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日々の徒然を
アル [ 2004/08/09 21:36:24 ]
 冒険者を名乗る様になって一月。
様々な人と出会い、数多くの会話を重ねてきた。

もっとも相手をしてくれた人々が経験してきた交流に比べれば、ボクなど、まだまだだろう。
だが、そんな数少ない経験の中でも心に残る交流、憶えておくべき教訓、忘れたくない想いは存在する。
遅まきながらそれらを書き留め、明日への糧とするべく筆をとった。

日記と呼べるほど日時や順序に従順ではありえないから、備忘録とでも名付けた方が良いだろうが、ともかく徒然なるままに日々を書き残そう。
願わくは、これが新たな知識への扉とならんことを。そして、より良き交流への掛け橋とならんことを。
ボクの信ずる知識神ラーダと交流の神チャ・ザの御名において。
 
“魔力無きエルメス”
アル [ 2004/08/09 21:42:21 ]
 魔力は万能なり……なれど全能では有り得ず

現代の魔術師が言ったとしても謙虚な価値観だと多少の驚きを含めて感心されるだろう。
だが、少なくともボクが話題にしようとしている発言者は、現代の魔術師ではない。
魔力至上主義とも言われる古代王国期、その時代の中にあって、自らもまた魔術師としての素養を持ちながら、このような発言を残した人物……それが“魔力無きエルメス”なのだ。

ボクが最初に彼の人物について知ったのは、“きままに亭”のマスターに教えられて、である。
古代王国期は何をするにも魔法を用いて安易に成果を得る傾向があった。
そんな風潮を可とせず、自ら魔力を封印して自身の手だけを頼りに楽器を作った人物だという。
マスターは、そんな生きざまに共感を憶え、彼の人が残した楽器や弟子たちが書き残した書物などを収集していると言っていた。

確かに魅力的な人物だ。自らに試練を課し生涯努力をし続ける生き方、自力で魔力を上回ろうという向上心、どちらも分野をこえて見習うべきだろう。
だが、彼の人がそう思うに至った理由とは何であったのか? ボクの好奇心は、そこに興味を抱いた。

残念な事にマスターの蔵書を拝見させて欲しいという申し出は、自身が読み解いていないのでと断わられ、ボクが彼の人物に関する書物を見つけて来た時にと交換条件付で約束を取り付けるのがやっとだった。無論、師にも蔵書内に彼の人物について記された物が無いかは尋ねた。だが、古代王国期の評価が異端魔術師の楽器職人という程度に終わっていた人物について魔術師である師が書物を収集している道理も無く、結局、ボクは彼の人物について探究するために手探りながら自力で調査を開始するしかなくなったのである。

だが、それで良かったのだ。
その姿勢こそ“魔力無きエルメス”の求めた所であり、マスターや弟子たちを引き付けて止まない彼の人の美徳なのだから。なんの努力もせずに蔵書を拝見させて欲しいなどと申し出たのは、その美徳を否定してしまうような物だったろう。ボクはマスターの話に感銘を受けながら、その深い所をまったく理解できていなかったようだ。呆れられても仕方ない所を笑って交換条件という形でボクを導いてくれたマスター。冒険者の先輩として見守ってくれているのだろう彼に同じ落胆を感じさせぬよう、この探究に全力を尽くすとしよう。

とは言え、まったく手がかりがないのでは、調べようがない。
そもそも、どの時代に生きていた人物なのかさえボクは知らないのだ。書物に当たろうにもそれでは大海で1滴のワインを探すような物だろう。やむなくボクは楽器という観点から彼の人物を知る人を探そうと思った。幸い、チャ・ザ大祭の期間であり、街には詩人や楽師が溢れている。同業の彼らに稼ぎを邪魔しない範囲で聞いて回ることにし、代償として自作の詩を教えることにした。これならば、ボクの努力との交換である。ボクだけの、で無い事は心苦しく感じるが、金銭で取引をするのは何となく意義に反する気がしたのだ。

この成果をマスターに告げられる日、その時こそボクの賢者としての成長を証明できる日となるだろう。
 
剣に生き
アル [ 2004/08/09 22:24:06 ]
 その日、ボクは師のお宅に伺う前に街外れの草原へと訪れた。
剣を教えてくれているアスリーフさんを求めての事である。

彼とはボクが冒険者となった最初の夜に出会った。
一般人と大差ない姿で初めて冒険者の店“きままに亭”に訪れた夜である。
彼は若いながらも熟練の冒険者だった。年上ながら頼りない新米のボクに優しい言葉をかけ、門出を祝ってくれたのも彼だ。翌日から剣の稽古をつけてくれているだけでなく、ボクの最初の仕事にも色々と助力を授けてくれた。
ボクにとっては頭の上がらない恩人の一人と言える。

ボクは最初の晩に約束した通り、仕事の報酬で彼に奢ることができた。
だが、それだけでは恩を返しきれたとは思えない。それだけにボクは大祭の武術大会に参加するという彼の練習台になれればと思ったのだ。

ボクの見る彼は、優しくも厳しい教官であり、公明正大な戦士である。
だが、彼は言った。
「本来おれは、そんなにきれいな戦い方をするほうじゃないし」
その言葉の意味する真の所はボクには分からない。少なくともボクの思い描く“汚い戦い方”と“アスリーフさん”とは、けして交わる事のない存在だからだ。それでも彼の曖昧な微笑みを思い出すと剣に生きる事の奥深さや陰惨さを思わずにはいられない。

剣を手にするという事は、その剣の前に立つ敵を傷つける事も厭わないという事でもあるのだろう。ボクは自衛の為と剣を学んでいる。敵が眼前に迫った時、躊躇無く振るえるか、それは今のボクには分からなかった。

別の日にアスリーフさん自身が言っていた事を思い出す。
事件の際、黒幕に操られた少女を殺める決意があったと、確かに彼はそう言っていた。

恐らく今のボクには、そう決断できるだけの勇気がない。
剣に専心すれば、それなりの使い手になれるだろうと励ましてくれた彼には申し訳ないが、戦士には技術以上に心構えが必要なのだろうと思う。ボクには、その心構えを持つだけの自信がない。だから、彼に憧れるのだ。

年下の青年に憧れを抱くというのも中々に可笑しな話だが、ボクには出来そうもない生き方を実践している、その事だけでも賞賛に値する。
願わくは、彼との稽古を通じて、ボクの中にも彼のような不断の決意が宿るように。
煌く刀身のように真直ぐな、何者にも屈しない心構えが備わるように。
 
水を語る者
アル [ 2004/08/10 1:04:53 ]
 その日、ボクは、いつものように“きままに亭”のカウンターへ足を運んだ。
お気に入りの“林檎水”を注文しながら、すぐ前に席に着いたらしい老人に同席許可を得ようと話かけたのである。
思えば、それが感慨深い会話への序曲だった。

彼はオウフォーという古き言葉で“世界”を意味する名を持った老人である。
彼と共に言の葉と杯を交わすうち、コアンという少年と見紛うばかりの闊達な少女がやってきた。彼女は天下一の武闘家を目指し修練を重ねているという。
言ってみれば、ボクやオウフォーさんとは違う戦う人なのだ。その名は東方の言葉で“光”を意味する。彼女は、その名に恥じない明るさと聡明さを兼ね備えた女性であった。

その二人と共にボクは、「水」について語る。
無味無臭・毒にも薬にもならない存在……愚かしくも浅慮なボクは「水」をそう評した。あんなにも話題に富んだ存在をである。ボクらは「水」に関する話題を中心に夜遅くまで会話を楽しめたのだ。

「水」百の年月の雫として岩を穿ち割る。命を育む母なる存在でありながら、荒れ狂えば全てを包む大波となり、命を奪うことさえある。そう語ったオウフォーさん。
無味無臭なれば、千変万化、毒にも薬にもしようがある。或は「純粋」すぎるが故に存在自体が毒となるやもしれぬ貪欲な存在。そう評したのはコアンさん。

その言葉に導かれ思いだすは“ガラムリの一滴”だった。古代王国期に絶大な魔力を持って水を統べ、奴隷たちを支配するために、その水を取り上げた魔術師。彼の者が砂漠での旅中に力尽き、一滴の水を求めるが、それは彼の良心と同じく存在しない物だったという教訓的逸話。

だが、その話を持ち出した時にオウフォーさんから返ってきたのは“水語りのガラムリ”というボクの知らない人物の話だったのである。彼の人は「水一滴を一己の人間とすると岩は知識を秘めし世界だと考えられる。それだけに世界を知るには独りでは不可能だが、後に続く者がいる限り何れは岩が割れる」と教えるという。

同名の別人であるのか、同じ人物の別の側面であるのか、それは分からない。
だが「水」が千変万化であるように、歴史の大河に埋もれた逸話も本流から枝分かれ、様々な特質をボクらに見せる事だけは確かだろう。

絶えず変化を続けながら優しく静かに人々の営みを見据える「水」
ボクも「水」の様に湧き出る知識を兼ね備えながら、絶えず成長を続ける存在でありたい、そう思った夕べだった。
 
旅路
アル [ 2004/08/13 6:58:31 ]
 八の月も半ばに差し掛かろうかという某日。
宿泊している宿での演奏とその代価である遅い夕食を終え、いつもの様に“きままに亭”にお邪魔した。

その日は、先輩賢者のホッパーさんと初めてお会いする『グロザムルの“緑と風”の部族、巫候補の“リリウム”エルストリード』さんと話しをした。
そういえば、“リリウム”が何を意味する言葉なのかは、うっかりと聞きそびれてしまったっけ。

ともかく、見慣れぬ衣装を身に纏ったエルスリードさんは、グロザムル山脈からオランにいらしてるらしく、その言動の一つ一つが、ボクのような街に暮らす脆弱な人間とは違って感じられた。なんというか……そう、まるで大自然とともにある様な懐の深さを感じさせる人だったのである。

