たからものを胸に |
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ユーニス [ 2004/04/10 23:35:14 ] |
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| (※ 「しずくの旅路」#{0170}の続きにあたります。)
傭兵としての仕事を終えて、オランに帰ってきた。 約3ヶ月ぶりに再会した人たちは相変わらず優しくて、暖かだった。
日の巡りは毎日違うものをもたらす。木や花が一つとして同じではないように。 同じではないから、出会いと別れを繰り返すから、大切な日々。 命と心に刻まれていく時間を、私は大切に抱きしめていたい。
またしばらく、オランでの私の日常が始まる。 |
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先輩とお仕事 |
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ユーニス [ 2004/04/10 23:42:48 ] |
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| 516年4の月、4の日。今夜は眠れないかもしれない(といいつつぐっすり)。 何せ、明日からラスさんと二人でお仕事。野伏としてラスさんにお誘いを頂けて、かなり嬉しい。2の月に「いずれ一緒に」と言われただけで舞い上がっていたのに、こんなに早くラスさんと仕事が出来るなんて……うふふふ。がんばろっと。
でも喜び勇んで師匠に話したら、師匠は顔色を青やら赤やらに変えて怒鳴った。
「何っ、”あの”ラスと二人っきりで森に出かけるだと! いかーん、あたら若い娘がそんな危険な真似をし(ぐきっ)」 「うわっ師匠、腰から嫌な音が……もう、今日は休んでくださいね? 急に怒鳴ったりするからですよ」
やだなぁ、師匠ったら。これはお仕事ですよ。
******** 平和なことこの上ない森を歩く。枝先で春を謳う小鳥達の声に、ラスさんから聞かされた依頼の経緯をふと思った。 今回の依頼内容、は火の精霊力を帯びた珍しい蝶を捕まえること。 師匠も二度しか見たことがないというその蝶は、学者や好事家のみならず精霊使いや野伏にとっても憧れの生き物。なのに依頼人は、「ツバメにしたい男の人への贈り物」としてそれを望んでいる。
結局、依頼品の蝶はツバメ釣りの餌なんですね。ちょっと勿体無いな。
「お前、意外と毒づくよな」
ええ? 毒吐いてなんていませんよ〜、だってツバメは虫を食べるから。 ……ああ、でも。”若いツバメ候補さん”が実は鷹だったりしたら、食べられてしまうのは依頼者の方かもしれませんねー。
「意味を判って言ってるか?」
********** 愛用の幅広剣と弓矢、なんとなく連接棍。短剣の代わりの鉈、そして薄布を張った網。今回の装備はそんなもの。女の子の荷物は大きいと誰かが言っていたけれど、それはやっぱり本当かもしれないなぁ。
「お前の理解と多分違う。大体お前のは荷物じゃなくて装備だ」 **********
目的地の森へ到着して驚いた。森が異様に節くれだって見えるのだ。 草木の茎に付いた蝶のさなぎの数が、その印象を与えているらしい。しかも。
「これじゃ確かに他の生き物が寄りつかねぇな。鼻が曲がりそうだ」
ラスさんが思わず顔を顰めるほど、さなぎは凄まじい悪臭を放っていた。
この森付近では少し寒い日が続いたらしく、羽化した固体がまだ少ない。おかげで初日の作業は比較的短時間で終わったけれど、さっさと全部羽化して欲しいと切実に思う。精霊使いにとって、悪臭は感覚を汚される感が人一倍強いからかもしれない。
「この匂い、暫く取れそうにねぇな。匂い消しの香油を被りたい気分だ。 ……あれ、匂い消しって言や俺が見た箱の話の続きがまだだったよな? 例の落とした指を詰めてた壷の話がらみの」 いやああっ! 止めてください〜っ!! 飛び散る血飛沫やら腹圧ではみ出る内臓には免疫があっても、アレだけはだめなんですーっ!!(涙目) |
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真紅の暁光 |
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ユーニス [ 2004/04/13 0:57:00 ] |
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| (ラスの宿帳#{243}『続・日常』より”帰路の心配”などの続きです。)
ラスさんが、何だか変だ。 さっきから急に熱心というより執念深くさなぎを見て回っている。葉の影まで一つ一つ丁寧に、そして必死に例の蝶を見つけようと努力している姿は、仕事に対する真摯な姿勢を私に教えて下さろうとしているようで、感銘を受けた。……受けたんだけれど何故かしら、やっぱり変に思えて仕方がない。 そんなに急がなくてもさっきお話した川下りで遅れを取り戻せるというのに。 「保証があるか? あと一週間弱で例の蝶を見つけられる保証が。んなもん、ねぇだろ? だったら出来る限りのことはしてぇんだよ。……ほら、お前もさっさと探せ」 そ、そうですよね! はいっ、判りました。もしも頑張っても間に合わなさそうな時は、自慢の腕力で棹をさして川下りのスピードアップに勤めますから!! 「いや、そうならないための努力なんだけどな」 **********
早朝、まだ空気に冷たさが残る時間帯。ラスさんと私の見守る前で、羽化が始まった。今視界で始まった羽化だけで、その数およそ100は超えるはずだ。 「羽化の時間は早朝が多い。予定通りの行程で帰ろうとするならチャンスは今朝を含めて二回だな」
そうですね。チャ・ザ様、期限内に目当ての蝶が羽化してくれますようにお力添えを……(ぶつぶつ←祈ってるらしい)
朝露に濡れた草や木立を見つめていると、羽が固まったらしい蝶から順々に谷の方角へと飛び立ち始めた。羽化して最初の蜜を吸いに行くのだろう。朝日が山並みから霞の中に射し込み、森に光のベールを投げかける中、蝶たちは餌場へと羽ばたく。 飛び立つ蝶を見送る私達。うっすらと投げかけられた茜色の暁光と生まれたばかりの羽が交差したとき……一匹の蝶が輝いて見えた。極上の紅玉はきっとこんなだろうと思わせる深い深い、そして透明な真紅。ほんの一瞬の奇跡のようなきらめき。 ラスさんっ、あれ!! いま大きな樫の木の横にいる蝶! ちがいますか!? ……あ、陰に隠れちゃった。 「よし、追うぞ!」
うっわー、見ちゃった、本当にいたよー! ……目の錯覚ってオチじゃないといいけど。 |
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火蜥蜴の吐息 |
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ユーニス [ 2004/04/14 23:32:33 ] |
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| (#{243} ラスの宿帳『続・日常』より#15「前夜」の続き)
ラスさんお手製の夕食を食べた後、私は村へ向かった。まだ明るい時間だったから、酒場に行けば情報収集できると踏んだのだ。 少し気になることがある。ぜひとも確かめておきたい。
「収穫はあったか?」 大有りです。というか、知らなかったら大変なことになるところでした。
「羽化の時期に、俺達のほかに誰も居ない理由、か」
はい。好事家は一人だけじゃないし、ただ見物したくて来る人もいるはずですから。
「毒、か?」
どうやら鱗粉に含まれる火の精霊力がよくないみたいです。例の蝶を捕獲する際にどうしても暴れる蝶の鱗粉を吸い込んでしまう。すると2日間の潜伏期間の後、ひどい高熱を出すとか。アルニカがあれば多少緩和できるものの、特に精霊使いにはかなりの打撃だそうです。 他の症状はないし予後も良いそうなのであまり問題にはなっていないけれど、その話が噂で広まって、報酬に見合わないってことで敬遠されてるらしいですよ。
「(ちっ)依頼人のババァ……お前、あのハゲ(師匠)に蝶のこと聞いたんだろ? 何か言ってなかったのか」
あー、腰痛で寝込んでしまいましたから。もしかしたら言いそびれたのかも。他の人も村での情報ほど詳しいことを知らなかったようですし。 どうします? 捕獲の際、どちらかは接触しないように距離を保ちますか? ……こう言っては何ですけれど、ラスさんお薬苦手でしたよね。あと、すっかり忘れてたけれど、アルと同じで船が苦手って以前仰ってたような? もし首尾良く明日の朝に捕まえられたとしても、オランに帰る間に発熱するかもしれないし、なるべく私が捕まえて、最悪の場合一人で此処に残ることも考え合わせた方がいいかもしれません。そのあたり、依頼を受けたラスさんに判断をお任せします。
「とりあえず、見つけるのが先だ。例の蝶が羽化しなかったらどうにもならねぇ」
判りました。明日は気休めかもしれませんが、布を口元に巻いて作業しましょう。
「うわ……いや、何でもねぇ」
星空の下で、私達は交代で休んだ。空模様からは明日もいい天気になるだろうと窺い知れた。 |
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絆と縁 |
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ユーニス [ 2004/04/16 23:53:24 ] |
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| (#{243}のラスの宿帳『続・日常』より、#16「森の精霊力」の続きです)
15の日の夕刻に、私達は街に帰ってきた。ハザードから上がったその足で依頼人宅へ向かう。 ラスさんは早速依頼人に交渉を持ちかけた。蝶の鱗粉のリスクを承知していた言質をとり、また、それが依頼人にも蝶を贈りたい相手にも同様のリスクを負わせることを再認識させ、トラブルを未然に防いだことを材料にしたのだ。
「そいつは、杖を貰ったばかりの魔術師なんだろ? 魔法を使ってみたくてたまらねぇだろうな。しかも対象が自分の求めてやまないモノで研究対象にもなるとしたら……贈り主に感謝するだろうさ」 最後には渋る依頼人をこう言って頷かせ、首尾よく上乗せをせしめたラスさんは、交渉が終わると即座に屋敷を後にした。
お屋敷街の整った石畳をしばらく歩いたところで、ふいに先を歩くラスさんの足取りがゆらぐ。体調が悪いのを押し隠して交渉を済ませようとしたためか、反動が出たらしい。顔色は蒼白。熱は、ない。
「……っくしょー。今が雪解けの時期だっての忘れてたわけじゃねぇけどよ。あそこまで揺れるこたねぇだろっての。つか、むしろ跳ねてたよな、アレ」
筏に乗って川下り。時期は春。とくれば、川の増水はわかりきったことで、その速度は推して知るべしだ。船の苦手なラスさんは筏の揺れに必死に耐えたせいか、体調を崩してしまったようだが、それでも海よりは多少楽だったらしくオランに着いて暫くは持ちこたえていた。 そして、倒れる前に交渉をと言って聞かなかったのだ。
「お疲れ様でした。今日はスープでも作っておきますから、ゆっくり休んでくださいね」 念のため付き従う形でラスさんを送り届け、その足で閉まる直前の市場へ買い物に行こうかと思っていたら、送り届けた先の十六夜小路の家の中からは、何故か良い香りが漂ってきていた。どうやらファントーお得意の野菜スープの香りらしい。 扉の向こうには、元気に出迎えるファントーと、ソファでくつろぐカレンさん。眠たげな目を開けるクロシェ。
「お帰り。……何があった?」 「ああ? あー……船に乗った」 ラスさんを一瞥してさっと表情が失せたカレンさんを納得させるまで、僅か数秒。
やっぱり相棒っていいなぁ、とほのぼのしつつ、私はラスさんの家を辞した。 珍しい贈り物で仲を繋ぎとめるよりも、たった一言で相手を安心させられる関係を築く方がずっと難しいけれど、私なら欲しいのは後者だな、と心から思った。 |
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癒せぬ痛みを見つめて |
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ユーニス [ 2005/05/03 0:21:35 ] |
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| ラスさんに久しぶりにお会いした。遺跡探索に出かけた帰りらしい。 一見普通に見えたけれど明らかに何か歪な印象があって、気づいたらいろいろ問いただしていた。ぽつりぽつりと私の問いに答えるラスさん。うっすらと翳の宿る目元。 話を聞き終えた私は、ピクニックにお誘いしていた。
昔、冒険者としてほんの駆け出しの頃、仕事の折に投げかけられた言葉で酷く傷ついたことがあった。仕事のことだから、と必死に一人で耐えようとした。意地を張っていただけかもしれない。 そんな私を野伏の父は山へ誘い、焚き火を囲んでずっと、静かに傍にいてくれた。その暖かさに、気づけば心情を吐露していた。結局話してしまったことを少し後悔したけれど、前に進むきっかけにはなった。
あのとき父がしてくれたようには、私はラスさんに安らぎをもたらすことができないだろうけれど、それでも何か役に立ちたかった。 何より、耳にした内容が、一昨年の夏を思い出させたから。 カレンさんの、あの苦しみを聞いてしまった夏を。
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結局、安らぎを作り上げるより先に、苦しみに反応して言い返していた。
――誰も悪くないと思うんです、ほんとうに。違いますか?
