺に関してはそんな結果に終わるのかもしれないと思ってた。
それならそれでもいい、とも思っていた。
諦めることには慣れているし、今まで通り、もっと始めやすくて終わらせやすい相手をその時々で選んでいればそれで済む。
あの無垢な心を、俺のものにしてしまう罪悪感よりは、最初から手に入れない我慢のほうがましだろう。


……けれどもし。
もしセシーリカが望むなら。
そう思ったことは事実だ。もしも彼女のほうから俺を望むのなら。
別の誰かに抱くかもしれないと思っていた、本人が意識するほどの感情を、俺に対して抱くのなら。
それが一時の気の迷いじゃなくて、本当に彼女がそう望むなら。
そうなれば、話は別だ、と。


そして、真っ赤な顔で共通語すら危うくなっているセシーリカを見て、あらためて思った。
あいつには……俺に愛される覚悟があるんだろうか。

通じ合えば触れたくなる。触れあえば、もっとその先をと望む。
そうして全てを手に入れたいと願う。

手に入れても……いいんだろうか。
彼女を手に入れるのが、俺でいいんだろうか。
 
裏路地の洗濯物
ラス [ 2006/09/22 21:42:26 ]
 ここ数日、家には戻っていなかった。
理由はといえば、ごく単純なものだ。
数日前に別れた女が俺の周囲を窺っている気配がするから。
このまま家に帰れば、そしてその女が俺の家にまできたら、家に他の女がいたらちょっとまずいことになるだろう。

本当は、その女──エルナ──にも、もっと言葉を尽くして優しくするつもりだった。
少しずつ距離をとって、自然消滅に近い形をとるつもりだった。
いくら最初に、どちらかが冷めたら互いの関係は終わり、と割り切って始めていたとしても。
俺のこと好き?と聞いて、好きよと答えられて。その時の瞳が、なんでか知らないが今までよりもずっと真っ直ぐで。
その瞳を見てたら、セシーリカを思い出した。そして、嘘がつけなくなった。

とりあえず……どうにかエルナを宥めて、とっとと家に帰ろう。
セシーリカのことだ。俺が家に帰らないことに、いろいろと気を回していそうだし。
セシーリカ自身が俺のことをちゃんと意識し始めたなら何の問題もないんだから。
そう、何の問題も…………。

……本当に?


──仕事の途中、裏道を歩く足がふと止まる。


このままくっついてめでたしめでたし? ……半妖精同士でも?
4年前、何かを思い知ったんじゃないのか。
いや、それを言うなら、いつだって確認し続けてきたようなもんじゃないのか。
だから、その気になればいつだって終わらせられる関係ばかり持ってたんじゃないのか。


──入り組んだ裏路地は、手入れの悪い建物が密集している。
──互いの建物同士を結んだロープには薄汚れた洗濯物が干されていて、荒んだ生活感が漂っている。


……待てよ、とふと思う。
実際、仕事先の娼婦たちには、俺は受けがいい。もちろん、そうあるために努力はしているが。
昔仕込まれて、そして今まで場数も踏んできて、女受けするような振る舞いは身に付いている。そのほうが仕事に都合がいいからだ。
清潔感、服の趣味、金払い、あとは適度に優しい嘘と甘い囁き。
娼婦たちだってプロだ。そんなものは俺の「仕事」だということくらい承知している。
けれど承知していたとしても、多分その努力に対して、彼女たちは好意を持ってくれて、その証として俺に情報をくれる。
若い娼婦の中には、単純に見た目が好みだからという理由で……まぁ、なんというか……好意を寄せてくれる女もいる。

もしもセシーリカも……。
いや、それは……。
けれど、もしもそうなら、このまま俺が一歩踏み込むのは、セシーリカの中の何かを壊すことになるんじゃないのか。


──薄汚れた洗濯物が風に吹かれている。
──空はどんよりと曇っていて、もう夕暮れ時なのかそれともまだ太陽は中天を過ぎたばかりなのか、それすら区別がつかない。


いや、そんなことをうだうだ考えるよりもまずエルナを宥めることだ。
ふと、思い出した。カレンはロビンをうまく宥められたんだろうか。
最後に家に帰った日、ロビンが俺の家に闖入してきた顛末を聞いた。
ファントーが教えてくれたところによると、あのクソ馬鹿野郎は、
「てめぇーっ! ラス! 婦女子を家に拉致監禁するなど言語道断! 破廉恥なことするつもりだろう、この野郎ーっ!!」
と叫んでいたらしい。