彼にオランまでの道中について軽く聞くと「風習の違いに驚くことは多かったが、なかなか良い旅路だったぞ」とのこと。
そう言える度量こそ、彼が自然体のまま歩んで来られた証のように感じた。
ボクもエレミアへの旅を終えた後、彼のように「良い旅路だった」と思えるような旅をしたい。そう思った。

予断ながら、ホッパーさんとエルスリードさんの会話によると、ホッパーさんとしては『準優勝のちょっと控えめな、お姉さんが“・・・”』で『見せないから“・・・”』なのだそうだ。
冒険者としては、彼の方が先輩だが、なんとなく『若さ』を感じる会話であり“冒険者でない一面”を感じたのである。
冒険者でない普通の部分……“人生”についてなら、ボクが彼に教えてあげられる事があるかもしれない、とそう思った。

思えば人生もまた旅である。
「終えるその時に『いい旅路だった』と思えるよう生きたい」
数日前にもクレフェさんに対してそんな偉そうな事を言ったが、やっぱり、それが人生の目標なんだと再認識した。
 
不安と希望と色事と
アル [ 2004/08/14 4:20:44 ]
 着実に知人が増えていくのも“きままに亭”が、そこにあるから……。

ということで、その日も新たな知人を得た。
傭兵のサイカさんと草原妖精のキアさんである。
愛用しているマントが古くなり、穴が開いてしまったので、修繕を依頼するためにオランに立ち寄ったというサイカさんに対し、キアさんはオランに住み暮らしているらしい。
彼女はワーレンさんのことも聞き及んでいる風だったから、もしかしたら、ボクの知っている草原妖精の人などとも繋がりがあるのかもしれない。

それにしてもワーレンさんは顔が広い。
すれ違いのようになってしまったキャナルさんの事も知ってたようだし、ボクなんかより、ずっと有名なんじゃないだろうか。あるいは、類は友を……。
……どうも彼に対しては言動が子供時代の悪ガキだった頃に戻りがちだ。なんとなくダリルを思い出させるからだろうか。

そうそう。キャナルさんとも会ったのだ。
なかなかお目にかかった事のないタイプのファリス神官で、その日で二回目だったにも関わらず、あまり、ゆっくりと会話をしていない。なんとなくタイミングが悪い自分を恨めしく思いながら、彼女が出て行くのを見送ったっけ。

ボクは旅に出るかもしれないとワーレンさんに報告した。
そして忠告を受けたのだ。復讐に気をつけろと。
サイカさんも護衛を雇うか深入りしないよう西へは行かない方が無難だと言ってくれた。

正直、ボクをそこまでつけ狙っている可能性は予想していなかった。

裏通りを歩かない。人通りの絶えた道は避ける。
皆に言われて気をつけ、事件直後は“きままに亭”に足を運ぶのも止めてたほどだ。でもボクには何の変化も無かった。大祭も過ぎ、ボクの中で事件は過去の物となっていった。

だが、忠告には従った方が長生きできるだろう。
幸いジャニスさんに良いアイデアをもらった。師に相談して単独の旅にならないような方法を考えよう。せっかく詩人仲間から“魔力なきエルメス”に詳しい人物がエレミアの楽器ギルドにいると聞いたのだから、この機会を逃したくはない。訪ねて行って、マスターに報告できるような情報を仕入れられれば……。

さて、もう一つの忠告だが。
どうも言動のせいか歳より幼く見られているようだ。
まあ、商家の跡取り息子でこの歳まで結婚もしていない人間の立場を経験した人などいないだろうから、仕方ないと言えばそれまでだけど……。

ひょっとして、商売女を買った経験がないと思われているのだろうか。
 
昆虫と精霊と宣言と
アル [ 2004/08/18 2:27:33 ]
 エレミアへの旅が仕事として形を取り始めたある日。
ボクはいつものように“きままに亭”を訪れた。

久しぶりに半妖精のラスさんに出会い、傭兵のサイカさんとともに会話をする。

冒険者たちの食生活についての話だ。
虫や蜥蜴なんかを食べるのは正直なところ遠慮したいと思う。でも食べてみたら美味しいかもしれない。そう思ったのは、サイカさんが帰ったあとで、ラスさんが言っていた精霊に関する話を聞いた時だ。

「修行してみて初めて自分の才に気付く奴もいる」
「精霊の世界を知れば、自分の世界が変わる。もしもそんな体験が出来るとしたらちょっと面白そうだろ?」

その言葉は、虫を食べる事にも流用できるんじゃないだろうか。

「食べてみて初めて自分の嗜好に気付く奴もいる」
「ゲテモノの世界を知れば、自分の世界が変わる」

ふむ。なんでも挑戦してみるのが、冒険者だ。
エレミアに着いたら、変わった食材に挑むのも良いかもしれない。
そして、美味しかったらラスさんにも教えてあげよう。お土産として持ってくると沈められそうだから、教えてあげるだけ。
あ、サイカさんになら、お土産として持ってきても良いかな。非常食として使って下さいと……。

彼に偉そうに宣言してしまった手前、今日は早めに寝るとしよう。
明日もいっぱい届け物を集めて、しっかりと整理しないといけないから。
 
忙しさにかまけて
アル [ 2004/08/24 9:15:34 ]
 せっかく書き始めた備忘録なのに、出立準備に追われてすっかりと筆が止まっていた。
のみならず、出会った人とその日の話題を書き留めたメモの一部を紛失する。
我ながら、間抜けなことだ。
どうやら荷物と依頼人をメモした羊皮紙を整理した際に一緒に捨ててしまったらしい。

しょうがないので、これ以上、記憶が風化しない内に憶えている範囲で記述しよう。

・・・

同行者を得た日。
その日は確か、昼にも“きままに亭”にお邪魔した。昼食を取りながらリストの整理をしていたように思う。
そして、その晩、時間がないながらも再度お邪魔した。寝酒を飲もうと思っての事だったろう。そこで、ホッパーさん、リディアスさんに会う。そして、サイカさんとスピカさんが、お見えになった。

サイカさんが、ワーレンさんから受けた仕事を無事終えられ、ボクの仕事に人が集まると良いねと言ってくれた事。
リディアスさんが、ボクの旅に同行して下さることになった事。
ホッパーさんも考えておくと言ってくれた事。
そして、スピカさんが、ボクの歌を褒めてくれた事。短時間だったけど、嬉しい事ばかりの夜だった。

・・・

年上に囲まれた日。
その日はオウフォーさんとマスターと初めてお会いするイルランさんと会話をした。実はボクより年下の人がいない夜って初めてだったんじゃなかろうか。
勿論、他の皆さんだって、冒険者としてはボクなんかより、ずっと先輩だ。でも実年齢的には若い方が多かったので、なんとなく新鮮に感じる。
マスターとイルランさんの交わす様々な会話は熟練冒険者としてだけでなく、人生の円熟期を迎えた先輩の物として非常に興味深く拝聴させてもらった。
無論、オウフォーさんは、さらに先輩である。些か褒められ過ぎなように思い恐縮する場面も多いが、彼の知識と紡ぐ言葉は、そのすべてが貴重に思える。

・・・

はぁ。結局、手持ちのメモと記憶だけじゃ、この程度の事しか書けないな。やっぱり、ちゃんとその日の内に記述をしておくんだった。

『忙しい』とは『心』を『亡くす』ことだと誰かが言っていたのを思い出す。出立までの数日、せっかく知り合った人々の心を失わないよう、一日一日の出会いを大切にしようと再度、決意したのである。
 
火付け・盗賊・改めて
アル [ 2004/08/24 9:51:10 ]
 ……あとで読み返した時に分かり易いタイトルをと思って付けたんだけど、なんか変な感じだ。
まあ、ともかく、そんな話である。

その日、いつもの様に“きままに亭”へお邪魔した。
普段、店員さんとしか呼んでいなかった方の(一人の)お名前を初めて聞く。なんとなく、自己紹介をするような流れになったのである。
流麗な語りと慇懃な所作のその方はハリートさんというお名前だった。
互いに自己紹介を終え、会話する。すぐに旅立つボクだけど、彼は帰還を待っていてくれると言っていたのだ。だから、ボクはマスターに頼まれた仕事を成し遂げて必ず戻ろうと決意する。
ということで、これが「改めて」。よろしくお願いしますと言ったのである。

「盗賊」
ハリートさんとの会話中にソフィさんが来た。
ボクを助けてくれたルクスさんの奥さんで、元気で明るい草妖精さんである。ゆっくりお話しするのは、ほぼ初めてだったけど、いやはやお二人の幸せな結婚生活について、惚気られてしまっただけのような気もする。まあ、幸せなのは、良いことだ。楽しければ、なお良いだろう。だから、二人にはちょっと敵わないと思ったのだ。

そして、また新しい知り合いができる。ルクスさんの相棒でもあるというキルシュさんだ。でも草妖精さんにしては、落ち着いた感じの人というのが印象である。まあ、ルクスさんもだけど、キルシュさんは話しぶりだけを聞いていると人間の(それも経験豊かな)盗賊だと言われても疑わないかもしれない。それくらい落ち着いているのだ。
やっぱり、人それぞれなんだと強く思ったものである。エレミアへ行く前に先入観を捨てろという神の思し召しだろうか。

そして「火付け」
今日は夕べ買い揃えた品の中から火口箱を持って、いつもアスリーフさんに稽古を付けてもらっている草原へ行った。
ソフィさんの助言ではないけど、練習しておかないと不安だったのである。
人通りから外れ、一心不乱に持ってきた薪に火を起こそうと悪戦苦闘してるボクに背後から声がかかった。

「捕まるぞ」

確かにいくら白昼とはいえ、火付けの練習である。
見咎められれば、その可能性も無いことは無いだろう。ボクはドキッとして声の主を振り返る。
そこには、ルクスさんが立っていた。「一杯奢ると伝えてください」という伝言をソフィさんから聞き、ボクを探してくれたらしいのだ。

「下手っぴ」

容赦なく言われる言葉に思わず怯む。

「二杯奢ってくれるってんなら、教えてやらんこともないぞ」

そう言いながら街に戻るルクスさんをボクは慌てて追うのだった。

やっぱり、知人が増えるのは良いもんだと思った日である。
 
仲間
アル [ 2004/08/25 4:28:18 ]
 同行者が増えた。
エレミアへの旅である。
判断を保留していたアスリーフさんが、その日正式に参加を表明してくれた。