狂った精霊に引きずられずにいることは、いついかなるときも意思で完全に可能な事なのだろうか。私たちは手を伸ばす。延ばした先にあるものを引き寄せる。その結果精霊に触れ、精霊の力を引き出す。ならば逆だって、当然普通にあるはず。
「ラスさんは悪くない」
そう伝えたくて必死で。でもラスさんには「聞こえ」なくて。 逃げるように水場へ行こうとする表情と背中が、声にならない悲鳴を上げていて。
ひきつけられるように、私はラスさんの腕をとり、背中に回っていた。 あの時、私は本当はどうしたいのか、ちゃんと判っていた。
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――弱くちゃ、いけないんですか? ――カレンさんを、大切な人を傷つけた自分を、見たくないだけじゃないんですか? 緑乙女さんに戦乙女を使わせなかった自分を見もしないで! ――多分、お二人とも同じなんです。私に「癒しと言う裁き」の話をされたように。傷つけてしまったことに。 ――でも、見なきゃだめです。それこそ、ラスさんの意思じゃない何よりの証拠だから。 ――戦う心じゃないんです、ぶつけたのは。きっと、とめて欲しかったんです。カレンさんに。 ――操られた人は仲間に剣を向けるとも聞きます。ラスさんの剣はなんですか?
酷だと思う。これらの問いが、胸に刺さるのは目に見えている。 けれど、自分の悲鳴で耳が聞こえないラスさんに、私の声を聞いてもらうには、馬鹿な私にはそうすることしか思いつかなくて。だって……きっと耳をふさぎ、目を閉じたままだと、ラスさんはもっと、もっと傷ついてしまうから。
血潮を運ぶ水の子よ 炎の荒ぶり静めゆき 途切れる風を穏やかに 痛みにゆれる地を宥め
砂撒く小人の通い路を ゆるく優しく整えて 揺れる闇の子かき抱き 悲しきしじまを忘れさせ 静かな眠りをもたらして
いのちの司に請い願う 孤独の嘆きも寂しさも 貴方の中に抱きしめて 傍らにあるわたくしは 貴方を心に想うから
ラスさんにこの思い出の歌を歌った。 私が病気になると、病を癒すほどの実力のない母は、枕元で必死に願いを込めてこの精霊語の歌を歌ってくれた。今、傷つけた私にできることは、頭痛を訴えるラスさんにできることはこれくらいしか思い浮かばなくて。
でも、本当は。 必死に意地を張って泣くのを我慢している幼い男の子のようなラスさんを、抱きしめて、癒しと安らぎをあげたかった。 癒しはまだ私に届かない心だから、安易な手段で履き違えることはなかったけれど。
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下宿に帰り着き、暖かい部屋の中で「欲しいもの」を考えてみる。
傷ついたラスさんや心に傷を抱えるカレンさんを、癒したい。 アルやミトゥやディーナさんが傷ついたなら、癒したい。 大事な人たちが、立ち上がるための力を貸したい。
それは単純な憧れではなくて、願い。むしろ、欲望。 癒せば、誰かは前に進めるから。再び立ち上がって、戦うための力と勇気を奮い起こせるから。 間接的な手段に過ぎないけれど、誰かの剣を支える手になったり、勇気が自分の中にあると気づかせられる声になれたなら、自らも剣を振るったことになると思う。 戦いに行く人を、戦わねばならない人を、手助けすることで私も戦う。それが私の戦いのひとつになれたら、それはきっと、癒しの力を真に「裁き」の力として得ることになるんだろう、と思う。
でも、今回のことを考えるにつけ、相手の中の苦しみをうやむやにするような癒しは無理のような気がするから、結果として傷つけてしまうかもしれない。憎まれさえするかも。
……自らをも切り裂く「裁き」と言う名の諸刃の剣を胸に、相手を癒す覚悟はまだ、できていない。
……さしあたり、ラスさんのことをそっと見守ろうと思う。 |
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明日を見つめるために |
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ユーニス [ 2005/05/08 1:43:02 ] |
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| 「ごめんね、ユーニス。母さんは”薬のさじ加減”を間違えてるのかもしれない」
足の怪我が化膿し、発熱にうなされる私の枕元で、母は精霊に願う歌を歌い終え。 青白い私の頬をそっと撫でながら母はそう呟いていた。
「ごめんね。母さんは魔法で怪我を治すことができる。でもそれは貴方のためにならない。 みんな、普通はこうやってお医者様の薬や日頃培った知恵で苦しさを乗り越えるの。 母さんができることは、多くの人たちからみれば反則なのよ」
息が苦しい。体が悪寒に震える。膿んだ足が上掛けの重さに痛みを訴える。
「あなたの兄さんは、生まれて半年で死んでしまった。母さんはもう二度とあんな思いはしたくない。けれど、いくら大切にあなたを守っても、丈夫に育ってくれなければ意味がないの。あなた自身が生きる力を体に身につけなければいけないの。冒険者のルールではなく、普通の人間の常識のなかで。 けれど、母さんだってあなたの苦しみをそいで上げたい。だから……父さんがあなたに”野伏の生きる知恵”を教えるのを止められない。矛盾してるって判ってるのに。 許してね、母さんの身勝手を。ごめんね、ユーニス。自分の力で乗り越えなければ、痛みは身を育てないから……」
薬草を採って帰ってきた父が、母に替わって枕元に立つ。 丁寧に拭われ、火酒で洗われたダガーを取り出し、清潔な布の上に私の足を乗せる。 「ユーニス。覚えておきなさい。膿んだ場所から膿を搾り出すには時期、というのがある。それを超えてしまったら、人はその膿の毒に殺されてしまうんだよ。 今がその時期だと思うんだ、だからね」 かさぶたの下にわだかまるぶよぶよとした部分に火酒を吹き、片手に持った布で覆いを作りながら一気にダガーを滑らせる。 どろりとあふれ出す青白い膿を、一気に周りから搾り出しきり、もう一度火酒を浸した布で軽く拭いて。 私の呼吸と顔色が落ち着いたのを見計らった父は、安心したように頷いた。 「こうやって、自分か周りの人が体を助けてやらなければいけないんだ」
私はこんな風に、父と母に育てられた。
何だかんだ言って、大切に、甘やかされて育ったんじゃないかと、今にして思う。
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ラスさんとのピクニックから数日後。私は河原でラスさんの事を考えていた。
泣き言を言わないラスさん。あの時ほんの少しでも私に本音を漏らしてくれたのだと思う。 もう少し、私が頼りになれたら、ラスさんは私に苦しいと打ち明けてくれるんだろうか。癒しの力があったなら、楽な心地にして上げられるんだろうか、と思いついて打ち消す。
私が、じゃない。 この問題は、ラスさんとカレンさんが二人で解決していかなければいけないんだ。
それでも、見守ることはとても苦しくて、何かできないかと手を差し伸べて抱きしめたくなる。
そんなとき、シタールさんとギグスさんにお会いした。今回の事件が起きた仕事に参加していたお二人だからなのか、すぐに私の悩む相手を見破ってしまわれた。何だか情けない。
「男の人って……やっぱり意地でも泣き言を言ったり、弱さを見せるのいやなものですか?」 「まあ、ダチには見せたくねえ時もあるかもな。惚れた女とかそう言うの別にしてだけどよ」 「本当は強がって居てェが、何時もそうはいかねェからな。見せる相手による、かな。俺は」
見せる相手、見せない相手。他人とそうでない人。ラスさんと、カレンさん。 ラスさんが求めるもの、カレンさんが欲するもの。
悩む私に、シタールさんが告げた。 「俺から言えることはただ一つ。今、お前から抱きしめようとしてもあいつ等は逃げる一方だぞ」
そうですね。それは……結局自己満足であって、お二方を癒すことではない。
「俺にわかることは全員意地っ張りだって事だな」 ギグスさんがそう言って笑う。
そこへ現れた”困りごと解決の最終手段(であるらしい)”フォスターさんの言葉。 「芸術とは固定された視点からは生まれ難いものである。とはヴェーナーの第一の教えでもあるんですよ」
悩んで、見えないことが多すぎる私に、明らかに不足しているものだと思った。時間の都合でお話が中途になってしまったことを悔しく思う。
でも。今はきっと、膿を搾り出すべき時期。 そう思うから、私のできる限りのことをしよう、と思う。たとえ恨まれても嫌われても、あのお二人がきちんと向き合うきっかけにさえなれるなら。
カレンさんに、会おう。 そう、決めた。 |
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あなたたちが、大好き |
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ユーニス [ 2005/05/08 2:15:04 ] |
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| カレンさんを郊外の森に呼び出した。 最初から、刃を突きつけたようなものだった。
カレンさんはラスさんを普段は強い、といった。それは付きまとう偏見を跳ねのけられる強さ。 けれど時には弱音や愚痴をこぼす。そんなときは脆さを感じると。 負けん気が強くて、他人に易々とは踏み込ませない。けれど何かのきっかけで弱音や本音を漏らす、とも。
訥々とカレンさんは語る。その内容は、ご自身がラスさんの弱音や本音、脆さに一番近しくあるのだと、自ら語っているようなものだ。
それなのに、相棒のラスさんの弱音であり本音を押し隠す”それ”を見抜けなかったことが……どうしても腹立たしくて。 ラスさんはカレンさんを一昨年の夏、きちんと受け入れて、理解しただろうというのに。
「周りから期待されることは、想像以上にキツイとは思う、そうラスさんは仰いました」 「うん。キツイ。それは、間違いない。俺は、それから逃げて、故郷を出たよ。 信仰さえも、捨てようと思った。……さすがに、それはできなかったけれど……」 「いろいろ踏まえたうえで尋ねました。弱くちゃいけないんですか? って」
「ラスさんの全てが弱いわけじゃないはずです。ただ、時に必死に口にした虚勢がそのまま受け取られてしまったら?」 「精霊使いにとって、精霊の狂気に「絶対に引きずられない」なんてことは、断言できないことなんです」
まくしたてた。責めた、必死に訴えた。けれど、私は失念していた。 カレンさんは、神官であって精霊使いではないということを。 「どれほどの事態なのか、わかってなくて……」と顔を覆うカレンさんを見て、やっとそれに気づいた。
「芸術とは固定された視点からは生まれ難いものである。とはヴェーナーの第一の教えでもあるんですよ」
フォスターさんの言葉が示すものが、自分に欠けていると、気づいていたはずなのに。 「信仰さえも捨てようと思った」カレンさんが、それと気づいているならラスさんの痛みを理解しないはずがなかったのに。
「ラスは、なんで…虚勢を張らなければならなかったんだろうな…。」
それは、想像で決め付けてはいけない。知りたいと思うなら、カレンさんは自分で踏み出さねばならない。カレンさんが踏み出したなら、空気は動き出すと思う。
「必死で精霊に抗ったからこそ、操られたときも最も強い戦乙女を使うことを許さなかったと思うんです。だからラスさんは決して弱くない。けれど、その強さが生まれた理由を、考えてみてください。 私、正直お二方がうらやましいのかもしれません。」 大好きなお二人が、お互いを思いあって、心を許して、それだけに傷ついて居る姿が。 「その理由はわかる。わかってる、と思う。…その強さは…認めてもいいんだよな…?」