だとしたら、ロビンは正真正銘の馬鹿だ。
そもそも破廉恥なことってのは何だ。
つもりもなにも、するに決まってるじゃねえか。
好きな女が相手なら、めちゃくちゃ触りたいと思うし、いろんなところにキスしまくって、もちろん○○○だって△△△△だってしたいされたい、それが男ってモンじゃねえか。

……実際、目の前にすりゃ、結局我慢しちまうんだろうけど。


──雨が降ってきた。
──洗濯物はまだ取り込まれる気配すらない。
 
聖印
ラス [ 2006/09/25 5:30:57 ]
 セシーリカの、真っ直ぐな目が痛かった。


数日ぶりに家に戻ってみると、セシーリカの風邪は治っていて、リデルとも仲直りしたようだった。
そして、正直俺はセシーリカのことを甘くみていたのかもしれない。
多分セシーリカが俺のことを意識したのは風邪をひいた日かその前の日あたりだろう。きっかけはよくわからないけれど。
その後俺がずっと留守にしていたこともあるし、まさか、ほんの数日でセシーリカがそれを言葉にするとは思っていなかった。
油断していたんだろうと思う。

そうじゃなくても、最近はいろいろと考えていた。
カノーティスの件で、いろいろと割り切れない思いもあって、それでも時間をかけてどうにかするしかないと、無理矢理、意識の下に沈めるようにしてきた。
それは思いの外、気力を消耗する作業だ。
仕事や雑談で紛らわせていても、一度顔を出したものをもう一度押し込めるのはなかなか難しい。
カノーティスは森を思い出させる。
住んでいた森と、そこにいたエルフたちを。
そして親父とお袋を。

俺にはどうしてもわからなかった。半妖精として生を受けるかもしれない子供を産めるその勇気が。
それが結局、4年前にカイと別れた原因にもなった。
もしも子供が出来れば半妖精かもしれないという、それだけじゃない。
人間の血だけをひいた子供が生まれたら? 妖精の血だけをひいた子供が生まれたら?
どちらにしてもそれは、親とはちがう種族になる。
種族の壁はどうあっても越えられない。半妖精という存在自体が、壁を越えた証だろうとふざけたことをぬかした奴もいたけれど、それは違う。半妖精という存在は、壁を増やすだけにしかならない。
寿命の違いや種族の違いで引き離されて……そうでなければ、取り残されて。そして馬鹿みたいに悲しむんだ。

……じゃあ、たとえばセシーリカに触れなきゃいいのか?
馬鹿馬鹿しい。
どうしたって触れたくなる。今でさえ。


好きだ、とセシーリカは言った。
そして、好きなら好きで、それしか見えていなかった、と。

意地悪く問いつめて、泣かせてしまった。セシーリカは俺をひっぱたきもせずに泣きながら出て行った。
急いで追いかけようとして……けれど、追いかけて何を言うのかと一瞬考えて、そして足が止まった。
カイさんと同じに見てるのか、と言われて、そうじゃないと伝えることさえ出来なかった。
そうじゃない。確かにカイも半妖精だったけれど、だからって同じに見ているわけじゃない。
ただ……同じ理由で傷つけるのが嫌だっただけだ。
そのことに怯えていたくせに、結局今度は、何かを始める前からああやって傷つけて泣かせている。
そんな俺に、走っていくセシーリカを追いかける資格はないと思った。


眠れないまま、翌日は惰性のように仕事に出かけて、そして夜になって無性にアーヴディアに会いたくなった。
それは多分、愚痴をこぼしたかったんだろう。
そして少しだけキリエを思い出させるような女に甘えたかったんだろう。

アーヴディアは死んだ旦那の聖印を見せてくれた。
そして、旦那──エルウィン──の口説き文句も聞かせてくれた。

「運命は公正で、そして非情だ。いつか二人の道は外れ、永遠に離れていくだろう。おそらくは僕が君を置いていくことになるだろう。そうなるまで、お互いの心を結び付けておこう。身体はいずれ離れてなくなるけれど、想いは時の洗礼に耐えてなお在り続ける。僕は想いを共有してほしい」