彼とは、冒険者になった初めの日からの付き合いである。
同行してもらえるのは、嬉しいし、ありがたい事だ。それに東方語を教えて差し上げる約束もして、恩を少しだけでも返せそうなのも嬉しい。ボクが興味を持って写本を作った東方語の「ムディール剣術指南」がその教本となる。

「興味あるものとは言え、よく写本なんてする気になるよねぇ。
 アレだけの文字が目の前に立ちはだかったら、おれはそれこそ逃げ出すね」

そう言って、アスリーフさんは笑っていた。どうやら机に噛り付いての地味な作業が苦手らしい。そういった方面でなら、ボクは十分、彼を助けることが出来そうだ。旅中はリディアスさんとアスリーフさんに助けられる事が多いだろうけど……。

しかし“剣”二人に囲まれての旅かぁ……。
なんか、一気に脅威に対しては安心できる旅になった気がする。

彼らの足手纏いにならないようになりたいとは思うけど、今すぐは無理だ。旅中、野営時などに剣の稽古をつけてもらいながら、少しずつ成長しよう。

そう思ったのは、初めて会ったミトゥさんにアドバイスされたからだ。

「頑張るのはいいけれど、気ばかり焦ると失敗しちゃうから、時々は深呼吸して足を止めて、自分のペースでね」

まったく、その通りだろう。流石、“戦う知識人”アルファーンズさんの相棒だ。勘違いで一方的なけんかをしてしまったと言っていたミトゥさん。彼女も深呼吸をしに“きままに亭”にやって来たのだろう。詳しい事情は聞かなかったけれど、どんな顔して会えばいいのか悩むくらいに一方的な誤解について反省してるようにボクには思えた。

気があってつるんでいる仲間でもちょっとした諍いでけんかする事はあるだろう。でもそこで切れず、お互いに許しあえる間柄こそ真の仲間ではないだろうか。

願わくは、今度の旅を通じて、アスリーフさんやリディアスさんにそんな存在だと思ってもらえるように。少なくともちょっとでもそれに近づけるように。

そして、アルファーンズさんとミトゥさんが早く仲直りできるように。

良き交流を司るチャ・ザ神に願いをかけて眠りにつこう。
 
旅立ち
アル [ 2004/09/01 21:16:06 ]
 結局、エレミアへ同行して下さるのは、全部で三人になった。

“きままに亭”へ初めて訪れた日に出会ったアスリーフさん。
三日目に呑んだくれてたボクを励ましてくれたリディアスさん。
そして、事件解決後、詩作りのアドバイスをくれたネリーさん。

このお三方と一緒にボクの冒険者としての初めての旅が始まる。
“きままに亭”のマスターから受けた調味料の仕入れもあるし、ぜひとも成功させたい旅だ。

日々の徒然とは別に道中記なども書き記そうと思いながら、初めて歩く街道に心を躍らせている。
 
家族
アル [ 2004/09/21 22:28:51 ]
 エレミアの王都まであと数日。
村長の好意で届け物をした村にそのまま宿泊させてもらう事になった。
小さな村だから旅人の聞かせてくれる話は大事な娯楽だと。

ごくささやかながら宴会も開いてくれた。
楽しげに笑う人々を眺めているうちにあの人の笑顔を思い出す。
思えば今日は彼女の誕生日である。酒席をそっと抜け出し村外れの草原で彼女を想って唄う。彼女の生誕と出会えた幸運を感謝しながら。

感謝が神に届いたのか、さらなる幸運に出会った。
ルクスさんご夫妻の愛娘ココメロさんと再会したのである。以前に酒場ですれ違ったのだが、財布を忘れたボクは挨拶もせずに退席してしまっていたのだ。あとからリディアスさんに聞いて恩人のご息女と話す機会を見す見す逃してしまった自分の失敗にがっかりしていたものである。

彼女はソフィさんによく似た天真爛漫そのものという元気なお嬢さんだった。
途中から加わったネリーさんと一緒に自作した詩をお聞かせする。ルクスさんの活躍を非常に喜んで聞いて下さっていたのである。本当にご両親がお好きなようだった。

素敵なご両親だとボクも思う。

勿論、詩の良さを真に理解するためにその怖さも知っておくべきだと“高音振動”から呪歌を教えたというネリーさんのご両親も素敵な存在だ。お二方とも本当に愛されて育ったという事がその人柄からよく判る。

ボクも将来家庭を持つことがあったなら、そんな家庭を気付きたいものだ。
 
新たなる旅立ち
アル [ 2004/11/07 4:59:09 ]
 「薄っぺらだな」

 そう言ったのは、父だったか……。
 それともラゼックだったか……。

 ボクの詩に対する評価。

 真に迫る部分が無い。
 背景を想起する事が出来ない。
 人物の存在感が稀薄に過ぎる。
 つまりは絵空事。
 現実感が皆無なのだと。

 父に言われ諦めた道。

 父が死に歩き出した道。

 だけど、同じ様に言われる道。

 才能が無いのだと。

 ラゼック。
 彼はエマに住む商人でボクの恩人。
 エレミアからの帰路。無くした荷物を届けてくれた人。

 ボクと同い年で、ボクと同じ様に長男で弟と歳の離れた妹が居て、ボクと同じ様に父を近頃亡くした男。
 ボクと同じ様に冒険者に憧れ、ボクと同じ様に詩を読み耽った経験がある男。
 だけど、ボクとは違い商才を持っていた男。

 お礼として酒を振るまい会話を重ねた。
 互いの境遇が似通っていた事が会話を弾ませた。
 ボクはボクが冒険者になった経緯を話し、ボクの作り貯めた詩を聞かせた。

「本当にそれだけで冒険者になったのか?」
「商才のあるなしなんて実際にやってみないと判んないだろうに」
「店を放り出すなんて俺には考えられないね」

 酌み交わした酒が彼から遠慮というものを奪っていた。
 あるいは、元々そういうものと縁のない人間だったのかもしれない。
 多分、後者なのだと思う。

 ボクは商才がなかったから憧れていた冒険者の道を選んだ。

 それは本当だ。
 でも全てじゃない。

 おそらく言っても彼には理解できないだろう。
 彼だけじゃない。他の人だって理解してくれないだろうと思う。
 だからボクは「憧れで冒険者になった」と言ってきた。多分、これからもそうするだろう。

「甘い考えを持つな! そんな生易しい道じゃないぞ!」
「余計な事は考えずにワシの言う通りにやっておれ!」

「大丈夫だって。僕が兄さんをしっかり支えるし」
「僕が助けるって!」

「商才のあるなしなんて実際にやってみないと判んないだろうに」
「店を放り出すなんて俺には考えられないね」

 何故、貴方たちは、そんなにも自信を持っていられるのですか。
 ボクはそれが不思議でならなかった。
 そして、自分に自信がある人たちは、その思いが他人にも通用すると思ってる。
 ボクにはそれが不快でならなかった。

 父さん。言われた通りに生きていけば失敗は絶対にないんですか。
 ナル。お前に助けられればボクは何かを成し遂げられるんですか。
 ラゼック。商才が無かった場合の責任はどうやって果たせば良いんですか。

 誰かに対して何かを保証するなんてボクには出来ません。
 若い頃は今ほど臆病じゃなかったから女性に将来を保証する気になったりもしていました。
 でもそれは単なる過信だと気が付いたんです。
 ボクに出来ることなんて大した事じゃないんですよ。

 もしかしたら、彼らも自信なんてなかったのかもしれませんね。
 自信なんかなくても、なんとかやっていかないといけない。
 それが人生なのかもしれませんしね。

 でもボクの人生です。
 父さんのでも、母さんのでも、ナルのでも、ましてやラゼックのでもなく、ボクの人生なんです。

 庇護されて生きるのは、もう沢山なんです。

 子供時代ならいざ知らず、成人した男が親の庇護あって漸く半人前。
 そんな人生にはウンザリだったんです。
 我慢しながらも自力では状況を打開する事すらできない自分の不甲斐なさ。
 それを自覚しながらもズルズルと日々を送ってしまう。
 悔しかった。
 情けなかった。
 でも自己嫌悪と自己欺瞞と自己弁護と自己憐憫とを繰り返す日々。
 そして弟に支えられて生きていく。
 そんな将来を甘受するくらいなら死んだ方がマシだと思ったんです。

 そう思ってボクは冒険者になりました。
 死んでしまえる様にではなく、自立する為に。
 自分の力で生きていくために。

 初心者として受けているのは庇護じゃなく恩です。
 いつか必ず返すべき恩なんです。それがボクの最後の自尊心です。

 だからラゼック。
 ボクは貴方の依頼を受けに行きます。
 一人の冒険者として受けた恩を返す為に。
 
微笑み
アル [ 2004/11/16 2:29:40 ]
 オランに戻って来た。
道中、色々と考えていたけど、結果として“きままに亭”に顔を出してしまった。それどころか、「恩返しに行って来ます」と飛び出した定宿に傷を残した状態で帰るのが、気まずくて、部屋までとってしまった。
何も言わずに個室の鍵を渡してくれた彼に感謝しながらも、甘えてしまっているという自覚がボクを嘖む。

「楽になっちゃいけないと思うんで……」

ボクのそんな言葉に深くを聞かずに居てくれた彼女の労りが嬉しかった。

「生きて遭えるなら、私はいつでも歓迎よ」

その台詞を聞いた時は涙が出るかと思った。
誰もいない状態で言われていたら、彼女にすがっていたかもしれない自分を思って複雑だった。酒に逃げていたら……と考えると心底飲まずに居て良かったと思う。