この言葉を聴いたとき、まだ大丈夫。そう思った。
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ラスさんが、カレンさんが大好き。 アルが、ミトゥが、ディーナさんが大好き。 みんな、みんな大好き。
幸せではないことは、不幸だなんて、決め付けてはいけないのかもしれない。 けれど、大好きな人には、笑っていて欲しい。だから……私は馬鹿みたいに、足掻くんだ。 戦乙女には触れられないけれど、大好きな人たちに勇気がわいてきますように、って。 |
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初夏の日差しの下で |
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ユーニス [ 2005/05/13 17:31:06 ] |
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| 「待たせたな。”向日葵の匂いのする女”は街の人間にしては早起きなのか」 「確かに早目かもしれませんが、街でも早い人……例えばパン屋さんなんかと殆ど変わらない程度だと思いますよ」
まだ暗い街路。未明特有の露を含んだ甘い香りの漂う中、いつもの木造の酒場の前で私たちは待ち合わせ、街の門が開くと同時に郊外へと歩き出す。 ”柔らかき垣根”こと、ラスさんの気持ちが落ち着くお茶の材料と、棍にする木を採りに行くのだ。
ラウドさんは流石に熟練の野伏だと思う。無駄のない動き、余裕と優雅さすら感じさせる歩調。山や野を行くときの彼は、石畳を歩むときよりもずっと自然だ。 精霊使いとして、戦士として、野伏として、ラウドさんに学ぶことは多そうだ。
それにしても。ラウドさんが付けてくれた便宜上の私の呼び名、”向日葵の匂い”ってどんなだっただろうか。あえて言うなら夏の日差しの下の、むせ返るような土と緑の匂いだろうか。なんとなく郷愁を引き出させる呼び名だなぁと思う。
森を行けば樫を、峰を目指せば杉などを。目に付いた枝(というか幹)を伐採し、小枝を払いつつ背負った籠に入れる。下生えや陽だまりを眺めては、お茶の材料になりそうな草花をいくらか摘む。 そんなことを繰り返すうちに早くも頭上に日が輝いたので、私たちは昼食を摂ることにした。
ラウドさんのお好みに従い、炙った肉とパン、来るまでに見つけた木の実。そんなものを用意して、鮮やかな緑の絨毯に腰を下ろす。
吹き抜ける風に舞う美麗なる乙女。 近くの小川から届く水の少女の溌剌とした笑顔。 暖かく私たちを支える地の翁。 火蜥蜴の熱よりも遠く、けれど暖かく明るく照らす日輪。 初夏の日差しを受け止める緑乙女の優しい吐息が、心に染み入るようだ。
「ラスさんは薬湯を召し上がるのはあまりお好みじゃないんですよね(←婉曲的表現)……どうしたらいいと思われますか? お茶として差し上げても、薬と感じたらきっと飲まないんじゃないかと」 「うーむ、感情の神々のバランスは当然体にも影響するからなぁ。体を養うのと気持ちの落ち着くもの両方を口にするのが一番いいのだが」 「素直に口に入れてくださるようなものがあればいいんですが……」
食事を楽しみつつ、そんなことを語り合いながら、ふと。 さやかに吹き抜ける風の歌と木の葉ずれ、せせらぎの奏でる合唱につつまれて、私たちは視線を交わした。 一瞬絡み合う視線が、百万の言葉に勝ることがある。 そして、お互いに重なるものが多ければ、それは容易に起こりうる。
息を止め、そっと腰を浮かせて手を伸ばし、確かめるように頷き合う。
「追い込みましたっ、お願いします」 「上手いぞ! よし」
手の中でくねくねぴちぴちと動く物(←事情により検閲済)をしっかりと握り締め、ラウドさんが勝ち誇ったように微笑む。
「これ、いいんじゃないでしょうか」 「うむ、これはかなり効くと思うぞ。色艶もいいし、よく太っている」 「じゃあこの方向でいきましょう。とりあえず血抜きとか処理をしておきますから、どんどん良さそうなのを捕って帰るとしましょうか」
血抜きと風干し、香草で処理をすればこれは結構美味しいし、体にも良い。薬としても珍重される。 「そうだな、では少しその辺りをひっくり返してみるとするか」 昼食を終えた私たちは、新たなる目標に向けて行動を開始した。
ラスさん、待っていてくださいね。 ラウドさんと私が真心を込めて、元気の出るもの作って差し上げますから!
あ、そうそう。ラウドさん、私もロッド競技……参加してみたいんですけれど、だめですか? |
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ヘビのスープと、心を揺らすさざなみと |
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ユーニス [ 2005/05/19 0:23:09 ] |
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| 昔、母が笑いながら「男はみんな子供なの。上手いこと扱わないとすぐ拗ねるし、プライドを 大事にしてほめてあげれば喜んで有頂天になるの。あなたにもいつか判るわよ」 そう言って機嫌よく狩りに行く父を楽しそうに眺めていたのを覚えている。
でも、今回ラスさんに感じた”子供っぽさ”は、どうも母の説明とは異なるように思えて、絶えず気にかかっていた。
* * * * * * * * * * ラウドさんのご尽力の下、ラスさん宅に「野菜を煮込んだスープ(実はヘビと鶏がらで出汁をとったスープ)」を持ち込んで、こっそりラスさんを元気にしようという作戦を立てた。 「こっそり」というのは、ヘビは栄養や薬効にもすぐれているとされる材料ではあるけれど、いわゆるゲテモノの類に入るので、あえて材料を伏せて野菜スープとして供してしまおうとの思惑から。 ちなみに、厨房を借りた師匠宅では、作り方の細かな手ほどきを奥様のエヴァさんから受けた。 野伏を夫に持つと普通味わうことのない苦労をするのだ、と懐かしそうに笑い、ヘビ肉を扱うにも手馴れた様子を見せるエヴァさん。これも夫婦愛、なのかもしれない。
鍋と、鶏のローストとパンの入った籠を下げてラスさん宅を訪れる。 最初の内はラスさんも喜んで食べてくださったけれど、ヘビと知った瞬間、お手洗いに駆け込んだ。 薬が苦手、と仰っていた理由をそのとき初めて彼の口から聞いて愕然とした。 40年ほど前のその出来事……毒殺未遂……は、あまりにも痛ましくて腹立たしくて。
ラスさんが眠りに付くまで、ベッドの傍で付き添った。苦しそうに寝返りをうち、寝付かれない様子を見せるラスさんを見ているのは正直辛くて心臓が絞られるようだったけれど、逃げるよりはましだと自分を励ましながら留まり、そっと布団をかけ、呟かれる声に小さく応えて。
寝息が落ち着いたのを見届けてから、カレンさんにお茶をお持ちした。 大切な相棒を苦しめてしまった事が辛くて再度謝ると、カレンさんは優しく労ってくれた。
「ありがとう、ユーニス。今回は、本当に助かったよ」
そんな言葉、ひどいことをした私には勿体無い。けれど、正直嬉しさが先立ってしまって。照れを必死に押し隠して頭を下げ、暖かさの戻った家を辞した。
十六夜小路の家を後にして、下宿の部屋にたどり着くまでの道のりで、今日の私は何度ため息とともに足を止めたか判らない。
自分の驕りと無謀さへの怒りに ラスさんがほんの幼い頃に味わったであろう恐怖への哀しみに お二人の間に流れていた穏やかで暖かな空気に浸れた楽しさに そして、お二人が私に向けてくださった優しい心遣いに包まれた喜びに。
私の心はひどく揺らいで、落ち着くことがなかったから。
自分が「天然」といわれるような人間であることに、少し怒りを覚えた夜だった。
* * * * * * * * * *
故郷は、切ない思い出の在り処であることが多いけれど、ラスさんのそれはあまりにも残酷だった。 最近あまり意識していなかったけれど、恐らく半妖精であることがその残酷な行為の根底にあるだろうとは、いかに鈍い私でも想像が付いた。 そんな環境に10歳にも満たない子がさらされたなら、幼いなりに身を守る術を求めるのは自明の理だろう。
ラスさんの、子供めいた部分。無理やりに虚勢を張る姿。それが男の人の自尊心に関わること、それだけで済ませられないことだとしたら。 もしも「虚勢を張らざるを得なかった子供」が今、やっと素直に泣いてすがれる相手を見つけたのだとしたら。
ラスさんは今、誰よりも子供でいていいんだと、そう思う。
「足は自分で立つために、手は誰かの手をとるために」 いつか大切な人を見つけたら、そんな気持ちを忘れずに、と母から教わった言葉を、今のお二人に贈りたい。 |
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罪深き天然 |
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ユーニス [ 2005/05/30 23:28:39 ] |
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| ラスさんとカレンさんの問題が解決してから少し経ったけれど、私の心には小さな棘が刺さったまま疼いている。 自分が鈍いだの、天然だのといわれて久しい。天然の意味は最近知ったから、その分衝撃もある。 でも、それらは絶対に、私の応対で相手を傷つけてしまったときの言い訳になんてならない。
あれからずっと、悩んでいた。 自分は、大好きな人を守りたいと思う心で、相手を苦しめてるんじゃないかと。 負担をかけて、結局相手に負い目だけ認識させて。善意という名の刃物を向けてるんじゃないか、と。
酒場のカウンターでため息をついていたら、扉から賑やかな二人が入ってきた。 ラスさんとコーデリアさん。どうやら仕事帰りのようだ。 そして、気づけば近くで似たような悩みを抱えて店員さん相手に語っている青年、エルスヴェンさん。 皆に励まされてしまった。特にラスさんには「首突っ込まれた側が喜んでるのに、おまえが落ちこむ道理はない」とまで言わせて。 これで元気を出さなかったら、ただの困った子供だと思う。ううん、もしかしたら単純に喜んで気分が浮上している自分は子供なのかもしれないけれど。 ちゃんと気が付いて、一歩を確実に踏み出していけるなら。周りの大切な誰かを悲しませずに済むのなら。 私は頑張って大人への道を必死に登っていくことができるんじゃないか、なんて思ってしまった。 みなさん、ありがとう。
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その次の朝。私はラスさんが師匠に与えた誤解(私とラスさんが一線を越えてしまった疑惑)を解くべく師匠の部屋へとお邪魔した。師匠は昨日ラスさんが与えたショックの所為か、腰痛を起こして横になっている。