20年後、30年後……と考えたことを思い出した。
セシーリカが別の誰かと結ばれた後に「昔、ちょっと好きだったなぁ」なんて酒の肴にされるくらいでいい、と考えていたことを。
そして今、エルウィンの言葉で、更にその先も考えた。
例えば50年後。今オランにいる人間の友人たちはもう誰も生きてはいないだろう。カレンもシタールも、ユーニスも。スカイアーだってリデルだってそうだ。
……セシーリカなら、今この時のことを50年後に思い出として共有出来る。
「あの頃はさ」なんて冗談交じりに昔話をする、そうやって酒を飲む相手がいるならそれは幸せだろうと思う。そして……それがセシーリカならもっと幸せだろうと思う。
想いを共有してほしい、と……エルウィンのその言葉をアーヴディアの口から聞いた時、俺の脳裏に浮かんだのはセシーリカの真っ直ぐな目だった。


20年前。自分の20年先、30年先のことなど考えもしなかった頃、俺はキリエと暮らしていた。
種族の違いや寿命の違いを考えもせずに、ただ、セシーリカの言ったように「好きなだけ」で暮らしていた。
あれから20年経って、いろいろな経験をして、余計なことばかり考えるようになって……そして俺は臆病になっていた。

キリエのことをアーヴディアに問われて話しながら、思い出す。
……そうだ。あの時は幸せだった。けれど、俺があと一歩踏み出してさえいれば、きっともっと幸せになれただろう。
あんな形で終わっても、幸せだった記憶は薄らいでいない。あと一歩踏み出していれば……それはもっと豊かに彩られたはずなのに。
50年生きたって、何一つ学んでいない。もう一度同じ後悔をしようとしている。馬鹿か、俺は。

今のセシーリカは、20年前の俺だ。
そして、旦那の求婚を受け容れたアーヴディアだ。
その時の俺やアーヴディアが真剣じゃなかったなんて誰にも言わせない。
だとしたら、セシーリカだって。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

アーヴディアの書斎の長椅子に泊めてもらった翌日、昼前に一度セシーリカの家に行ったが留守だった。
急ぎの仕事を片付けに行って、夜になってからもう一度セシーリカの家に行くと、今度はリデルが現れた。
無表情に淡々と、セシーリカが迷惑をかけたようで悪かったと謝って、そしてわずかに首を傾げて言い添えた。
「……なにやらあったようで、センカはユーニスさんと酒盛りしたあげくに、今は眠ってしまってるんです」
……その言い方からして、セシーリカが俺の家から戻った時に泣いていたことを知っているらしい。

それは、と言い訳をしようとしてやめた。
これはセシーリカ本人に伝えなければ意味がない。

俺の手の中には、セシーリカが忘れていった聖印と橄欖石の腕輪がある。
セシーリカが出て行った翌日、ベッドの下に転がっていたのをトゥーシェが見つけた。
あの日は慌ててベッドを整えていったらしいから、その時にベッドの下に転がり込んだんだろう。

せめてそれをリデルから渡してもらおうか、と。そう考えてやっぱりやめた。
俺の様子を見て、今度は逆の方向へ首を傾げたリデルに、明日また来ると言い残してその場を去った。


──空には細い月が浮かんでいた。柄にもなく思い出したのは、マーファの聖印だった。
 
覚悟
ラス [ 2006/09/27 2:52:41 ]
 留守だった時も含めれば、4度空振りした。
自分の躊躇で失ったものを取り戻そうとして、セシーリカに会いに行って、リデルにやんわりと断られたのは3度。
……内心でリデルは、「妹を泣かせるような男に用はない」とでも思ってんだろうな。

そう思って溜息をついていたら、ベルギットに笑われた。
「なぁに、恋の病? 窶れた顔して溜息ついてるのも悪くはないけどね。仕事なんだからしゃんとしてよね」
「誰が恋の病だ」
「違うの? じゃあ借金でも抱えてる?」
「いいから、もう一度手順の確認だ」

今回はベルギットとその一団に雇われる形になった。
郊外の廃屋に巣食ってるモグリ数人を叩く仕事だ。敵にどうやら魔術師くずれが混じってるらしく、その呪文を封じるために雇われた。
今の時期に2日程度とはいえオランを離れるのは正直避けたいが、以前から契約していた仕事だから断るわけにもいかない。