だけど、彼が居たのは……。

「……ところでさ。 自分を誤魔化そうと思う時は、どっかに1箇所はけ口を作っとかないと、そのうち誤魔化しきれなくなるからな。気ぃつけな」

何気なく、そう笑いかけられた言葉には思考が硬直した。
終始繰り返した商売用の仮面も被ることが出来ず、聞こえなかった風を装って階段を上るのがやっとだった。

新しく出会えたお二方には申し訳ないけれど、ボクには彼女と彼の笑顔が……自分の偽りの仮面とは違う微笑みが、良くも悪くも印象的な夜だった。
 
事前〜不寝番・二日目、夜半〜
アル [ 2004/11/25 4:04:58 ]
 少しでも経験が積みたくて。
少しでも一人前の冒険者に近づきたくて。
ボクは今回の仕事に参加した。
何かをしていないと沈み込んで立ち止まってしまいそうだったから。
少しはそんな理由も在ったかもしれない。

でも今回の仕事は、その点では逆効果だった。

野菜泥棒。
その被害を食い止める依頼ならば、終始見回りをして居れば良い。
常に警戒を怠らず、畑の外周を松明片手に歩き回らなければならないのだから余計な事を考える時間はない。
だが、依頼は捕縛だ。
犯行現場を押さえ、犯人を特定し、捕まえなければならない。
その為には未遂で食い止めるとはいえ、犯行を犯させなければならないのだ。

潜伏。待ち伏せ。張り込み。

言い方は色々とあるけど、そういった方策を講じるのは当然の帰結と言えるだろう。

防寒着と鎧が奏でる微かな調べ。それは仕方ない。
風にそよぐ葉音か、虫の紡ぐ歌声か、遠くに聞こえる犬の声か。
ともかく、自然な音がかき消してくれるのを期待するしかない。
打ち合わせの為に時折小声でやり取りが行われるが、それも数歩離れれば、聞き取れない程の声だ。
警戒場所を変える為の移動も必要最低限に抑え、身を低くしながら無灯火とも言える状態で行う。
そうしなければ、此方の存在を気取られる恐れがあるから。

だから、それ以外の場合。
見張りの大半をしめる長い長い時間。
その時間は寡黙がボクたちを支配する。

言葉を交わす事もなく……。
身動き一つする事なく……。
夜の闇に溶け込むように……。

素晴らしい技術だと周囲を省みて思う。
細く頼りないとはいえ月は中天に浮かんでいる。
幾千の星々も月明かり同様、その恩恵を大地へと降り注いでいる。
土妖精ならざる身とはいえ、闇に慣れた視線は周囲に潜む仲間を辛うじて捉えてくれる。賢者にして野伏、戦士であり施療師の心得もあるという多芸のアスターさん。ボクの剣術における師匠でもあり、旅慣れた熟練冒険者でもあるアスリーフさん。この二人の姿が確かに見える。
だが、そこに彼らが実際に居るとは到底思えないのだ。
呼吸をしているのかさえ疑わしいほど存在感が稀薄なのだ。
軽く偽装しただけの風景に完全に溶け込んでいる。気配というものが感じられない状態……。
知らなければ、幽界の存在と見間違えるか、風景の一部として認識すら出来ないかもしれない。
それが、野伏たちの潜伏。

(ボク以外……例えば彼らと同じか、それ以上の技量がある誰かが見たら……)

そうしたら、違った感想を抱くのかもしれないけれど……。
でもボクには、そうとしか思えなかった。

闇は深く。

時は遅く。

心だけが移ろいゆく。

周囲を警戒しているつもりでも想いは当て所もなく彷徨う。
仲間たちの技量と己の未熟。
気配を感じ取れるだろうかという不安と今夜も何もないかもしれないという楽観。
ボクも役立たなくてはという焦燥。心を落ち着けなければ気配は消えないという自戒。
成すべき時が来たとして……同じ想いを味わうことになったとしたら……。
取り留めもなく埒もないことを考える自分に活を入れる。
しっかりしろ、アル! 自分で望んだ道だろ?
いま出来る事に全力を尽くす。そうするしかないのは、判りきった事だ。そうだろ?

詩人としての耳……それだけが頼りだった。
 
新たなる挑戦
アル [ 2005/01/30 2:44:12 ]
 「……とまぁ、そんな話をさせて頂きましてね」

 ボクは、そう言いながら出されたお茶を口に含んだ。
 ルベルトさんと出会った翌日の事である。いつもの様に師のお宅で文献整理のお手伝いをさせて頂き、小休止として婦人とお茶を飲む。それだけなら、取り立てて書き残す必要も感じない普通の日常だった。だが、その日は普段と違い師も同席されて居た。そして、彼はボクに言ったのである。

「アル。お前は私を“師”と呼ぶが、私はお前を弟子にした憶えがない」

 突然の宣告だった。
「あなた……」
「お前は黙っててくれ」
 夫妻の間で交わされる会話。
 ボクの耳はその言葉を確かに捉えていたはずなのに記憶はあやふやだ。

 良いか、アル。そのルベルト君もだろうが、普通、弟子は師匠の手伝いをしたからといって、給金が貰えるものではないのだ。少なくとも私がお前に支払ってるほどはな。なにしろ教えを請うているのだ。学院を見てみろ。金を支払うのは導師ではなく弟子の方だ。その点だけを考えても、お前は私の助手ではあるが、あくまで雇用した助手。弟子ではないのだ。

 何年かしたら?

 彼の言う通り悠長だ。悠長過ぎるぞ、アル。お前が私の助手になって半年。文献の整理も粗方終わった。つまりは助手が要らなくなったという事だ。何年かと言わず明日からお前は自力で学んで行かなければならないのだ。その為の下地をこの半年の間に僅かでも作っていたのか? ただ言われた事だけをこなして、薦められた文献を読んで、それだけだったでは無いか。

 当初は見所のある奴だとも思っていた。私の手伝いをしながら自分なりの着眼点を見つけ、独自にその編纂をしていたりもしたからな。だが、それ以後はどうだ? やれ剣の稽古だ。やれ恩返しだ。好き勝手に自分の都合で私に暇を請い、あっちへふらふら。こっちへふらふら。その繰り返しだったでは無いか。そんな弟子がどこに居るというのだ。

 そして、私が最も気に入らないのは、お前の甘えだ。
 自分では謙虚なつもりかもしれないが、ある面では間違いなく甘えなのだ。私の名を出し、万が一にでも迷惑がかかるといけない? そんな事をお前に心配してもらう謂われは無い。師が恥ずかしい思いをしない立派な賢者になる。そういう気概があれば、師の名を伏せる事など考えもつかんはずだ。

 つまり、お前は私の名を出さない事で、自分に対する逃げ道を作っているも同じなのだ。何かしでかしてしまっても師の名前は出していないからとな。

 話しぶりは平素と変わることなく穏やかなものだった。
 だが、その言葉の端々には揺るぎない意思が感じられる。間違いなく彼はボクを責めていたのだ。勿論、それがボクを思ってのものだということは、不安そうな婦人の顔をみるまでもなくボクにも判っていた。それでもボクは、彼の言葉に傷つき意気消沈していた。

 より正確に言うのならば、彼の言葉によって浮き彫りにされたボク自身の現状に。

「向上心が薄れつつある……そういう事ですね?」
 鉛の固まりを吐き出すかのように重い口調でボクはそう言った。
「残念ながらな」
 彼は心の底から落胆しているのだろう。
「……ご教授、感謝します。レーラァ先生」
 そう言って頭を下げた。これが最後だろうと思いながら。

「私も暇では無いからな。私の教えを請いたいと言うのならば、それ相応の実力を見せてみろ。いいな、アル」
 教え諭すような優しい語りかけにボクは目頭が熱くなる。

 師・レーラァ正魔術師が、ボクに新たな目標をくれた日だった。
 
濁り
アル [ 2005/01/31 1:00:52 ]
  知らず知らずに濁っていた。
 若かりし自分を思う。
 彼と同じ歳だった頃を省みる。

 純粋さを。
 誠実さを。
 直向きさを。

 その全てを彼と比べてみる。
 そして今のボクとも……。

 知らず知らずに濁っている。
 濁りの元は体面、世間体……そんな物。
 商家の跡取りだから。
 歳がいってるから。
 だから、どうだって言うんだろう。
 濁りは、そんな事さえ見誤らせる。

 後がない。
 そう宣告された状態。
 にも関わらず、
「ちょっと試験を受けてみる」
 と言わずにはいられない自分。

 余裕を見せておかないと。
 がむしゃらな様を見られると。
 それは途轍もなく恥ずかしいとそう思う自分。

 一生懸命やって駄目だったら?
 自分の実力など大したこと無いと思い知らされたら?
 挫折に脅え、逃げ道を確保しようと保身に走る。
 足りない知識を問題の意図を探る事で埋めようとし、不安を紛らわす。
 濁った目。濁った思考。濁った自分。

 歳のせいさ。
 とそう濁りが言う。
 堅実なんだよ。
 何の衒いもなくそう言う。
 限界を弁えてるしな。
 励ますように。慰めるように。労るように。言う。

 濁りだ。
 また濁りが浮いてきた。
 そうだ。最初から澄んでなどいなかったんだ。
 濁りは沈殿していただけで、もともとボクの中にあっただろう。
 ボクは濁っている。

 自己弁護という名の濁り。
 自己肯定という名の濁り。
 自己満足という名の濁り。
 自己欺瞞。自己陶酔。自己嫌悪。濁りは巡る。
 濁りは尽きない。

「進歩の無いこと甚だしいな、アル」
 自虐的に言って笑いが止まらなくなる。

 ここが原点。
 次の一歩を踏み出すために必ずここへ立ち戻らなければならないボク。

「後悔しないで下さいね、ホッパーさん」
 彼の純粋さに呼び覚まされた濁り。ボクは全力でそれを乗り越える。
 
賢者〜多角的認識力を有する叡智に満ちた人〜
アル [ 2005/02/14 11:09:51 ]
 「残念ながら、貴方には受験資格がありませんね」
 学院の一室で気の毒そうな顔の受付員がそう言った。
「本校に入学するには、三つの方法があります」
 勘違いされてる方は、割といらっしゃいますけど……。
 と、同情的にそう付け加えながら、ボクに入学方法を教えてくれる。