「お加減いかがですか? 腰痛が悪化したってお話だったので湿布を作ってきましたよ」 「ああ、すまん。時にユーニス、ラスから預かりものがある、その卓上の布を持って行け。……それと、なぁ」 酷く歯切れの悪い口調は、腰痛の苦しさによるものではないようだ。私は必死に誤解を解こうと説明を始めた。 「師匠、ラスさんの言ったこと、誤解しないでくださいね」 「誤解? 大体何故昨日来た事を知っとる」 「昨日、お会いしたんです。……ラスさんはただ、あの日にあった事実を端的に説明しただけで、別に事態を変な方向に捻じ曲げて混乱させようとしたわけじゃないんです。信じてください」 「じ、事実!?」 「ああ、それから昨日、ラスさんから焼き菓子をお見舞いにいただきました。師匠に、だそうですよ」 「昨日約束がある、といっとったのはお前の事だったのか。そして見舞い……」 「師匠?」 「いや……うむ。お前の事は信じておる。そして、師としてお前の幸せも常に願っておるのだよ」 「ええと、師匠?」 「まあ、わしはお前が良いなら文句は言わん。それだけじゃ……ああ、少し眠らせてくれ。疲れた」 「はあ……」
師匠の部屋を辞して、何となく引っかかるものを感じつつ、離れの部屋へ戻る。 師匠がぼそりと「素直に祝福してやらねばなるまいな」と呟いたのを聞くこともなく。
しかし、気がかりのような、忘れ物をしたような不安感も、ラスさんからの頂き物の包みを広げた瞬間、意識の端に押しやられてしまった。 「うわぁ……これ、今流行の生地よね。丈の長い白いワンピースが作れるなぁ。夏向きだし、嬉しい」
何故師匠が包みの中身を布と知って何を考えていたのか、そんなことに気が回る前に、私はこれからの服作りに意欲を燃やしていた。
――私が再度天然ボケの罪深さを再認識したのは、それから数日後のことである。 |
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軽くなった指 |
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ユーニス [ 2005/06/12 18:31:37 ] |
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| (注:[『今更』への精算]と連動しております。そちらを先にお読みになることをお勧めいたします) <> <>*************************************************<> <> <> 届け物を終えて帰宅する途中、ミトゥに出会った。 <> 彼女が熟達した剣士、エクスさんに稽古をつけてもらうと聞いて私も便乗をお願いしたら、二人から快く了承を得られたので、充実した午後のひと時を過ごすことが出来た。 <> <> その後、エクスさんと別れて夕食を摂りがてらミトゥの定宿に遊びに行くと、待っていたのは妙に不機嫌なアル。食事中も、私達の話を聞きながら機嫌が直らず、特にエクスさんにミトゥが口説かれた、という話をしたら拗ねたり腹立たしげに振舞ったり。 <> <> なるほど、アルはエクスさんに対してヤキモチを焼いている。 <> そう悟った私は、二人の話を邪魔しないように、そそくさと宿を辞した。彼らは私にとって、大切な友人であるとともに、仲の良い恋人同士だと思っていたから気を利かせたつもりだったのだ。 <> <> その認識が根本から間違っていたのに気づかされたのは、翌日のことだった。 <> <> <> 昨日のやり取りが気になって、ミトゥの部屋を訪ねると、部屋は綺麗に片付けられていた。そして、中央に纏め上げられた荷物。 <> <> 「もしかして、あの後ケンカして、出て行くとかいう話になっちゃったの?」 <> 「ううん。ケンカは……ケンカにもならなかったよ。ただ、コンビ解消したから、宿を替えることにしたの」 <> <> 都合の良い『相棒』という位置。それは、結局アルにとって恋人と相棒のどちらかの形を選んだわけではなく、中途半端な姿勢を相棒と呼んでいたに過ぎないのだと。そんな関係に、区切りをつけたのだ、と。 <> そう、ぽつりぽつりと語るミトゥの言葉に衝撃を受けながらも、やっと理解した。<> <> 「だからね、指輪は返したよ。それと……多分、アルはオランを出て行くんじゃないかな」 <> <> その言葉に、ふと自分の指に輝く紅玉を見る。仕事のとき以外はいつも指にあったその指輪は、アルを含めた仲間四人に対して、アルのお母さん達から頂いたものであり、とある遺跡の鍵となるはずの品物でもある。 <> 自分達の仲間がこの度一人引退する。四人一緒にかなえるはずの夢を一人でも欠けたら意味がなくなる。彼らの友情のしるしでもあるから、次に手にするのはやはり友情で結ばれている者たちが持っていたほうがふさわしい……そう言って、託された品だ。しかし、受け継いだ折「処遇は個々に任す、このメンバーで臨まなくとも良い」とも言われた。 <> <> 受け継いだときは、きっといつか皆で遺跡に、とだけ考えていたし、手放すことなど思いもよらなかったけれど、ミトゥとアルが手を離してしまったのだとしたら。 <> <> 「私も返してくる。私にとって、4つ揃っていたからこそ価値のある指輪だったんだもの」 <> <> 勝手な言い分だと思う。けれど、正直な気持ちだった。 <> アルは友人だ。それは変わらない。けれど、多分私はこの指輪を見るたびに、共にあるはずだったミトゥの笑顔を思い出して、寂しく思うだろう。友情を契機に手にしたものであればなおさら。 <> 指輪を見るたびに苦い思いをするのがわかりきっているなら、そして、託した人々の気持ちを思い出すならばそうしたい。 <> <> いい宿を探しておくね、と彼女に言い置いて部屋を出る。 <> 向かった先は、同じ宿の中のアルの部屋。 <> <> その日、私の指から紅玉の指輪が消えた。 <> <> 紅玉の指輪と藍玉の指輪が新たな主を得て、アルが彼らと共に遺跡を攻略する日、新たな仲間達に幸いあれ、と無責任にも願いながら、私は『流星の集い亭』を後にした。 <>
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結婚騒動(修正版) |
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ユーニス [ 2005/06/14 0:37:49 ] |
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| (注:ラスの宿帳「続・日常」([TOPIC 243])のNo.43「わざとじゃない。」、また本宿帳のNo.11「罪深き天然」と連動しております。前者は、私の説明不足な点を補完してくださってますので、お手数ですがそちらを合わせてお読みくださいますようお願いします) <> <>******************************* <> <> 「破談じゃーっ、あんなヤツに弟子を嫁にやれん」 <> 師匠が腰痛の苦しみにあえぎながら、私に告げた。 <> 「師匠、嫁って誰がですか。それにあんなヤツって」 <> 「く……ラスとお前がただならぬ仲で、しかも真面目な付き合いだと思ったわしが馬鹿だったわっ。あやつ、この数日でもわしが知ってるだけで何度朝帰りしていたか。見まごうことなく女連れじゃった」 <> 「えと……ただならぬ仲って、それ、違いますってば。この間ご説明し」 <> 「すまんの、将来を誓った仲と言い換えよう。そう思えばこそ、そしてあやつの相棒がチャ・ザの神官だと知っていればこそ、チャ・ザ神殿に結婚式の申し込みまでしたというに……ああ、わしは情けない、だが不憫なのはお前じゃ、ユーニス」 <> 「ちょ、ちょっと待ってくださいー!」 <> <> 言うだけ言って、また寝込んだ師匠を放置して、私は下宿を飛び出す。 <> 必死に向かった先はチャ・ザ神殿。もちろん結婚式の申し込みをキャンセルするためだ。しかし、時刻は既に夕刻を過ぎ、担当の方が帰宅された後。 <> また明日お越しいただけますか、と済まなそうに頭を下げる神官さんの言葉に、目の前が夕闇よりも暗くなった。 <> <> <> とぼとぼと、他に予約を入れたという店やらを回って、キャンセルをした後、たどり着いたのは木造の酒場。 <> そこで、運良く渦中の相手を発見。 <> 「ラスさーん、どうしましょう」 <> <> 説明して、何とか対策をと思っていたら、パニックしているのを面白がったのか、ラスさんは話を進める方向でいろいろ盛り上がっていた。途中からカレンさんが加わり、神殿で受け付けた挙式申し込みの書類を片手に、サインする? と尋ねてくる。 <> 相変わらずお洒落が決まっているヴァイルさんも、楽しそうに見守っている。 <> ああ、交流神様。神官さんを前に言うのは何ですが、私を見放されたのですか!? <> <> <> はっきり結婚の意志はないと伝え、ラスさんも私をからかうのをやめるまでにどれくらいの時間が経ったのだろう。私にとって、非常に長い時間だったように思える。 <> 事態解決に向けて、明日師匠を神殿にお連れし、カレンさん直々に誤解を解いて下さることになった。また実際に提出された書類は不受理状態だったため、後処理も受理後に比べれば多少簡単であるらしく、カレンさんはそれらの処理も請け負ってくださると仰った。私のせいで、余計なお仕事を増やしてしまったことに申し訳ない思いを抱きながらも、有難いことだと安堵し、力が抜ける。 <> ラスさんの助言でエヴァさん(師匠の奥様)にも事態を説明し、ご協力を仰ぐことにもした。どうやら何とかなりそうだ。 <> <> けれど、落ち着いてから、ラスさんに対しては何故だか腹が立った。 <> そもそも自分の言動が怪しかったことと、自分が師匠に伝わりやすい説明をしなかったせいであるのと、ラスさんの言葉が誤解を生んだ、めぐり合わせと解釈が不幸な方向に進んだために起きたことであるとわかっている。私の責任は多大だ。 <> けれど私が慌てて困っているのにそれを冷静に楽しむなんて、何だか意地が悪く思えて、ご迷惑をかけているのは判っていても、素直に謝りたくないと思ってしまった。 <> もしかしたら、からかっているラスさんに、本当に口説かれているような錯覚を起こして、余計に頭にきていたのかな。だとしたら私は、本当に馬鹿だ。 <> やっぱり、私も結婚にはあこがれる気持ちがあるし。曲がりなりにも女性であるらしい身としては、ラスさんみたいに素敵な人と結婚なんて、胸がときめいても仕方ない……はずだ。それだけに、腹を立てる気持ちも生まれたのかもしれない。 <> <> だけど、それは自分の感情の問題。人にそれを押し付けてよいはずがない。大体こどもみたいな論理だ、それって。 <> <> 自分勝手なときめきや苛立ちと、通すべき筋……道理ともいうのかもしれないけれど……は別なのだ。 <> たとえラスさんの言動が誤解を招いた一要因であったとしても、もともとは私の説明不足と帰宅後の挙動が、誤解の元になったのだ。 <> 自分が落ち着いて、行動していればそもそもラスさんに疑いがかかることもなかったし、こんな風に迷惑をかけることも、私に感情の渦をぶつけられることもなかったはずだ。 <> <> 自分が悪い。 <> <> そう判っていて、それを詫びないのはただの馬鹿だ。 <> 私の下らない感情なんか足元にも及ばないほど大切なことを、忘れてはいけない。 <> うん、ばかだなぁ。 <> ラスさん、ごめんなさい。きちんと、あやまらなければ。 <> <> <> ちなみに「カレンさんの子供が欲しい」と受け取られかねない言葉まで今日は口にしてしまっている。確かに、カレンさんのお嫁さんになれたら素敵だとは思うけれど、そういう関係では全然ないし、今はまだ見ぬ「シルバー様」(銀製ブロードソード)の方が心にかかるし。 <> <> ああ、私、まだまだいっぱい反省することがあるなぁ。 <> 言葉と、感情の抑制に留意しよう。 <> <> とりあえず事態打開の目処が立ったことで、その夜私は安らかな眠りを得ることが出来た。 <> <> 翌日、説明を受けて呆然としつつも安堵した師匠の顔を見ながら下ったチャ・ザ神殿の丘は、いつもより緩やかに感じられた。 <>