「目算は?」
と問う俺に、少し考えてベルギットは答えた。
「そうね、早くて今日の日暮れ時。もしくは明日の夜明け前。だからオランに戻れるのは明日の昼以降になるわね」
……あー。やっぱり。



昨日、ユーニスに怒られた。
人に覚悟を問うほどの覚悟とは何だ、と。
……そうじゃない。自分にその覚悟がないから、セシーリカの覚悟を聞いて安心したかったんだ。
俺が大丈夫じゃないから、セシーリカに「わたしは大丈夫」って言って欲しかったんだ。

少しばかり寝不足の頭で考えていると、妙に気弱な方向へ考えが向いてしまう。
いや、気弱なんじゃなくて……正直なのか。

もう、本気になるのなんか嫌だった。本気になればなるほど、その反動が大きいような気がして。
だからそこから踏み出さないようにしていた。
踏み出すきっかけを、セシーリカに求めていただけだ。子供が甘えるように。
けれどそれは自分から踏み出さなければ何も変わらない。
アーヴディアが……いや、キリエがそれを教えてくれたはずだ。

昨日のユーニスには悪いことをした。
家族愛の延長でユーニスは嫉妬していたんだろう。そうでなければ、女友達に特有の連帯感だ。
それをわかっていながら俺は、八つ当たりめいた言葉で返した。
本当は、俺の臆病さを叱咤しに来たんだろうが……年をくえばくうほど、経験を積めば積むほど、二度としたくない経験すら積んでしまう。それならいっそこのままで、という臆病さが顔を覗かせる。
それでもその上で、もしもこのまま本気になってしまえば……とも考える。
本気になってしまって、セシーリカがそれを負担に感じてしまったら、と。
本気になるかならないかは、理性で決められるものじゃないのにな。



俺のポケットの中には、セシーリカの聖印と腕輪がある。
結局セシーリカに会えなくて、ここまで持ってきてしまったものだ。

カミサマとやらは、信心深くない者にも加護をくれるんだろうか。
ふとそんなことを考えた。
 
醜態
ラス [ 2006/09/28 16:27:45 ]
 目を開けると知らない部屋の天井が見えた。
部屋の暗さから判断して、夜だなと思う。
清潔なシーツと毛布の…………ん? 俺、いつ寝た? っていうかここどこ。

確か、仕事が終わったのが今朝。オランに戻ってきて、後処理をして、解放されたのが夕方で。
その後急いで…………って、ちょっと待てよ。
まさか夢っ!?
柄にもなく緊張して、セシーリカをやっと捕まえて、なんかもう本当にくらくらするくらい緊張してやっと……。
あれ全部夢っ!?
だとしたら、あれをもう1回やんなきゃいけねえのっ!?
マジかよ! もう1回なんて……モグリの盗賊集団の中に1人で放り込まれるほうがまだマシだ!

がば、と身を起こすと鳩尾のあたりが少し痛かった。
仕事先で怪我をした覚えはない。
……あ、そうか。セシーリカに殴られたところだ。
そういえばここ、セシーリカの家の客間か。

そう気付いた瞬間、扉がノックされる。そして直後に扉が開く。……ノックの意味があるんだろうか。

「……あ。起きた? え、えっとね、あ、そうだ。服! 汚れてたからそのまま寝かせるのは抵抗あってさ、埃とか泥の汚れは叩いたら落ちたけど、幾つか、血みたいな染みがあってね。でも脱がせた時に傷は見あたらなかったけど……どこか怪我してる?」

顔を覗かせたのはセシーリカだ。
その胸元に聖印が揺れているのを見て、ああよかった、夢じゃなかったんだなと安心したのもつかの間。
……服?
……脱がせた?
(確認)
…………なんで寝間着姿(おそらくリデルの)なんだ、俺。

「……俺、着替えまでさせられて、それでも起きなかった?」
「うん。あ、わたし、神殿付きの診療所で着替えさせるのとか慣れてるし、ああいうのってコツを掴むと、意外と簡単に着替えさせられるっていうか……」
「ここ、2階だよな。まさか引きずって運んだ……?」
「まさか! 引きずったら怪我しちゃうじゃないか。ちゃんと肩に担いできたよ!」