 一つは、入学金と授業料を支払っての入学。貴族や豪商の子弟たちにだけ可能な手段。そうでない人間には莫大過ぎる金額だから。それでも試験もなく入れると言うことで、新入生の大多数を占めるという。

 一つは、導師、賢者、高導師、大賢者、最高導師などの上位者が推薦する事で受けられる特待生試験を突破する事。試験と面接をクリアすれば、入学金も授業料も免除されるらしい。無論、在学中もそれ相応の力を示し続けなければならない険しい道だ。

 残された最後の手段。それがボクの挑もうとしていた試験だ。
 学院に通い学ぶ非会員たちの挑む、その試験を突破することで、準特待生として入学金や授業料に便宜を図って貰う。そういう道だ。その優秀者が特待生と同じように完全免除の待遇を受けられるから混同される場合もあるらしいが……。


「つまり、貴方は非会員として履修すべき講義を受けてないので……」
 会員試験に挑む前に非会員試験を受け、学院に通って学ぶ必要があるとそういう事らしい。狭き門であることは十分承知していたつもりだったけど、その門の前にすら立てないとは思ってもいなかった。
「ですが、悲観なさる事はありません」と受付員は言う。

 現状、非会員は200人にも上るという。その一員になる事は、それほど難しくは無いと。年間5人程度しか会員試験を通過する人間は居ないが、通いでしか学べない非会員と比べ、会員になってさえしまえば、何不自由なく勉学に励めるから。会員……学生とか魔術師見習いと呼ばれる彼らは、学院内の寮で生活する事を許され、生活の大部分を学びの時間として使えるのだからと学院の素晴らしさと創始者マナ・ライの偉大さを熱っぽく語ってくれる。数十人しかいない魔術師見習いが如何に選ばれたエリートであるかと合わせて……。

「もし、私塾で初等教育を受けて来られたのでしたら……」
 その証明として推薦状を持ってくれば、非会員扱いで会員試験に挑む事も出来るけれど……と最後の道を示す。おそらくボクの受験を聞いた知人たちが思っていた道でもあるんだろう。ボクがレーラァ正魔術師の推薦状を持参して会員試験に挑むだろうと。師の魔力は私塾を開けるほどのものではないらしいが、知識面では許容され得るはずだとボクなんかは、思う。思いはするが『実力を示せ』とそう言った師に推薦状を下さいとは言えない。それでは「貴方の助力がなければ、何も成し得ません」と表明する事になってしまう。

 八方塞がりだ。
 試験結果を実力の証明として師に見せる事すら出来ない。それ以前の問題だ。
 何故、師は実現不可能な挑戦と知りつつボクの行動を静観していたのだろうか?
 体の良い破門文句としてボクが事実に気づくのを待っていたとでも言うのか?
 それとも実力の無さを思い知り、教訓として生きろという最後の教えだろうか?

 形振り構わず勉学に勤しんだ日々がボクの思考をねじ曲げる。
 そんなはずは無いと打ち消してはみても嫌な想像が布にこぼしたインクのように心に広がっていく。受付員が話してくれる非会員への試験など最早ボクの耳には届いていなかった。師の真意を。『試験を受けます』とそう報告したボクを『期待してるぞ』と励ました彼の本当の思いを聞かなければ。それだけがボクの胸に充満していた。

※ ※ ※ ※

「そうか……」
 師は、ボクの報告に短くそう答えた。
 眉間には皺が、瞳には苦悩が浮かぶ……そんな表情である。
 重苦しい沈黙がレーラァ邸の居間に広がった。
 ボクは師を見つめ、師は手元の茶を凝視している。

(何故なんですか? 何故教えて下さらなかったんです?)
 ボクの率直な意思は、視線という形で師を射抜いているはずだ。
 だが、師は顔を上げようとはしない。険しい表情を崩さず、微動だにしない。
「……あなた?」
 気遣った婦人が遠慮がちに声をかけて初めて彼は重い口を開いた。

「……私は金で学院に入った。エレミアのな……」
 彼のその言葉で、ボクは昨年アスリーフさんたちと届け物をした師の親類を思い出す。出産祝いを届けた屋敷だ。確かに裕福そうだった。恵まれた環境で育つであろう赤ん坊の笑顔を全員で微笑ましく見たものだ。
「だからな……知らなかったのだ」
 呟くように師が言う。ボクは、発言の意味が理解できず、聞き返してしまった。
「知らなかった?」
「ああ。……すまんな」

 入学金と学費を支払うことで学院で学ぶ権利を得た師。
 毎年、多くの非会員たちを会員試験に送り込みながら、受験資格について知らなかったと彼は言う。非会員にしてみれば受けられて当然の試験であるし、試験会場には非会員以外の人間も居る。だから誰でも受験できると思い込んでいたと言うのだ。自分が受験していないから、真相を知る機会もなく。

「思えば、私の知らぬその受験者たちは、私塾の出身者だったのだなぁ」
「……そうですか……」
 先ほどとは異なる気まずい沈黙。
 真相が判明した事でホッとしもしたし、拍子抜けという気にもなった。勿論、師の無知ぶりにという事ではない。ボク自身も知らなかったのだから、その点はどうだって良い。意図のない誤りだった事に延々と悩んでいた自分が馬鹿馬鹿しくなったのだ。変に力が入っていた分だけ難しく考え過ぎだったなとそう思ったのである。

「では、今回は……」
 明るくそう言いかけて後の言葉を飲み込んだ。師の沈黙が自分の無知ぶりを恥じ入っているだけでは無いと気がついたからだ。ボクに悪いことをしたとそう思ってはいるが、それだけでは無いのだ。

 彼は堅苦しいほど筋目を守ろうとする人だ。情が移ると困るという理由で魔術師見習いを助手とせず、ボクのような駆け出しを雇った人である。学問に関する限り、彼は真摯で妥協を許さず、融通という物を認めない。自分に対しては勿論、関わる人にもそれは変わらないのだ。半年の間にボクはそれを知ってきたし、今回の事もその姿勢からすべてが始まったと言っても過言ではない。

 だから「無かった事」にはならない。
 彼の沈黙は、そう言っている。『実力を示せ』という彼の言葉にボクが返せたのは『受験すら出来ませんでした』という事実。それが結果なのだ。つまり、ボクは師の求めに応えられず、弟子の資格を無くした。不可抗力とはいえ、そういう帰結なのだ。その点を覆す事は自分の歩む道が許さないと彼は間違いなくそう考えているのだろう。

 彼らしい判断だった。
 そんな厳しさをこそ、師として仰ごうと思ったのだから、ボクもそれを受け入れざるを得ない。結局、ボクは学問において完全に路頭に迷おうとしていたのだ。

「そういう事ならお祝いをしませんとね」
 婦人が明るく言いながら夕飯の支度を始めようと席を立つ。
「祝い?」
 怪訝そうな声。不快感を顕わにした顔。その二つにボクを弟子としてとれない事実が師にも落胆を与えている事が見て取れる。そんな時に祝いとは何事だと今にも婦人を怒鳴りつけそうな表情なのだ。それだけで、ボクの心は慰められる。ボクも貴方の弟子になりたかったです。そう叫び出しそうなほど、胸が熱くなるのを感じた。
 だが、真の感動は婦人の次の言葉によってもたらされた。

「アルさんの弟子入りを祝うんですよ」
「何を言っているんだ? アルは……」
「実力の証明には十分でしょ。あなたの知らない事を教えて下さったんですから」
 
思考の迷図
アル [ 2005/04/05 6:22:55 ]
 『言い表せぬ想い』その言葉を紡ぐ時、ボクは詩人としての限界を感じる。
その言葉で片付けてしまう事は、彼女に言われた通り思考を放棄する事に違いない。
でも言葉にしようとすると布に染み込んで拡散するインクのように想いが滲む。

悔しいと思った。
ほとんど初対面に近い人間に言われるほど、ボクは覚悟がないわけじゃないと。
なのに反論はできなかった。
言われれば言われるほど、ボクの自信は揺らいでいった。
比べてしまっていた。
導師と自分。どう考えたって導師の言ってる事が正しい。そう思った。
自分の事なのに。

結局、いま言葉にできるのは、この程度でしかない。
もうすでに想いはかすれ始めている。あの場で感じた『言い表せぬ想い』は消えた。
向いていないのだろうか。
それとも言い表す事ができて初めて変われたと言えるのだろうか。

今日のボクには判らない。だけど、判らないで終わっては変化がない。
だから考える。だけど判らない。それでも考えなければ。
 
情報源
アル [ 2005/08/19 7:08:27 ]
 最近、稼がせて貰ってる酒場はチャ・ザ神殿の裏手にある。
料理が美味いのと給仕の女の子たちの笑顔が印象的な良い店だ。
『風花亭』には及びもつかないけれど酒場の片隅にはステージも用意されている。
だから詩歌を楽しみにくるお客さんも少なくない。

「もちろんオイラも歌を聴きに来てるんッスよ?」
「そのわりにはステージじゃなく、カウンターに向かった席につきますよねぇ」
「向きは関係ないッスよ? 耳さえ向かってれば無問題でゲショ?」
「会話中はどうしてるんです?」
「ほへ? なんのこってッス?」
「だから、ウェートレスさんとの……」
「エリナさん! 今日も綺麗でヤンスね〜。オイラ、エリナさんの笑顔を見るためにこの酒場に通ってるんッスよ〜」

「やっぱり、聞いてないんですね」
「や、や、や、そんなことぁ無いッスよ? だって、ほら、アルさんが演奏してる時は、しっかり声援送ってるじゃないッスか。ね? ね?」
「演奏中にね」
「ね? ね?」
「…………」
「どうしたんッスか? 熱烈な声援を思い出して感涙でヤンスか?」