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彼岸へ |
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ユーニス [ 2005/07/09 0:44:04 ] |
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| 此岸と彼岸と。 癒しと剣と。 正気と狂気と。
相対するものの間には、僅かでも境界があるのだろうか。それとも、誰にもその境界は判らないのだろうか。同じものの、ほんの僅かな傾きが、それに便宜上の名をつけているだけに過ぎないのだろうか。
きままに亭で仕事探しをしていて、カゾフ行きの隊商護衛の口を見つけた。実入りも悪くない。これを無事こなせたら、銀の剣を誂えるための目標額に大きく近づけるだろう。 そんなことを考えながら羊皮紙をめくっていると、アスリーフさんと魔術師と思しき女性がやってきた。 治安の悪い一角で絡まれている彼女をアスリーフさんが助けてつれてきたらしい。チェスカと名乗った女性は、心の清さと愛らしさが服を着ているような人だった。
「珍しい蝶を見かけてふらふらついて」いったらしい彼女に、ふと昔耳にした「蛾や蝶は魂を誘ったり、運んだりする生き物だ」との伝承を持ち出してみたところ、アスリーフさんがすぐに意外な反応を示した。
彼が知識に疎いという意味ではなく、現実的で冷静な印象のある彼が「向こう側へ誘われるから近づくなといわれた」と口にしたことが意外だったのだ。それは、伝聞の形という以上に、死や狂気に直面したモノが体得した極限での知恵のような響きをしていたから、実に彼に似つかわしいのかもしれないけれど。
アスリーフさんはご自分の生き方を「君よりちょっと”向こう側”へ近づいてるのかも」と言った。夢幻の有無などわからない、倒すべき敵と判断したら倒し、自分に利益があると思ったらついてゆく。それだけなのだ、とも。 それはきっと私にないもの、欠けているものだ。
考えて、考えて。求めて求めて。探して探し続けて。なお得られず。 足掻いて、絡みつく何かを必死に掻き分けているのに、前に進めないもどかしさ。それでも不確かなどこかを目指しているのが今の私。
でもアスリーフさんは違う。 立ち止まり、振り返るよりも、ひたすら切り倒して道を拓いていく強さ。危険も汚濁も彼の足を止める理由にはならないのかもしれない。戦略的判断で撤退することがあったとしても、危険の中に身を置いて生きる快楽を知っている。 飄々と、風に流されるように気負うことなく、それをやってのけるひと。私には彼がそんな風に見える。
私には、それが怖い。自分も踏み込みかけた道だから、すこしだけわかる。 自分を失いそうで、怖いのだ。
チェスカさんは、蛍の伝承――戦争で死んだ無念の魂が生まれ変わった物だという話をしてくれた。もし水に綺麗に苦しみを洗い流されて生まれ変わった姿だとしたら自分達も救われる、と応えたら、貴方は優しいと微笑まれてしまった。そんなこと、ないのに。 優しい人を前にするから生まれる言葉があるんだと、そう言えばよかった。
ウィスプの光と蛍の光は私には良く似て見える。彼女には言わなかったけれど、ウィスプの光に沼に誘い殺される伝承もある。私にはウィスプは命に連なる光に思えるのだけれど……そんな風に思って、ふと思いついた。 命と死は、まるで混在しているようだと。 狂気と正気も、どこか僅かな均衡の振れで起きるように見えると。
では、癒しと剣は? 実は境界などないのかもしれないのでは、と。
川のせせらぎや森の中って癒されますよね、とチェスカさんに言われるまで、自分が水に癒されていることを失念していた。 癒しを捜し求めていながら、そんなことに気づかなかった。いや、癒しのかたちばかりに気をとられて、視野が狭くなっていたのだろう。それは、自分の器から見ただけの癒し。外部からの接触を受け入れ切れてない自分が、癒しの本質に近づけると思うなんて、ひどい驕りだったのではないか、と恥ずかしくなった。
こころの垣根を取り払って。 恐怖も乗り越えて。 依怙地に「自分」に拘泥することなく、足を踏み出して。境界を取り払って。 枠組みを決めずに、心だけをただ「そこ」に置いて。
そうやって踏み出す場所は「向こう側」にとても近い場所かもしれないけれど、もしかしたら次の道へのステップなのかもしれない。
お二人との語らいの中に、そんなことを感じた。 とりあえず、カゾフ行きの仕事を請けて、生活資金と新装備資金を稼ぎつつ、今は一歩でも前に進むことにした。 |
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チェリーパイと杏のタルトと、苦いお話 |
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ユーニス [ 2005/07/09 21:34:21 ] |
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| アスリーフさんとチェスカさんにお会いした翌日、ラスさん宅に杏のタルトを届けにあがった。 結婚騒動での無礼のお詫びと、解決に協力してくださったお礼を兼ねた品だ。 訪ねた時は、カレンさんとラスさんが揃って帰宅されたところだったようで、お二人にお詫びとお礼をきちんと言えてほっとした。 ほんとうはタルト一つではお礼としてはささやか過ぎて恥ずかしいと思っていたし、お詫びをしてすぐ帰るつもりだったのだけれど、丁度キアちゃんの作ったチェリーパイもあるとのことで、話の流れでお相伴に与る事になった。 とても嬉しいことがひとつ。 ファントーが無事で、ラスさん宅に再び身を寄せていると聞かされたのだ。 昨年冬にはこちらに来るはずが連絡が付かないままだったので心配していたが、これでひとつ気がかりが減った。 極上の毛並みの犬を連れてきているとの話なので、今度挨拶がてら是非触らせてもらおうと心に決める。
キアちゃんお手製のチェリーパイと私のタルトを切り分けてお茶の支度をしているうちに、結婚騒動の話を契機に、思いがけずラスさんのやるせない思いを耳にしてしまった。 「人間を選べば置いていかれる。けど、俺はエルフを選ぶ気は全くない。どうせ置いていかれるんなら最初から……なぁんてね」
だから「真面目」なんじゃない、「拗ねてる」のだ。 そう言って笑うラスさん。 その笑顔は生傷を洗う痛々しさをこらえる笑みよりも、古傷を撫でるような苦笑いに見えた。
普段、ラスさんを半妖精としてみることはあまりない。 ラスさんは、ラスさん。年上で綺麗でかっこよくて、ちょっと意地悪で危ない人で、面倒見が良くて。冒険者として、精霊使いとしての私には、とても遠い目標でもあるひとだ。正直、尊敬の念を抱いている憧れの人、ということになる。 その人が抱える思いを、私が勝手に理解した気になっていいかなんてわからない。けれど、ラスさんが語った内容から自然と推測される気持ちは、ラスさんを大切に思うものにとっては少なからず切なさを覚えさせる類の思いだろう。ラスさんの傍に心を置いてしまう以上は。
誰にでも出会いと別れがある。寿命の等しいはずの種族同士でも、違いすぎる時を生きねばならないことがある。別れは、どこにでもありふれた哀しみといえなくはない。 それでもやはり種族の違いは、異なる時の流れの速度に押し流されて、相手を早瀬の向こうに見失ったり、淵に取り残したりするのだろう。私は実例をよく知らないから、想像するしかないけれど。 出会ったことを、その幸せを、哀しみに変えなければならないのだとしたら残酷すぎる。
でも、それでも。カレンさんがいて、お二人が出会えてよかった。 そう思っていいんだよね? そう、思いたい。
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癒しの魔法について精霊魔法と神聖魔法の差異を癒される側の観点からお二方に尋ねてみた。 お二人曰く、 ラ「精霊魔法は内側から、神聖魔法は外側から傷がふさがるような気がする」 カ「神聖魔法はけっこう無機質でね。そこらへんが気分的に違う、かもしれない」 ラ「生き物の体は、生命の精霊が律しているんだから、神聖魔法で癒される時だって、生命の精霊は反応する。神の奇跡っていう働きかけでも、起こる現象におそらく差はない。ただ、生命の精霊に直接働きかけるほうが、精霊たちが動きやすいんだろうな。感じ方に差が出るのはそこらだろう」 カ「あくまで反応な。完全に作用しているような感覚じゃない」
帰ったら忘れないうちに書きつけておこうと集中して耳を傾けていたら、カレンさんに何故精霊魔法に重点を置こうと思ったのかと尋ねられた。こんな質問をしたのだ、当然だろう。 精霊に手を届かせたい、癒したいという気持ちが強まって、と答えたら納得してくださったようだったが、ラスさんには些かの疑問を抱かせたようだ。 お前にとって、生命の精霊はおまえが癒すための手段なのか。
そう尋ねられて、以前ならただ純粋に願いだ、と答えたかもしれない。だが今は、そこに自分の欲があるのを知っている。 だから「純粋に力として、そして戦う道具にも戦いに行く人を支える手段にもするだろうから手段」 そう返した。ただし癒されたり命を知ることが出来たら、気持ち良くて幸せではないだろうかと思うし憧れもある、と付け加える。 私の思いはきっと向上心と強欲さの両方なのだろう。好奇心も背を押しているが。 飢え餓えるように剣と精霊の力を求めている今の私は、ただの欲の塊なのかもしれない。 でもその力をどうしたいのかは、多分決まっている。
「戦乙女は死を司るわけじゃない。死に瀕しても怯まないほどの勇気。その気持ちこそが戦乙女の本質だ。……おまえにとっての生命の精霊は、これからどうなるんだろうな」
生きて歩み続けるために、生を望む者の願いのために、死の刃から守る盾として、私はその力を振るいたい。 彼岸と此岸の境があるなら、その境界を越えようとする魂を抱きとどめられるように。
それにはやはり、どちらかを選ぶ日が来るのだろうか。 ラスさんのような人の隣で仕事をする――ひとかどの人物の任された仕事に関与するだけの腕を得る――ためには。
――『剣』じゃなく、『癒し』として? どちらも任せてください、なんて言うヤツは誘わないことにしてるから、進む道を決める時は悔いのないようにな――
ラスさんのその言葉が、私の胸の迷いをくすぐっていった。 |
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小さな挑戦 |
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ユーニス [ 2005/07/09 22:31:52 ] |
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| 今回の仕事で、革鎧がとうとうだめになった。 以前、仲間だった人に”魔法防御”の呪文をかけてもらった鎧だった。
「大分傷んでたからなぁ」 ため息をつきながら新たな鎧を買いに行く。思い入れのあった鎧を失うのもさることながら、今の私は銀の剣のために貯金中で、できれば出費は控えたかったのだ。 しかしこればかりは仕方がない。命は私程度の貯金では買えないし、もちろんそれにくらべて鎧代のほうがはるかに安い。
幾つかの店を回って、革鎧一式を新調する。薄い軟革鎧、その上につける胸当てや首、腕などの硬革部分鎧。野伏の仕事の邪魔にならない程度の、しっかりした品質のもので……。
気づけば、カゾフ往還の隊商護衛の報酬が目に見えて減っていた。 仕方ない、明日からまた頑張って働こう。銀の剣のためにも!