ここ2、3日ろくに寝てなくて……ああ、そうだ、俺の言葉にセシーリカが「うん」って返事をしたのを聞いて、安心したら気が抜けて……。
うわ、かっこわりぃ! 俺!
しかも担いで運ばれて、あげくに寝てる間に服まで脱がされて……何やってんだ、俺!(ばったり)

「うわ、どしたの? やっぱどこか怪我してた?」
「……してない」
「兄さんがね、今日はお嫁さんの家に泊まるっていうから……疲れてるみたいだしこのまま泊まってったら?」
「それはまずいだろう」
「……え? なんで?」

キスだけで硬直してるくせに……いや、違う、その意味に気付いてないのか。
どちらにしろ、セシーリカの家の近辺には噂好きのおばちゃんたちが多い。
「センカちゃんたら、男連れ込んでそのまま泊めてたわよー」なんて、翌朝リデルに告げ口されたら、リデルが笑いながら魔道書で殴りかかってきそうだ。

とりあえず服を返してもらって、セシーリカの家を出る。
家までの帰り道、夕方にセシーリカと交わした会話を思いだす。
……なんであんなところで寝るんだ、俺!
ああもう! なさけねぇ!
女相手にあそこまで緊張したのも初めてだし、あんなかっこわるい真似晒したのも初めてだぜ、ちくしょう!!
ああくそ、リネッツァあたり通りかからねぇかな……。

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結局、ちょうどいい八つ当たり対象は見つからないまま家に帰ると、カレンとファントーがいた。
「……遅かったな」
と言って、カレンが探るような視線を向けてくる。思わず目を逸らす。
キスした次の瞬間に爆睡しましたー、なんて言えるか馬鹿。

「……ああ、今日ファントーも採集の仕事から戻ってきてさ。兎のシチューが出来てる。……まぁまずは、腹ごしらえしないか」
「つがいの兎は一緒に煮込むのが野伏料理の掟だよ! ……ラス、どうしたの? なんか不機嫌そう。なんかあった?」
「……いらねぇ。寝る」
セシーリカの家で中途半端に眠ったせいか、無性に眠かった。
眠気でぐらぐらする頭を支えつつ寝室へ向かう背後で、カレンとファントーが何やらぼそぼそ言いあってるのが聞こえた。

眠りに落ちる寸前、寝室の扉の向こうに人の気配がした。
扉の向こうで何か呟いていたようだが、それを聞き取る前に眠ってしまった。
兎のシチューが明日まで残っていればいいなと思いながら。
 
失言
ラス [ 2006/10/02 1:39:15 ]
 ……多分、起きてすぐだったのが全ての原因だと思う。
ここ2、3日は、今までの寝不足を取り返そうと思って寝てばかりいたし、さすがに寝過ぎで頭痛までしたくらいだし。
そんな時に朝っぱら(←それでも昼近く)からたくさん喋るとろくなことはない。

カレンに妙な誤解をされてみたり。
ファントーに妙な心配をされてみたり。
そしてセシーリカの前で、女と別れてこないと……なんて口走ってみたり。

女たらしがどうの、とカレンに言われて、そこでふとそういえば別れてこなきゃ、と思い出した。
思い出したけど、まさかそれを口に出したとは思わなかった。
水桶をぶつけられて初めて、声に出して呟いていたと知った。

謝って、説明して、そしてセシーリカが帰った後。
カレンには、馬鹿だコイツとでも言うような目で見られた。

……だってしょうがねぇじゃんよ。
最初にセシーリカに言われたのも突然だったし、その後はセシーリカの家に通うのと仕事とで忙しくてそんな暇なかったし!

「……うっかり口に出すのが馬鹿だろう。それにそもそも二兎を追う者は一兎をも得ずと言ってだな……」

二兎?

「…………何人?」

えーと……(指折り数える)。

「(折られる指を見て)……おい。ラス」
「ねー、カレン。ラスは何を数えてるの? ……4、5……あ、小指からまた折り返した。6、7……」
「ラス、オマエそんなに……?」

え? ああ、別れなきゃいけない数か。俺が顔を出さなきゃ済むような女の分は数えなくてもいいんだな。
(一度は折った指を何本か戻す)



さて……しばらくは仕事もないし。いろいろと精算してくるか。
そう思って身支度をして出かけようとした俺に、カレンがぼそっと呟いた。

「…………刺されるなよ」

縁起でもねぇこと言うな。