「……そういえば、この前、ここでの仕事が終わった後、『きままに亭』に寄りましてね」
「ほへ? それがどうかしたんッスか?」
「久しぶりに行くんで知人と会っても共通の話題に困るな〜なんて思ってたんですよ」
「はぁ……で、それがオイラとどんな関係があるんッス?」
「それが運の良いことにラスさんと一緒になったんですよ」
「いっいぃー!?」
「結婚騒動とか色々お話を伺ってたんで助かりましたよ」
「あ、いや、その、あれッス! それはアレでヤンス! って、なんで、そんなピンポイントに会ったりなんかしたりしっちまうんッスかー?!」
「いや、なんでって言われても……」

「オイラ急ぎの急用を思い出したッス。ホント残念ッスけど、今日は帰るッス」
「そうですか。明日はどうされます?」
「ほぇ? なんで、そんなこと聞くんッスか?」
「いや、ほら。ラスさんに居場所を聞かれたりした時に“よく来てますよ”って言って良いのかどうか……」
「駄目ッス! ってか、オイラこんな店、来たことも無いッス!(脱兎)」

とりあえず、もう来ないらしい。
後ろめたいと思うような吹聴の仕方を止めれば良いのに……。
まぁ、ウェートレスの子や店からの要望は叶えられたけど。
 
頼まれ事の合間に思う事
アル [ 2005/08/23 6:54:24 ]
 ルベルトさんの手伝いをするようになって五日あまり。
会話らしい会話が無くなってから三日というところだろうか。
初日は、こちらを気遣うように時折話しかけてくれていた。
けれど、翌日からは徐々に作業に没頭される時間が増え、今では
「今日もよろしくな」
「そろそろ一息入れるか」
「お疲れさん。また明日も頼むぞ」
それくらいしか言葉をかけてくれなくなっている。

だが、それで研究室が静寂に包まれているかと言うと、実はそうでもない。
「くそっ。なんだってこんな結果が出るんだ。これじゃあ、またやり直しじゃないか」とか。
「よし! 良いぞ! これならアノ理論を補強材料にして……」とか。
「たくっ。なんだって俺があいつの担当まで受け持たなきゃならんのだ……」とか。
不意にルベルトさんの独り言が響く。

……なんとなく、面白い。
 
真夏の夜の夢
アル [ 2005/08/27 4:13:27 ]
 久しぶりに寝苦しいと感じる夜を迎えていた。
豊穣の女神が徐々にその芳しい吐息をもたらし始めた頃だというのにである。

仕方がないので周囲を気にしながらベッド脇の蝋燭に火を灯し、書き写した文献や覚書を読み返す。ラスさんに教えられて始めた“冒険者としての視点から見る【ジェドの牙】に関する調査”の途中なのだ。あれこれと推論を展開したり、明日確認すべき点の反芻をしたり、思索をしながらサンドマンの到来を待つことにしたのである。

…………。
ふと、まったく関係ないことが気になり始めてしまった。

ラスさんほどの精霊使いなら、適度にサンドマンを使役できたりするんだろうか?
例えば永遠に眠らせるのではなく、寝苦しい夜に安眠を得るような使い方を……。

…………。

そこにサンドマンの力が働いていないから寝難いんだろうに。
その場に居ない精霊の助力を得るなんて出来やしないはずだろ。
まったく。なにズレたことを考えてるんだか。

…………。
……駄目だ。寝よ。

【ジェドの牙】については明日以降も引き続き調べる決意をして火を吹き消した。
 
ジェドの牙 1
アル [ 2005/11/16 14:30:56 ]
 『恐怖による平和の時代。そう呼ばれるサーダイン王国期。
<> 悪夢のような圧制に抗おうと多くの人々が立ち上がった。
<> けれど、そのすべてが目的を達することは終に無かった。
<>
<> サーダイン王国には圧制を強いるだけの力があったのだ。
<> 重装歩兵団……剣の時代を象徴するのにこれほど相応しい力も他に無い。
<> 民衆の持ち得る刃物では決して貫けない強固な鎧に身を包んだ兵士たち。
<> 彼らが持つのは人を両断してもなお切れ味に衰えを見せない凶悪な武器の数々だった。
<><> 現代であるならば、そういった軍団に対しても講じられる手段はある。
<> 完璧な防御の代償として俊敏性を失った集団なのだ。
<> 導師級の古代語魔術師が一人いれば、彼らを壊滅させることとて不可能ではない。
<> しかし、時代は今ほどカストゥールの遺産に対して寛容ではなかった。
<>
<> 無論、現代においても古代語魔法に対する畏れにも似た忌避感は少なくない。
<> より悲観的に言うのであれば、山間部の集落や離村においてはかなり根強く残っている。
<> それもこれもカストゥール時代の悪夢があればこそだ。
<> 魔法を使えぬ民衆が蛮族と呼ばれ、奴隷として扱われていた暗黒の時代だった。
<>
<> サーダイン王国期は、その記憶が、現代とは比べ物にならないほど鮮明だったのである。
<> 魔法を使えるというだけで、周囲から私刑にされることも無い話ではなかった。
<> 自分や自分たちの祖先を虐げていた未知なる力……それが魔法だったのだ。
<> 憎悪の対象となることはあっても、重装歩兵に対する力と捉えられる事は皆無だった』
<>
<> そこまで書いて、ふと手を止める。
<>(でも、もしかしたら彼らだけは、そうじゃなかったのかもしれない)
<> そう思ったから。
<>
<> サーダイン王国期に点在した民衆反乱の歴史を紐解くと、その始まりには決まって同じ名前が記されている。無論、当時の史書の類がほとんど現存していないのだから、ある賢者の著した文献を他者が模倣しているだけという可能性も無いわけではない。その名を持つ者たちが、本当に重装歩兵団の最初の生贄となったかどうかとて、なんら確証のある話ではないのだ。いや、それだけではなく、その存在すらも物証によって証明されているものではない。人が語り、それを書き記す者が居て、それをまた伝える誰かが居たからこそ、彼らの存在が現代まで生き続けてきたのだ。逆に言うならば、だからこそ、現代に生きる伝承者の端くれとして、次代につなげる為にあえて彼らを語らねばなるまい。
<>
<>(書き出しとしては、まずまず……かな?)
<> 読み返してそう思うとボクは机の上を片付けて出かける仕度を始めた。
<> そろそろ稼ぎ時だ。続きは、また今度まとめよう。
 
ジェドの牙 2
アル [ 2005/11/17 12:16:06 ]
 『カストゥールの遺児、剣の時代の孤児。
<>
<> それが彼ら『ジェドの牙』に下された後世の歴史家の評価である。彼らが抵抗勢力として組織化されたのは、当時オラン周辺に存在した小国(名は現存していない)がサーダインに攻め滅ぼされ数年が経った頃と推測されている。その推測が正しいとするならば、サーダインが大陸東部を平定した、新王国暦70年頃から、多く見積もって前後5年というところだろう。そのあたりの事がはっきりとしないのは、こういった組織の常である。体制に反抗する為に組織されている以上、その旗揚げを大々的に喧伝する者はいない。ましてや『ジェドの牙』は、当時の人々から共感される事も後押しされることもなく、ただただ重装歩兵団の脅威を知らしめるだけの末路を演じるのだ。それだけに活動全般に渡って一般大衆の耳目を集めはしなかったのだろう。
<>
<> だが、活動の詳細はともかく、彼らの名は絶えることなく今日まで語り継がれてきた。無論『重装歩兵団の最初の生贄』という彼らにしてみれば、これっぽっちも有難くない称号が、その一因である。他の例を見ると重装歩兵団というのは、街に対して派遣されるのが常である。「反逆者集団を鎮圧するために派遣される」という生易しい代物ではなく、「反逆者が出た街を見せしめの意味も込めて壊滅させる」というのが、その実態だ。それだけに、通常その都市に住む民衆は皆殺しの憂き目にあう。そんな暴虐非道のお手本とも言うべき戦闘力をその身をもって世間に知らしめたのが『ジェドの牙』なのだ。
<>
<> 実のところ、重装歩兵団はサーダインが国土を広げる戦でも投入されたれっきとした軍事部隊である。今で言うならば、傭兵隊か騎士団か……少なくとも暴徒鎮圧のために出動する衛視、巡視の類ではないのだ。その集団が一般人に毛の生えた程度でしかない組織を壊滅させるために派遣されるというのは、誰が見たって理不尽極まりないものである。例えるのなら、泣き止まない赤ん坊に大の大人が拳を持って言うことを聞かせようとしているようなものだ。圧制に苦しむ当時の人とて、そんな状況にあれば赤ん坊に同情的であってもなんら不思議はない。けれど、『ジェドの牙』は、その名が今日まで語り継がれてきたもう一つの理由から、そういった同情すら得られぬまま潰えていったのだった。

<>
<>(これじゃ、史書を書こうとしてるのか、読物を残そうとしてるのか判らないかもな)
<> そう思って苦笑する。時間が作れた時に少しづつ書いていると、その時々で微妙に文章が変わってしまう。全部書き終わった後に全体の見直しが必要になるだろう。
<>「……さて。そろそろ出かける仕度を始めないとな」
<> ここ数日で急に冷え込むようになってきた。冷えた革鎧を身に着けるのは億劫だ。勿論、訓練だからそう言ってられるんだけど、やっぱり寒いのは苦手だな。
 