カゾフ往復の仕事の合間に、いろいろ考えてみた。 精霊を見つめて修行するか、剣を振り続けて見出すか。 シタールさんに言われて、とりあえず精霊の修行に集中してみると決めたのがアスリーフさんたちとお話しする前。お二方と話した後、ラスさんとカレンさんともお話して、今に至る。 結論は、出ていない。 とりあえずすぐに曲げるのもいかがかと思うので、オランへの帰着後も毎日の修行メニューでは精霊との交流に大半の時間を割いている。全力を、といえないのは、剣を持つための最低限の修行は欠かす気になれないからだ。多分、剣の仕事の際に命取りになるだろうから。 ただひとつ、今までと違うことがあるとすれば、それは感覚の開放を試みていること。 緊張よりも弛緩、集中よりも拡散、そのなかからゆっくりと絞り込む。 剣ならば形を、精霊ならば力のありようを。見えてくるものが必ずあると信じて追う。 知っていた場所を探し、覚えている動きを繰り返すのではなく、もう一度最初から視野を広げて、新たな気持ちで剣を取り、踏み出せる歩幅と伸ばせる腕を知って。 それは命に関わるかもしれないけれど、一つの挑戦だ。
少しでも、次の一歩に近づけたなら、いいと思う。 |
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衣をまとうが如く |
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ユーニス [ 2005/12/08 21:28:46 ] |
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| 剣か、精霊か。 戦い守る剣と盾か、戦いつつも人を癒す強き腕か。 私はこれからの人生で、どちらか一つでも極められるのだろうか。 いずれか一つを手にするのさえ、両の腕で足りるかどうか判らない場所へ、私は踏み出そうとしている。 私の望みは戦い、そして守ること。どちらを選ぼうとも、それはきっと可能なはずではあるけれど。 本当に己の欲するものはどこにあるのか。己の本質に沿うものは何なのか。
迷う私が答えを見出したきっかけは、ハザードに架かる橋の上での謎の人物との邂逅だった。
「今は迷う時期なのでしょう。迷いながら道を見出す苦しみを背負うときなのです。それを過ぎれば、あなたはまた道を進むことができるでしょう。窮められるかどうか、もう一つの道も共に歩めるかどうかは、その時考えればよろしい」 出会ったばかりなのに親身になって助言を下さった魔術師のウェルディさん。
「選ぶことに怯えるな」 「これ以上はどう頑張っても魔法は使えないって時は、鎧や剣が万端だったとしても自分が無防備でいるような気がする。 多分必要なのは、自分自身の本質がどこにあるかを見極めることだ」 いつでも核心を突きつつ、さりげなく導いてくださるラスさん。
自分の本質、限界まで己の身を削いだ後に残るものが見えたならきっと、私は一歩を踏み出せる。 けれどそれは同時に、怯えや戸惑いを振り払い、選択を迫られる時でもあるのだ。 私は、二人の言葉に耳を傾けながらもどこかで感覚を閉ざしていたのかもしれない。
「そんなに怯えることはないぜ、嬢ちゃん!」 「ドント・ビー・アフレイドだぜ、レディ?」 「とりあえず背中の剣は抜いちゃダメだよ、オンナノコ。」 ハザードの橋の上。唐突に現れて名乗りを上げる3人の男たちに囲まれ、牽制されて。 異様な空気に、耳の奥で警鐘が鳴り続ける。
帯刀こそしていても、もとより市街、しかも王城に程近い橋の上でなど抜刀できる訳がない。けれど驚異的な連携で私を追い詰めた彼らに対して、何の策も講じられないのは酷く不安だったので、そっと懐の短剣を探る。 あっけなく包囲を解いた彼らの用件は、風呂屋の所在を尋ねるものだったけれど、それも懐の刃物の存在を読み取って即座に目的を摩り替えただけだったのかもしれない。
――こいつら、共闘し慣れてる……危険だ―― その迅速で流麗ですらある連携に、彼らの姿が遠ざかるまで息をつくのも忘れていた。
ジャングル・ラッツ、とか名乗る彼らが去った後、はたと気づいた。 包囲されたとき無意識に己がとろうとした間合いは、背負った蛮剣を抜く時間を稼ぐためのもの。そして包囲を破れないと知ったときの動きは懐の短剣を振るうためのもの。
それは、混乱の魔法を詠唱するためではなく、己の体術と武器を振るうための間合い。 可能か否かの判断が含まれていたとしても、精霊への依存度は多分果てしなく低い。
「自分の本質がどこにあるか」 とっくに答えは出ていたのだと、痛感した。
当分の間は、まだ迷うんじゃないかと思う。 けれど、もう答えは自分の中にはっきりと形を成している。 あとは、それをどう抱きしめて生きるか、だ。
もう少し。 もう少し己を見据えて迷いと欲を振り払えたなら、三角塔にウェルディさんを訪ねよう。約束していたお菓子をいっぱい、籠につめて。 それから、ラスさんにもお礼を考えよう。
買ったばかりの硬革鎧が馴染む頃には、きっと笑って二人に会いにいける。 |
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美人局疑惑 |
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ユーニス [ 2006/05/10 1:36:56 ] |
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| ※ ラスの宿帳『続・日常』の「利用」と、『その他の呟き- 01』のベルギットの記述「ケーキの約束」と関連しております。そちらとあわせてお読みください。 <> <>**************** <> <> 「鹿肉の燻製と、途中で立ち寄ったセロン村のチーズです、ってラスさんに渡してね。本当は直接渡したかったんだけど」 <> 「うん、この時間だと時々ラス寝てるから、今度またおいでよ」 <> 「んみ、じゃまたねー」 <> <> きままに亭に鹿退治の仕事の報告をしてから、私たちは別れた。 <> 実はラスさんに今回の仕事の目的地、カノラ村のワインに合う鹿肉の燻製と途中の村のチーズをお土産にする約束をしていて、帰りにファントーと一緒に届けに行くつもりだったのだけれど、時間的に――ラスさんが仕事明けならば睡眠を邪魔するのは忍びないと言うことで――遠慮することにした。<> <> もしこのとき、ラスさんの家に寄っていたら、状況は変わっていたのだろうか。……いや、多分変わってなかっただろうし、事態を認識するまでに時間がかかった分、良くないことになっていたかもしれない。 <> <> <> 「あんた、あの夜の!」 <> 「はい?」 <> 宿に戻る途中、市場で買い物をしようと歩いていたら、すれ違いざま不意に中年の男性に声をかけられた。 <> 「金鯱通りの宿に……私だよ。覚えてないとはいわせないぞ」 <> 小声で、それでも有無を言わせぬ口調で迫られ、その髭を蓄えた男に腕を掴まれた。 <> <> 不覚をとった。いかに相手が見るからに商人らしくて武芸の心得がなさそうに見えても、油断などしてはいけない。けれど、そういう相手をむやみに振り払えば、こちらがより多くのリスクを負う。 <> そのためらいが、腕をつかませてしまったのだ。 <> だが。 <> <> 「あんた……その剣、あんたのか?」 <> 掴んだ瞬間、驚いたように手をこわばらせる男性。そして私の腰の剣と、背の弓に目を見開く。まるで顔しか見ておらず、装束にいまさら気づいたかのように硬直したその隙に、私は相手の手を振りほどいた。 <> <> 「そうですよ。仕事帰りですから汚れてますけれど、ずっと愛用している剣ですが」 <> <> 抵抗されなくてよかったと思いながら数歩距離を置いて様子を伺うと、男は気まずそうに「人違いか、だが……」と呟きながら一目散に走り去った。 <> 市場からの帰りがけにも男性に声をかけられたが、そちらは私の姿をしげしげと眺めた挙句、人違いを詫びて去っていった。 <> <> <> 一体なんだったのだろうと、不可解な事件をいぶかしみつつ次の仕事を探しがてら、きままに亭に再び足を運んだときに謎は解けた。私の隣に座ったベルギットさんが、事情を説明してくれたのだ。 <> 要は、私そっくりの美人局が荒稼ぎをしている、ということだった。 <> <> なんてことだろう。そんないかがわしいことを私がやっていると思われるのは心外だし、仕事の上でももしかしたらキアちゃんやファントーに面倒をかけてしまうかもしれない。周囲の人たちに嫌な思いをさせるのは御免こうむりたい。 <> どうやらきままに亭には、フランツさん経由で話が通る様子だったし、これからはその件で連絡先にできるというので安心したけれど、腹立たしいやら呆れるやら、なんとも気持ちの整理が付かなかった。 <> <> 宿に帰ってからも、気持ちは落ち着かなかった。 <> 変わらずに過ごすのが大事。それは判っている。ヘタに動けば追い詰めることも出来なくなる。”巣穴”の人たちの仕事を邪魔することにもなる。 <> <> けれど……そう、腹が立ったり、恥ずかしかったりするのは、仕方ないことなのだ。 <> <> 「あーー、もう考えてもしょうがないや。寝ようっ」 <> 明日はキアちゃんはともかく、ファントーに説明に行こうか悩みつつ、ベッドにもぐりこんだ。ラスさんから説明されていなければ、あえて説明しない方がいいのかもしれないし。かといってファントーを驚かせるような事態になったら申し訳ないし。 <> いや、元はと言えば、私のせいではないんだけれど。 <> <> その夜の夢は、着飾った私がしなを作って自分で落ち込む、という情けない物だった。
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宝物は色褪せず |
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ユーニス [ 2006/05/19 2:47:55 ] |
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| ラスさんの手料理と私たちの仕事先からのお土産で、上質のワインを味わう小さな宴会が、十六夜小路のラスさん宅でささやかに開かれた翌日。 ベルギットさんからの丁寧な謝罪の後、彼女からの奢りのケーキをつついていたら、不思議そうに尋ねられた。
「ケーキが美味しいから、ってだけじゃなさそうだし。どうしたの?」
そう言われるほどに、幸せそうな顔をしていたのには理由がある。胸の奥に、昨晩4人で楽しく卓を囲んだ余韻が残っていたのだ。 神殿から帰るカレンさんを待って、一緒に仕事に行ったファントーとお土産話をしながら食事を始めて。何気ない会話や食器の音、笑い声に暖められた空気にすっかり浸っていて。 ふとその光景に懐かしさや安堵を覚えている自分に気付いた。 そして、あの一ヶ月が培った絆を、改めて幸いに思った。
「ふーん、何か奢るって聞いてたけど、ラスの手料理とはね」 「美味しいケーキをご馳走になっているときにごめんなさい。でも、とっても美味しかったんです。もともと何かとご縁はあったんですが、ファントーと組んでから何かとお世話になってばかりで」 実際はそれどころではなく、一ヶ月滞在していたのだけれど。
「あんた、それ他の女に言わない方がいいわよ。ラスに食事に誘われる女は多くても、自宅で手料理を振舞われる女はそんなにはいないんだろうから」 「へ?」 「わかんない?」 「あ、ああ。そうですね、いわれてみれば、お食事をご馳走になるっていったら、普通お宅に伺って作っていただくより、外食が当たり前ですよね」
セシーリカとか、キアちゃんとか、手料理を食べさせてもらえそうな人は他にも結構いる気がするのだけど、その面々は思えば例の一ヶ月も一緒に居た仲間だったのでとりあえず除外した。 「むしろそういう発想のほうが驚くわよ。……ラスのことどう思ってるの?(にま)」 「うーん、信頼できるお兄さんみたいな人、というのが過不足ないかな。ファントーのお師匠さんだってのもありますけど、親しく思えて、先輩でかっこよくて時々意地悪だけど、優しいお兄さんとかそんな感じです。 でもお料理上手だから、ひょっとするとお母さん?(くす)それって異性として見てませんよねー」 「だから”おうちでごはん”なのか。何となく納得したわ。なついてるのね」 「餌付けって信頼関係を築くには一番効果的ですよね〜」
彼女にも餌付けされているかもという疑惑が浮上したり、餌付けという表現は我ながら情けないかもとか少し悩んだけれど、深く考えないことにした。 話はそれで逸れたようで、その後彼女と笑って別れることもできたし。
恋人としてラスさんが私を選ばないことも、私がラスさんを選ばないことも知っているけれど、そんなことは他人に口にすることじゃないし、もっと大切なことがあるから。 裏切りとか、利用とか。 表面的な胸に痛いことよりも、陰日向なく、できる限り私を守ろうとしてくれたその気持ちで、もう充分なのだと思える信頼を揺るがすことなく過ごせたのが、嬉しいのだから。
今回の件は、頭を抱えてしまうような内容だったものの、幸せを再確認させてくれたという意味で、悪くなかったかもしれない。 もちろん、二度と御免ではあるけれど。 |
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夏は去ぬ |
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ユーニス [ 2006/09/14 1:28:44 ] |
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| 夏が駆け足で過ぎ去っていく。