ジェドの牙 3
アル [ 2005/11/22 11:25:49 ]
 『古代王国人の末裔
<>
<> 『ジェドの牙』が他の多くの抵抗組織と一線を画すのは、正にこの点だった。民衆の支持を得られなかったのもそれで説明がつくと主張する賢者もいる。現代であっても驚きと共に受け止められるであろうこの事実を当時の人々は、一体どれほどの衝撃と共に受け止めたのだろうか。繰り返しになるが、サーダインの頃というのは、今とは比べ物にならないくらい魔法やカストゥール王国に縁のあるものに対する風当たりがきつかったのだ。動乱の時代を生き残り、融和をもって血脈を後世に伝えた古代王国人など、全大陸中でも数えるほどの例外であり、そのほとんどは我々の祖先によって皆殺しにされている。魔法も共存を選んだラムリアース以外では禁忌のものとされた。それだけに『カストゥール王国の生き残りを祖先に持つ構成員』というのは、俄かには信じ難い話である。
<>
<> だが、人々は語り継いできた。『ジェドの牙』にはカストゥールの生き残りを祖先に持つ構成員がいた、と。この現代まで脈々と受け継がれ続けた噂の真偽は勿論定かではない。仮に古代語魔法を使えるものがいたのだとしよう。しかし、それが、真にカストゥール王国の生き残りの血を引いているのか、それとも単に魔法の素養を持つ稀有な新王国人だったのかは、すでに検証のしようのないこととなってしまっている。にも拘らず、人々は言い続けてきたのだ。「魔法を使える人間がいた」ではなく「カストゥールの生き残りを祖先に持つ構成員がいた」と。なぜ、そんな持って回ったものの言い方をしなければならなかったのだろうか。一体、そのことにどんな意味があったというのだろう』
<>
<> 史書は現存しない。
<> つまり書き記された文字の中には、その答えとなるべき事実がないのだ。
<> ならば、ボクの探すべき場所は一つだった。<>
 
ジェドの牙 4
アル [ 2005/11/23 9:36:12 ]
 『天の民の末裔 地に交わり乱と成る
<>鋼の軍の鉄槌 東に下りて乱を撃つ
<>血の雨の制裁 跡に残るは牙とジェド
<>
<> 最も古い詩はそう語る。あまりにも素気ないと言えば素気ないが、それ以外に語るべきことなどなかったのだろうとも思える。この詩文が『ジェドの牙』という名を定着させたものだという説は、ほとんどの賢者が支持するところだ。けれど、実際にそれが何を意味しているのかとなると諸説紛々、万人を納得させる有力な説は今のところ無い。人物の名前だという者、現代では失われた言語による固有名詞だという者、口伝時の誤伝だという者、そう多くない“サーダイン史研究家”を自称する賢者たちの間でも争点になっている。
<>
<> その点に関するボクの推論は後に述べるとして、今は定説として認められている詩の他の部分について語っていくとしよう。まずは、古代王国人の末裔が構成員にいたことの論拠となっている部分だ。“天の民の末裔”……この部分である。“天の民”とは、そのまま“天空に住んでいた人たち”を指す。現代では天空に人が住めるような都市は存在しない。それは、サーダイン王国期も変わらなかった。では、いつの時代なら在ったのかと言えば、それは勿論カストゥールの頃に他ならない。“堕ちた都市”と、現代では、そう呼ばれるレックスこそ、この詩が指し示す“天の民”の故郷なのだ』

<>
<>(レックスについても少し解説しておく方が良いかな……)
<> そう思案しながらインクが乾くのを待つ。すっかり温くなったホットバターラムを飲みながら。
<> 書き物をしてる時、こうやって一息つきながら自分の書いていた物を読み返すと、妙に充足感を感じる。
<> さて、明日も朝から師の家に行かなければならないし、そろそろ寝るとしようか。
 
ジェドの牙 4.5
アル [ 2005/11/29 6:15:16 ]
 『空中都市レックス
<> 現代において“堕ちた”と称されるかの都市は、カストゥールが崩壊する百年ほど前に建設されたと言われている。初代の太守でもあった付与魔術師ブランプを中心に現代でも残骸の残る環状列石に大地の精霊のくびきを打ち消す魔力を持たせることで、巨大な都市を天空に浮かばせていたのだ。そのほとんどは、我々の祖先が粉砕・破壊してしまった環状列石だが、一部では多少の魔力を残したままで現存し、小石などが浮かせ続けているらしい。そのことからも当時の魔力がいかに強大なものかが窺い知れる。そして、レックスの規模を知る為の話として残される「土妖精たちがその基部として使った岩を削りだした跡がミード湖だ」というのは、あまりにも有名な話である。
<>
<> 初代太守でもあったブランプの構想では、レックスをそこまで巨大な都市にするつもりは無かったと言われている。建設当初ほど都市を拡大させていたが、彼の晩年において、その類まれなる構想力と実行力は都市内部の環境を整備することに向けられていたのである。整然と区分けされた町並みと歩き易いように配慮された石畳。現代のオランですら及ばぬほどの上下水道。夜になると自動的に点灯する街灯とそれに映し出される緑溢れる庭園。上流階級数百人が住み暮らすためだけに在るその都市は、まさに無尽蔵の魔力によって作られたこの世の楽園だった。現代でも歴戦の冒険者という選ばれた人間しか立ち入ることの出来ない中心部は、こうして作られたのである。
<>
<> けれど、彼の死後、状況は一変する。二代目の太守に納まった男の虚栄心が、レックスを変えたのだ。当時、レックスに触発されるように大陸各地で様々な都市が建設されていた。幻覚の都市マーラ・アジャニスの都、精霊たちの能力を極限まで使った地底都市フリーオン、海上都市ウリュウなどがそれである。それらの都市に対抗するためにレックスは大陸一巨大な都市へと無秩序な拡大を続けていくことになったのだ。この第二期建設期は急速で稚拙なものであったと言える。それまで存在した入居に関する厳しい制約を撤廃し、人口を増やせるだけ増やしていく一方、その人々に提供する設備とそれを保障する魔法の準備は、どんどん御座なりになっていた。こうして形成されたスラムのような外周部は、最終的に数万とも数十万とも言われる人々を擁し、そのほとんどが墜落時に死亡するという痛ましい終幕へと向かうのである』

<>
<>(……補足の解説にしては字数を使い過ぎかな……)
<> そう思いながらも筆が進んでしまったことには疑問すら抱かなかった。
<> 魔法がもたらしたレックスという存在を素晴らしいと思う自分とそれが潰えていくことが自然だと感じる自分がいる。
<> 魔法に対する興味の持ち方が、一般人だった頃とそう変化していないってことだ。やっぱり、ボクには魔法を扱ってみたいと思う資格すらないんだろうな。
 
ジェドの牙 5
アル [ 2005/11/29 7:28:48 ]
 『地に交わり
<> そう詩文は続ける。単純に「新王国人と共に」と解釈されてきた部分であるが、本当にそれだけの解釈で良いのだろうか。何気ない語句を暗喩として使うのは、現代でも多用される詩作の技法である。素直に事実を描写してるだけに見えるこの部分にも、そんな裏の意図があるのではないだろうか。ボクはそこを考えてみた。
<>
<> そもそも、その疑問を抱く切っ掛けとなったのは“古代王国人の末裔”と言われる人物の素性が定かでは無いことだった。文献も無く、史跡としても残っていない『ジェドの牙』だが、少なくともこの詩文を作った人物は、その存在を知っていたはずである。仮にまったくの創作だとした場合、こんな素っ気ない詩文が現代まで残ることはないのだ。同時代人に受け入れられ、なおかつ後世に残る詩文となると、「素晴らしい傑作」であるか、「事実通り」であるかのどちらしかない。そして、この詩文は間違いなく前者ではあり得ない。にも拘らず現存しているのは、やはり事実通りだからだろう。
<>
<> とするならば、なぜ、実在の人物である“天の民の末裔”を描写しなかったのだろうか。古代王国人への風当たりというのは、理由にならない。なぜなら、この詩文は『ジェドの牙』の末路までを詩っているのだから。それはつまり、すべてが終わった後に作られたということである。反感を抱かれる存在が潰えてしまったのだから、誤魔化す必要もないのだ。逆にもっと愚かしく哀れな最期を描写した方が当時の人々の関心を買えたはずである。実際、レックス崩壊の様子などを語った詩歌の中には、思わずはなじろんでしまうほど辛辣なものも少なくはないのだ。
<>
<> けれど、この作者は、そうはしなかった。詩歌として残すほど『ジェドの牙』の内情に詳しいにも拘らず、あえて実像は描かない。なぜだろうか。そもそも、潜伏を旨とする反抗組織の内情にそれほど明るい人物とは、いったいどの様な立場の人間なのだろうか。考えられるのは、一つである。この作者自身が『ジェドの牙』の構成員だったのだ。それどころか、もしかしたら“天の民の末裔”自身だったかもしれないのである』

<>
<>(……結論を急ぎ過ぎかな……)
<> そう思いながらも、ボク自身は、この推論に自信を持っている。
<> こう考えていくと、裏の意味も、『牙とジェド』も読み解けるのだ。
<>(もっとも……それを証明する為には実際に探索に出てみる必要があるんだけど……)
<> それは、まぁ……この文章をまとめきって、これを読んだ上で同行しても良いと思ってくれる人を募らないことには始まらないしな。
<> どちらにしろ、冬の間は行動に移せないかもな。
 
ジェドの牙 6
アル [ 2005/12/03 6:02:32 ]
 『天の民の起源
<>
<> “天の民”と詩文に記された部分が、レックスに住んでいた古代王国人を示しているのだろうと先に述べた。けれど、それだけでは漠然とし過ぎているのも事実だ。少し掘り下げて考えてみよう。まず、レックスの住人を大きく二つに分ける。現代同様、内と外で区別するのだ。入居に厳しい制限が課せられていた建設当初から第一期建設計画完遂までは、その住民のほとんどが名のある貴族だ。魔力と爵位が正確に比例曲線を成していた当時、この頃に入植した人々が雑用のために使役していたのは、魔法生物などの様々な人外の存在だった。そのため、この頃の居住者と言われる数万人の中に我々の祖先である新王国人の奴隷は、ほとんどいなかったのである。
<>
<> 続いて第二期建設計画の頃を考えてみよう。この時の計画は先にも述べた通り、杜撰を絵に描いたようなものだった。入居者に関する制限を撤廃したことで、魔力にも財力にも劣る多くの人々が入植するようになったのである。こういった人々の中には魔法生物や異界の生物などを使役する力が無い者達も当然ながら存在した。それどころか、現存するレックス外周部の遺跡に残された侵入者よけの罠を見ると、ほとんど魔力を持たないような人が構築したとしか思えない物も少なくない。それを考えると「外周部に居住する人の中には魔力に劣る人々も居た」と言うより、「外周部に居住する人ほとんどが魔力に劣っていた」と考えて差し支えないように思える。そういった人々の使役する奴隷として、多数の新王国人がレックスで住み暮らしていた。
<>
<> つまり、大別するとレックスとは、「生粋の古代王国人が住み暮らしていた内側」と「魔力に劣る人や新王国人の奴隷が多く住み暮らしていた外側」になる。ここで思い出して欲しいのが、先に述べた詩文の一説“地に交わり”である。“天の民”がレックスに住み暮らしていた人を示すと共に古代王国人をも指し示していると認識されている現状において、“地”とは何を示すのか。それは多くの素直な解釈が示すように“新王国人”に他ならない。しかし、“レックスに住んでいた古代王国人の末裔”が“新王国人とともに”という普通の解釈以前にレックス外周部において、すでに“古代王国人”と“新王国人”は混在していたのである。
<>
<> 前述の通り、ボクはここに作為的なものを感じたのだ。“交わり”この一語が、どうしてもひっかかった。そこで、こう考えてみたのである。レックスの外周部で、古代王国人と新王国人の混血が生まれていたとしたら……と。“地”は“血”であり、“天の民の末裔”の起源は、つまり、そういうことなのではないか……と。残念ながら、現状ではこの詩文に暗喩が用いられているという考えも、その解釈も、ボク個人の推測でしかない』