チャ・ザ大祭の剣術大会に出場して3回戦まで勝ち進んだり、失恋してみたり、怪しげな事件の捜査に首を突っ込んでただ働きしてみたりと忙しいことこの上ない夏だった。もしかしたら、喧騒のなかに身をおいて、今日の日のことをあまり考えないようにしていただけなのかもしれないと、杯を傾けながらふと気付いた。
師匠夫妻がカゾフの娘さんの近くで暮らすために、いよいよこの街から旅立つことになったのだ。 チャ・ザの大祭を終えてやや落ち着いた街で、淡々と身辺整理を済ませ。 長旅に向かない老人二人であることから、多少の荷も運んでもらえる船主と交渉もして。
この日のために、師匠宅を出て宿暮らしをするようになったというのに、頭では理解していたのに、寂しさを拭い去ることは出来なかった。
思いかえしてみれば、私がこの街に来てから、涙を見せた相手は師匠夫妻だけではないだろうか。 決して人前で泣かないようにと育てられた私が泣いてしまった相手。 それは自分に向けられた情愛に触れたとき、不覚にも緩んでこぼれ落ちた、思いそのものだった。
二人を見送った後、ぼんやりと思いにふけっていたら、気付けば外は闇に染まっていた。雨音が静かに耳に染み入る。 なんとなく暖かさと人の声の賑やかさが欲しくて、酒場へと足を向けた。
きままに亭では、家出したセシーリカを探しているリデルさんに出会った。 「喧嘩した内容について謝れないことに困っている」リデルさんに自分の寂しさをぶつけるかのように文句をたれて、さっさと探しだして謝れと煽るだけ煽って。 雨の中駆け出していったリデルさんの背中を見送って、人に文句を言うことで少しだけ元気が出た自分を恥じた。
セシーリカの家出先として、まさかとは思ったのだが、ラスさん宅を訪ねる。一緒に暮らした仲じゃないか、と呟いた自分の言葉で思いついたのだが、一応男性3人のお住まいだし、望み薄かと思いきや。
「ああ。いるよ。今は出かけてるみたいだけどな」
セシーリカぁああ! 判らないでもないけど、何で男所帯に転がり込むのよー! ……と叫びだしたいのをこらえてラスさんと話して。
軽く頭を抱えたまま「お互いにガキじゃないんだし、周りが口出しすることじゃない」というラスさんの言葉にどこか同意しきれないままに十六夜小路を後にする。
うーん。 とりあえず彼女が無事なら、いいか。……手放しで無事とは言い切れないんだけど。 |
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孤独という、毒 |
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ユーニス [ 2006/09/19 23:33:08 ] |
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| セシーリカのお見舞いに行ったけれど、かえって体調を悪化させたかもしれない。私のしたことは、自分の恐れを弱ってる彼女にぶつけただけだと気付いて、ひどく情けなくなった。
「……好き、でいいのかな? ラスさんのこと」 そんな風に彼女に聞いて。 「恋仇同士の会話、これ?」 なぜか居合わせたイゾルデさんに聞かれて。
「確かにユーニスちゃんの方が怖がっている様に、ワタシにも見える」 そう告げられた。
何が怖くて、何を知りたかったのかといえば、それはただ、終わってしまうことと、変わってしまうこと。
私の大切な『家族』の想い出が、形をかえてしまうこと。 ほんのひとときの奇蹟のような喜びと幸せだったのに、それを灯火にするのではなく、身勝手な欲で抱え込もうとしていたことに、愕然とした。
私がセシーリカに最初に切り出した話は、私の宿への引越し。比較的安くて綺麗な宿だし、もしセシーリカが今後に不安を抱いているなら、一つの選択肢になるであろうと、彼女を抱き締めながら語りかけた。 彼女のために? 否。わたしのため、だ。
あの日、あのときの幸せにいつまでも縋るのは違うと判っているのに、心が弱れば弱るほど、その想い出に縋ろうとしている自分が、彼女に向かって人のぬくもりやら自立やらを偉そうにも説いて、慰めようとしたことが、どうしようもなく恥ずかしくて哀しい。
どんなに寂しくても、想い出を宝物に歩かなければいけないのは私の方なんだと、おためごかしの言葉が跳ね返るたびに気付かされた。 結果的に、セシーリカは一歩踏み出せたみたいで、全く彼女を傷つけただけという最悪の結果には終わらずに済んだけれど、あの場にイゾルデさんがいてくださって、良かった。本当に良かった。 そうでなかったら、もっと私は自分勝手なことを口にしていたかもしれないから。
セシーリカのところに果物を届けに言ったら、ファントーが出迎えてくれた。セシーリカは今寝ていると言うので、果物を彼に託して帰ろうとすると、リデルさんとキアちゃんが来ていた事を教えてもらった。 「さっきキアが来てたよ。ユーニスにはお菓子あげないもーんとかって言ってるのが聞こえたけどどうしたの?」 その言葉が、かえって嬉しくて、小さな灯火が胸の中にともったような気がしたのは、気のせいではないんだろう。 ちゃんと、明かりはあるし、これからだって見つけていけるはず。 それに、自分自身を灯火にするくらいじゃなければ、きっと生きていけない。 「内緒でお見舞いしちゃったからじゃないかな? お詫びにキアちゃんのところに行って、お夕飯でもご馳走しなきゃだめかもね」 そう言って、笑ってラスさんの家を後にした。
……まだもうすこし、頑張れるかな。 ほんとうにだめになったらエレミアに帰ろうなんて、少しでも思ってしまったら、自分に負けてるってことだよね。 まだもう少し、もっと。がんばろう。 |
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交流神の加護あれかし |
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ユーニス [ 2006/09/27 0:04:51 ] |
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| セシーリカの洗濯物と見舞いの品を持って、ラスさんの家に届けに伺ったら、カレンさんが出迎えてくれた。急にセシーリカが帰宅したと聞かされて、改めてお見舞いの品を持って彼女の家を訪ねる。 晴れて自宅に帰れたことを喜んでいいのだろうと思いながら扉を叩いたのに、出迎えてくれた彼女は泣きはらして赤くなった目を伏せていた。
――好きだといった。 けれど、半妖精同士の恋に対して自分は何も覚悟が無くて。 彼は前の彼女だった半妖精と自分を同じに見ていて。 苦しくて苦しくて、ラスさんの家を飛び出した。
そんな風にぽつぽつと悲しい言葉ばかり呟いて泣き続けるセシーリカを抱きしめながら、私は黒々とした思いに飲まれるのを意識していた。
後悔の深い闇と、嫉妬の暗い炎を自覚する。 特に前者は、ラスさんから以前聞いていたことが念頭にあれば無防備な彼女を傷つけずに済んだかもしれないという深くて胸の奥を凍てつかせるほどの後悔。
「自分は拗ねている」 種族と寿命への思いを、そう吐露した人の思いを汲んでいたならば、彼女を煽るだけ煽って、警告をしないなんてこと、きっとしなかった。何て自分は浅はかなんだろう。
彼女をそっと励ましながら一緒に杯を傾けて、彼女がソファで眠りにつくまで付き合った。途中で帰ってきたリデルさんと二人で、寝室に運んで、このひとときの夢が少しでも穏やかなものであるようにと、精霊に語りかける。 うっすらと涙のあとの残る頬を見つめて、自分が願うのは、この無垢なひとの笑顔だけなのだと、再確認した。 それは贖罪のつもりかと問われれば、否定できない。けれど、心からの願いだ。
セシーリカがラスさんの家に忘れたらしい聖印と、腕輪。 一見して彼女のものとわかるそれを探すために、再度ラスさんの宅を訪れ、本来の部屋の主、カレンさんに探していただいている間に、ラスさんと出会う。探していた品はラスさんが持っていた。
このあとのことは、あまり語りたくない。 ラスさんに言葉の刃を向け、カレンさんを心配させただけの、茶番でしかなかったからだ。ラスさんが覚悟をきめたことを知らずに、自分の感情を爆発させただけ。本当に馬鹿だった。
気付けば、私は交流神の神殿にいて、礼拝堂で膝を付いていた。自分の思いやりのなさ、浅はかさを懺悔し、関わった人たちの幸いを心から祈るために。
慈しみ深く、人の心の機微を司る御方よ。 人の出会いもて幸いもたらす大神よ。 どうか、愚かな私の声をお聞き届けください。
不確定の未来への恐怖よりも、出会い満たしあう喜びを。 手を携え、ひとりでは歩みきれない道を照らしあい、切り開く幸せを。 私が心から愛する人たちに、家族のように想う人たちに、どうかその御手を差し伸べ、導いてください。 ふとしたことですれ違いそうになる、ひとの心が迷わぬように、すこしだけお力添えをお願いいたします。 彼らはきっと、自分達の力でなしとげるでしょうけれど、時にいばらに心を絡め取られることもありましょうから。
ラスさんを責めるばかりで、己の愚かさを棚に上げて、その嫉妬の感情で勝手に怒り、人に言葉の刃を向けた私は、罰せられるべきなのでしょう。けれどどうか、その罰がわたしだけにふりかかるものでありますように。
大切なセシーリカが、大切なラスさんと幸せになりますように。 愛する人々が、どうか幸せでありますように。
彼らに出会えたことを、こころから感謝します。
…………帰り道、馬のおとしものを踏んでしまったのが神罰だったのかは、神のみぞ知る。 |
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愛について愚考す |
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ユーニス [ 2006/10/21 21:50:21 ] |
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| 「私は、ラスさんを愛してるんだから。同じように、セシーリカを、カレンさんを」 セシーリカをラスさんが泣かせた件で頭に来た私。 半ば怒鳴り込んでこんな風に言い放った上、泣いてしまった自分がひどく恥ずかしい。喧嘩している相手に向ける言葉としては最低かもしれない。人前で泣き出すとは、どういう了見ですか、私。 涙と怒声の強力なハーモニーは、聞かせた相手に嫌悪感をばっちり与えたに違いない。
それにしてもまあ、なんと傲慢で脈絡のない言葉だろう。 刃を向けそうになったことを心から詫び、家族のように愛していると伝えればいいだけなのに。 あの時心にあったのは、思いやりでも慈愛でも、ましてや恋愛感情でもなく、ただの自己愛だったのだと、今にして思う。
今年の春、家族のように過ごした5人――ラスさん、カレンさん、キアちゃん、セシーリカ、ファントー。 いつの間にか皆のことを、ただの冒険者仲間とか先輩だなどと思えなくなっていた。家族に向けるような愛情を抱いてしまった。 それなのに、その一人だけに執着して、他のもう一人に心の刃を向けた私は、ひたすら馬鹿だ。 「愛してる」なんて口にしておいて、一番愛が足りなかったのはきっと私だ。
シエラさんからは時折手紙が届く。日々の暮らしの中で少しずつお金を貯めては、冒険者などに託してこちらに近況を知らせてくれるのだ。 手紙が届くたびにファントーは大喜びでリンド=フラムの成長に一喜一憂している。そろそろ立つかな、歩くかな、とまだ一歳にならないというのに遠く離れた親子のように気にかけて、慈しんでいる。
愛って、きっとこういうのだよね。私みたいに暴走するのは……ちょっと……いやかなり……違う気が。
メノナス島への出発直前に、セシーリカから手紙が届いた。出発準備で忙しくてすれ違ってばかりいたから、結果だけでも教えてくれようとしたのだろう。手紙の内容は、とても簡潔だった。 彼女の想いが伝わったこと、ラスさんがふたたび誰かを愛する想いを抱けたこと、それら全て嬉しかった。
さあ、頑張ってお仕事してこよう。 |
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越えるべき場所へ(修正) |
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ユーニス [ 2006/10/26 1:15:20 ] |
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| 仕事に赴いた孤島で、思いがけずベヒモスに出会った。 決してのどかな出会いではなかったけれど、私は精霊の王たちのひとりに出会ってしまったのだ。 圧倒的な存在感と溢れる力の奔流。場を支配するその存在に触れて、私は再び精霊使いへの道を歩みたいと思い始めてしまった。
今回その島へ赴いたメンバーは依頼人と、衛視のワーレンさん、キアちゃん、ファントーに私。その中で精霊使いとしての感覚で捉えられるのは二人だけ。ファントーは私よりも精霊使いとしての腕が上である分、きっとキツイこともあったのだろうと思う。それでも弱音を吐かずに相対していた。そんな彼に、正直なところ尊敬の念すら抱いた。 帰ってきてから酒場でお会いしたラスさん曰く「ファントーは純粋に喜んでたし、感動もしてた。修行にも熱が入るようになるだろう」との印象のようだ。 それを耳にして、ああやはり、と思った。とても彼らしいと。同時に嫉妬の念を覚えて動揺した。 またやきもちを焼いているのか私は。そう思ったら情けなくてならなかった。
ラスさんは、彼のように純粋には喜べないであろう私を気にかけていてくれる。本当にいつだって思いやりのある優しい人だと思う。けれどこんな風に嫉妬したり暗い気持ちに揺らいだり、自分のありように悩んでいるのでは、その思いやりを受けるに相応しいのか甚だ疑問に思えてくる。 自分で決めて選んだ道に迷う私に、 「せっかく吹っ切ってたのを俺が思い出させたみたいだな。わりぃ」とまで気遣ってくださって、恥ずかしいくらいだった。
どこへ行くのか、それを決めるのは自分。 出会うたびに迷い、苦しんで。出会えることを喜んで。 それでも選択のときは来る。選ばずに曖昧にしたまま生きられたらなんて、生き残るためにはちょっと甘すぎる夢をふと抱いて、また自己嫌悪に陥ってみる。
大人しく胸に収まってくれない思いを抱えたまま、鍛錬の後に公園でぼんやりしていたら、カレンさんと偶然出会えた。調べ物の結果を取りに行く途中だという話から、遺跡に行く気はあるか、と尋ねられた。 もしかしたらカレンさんやラスさんたちと一緒に遺跡に挑めるかもしれない喜びも、自分の立場の曖昧さで打ち消されてしまいそうになる。 カレンさんは交流神の神官さんらしく、包み込むように優しく諭して、背中を押してくださった。 一歩目を踏み出す勇気がでたなら、あとは自分の胸の中にくすぶるものと戦うための力を見つければいい、そう思わせてくれた。
……来月の宿代は前払いした。 カレンさんとラスさんには、遠出するので遺跡の件に間に合わなければ今回は遠慮する、という内容の手紙を書いた。お誘いに心から感謝している、とも。仕事のお誘いに対して手紙で済ませるのは失礼だっただろうか。 ファントーとキアちゃんに対しても「エストンまで行って来る。来月中には帰る」と手紙を書いた。ファントーへの手紙には「もし帰ってしまうのだとして、その日に間に合わなかったらごめんね」と付け足すか悩んで……結局やめた。 もしも彼が山に帰ることを選んで、その出発に間に合わなかったなら、会えない可能性もあるけれど、彼の集落に自分からちゃんとお別れを言いに行こう。そんな簡単な言葉でお別れできるほど、軽くは思えないから。 会えないときのために書いたこれらの手紙は、4通とも役に立ちそうだった。その日訪ねて歩いた4人には、ことごとく会うことが出来なかったから。 仕方ないので、十六夜小路の家に3通、きままに亭に1通――これはキアちゃんの分――届けて、北門に向けて歩き出す。 水臭いといわれるだろうか。 きちんと挨拶してからいけと怒られるだろうか。 手紙で済ませられることに安堵している自分にも気付いている。 これ以上嫌な自分を大切な人たちに見せたくないだけなのだとも。 逃げているだけと言われても、今はこれ以上誰かに刃を振るってしまうかもしれない自分がひたすら厭わしい。 ごめんなさい。ちゃんと、清算して戻ってきますから。
「……さてと、塩も買い込んだし。行きますか」 目指すはエストン南嶺。 自分の弱さと向き合うため、心を鍛えるため、山に篭って修行してきます。 |
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心の鞘 |
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ユーニス [ 2006/11/28 1:40:50 ] |
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| 修行にでかけていたエストンから帰宅して、三日目。 部屋の整理を終えて決意を固めた私は、いつもの小剣とエストン土産の新酒を手に部屋を出た。
詫びても死んでもすまないこと。 己の心の中で見いだしたものが正しいかなんて、愚かな私にはわからないけれど、けじめをつけるためにラスさんの十六夜小路の家を訪ねたのだ。
あの日、言い争いの場で、しかも人の家の中で剣に触れた自分はひたすらに愚かだった。狂犬のように己の勝手な激情をぶつけた姿は浅はかだった。 一人で嘆いて悲しんで怒って。 たとえばどんなに自分の想いが深かろうとも強かろうともそれがなんだというのだろう。 してはならないことをする理由にも言い訳にも、なりはしない。
心のよどみを見つめて向き合った果てに見つけた、私に出来ることは、最初からわかっていたことだけ。 つまるところ、自分を責め厭うよりも、今は心からのお詫びを伝えて、己に出来ることをしようということだ。 剣を折るに値する過ちを犯したこの身がどう処せられようとも、たとえ万が一、伝えた末にラスさんが私の命を要求しようとも、恐れることはない。 恐れ厭うべきは、勝手に死んで負うべきものを投げ出すことの方だ。
ラスさんの前に膝を付き、感謝とお詫びを伝える。 一緒に居たカレンさんにも、相棒の前で刃に触れたことを詫びる。 彼らの場所に踏み込んで、勝手な振る舞いをしたことを含めて、ただひたすらに許しを請う。
そんな私の言葉を、ラスさんとカレンさんは受け止めてくださり、さらに未来を示してくれた。愚かな私には充分すぎる応えだった。
「おまえ自身、もう二度としないと決めたんだろ? だったらそう戒めて、これから先、自分が剣を使い続けていられるかどうか。それは自分自身に問うんだな」 「二度はないぞ。それだけだ。……言ってる意味はわかるな?」
「その剣を戒めにすることだ。手放してはいけない。それを見て、その度に自分自身に問えばいい。”鞘は大丈夫か?”ってね」
彼らの温情(と呼ぶべきだろう。人が何と言おうとも)と判断への感謝は、この身をもって示さなければならない。 戒めは心に刻み続けていこう、どんなに苦しくとも。
宿に戻り、剣帯をといて小剣を鞘から抜く。 数年前の冬、請われたとはいえ仲間を初めて殺した刃が、呼び出した光霊のあえかな光をうけて輝く。刀身に曇りはない。
その刃こそが命の重みを伝える一生の宝であり、背負うべきもの重さを教えるものであったはずなのに、それを大切な人に向けた自分は何も学ばず、何も身につけることなくここまで来たのだと恥じずにはいられない。
静かに刀身を鞘に収め、胸に抱く。 心の抜き身の刃を収める鞘を鍛えることが、これからの私に必要だ。 剣の腕よりも、精霊に伸ばす指よりも。 それを常に意識させる実体のある品としても、この小剣は私にとってかけがえのない品になってしまった。強い刃を受けるには頼りないけれど、この剣と鞘を、私はずっと大切にしていこう。
それにしても。 滞在先のエストンの村で、居合わせた冒険者や狩人たちとトラ退治に出かけたときに、うっかり喜びの野に行きかけたのだけれど、生きて帰れてほんとうによかった。 お蔭で大幅に帰るのが遅れたけれど、そもそもあの時死んでいたら、謝れないままだったのだから、嫁入り前なのに傷が増えてしまったのはこの際よしとしよう。 「結婚の予定もないし、気にする必要ないか」 ……自分の呟きがもたらす痛みなど、これから一生抱えるものに比べたら、どうということはないし。うん。 |
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約束を果たしに |
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ユーニス [ 2006/12/31 1:16:49 ] |
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| 【11の月、月末】
「ずーっとファントーに預かってもらってたんよ。ホントにもー」 「キアが3人で見るんだ、っていうからそのままにしてたってだけだよ」
メノナス島から帰還した後、フルバフさんからワーレンさんを通じて渡された追加報酬が、私たちの目の前にある。音と手触りから察するに、中身はどうも羊皮紙と、硬い何かが三つほど。 先に二人が中身を手にしていても全然構わなかったのに、山に篭った私が街に帰ってくる日をずっと待っていてくれたことが申し訳なく、また嬉しかった。
「んじゃ、開けるんよー」
待ちかねた様子でいそいそと袋の紐を解いたキアちゃんがまず羊皮紙を、ついで三つの光沢ある何かを取り出す。彼女が摘み上げたそれは、ガメル硬貨より少し大振りの、素朴なメダルに見えた。 ファントーも一つを手にとり、窓から差し込む光にかざして眺める。 「銀みたいだけど、随分古そうな感じだね」
一緒に入っていた羊皮紙を広げると、そこには見覚えのある文字が数行並んでいた。物騒な置手紙の時とは違い、穏やかな、けれど彼らしい癖のある筆跡に何となく安堵する。
なんて書いてあるの? とメダルを手にしたまま尋ねて来る二人に私は手紙を読み聞かせた。
手紙によれば、これらのメダルはメノナスで採掘されたごく初期の鉱石を、仲間の岩妖精が細工したものだという。もとは採掘事務所にあったタペストリーの風鎮代わりだったという。
「銀を使うなんて、随分贅沢なんだねー」 「王様や領主様から預かったとか、そういう大事なタペストリーだったのかもね。その島で取れた銀で飾るくらいだし」 「どっちかってゆーと、房飾りとかそんなん?」 「かもね」
メダルは一枚ずつ模様が異なり、それぞれ花と魚と鳥が刻まれていた。 メノナスの野を染めた小さな花、上空で魚を狙う鳥、しばしば夕食の材料になった魚など、記憶を辿れば見覚えのある図柄ばかりだった。 細工した岩妖精の想いが、ちいさな金属を通して伝わるような、素朴だけれど丁寧な細工の施された品だった。
もらっちゃっていいのかなぁと呟く私に、フルバフの気持ちなんだから、とファントーが笑う。 そうだよ、とキアちゃんも笑う。 私も笑い返してメダルを分け合い、3人でひとしきり島でのことを懐かしんだ。
【12の月 上旬】 カレンさんに約束していた外套が縫いあがったのでお届けしたら、ラスさんが入院していると聞かされた。 「トレル先生のところですか? どんな具合ですか?」 「ああ、違う。マーファ神殿の施療院だよ。療養していれば大丈夫だと思う。ただほら、おとなしい患者じゃないから」 「あはは……あー、うん。よろしくお伝えください。ちょっと慌しくてお見舞いに丁度いい時間にいけそうにないので」 「判った。伝えておくよ。外套、どうもありがとう」 「いえ、寒くなってしまってからでごめんなさい」
幸いなことに、どうやら気に入ってくださったらしい。 黒の表地と合わせた時、色が浮かないような裏地をつけて、暖かくしたのもよかったようだ。本当に寒がりの人にとっては、いくら手を尽くしても足りないのかもしれないけれど。
それにしても、ラスさんの入院先がよりにもよってセシーリカの勤め先、マーファ神殿の施療院とは。 カレンさんにはああ言ったものの、お見舞いにいけないほど忙しい訳ではない。 「これくらいの嘘……ううん、誇張はチャ・ザ様許して下さるといいなぁ」
とりあえず、恋人達の事情をかんがみて、母神はお許しくださるはず。多分。 光の神々に祈りを捧げ、私は帰途に着いた。
陽光は弱弱しく地を照らし、過ぎ越しの祭りが近づいているのを示唆していた。 |
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たからものを、胸に。 |
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ユーニス [ 2008/08/03 1:15:33 ] |
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| チャ・ザ様の大祭が始まった。オラン屈指の大イベントは、普段から賑やかな街をより一層華やかに彩っている。 この街に来たのが6年前の秋。思えばもう何度もこの祭りを楽しんできたことになる。 毎年毎年、友人たちと祭りに参加してきた。ある年は大食い選手権に出場する友人の応援をし、またある年は自分が武術大会に出て。あるいは仮装する友人を冷やかしたり、涼しいところにみんな集って宴会をしてみたり。 楽しくて幸せで、さすが交流神さまのお祭りなればこそだと、その喜びをかみしめていた。
今年、一緒にその祭りを楽しむ約束をしていた人とは、二度と会えなくなってしまったけれど、それもまた、交流の中のひとつのめぐりあわせなんだろうか。
一緒に何度か仕事をして、何度も飲んで食べて笑って喧嘩して。 それがきっかけで初めてお付き合いなるものをして、友人、ではない誰かとともに歩くことが面映ゆくて、けれどとても豊かな幸せなのだと知った。
この仕事が終わると少しまとまったお金が入るから、お祭り期間はゆっくり一緒に楽しもうか、なんて言ってでかける姿に、じゃあ飲み放題に行こうねなんて色気のない返事をして笑われて、笑い返して手を振ったのが最後。 戻るはずの期日を過ぎたある日、愛用の剣帯に付けていた小さな孔雀石の飾り物だけが、私の所に戻ってきた。今それは私の剣帯を飾っている。
お祭りに帯剣姿は似つかわしくないので、とりあえず飾りにひもを通して首から下げてみた。思いのほかおさまりが良かったので、そのまま出かけることにする。 外はよく晴れて目がくらむほどの日差し。 誰もが浮かれて街を歩くなか、ひとりだけ沈んだ顔をしているくらいなら、部屋に閉じこもっていればいい。 彼と一緒に楽しめる日は、二度とめぐり来ない。二人が交わした約束は果たせなかった。 けれど、ひとりでも私は街に出かけよう。笑顔を好きだと言ってくれた人が安心して喜びの野で飲んだくれていられるように。 彼が大好きだと言っていたこの街に骨を埋める覚悟で、生きていくと決めたから、これからもこの街とともにあろう。この街を愛していこう。
友人の一人が屋台で焼きたての串にかぶりついているのを見かけた。 すかさず声をかけて、久々に街に戻ってきたらしい彼女と世間話をしながら私も串を手に取る。冗談を言って笑って、美味しいものを食べる、ささやかなそれを楽しいと思えることを幸いに感じる。私はちゃんと、幸せを感じることができる。この瞬間はなんて素敵でいとしいのだろう。 愛せるものに出会えたそのめぐりあわせに感謝して、今年のこの祭りを楽しもうと思う。 夏が、盛りを迎える。生命が躍動するこの季節に、私は生きてここにいて、たくさんのめぐりあわせの中にある。それがいずれ去りゆき、別れゆくものであっても、出会いと絆を愛おしみ、抱きしめていこう。 これからもずっと。 |
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