<>
<>(でも、だからこそ……)
<> そう思う気持ちは文字にせず終いだった。
<> 実際、探索の結果が出てみないことには、どっちとも判らない。
 
ジェドの牙 7
アル [ 2005/12/13 11:30:09 ]
 『牙とジェド
<>
<> そもそも“ジェド”とは何を指すのだろう。これが“ジェイド”であるならば、現代でいう“ジェダイト”や“ネフライト”などの鉱石を示す当時の総称だ。だが、それではあまりにも意味が通らない。“跡に残る”存在が“牙”と鉱石だと詩文は言うのだろうか。鉱石の中には特別な力を持った所謂“魔石”と呼ばれるものがある。辺境の部族などに多く見られる考え方で、呪い師などはその魔石を用いて加持祈祷や医療などを施すのだ。オランでもお守り代わりに持つ人は少なくないので、それなりに広く受け入れられている風習ではある。ジェイドもそんな魔石の一つで、その恩恵自体は多岐に渡る。けれど“牙”と並んで意味を成すような効果は、少なくとも調べた限りにおいて発見できなかった。「牙と鉱石(自体)が残った」と読み解くと意味が通らず、「鉱石のもたらす恩恵が残った」と読み解くと“牙”と並立させることが不可能なのだ。多くの賢者を悩ませるのも無理からぬことだろう』

<>
<>(ボクも「人名か?」なんて安易な逃避をしてたしなぁ)
<> なんとなく思い出して苦笑する。この部分を調べてた頃は完全に行き詰っていた。勿論、それまで調べていたことには先達の導きが少なからずあって、そこから先を調べるには、その恩恵を受けられなかったからではあるだろうけど。気晴らしにまったく関係のない書物を読み漁っていた時に見つけた幾つかの逸話がボクの思考を一つの仮説につなげた。まぁ、想像の域を出てない仮説だけど。
<>
<> 『一つ、そのまま“ジェド”とまったく同じ響きの語句がある。と言っても、その語句は“原初の巨人”と同じくらい確証の無い神話のような話に出てくるのだ。いつの時代の話かすら確かではない。カストゥールの頃かもしれないし、それこそ、本当に神々の時代の話かもしれない。仮に神話の一つだったとしても、どの神殿も認めないだろうし、人々が信じるかどうかだって怪しい話しだ。ボク自身、今回の調査との符合さえなければ、物語の一つとして読み流していたに違いない。<> けれど、“牙”と“ジェド”は、今なお、実在しているらしいのだ』
 
ジェドの牙 8
アル [ 2006/03/07 15:57:25 ]
 『王は殺された。
<> 崇高なる王であった。叡智と慈愛に満ちあふれた光の如き王であった。
<> その座を欲した王弟が、王を柩に閉じ込め、大いなる河へと流したのである。
<>
<> 人々は嘆き悲しんだ。
<> その涙が波となった。王を敬い尊ぶ人々の心が、大いなる河を動かした。
<> 王の柩は、波に運ばれビュプロスの浜へと誘われたのである。
<>
<> 王妃は知った。
<> 王が復活することを。ビュプロスの浜で、天を衝かんとするヒースの木を。
<> その木が、大地の力を集め、螺旋を描きながら魂を聖別するのである。
<>
<> 神は墓所を祭壇と定めた。
<> 柩と螺旋と聖樹を模した柱。その三種を神器とし、墓所を作らせた。
<> 屍は“ジェド柱”の庇護を受け、螺旋の回廊を抜けて天へと昇るのである』

<>
<> これが、“ジェド”という言葉の出てくる伝説である。
<> この伝説を紹介した書物には、次のような注釈が添えられている。
<>
<>『墓所を祭壇と定める神とは、どのような神だろうか。その名も存在も知られてはいない。だが、何れ邪神の類であろう。新王国暦が始まってより、このような神を信仰する存在の話は、まったく聞かれない』<>
<> だが、伝説が古代王国から伝わる以上、その当時には信じる人がいたとも考えられる。
<> そして、その末裔が、“ジェドの牙”へとつながるのではないだろうか。
<> 結論は、未だ出ない。
 
別れに願うこと
アル [ 2006/05/26 15:04:13 ]
  童歌。
 どこにでもある普通の歌。
 簡単な音階と決まりきったリズム。
 憶えるのに苦労はない。

 その曲に自作の詩をつけた。
 かつてを懐かしみ、幸せを願う詩を。

 健やかであるように。
 笑みが絶えないように。
 愛に満たされるように。

 思えば、彼女はボクの一番最初の聴衆だった。
 その彼女に送る歌。嫁ぎ先のブラードに住み暮らす妹。
 もうすぐ成人だ。
 成人したら、婚約が結婚に変わる。
 ボクの家の姓を名乗ることはなくなる。
 けれど、それはボクとは違う。
 幸せの象徴としてリルは新しい姓を名乗るのだ。

 ボクとリルの歩む道が再び交わらなくともリルの幸せをボクは願っている。
 いつでも。いつまでも。
 それを詩にした。

※ ※ ※ ※

「これが依頼料です」
 そういってガメル銀貨の入った袋を取り出す。
 クレフェさんにボクの作った歌を届けてもらおうと思ったのだ。
「……貴方にしては、多すぎるようだけど?」
 幼い弟の他愛無い悪戯を見つけた姉のような表情で彼女が言う。
「ええ、まあ……正直、手痛い額ではありますが、その…仕事を回してもらったお礼と…あと…餞別とでも言いますか…それを兼ねてと思いまして……」
 ばつが悪そうに言葉を重ねるボク。
 彼女の視線は「生意気言って」とでも言いたそうに笑みを湛えている。
「そういうことなら、ありがたく貰っておくわ。ちゃんと届けてあげるから安心してなさい」
 優しく、そう言ってもらえたことでボクも安堵した。
「それにしても、逆に気を遣わせちゃったみたいで悪かったかしら」
 出来ない分まで請け負わず、ホッパーさんや他の方々と分担しながら引き継いでくれたら良いと彼女は言った。
「いえ、これは、その……ボクの気持ちですから」
 それだけを言ってクレフェさんと別れた。

※ ※ ※ ※

 戻って来るかどうかは聞かなかった。
 でも、出来るなら戻って来て欲しいと思っていた。
「お帰りなさい」
 と、そう笑って挨拶をしたい。
 あの日。傷つき、疲れ果てたボクの心を労わってくれた彼女のように。
「生きて遭えるなら、ボクも、いつでも歓迎ですから」
 そう呟いて、彼女の旅の安全を願った。
 
旅立つ朝に
アル [ 2006/06/01 11:53:46 ]
  音の広がりは、水面に浮かぶ波紋のようだ、と誰かが言った。
 呪歌を奏でる時は、普段以上にその言葉を思い出す。

 知らず知らずにイメージしている。
 さざ波すら立たない泉に半身を沈め、その表面に波を立てようとする自分。
 全身を闇雲に動かすわけにはいかない。
 そんな動きで作れる波は、なんの効果ももたらさないただの雑音だから。

 静かにそっと波を起こす。
 優しく繊細で綺麗な波を。

 水面に掌だけをつける。
 むしろ水の上に掌を置くような心持で。
 そしてその掌で水全体を押す。

 掌が水中に没した時は発する音を間違えたか、調子を外した時。
 掌が水面から離れたり、反発した水が手の甲へかかった時は、別の失敗。
 たぶん、相手の心に歌が届かなかった時なんだろう。

 巧く奏でられた時は掌から波紋が広がる。
 そして押した水が逆に掌を押し上げる。
 押し上げられた掌で、また水を押す。その繰り返し。
 幾度か繰り返すうちに因と果が判らなくなる。

 ボクの掌が水を動かしているのか。
 それとも水がボクの掌を動かしているのか。

 ただ波紋は広がる。

 やがては、水中にあるボクの半身をも包み込むように。
 波紋に触れたところからボクの体内を伝播する。
 まるで自分がその波と一体になったかのような錯覚を覚える。
 全身に響き渡る感覚。揺り動かされるようにボクは声を、歌を添える。

 もしかしたら音がマナに働きかける感覚を波のように捉えているのかもしれない。
 けれど、そんなことは、どうだって良い。
 ボクにとっての呪歌は音と一つになること。
 自らが発したはずの音に突き動かされること。
 その一体感に浸れる呪歌だけしか今のところ使えない。
 即時性のある呪歌は、まだ唄えない。
 単音に気持ちを添わせるのは、まだ無理だから。

 戦闘には不向きな呪歌ばかりだね、と誰かが言った。
 それでも今回のボクは挫けない。
 決意は揺るがない。

 ボクの呪歌が仲間を救う……なんて慢心する気はない。
 でも、役立たずのお荷物で終わる気はない。
 “鎮魂歌”
 それを唄えるんだと胸を張って言えるように。